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2007年8月31日(金)
長春到着

 朝6時50分家を出発して私の車を整備工場に返し,母の車で諫早まで行くつもりが母の新しい車がエンジンの不調で出発が遅れ,諫早インター8時4分発福岡空港行きの高速バス「九州号」に乗れず。県営バスに連絡して次の9時4分のバスに乗ることができた。1本余裕を持って出発を設定していてよかった。11時前に福岡空港国際線ターミナル着。乗り換えなしに行けるので便利。手荷物も26キロでセーフ。ただ日本の通帳類を母に預けるのを忘れ,書留で送りたいのだが,郵便局は国内線ターミナル。国際線フロントに連絡し,空港バスで国内線ターミナルまで往復。40分かかった。
 出国手続きがスムーズにいき,余裕をもって出発ゲートにたどりついた。中国で消費するウイスキー2本と大学関係者へのお土産も空港の中の免税店で購入。
 長春行きは13時出発。3時間乗っているが時差のため15時過ぎに到着。迎えに来ているはずの国際交流課のLさんを探すが見あたらない。中国の電話でLさんに連絡すると,院生のR君が私の名前を書いた紙を持って行っているはずというので探してみて会うことができた。あとふたり韓国の留学生がくるのを待つ。新学期を控え,連日送迎の仕事があるのだろう。
 Rくんは初めて会うが,今度修士2年になるというので私の前任のN先生の教え子になる。車の中で話をしていると長春はもう秋になりましたという。たしかに風が冷たい。日本と違って日陰では過ごしやすい。空気が乾燥しているせいか。17時前に宿舎到着。Rくんがスーツケースを自室まで運んでくれた。
 荷物を出して,夕食はさんぱちラーメンへ。味噌ラーメンにしようかカレー炒飯にしようか迷っているとどちらもミニがあるのを発見し,ミニ味噌ラーメンとミニカレー炒飯,12元と6元。
 帰って風呂にお湯を出すと茶色の水。しばらく出すときれいなオレンジ色。水道管が錆び付いているのだろうか,しばらくしたら透明になったので,入浴。洗濯もその日のうちに。

2007年8月30日(木)
中国行き準備2

 朝10時から用事。それを済ませ,同窓会館へ。同窓会誌の完成が遅れているそうで,中国宛発送の封筒を預ける。郵便局で切手を買い,帯封125通作成。それを持って島原新聞社へ。5ヶ月分の購読料6500円を支払う。これで中国での楽しみの一つが完了。元旦付けの新聞は10枚分だそうで特別に切手を貼った封筒を作成。
 夕方時間がありそうだったので,長崎のヤマダデンキまで走る。ノバックの「いつでもTV」を購入するため。島原のヤマダデンキには置いてなかったが,長崎にはあるだろうとの思惑だが,こちらも取り寄せになるという。それでさらに時間がありそうだったので,長崎県立美術館のロバート・キャパ展を大急ぎで観る。型録と名著「ちょっとピンボケ」文庫本を購入。
 帰宅するともう暗かったが,舞岳の水汲みに。車のライトで照らしての作業。
 
 切手関係では,スタンペックスの出品作10フレーム分。とてもリーフ作りの作業はできないので,以前出品したまま。仮貼り状態の新入手切手をはずし,以前出品した状態に戻す作業もけっこうな労力。てーぱーくへ発送の荷造り。
 プラガ展の申込書。英文の作成が面倒で,つい先延ばしにしていたのだ。
 JAPEXの特別展示の依頼「長崎の外国郵便」を受けていたのだが,小判の作品にだいぶ流用していて,新たにリーフを作成する時間的余裕もなく,お断りの葉書を出すことにした。内藤さん申し訳ない。

2007年8月29日(水)
中国行き準備1

 昨日の酔いが残り,ゆっくり起床するが,中国出発前で大忙し,ゆっくりしている場合ではない。向こうにいったらできないことをリストアップして,作業。
 手荷物は重量オーバーしないように何度も体重計で測り直して調整。

2007年8月28日(火)
花火大会・皆既月食

 午前中,母の通院の付き添い。午後私の通院。中国行きのワクチン接種2回目。夕方,花火大会に島原鉄道で行く。想定されるピーク時より1本早い便で行ったので座って行けた。友人や教え子らに会う。集合場所の九十九ホテル特設会場に19時行くとまだまだ明るい。少しして食事。20時30分頃花火打ち上げ開始。それまで明るかったので見えなかった月が日没と同時にぼんやり見え始めるが,一部分が明るくなった状態。息をつく暇もないほど次々に上がり,途中で露天風呂に行くのも忘れるほど。席を予約したH先生はしっかりと露天風呂に行っておられた。月の光の進行と花火と両方見比べる。
 21時30分までの1時間があっという間。花火終了時月は白く輝き完全にその姿を元に戻していた。22時交通規制解除だが道路はひどい渋滞。歩いて市役所まで移動。途中でたくさんの教え子に会う。「花」に行っていなかったのでカラオケを。「フレディもしくは三教街」が入っていたので歌う。これはさだまさしコンサートでのアンコール曲としてイラク戦争時のコンサートで聴いたとき心にしみた曲である。竹内まりや「人生の扉」は「きがつーけば いそーじを こえたーわたーしがいる」がタイムリー。
 25時帰宅。

2007年8月27日(月)
そして帰宅

 10時にチェックアウトして,大阪駅前第2ビルをめざす。某切手店。ここで15時前まで過ごす。
 新大阪15時28分発博多17時57分着。中央改札の中で福岡のTさんと待ち合わせしていたので,駅構内の喫茶店でサマーペックスやバンコク展,JAPANオークションの成果等,この夏休みのことについて話をしていたらあっという間に2時間ほど過ぎてしまった。20時2分発のかもめで諫早着21時37分。
 パークアンドライドの駐車料金を払い,22時30分過ぎ帰宅。
 中国に出発する日がもう目前である。やり残したことがないか点検しないと。

2007年8月26日(日)
JAPANオークション2日目

 ゆっくり朝支度をして10時過ぎに大阪駅前第3ビル17階会場へ。午前中はブースをのぞいたり,郵楽会の手伝いをしたり。ブースを見ているとき肩をたたかれ,振り返ると学友S。旧中国の専門家だが,午後一番にある品物を落としにやってきたという。昼食は学友Tと。
 13時オークション開始。最初は昨日と同様女性の方がオークショニア。途中でTさんに交代。学友Sは首尾よく落札できたようだ。でもずいぶんいい値段。
 オークションの合間に,郵楽会の店番をしたり,ブースで話し込んで数点見逃す。
 長春で同じ大学の短期の日本語教師の方が切手のオークションを見学したいというので,終了直前に見えられた。今は帰国され,もとの職場で日本語教師をされている。夕食をご一緒し,私が帰国してからの近況等を伺う。
 21時過ぎホテル着。

2007年8月25日(土)
JAPANオークション1日目

 8時にホテルを出て,8時10分前に事務所着。少しだけお手伝いで,台車で17階の会場まで物を移動。運び終えた後,会場にいるとFさんから「カードがない人は10時の開場まで会場内には入れない」という無体なお言葉。隅っこに移動していると,不憫に思った郵楽会のAさんがカードを貸してくれた。ので郵楽会の手伝いをすることに。二十数年前の大阪時代,確かに会員だったしその後除名もされていないので,カードをつけていても不思議ではない。
 昼食はFさんご贔屓のB2のお得なお店に。顔見知りの方ばかりが出入り。その筋では有名な店らしい。
 13時からオークション開始。店番との兼ね合いで,何点か見逃したがそのくらいがちょうどいいのかもしれない。
 夕食はFさんプロデュースの飲み放題の店,予算4600円。総勢22名。我々は年長グループ。若者は自然と遠ざかった席。ふと左と前と右を見ると,バンコクで夕食を共にした方たち。目に見えぬ縁(えにし)で繋がっているのかもしれない。
 2次会は某高級ホテルのラウンジで,ムードのある音楽を聴きながらコーヒー。濃いメンバー6名,最後には3名で2杯目を。国際展の審査のあり方という高尚な話題。
 今日も23時過ぎホテル着。

2007年8月24日(金)
下見

 朝,諫早駅までパークアンドライド。途中母を通院の病院まで送る。9時48分の博多行き特急「かもめ」に間に合う。博多駅で30分ほどの待ち合わせ。昼食の駅弁を購入。11時54分発の「のぞみ」東京行きに乗車。14時28分に新大阪駅着。大阪駅まで行き,まずホテルにチェックイン。6月に一応予約していたので,3連泊で取れた。16時前に第3ビル14階の事務所に顔を出し,下見。リストはかもめとのぞみ車中で作成。
 夕食は,T軍団というかTさんと愉快な仲間たちというか,総勢8人で。2次会も4人ほどで。23時過ぎホテル着。明日8時来るようにとの伝達。

2007年8月23日(木)
バックアップ

 午前中母の送迎。いっしょにいるときには親孝行をしようと思う。待ち時間に諫早ICの高速バスの停留所の確認。福岡空港の国際線ターミナルまで一本で行けるので,8月31日の中国行きは高速バスで行く予定。荷物が多いとできるだけ乗り換えを避けたいのものだ。
 RZ71はVAIOのHPに書かれたとおり,全ての可能性を試すが,起動せず,カスタマーセンターへ。修理では最低4万5千円かかるそうで,リカバリの方法はF10を押し起動させるとよいという情報を聞き,さっそく取り外していたHDを再び取り付け試すと,なんと起動した。F8やF5を押しながら起動するというのはHPに記載があったので試みたのだが,F10とはこの機種特有の方法なのだろうか。
 ともかく起動しているうちに重要なものからデータの移動である。普通に動くので,ケーブルの接触が原因かとも考えられるが,なにはともあれバックアップである。HDをはずして掃除したのがよかったのかもしれない。
 
 いよいよ明日大阪行きである。諫早からJRで,かもめ・のぞみ乗り継ぎで4時間台で新大阪まで行ける時代になった。

2007年8月22日(水)
シリアルATE

 午前中母の送迎。待ち時間に郵便局や銀行の用事を済ます。
 500GのHD2台(計1T)通販で購入したが,S−ATEという規格で今までのHDと端子が違う。その変換アダプタを注文していたのだが,それが到着。フォーマットしてデータの移動。
 夕方同窓会館に行き,事務の方と話をする。同窓会誌の二校を出しているところ。

2007年8月21日(火)
パソコン復旧

 午前中母の通院の付き添い。午後昨日購入したインクで「長崎郵趣」の支部用と長崎支部の残り10部の印刷。夕方メール便で発送。
 パソコンの復旧。1週間前からメイン機RZ71が起動しなくなったので新しいHDを買ってきて復旧を試みるが,物理的な損傷で復旧不可能。実はJ12も。デスクトップはS600が生きているだけ。携帯用のT90PSで復旧を試みたが絶望的。大事なのはバックアップを取ってあるはずなのだが,何がなくなったかは分からない。RZ71はテレビ録画用なので,テレビ番組が消えたのは残念だがこれはさほど重要ではない。

2007年8月20日(月)
インク購入

 ゆっくり起床。家の雑事を済ませ,夕方から長崎の知人と食事すべく長崎市内の和食の店へ。終了後少し時間があったので,ヤマダデンキでインク類の調達。
 22時帰宅。

2007年8月19日(日)
長崎支部例会

 昨日から印刷していた「長崎郵趣」が印刷できていたので,折って持参。公共交通機関で来るようにとの通達で,島原鉄道の島鉄湯江駅まで車で行き,10時26分の諫早行きに乗る。諫早駅に着くと特急かもめが来たので長崎に早く着きすぎるが,乗る。12時前に長崎駅着。アミュプラザ3階のメトロ書店で話題の風景印の本を購入。『郵便局を訪ねて1万局』光文社新書である。郵便をキーワードにした楽しみ方は無限にあるとの一例だろう。この本を彼が書いたらどうなるだろうかとふと考えた。同じく現地押印のプロである。でも一般向きの話になりそうもないということを考えると,著者佐藤剛弘氏の筆力はたいしたものである。他に1冊購入。
 駅前の吉野家で昼食を済ませ,電車で会場に行ってもまだ12時30分。近くの西洋館に行き涼んで12時50分に会場の長崎北局へ。13時には開会。
 池田さんの司会で進行。私のバンコク展の報告も。今日は唯一私より少しだけ若いI川氏のコレクションを見せていただいた。好きな切手を集めてきたといわれるが,龍切手だけで数リーフできそうな分量,小判の不統一印が数局にカバーまで。旧小判・U小判の珍目打・コンパウンド目打とこだわりのコレクション。でも小判のメインナンバーが揃っていなかったりと極端な偏りがあり,このままでは賞を競う展覧会向きではない。まずはリーフに整理することが肝要だ。
 会終了後,ビール党6名と他2名で西洋館のサンデーサン。17時過ぎには散会。
 佐世保行きシーサイドライナーに乗ったら乗り過ごして竹松駅で引き返し,諫早まで。島鉄で帰宅。この頃には酔いも覚め,1.5キロの道のりを散歩がてら帰宅。

2007年8月18日(土)
長崎郵趣

 ゆっくり起床。昨日の作業の疲れか。「長崎郵趣」15号と16号を作成。午後印鑑屋さんが表札ができたと届けてくれた。とても自分では買えない高価な物。一生ものだからと。取り付けに時間がかかり,これで2時間ほど費やした。
 「長崎郵趣」割付が終わり,20時過ぎに印刷にかかるが,PM4000PXのインク切れ。これでB4判印刷は諦める。B5両面だと普通紙印刷では見づらい。紙は多少かかるがB5片面印刷でいくことにした。途中でPM950Cもインク切れ。バンコクに行く前に切れかかっていたのをすっかり忘れていた。家を留守にするのであまり買い置きをしたくないのだ。ミノルタのページプリンタもトナー切れ。残るはPM770C。ほとんど年賀状印刷の時の黒字印刷しか最近では使っていないがなんとかこれで印刷。とりあえず明日の分として各20部印刷すればいいだろう。15号と16号,各4枚の20部なので160枚の印刷。26時過ぎたが,明日朝には終わっているだろう。

2007年8月17日(金)
大掃除

 お盆の灯籠類を甥と片づけ。亡父の法事を25日あたりの土日にすると母が言うので急に家の片づけ。JAPANのオークション誌も見ていないのだが,行けなくなりそうな日程。24〜26日のホテルは既に予約済なのだが日程判明次第キャンセルになるかも。
 方々に山積みの段ボール数十箱を倉庫に運ぶ作業を甥・姪の三人で。夕方甥・姪が妹夫婦を迎えに福岡空港へ。21時過ぎに到着だそうだ。

 バンコク展でのカルチャーショックでしばらく何も手に着かない。来年3月のタイペイ展の準備と秋のプラガ展の申し込みをしないといけない。
 その前に「長崎郵趣」を作らなければ。
 JAPANオークション誌,今日も未着のため,問い合わせて送ってもらうことに。

2007年8月16日(木)
JAPAN未着

 お盆も終了したのでほっと一息。午後からバンコクの観光ビデオを観る。オーストラリアの主任審査員の聞き取りにくい英語を記録していたので甥にヒアリングして貰う。かなり訛りの強いオーストラリア英語だそうだ。甥はメルボルン工科大学3年生で一時帰国中のためちょうどよかった。概ね私が理解していたとおりだった。
 買い物に行き,夕食は焼肉で。

 JAPANオークションの型録が未着。中国へは行っているはずだが国内の分は打ち切り処理になったのか。

2007年8月15日(水)
お盆

 ゆっくり起床して,午後から祖母の墓参り。叔父宅へ寄り仏壇へ。早めに家の墓に参り,叔母宅へ。従兄弟家族が大勢。夕方大勢で墓参。帰宅後会食。甥の運転で4人とも帰る。

2007年8月14日(火)
帰国・お盆

 機内で朝食が出て,予定通り福岡空港到着。長崎行き長距離バスの九州号があるそうなので乗るのを検討するが,11時の分まで予約でいっぱいだそうで断念。よく考えればお盆の最中なのだ。地下鉄で天神に移動し,西鉄電車特急で大牟田まで。JRと有明フェリーを乗り継いで帰るつもりだったが,10時福岡発の大牟田行きは島原鉄道の高速船と連絡しているとの車内アナウンスがあり,それで行くことに。三池港まで連絡バス。港から50分で島原外港。12時15分着。船内で連絡していたため,甥と姪が出迎え。妹夫婦が銀婚式記念でパリに旅行中のため,この二人が帰省してきていたのである。夕方,買い物の後,叔父宅へ帰国挨拶。
 夕方墓参。

2007年8月13日(月)
帰国前日

 ゆっくり起床し,帰国準備。荷物の重量オーバーがないように綿密に計算。手紙などをしたためる。14時までチェックアウトできるが,13時にチェックアウト。近くのスーパー等で買い物。夕方17時にホテルで荷物を受け取り,BTSのエカマイ駅に。駅前に東バスセンターがあるので,そこから空港行きのバスに乗ろうというのである。しかし折からのスコール。駅から移動が大変なのでメータータクシーで行くことにした。スワンナプーム空港まで179バーツ。到着して空港の郵便局でタイの切手を貼り中国の学生に手紙を発送。その後税関手続き。チェックイン後再び税関手続きをして作品を受け取る。待ち時間に無線LANの電波がいくつも。その中の一つが無料で使えた。CATHAI1という無線局。ネットでメールチェックをしていると,チェックインの時間。作品を受け取り,入国手続き。中に入ってから今日の日記をアップロードしようとしたら,さきほどの電波に繋がらなくなっていた。明日帰国後アップになる。
 14日1時の出発なので,ほとんど13日深夜の夜行便である。2時間の時差が加わるので8時30分福岡着になる。

2007年8月12日(日)
国際展最終日

 昨日,日記をネットにアップしてから,ホテル前に約束の18時30分の5分前に行くが,会えず。18時45分になり,ひょっとして表に停まっていた黒塗りのワゴンだったのかと思い直し,ソンブーンスクイビット店へ。渋滞の時間帯でタクシーが行きたがらないのを行ってくれるタクシーで約50バーツ。小銭はチップ。店に着き「10分ほど前に来た日本人一行はいないか」と英語で訊くが「日本人は多いので自分で捜せとのこと。1階・2階・3階・別館2階と捜すが見つからず。ひょっとして本店かもと再びタクシー。折からのスコール。本店に着き,再び同じように捜す。結局見つからず,BTSの駅まで歩き,チットロム駅で降り,近くのフードセンターの日本食店のローストンカツ定食。21時過ぎホテル着。
 帰宅後時間通りに行けなかった旨のお詫びの電話。どうも行き違いになったらしい。ここまでが昨日の出来事。
 
 さて国際展最終日。長かった。でもあっという間のような気がする。賞はともかく,得るところの多かった体験であった。
 朝食8時。その後荷物の整理等でゆっくりホテル出発。会場ではどこからともなく,日本人参観者が集まる。
 ムエタイをタイの某有名蒐集家が案内してくれるという。日本人4人とタイの収集家2人で。昼食のあと,ムエタイ参観。某有名蒐集家のお祖母さんがオーナーのスタジアムなので顔パスで入れるらしい。放送席のすぐ後ろという一等席。全国放送の中継が有っているとのこと。
 ホテルまで送迎があり,19時に会場で会う約束をしてホテルで休む。18時過ぎに会場に着き,記念押印。12日分の記念印が一堂に押印できるので,Pスタンプに押印。すごい混みよう。
 19時から作品の確認,受け取り,税関手続きとなかなか手間のかかる作業。コミッショナーは郵送分の7作品の確認と,賞状・メダル・特別賞の発送を郵便局まで持ち込む作業。なかなか大変である。全て終了は21時過ぎ。近くのスーパーの上の食堂街でタイスキとシンハービール。でもゆっくりできず追い出される。
 いよいよ明日帰国準備である。

2007年8月11日(土)
アドバイス

 やはり豪華ホテルだと寝覚めがいい。レースのカーテンが二方向なので朝になると明るくなるので自然に目が覚める。S氏らと朝食8時。
 9時に会場へ出発。カードがあれば10時以前に1階の出入り口から入れると今日初めて知った。午前中Sさんと参観。トラディショナルの審査をした香港の若き審査員から自作に対するアドバイスを受けた。他の作品と比較してどうあるべきか具体的にアドバイスを受けた。ぜひ8フレームの作品を見てみたいと仰っていた。香港の使用例などの5フレーム目は,8フレーム作品では必要だが,5フレームでは入れるスペースがないので入れなくてもよいというのは,目から鱗の意見。各額面について,specimen,銘版,未使用にカバーで構成するのが基本。使用済はなくてもよいというのは伝統郵趣の基本とのこと。
 昼食は会場1階の食堂街でタイビーフカレー。とんでもなく辛かった。午後は,市場巡り。明日までが切手展の会期だが,やはり土日は人出が多い。
 夕食は,タイの審査員氏の案内で再び「ソンブーン」へ。

2007年8月10日(金)
アーノマ移動

 今日まで8泊したレジデンスラチャテウィーホテルをチェックアウト。キーの預かり金1000バーツが戻ってきた。タクシーを呼んでもらう。ほどなくベルボーイが呼びに来てくれ,荷物も運んでくれた。手元にあった20バーツ紙幣3枚を渡した。初日の出迎えといいほんとうによくしてもらったからだ。また機会があれば利用したいと思う。
 タクシーで今日からの宿泊ホテルのアーノマへ。展覧会のオフィシャルホテル。タクシーはわざわざ左回りに遠回りをして行ってくれた。右回りだとすぐなのだ。なんどか歩いて知っている。でもまあそれもいいかとおおらかな気分。重い荷物を運んでくれるのだから多少高くっても知れている。基本料35バーツのところ49バーツ。チップはやらずきっちり小銭で払った。
 アーノマでチェックインするが禁煙ルームはまだ空いていないとのこと。17時に来ると告げ荷物を預かってもらう。
 会場には11時前に到着。私の作品を熱心に見ている人がいて,挨拶される。出品者のSさんだった。昨日バンコク入りとのこと。昼食は4人で。
 午後からひととおり作品をSさんと見る。自作の解説もしていただいた。その横のNさんの作品もドイツ語ということで説明していただく。
 17時過ぎにチェックイン。19階の角部屋で前に伊勢丹とBTSが見えるので,西南向きである。
 夕食は3人で。伊勢丹の上のレストラン街の洋食屋。1000バーツ。
 インターネット24時間600バーツ。

2007年8月9日(木)
バンコク8日目

 月日の過ぎるのは早いものですでに1週間以上経っている。あと正味4日間で帰国である。ホテルがここに今晩1泊,明日からオフィシャルホテルのアーノマに3泊である。ここでの生活も慣れてきた。毎日帰ってから汗まみれのシャツ・下着を手洗いで洗濯,朝食をホテルのバイキングで,切手展会場は午後から参観,夕食は旧知の参観者と一緒にという具合である。
 日本からの参観者もあらかた帰り,今晩はSさんとサイアム1階のレストラン街の日本食「富士」で。カツカレーとビールで税抜き200バーツ。それに7パーセントのVATと呼ばれる消費税がつく。SさんとはBTS(スカイトレイン)のラチャテウィー駅で別れた。また日本のどこかで会うことだろう。Sさんは今晩11時の飛行機で帰国するそうだ。いよいよ日本からの参観者が私以外いなくなってしまった。残るは審査員の大原さんとコミッショナーの正田さんだけである。

2007年8月8日(水)
グリーンカレー

 今日の10時からアプレイザル(審査員との対話)の時間だったが,私は既に審査チームのリーダーの方と話をしていたので,特に話すこともない。日本人の参観者からの意見も入れて再度5フレームで出すことになる。ただし「昭和切手」はFIPの展覧会に出すことになるだろう。FIAP展は「長崎の外国郵便」でと考えている。
 今回バンコク展ではじっくりと作品を見れた。パルマレスも終わり,上位入賞の作品を効率的に。書き込みの仕方・レイアウト・地図の配置等参考になることばかりである。
 午後日本からの参観者と一緒に見る。夕食は有志でノボテルホテルの前の「KOZI」で。タイのグリーンカレー。辛い中にもココナッツミルクが入っておいしい。食後ノボテルホテルのラウンジで。Y氏が夜の便で帰るというので,ノボテルから見送る。久しぶりに21時前にホテル帰着。

2007年8月7日(火)
パルマレス

 一度起床し,朝食後二度寝したら午後。スカイトレインのラチャテウイー駅から一駅でサイアムスクエア駅。蒸し暑くないと歩ける距離だが,とても歩く気になれない。会場は人も少なくじっくりと作品を見ることができた。18時30分に会場を出て,パルマレス会場のアーノマホテル3階のアーノマグランドへ。19時30分開始。オープニングビデオは作品の搬入からプリンセスのセレモニー,会場風景,審査風景と切手展がよく分かる内容。司会者はタイの有名な女優とのこと。挨拶の後,民族舞踊に見とれているうちにいつの間にか料理が運ばれて来ていた。急いで食べていると名前を呼ばれる。いつの間にか表彰に移っていたのである。壇上に上がりメダルをいただいた。最後のグランプリはDOCTORイノウエ氏がノミネートされていたが,惜しくも呼ばれず。久しぶりの日本人の大金賞受賞にもかかわらず,残念という声。
 終了後私は民族舞踊の衣装を着けた方々と記念写真。4人全員と写ることに成功。完揃いである。マイナーバラエティはポーズをつけて。
 終了後近くのホテルのラウンジに移動し有志で祝勝会&残念会。私も前回のアドバイスをもとにライトアップとマテリアルの追加,貼り替え等を行ったにもかかわらず,2点減の82点。
 スカイトレインで帰ろうとしたら,24時30分過ぎなので,終電の後。日本時間26時30分である。2時30分とも言う。
 歩いて帰る。

2007年8月6日(月)
審査結果発表

 昨日とうってかわって,切手展の参観者が少なくなった。冷房がききすぎるくらい。賞が張り出される。私の作品は「Vermeil」。ワンランクアップならず。菊作品はワンランクダウン。タイからの出品作品が軒並み「G」なのに比して日本からの出品作品は低めの評価。ただし旧韓国は「LG」。軍事郵便は「V」。日本人の参観者と一緒に見る。私の作品を審査したチームのオーストラリアの主任審査員にどうしてこの評価になったか訊く機会があった。プレゼンテーションがトラディションの書き方ではないと特に第4フレームの書き方を例にして説明。あくまでも切手の額面を先に書くべきで,郵便種別を上に書くべきでない,初期印刷と後期印刷の別がわかりにくいとか,要するにLVに相応しくないということをいいたいようだ。前回84点なので多分これを下回っていることになる。
 夕方,Y氏がトムヤンクンという店に行きたいというのでタクシーに乗せられて行った先ははどうも様子が違う。メニュー表を見たら300バーツぐらいなので,数点注文し,食事が終わってレシートを見ると約2700バーツ。一つ一つ照合すると660バーツというのがあり,頼んでないというと,メニュー表には金額表示がなくいわゆる時価。4人で660というわけである。結局一人650バーツ支払って出た。観光客用の全く別の店に連れて行かれたわけである。ホテルに帰り,アイスコーヒーでしばらく今日の審査結果について話した後別れた。
 さんざんな1日だった。

2007年8月5日(日)
TAIPEI NIGHT

 昨日ハードな1日だったせいか,起床すると10時間近。すっかり寝坊してしまった。11時にホテルを出て,スカイトレインと逆の方向に歩いて会場まで行ってみた。途中露店でネクタイを29Bで購入。今夜のレセプションの服装はシャツとネクタイ着用とあったため,昨日から買わなければと思っていたのである。切手展のオフィシャルホテルであるアーノマホテルの位置を確認する。伊勢丹デパートの向かい。パソコン販売の電気ビルに立ち寄ったため,切手展会場のサイアムパラゴンへは12時過ぎ到着。タイでもパソコン周辺機器はBenQが躍進している。HDやメモリーカードも特に安いということはない。
 スターバックスコーヒで軽食。会場では続々と日本からの参観者。会場ではタイの切手展記念切手を買ったり,Pスタンプを作ったりと切手展関係の記念品を購入。コミッショナーの正田氏にお願いして出品者のプレートをもらった。これもいい記念。夕方から数人で某ホテルで落ち合い,来年の台北展のレセプション会場であるアーノマめざして行く。18時30分には到着。インビテーションを提示して記帳。参加者のバッジをもらう。台北展は2008年3月7−11日。台湾のプレゼンテーションビデオの後,主催者挨拶。会食後帰りにはパンフレットが入った特製バッグがお土産に。
 歩いてホテル着が22時過ぎ。10日から3泊オフィシャルホテルのアーノマを正田氏に予約して貰った。これで最終日までの宿が確定した。

2007年8月4日(土)
バンコク市内観光

 朝6時50分に慌ただしく朝食を済ませると,7時に旅行社「スカイツアー」の日本語ガイドがホテルフロントまで迎えに来てくれた。市内観光半日コース(5000円)を昨日のツアーの旅行社に依頼したのである。I夫妻は行かないそうなので,Nさんと二人で行く。ノボテルホテルに7時15分。あと二人のいるシェラトンホテルで7時40分に行き,総勢4人のツアー。
 最初はバンコク市内を流れる大河チャオプラヤー川を渡し船で渡り「ワット・アルン(暁の寺)」へ。船上から綺麗に見えた。天候も申し分ない。塔の登れるところまで登るが急な階段。降りるとき恐いかもしれない。再び船で対岸に戻り,近くの「ワット・ポー」へ。タイの4王朝の説明などを聞く。ここは黄金の涅槃像で有名。欧米からの観光客も多数。
 「グランドパレス(王宮)」の入場料は250バーツなので約1000円これもツアー料金に含まれる。タイといえば必ず出る「ワットプラケオ」の三列の塔も見ることができた。「エメラルド寺院」の由来や王宮での自由散策。ここまで見終わるとお約束の免税店。ここまでひととおり案内されると12時過ぎ。昼食はバンコクプリンセスホテルのバイキング。ガイドお勧めの中華麺は美味。この料金も含んでのツアー料金なので非常に満足度の高いものだった。
 ノボテルホテルまで送ってもらい,私は切手展会場のサイアム・パラゴンへ。会場で作品を見,ブースを見る。とあるタイの切手商の100円ショップのようなカバー屋さんで「JAPAN?」と訊くとブースの中に入って自由に選べというので全世界からのタイ宛の郵便物を順に見ていく。先客は香港・中国カバーを選んでいる。17時過ぎに切り上げて,会場でN氏に会う。I夫妻が「トムヤンクン」が食べたいというので,昨日と今日のガイドに訊いてみたところ二人とも「ソンブーン」を勧めたので,ここに行くことにしたのである。「ソンブーン」のスリウオン店は小泉さんも訪れたという有名店。ノボテルホテルから近いのでホテルのボーイにタクシーを交渉して貰うが,なかなか行ってくれない。夕方のラッシュアワー時には混むところで近くは行きたがらないのである。結局5人100バーツで行ってもらうことで話がまとまった。5人で食べられるだけ注文して,ビールも飲んで2200バーツ。
 帰りはI氏婦人がノボテルホテルまで60バーツで交渉してくれた。ラッシュアワーでないので運転手も歓迎である。
 私はノボテルホテルで一行と別れ,スカイトレインで1駅。21時過ぎには帰宅。

2007年8月3日(金)
BANGKOK2007開幕

 朝,早起きして朝食はホテルのバイキング。出発が9時過ぎ。既に少し歩くと滴る汗。スカイトレインが20バーツ,タクシーが35バーツが初乗り。ということでタクシーで。39バーツ。会場のサイヤムパラゴンは10時開場。少し待って開場とともに入る。まず自分の作品を探すが,ない。と思っていたら,コミッショナーの正田さんと会う。税関の手続きができていないので展示されていないという。その手続きをしに行く。手続き終了後,展示していく様子を見ることができた。もちろんその様子もデジカメにおさめた。
 その後,日本からの出品物10作品を丁寧にコミッショナーの正田さんと見て歩いた。
 13時過ぎに4階のレストランで正田さんと昼食をしていると背後から声が。出品者のNさんとIさん夫妻。夕食はツアーのオプションに行くとのことで私もご一緒することにした。
 会場に戻ると,切手展の代表者であるプリンセスのご来場で13時から18時は入場制限。出品者だといってもカードがないとダメと言われて引き下がる。コミッショナーから出品者用のカードをもらってもらわないといけないそうだ。
 仕方がないので会場から歩いて数分のNさん宿泊のホテルで休憩。無線LANの電波が入るのでHPをアップできるかもしれない。格闘2時間,結局ホットスポットの電波をつかまえて無料でアクセスできた。一時数カ所のホットスポットの電波が入るが有料が2箇所。「ノボテルホテル」からは「waterloo」というホットスポットが無料。
 夕食はNさんらと一行4人のタイスキツアー。日本語の通じる旅行代理店から通訳人とワゴンでの送迎付。「コカ」という店だが,阪急交通社等のツアー客向けのため日本人の口に合うような味になっているらしい。ツアー料金3000円を日本円で支払うが,ビール代は別。送迎はノボテルホテルまでだが通訳を会して運転手に私の宿泊ホテルまで行くように交渉してもらう。運転手がホテルの場所が分からなくて何度も道を尋ねてやっと到着してくれた。チップを紙幣で。

 ホテルに着き,パソコンの無線LANを検索すると宿泊ホテルでもホットスポットがあるのを発見。アカウントとパスワードを書いた紙をフロントで販売している。1時間60バーツ。このパスワードを使ってビジネスセンターのパソコンで使用できるが,自分で無線LAN付のパソコンを持参すれば自室でも可能である。ただし1時間はあっという間。自分のパソコンを持って行くメリットは日本語の環境で使用できるということ。現地のパソコンでは日本語で読めても書き込みができない。インターネットのホットスポット接続料金はノボテルホテルでは何倍かしていたので,ホテルの宿泊料金に比例しているような印象。速度も遅い。2Mぐらいが普通。ADSLに慣れているとちょっと感覚が違う。
 メールはoutlook等のプロバイダ系は使用できない。中国では使用できたので,大丈夫だと思っていたのだが,pop3が使えないようだ。ヤフーメールは問題なく使用できた。

 163000アクセス。

2007年8月2日(木)
バンコク到着

 朝5時に出発。8時30分には福岡空港出発ロビーに到着。9時バンコク国際航空のチェックイン。10時過ぎには搭乗口ゲートに到着。11時福岡空港出発。16時30分バンコク空港着。2時間の時差があるので14時30分に時計を変更する。
 空港のゲートを出る前に税関の近くの切手展関係者の受付で作品を預ける。税関の職員が作品の入った袋を針金で十字掛けし最後に鉛で留めるところまで見ることができた。もちろんその様子もデジカメに収めた。
 作品を預けて少し軽くなったバックパックを背に出口を出てバスを探す。『地球の歩き方』片手に市内までの行き方研究。リムジンは1100バーツ(1バーツ35円)。リムジンバスが200バーツくらいということで,シャトルバスのバス停で待っていると日本人らしき若者が『地球の歩き方』を片手に持っているのを見た。話しかけると名古屋からだという。話していると私の『地球の歩き方』バンコク版は06−07,彼のはタイ版07−08。空港が変更になったらしく,彼の本には新しいスワンナプーム空港の案内。私の本のは旧い空港案内。これではわかるわけがない。とにかく市内まで一緒に行くことになった。シャトルバスでバスセンターまで行き,551番の市内行きの路線バスで市内まで。時間はかかったが,急ぐ旅でもないので各停留所に停まりながらのんびり。降りるべきバス停を車掌に訊いていたら,そのバス停になったらここだと教えてくれた。その場所とは「ビクトリーモニュメント(戦勝記念塔)」。ここからスカイトレインに乗り換えて行くといいという。非常に親切な車掌。乗客がコインを落とした時も拾ってくれたのをみてもそう言える。某国に比べて民度が高いような印象。大学4年生だという若者とはここで別れた。路線バス34バーツ。

 スカイトレインの駅も「ビクトリーモニュメント(戦勝記念塔)」駅。そこからホテルに近い駅まで2駅。20バーツ。この時点で16時過ぎ。そこからホテル探しの放浪が始まった。『地球の歩き方』の地図であるべきところにホテルが無い!2時間隅から隅までこの路地を隈無く探す。この夏で全部の汗が出たのではないかというように汗が出た。結局ここに違いないという工事中の現場の人に訊くと確かにここだという。廃業したのだろうか。その親切な人が近くのホテルに行き,そのホテルの人が宿泊予定のレジデンスホテルに連絡してくれ,ベルボーイを迎えにやるとのこと。やっとのことで到着。要するに地図が間違っていたということである。荷物を運んでくれたベルボーイには20バーツ紙幣のチップ。
 近くのセブンイレブンでパンとビールとつまみその他を購入。疲れた1日だった。

2007年8月1日(水)
作品完成

 しなければならないことが多い。『北國春城通信』3号完成。在籍校にファイルをメールで送信。その後1号から3号までを各20部カラーで印刷する。中国派遣教師の会が8月4日に行われるのだが,その席で私の報告に代えて出席者に配布して貰うためである。途中カラーインクが4色分なくなり,ヤマダ電気に買いに行く。同窓会館から来てくれというメールで夕方出かける。同窓会誌の編集のレクチャ。意を決して一から作品制作にかかったのが昨日夜。なんとか本日夜に完成。画像をスキャンして明日出発の準備。
 バンコクに持って行く荷物を減らして16キロ。衣類は向こうで洗濯しながら過ごす予定。

  2007年8月


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