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2007年10月31日(水)
林業賓館

 朝,外に出ると寒い!道路を上手に横断して研究室に辿り着く。すぐに3年生の教室へ。2校時まで。3・4校時は4年生。昼食はフントンと小龍包。食後,北食堂の地下の学人書店へ。日中・中日辞典が一冊になったコンパクトな辞書を購入。定価35元が職員割引か28元。外は非常に寒かったが研究室は暖かいので,図書館売店で久しぶりにアイスを購入。研究室に帰ると内藤先生が来られていた。明日の教材研究をしていると,日本人のK先生が見えられ,しばし雑談。夕食も大学近くの林業賓館で。餃子にチンタオビール純生を飲んで,3人で49元。
 寒い中を宿舎まで。宿舎ではtypeTがとうとう起動しなかった。バックアップを取っておいてよかった。

2007年10月30日(火)
久しぶりの雨

 今日も外に出ると冷たい。でも耳当てをつけるほどではない。手袋のみ。外国語学院に行くとちょうどエレベーターが開いたところだったので乗り込む。最近は5階まで歩くのも苦ではなくなってきたので歩くことが多いのだがちょうど来ていると乗り込むのは人情。別に歩くのを決めているのでなく待つ時間が嫌いなだけだ。
 1・2校時は4年生の視聴覚。何人かいないのは,面接試験のため。華北省の地元企業に面接に行っていた学生が帰ってきましたと挨拶に来た。授業終了後,昨日のオリンパスの面接を受けて,今日2次があるという学生から質問があり,一緒にアピールや提言を考える。その中で面白かったのが,ソニーやキャノンは漢字2字だがオリンパスは4字なのでアピール力に欠けるというもの。2字で「奥光」ぐらいでどうかというのは面白い意見。それに対し私はアシックスは愛世克己と4字熟語風に書くので縁起のいい4字熟語でもいいのではないかというのを付け加えた。研究室に帰ると10時近くになっていた。
 午前中パソコンが起動しているうちに今度はDVDにデータをバックアップ。アプリケーションデータは保存しなくていいので,4枚に収まった。
 4校時の授業から帰られた内藤先生と南食堂へ。フンドゥンの店は今日もやっていない。仕方ないので小龍包とスープ。羊湯と猪湯だったので豚肉スープと思って猪湯を注文したが,注文後狗肉と判明。羊頭狗肉の狗肉。犬の肉と思うと全部はいただけなかった。
 午後は教材研究。18時過ぎに帰宅。いつの間にか雨が降っていたのが上がり,傘をささずに帰れた。雨が降るのは暖かい証拠である。
 帰宅後日本の友人や肉親にスカイプ。スカイプどうしが2人。固定電話に1人。携帯電話に1人。スカイプアウトだと日本まで携帯電話に1時間かけても数百円である。外国に住んでいる気がしない。

2007年10月29日(月)
会社面接

 部屋は暖かいようでいても,一歩外に出ると意外なほどの低気温。手袋のみで通勤。
 1・2校時4年生。教室に行くと人が少ない。訊いてみると,会社の面接に出かけているという。学内でも日本からオリンパス工業の面接が行われているらしい。何人かが授業開始前に黒のスーツ姿で,私に一言断って出て行った。3人ほどは授業の途中から帰ってきた。普段30人なのだが,授業開始時14人で終了時17人。いつの間にかスーツ姿だったのが普段着に替わっている。
 3・4校時3年生。内藤先生は月曜日は浄月キャンパスなので,一人で南食堂へ行くと途中で4年生二人組と会った。南食堂で以前フンドゥンを食べたことがあるので小龍包もあるはずと思い探してみようと思って南食堂に向かっていたので,学生に訊くと,あると言う。そこまで案内してもらった。無事に小龍包を購入。9個で2.5元。さてフンドゥンをと行くと営業していない。近くにまた別の4年生の二人連れがいたので,粥かスープを訊いてもらうがメイヨウ。仕方ないので小龍包のみ食べて,散歩がてら北食堂のいつもの店へ。私が行くと小龍包を食器に入れだしたので,プーヨウと言ってフンドゥンのみを注文。シャオと言ったつもりが量が多いのをくれた。3.5元の普通の量のらしい。食べながら数えてみると18個入っていた。2.5元の小が13個なので順当なところ。
 午後,作業中頻繁にパソコンがブルー画面になり再起動する。購入からちょうど3年が過ぎ保証が切れたばかり。俗に言うソニータイマーか。ソニー製品は保証期間が過ぎた頃に壊れるという俗説だ。やはり5年保証にしとけばよかったかなと思ったが,購入時は3年も使い続けるとは思っていなかったのだ。
 15時に大学を出て,懸念のバスカードの料金チャージを恒客隆スーパーマーケットの公共カードカウンターで手続き。荷物を預け,B5とA4のコピー用紙を3階の文具コーナーで購入。各500枚包が20元と22元。けっこうな重さ。研究室のプリンターの用紙がなくなったのである。
 風邪気味なので帰宅後すぐに寝て,夜に起きて食事。少し飲む。
 パソコンのデータを外付けHDにバックアップ。ドライブDの全データとoutlookのpstファイルとお気に入りを保存しておけばいつHDが壊れても大丈夫である。ドライブCには普段からデータ保存はしないようにしている。そのかわり使っているのがメモリースティックとPCカード。HP更新データなどの最重要のものは別にしておくといつパソコンが逝っても安心である。メモリースティックに保存してあると,同じ環境の平行使用の別のパソコンに挿してすぐ使用できる。

2007年10月28日(日)
星期日

 昨日に引き続き,映画をDVDで見る。『ALWAYS 三丁目の夕日』は4年生が3年生の視聴覚の時に観て,好評だったとのことで観たいと思っていたDVD。三浦友和や薬師丸ひろ子などの往年のスターの配役で,楽しめた。東京タワーの彼方に夕日が広がるラストシーンはタイトルにふさわしいものである。学生は高度経済成長前の日本と現在の中国とが重なって見えるとの分析だ。
 他には,あがた森魚の「赤色エレジー」が登場する映画で初めて幸子と一郎の物語を知る。
 朝,バスタブのお湯が出た。最初は赤茶色なのでしばらく流してみる。夕方久しぶりにバスタブに浸かって入浴。

2007年10月27日(土)
星期六

 昨夜から今日にかけて,DVDの一気見。『のだめカンタービレ』は昨日の時点では6話までだったが,11話とその他の映像まで全て見終わる。『李香蘭』も満州編前後と上海扁前後全て見終わる。特典映像の本人の出演映画のダイジェストまで。
 部屋から一歩も出ず。スチームは入っているようだ。バスのお湯はまだ出ない。シャワーのみで済ます。

 昨日届いた『郵趣研究』を少し見る。送付封筒の表に貼られた新50円切手と80円切手のブロックは破れて一部欠損した無惨な姿で届いた。どんな扱いをすればこんな悲惨な姿になるのだろうか。有明局の窓口会社の消印もほとんどリング部でデータ不鮮明のため,事業会社が紙片に欧文印を押捺したものを貼り付けたらしいのだが,それも破れている。どうも全面密着させないとそこから破られてしまうようだ。

2007年10月26日(金)
星期五

 1・2校時4年生の授業。昼食はフントンと小龍包。午後視聴覚の教材研究。『李香蘭』はテレビ東京が日中友好35周年の二夜連続特別ドラマとして制作した番組である。オール中国ロケという熱の入ったもの。日本人だけでなく中国人にもぜひとも観てもらいたい。TV東京のサイトにあるこの番組の掲示板には日本人の若者の他,多数の中国人からの書き込みもあった。主演の上戸彩は中国では小山口百恵として紹介されていたが,そういえば見る角度によっては似てなくもない。
 17時過ぎに帰宅。まだバスのお湯は出ない。

2007年10月25日(木)
星期四 スチームが入るはずの日

 最低気温7度と暖かい日が続いているが,今日からスチームが入る日。通勤途中は手袋も要らないくらい。厚着をしているので,大学到着時には汗かくぐらい。1・2校時3年生,3・4校時2年生。教室のスチームは午後から入るだろうと学生が言う。昼食はフントンと小龍包。注文時店員にすっかり顔を覚えられて食堂カードをかざせば二つで5元引いてくれる。「いつもの」と日本語で言っても通じそうな感じ。
 午後,少し教材研究をして,早めに16時過ぎ帰る。果たしてスチームが入っているか早く確認するため。帰ってみると,部屋にはスチームも入っていないし,バスタブのお湯が出ないのも変わっていない。そこで国際交流科のLさんに電話して聞いてもらうと,ボイラーが修理中で,2・3日中には直しますとのこと。まあまだ暖かいから我慢はできる。でも,バスタブのお湯が出ないとシャワーだけなので少し不便。

2007年10月24日(水)
星期三

 耳あて防寒具が不要なくらいの温度。氷点下にはなっていないが,摂氏数度といったところだろう。今日は7時35分に出るが,道路の横断に時間がかかり,正門51分着。3つの通りを横断するのが気を遣う。まず同志街。街がつくのは南北に通る道路。トンチーチェと読む。ここは片側2車線なのでさほど大きくない。次に自由大路。チーユータールー。路がつくのは東西に通る道路。大がつくだけあって片側4車線で8車線の大通り。両側には各2車線分の歩道。歩道の外には各4車線分のスペース。ということで,市街計画で全て道路にしようと思えば片側10車線計20車線の道路に変貌できる規模。ここを抜けると最後は人民大街。レンミンターチェ。長春駅から南に延びるメイン道路である。平安京の朱雀大路に相当する。これが片側6車線。正門前には信号機がないので,車の合間を縫って横断することになる。南行きは朝はすいているのですぐ渡れるが,北向きは遠くの信号機で車が停止してから片側の6車線を少しずつ渡る。
 歩道のケーブルの移設も終わり朝から敷石を木槌で嵌め込んでいる姿が見られた。帰る頃にはできているのだろう。最近はエレベーターでなく5階まで徒歩で登る習慣が身に付いた。3階で日本人のK先生と中国人のT先生が話しているのに出会い挨拶。K先生は風邪をひいてたいへんだとのこと。K先生は10月25日にスチームが入るので今夜あたり試験的に入っているかもしれませんよとおっしゃる。55分研究室着。
 1・2校時3年生,3・4校時4年生。北食堂に向かう道の街路樹が一斉に落葉している。柳の葉が風に舞っていた。こんなに一時に落ちるものかと驚く。昼食はフントン小と小龍包。一人で食べていると前に座った学生が何か話しかけてきた。自身の頭を触るしぐさをするのでなにかついているのだろうと思い自分でさわるがわからない。そこでその学生が取ってくれたのは小さな柳の葉。舞っていた落ち葉がついたのだろう。シェシェと礼を言う。中国語の会話ができればいいのだろうができずそれで終わってしまった。親切な学生が多いのは師範大のせいだろうかと思ったりもした。きっといい先生になることであろう。
 冬にしてはかなり暖かかったので,久しぶりに図書館に入り,売店でアイス。研究室に帰っている途中で内藤先生に出会い,一緒に研究室に帰った。
 午後は明日の作文の添削。帰宅時,歩道の敷石はすっかり復元されていたがすこし盛り上げ気味に積んであるのは踏まれていくうちに平らになるということなのだろうか。
 18時前に帰宅。帰宅してもスチームは入っていなかった。それどころかバスタブのお湯も出ない。ドラムの電熱器のシャワーで済ます。

2007年10月23日(火)
星期二

 今日も昨日並みの気温。昨日から歩道を掘り返してなにか埋め込んでいる。昨日大学帰りに出会った学生に聞いたら,デジタルテレビのケーブルを埋め込んでいると言っていた。朝はまだ掘っているところ。
 1・2校時4年生の視聴覚。前回の続きから見る。一通り見終わって印象に残った言葉や,感想についてのフリートーク。何か言いたそうな学生を指名すると,次々に活発な意見が出た。
 教材研究を昼食まで。昼食は内藤先生と。いつものフントンとシャオロンパオ。今日はちゃんと小にした。フントンが13個入っているのが小のようだ。食堂カードに100元チャージする。
 午後,急遽提出書類の作成。夕方完成して担当教授の研究室に提出に行く。その後しばらく教材研究。帰宅時には歩道の埋め込み作業は完了していてとりあえず土砂が被さった状態。石を敷き詰めるのは明日以降か。
 19時30分宿舎着。中国の曜日は,星期一から六までが月曜日から土曜日。星期日が日曜日のことである。

2007年10月22日(月)
星期一

 朝,少し暖かいのか耳あてをしないでもどうにか歩ける。この冬初めての半ズボン下でなく,長ズボン下。日本にいるときは決して履かなかった長ズボン下だが,半ズボン下だとみんなが心配してくれる。長春にきて初めて数枚購入。郷にいれば郷に従えである。早足で歩いて大学に着くと汗ばむぐらい。
 1・2校時4年生,3・4校時3年生。昼食はフントン。表記はフントゥン,フンドゥンの方が近いかも知れない。シャオ(小)と言わなかったら,いつもより大盛りが出た。やはり小と普通のとは区別があったのだ。それにシャオロンパオ。冬の昼食の最高の組み合わせ。飽きるまで食べるつもり。
 16時過ぎにバスカードのチャージにスーパーに行くが,やはり15時30分までのようだ。
 宿舎に帰宅後,夕食。寝る。

2007年10月21日(日)
長春日本語教師勉強会

 日本語教師の勉強会が9時30分から開始。宿舎の本館6階で。日本人教師会とは別組織で,日本人教師の他に中国人教師を加えた勉強会である。20名超で盛会。
 今月は国際交流基金北京事務所から吉田さんが来られるのに合わせての開催。通常は第2日曜日開催である。日本語能力検定の話,休憩をはさんで日本語教育の話。終了後は付属のレストランで会食。私はこの時ぐらいしか利用しないのだが。
 お開きになって私は中庭を通り,別館の宿舎へ。しばらく休む。
 夕方,遠来のお客があるというので,18時に東師会館3階の「プチ北國」へ。食事しながら夜行列車の出発時間まで楽しく歓談。今日は外は少し暖かい。
 その後某氏と少し飲む。

2007年10月20日(土)
リラックス休日

 ゆっくり起床。休日こそのんびり過ごしたいものである。ケータイの電話が鳴り,昨日授業参観したK先生が報告書を書いて提出しなければいけないので,昼食をしながら打ち合わせしたいとのこと。12時過ぎに待ち合わせしていたら,もう一人の日本人の先生も途中あったとかで3人で近くの珈哩工房に行く。料理が来るまで打ち合わせ。注文したのは3人ともカツカレー。
 食後,日本の食材店「久保田」が営業を再開したというので行ってみる。永谷園のお茶漬け15元を購入。中国製の清酒もあった。久保田は百壽,千壽とも在庫有り。500元台と600元台。
 2人と別れ,前回行ったとき断水で休みだった「天倫」へ。バスカードの料金切れで1元札を出す。チャージしなければ。入浴・アカスリ・サウナ・マッサージで130元だが今回は,アカスリ専用のタオルを使用したので5元プラス。手足の爪もきれいになった。
 帰りもバスで帰宅。恒客隆スーパーでコーヒー豆。500グラム85元。バスカードの料金窓口は閉まっていた。その他にアサヒスーパードライ1本5元が3本で1本おまけ。15元で4本。その他食材。
 早めに休む。今日も外は冷たい1日だった。

2007年10月19日(金)
マイナス6度

 意識して早起きする。タイマーで6時に出来ている炊きたてのご飯を食べ,支度をしているとやはり出発は7時40分。早朝の冷気の中を歩いていく。今日はほとんど信号で止まることなく正門まで行けたので,正門着51分。5階の研究室着が55分。昨日の記録と比べても3分しか違わない。でもこの3分が大きいのだ。
 1・2校時は4年生の授業。新任の K先生が授業参観。授業終了後研究室に戻ると,内藤先生。印刷室に八級試験の過去問4年分を印刷していたので,取りに行く。4校時終了直後に4年生の教室に行き,配布。
 昼食は,中国人教師K教授とT先生,日本人教師3名で久しぶりにシン(金が三つ)源菜館へ。新任のK先生が買い物につきあってもらったお礼だそうで,その時に注文したセーターが届いたというので我々も買い物に付き合い,桂林市場へ。耳当ての防寒具を購入。町歩きで耳が冷たいのでほしいと思っていたものである。シャツの予備も欲しかったのできくと,K教授とT先生が口を揃えてデパートの品がいいというので,国商デパートへ。バーゲンのワゴンの100元と60元のシャツを購入。
 再び研究室に戻り,八級試験の問題の教材研究。
 K君から電話があり夕食を一緒にすることになった。内藤先生も交え3人で東方餃子王へ。3人で68元。余ったものは持ち帰りできるので,初めてタッパをもらってテイクアウト。
 今夜の最低気温はマイナス6度だそうである。昼頃雪が舞ったと内藤先生。

2007年10月18日(木)
生活のリズム

 どうも最近朝の生活のリズムがずれてきている。いつものように起きているつもりが,出勤時には差し迫っているのである。今日の例。7時43分部屋を出る。7時45分タクシーに乗車。51分正門。外国語学院のエレベーターを使わず階段を上り,5階の研究室到着が55分。今日は手袋を忘れず持参。
 1・2校時3年生の精読。授業から帰ると内藤先生が来られていた。さきほどの生活のリズムの件が話題になり,それは日の出が遅くなっているからだということになった。私は日の出と共に生活する農耕民族の血が流れているのだろう。内藤先生も目覚まし時計で調整されているという。私が中国で買った目覚まし時計はベルが鳴らないのでその用をなさない。
 3・4校時2年生の作文。前半前回の作文の問題点の解説。今日からいい作文の紹介を3・4点。どこがいいかの解説。後半で今日のテーマを書かせる。45分で提出できたのは3分の1ほど。
 昼食は,内藤先生と北食堂で。移動の途中持参した手袋が役に立った。今日もフントンと小龍包。昨日7個と書いたが正確には8個だった。またフントンは辞書をひくとワンタンのことだった。しばらくはこの組み合わせの昼食になるだろう。フントンは小と言ったつもりが他の人のと見比べてもあまり変わらないので小はないのかもしれない。その場合はフントン3.5元である。
 午後,少しだけ作文の添削。途中コーヒーを炒れる。17時過ぎに研究室を出て17時30分宿舎着。たまには早く帰るのもいいだろう。
 バスタブのお湯が出ることは出るがぬるくて,入ったはいいが出るに出られない。ドラムの給湯器のお湯を入れ,なんとか暖まった。

2007年10月17日(水)
ベストマッチ発見

 今日も朝はタクシーで。渋滞で走っている時間より停まっている時間の方が多い。歩くのと比べて劇的に早いということはない。またしても手袋を忘れる。室内が暖かいものだから外出して初めて気づく。
 1・2校時3年生,3・4校時4年生。昼食は久しぶりにK君と。検定試験についてきくと,試験は自分でやるものですとのこと。しっかり学校の方針が身に付いている。
 今日はフントンの小と小龍包(シャオロンパオ)という中華饅頭7個。どちらも2.5元で計5元。この組み合わせが冬のベストマッチ。
 食後,大学のスーパーのDVD売り場に行くとこれが入ったよと1枚のDVDを出してくれた。しっかり覚えられたらしい。「李香蘭」でどうも2時間連続のドラマスペシャルものらしい。2枚組。日中友好35周年もの。
 午後,コーヒーを炒れていると内藤先生が見えられた。
 作文の添削で帰宅は20時前。バスタブのお湯が出ないのでシャワーのお湯のみで済ます。

2007年10月16日(火)
ボランティア

 寒くなってきたためか朝の支度に時間がかかる。タクシーで通勤。運転手がよく知らなくて,というか私の発音が悪いのか,遠回りで大学へ。少し歩く。
 1・2校時,初の視聴覚の授業。6階の数室ある視聴覚・パソコン教室の1室に初めて入る。6階のパソコン管理者に最初電源等を入れて貰う。
 何枚かのDVDソフトを持参。やはりどれも誰かが見ている。けっこうみんな日本の映画を見ているようだ。その中で何度見てもいいというものを選ぶ。私自身長崎の映画館で見た映画。前半で打ち切り授業終了。
 授業から帰ると内藤教授が見えられていた。昼食は一緒に。北食堂2階のフントン麺。ワンタン麺みたいなもの。四川料理らしい。
 日語科トップの林嵐先生が見えられて,授業方針の確認。私と内藤先生。3年生で日本語検定1級,4年生で中国政府八級試験があるが,授業では扱わないこと。自分たちでやることになっている。課外でボランティアで指導するのもしないでほしい。大学のカリキュラムに沿って授業についていっていたらどちらも合格できる試験だと励ましてほしい。ただ時に試験の出題ミスもあるので過去問でどうしてもわからない問題があれば班長がまとめて先生に聞きに来るような指導をしてほしい。八級試験は中国政府主催なので大学のランクづけもあるが,日本語検定は自分の就職や留学のためのもので大学としては必ずしも受験しなくてもいい試験だという位置づけである。それよりも授業でしっかり力をつけてほしい。中国の学生の実態を踏まえた授業のやり方も宿題の指示の仕方も詳細に説明があった。
 これを日本の高校に置き換えると,大学入試はカリキュラム外の自分のための勉強。そのための補習も課外授業もしてはならない。本校の授業をしっかりこなしていれば合格できる試験。ここまで断言できる高校が日本に何校あるだろうか。
 日本語検定1級試験については過去問10年分を解いて間違いやすい分野の補強で十分とのこと。補講については他学科の検定で試験間際に補講をやるのはおかしい,授業だけでは不足なのか,それほど授業は信用ならないのかと大学側に訴える事件があったらしい。補講までして試験に合格しなかったら逆に教員の責任を問うこともあるらしい。このような事情のようだ。カリキュラム外は自己責任でということだ。
 宿舎に帰ると水が出るようになっていた。スチームの工事も少しずつ進んでいるようだ。

2007年10月15日(月)
再び断水

 1・2校時4年生,3・4校時3年生の日語精読。昼食はフントン(昆屯のそれぞれの字に食扁がつく字)。14時過ぎに4年生の学生が迎えにきてくれた。金曜日に行けなかった買い物の同行である。紅旗街の百脳亡(バイノウフイ)。e-SATEのHDD外付けケースがうまく入らなくて端子が一部欠けたためみてもらう必要があったのだ。こんな複雑なやりとりは通訳が必要。なんとか取り付けてもらう。端子が欠けたのは何も不都合がないとのこと。
 ここで以前から不思議に思っていたプリンタの外付けインクを発見。小さな商店にいくと必ずみかける外付けインク。どこかに売っているはずだと思っていたらやはりあった。値段も120元と安い。純正に比べて95パーセントのコスト削減を謳っている。補充も簡単で補充インクも1色12元。4色買っても純正のカートリッジ1個分。エプソンの純正と同じインクと店員は言っているとのこと。ここではDVD−Rのプリンタブルディスクも売っていて50枚75元。質はともかくまあまあの値段。その他欧亜デパートの7階から9階までのIT城を見学。教材のDVDを探すが見つからず。
 一旦買い物したのを宿舎に置いて,DVDソフトの店に。そこで何枚か購入。学生と888ラーメンで夕食。座敷で居酒屋メニュー。畳は初めてとのこと。
 北京で開かれている共産党の大会についての解説をしてもらった。
 宿舎に戻ると,部屋に入った瞬間眼鏡が曇るほど機密性が高く暖かい。バスタブに水を張る習慣が身に付いてきているため。
 トイレを流そうとしたら水が流れない。そこで部屋のあちこちの水道の栓をひねってみるが,風呂の湯以外は出ない。バスタブに水があるのでトイレの水は大丈夫。お湯が出るうちに鍋や薬缶に水。また何日か続くのだろうか。
 先日の断水はどこかでスチームに温水を入れる準備の途中水道管が破裂したためらしい。今度もまた別の場所で発生したのかもしれない。冬支度である。

2007年10月14日(日)
終日休日

 ここのところ出歩いてばかりだったので,ゆっくり起床し,昼食。ネットも開通したことだし,プロジェクトの資料をネットで収集。夕方恒客隆スーパーへお買い物。夕食は自宅で。少し飲む。

2007年10月13日(土)
長春日本人教師会

 ゆっくり起床。食欲はなかったので,12時からの日本人教師会まで持つかと思われたが,縁があって天天ホテルの朝食バイキング。
 その後,バスタブにお湯を入れゆったりとした朝風呂。
 11時40分にシャングリラホテル(香格里拉酒店)へ宿舎からタクシーで。7元。集合場所はコーヒーハウスとのことだったがロビーとはちがうようで,少し探したらちょっと奥に入ったところにコーヒーハウスがあった。
 今日,日本人教師会はシャングリラの昼食バイキングしながらの情報交換なのである。この会は日本語教師勉強会とは別組織。こちらの方は中国人教師も加えた実践報告の勉強会である。
 さて,今日の会費は100元。久しぶりに上質の西洋料理。といっても朝食からあまり時間が経ってないので,メインはそこそこに生ビールとデザートのアイスやティラミス,ゼリー類を堪能。
 今までの事務局の方が帰国されるので,会長から指名され,私も今度から事務局を手伝うことになった。12月の日本人会総会に向けて活動があるらしい。長春日本人会は日本人商工会と日本人教師会と日本人留学生会の三つの団体で開催されるとのこと。
 終了後,近くの文化宮にある山崎日本語学校の校長とともに学校の見学に行った。途中天気の話になりここ数日急に寒くなり,昨日0度を切ったとのこと。どおりで昨日の朝手が冷たかったはずと納得。着いたのは文化宮の4階。講師の先生方お二人とも話をする。お一人はW大卒業後吉林大学で恐竜の化石調査をしている留学生の方。そこへ私の授業の聴講生をしているSくんが現れた。その留学生と友達らしい。迷路のようなビルなので出口まで案内してもらう。せっかく来たのだから,重慶路の和平大世界に行き,XPのソフトを購入。
 バスカードを使ってK362のバスで帰宅。
 なんとインターネットが復旧していた。久しぶりにOCNのメールを受信。

2007年10月12日(金)
最初の授業

 通勤の時,手が冷たい。ちょうど4月赴任当時手袋を探し回った頃のよう。ということは,その頃の気温ということか。氷点下の日も近いのだろう。
 1・2校時4年生の最初の授業。久しぶりに会う懐かしい顔。最初は近況報告。
 あとは,テキストに入る。
 授業が終わり,研究室に帰ると,内藤教授が見えられていた。コーヒーを淹れようとすると,停電。でも部屋が南向きなので明るく暖かいのはありがたい。
 林教授が来室され,新しいプロジェクトの会議が15時からありますとのこと。4年生の学生と買い物に行こうと思っていたのにキャンセル。
 日本人教師K先生も見えられたので,3人で昼食に行く。
 日本人教師K先生から明日の日本人教師会のことを訊く。
 午後,郵便物が届いたとのことで,受け取りに行くと,新聞のほかに,スタンペックスの出品目録。オールカラーページの豪華な造り。オリジナル記事も満載で史料価値も高い。これで2000円はお買い得。出版元は鳴美。 
 15時から会議。日本語科の先生方が一同に会し中国語で。ときどき我々にもわかる日本語で話。大学として日本語および日本語教育のプロジェクトを立ち上げることになり,分科会に分かれて研究をするというもの。私はK准教授とともにある資料を調べることになった。その資料をインターネットで検索するが宿舎は不通。学校は異常に遅いときている。ここ数日のOCNのメールは開けていないのだ。終了までに18時間とか36時間とか今日などは51時間などと表示される。
 宿舎に帰るが依然としてインターネットは不通。フロントに復旧を訊くとまたしても「明天(ミエンティン)」とのこと。少し飲む。

2007年10月11日(木)
女性将校

 まだ断水。大学へ行き,1・2校時3年生日語精読,3・4校時2年生の作文。昼食は内藤教授と。研究室でコーヒー。
 午後,明日の授業の準備。明日から4年生の授業開始なのだ。4年生の名簿作成等。2年生の作文を少し見る。
 ここまで大学で書き,ひとまず投稿する。
 
 それにしても,大学のインターネットの速度の遅さは尋常ではない。メール取得に6時間とか8時間の表示が出るのである。
 早めに,といっても16時40分頃大学を出て桂林郵便局に行く。小包の受け取りである。時間が迫っているのでタクシーで行く。外国語学院の事務室の方からは16時30分までに行くように言われていたのは,そのころから職員が帰り支度をするため。でも16時50分と終了10分前だったのに,無事小包を受け取ることができた。県教委から長崎新聞9月分である。送料4000円以上なので,毎日切手を貼って3種印刷物で出してもらえると嬉しいのだが,手間がたいへんなのであろう。
 帰宅後,水は出るようになっていた。でも最初は褐色の水。水道管が錆びているのであろうか。バスタブにお湯を入れて水の恩恵を受ける。洗濯物を洗濯機で洗濯。
 インターネットは不通なので,TVをつけてみた。TVドラマは八路軍の活躍を描くもの。赤軍が活躍するのである。別のチャンネルでは日本軍との戦いを描くもの。南京に日本軍の司令部がある時代。女性将校が出てくるのだが,後ろには天皇のご真影。旧日本軍に女性将校がいたという設定はいかがなものか。この女性将校は司令長官ともども流暢な中国語で話をしている。せめて日本語で話して字幕を入れるぐらいの番組作りをして欲しいものだ。日本軍との銃撃戦では少数の中国側のヒーローが多数の日本兵を次々に倒していくという場面。
 早めに寝る。

2007年10月10日(水)
断水

 朝,起床して洗面。水が出ない。お湯も。バスの方はお湯のみ出て,水はでない。こちらに来て初めての断水。事前に連絡もない。中国語ではあっているのかも知れないが私は知らされていない。とりあえず,お湯のみ洗面器と薬缶と大鍋に汲めるだけ汲む。
 インターネットと水が使用不能とは生活のライフラインが絶たれたも同然。電気だけが使用できている状態。仕方ないので大学に早めに行く。
 早朝ならインターネットが使用できるかと思ったが飛躍的に早いわけではない。
 授業が終わって9時30分からブログに書き込み作業11時頃ようやく書き込みができた。昼食は,電子商務科日語担当のK先生が来られて北食堂で。
 明日の作文の授業の印刷を印刷室にお願いに行く。とりあえずここまで研究室で書き込む。郵便物を発送に大学内局に行く。長春/師大2という消印。受取書に押印。外信5元料金の切手付き封筒を書留にしたので,9元支払う。切手は貼らず。11日付けの消印だったので明日処理するつもりなのだろう。
 夕方,早めに帰宅するが,引き続き断水。国際交流課のLさんにケータイで連絡。すぐに対応しますと言っていますとのことだったが,いつまでたっても水が出ない。埒があかないので直接フロントに行き,筆談で訊くと,「明天(ミンティエン:明日)」という答え。インターネット(互聯網)も「明天」。日曜からずっと明天なのだが。
 風呂に入れないので,久しぶりに天倫へ行くことを決意。62系バスで重慶路から大経路に曲がったすぐのバス停で降りる。フロントに行くとここも断水で営業していないとのこと。長春の街は断水しているところとそうでないところが混在しているらしい。
 ここから帰ると途中に住んでおられる某氏に連絡すると,断水ではないとのこと。シャワーを使わせて貰うことにした。その後近くの日本料理店が居酒屋になったらしいというので二人で出かけてみることにした。居酒屋メニューのうち殻付き牡蛎2個が5元は安い。松竹梅の日本酒も置いてあった。時間が遅かったので,他に客がいず,調理人と服務員で日本語と中国語で会話をする。私は服務員の日本語のノートの添削。少し飲んだ。

2007年10月9日(火)
最後の火曜日

 最後の授業がない火曜日。今週の木曜日から4年生の授業開始なので,来週の火曜日は1・2校時の視聴覚の授業が入ってくる。
 起きてパソコンで作業をしていると,服務員がベッドメイキングに来た。昼食は古本良田の牛丼。香港資本の牛丼チェーン店だそうだ。
 研究室に行き,作文の整理。DVDの盤面印刷。宿舎のインターネットが使えないので,大学の研究室から試みるが異常に遅い。かろうじてブログをアップする。メールのチェックに数時間という遅さ。
 帰りに桂林路の韓国食材店でSBゴールデンカレーの辛口ほか数点購入。帰宅後久しぶりにカレーを作ってみた。

 日本フィラテリックセンターのオークション誌到着。

2007年10月8日(月)
連休明け 郵便物到着

 連休終了後の第1日目。3年生の日語精読。ずいぶん寒くなってきた。今日の最低気温は2度,最高気温は14度だそうだ。3校時からなので,マクドナルドで朝のセット。コーヒーがうまい。
 久しぶりに学生と会う。昼食は少し遅めに北食堂で,珈哩炒飯4元。図書館でアイス,1元。午後作文の添削。
 某研究所のH氏と夕食を。韓国料理店だが冷奴やししゃも等の居酒屋メニューが置いてある店。軽く飲む。

 JAPANスタンプオークションがEMSで到着。他には国際展出品者の会の会報と台北展の案内が届く。受理されるかどうかわからないが申し込みをしてみるつもり。島原新聞が9月26日発送の分まで6通。帰宅するとフィラ関西。また実家から転送の郵便物にサーマーペックスCD−ROMとスタンプマガジン。郵便物が大量に届いた日だった。

2007年10月7日(日)
連休7日目 買い物と食事

 ここ2・3日インターネットが不通である。4日まではブログに書き込みできたので5日から使えないのである。5月の連休のときもそうだったので,なにか連休と関係あるのかもしれない。ホテルのカウンターにインターネットが通じない旨伝える。電子辞書で単語を並べてのコミュニケーション。明日何とかするとのこと。1日ぐらいだと自然に繋がるようになっていることも多いので2日以上不通になってから連絡するようにしている。
 今日は買い物。重慶路のウォルマート。ずいぶん寒くなった。室内が保温がいいものだから外がこんなに寒くなったとは外出して初めて知った。今朝の雨あがりなので,これから寒さへ向かっていくのだろう。昼食はシャングリラの裏の珈哩工房。近くの珈哩工房の本店か支店にあたるらしい。一度行ってみたいと思っていた店。私はオムレツとビーフカレーのコンボ。もう一つは海鮮丼。
 タクシーで紅旗街に移動して欧亜デパートと地下商場。紅旗街の地下商場は初めて。ここも満州時代の防空壕跡を利用した商店街。最後は「百脳亡(正しくはさんずいがつく亡)」(バイノウフイと読む)。百はたくさん,脳は電脳即ちコンピュータ,フイは町,の意。コンピュータ街である。プリンタ関係の消耗品と,e-ATEの外付けHDケースを購入。
 夕方,若手中国人日本語教師C先生と会食。「本家」という韓国焼肉屋。昨日約束していたのである。宿舎まで迎えに来て貰う。移動中寒くなったと話しながら。昼のこともあったので下にセーター1枚多く着て外出。
 さてC先生とはどちらもちょうど2年生・3年生の授業を担当していることもあり,教材や学生の情報交換をして楽しく飲めた。C先生は非常に熱心で解らない練習問題があるとよく私に質問に来る。たいていは問題集の解答ミスであったり,別解であったりするのだが。明らかな誤植やミスプリントのたぐいもこちらの出版物には多いが,こういう2種類以上の解答がある問題もあるのである。というのも文章の一部分を前後の文脈から切り取ってくるものだから,その部分だけでは一つに決められないのだ。日本語検定1級試験の本試験問題ではそんなことはないだろうが,問題集ではありがちだ。
 帰りにC先生お勧めの盲人按摩の店を紹介してもらう。屈強な男の按摩師なのでよく効くらしい。
 韓国の地ビール大瓶4本を空けたので,帰って寝る。インターネットは依然として不通。
 明日から久しぶりの授業。

2007年10月6日(土)
連休6日目 結婚式

 日語科の中国人教師Lさんの結婚式。披露宴は11時からだが,その前の儀式からどうぞというので,9時に宿泊先の名門ホテルへ。ロビーで待っていると他校も含め日本人教師が4名集まった。Lさんの友人のIさんが迎えに来てくれ部屋に案内される。寝室にウエディングドレス姿のLさん。手前の部屋にはご両親はじめ親族・友人。写真撮影などをして過ごす。
 そこへ新郎が登場。寝室のドアが閉まっていてなかなか開かない。下から鍵を入れて貰って入るという儀式。対面し飾り物をお互いにつける。終了したところで記念撮影。新郎が花嫁を抱きかかえてエレベーターで下へ。我々も1階に着くと,2階から新郎新婦がゆっくり降りてくる。市内でよく見かける花束で飾った車に新郎新婦。そのあとのピンクの風船の付いた車に我々も乗り込む。10台以上連なっての行進。向かう先は新居。まだ一部建設中のマンションの最上階4階が新居。ここは2階もあり,5階部分が4階の2階に相当する。すなわち5階部分には4階を通ってしか行けないのである。4階部分には新郎の親が住み5階部分に新郎新婦が住むという二世帯住宅。新郎は建築家だそうだ。Lさんの部屋は畳を敷いた茶室風の和室。こういう風に親戚・友人・我々の住宅見学会も終わると再び,風船のついた黒塗りの車に乗り,披露宴会場の華僑飯店へ。
 結婚式自体は,日本に比べてシンプル。来賓挨拶も両方の職場とお世話した方々くらいで会食。ウエディングドレス姿からチャイナドレス姿へのお色直しが1回。各テーブルへの挨拶。会食がひととおり終わると自然散会。職場の人たちと記念撮影。もうこれで中国人教師は全員結婚したので私の在職中の2年間で最初で最後の結婚式参加ということになる。
 職場の人とマイクロバスに乗り,外国語学院前で解散。私はK教授と帰りが同じ方向なので,タクシーで送ってもらう。
 ビールの飲み過ぎか頭が痛いので寝る。

2007年10月5日(金)
連休5日目 長春動植物公園

 昨夜,帰宅が遅かったので,ゆっくり起床。午後から活動。恒客隆スーパーの3階文房具売り場で結婚式の祝儀袋を購入。2元。中に入れる祝儀の相場は100〜300元だそうだ。15時遅い昼食を桂林路西康路の「宋昌春餅」で。そのまま西康路を人民大街方向に歩き,人民大街を越えて突き当たりまで。そこが長春動植物園である。右方向(南)に行き,自由大路に出たら,左(西)に行くと入り口。自由大路をはさんで東北師範大学の西北門である。入場料10元×2。
 中は広く山や湖まであるというのは初めて知った。ひととおり回ると17時30分。もうすっかり夜である。ずいぶん日が落ちるのが早くなったと思う。連休中は普段できないことに挑戦である。ここに行くのも敷居が高かったのである。虎のことを「老虎(ラオフー)」と呼ぶのも初めて知った。

2007年10月4日(木)
連休4日目 瀋陽2日目

 朝,目覚めたら8時過ぎ,K君を起こして9時から朝食。中華と洋食のバイキング。さすがにこの時間帯は客もまばら。宴会場やロビーには結婚式披露宴出席の客でいっぱい。
 朝食はコーヒーもお替りし,デザートの西瓜もしっかり食べた。客室に帰り,瀋陽蒸気機関車博物館に電話してみる。昨夜,私は日本語の,K君は中国語のサイトで調べて,場所はわかったのだ。もともと蘇家屯にあったのが,当時の植物公園に移転し,ここが世界園芸博覧会2006の会場になったため再び移転。日本からの寄付金もあり,鉄西区にある森林公園に移転し,その森林公園は建設中とのこと。
 電話で訊いたとことによると,現在公開していないが,政府や団体旅行等の旅行者経由に限って見せないこともない,個人には公開していないとのこと。日本語のサイトでは実際に行ったレポートが出ているので,どうも一般中国人への公開をしていないようだ。「パシナ型(あじあ号)」の国家としての扱いが決まっていないせいだと推察。なにしろ現在でも上海・北京間の新幹線の技術は日本の技術で実現したということも公表しておらず(中国の偉大な科学技術で実現した),ましてやパシナ型が日本の技術により当時世界最速を誇ったなどとはプライドが許さないのだろう。しかし一部日本からの寄付で博物館ができた経緯もあり,関係者には見せるということだろう。
 とりあえず,チェックアウトをしてホテル前の中山公園で毛主席像の前で記念写真。そこから駅方面に行く途中に旧奉天郵便局が,中国郵政の郵便局として使用されているというので見に行く。外観は煉瓦,中は大理石の重厚な造り。ひととおり写真を撮り,張氏帥府へ。張学良旧居である。タクシー20元。途中運転手さんが骨董の露天市が並ぶ通りを行ってくれた。骨董品街はないか訊いてもらったためである。
 さて,張氏帥府。入場料50元×2で100元。広大な敷地を見て歩く。隣接の趙氏旧居も。その隣接の貨幣博物館は旧辺業銀行の建物をそっくり貨幣博物館にした建物。収集家のめから見れば,さぞかし中国古銭業界が潤っただろうという見方をついしてしまう。1階は人がたくさんいるなと思っているとすべて精巧な人形。当時の銀行の様子を再現してある。客もいろんな民族の髪の毛一本まで精巧である。写真禁止。軍服姿の警備員が目を光らせている。
 張氏帥府の三つの関連施設を見て,故宮横を通り,骨董品通りへ。案の定,古玩城(骨董品ビル)があった。満州切手も少しあり,値段の合ったものを購入。中国の切手商はピンセットを使うことをしないので,渡されるまで嫌な気分。文革期の赤い切手を2枚貼った書留カバー3600元,6万円弱が高いのか安いのかよくわからない。
 その後中街まで歩く。到着したら14時頃。遅い昼食を吉野家で。瀋陽には至る所に吉野家がある。牛丼並とコンボプレートで31.5元。まだ時間があるので,森林公園に行こうとタクシーを交渉してもらうと,タクシー運転手があそこは建設中で行っても何もないと言っているという。K君も往復60元と時間の無駄になりますからやめましょうというので断念。日本語のサイトでは蒸気機関車博物館は完成しているので,外側から見るだけでもと思ったのであるが。見学するには相当の前準備が必要なようだ。
 ということで,中街の見物。瀋陽で一番の繁華街。表でキーホルダーや雑貨。地下商店街でジャンパーを購入。定価表示458元のものが220元。あれこれ試着して買う気があると思ったのか180元でいいということになった。18時に瀋陽北駅に行く。駅前の有料トイレ。瀋陽北駅は新幹線(CRH)も停まる大きな駅なのにトイレがない(さがせばあるのかもしれない)ので1元で建築現場にあるようなトイレを並べてあるのだ。
 汽車の出発時間まで,マクドナルドでコーラを飲んで時間調整。ここにトイレがあり,大賑わい。18時50分に出て,19時9分発の特別急行で帰る。2時間40分ほどで長春。タクシーを拾い,大学前でK君を降ろし,桂林路まで。12元。短い旅が終わった。

2007年10月3日(水)
連休3日目 瀋陽

 朝6時に起きて7時30分にK君がタクシーで迎えに来た。長春駅に着き,KFCで朝がゆセットを購入。7時13分の新幹線。5号車の10号席と6号車の10号席。いったいどういう予約をしているんだろう。6号車の11号席が空いていたので座る。朝がゆセットを二人で。
 次の駅は目的地瀋陽。2時間弱で到着。瀋陽蒸気機関車博物館は瀋陽南駅の次の駅。この駅に止まる列車は11時50分だという。バスで1時間。333系バスで立って行く。4元×2で8元。最終地に到着。これからタクシーで60元ぐらいときいていたが,タクシーは誰もしらない。公安のボックスがあったので訊くと,移転したとのこと。だいぶ昔の地図を使っているんじゃないかと言われる。移転先は世界博覧会のところだそうでよく地図を見ると載っていた。3輪タクシーで瀋陽南駅に行き,切符を購入、タクシー3元、切符2.5元×2で5元。格安である。
 瀋陽駅前の吉野家で牛丼小セット17.5元,鳥丼セット22元計39.5元。
タクシーで世界博会場まで50元で交渉。実際は58元だったので少しお得。
 切符売り場で訊くと,そんなものはない。移転したという。移転先は不明。いったいどうなっているのだろう。この地図は今年5月に購入したばかり。いったいどこにあるのだろうか。蒸気機関車を一堂に集めたテーマパークが完成しているはずなのだが。
 今晩ネットカフェで検索することになった。とりあえず,せっかく来たので,世界博公園に入場。50元×2。すっかり疲れた。休み休み場内を回る。電気自動車も列がすごいので歩いていくことになった。中国各地域の庭園と世界各国の庭園を再現したのだが,日本のはとても日本庭園とは呼べない代物。外国人が考える日本庭園である。竜の形をした植え込みなんてあろうか。ここには,ショップもなく当然誰も入っていない。隣の朝鮮とは大違い。瀋陽の領事館の地元なのだから,現地の日語系の学生をアルバイトで常駐させるとかで,イメージアップに取り組んでもらいたいものである。軌道に乗れば朝鮮ショップのように商売としても成り立つはず。他にもタイやインドは現地人に民族衣装を着せたり,ショップを置いたりでにぎわっていたのである。
 この近くに東稜(福稜)があるので,タクシーでいくことを計画するが,30元という。近くなので行きたがらないのだ。少し歩いて流しているタクシーで20元で交渉。瀋陽はメーターが付いていないタクシーは料金交渉なのである。同じ中国でも都市によってタクシーの形態が違うのは興味深い。
 さて東稜。ここも階段をひたすら歩く。あちこちで写真を撮っていると,湖南省の長沙から来たという女子大学生と一緒に見物することになった。長沙から汽車に20時間乗って瀋陽にやってきて5日滞在するという。東北の料理も口に合わなくて自分で料理をしているという。非常にタフな2年生。電脳の専攻。長沙−上海間をネットで3ヶ月前に予約して90元とかここの階段は108段あり仏教の影響がみられるとか非常に知的な人。バスの時刻もちゃんと調べており緻密な計算のもとでの旅行。昨日旅行が決まり,ちょっと人が多いとタクシーを使う我々とは大違いである。
 バスは218系で1元×2。老辺餃子館の近くのバス停を近くの人に教えてもらい下車。老辺餃子2人で67元。ホテルまでタクシーを交渉。20元で。
 遼寧賓館は重厚な建物。天井が高く,格調も高い。行くと予約されていないという。でも部屋が空いていて中山広場に面した部屋は368元だそうだ。保証金500元を預ける。差額は明日戻ってくるそうだ。
 さて,今日歩きつかれたので,足裏マッサージに行くことに。その前にお風呂。38元にタオル5元,計86元。ちょっと出たところに45分20元の足裏マッサージ。40元。日本人とわかると片言の日本語で話したりとフレンドリー。
 その近くのインターネットカフェでこの日記を書いている。1時間4元で2時間×2で16元。ペプシコーラ5元×2で10元。
 蒸気機関車博物館は果たして明日行けるのだろうか。

2007年10月2日(火)
連休2日目 大ばくち身ぐるみぬいですってんてん

 朝,K君と大学の北側の旅行社で待ち合わせするが,休み。とりあえず近くのマクドナルドで打ち合わせ。私は朝のセット。K君はソフトクリーム。コーヒーが付いているがまあまあの味。さて他の旅行社であるがこちらも全て休み。となると自分で切符を買ってホテルを予約して行くしかない。近場で沈陽に行くことに決定。前回日帰りだったため,半分しか見ていないのである。
 早速大学北側の切符売り場の出張所に行く。行きの新幹線と帰りの特快がとれた。5月のときと同じである。再びマクドナルドに戻り,私のソフトクリームだけで席を占拠。ホテルは遼寧賓館,言わずと知れた旧奉天ヤマトホテルである。『地球の歩き方』本によると,ツインで500元台だったが,連休中のバーゲンで300元台になったそうだ。新幹線2人で約200元,特快100元で計600元ということになる。明日7時過ぎの時間なので,6時30分に私の所にタクシーで迎えに来る予定で別れた。
 今日は,長春電影城に行くつもりでEさんとシャングリラホテル前で待ち合わせ。ここで問題が一つ。長影世紀城というのと長春電影城は別の所で,世紀城はテーマパーク,電影城は旧満映の建物跡地らしい。もちろんテーマパークの方である。タクシーで48元。入場料240元×2で480元。家族連れとアベックが多く,同伴者を連れてきて正解。けっこう人出が多くて列に並ぶことが多かった。
 メインの「4D影院(シアター)」,11時に並んで12時入場。「密林古保(恐怖屋敷)」は30分ほど。「火山爆発(3Dシアター)」も1時間待ち。「銀河宮(アフレコ実演)」はアナログの映画手法の理解。「巨幕映院」は6階建てビルの高さの巨大スクリーンでの3D映像。中国語は分からないが,冒険ファンタジーである。これが一番の圧巻。これも30分待ち。「英雄秀場」は,抗日ヒーロー物のセットを使っての寸劇をレールを動くカメラを配して映画撮影セットの再現。寸劇は,おなじみステレオタイプの太った日本軍将校と兵隊たちが登場。さながら仮面ライダーに出てくるショッカーのよう。中国人ゲリラにビンタを張ったりの悪逆非道ぶり。そこへ正義の味方義勇軍登場。日本兵がでかい中国刀を振り回しての立ち回りなどあり得ない場面も。日本兵は銃剣か日本刀だろう。最後は建物の上に赤旗が翻り,完。民衆レベルではこんな寸劇でも意識化に刷り込まれるので,真の日中友好をめざすならばこういうものにひとつひとつ日本は抗議すべき。言うべきことは言い,ただすべきことはただすのが真の友好につながるのだ。でもこういうアナログの撮影方法は満映があったればこその伝統。このような映画のテーマパークが誕生できること自体,甘粕の夢の結実だろう。亡くなる前に満映中国人スタッフに機材を死守せよ,そしていつの日か復活せよと訓辞したという。そのためソ連に機材を持ち去られることなく残ったため,中国の映画の中心になったのだ。今日のタイトルは終戦2日後時世の宴での甘粕の辞世の句。この翌日自決した。
 さて,「飛龍宮立体水幕影院」は水を斜幕の代わりに使い3台の投影機で後ろから投影し,立体的に見せるもの。最後,「航天影院」はジェットコースター。17時過ぎに並び19時に乗る。星空を再現した中を走るジェットコースターである。いつもながらカタカタ少しずつ上昇していく時が一番恐い。2時間並んで2分で終わった。
 帰る頃にはあたりはもう真っ黒。東師会館3階の「プチ北國」日本料理店へ。タクシーで36元。付き合って貰ったお礼に食事。102元。
 ちなみに大学生でなく,仕事をしながら某日本語学校で学ぶ真面目な方。私の学生と違い,語彙力が不足しているので辞書を片手に中国語で説明するので,中国語の学習にちょうどよい。
 明日から沈陽である。

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2007年10月1日(月)
連休1日目

 起きて普段できなかったことに取り掛かる。まず,スピーチコンテストに出場した K君から催促されているスピーチコンテストのDVDの作成。DVからHDに取り込み少し編集して,DVD作成ソフトでメニュー画面やBGM・チャプター等の作成。夕方に完成し,最初の1枚をK君にプレゼントするため連絡し,夕食を一緒にすることになった。
 888ラーメンで待ち合わせし,ラーメンと居酒屋メニューの冷奴・枝豆・春雨で青島ビールの純生。DVDは一生の記念になりますと喜んでくれた。ただし撮影者が途中で変わり,不慣れなため前半6人のみの収録。あとは後半に6人で計12人の出場者だったそうだ。本学からは3番と6番だったため両方とも収録できた。
 連休中の話題になり,どこも人でいっぱいときいていたので,自宅で過ごすつもりだったが,列車が混雑するのは連休の初めと終わり,すなわち9月30日10月1日と10月6日・7日だそうで,それ以外は比較的空いているそうだ。せっかく帰省するのだから7日程度は居たいのが人情だからということらしい。
 ということで短い旅行を計画しようということになり明日旅行会社にいくことにした。

  2007年10月


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