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2007年12月31日(月)
3連休2日目

 大晦日であるが,そんな感覚は全くない。風邪で寝込んだり。期末試験問題を作ったり。
 夕方,長春在住の有志で年を越そうというので某四星ホテルに。NHKの衛星BS2で紅白歌合戦を見ながら,年越し。時差1時間あるため,日本が2008年になってもこちらはまだ23時。とりあえず,日本時間で新年おめでとう。1時間後中国が2008年になって再び新年を祝う。

 画像は,関東軍司令部内郵便局差出公用封筒。康徳5(1937)年9月17日。
 

2007年12月30日(日)
3連休1日目

 年末年始の3連休1日目である。ゆっくり起床し朝風呂に。だいぶ良くなってきたとはいえ,本調子ではない。
 読書をして過ごす。

 画像は国務院内郵便局差出の書留。

2007年12月29日(土)
忘年会掛け持ち 2

 今日は土曜日なので本来休みなのだが,年末年始を3連休にするために31日の授業の入れ替え。今日31日月曜の授業を行い,31日が休みとなるわけである。
 朝,通勤時間帯に雪が降っている。タクシーを捜すがなかなかつかまらない。結局歩いて行ってしまった。
 1.2校時4年生。昨日は22時過ぎまで飲んでいたそうだ。3.4校時3年生。
 授業終了後タクシーで宿舎に帰り,フロントで炒飯のルームサービスをお願いする。
 15時30分過ぎにタクシーで大学正門まで。外国語学部702教室で2年生の忘年会。もともと視聴覚教室で,プロジェクターが使えるので,それを駆使した出し物が多数。ひととおり終わった後で,中華サラダと餃子の食事。2年生の学生が「この餃子は自分たちで作ったので食べてください」と持ってきた。
 食事が終わったら,ディスコタイム。K教授はとても定年間際とは思えない身軽さで踊っていらっしゃる。とうとう私も引っ張り出されて「踊らにゃ損損」の世界に。
 最後に椅子の上に5人が乗り踊りだす。お立ち台。
 この日は,1年生からも招待を受けていたので,途中から抜け出して会場へ。タイトルが「外国語学院2007級(本部)“HAPPY嘉年華・東師不眠夜”元旦晩会」であり,会場の外国語学院軍事多媒体教室というのは初めて行く教室。数百人入れるホールであった。全体会がここであり,その後各クラスに帰ってそこで徹夜して語り明かすのだそうだ。
 全体会が終わって,クラスの会へも参加した。24時過ぎたところで私は帰宅することにした。

 画像はフランスから日本宛の到着便の一部であるが,CHANGCHUN 25.4.16の中継印が押印されている。

2007年12月28日(金)
忘年会掛け持ち 1

 風邪のため通勤はタクシーで。1・2校時4年生の日語精読。どうにか授業を終え,タクシーで宿舎まで帰る。ひたすら寝る。
 15時から日本語科の出し物の踊りの練習のため再びタクシーで大学まで。414号室で練習。16時30分に会場のホテルまで行くことになったが,タクシーがつかまらない。仕方がないので,歩いていくことになった。名門ホテルの先の某ホテル。円卓が24並んでいたので,240名ぐらいの出席者。外国語学部だけで70名,他学部の第二外国語の先生方が70名,残りは来賓とOBの方々だそうだ。
 外国語学部の日本語科創設の頃の学部長を勤められたOBの方を紹介された。八十数歳の方で建国大学出身だそうだ。
 出し物の踊りも無事終了し,20時過ぎにお開き。すぐ4年生のK君に電話して,日本人のK先生と忘年会会場に駆けつける旨を話す。今日は教員の会と並行して4年生の忘年会も行われていたのである。
 場所は北食堂の東側の個室。4年生は各クラスでの開催らしい。もう既にみんな出来上がっていて,我々日本人教師2名が到着すると異様な盛り上がり。乾杯の応酬。
 21時30分過ぎに私は帰宅。タクシーで帰る。

 画像は,大連長春線/大正6年7月17日/D欄満/E欄奉長/上り二便

2007年12月27日(木)
風邪でダウン

 昨日薬を飲んで寝たにもかかわらず,本格的な風邪になったようだ。朝から元気がないので,タクシーで。
 1・2校時3年生の日語精読。3・4校時2年生の作文の試験。
 昼食は北食堂まで10分も歩いて行く元気もないので,タクシーで帰宅し,宿舎のレストランで炒飯を頼む。フロントにメニュー表があり,注文するとレストランで食べるか部屋で食べるかと身振りで訊く。部屋でと答えて運んでもらう。ルームサービスがあるとは初めて知った。食後,薬を飲んで寝る。
 
 画像は,大連長春線/大正8年9月30日/D欄満/E欄奉長/上り二便

2007年12月26日(水)
踊りの練習

 1・2校時3年生,3・4校時4年生。昼食は南食堂。拉麺がおいしそうなのを見て注文。
 午後問作。14時から日本語科の忘年会の出し物の練習。外国語学院の教師約70名に選択外国語の教師約70名。それにOBまで来るので200名超の会だそうだ。28日金曜日15時集合で,練習をしてみんなで会場まで行くことになった。
 終了後研究室で仕事をしていたら外は真っ暗だったのでタクシーで帰る。風邪気味なので薬を飲んで寝る。

 画像は,大連新京線/昭和11年9月26日/E欄奉京/上り一便

2007年12月25日(火)
クリスマス

 1・2校時4年生の視聴覚。期末考査の練習問題を試作したので演習。少し改善点を言ってもらう。その後ひたすらDVDから画像を取り込む作業。はっと気づくと13時過ぎ。途中1年生が29日のパーティの招待券を持ってきてくれた。授業には行っていないのだが,朗読コンテストで審査員をやったので覚えてくれたようだ。学内でも見知らぬ学生からよく日本語で挨拶されるのは1年生のようだ。希望の星だけのことはある。困ったことに2年と重なった。でもぜひきてくれと言う。28日も教員と4年生が重なっている。
 遅い昼食を北食堂で。砂鍋麺。
 午後も作業の続き。数時間分のDVDを早送りで見ながら,試験問題になりそうなところを粗編集。その後,問題文を作成し,プレミアで編集後DVDに書き出せば終了,という見通しができた。
 17時20分に留学生公寓へ。2005年級(3年生)のクリスマス・新年会。日本語科の教員は私一人。食事の前にプログラムに沿っての歌舞音曲。日本語科の学生もけっこう出番があった。私も何か歌ってくれというのでまたしても『ニー・シー・ウォー・ダ・メイクィファー』を。一曲覚えておくと何かと便利。ひととおり終わって食事。ビールでの乾杯が続く。さすがは大学生,ビールの一気飲み。日本の若者となんら変わるところがないように感じた。中国語で話していることぐらいしか違和感はない。しかも日本語科の学生は顔つきや雰囲気も日本人らしくなってきているので(着ている服装のせいかも)全く違和感がない。ひととおり飲み食いした後は再びカラオケ大会。日本語科の学生と『時の流れに身をまかせ』を歌う。教室で見られない学生の一面を知ることができた。
 雪の夜道は危ないので,21時30分過ぎにタクシーで帰宅。

 今日の画像は,安東縣奉天線/D欄満。大正7年10月9日。朝鮮へと繋がる満鉄の支線である。

2007年12月24日(月)
クリスマスイブ

 1・2校時4年生の日語精読,3・4校時3年生の日語精読。昼食は久しぶりにK君と南食堂へ。東京の会社へ就職が決まったとのこと。食後,大学内の郵便局へEMSを送りに行く。やっと念願のパソコン。一度は断られたが,梱包材で幾重にも巻き,ダンボールに入れて持って行ったのだ。再び壊れても責任は持てないと念押しされる。国際規格の箱に入れるようにとのことで更にひとつ大きな箱に入れて送った。箱代ともで396元。6000円超といったところ。
 午後,試験問題作成。帰宅後日本の知人と1時間45分もskypeで話し込んでしまった。その後知人から呼び出しがかかり少し飲みに出かけていった。
 明日もあるので食後早めに帰る。

 今日の画像は,大連長春間/E欄連奉の下り三便。大正3年9月11日の使用。

2007年12月23日(日)
DVDボックス

 起床して外が暗いので窓を見ると,雪が積もっている。後で聞いたところによると昨夜降ったらしい。午前中DVDシアター。『たそがれ清兵衛』。
 午前,中学生から電話があり,今日の3年生の忘年会は25日に延期になったとのこと。これで夕方ゆっくりできる。
 昼食は日本人のK先生とK教授,T准教授の3人と東方餃子王で。国家八級試験監督のK教授が来る前に私が席を確保して注文しておいた。3人が到着したころ料理がでてきた。4人で48元。ようやく私が支払わせていただいた。先生方と行って今まで一度も払ったことがないのだ。これは中国の風習。誰かがまとめて払うという習慣。割り勘をしているのは日本人だと言われるようだ。
 4人で桂林市場でお買い物。桂林市場は会話ができないと値引き交渉ができないので割高なのだ。ベストを購入。角印も2種作った。その後一人で恒客隆地下のDVD屋で『チャングムの誓い』日本語版DVDボックス27枚組を購入。その他スーパーで「あきたこまち」等を購入。

 今日の画像は鉄道郵便印。大連長春線 大正5年9月24日D欄満 E欄奉長 上り一便。

2007年12月22日(土)
長崎郵趣21号

 午前中起きて,「長崎郵趣」の編集。今回記事がないので,手持ちのアイテムをスキャンして仕上げる。あとは印刷するだけ。正月の3連休にでも仕上げよう。ということでせっかくスキャンしたので,画像をアップしてみる。少しは切手収集家の日記らしくなるか。
 
 画像は大阪商船が昭和8年に発行した観光パンフレット掲載の地図。

2007年12月21日(金)
経誕・新年招待会

 1・2校時4年生の日語精読。今度の日曜日が国家八級試験というので,授業はテキストのきりのいいところで打ち切り,後半は八級の,特に質問の多かった古典文法・和歌・俳句の修辞について出題に即してのポイント解説。一部の学生は10時まで30分延長して質疑応答した。
 視聴覚もテストは聞き取りテストを行うので,DVDから画像編集する必要がある。DVDプレーヤーとDVカメラで大まかに取り込んでからプレミアで編集することになるだろう。その準備。
 午後,3年生の学生が,年末のパーティをやりますのでと招待状を持ってやってきた。今度の日曜日とのこと。日語科だけでなく英語科・ロシア語科あわせての外国語学部全体の会らしい。7月に卒業記念のパーティがあった留学生公寓1Fで行われるとのこと。聞くところによると学年ごとにあるらしいので,私はあと2年と4年の分があることになる。
 昼食は,砂鍋麺(シャーゴミエン)と落花生の豆乳。

 夕方,着替えに一時帰宅。16時50分に国際交流科集合。国際交流科主催の外国人教師向けのクリスマス・ニューイヤーパーティである。「東北師範大学外国専家経誕生即新年招待会」の文字が書かれて壇上に表示してあった。(ここでは日本の漢字に直したが「即」のところはどんな意味かと訊いたら,すなわちの意味で,ここでは並列の「と」の意味と教えてもらった。「既」の下に「旦」の字を書く文字。)昨年はシャングリラホテルで行われたらしいが,今年は長白山賓館のシルバーホールで。ここは18日オープンしたばかりで今日で4日目とのこと。長白山賓館はチャンバイシャンホテルとして長春でもシャングリラホテルに並ぶ高級ホテルである。出席者は外国人教師・各学部学科から1名と外人教師に関係した管理部門の関係者。1卓10人ほどの丸テーブルが6あったので60人ほどのパーティ。同じ卓にはロシア語関係者と日本語科関係者,私の宿舎を含む4つのホテルの責任者など。料理は日本語科のK教授からいろいろと解説してもらった。ダチョウの肝のスープやアヒルの料理などいわゆる高級料理らしい。白酒かワインで乾杯だが,私はワインで通した。大学の上層部の方が各卓を回るたびに立って乾杯。私の卓でも5・6回乾杯の応酬。事前に何かやってくれと言われていたので、『ニー・シー・ヲーダ・メイクィファ』をカラオケで歌いますと言っていたら,国際交流科のLさんがビデオCDのカラオケを買ってきましたとのことで歌った。あとで誘われるままに『北国の春』の中国語のカラオケを見て日本語で歌った。これは日本語科の先生方でである。
 お土産は,全員にキャリーバッグがあった。20時過ぎに帰宅。

2007年12月20日(木)
年末年始の予定

 1・2校時3年生,3・4校時2年生作文。作文は,添削済みの分を返却し,解説と誤りやすい点についてのまとめ。来週のこの時間は期末テストである。作文だけは授業の最終日に行っていいとのこと。
 昼食は,内藤先生と北食堂で久しぶりにフンドゥンと小龍包。
 年末の授業日が判明。主任のK教授から教えてもらった。今日判明したとのこと。29日の土曜日が授業日になり,月曜の授業科目を行う。30日31日,1月1日と3連休。2日3日4日とそれぞれ水・木・金の授業。土日休んで,7日から期末考査という日程。その後成績処理をして,日本への一時帰国となる。
 午後,早めに外国語学院を出て帰国の準備と,買い物。桂林路の市場で印肉とスタンプパッドと荷造りテープ。その近くの書店で国家八級試験の問題集購入。紀伊国屋を思わせる広大な店舗。学生から紹介されて行ってみた。
 早めに帰宅。

2007年12月19日(水)
踊りの練習

 1・2校時3年生,3・4校時4年生。昼食は日本人教師3人で北食堂。砂鍋麺。スープが旨い。
 14時から日本語科教師の忘年会の踊りの練習。朝鮮の民族舞踊らしい。17時近くまで。帰る時振り付けの動画が入ったCDをもらう。忘年会は気合を入れてやるらしい。おかげで添削できず。その後ひたすら添削。21時40分帰宅。明日の作文の返却分の添削をやっと完成。
 DVDを見る。どうもシアター完成後,教材研究用のDVD鑑賞が多くなった気がする。

2007年12月18日(火)
添削

 1.2校時視聴覚。東宝50周年記念大作『細雪』。後半を見る。船場・芦屋を舞台に,京都の桜,箕面の紅葉と日本の美を感じさせる作品。
 午後から作文の添削。17時過ぎ帰宅。「カリ工房」で経典(クラッシック)カレー。少し飲む。

2007年12月17日(月)
バトロワ

 1.2校時4年生,3.4校時3年生。昼食はA君と日本料理の北国へ。韓国の留学生なので「冬のソナタ」の初めの部分に出てくる遅刻の際の罰で正座して両手を挙げる姿勢など疑問点を聞く。昨日少し見たのである。
 
 帰宅後『バトルロワイヤル』『バトルロワイヤル2』を見る。2の方が社会性があるが,設定が不自然。初めのは不条理の世界。深作欣二監督の遺作。

2007年12月16日(日)
休日

 昨日が忙しい1日だったので,今日はのんびり過ごす1日。外は雪なので外に出るのも億劫。朝風呂。DVDシアター。結局1日部屋で過ごした。

2007年12月15日(土)
新しい出会い

 スケジュールの詰まった1日。
 7時30分,吉林省の教育学院までタクシー。吉林省の中高日本語スピーチコンテストの審査員として参加。他には吉林大学の日本人の先生,北京から国際交流基金の方,中国人の審査員2名の5名での審査。主催の吉林省教育学院ユン教授が司会進行をつとめられた。吉林省内から中学生・高校生各20名の参加。各学校の代表だけあってうまい。高校生の部は質疑応答もあったが,よく受け答えもできていた。吉林省の日本語教育のレベルの高さがわかった。
 16時から日本人会の受付のため,会場のシャングリラホテルに向かう。事務局として受付の手伝い。日本人会は商工会・教師会・留学生会の三団体で構成されている。200名超の参加者があった。17時開始だが受付の仕事があったので,しばらくは受付のところで待機。少し遅れてテーブルに着く。長春には400名以上の日本人が滞在しているらしい。ただ500名はいないだろうとのことであった。同じテーブルの方とこれも何かの縁なので名刺交換。物流会社の駐在員の方と世界のT社の方。留学生の方など。
 20時過ぎに終了したが,ユン教授から食事会に参加できないなら,2次会からでもと誘われていたので,連絡を取り参加することにした。吉林大学の2名の先生とともに,中国式カラオケ「天シャン(口偏に向)」。東北師範大学正門前にあるカラオケ屋で,気にはなっていたが行く機会がなかったのでいい機会。5名の審査員とユン教授ともう一人の計7名で。日本語の歌は少ししかないので,その少ない歌を歌った後は英語の歌や唯一歌える中国語の歌など。最近練習した「ニーシーウォーダメイクイファー」である。
 22時過ぎに吉林大学のお二人が門限があるのでと帰られ,残り5名でお茶でもということになった。「スプリングコーヒー」はしまっていたので「茶乃源」へ。ここも通勤途中にあるので気にはなっていたが,ひとりでは入れないのでちょうどいい機会だった。ジャスミン茶を飲みながら歓談をしているとユン教授は東北師範大の出身で長崎県第3次派遣教師のK先生の教え子ということがわかった。私が14次だから約22・3年前ということになる。いろんなところでつながりがある。帰宅は通勤路の半分くらいなのでタクシーに乗るまでもない距離。マイナス15度くらいの中を歩いて帰宅。
 日本での日々を思い出させるような忙しい1日だったが,新しい出会いがあった。

2007年12月14日(金)
郵便物到着

 雪の中を通勤。1・2校時4年生の日語精読。パソコンは内藤先生が年内に帰国されるのでその際持参していただき,日本到着後私の自宅まで宅急便で送ってもらえることになった。これが一番安心である。ヤマト運輸のパソコン宅急便というサービスを使えば,梱包を宅急便代プラス600円でしてもらえる。
 昼食は日本人のK先生と,北食堂の今四川。チンジャオロースーと酢豚に饅頭と落花生豆乳。
 県教委から新聞が到着したので,16時過ぎに桂林郵便局に受け取りに行く。教材用の教科書10冊も同梱されていたので重い。雪の中を運んでいく。結局17時頃帰宅になってしまった。17時はもう真っ暗である。
 
 宿舎にも『郵趣』『タカハシ』『たんぶるぽすと』他の雑誌類が実家から転送されてきた。

2007年12月13日(木)
シャ−ゴミエン

 雪の中,滑らないように気をつけながら,横断歩道を渡る。 
 1・2校時3年生の日語精読。3・4校時2年生の作文。昼食は内藤先生と北食堂。米線の米の粉の方。砂鍋麺というらしい。シャ−ゴミエンと発音していた。
 午後,パソコンを日本へ送るために国際交流科へ。宅急便は通関で関税をかけられるらしい。郵便局は破損に責任持てないという。それはそうだろうと納得。結局明日また考えることになった。
 夕方日本人のK先生が見えられて,話をする。18時過ぎに帰宅。最近帰りが遅い。早めに寝る。

2007年12月12日(水)
朗読コンテスト

 今回の雪は前回と違って,さほど降ったわけではなく道路の雪はもう朝には消えていた。
 1・2校時3年生の日語精読,3・4校時4年生の日語精読。昼食は米線(糸偏でなく食偏)。雲南の料理らしい。米の粉で作った麺と玉蜀黍で作った麺の2種があり,今日は玉蜀黍の麺。スープが旨い。日本人教師3人で北食堂に行った。
 午後,教材研究。15時から1年生の朗読コンテストの審査員として807教室に行った。日本語教師10名ほどがずらりと並んで審査。3ヶ月の日本語の学習成果の発表会である。驚くように発音・イントネーションが自然でうまい学生は中学・高校で学習してきたらしい。
 それが終わり,研究室にいるとやっとパソコンが戻ってきた。部品が手に入らなくて修理不能らしい。
 18時過ぎに帰宅。
 DVDシアターで,『サンダカン8番娼館 望郷』を観る。

2007年12月11日(火)
2回目の雪

 起床してみると空が暗い。雨かと思ったが,氷点下で雨が降るわけもなく,雪が降っていた。再び雪一色。だが,前回ほどではない。タクシーがつかまらないので,歩いていく。途中3箇所で足を滑らせるが転ぶほどではなかった。
 1・2校時4年生の視聴覚。『細雪』は東宝50周年記念映画。
 昼食は,内藤先生と林嵐教授の3人で北食堂の「今四川」というところ。なかなか敷居が高くて入れなかった店。2階の左手奥。メニューを教授に説明してもらって酢豚とチンジャオロースー,麻婆豆腐に中華饅頭2種。麻婆豆腐が塩辛かった以外はよかった。酢豚は日本のものとほぼ同じで,こんなものは中国に来て初めて。酢豚は中国では珍しいメニューで,すっかり日本食だと思った次第。
 午後ひたすら作文の添削。今日も18時過ぎ。あたりがすっかり暗い中,雪中行。滑らないように気をつけながら。
 帰宅後DVDシアターで『週間赤川次郎』残り全部を見る。

2007年12月10日(月)
内鮮一体

 暖かい日といっても,氷点下での話。1・2校時4年生。9時30分からの休み時間にK君が質問にきた。時間になったので,また12時30分からということになった。3・4校時3年生。K君の質問。戦前の朝鮮統治下の文書の韓国語訳のための日本語訳でわからない語句の質問。自分でわかる範囲を調べてあるので話は早い。「内鮮一体」の意味を間違えて理解していたのは,無理からぬこと。遠い昔のことだ。
 終了後,K君と北食堂へ久しぶりに行った。大学の売店でDVDプレーヤー299元を購入。アンプ付スピーカー45元も。帰ってきて午後は,明日の視聴覚の授業の教材研究。日本の大学院入学希望者が相談に来た。文書の添削。
 教材研究をしていると,18時過ぎ。暗い中を歩いて帰った。
 帰宅後,普段使っていないダブルベッドの置いてある寝室にプロジェクターの設置。壁が白いので,ベッドに寝て見れるようにセッティング。100インチ超でDVD視聴。『週間赤川次郎』TV東京の連続ドラマらしい。6話まで見る。

2007年12月9日(日)
日本語教師会

 本年最後の長春日本語教師会。興味深い発表2本のあと,場所を桂林路のレストラン「欧羅巴」に場所を移して忘年会。名前のとおり,洋食である。楽しい時間を過ごせた。来年は,3月。1・2月は帰国する人が多いので,開催しない。
 1月で長春を離れるO先生と一緒に天倫へ。中国語が堪能なO先生だと心強い。いつものように大浴場のあと,アカスリ・サウナ。地下に岩盤浴ができる施設があるというのを初めて知り行ってみた。岩盤浴は標準と高温の2部屋。酸素バーの部屋,遠赤外線の部屋と一通り試してみた。2時間のマッサージのあと,再び地下に行き,ビールとおつまみで軽く飲む。充実した1日だった。帰宅すると,20時過ぎ。

2007年12月8日(土)
香炉峰山下

 休みの朝はゆっくり起床し,お湯を張って朝風呂。まさしく白楽天の香炉峰山下での生活。木曜日に作ったカレーも食べつくした。
 郵趣文献の検討。同時に今度の作品の構成を考える。これが一番重要な作業。あとのリーフ作成は機械的な作業である。
 明日は,日本語教師勉強会。会終了後の昼食会は忘年会も兼ねるらしい。今後週末は会が続く。15日日本人会懇親会。21日国際交流科主催のクリスマス&ニューイヤーパーティ。外国人教師を招待するらしい。下手な英語でやりとりすることになる。込み入った話は日本語のできるスタッフがいるので安心。

2007年12月7日(金)
聴解

 1・2校時,4年生の日語精読。授業終了後,中国政府八級試験の問題の質問。これは中国教育部が行う日本語能力試験である。四級と八級があり,その他の級はない。八級が大学卒業程度で難しい。大学のランク付けに影響があるらしい。聴解とことわざ,古典文法に不安があるとのことで,午前中から午後にかけて資料を探し,印刷に回した。昼食後学内の学人書店で八級試験の問題集を探すが見当たらない。日本語関係の書籍を数冊購入。職員割引があった。
 昼食,三鮮玉米炒飯。シーフードとコーンの炒飯。これはよかった。いろいろ試してみるとまだまだ食べられるものがある。
 夕方,内藤先生と日本人のK先生が研究室に来られたので,夕食を北食堂で。久しぶりに小龍包2.5元。それに野菜入りおかゆ1元。食後そのまま帰宅。少し飲む。

2007年12月6日(木)
グラム売り

 1・2校時3年生。3・4校時2年生の作文。そろそろ前期試験のことも考えなければいけない。
 昼食は北食堂。内藤先生と。牛肉拉麺。「拉」は引くという意味。粉を捏ねて棒で伸ばしまた捏ねて伸ばす。そんなにして作った生地を両手で引っ張ってだんだん細くしていく。あやとりのよう。
 午後教材研究。昨日が遅かったので早めに帰宅。
 帰宅途中,恒客隆スーパーマーケットで買い物をして,その後久保田日本食材店でカレールー,S&Bゴールデンカレー辛口18元。帰宅後カレーを作る。だんだん調理も苦でなくなってきた。

 昭和切手の未整理ロット。いつものグラム売り。束ものの残骸。1・2次の束もの額面が主で3次はないようだ。まあメールで落ちてくるのはこんなものだけだろう。途中で断念。

2007年12月5日(水)
束もの

 1・2校時3年生,3・4校時4年生。昼食北食堂の泰式カリ炒飯。ほんのりカレー味といったところ。
 午後,明日の作文の添削。夕方うっかりするともう暗くなる。17時にはもう真っ暗。バスが無灯火で走るのはこちらの特徴。道路の横断には注意が必要。
 
 帰宅後,持参してきた未整理ロットの整理。グラム売りの富士鹿風景。旧版改色8銭・昭和毛紙10銭20銭ともに1枚もなし。よく見られたロット。消印も推して知るべし。
 満州切手の束もの。糊が貼り付いているのがあったので,水はがし。

2007年12月4日(火)
1974年

 雪の残骸がまだ見られる。1・2校時4年生の視聴覚。やっと半数ぐらいの出席者。12月末までこんな調子なのだろうか。『伊豆の踊子』は吉永小百合でなく山口百恵ので。1974年山口百恵16歳の作品である。
 昼食は,ちょっとした用事で香格里拉大飯店(シャングリラホテル)近くのメイクイユエンという洋食店で。その後,文化宮の山崎日語学校へ立ち寄る。15日の日本人会の話など。
 そのまま帰宅。昨日が遅かったのでいいだろう。

2007年12月3日(月)
兵役

 朝はあいかわらず寒い。でも慣れてきたようだ。歩道にクリスマスツリーの飾りつけ。店の特色が出ている。
 1・2校時4年生。まだ3分の1から2分の1といった出席者。
 3・4校時3年生。昨日日本語能力試験1級の試験があったらしい。何人かに聞いてみると,よくできなかったと言っていたが,間違えたところを覚えていて言えるということは良くできた証拠。ほんとうにできなかった人はできたところだけを覚えているものだ。
 昼食は,韓国人留学生のA君と「プチ北國」。大学直営の東師会館3階に入っている日本料理店。支店なので「プチ」とあるらしいが,先週行った本店よりも広いかもしれない。サバ定食28元。なかなかいけた。韓国人留学生は1年間中国語の語学留学の予定で来たが,終了後も在籍していた韓国の大学に戻らず,本学は日語科が有名なので1年生から入学して3年経ったそうだ。中国に来て4年目。もともと韓国の大学に入学したが,途中2年間の兵役があり,終了後大学に戻らずこちらへ来たというわけだ。いろんな話をした。卒業後カナダの大学院に進めと親は言うが日本に留学するかもしれないとも。韓中日の3ヶ国語に英語が加われば4ヶ国語になる。中国は物価が安い上に大学の授業料も安いのでアルバイトをする必要がないとのこと。
 午後は教材研究。つい時間が経つのも忘れ17時過ぎになってしまった。外は暗い。クリスマスツリーの点滅がしているさまは中国とは思えない。
 帰宅後,カレーを作る。自分で料理をするなど日本では考えられなかったこと。そんな心の余裕がなかったのだ。

2007年12月2日(日)
ドライ

 午後からお出かけ。昼食を同光路と豊順街の角「papa's」で。クリスマスツリーが点滅する西洋風レストラン。ロフトになった2階席は天井が低い。
 帰りに恒客隆で買い物。長白山ワインは「干」の字のついたものを選ぶ。「ドライ」の意で甘くないそうだ。日本でいうワインは「干」の字のついたものらしい。前回購入したものは甘すぎてワインらしくなかった。

2007年12月1日(土)
映画版

 今日から12月。早いものだ。いつの間にか寝てしまったので起きてDVD。外は寒いので土日は積極的に出て行きたくない。『踊る大捜査線BAYSIDE SHAKEDOWN2』を途中まで。
 『嫌われ松子の一生』映画版。ミュージカル仕立てで一気に見れた。松子の転落人生の始まりとなった事件での校長・教頭の罪は深い。ちゃんと対処すれば担任の松子ばかりか教え子の龍も転落しないでよかったはず。いつの世も事なかれ主義の校長はいるものだと映画を観て実感した。新任教師の過ちを導くのは管理職の職務ではないかと思ったりもした。保身のため切り捨てられた元教員に生きる道はあるのだろうか。TV版は原作に忠実らしいが観るに耐えない。しばらく封印。
 明日は買い物のため外の空気を吸いに行かなくては。

  2007年12月


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