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2007年11月30日(金)
教材研究

 最近は朝にタクシーを使うこともなく,徒歩で行っている。おかげで日本にいたとき一時70キロオーバーした体重が65キロまでになり,体が軽くなったようで階段も苦にならない。毎日50分は歩いている計算だ。
 1・2校時4年生。今日まで就職試験の関係で出席が少ないそうだ。
 昼食時,郵便局に『長崎郵趣』を出しに行く。日本宛に3箇所の宛名を書いた封筒をだす内封筒方式。日本に着いてからメール便でそれぞれのあて先に行く。航空書留で59元。大学内局の切手の在庫の最高額1.2元切手。しかもそのシートがなく,1元しかシートがない。しかたないので1元の30枚シートで,30元。これを裏面に貼付。郵便局員が耳紙を切ろうとするので制止。表に8元の小型シート2枚と5元の小型シートを貼付。空白がないので思案していると小型シートから切手を切り取って貼ったらいいと。結局そうする。これで59元。切手収集家とわかったのか,その局員が奥の部屋に行き記念切手の小型シートをたくさん持ってきた。8元の小型シートの値段を聞くと10元という。どうも局のものでなく個人のものらしい。切手商で額面で買える切手なので不要(プーヨウ)と丁重に断る。
 午後,視聴覚の授業の教材研究でDVDの視聴。『雨月物語』溝口健二監督。夫婦・家族の幸せが一番大切なことを教えてくれる名作。1953年ヴェネチア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞・イタリア批評家賞受賞の最高賞(金獅子賞なしのため)ということも初めて知った。いい映画をまだまだ観ていないことを実感した。
 夕方日本人教員3名で,東師会館3階「プチ北國」へ行くが満席。本店の「北國」が空席があるというので,タクシーで。天麩羅定食とアサヒスーパードライ。帰りもタクシーで。帰宅途中DVD店に寄り,何枚か購入。
 帰宅後,TV版『嫌われ松子の一生』2時間見たところでリタイヤ。先週観た続きの『踊る大捜査線レインボーブリッジを封鎖せよ』を一気に観る。『制作秘話』『深夜も踊る大捜査線』DVDボックス情報によると全部で1693分だそうだ。18時間以上ということになる。

2007年11月29日(木)
印刷完了

 昨夜『長崎郵趣』の4ページの印刷のうち3ページ分を終え,4ページ目の55枚をセットして寝たのだが,途中でストップしていた。どうも200枚の手前で止まってしまう。
 朝,寒いといっても最近ではましな方。氷点下の気温の強弱が肌身でわかってきたようだ。1・2校時3年生。3・4校時4年生。4年生はだいぶ帰ってきた。でも3分の2といったところ。
 昼食は内藤先生と北食堂。ちょっと趣向の違ったもので,釜飯風のものを。よく字がわからないので,牛肉の文字と見た目で選ぶ。一見牛肉そぼろ風の牛丼のようだが,注文されたものを見ると,牛の挽肉のほかに貝を細かく切ったものが入っているようだ。サザエかアワビの切り身のようだが詳細不明。とにかく辛い。なんとか食べ終える。
 午後は教材研究。明るいうちに早めに帰る。

 印刷機が結局動かないので,純正のインクに入れ替えて,ヘッドクリーニング。黒のインクなんか一度も印刷しないうちに交換のランプ。どう考えてもおかしいが指示通りに試す。次に黄色のインク。そして青というように。それぞれ振ってみると中にインクは入っている。結局,ものすごい音を立てて動かなくなった。
 プリンター本体の中を見るとなにかプラスチックの部品が外れている。とうとう壊れた,修理に出さなきゃと思って学生に電話するが,4年生は就職で忙しそう。断念。一人では中国語で説明できないのだ。紙送りの白い部品だが何とか動くので試すと,動く。純正インクを結局いくつも入れ替えて印刷できるようになったので,残りを印刷して完成。明日発送できそう。それにしてもプリンターは修理が必要だがなんとか動くのでこのまま使用することになるのだろうか。とうとう純正インクも各色5本を使い切ったので購入しないといけない。

 今日のブログの訪問者43名。だんだん40台に乗ってきた。

2007年11月28日(水)
長崎郵趣20号

 氷点下の生活なので,雪はいつまでも残っている。でも0度に近いと暖かい気になるから不思議だ。人の気温の感じ方は相対的なのだろう。
 1・2校時3年生,3・4校時4年生。4年生は就職試験関係で今日も出席13名。昨日も大連のソフト会社の説明会・試験で少なかった。今日は内定の契約の人もいるそうだ。学生にはなにかと落ち着かない日々なのだろう。
 昼食は日本人のK先生と内藤先生と私の3人で,北食堂へ。フンドゥンと小龍包。食後,北餐超市(北食堂のスーパーマーケット)でDVD。店員とすっかり顔見知りになって,新入荷品を出してくれる。ここだけは10枚に1枚サービスのポイントカードがある。でも専門店ほどには品揃えが豊富でないのが欠点。
 午後,明日の作文の添削。毎日少しずつやっていると,前日に慌てなくて済むので楽。暗くなる前に帰る。
 
 メールで『長崎郵趣』の原稿が届いていたので,早速20号を作成。編集後,外付けインクを使えるようにするのにかなり時間がかかった。プリンターの微調整をするが,灰色がうまくでないのは機械の限界かもしれない。今回はこれで妥協することにした。他支部分も含めて55枚印刷。けっこう時間がかかる。
 並行して月曜に届いていたcbreaker氏のCD-ROM作品集を確認。作品画像のデータ集だが,どんな形であれ,公開してもらえるのはありがたい。とくに現在進行形のコレクションは参考になる。伝統郵趣のまとめ方は日本切手であろうと外国切手であろうと同じはず。日本切手収集家にもぜひ見てもらいたい作品集である。
 印刷機に紙をセットして就寝。

2007年11月27日(火)
零下の日々

 雪は融けたといっても,零下の日々なので,あるところにはある。日陰とか人通りの少ないところ。
 1・2校時4年生視聴覚。『生きる』を見終えて,フリートークの時間もあった。3・4の時間帯で教材を探しに414号日本語研究室へ。ついでに書棚の整理もしたらちょうどお昼になった。
 昼食は内藤先生と北食堂の福建のいつもの店。三鮮炒米粉5元。野菜炒めビーフンにイカ等が入ったもの。量が多い。落花生で作った豆乳2元缶入り。
 午後教材研究。暗くなる前に帰るつもりが少し遅くなった。少し飲む。
 『教育長崎』到着。

2007年11月26日(月)
週明け

 道路には周辺部に雪が積み重ねてあるだけで,車が通るところは雪がなくなった。
 1・2校時4年生,3・4校時3年生。昼食は,いつもの店の隣の韓国料理店。珈哩牛肉飯5元。中華丼のカレー風味といったところ。チンゲン菜が入っていた。
 午後教材研究をして早めに帰る。途中恒客隆スーパーで買い物。
 早めに寝る。『北國春城日記』ブログが昨日45,今日44。

 「たんぶるぽすと」「紙の情報誌」転送されてきた。

2007年11月25日(日)
連続視聴

 徹夜の続き,1998年の新春スペシャルは内田有紀がメイン。秋の防犯スペシャルでは織田裕二が復帰。ここまでで17時間枠分。その後副総監誘拐スペシャルと2時間のダイジェスト版と計4時間枠分。これで一休み。昨日から計21時間枠分だが,CMがない分短縮される。それでも実17時間ぐらいにはなりそう。
 外を見ると16時過ぎなのにもう暗い。日中明るかったので0度以上になったのか,宿舎のベランダの雪は全て融けてしまっていた。窓から眺めた限り,外もごく一部を除いて雪がなくなったようだ。

 大阪で開催のJAPANのac,スタートの時点で2番値やその下多数。火曜のメールも現在は残っているもの多数だが,どうなることやら。やはり人気のあるものは高い。相当の覚悟が必要ということか。でも時間をかければ出てくるものはあせらずにいきたい。年月をかけて作り上げる過程こそが楽しみであろうから。その間夢を見ることができる。たとえそれが見果てぬ夢に終わろうとも。

2007年11月24日(土)
玉虫色

 久しぶりの休日でゆっくり起床。DVD『踊る大捜査線』を一気見。1997年の11話と年末スペシャル。
 昼寝したせいか,徹夜で一気に見る。実は初めて観たが,1997年と10年前のものとは初めて知った。約30年前の初任給で買ったトレンチコートを着て何年か前修学旅行に行った時,クラスの生徒から織田裕二の真似でしょと言われたのはこのことかとはっきりわかった。でもトレンチコートにフードはついていないぞ。しかも私のは厳密には緑でなく玉虫色だ。いろいろの発見があった。

2007年11月23日(金)
会議

 日本では勤労感謝の日で休日だが,中国は年2回の連休と春節の連休以外は休日というものがない。教師節などの記念日はあるが,休日になることはない。まあ生活のリズムが崩れないというのではいいのかもしれない。
 さて,雪は一向に融けない。でも少し減ってきているような気がするのは,雪という固体から水という液体にならず,直接気化しているのではないかと思えるからだ。理科で習った昇華というものかもしれない。道路は幹線では踏みしだかれてほとんど残っていないが,胡同と呼ばれる小道では,泥と混じった雪が轍以外には大きく盛り上がっている。轍を歩いて行くことになるが,車が来る度に横によけなければならない。
 1・2校時4年生の日語精読。雪のせいか遅刻者多数。冬至までまだ何日かあるのに日に日に日の出が遅くなっている。
 昼食は学内でせず,早めに帰宅して遅めの昼食。昨日のカレー。
 夕方から,日本人教師会の第1回役員会。隆礼路と長慶街交差点の「佳彬」だから,ここから近い。
 
 数日前から来ていた,日専を読み解くシリーズ『郵便史』を一気に読了。わかりやすい語り口で読みやすい。『郵趣』の書評で書かれていたとおりの内容。これから志す人には必見だろう。筆者自身のリーフが掲載されているが,これはそのままお手本になるようなリーフ作りである。

2007年11月22日(木)
依然雪

 朝,外へ出ると寒い。外へ出るまで3回ドアを開けなければならない。部屋の木製ドア,2階から下に降りて外に出る内側の木製ドア,最後に外気に接している鉄製のドアである。外気を入れない工夫がしてある。
 氷点下の気温から上がらないのだから雪は当然残っている。滑らないように大学まで。1・2校時3年生,3・4校時2年生の作文。昼食は内藤先生と北食堂へ。いつものフンドゥンの店で,今日は三鮮炒河粉を注文。キシメンのような幅広い麺の野菜焼きそばのようなもの。野菜のほかに豚肉やイカも入っていた。5元。
 午後は,明日の教材研究を早めに済ませ,明るいうちに宿舎へ帰る。帰りも滑らないように。
 気が向いたので,カレーを作る。やはり自分で作ったのが一番いい。中国製のバドワイザービールを飲む。

2007年11月21日(水)
雪中行

 朝,雪は依然として残ったまま。歩いていくが,道路を横切るときは滑らないよう細心の注意を払う。いくら氷点下とはいえ,10分も歩けば,汗をかくほど。これがよくない。
 1・2校時3年生,3・4校時4年生。昼食は北食堂のフンドゥンと小龍包。食堂までの往復時,大学構内の雪かきの様子を観察。プレート状に固まった雪の板を剥がすようにして除去していた。
 午後,明日の作文の授業の添削。早めに終え,明るいうちに帰るのを目指す。帰りも雪中行。道路の横断に注意する。17時前に帰宅。少し飲む。

2007年11月20日(火)
東京物語

 朝,宿舎を出たら反対方向だが,空のタクシーが来たので乗り込んだ。しかしUターンできないので,大回りで,おまけに雪で徐行運転。交差点の信号のところで支えてまったく進まない。20分ほどかかって到着。歩いたほうが早かったはず。
 1・2校時4年生の視聴覚。午前中教材研究。昼食後早めに帰宅。
 DVD『東京物語』小津安二郎監督の佳品。授業で見た『生きる』の助役と,この長女の旦那さん役が中村伸郎で驚いたが,同時期の作品なのでよく考えたら驚くこともないのかもしれない。笠智衆と原節子,杉村春子。原節子演ずるところの次男の妻のような女性は現代では絶滅したのだろうか。尾道の町もきれいだった。

2007年11月19日(月)
本当の雪景色

 朝,タクシーで行きたかったがつかまらないので,そのまま歩く。時間はたいして変わらないからだ。なんとか歩けるくらいまで体力は回復したようだ。今日も温度はマイナス8度からマイナス14度の予想。
 1・2校時,4年生の日語精読。3・4校時,3年生の日語精読。4校時途中から雪が降り始めた。
 昼食時雪が小降りになった頃を見計らって北食堂まで雪中行。往復20分。フンドゥンと小龍包。外国語学院から本部棟を見ると中国国旗以外雪景色で水墨画のようだ。「水墨画赤旗一点雪の中」
 午後,教材研究。明るいうちに帰りたかったので16時過ぎに帰宅。タクシーを拾えず,雪の中を結局歩いて帰った。道路の真ん中に立ち往生している車あり。いつもより道路の横断に気を遣った。

2007年11月18日(日)
雪景色

 今日も外は寒そうなので,部屋から一歩も出ず過ごす。風邪薬を飲んで寝てみたり,DVDを観たり。『北の零年』は配役のみで選んだ。吉永小百合,渡辺謙等。北海道の雪景色がきれいな映画。

2007年11月17日(土)
構想

 外は厳寒の地。今日は1日家で過ごす。部屋の片付けや雑誌購読等。

 「昭和切手」新作の構想。これぞ伝統郵趣という5フレーム作品で臨みたい。総論なし,タイトルリーフの後,いきなり5厘切手から開始。額面順で単片・カバーの展開。思い切りのいいものになるはず。

2007年11月16日(金)
新小判25銭

 今日もマイナス3度からマイナス13度の氷点下の1日の予想。朝タクシーで。長慶街から自由大路を曲がらずまっすぐ進み,長慶路へ曲がり,同志街へ突き当たると右へ行き,明水路を通って人民大街へと至るコース。人民大街は大学正門の南側に出るので,Uターンして大学正門まで送ってくれた。今までは降りてから10車線ある道路を横断しなければならなかったのだ。運転手の配慮。シェシェというとプカチと。以前書いたのだがシェシェと言ったあとプカチというのは以前も言っていたのだが,最近私の聞き取りができるようになったためだと思い至った。
 1・2校時4年生の日語精読。終了後,学生に連絡役を頼んであるパソコンの修理状況を聞く。どうもキーボードの部品交換で上海のソニーまで問い合わせをしているらしい。というのでもう少し時間がかかるとのこと。
 午後教材研究。明るいうちに帰宅。帰りは朝来たのと逆順で。少し遠回りだが,知らない道を歩くのはちょっとした冒険。明水路から同志街・長慶路・長慶街と行き,宿舎着。

 宿舎に郵便物到着。「SEVEN」と自宅から。「タカハシ」と「新小判25銭」。
 「新小判25銭切手」の方は国際展を意識したリーフスタイル。これぞ伝統郵趣という作品構成。初期印刷単片の使用済が4ページの1ページ分のみというのは意外。消印違いはマルコフィリーの領域と無視してあるのかと思えば,9ページでは和文印の非郵便印を詳しく分類。20ミリ印や年号4字印・二重丸明治印の単片の局名違などという不毛なリーフ作成をしていないのは新スタイルか。カバーが1通あれば十分という考え方。
 12ページ「内地=在中国日本局相互間小包25銭切手の知られる唯一の使用例」は書き方に工夫が必要だろう。「25銭切手3枚貼付の知られる唯一の使用例」が正確だからである。私の手元のは菊50銭と新小判25銭が貼ってある。全日展2005「小判切手」はゼネラル作品だからとご覧いただいていないかもしれないが,「長崎の外国郵便」をJAPEXに出したとき審査員をされたのでご覧いただいているはずだ。期間も1900年10月に始まったかは手元に資料がなく即断はできないので,帰国後調べてみよう。「1898年12月1日から開始」と私のリーフには書き込んである。
 それにしても25銭のカバーが,こんなにあるのには驚かされた。今から20年以上前,この額面の20ミリ印をオークションに出たら15万まで買い支えていた人の手元には単片が何枚あるのだろうか。

 ブログ,1日のアクセス43名で多分過去最高。

2007年11月15日(木)
古本屋

 昨日に比べて体調は良くなった気がするものの,寒いのでタクシーで行こうとするが,なかなかつかまらない。近くの東北師範大学付属小学校まで行きやっと乗ることができた。寒くなるとタクシー利用者が増えるのであろうか。付属小の前は送迎の車やタクシーで混雑している。マイナス1度からマイナス8度と今日も氷点下の日。
 1・2校時3年生,3・4校時2年生の作文を終え,昼食は北食堂へ。久しぶりにフンドゥンと小龍包を。食後,食堂下の超市(スーパーマーケット)に行き,マフラーを探したところ手ごろのものが見つかった。帽子とセットで30元。横を見ると桂林市場で15元で買った耳あてが5元とあった。ショック。あのときは値切らなかったのではあるが。
 午後,R教授が長春駅前の古本屋に行きませんかと内藤先生と私を誘いに来られたので,ご一緒することにした。どうも大学の図書館が廃棄処分したものが市場に出ているらしい。それが狙い目だそうだ。私も『長春郵政史1902−2002』等を購入。まさか買えるものがあるとは思えなかった。
 16時過ぎに帰宅。浴槽にお湯を入れ長めに入る。

 「全日本郵趣」11月号到着。和文ローラで抹消されており,残念。『秋元コレクションT』を申し込む。最後のページ掲載の国際展カレンダー,FIP世界展CHINA2009は4月になったのではないだろうか。未だに9または10月になっている。

2007年11月14日(水)
風邪・断水

 昨夜,寒くて目を覚まし,風邪薬を飲んで寝たのだが,どうやら本格的な風邪を引いてしまったようだ。今日は昨日よりさらに冷え込み,マイナス4度からマイナス13度という日中でも氷点下の日。歩く元気もないのでタクシーで。7時30分には着いてしまった。
 なんとか1・2校時3年生,3・4校時4年生の授業を終える。日本人のK先生が研究室に見えられたので内藤先生と3人で,図書館のカレーを食べた後,タクシーで帰宅。
 断水。氷点下のため凍ってしまったのだろうか。風邪薬を飲んでひたすら寝る。

2007年11月13日(火)
マフラー

 ぐっと冷え込んできた。昨日はマイナス3度から10度だったが,今日はマイナス12度から3度だそうだ。1・2校時4年生の視聴覚。昼食は一人でフンドゥンと小龍包を注文して待っていると横にK君が偶然来た。一緒に食べる。
 午後いつものように3階の外国語学院事務室に郵便物を受け取りに行くと,郵便の受け取りは1階の121号室に変更になったとのこと。今までは男のR教授の奥さんが日本語が話せたのでよかったのだが,今度は中国語なので不安。ニイハオと挨拶して入ってなんとか郵便物を受け取った。
 明るいうちに早めに帰る。帰宅時,風が冷たくてマフラーが欲しいと願う。

2007年11月12日(月)
EMS到着

 朝は今日まで暖かいようだ。耳あて不要。1・2校時4年生。3校時直前にK教授の授業参観の連絡。4校時終了時に外国語教育という観点からアドバイスをいただく。ずいぶんよかったとめったに人を褒めないK教授から言われた。前回は4月だったから当たり前か。
 昼食は,3日ぶりにフンドゥンと小龍包。この二つは中国でも人気があるようで昨日スーパーでも冷凍食品で見かけたくらい。
 午後明日の準備。3階の事務室に行くと,県教委から長崎新聞が郵便局に届いているとのこと。中国は宅配はなくすべて郵便局止め。またEMSでJAPANac誌が到着した。
 16時過ぎに桂林郵便局に行くため大学を出た。パスポートを見せて,すんなり受け取る。外国人はパスポート提示でないと小包ひとつ受け取れない。17時前に帰宅。でもあたりはもう暗い。夜少し飲む。

2007年11月11日(日)
長春日本語教師会

 昨晩から寝る前に印刷しておいた『北国春城日記』の裏面を印刷。たかだかA410枚両面の印刷で四分の一のインクがなくなるのは異常。
 9時30分本館の6階で長春日本語教師会。実践報告2本。12時過ぎに1階のレストランで食事会。10月末で長春離れる方の送別会も兼ねる。
 そのまま,久しぶりに「天倫」へ。15時近くに入店して終了18時40分で店を19時前に出る。寒いのでタクシー。
 島高放送部九州大会に2名出場決定とのメールを受け取る。長崎県大会を勝ち抜いての出場だから上位入賞が期待できる。12月にハウステンボスのドムトールンの会議室を中心として開催される予定。

2007年11月10日(土)
4号

 休日。どこも出かける気になれない。点滅して動かなくなったプリンターを修理に出さないといけないと思い,純正インクに詰め替える。空の表示のインクを変えていたら結局4本とも変えることになった。すると不思議なことに点滅が消え,印刷可能になった。スキャナーも使える。どうも純正以外のインクだとある程度の枚数で止まるようになっているらしい。止まったら純正インクで再び外付けの繰り返しでいいのだろうか。
 DVD,『父親たちの星条旗』中国製の日本語字幕版だが中国語から翻訳ソフトで訳したような奇妙な日本語。でもないよりはまし。
 『WASABI』,ジョンレノと広末の配役のみで観た。字幕がしっかりしているのはオリジナルのものだからであろう。
 『北国春城通信』第4号を制作にかかる。明け方完成。すぐに5号の制作にとりかからねば。

2007年11月9日(金)
SBゴールデンカレー

 寒さが定着した感がある。寒い中歩いて大学に着くと体が温まっており,また室内がスチームで暖かいものだから汗が出るほど。
 1・2校時4年生の日語精読。その後午前中教材研究。昼食時,ちょうど開いたエレベーターに乗り込んだら声をかけられた。話をしていて一緒に食事をすることに。宿泊先のホテルで食事をしたことがないのでそこまで歩いていって昼食。5元の選べる定食もあったが,単品で。
 食後再び大学に帰り,教材研究。16時台に大学を出て17時過ぎに宿舎着。もう真っ暗である。
 気が向いたのでカレーを作るSBゴールデンカレー辛口のルーはこちらで割りと入手できるもの。やはり自分で作ったカレーは旨い。カレーはただ辛いだけでなく旨みがある点が唐辛子系の辛さとは違うような気がする。

2007年11月8日(木)
霧の長春

 外に出ると冷たい。でも耳あて防寒具はなんとかしなくてもよい寒さ。急に冷え込んだためか濃い霧。玄関を入りエレベーターの前の掲示板に書かれた今日の気温は最低気温1度から最高気温9度。
 1・2校時3年生,3・4校時2年生の作文。昼食は内藤先生と北食堂に行き,飽きもせず,フンドゥンと小龍包。帰りに赤のボールペン3種類と替え芯4本組を購入。これでしばらくは持つだろう。4月以来3本の赤のボールペンを使ったことから考えると,1年は大丈夫な量を確保。
 午後教材研究。昨日遅かったので早めに帰る。耳あて防寒具装着。16時30分に大学を出て,恒客隆スーパーマーケットで買い物をして17時過ぎに帰宅。もうあたりがすっかり暗くなっていた。

2007年11月7日(水)
久しぶりの雨

 外に出てみると雨。慌てて傘を取りに帰る。今朝も暖かい。雪でなく雨なのがその証拠。しかし,路面が濡れているだけで雨は降っていない様子。傘を手にしたまま通勤。1・2校時3年生。3校時に4年生の教室に行くと数人。会社の説明会と試験で浄月キャンパスに出かけたという。残ったのはその会社に興味がないという学生のみ。さすがに数人だと授業を進めるわけにもいかず,日本についての雑談と質疑応答で90分過ぎた。9月に新学期開始なので日本だと6月初旬の時期に相当する。就職活動の時期なのである。
 昼食は内藤先生と北食堂でフンドゥンと小龍包。
 午後,作文の添削。途中で赤のボールペンがなくなり,代わりもみつからず,青のペンで添削。
 20時前に帰宅。

 こちらに持ってきているリーフを眺める。そろそろ活動を再開しなければと思う。

2007年11月6日(火)
『生きる』

 今日も朝は暖かい。でも日に日に夜明けが遅くなっているようで,出かける時間が微妙に遅くなっているような感じがする。ということで7時45分にタクシーで。長春の朝夕の渋滞はすごい。渋滞で止まって,すぐ信号で止まって,しばらく行くとまた信号で止まる。52分,エレベーターの前の掲示板の今日の気温は4度から14度。やはり暖かいはずだ。一気に歩いて5階の研究室へ55分到着。すぐ上の6階のLL教室で4年生の視聴覚の授業。
 9時30分を5分ほど過ぎて終了。なかなか切りのいいところで終わるのは難しい。研究室のパソコンは直ったので,常用のソフトをインストールして環境を整える。パーソナル編集長が起動しないのは,どうやらメモリ不足のようだ。調べたら256Mしかなかった。
 昼食は内藤先生と北食堂へ。フンドゥンと小龍包。食べ飽きない。午後,教材研究をして早めに帰宅。パソコンとインターネットが使えないとやはりはかどらない仕事をするため。帰宅途中,黒澤明のDVDボックスを購入。中国正規版らしい。高級感あふれる重厚な箱の造り。33枚組。その中の『生きる』を視聴覚の授業で使いたいため。海賊版は画質音声ともに劣悪で画質はともかく,音がうまく聞き取れないので授業には使えない。
 仕事が一段落着き,『八月の狂想曲(ラプソディー)』を観る。長崎を舞台にした反戦・反核の黒澤映画。遅ればせながら鑑賞。
 今日初めて,ブログ「北國春城日記」の1日のアクセスが40人突破。徐々に認知されてきているようだ。

2007年11月5日(月)
暖かい晩秋

 朝,部屋の外に出ると,戸外はやはり寒いが,0度以上は直感でわかるようになってきた。エレベータ前の掲示板では今日の最低気温4度最高気温12度。やっぱり。
 1・2校時4年生。3・4校時3年生。昼食時に大学内の郵便局で「長崎郵趣」の発送。在庫の切手は2元が最高額。50元だと25枚。でも貼れない。局員がテープでぐるぐる巻きにしたから。貼れないと言うと裏があると。以前は別の局で裏に貼ってはだめと言われたのだが。しかし,5元も6元切手もないとはどんな配給体制なのだろうか。おまけにこの封筒では破れるからテープでグルグル巻きにしないと自分の責任にされると言いはる。さらに印刷物でも書状でも料金は一緒という。しかも最近変更になったという。郵便局に行くといつも気が滅入る。通訳の学生を連れて行ってもこの有様。
 午後,明日の視聴覚の授業の予習。17時過ぎに帰宅。夜少し飲む。

2007年11月4日(日)
13時30分開始

 昨日夕方から,「長崎郵趣19号」の制作。夜遅く編集が終わり,印刷。途中純正インクが切れたので,以前買っておいた外付けインクの装着に挑戦。なんとか印刷できるようになった。これでインクコストを大幅に下げることができたので,今後はカラーで印刷できる体制になった。が如何せん原稿が白黒なので,あまり効果がない。
 びっくりしたのは「純正インクでない」旨の警告が現れたこと。でも問題なく印刷できた。
 ということで起きたら12時前。ということはまもなく日本時間13時。急いで日本の数人にスカイプで電話。13時30分に間に合った。
 その後はゆっくり入浴。「長崎郵趣」の製本および発送準備。昨日嬉しいことがあったので心ウキウキ。
 夕方,食料品の買出しに出かけた。空気が乾燥しているせいか,夜中に何度も水飲みに起きる。

2007年11月3日(土)
ホットな戦い

 昨夜遅くまで,計画を練り4時頃目が覚めたので,二度寝。起きたら10時過ぎ。ということは日本時間は1時間進んでいるので12時前。代行の人にskypeで連絡。
 15時過ぎにまた電話するということで,しばらく待つ。
 日本時間の15時過ぎに電話。数点落ちたらしい。
 大物の落札結果は10円の戦前使用唯一のカバーが400万円。10銭勅額無目打カバー80万。14銭コイルはわかっているけど秘密。27銭書留30万。2次20銭外信17万5000円。全250点概算で2000万円ほどという。意外に伸びたのが小包関係。25銭単貼小包13万。
 受賞結果は,気になるところだが,山崎文雄さん「Hawaian Postal Stationery」大金。設楽光弘さん「上野国の不統一印」・大橋武彦さん「小判切手 1876〜92」金。おめでとうございます。 
 結果がわかったところで,安心してゆっくり入浴。気分もさっぱりした。 

2007年11月2日(金)
パソコンとお別れ

 寒い。耳あて防寒具を装着して出勤。エレベーター前に毎日張り出してある学生部の掲示板の今日の最低気温はマイナス5度。寒いはずだ。エレベーターを使わず,階段で5階まで。513号室に荷物を置き,4年生の教室211号室まで階段で降りる。1・2校時4年生。
 授業終了後,日本人のK先生が見えられ,3人で雑談。10時頃になり,国際交流科に日本宛のFAXをしに行く。日本時間11時である。締め切りは12時。CさんにFAXをしてもらう。帰り際,私が写っている長白山の写真を数枚もらった。
 研究室に帰ると,パソコン修理の人が来ていて,リカバリの最中。11時過ぎてどうやら完了。学生のY君に来てもらって私のパソコンの不具合を伝えてもらい修理を依頼する。もちろん修理代金は個人負担である。日本に送ることを考えたら中国でできるだけのことをしようと思う。このパソコンとしばらくお別れかと思うと寂しい。
 昼食は内藤先生と北食堂のフンドゥンと小龍包。いつ食べても食べ飽きない。
 午後はOSの上書きの後,ウイルス駆除ソフトをかけていったのを終了まで見守るが,7時間になろうとしたところでまだ終わらないのでそのままにして帰る。その間教材研究等。帰宅19時過ぎ。
 
 今日から東京ではJAPEXが行われているはず。明日は昭和の第一人者のコレクションの売りたて。参加するのに意義があるということで,FAXしたが,生き残っているのは2割ほど。20点もない。数点落札できればいい方だろう。大物は今晩熟考して明日代行してもらうつもり。

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2007年11月1日(木)
プカチ(どういたしまして)

 どうも,朝の時間の調子がおかしくなり,はっと気づくと7時43分。タクシーに乗り,いつものように渋滞へ。丁寧な運転手で降りるときにシェシェというとプカチ!と言ってくれた。55分過ぎに研究室に入り,すぐに3年生の教室。1・2校時。3・4校時は2年生の作文。昼食は内藤先生とフントンと小龍包。食後,北食堂の超市(スーパーマーケット)へ。DVDを購入。それと探していたミニドライバー。研究室に帰り,typeTを分解してみる。どうせ保障期間が切れたものだし,修理しなければならないのでみておこうと思ったのだ。再びネジを締めると起動した。でもちょっとした振動でブルー画面からシャットダウンしてしまう。でも振動しなければいつまでも大丈夫そう。長崎郵趣を印刷中に,3階事務室から電話があり,パソコンの専門家が修理に着たとのことで,出迎えに行く。研究室のパソコンも2週間ほど前から起動しなくなっていて,先週1名来てパスワードがわからないといって帰ったままだったので,催促したら,6階のパソコン管理者が来て,再インストールしなければだめだということになったのが一昨日。で,やっと今日来たと思いきやパスワードがわからないと再インストールできないとのことで,結局明日管理者に聞くことになったのだ。16時30分にはもう管理者はいなく明日になった。ついでに私のtypeTも明日預かっていってくれることになりラッキーである。最悪日本に送って修理しようと思っていたくらいだからだ。
 帰宅後,デスクトップ代わりのtypeAで日記とHPの更新。今日から11月なので,アップロードできなくても,パソコン内では更新を行っているのである。

  2007年11月


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