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2007年7月31日(火)
移動日

 朝,7時30分にホテルをチェックアウト。京急蒲田から羽田空港へ。空港の出発ロビーへ。SNAカウンターは一番奥。チェックインして,ゲートを抜け空港の飛行機搭乗口に8時30分着。9時30分発なので誰も来ていない。パソコンを起動させ『北國春城』通信3号を作成。昨日のスピーチコンテストまでを入れる。記憶が新しいうちに記事にする。
 9時30分に羽田空港を離陸。11時30分長崎空港到着予定が11時15分に到着。15分も早く到着するのは驚き。よほど追い風に乗ったのだろうか。
 帰宅後上田歯科に連絡。東京で生ビールを飲んでいるときにはずれた奥歯の詰め物をなんとかしてもらいたいのだ。16時30分に来てくれとのことでその時間に行く。結局金属は合っていないし作るのでは明日までに間に合わないというのでプラスチックできれいに成形してくれた。18時30分帰宅。途中眼鏡屋で眼鏡の調整。
 作品制作。

2007年7月30日(月)
中国日本語スピーチコンテスト

 ゆっくり起床し,10時にチェックアウト。
 実は昨日早くホテルに帰ったもののヤフオクの戦いが20時台から22時台まで。戦果は四十数点。途中,学生から私のケータイに電話があり明日頑張ろうと励ましたりして。29日に北京経由で東京に着いたのである。
 今日はまず宿泊予定のホテルまで荷物を運ぶ。東京乗り換えで蒲田。チェックインできるというので手続きをして,荷物をフロントに預け,部屋に入ることなく再び蒲田駅から東京駅経由で大手町へ。歩いてもよかったのだが,12時過ぎなので,丸ノ内線で。「ていぱーく」はA5出口だがスピーチコンテストの会場の日経ホールはA1の出口。あいにくの土砂降り。12時30分受付というので入り口でF先生とF先生の後任の K先生とお会いする。そのうち K先生ご夫妻が到着。受付をして招待者の座席の場所に東北師範大関係者分6席を確保。出場学生とも会い励ます。
 中国8地区の予選を勝ち抜いた16名と主催者選抜枠の1名の計17名が出場選手。予選183名出場で校内選考も含めると8000人中の17名である。中国全土で300の大学に日本語科があり,40万人の大学生が日本語を学んでいるという。40万人というと,センター試験受験者に匹敵する人数。その頂点の17人といえなくもない。
 昨年が第1回で今年が第2回。まだまだ試行錯誤の段階で,昨年と大きく変わったのが,留学経験者は出場できなくなったこと。課題と3分間スピーチの二本建てが,課題とそれに関連した質疑応答に変わったことである。17名も昨年は北京地区から3名だったのが他地区同様2名になり,別に主催者枠が1名になった点。今回は西の地区から1名選抜。
 結果発表は18時過ぎ。本校選手は審査員特別賞。コンテスト終了後のレセプションもF先生からあなたが出なさいということで日本人教師の代表として出席。経団連ビルの6階でのレセプションに出席。出場の学生は17人とすっかり仲良くなったようで,安心。異国の地でさぞかし心細かっただろうと心配していたのである。逆に引率の先生や親しくなった友人を紹介してくれた。出場学生一行は明日から企業等の視察旅行。東京・京都・大阪と約1週間。長春での再会を誓い別れる。
 終了後蒲田のホテルに帰り,ヤフオクすることもなく就寝。明日は早いのである。そのための蒲田泊。

2007年7月29日(日)
サマーペックス2日目

 午前中知人と会い,別れて新宿の「11(イレブン)イマサ」でカレー。30年前の学生時代から変わっていない。大学が京王線乗り換えだったため京王線から代々木方面へ行く地下道の一角。代々木と言えば郵趣会館である。足繁く通った名残の店。上京したら何時でも行く定番のカレー屋。郵趣会館といえば番野さんや金杉さん・成田さんのヤング会,後の江戸悪奴(エドワルド)会である。今年このメンバーでスタンペックスという国際展級の展示会を行えるのは当時考えられなかったこと。
 そんなことを考えながら,大手町の「ていぱーく」へ。メインはブースの感。JUNEXは1階の一角。フリースタイルワンフレーム展はどこかと公式パンフレットを見るとなんと2階。ひととおり見る。
 エドワルド会現総裁のお店に行くと副総裁が。『郵趣』9月号のスタンペックス特集のゲラ刷り校正。私の出品作3作品のうち『新版田沢』が『新大正毛紙切手』になっていたのを訂正。昭和白紙切手も含むので新版田沢切手が正しい。けっこう買う物があるもので,閉場まで。某ブースで最後までねばったK氏と新宿に移動し,ビアホール「ライオン」で夕食。
 東京に来ると知らないうちにずいぶんと歩き回るので疲れる。

2007年7月28日(土)
サマーペックス2007

 30日の中国日本語スピーチコンテストの決勝応援のために上京するが,都合よく今日から「サマーペックス2007」。
 12時05分発の飛行機なので,9時台に自宅を出,諫早経由で長崎自動車道を大村で降り,11時過ぎには駐車場へ到着。送迎バスで長崎空港へ。搭乗便はSNAとANAの共同運行便らしい。私のチケットはSNA。スカイネットアジア航空のバーゲンセールで片道10800円で2ヶ月前に予約したもの。つまり公務でなく完全に個人負担の応援である。
 14時15分頃空港を出,ホテルに荷物を置くために池袋へ。チェックインして大手町に行くと16時過ぎ。長野氏と会い,手前のブースを見たところで閉場の時間。有志数人とサンケイビルのスターバックスコーヒーで飲み物片手に最近の話題。バンコク展のリーフ画像を見てもらい改善すべき点のアドバイスなどをいただく。最後の一人が揃ったところで,東京駅へ移動し,八重洲口の飲食店街で会食。
 ホテルが池袋というのはJAPEXの時に見つけたのだが,意外によかったので2泊。12000円台というのは破格の値段。これも2ヶ月前の予約。大手町へも丸ノ内線へ1本なので便利。難点は駅まで10分という点。ホテル到着後,就寝。実は昨夜ほとんど寝てないのである。

2007年7月27日(金)
ダイナフォント

 土日は出かけ,その後さらに2週間出かけるので,その分の薬をもらいにS医院へ。院長の診察。先日の血液検査の結果が出る。異常なし。A型とB型肝炎の予防ワクチンの接種。3回打つ分の1回目。2回目は1ヶ月後,3回目は4ヶ月後くらいにしなければならないそうだ。
 帰宅後,作品の制作。98時代に購入したダイナフォントの欧文字体3000種を探したが,ずばりそのものはなく,似た字体で代替。

2007年7月26日(木)
フォント

 今日こそこもってアルバム整理だというときに,電話があり,島原市南部まで出かける。昼食を一緒に食べ,さらに南に行く。車のガソリンが少なくなってきたが,近くに以前担任をした教え子がガソリンスタンドに勤務しているのを思い出し,行ってみた。久しぶりに会い,消息を知る。
 夕方帰宅して,やっとアルバム整理にかかる。以前使用したフォントがない。フォントに困るなんて言っている場合ではない。以前の作品を画像で読み出して貼り付けるが,なんか不自然。タイトルリーフと2ページの説明文ができた。

2007年7月25日(水)
タイムリミット

 長崎の知人に会うために高速で出かける。昼食を一緒にし,水辺の森レストランでアイスコーヒー。夕方帰宅し,ビールを飲んで休む。
 満州切手の整理もしたいが,まずは昭和切手のアルバム整理。
 だんだんタイムリミットが近づいて来ている。

2007年7月24日(火)
50

 昨日が長崎大水害25周年,明日が諫早大水害50周年と梅雨末期の大水害の頃である。私にとっても50周年の節目の日。
 作品の制作。入れ替えの切手を探す。今回単片満月も大幅に入れ替えることになりそうだが,その捜索も時間がかかる。

2007年7月23日(月)

 在宅。夕方帰国の宴を有志でしていただけるということで「とっとっと」へ。ビアガーデンの前売りが3000円だそうだ。懐かしい方々とお会いできゆっくりと話ができた。
 2次会はカラオケを久しぶりに。もう1軒行き久しぶりに24時過ぎ帰宅。

2007年7月22日(日)
筑後地方切手の集い07

 昨年は,鳥栖出口で道に迷ったため,鳥栖を通り過ぎて小郡インターで降りる。そのせいか9時50分には会場の小郡市生涯学習センター(旧七夕会館)に到着。10時から開始と思っていたら,受付が10時からで開始は10時30分から。田畑本部長からも今日はずいぶん早いねと言われるが,心にゆとりがあるためだろう。
 田畑氏の講演のあと,抽選会・昼食。テーブルバザール・盆回し切手交換会とあっという間に16時の閉会。
 会終了後,来年度の九州郵趣家の集いの件での会議に出席。17時30分に会場を後にして,鳥栖インターから多久インターまで。小城市の知人宅に立ち寄り,久闊を叙し食事を共にした。帰宅23時。

2007年7月21日(土)
表札

 終日在宅。表札のセールスマンの易学の講釈を聞く。母が既に注文済み。自分では絶対出せない金額。
 明日の準備をする。

2007年7月20日(金)
終業式

 午前午後と作品制作。夕方,島原半島南部の某市某町に行く。今日は小学生が通知表を持って帰る日。夕食は3人で焼肉レストラン。食後にその前にあるジャスコのミスタードーナッツでデザート。少々の買い物をして,「チャングムの誓い」を見て,ニンテンドーDS「漢検」で遊んで帰宅。

2007年7月19日(木)
調味料

 午前中とある場所で懐かしい方と会い,近況報告も兼ねて昼食。某ホテルのレストランは店休日。以前地ビールレストランだった「シュロスプラッツ」に行く。
 午後在籍校に行き,校長に帰国報告。
 夕方,諫早の友人の歯科医にお土産を持って行く。4月の出発前日にお世話になったお礼である。料理が趣味という彼のために調味料を買ってきたのである。偶然にも今使っているメーカーの本場物もあった。しばらくして県議選の応援に行くのにあわせて帰宅。ここずっと仲間の候補のために詰めているそうだ。

2007年7月18日(水)
掛軸

 そろそろ,バンコク展の作品作り始動。でも以前のレイアウトデータが出てこない。pdfばかりが残って,パーソナル編集長のデータが見つからない。これは3月中国に行く前から探しているのだが,見つからない。
 午後から叔父宅に帰国挨拶。掛軸2幅と白酒。掛軸はもう一人の叔父の分もである。
 祖母の仏壇の横の床の間に正月飾るのに相応しいもの。
 やっと散髪に行く。親類の伊藤理容院。子供の頃に通った畑の中の小径を蜘蛛の巣に注意しながら歩いて行く。近況報告など。

2007年7月17日(火)
帰国挨拶

 まず,行き付けのS病院の院長先生の診察を受ける。常用の薬を処方してもらう。その後在籍校に行き,挨拶。お二人の教頭とも初めてお会いする。餞別をいただいた方にお土産と挨拶。職場全体にも手みやげを。昼休みにかかり放送部の生徒にも会うことができた。私の姿を見るなり「痩せた」との第一声。お土産のお菓子を渡す。校長は不在だが,13時頃には戻ってくるとのことで,その間薬局に処方薬を受け取りに行く。再び戻ると,学校に寄らずに「青楓塾」に直行したとのことで,後日伺うことにした。
 長崎の県教委に挨拶に行く。その後知人と会い,帰宅は20時。

2007年7月16日(月)
休日

 在籍校に挨拶に行こうと思っていたのだが,今日は休日ということに気づく。挨拶のため行くも叔父の家も留守。3連休だったのだということに初めて気づく。
 舞岳源泉に水汲みに行く。何時行っても人が多い。

 JPSオークションの落札品届く。

2007年7月15日(日)
長崎郵趣会

 昨夜は,留守中の郵便物や雑誌の整理で夜遅くまでかかる。11時前に長崎に出発。台風一過というのに曇天。会場の長崎北局に行くとロビーにみなさんお揃いである。13時に一斉に3階に上がる。今日は私の中国の郵趣事情。最近集め始めた満洲切手のアキュムレーション。
 会終了後,西洋館のファミレスで。このころには台風一過らしい青空に。長崎では久しぶりの青空だそうだ。電車の方たちは生ビール。私を含めた3人はパフェ。8月は公共交通機関でくるようにとの事だった。
 ヤマダ電機でパソコン関連の消耗品を購入。19時過ぎ帰宅。

2007年7月14日(土)
台風4号

 早く長崎に帰らないと,台風が近づいているので高速道路が閉鎖にならないとも限らない。
 佐賀の鳥栖ジャンクションを過ぎたあたりから雨はやみ,風が強いだけになった。金立で一休み。諌早インターを降り,昼食は森山の「浜カツ」で。久しぶりに旨いトンカツを食う。
 行きつけの整備工場に寄ると,ビートは台風がくる前に車庫に入れたとのこと。休み中,廃車寸前のマーク2を借りることになった。私の車は北九州の甥に2年間貸し出し中なのである。セカンドカーのビートで休み中は過ごそうと思っていただけに,ありがたい。
 郵便物の開封数十通。切手とカバーがざくざく。でもバンコク展に使えるのは数点ぐらいか。
 明日は長崎郵趣会だが,台風は四国方面に行ったようなので,多分大丈夫だろう。

2007年7月13日(金)
帰国

 結局ほとんど寝ずに,荷物を入れ替えたりして過ごした。朝6時に部屋まで卒業生のO君に来てもらいスーツケースを運び出す。タクシーは空港まで往復120元で話をつけた。カードを記入して,出国ゲートへ。ここからは私一人だ。チェックインの時,荷物の重量が55キロほど。重量オーバーの代金2000元払えという。手持ちの元は数百元。クレジットカードでいいかと聞いても埒があかない。日本円でもいいかと聞くと1万円が600元のレートだという。背の高い人が来て端の方に連れて行って3万円と200元払おうとしたら3万円だけでいいという。それでバイバイというので,レシートを要求したところしらばっくれるので,しつこくいうと,カウンターに行き,カウンターのお姉さんがレシートを書いてくれた。19.5キロオーバーで1650元と書いてある。3万円払ったままで,おつりもなし。3万円というと,福岡・長春の片道運賃より高額。後から考えると,本を20キロ分出して外にいるO君にSAL小包で送ってもらった方がよかったのだが,そんなに機転が利くわけでもない。けっこうこのやりとりで時間をくった。おまけに団体客で手荷物検査がはかどらない。これで乗り遅れたら問題になると思ったのか,先ほどの重量オーバーと言った職員が手を引いて優先的に先にやってくれた。
 7時50分ちょうどに出発。3時間あまりの飛行時間だが,時差があるので12時過ぎに到着。迎えの車に乗り,北九州の妹宅へ。
 日本は梅雨でじっとりと汗ばむ時期。インターネットが快適である。サクサクページが表示されるのは気持ちのいいものだ。おまけに表示されないページもないし。しかし中国で朝日新聞のサイトにアクセスできないのはなぜだろう。サンケイ新聞はしっかりアクセスできるのだが。それとウィキペディアが表示出来るのは日本に帰ってきた感じがする。中国でウィキペディアにアクセスできないのは有名な話だ。

2007年7月12日(木)
最後の夜

 学部事務室から小包の通知書が届いたというので,取りに行くことに。ただ在籍校への報告書『北國春城通信』の2号をここ数日作成していたのだが,なんとか夕方までにできそうなのでこれが完成してからと粘る。結局16時30分にタクシーで受け取りに行く。昨日の局員が何か言っているので,ケータイでY君に取り次いでもらうと昨日の郵便物は10元不足していたので10元払えということらしい。受け取りをみるとたしかに23元2角の不足。でも不足の10元はどのように処理したのだろうか。到着が楽しみである。
 夕方卒業生有志と食事会。「老昌春餅」は東北地方の郷土料理らしい。スーパー恒客隆(ハンクールン)で職員室用のお土産を購入。
 着替えて,長春最後の夜は「天倫」。すっかり身が軽くなった気分。23時帰宅。
 明日は,7時50分の飛行機なので,6時出発である。12時福岡着。直行便は速い。

2007年7月11日(水)
竜宮城

 帰国準備で冷蔵庫の中の食品,特に野菜類を片づけている。昨夜思い切ってカレーを作ってみた。カレールー自体は4月に韓国料理店で購入していたのだが,なにかと億劫で作らずにいたのだ。材料は角切り牛肉は冷凍庫に買ってきており,タマネギ・ジャガイモ・ニンジンの買い置きもある。われながら美味くできた。ルーは一箱の半分使用で6皿分だが,多分3食分。
 午前中に513号室に出校して,部屋の整理。3ヶ月でずいぶんと資料も溜まった。でも日本にいたときに比べると少ない。こちらに来てコピーを使った事がないのだ。もちろん印刷室に行ってコピーしてもらう手続きが面倒なだけであるが。印刷は週に1度作文の資料を印刷しなくてはならないので,ずいぶんと依頼した。この印刷はクラスごとに記録して一人あたりいくらで学生個人に請求するとなると,どうしても厳選してしまう。簡単な資料だったら,研究室備え付けのページプリンタで30枚印刷することになる。用紙は私の個人負担である。
 県教委からの新聞の小包の通知が届いてないか学部事務室へ行くがまだとのこと。小包は宅配でなく郵便局に受け取りに行くシステム。おまけに5日過ぎると日割りで保管料を取られる。明日までに届かないと受け取りを同僚の先生にお願いしないといけない。
 午後Y君と重慶路の古玩城に出かけ,購入したものを桂林路の郵便局から差し立てる。航空小包400元。
 書類も発送したが恐ろしく時間がかかる。以下のやりとりはY君を介してのもの。印刷物だと確認させるために封をしないで行ったのだが,時間待ちをしている間に担当者が替わり,印刷物かどうか開封しろという。もう一度開封し,確認。今度は貼ってある小型シートでは不足分の13元2角分の切手が貼れないので,はがせという。小型シートの印面以外に貼ったらいいではないかというと,ここも切手だから貼ってはいけないという。そんなことはないこの目打ちで囲まれた部分が切手であってそれ以外は単なる紙だと言うと,誰がそんな事を言ったのだと取り合ってくれない。そんなのは世界の常識だもっと上の人に聞いてみろと言うが相手にしてくれない。とりあえず13.2元分の切手(2元6枚,60分2枚)を購入し,貼る位置をさがす。宛名の部分に貼り,再度宛名をその横に小さく書く事で決着。しかし局員が小型シートをはがそうとするなんて切手は個人のものでなく国家のものだと思っているのだろうか,そして郵便はお上が差し出してやっているという意識なのだろうか。日本郵政公社がまっとうなサービスをしているような気になる。しかし事務室で貰う使用済みの郵便物はけっこう切手を裏に貼っているのが多いのだが,私が出す郵便物は裏に貼ってはいけないという。国際郵便物は裏に貼ってはいけないという決まりでもあるのだろうか。小包やEMSの支払いには現金のみ。切手は使えない。桂林郵便局はけっこう大きな郵便局なのだが,そこの窓口に常備してある切手の最高額が2元というのはたいていそれで用がたりるのであろう。しかし5元や6元切手があるのに常備していないなんて日本では考えられないこと。だから過去に発行された切手で8元の小型シートがあるので,それらを切手商で買ってきてはせっせと実逓便で差し出すことになる。将来郵趣というものが他の国並に,仮に根付いたとしたら貴重なマテリアルになるはず。でもそんな日は来ないような気もする。
 理不尽な局員の対応は日本人というものに対する一般の意識かもしれない。普段,大学で接する学生や職員の方は親日的な人ばかり。でも7・7の反日映画・テレビ等での残虐非道ぶりを刷り込まれた一般の人の意識下には確実に反日感情があるのだろう。これは大学にいただけでは気づかない真実。
 再び大学まで帰り,国際交流課のLさんに両替をしてもらう。1000元で16500円なので,ずいぶん元高である。
 研究室に戻り,整理していると,スピーチコンテストの Kさんが服の注文の件で報告。K教授やR教授にも見せて服の注文をしたらしい。土曜日の送別会でもスピーチコンテストでの衣装は印象が強いだけに重要という話が出て,Y先生にも相談に乗って貰いたいということを言っていたので,電話する。直接相談して貰えるようになった。ついでに小包の受け取りの件もお願いした。何着か仕立てるらしい。男物のチャイナドレスをシルクで仕立てるとして400元ぐらいでできるそうで,少し心が動いた。

 夕食は赴日予備校の先輩のO先生と。赴日予備校の先生は7月いっぱいで帰国されるので,今日で別れである。東方餃子王で。この3ヶ月半の感想はと聞かれて「竜宮城に来た時みたいにあっという間の3ヶ月でした」と答えた。日々備忘録で駄文を書き連ねているが,これが偽らざる感想。願わくば期間満了後に帰国してあっという間に年をとってしまわないようにしたいものである。日本語教育と国語教育で使う文法用語がちがうという興味深いお話を拝聴する。ごちそうしていただいて帰宅。

 「全日本郵趣」到着。長野氏の新小判。設楽さんの解説が氏の話し口調が聞こえてくるかのような名文章。でも一箇所首肯出来ないのは,3銭のリーフで12目打ちの初期使用を2段目に持ってきた方がいいというアドバイス。この額面は100面版と400面版での版別に分類しているのであり,このままの分類でいいはず。強いて言うなら,400面版の12目打初期使用を探して2段目の最初に持ってくるようにしたい,程度にすべきだろう。大学時代に長野氏と私が自宅まで押しかけていったことまで記されてあり,一気に約30年前にタイムスリップしたかのような懐かしさを覚えた。あのときの昭和切手はどうなったのだろうか。

2007年7月10日(火)
単票提出

 午前中,まず最初に国際交流科に行き,中国元に両替。ずいぶん元高になり4月当初の両替に比べ受け取る元が少なくなってきた。具体的に記すと,4月1980元だったのが今日1856元と100元以上も違うのである。用事を済ませ外国語学院の事務室奥の成績処理担当の方に期末試験関係の書類を提出しに行くが,他の書類はOKだったが成績単票だけは,大学のHPにアクセスして教員のページからログインして成績をHP上で入力してそのページをプリントアウトして提出してほしいとのこと。先週はまだHP上からアクセスしても今期のデータが入力されていなかったので,手書きでいいだろうとのことだったが,今週システムが整ったらしい。さっそく513号室に帰り,中文のHPでもなんとかデータ入力まではできた。印刷がうまくいかないのと聴講生の成績分の記入の仕方がわからないので,パソコンに詳しい男のR教授に電話をかけたら,すぐ来ていただき無事印刷完了。印刷設定で余白を上下左右10ミリにすることという細かい注意書きがあるそうだ。聴講生と留年者は手書きにすればいいとのこと。
 プリントアウトした成績表単票を3階の事務室に提出。これでほんとうに今期の仕事が完了。この時点で12時過ぎていたのだが念のためK君に電話するとこれから食事するところだという。北食堂で落ち合い1階を見た後,やはり2階へ。ビーフンをワンタン状にした平べったいものとキュウリの千切りをしたものとをあえたものを何人か注文していたので食べてみる。食後アイスとペプシコーラを買いK君は寮に帰るので食堂前で別れる。3年生は今日は試験がないのだが,レポートの提出があるので今日は忙しそうである。
 414号室に帰り,読書。このパターンが定着した。日語系(日本語科)の部屋なので小さい図書館といった趣。読書していると中国人教師L先生が来られ土産物の話になる。お菓子類は日本のものがおいしいので,チョコやクッキー類はお勧め出来ない,お茶などが無難だろうということになった。中国人が好むおやつは「瓜子」と呼ばれるひまわりの種を炒ったもの。大小様々なものがスーパーや路上でよく売られている。事務室のRさんから食べ方を教えてもらい食べれるようになった。
 事務室が開く13時30分になったので午後の行動開始。513号室に帰り,書類整理しているとO君がやってきた。久しぶりに4年生,もう卒業生だが,O君に会った。大学院に進学するのでその準備と読書しているとの近況報告。午後からの買い物につきあってもらうため電話したらこの時間帯ならいいということで,来て貰ったのである。バスで重慶路へ行き,偽満州関係の書籍を買い小包で郵送。小包の送料が259元と高額。掛け軸はいいと思ったものは値段を聞くとやはり高額。それでも7本購入。名のある人はその由来の書かれた本のコピーももらう。箱に入れて貰ったらけっこうかさばるのでタクシーで帰宅。
 インターネットはつながりはするのだが速度が異常に遅くて,HPが更新できない。転送速度が遅いためサーバーにアクセスできないのである。昔ながらのFFFTPを使ってのアップロードだから,最初アクセス出来ないときは慌ててしまった。パスワード等は日本に帰らないとわからないのでHPの更新ができなくなるからだ。更新出来ないときは,掲示板を日記代わりに使おうと思っている。

2007年7月9日(月)
帰国準備

 午後成績表を事務室に出しに行くが担当者が不在とのことで明日提出するようにということで明日再び出校することになった。
 お土産のお茶を買いにY君と行く。郊外の中東大市場である。お茶屋3軒から少しずつ購入。待っている間にお茶を飲みながら文学史のレポートの話。Y君は徒然草のレポートで冒頭の文と最後の仏の問答の話,つまり最初と最後の段からみた徒然草というのを書いているそうだ。序文はたしかに意義があるが最後の段は過去のことを思い出して書いたもので,序文ほど意義を込めて書いたとは思われないのでどうかとアドバイスする。竜頭蛇尾という言葉があるように首尾一貫しているのが文章で,そのためには最初と最後に注目するというのは,切手の展覧会作品にも通じるような示唆的な話ではある。待ち時間が長いというのは,産地から届いた袋から直接取り出してその場で小袋に真空パックして茶筒に入れてくれるからである。したがって10個作るのにはかなりの時間がかかる。でも客が自分で見て嗅いで味わったものを直接入れてもらうのだから間違いがないわけである。羊頭狗肉ができないわけだ。購入したのは中程度の鉄観音茶。
 市場入り口近くのバッグ専門店に機内持ち込みサイズのキャリーバッグ。バンコクに行くのに手頃なものをみつくろい値段交渉。店員が290元というのを私が250元にというと,250と言う数字は縁起がよくないので251元がいいですとY君がアドバイス。250は,のろまとかまぬけという意味があるそうだ。251という数字はわが古里の国道251号線と同じなので縁起がいい。251元で購入。
 遅くまで付き合ってもらったので夕食を一緒にする。韓国料理店の3軒並ぶうちの真ん中に入る。牛カルビ小だが出てきたのは二人で食べられるかという量。がんばって食べましょうとY君。野菜・キムチ類はお代わり自由。客が少なかったので,隣の卓で店の人が焼いてくれた。カルビ50元にビール2本で24元、計74元。

2007年7月8日(日)
デジカメ画像の整理

 天候がすぐれないのかあたりが暗い。終日外出せず。昨日の記念写真まで入れたこちらに来てからのデジカメ写真をDVDに焼く。同僚の先生用には参加したイベントごとに2パターン用意して作成。写真の整理もなかなか大変である。4ギガ超あったがどうにか1枚に収まった。
 帰国準備でお土産を購入しに行かなくてはならない。

2007年7月7日(土)
送別会&慰労会

 さんぱちラーメンで鰻丼を食し,昼から買い出し。日本では車で買い物だから車まで運べば重さで悩むことはないが,こちらでは自分で運べるものが購入単位になる。米もしかり。バックパックでは5キロまでがいいところ。ビールも6個セット。他に野菜も意外に重いもの。けっこう日差しが強く,帰ってきたら汗をかいていた。夕方まで休憩。
 17時過ぎに慰労会の場所まで。昼の買い出しの際,場所を確認していたのだが,意外に遠かった。17時30分から開始。9名参加。韓国料理だが,寿司もありバラエティ豊か。最後にF先生の送別記念品贈呈と記念写真。
 終了後ショットバーで。H氏とYさんの3人。内装はアメリカンだが外に出ると,中国。その後H氏行き付けのスナックで。久しぶりにカラオケを堪能する。24時帰宅。

2007年7月6日(金)
水没

 もう一つの懸念事項の追試。留年中の学生が7月2日未受験の分の追試である。今日の午後からできることになり15時開始。これで今日の予定が決まった。これが最優先。
 スピーチコンテストの決勝出場のKさんと研究室で午前中待ち合わせだが,その前に写真を撮りに東師会館横の写真館に行く。先生一人で大丈夫ですかとKさんが心配してくれたのが筆談でなんとかなるだろうと思い行く。何とかなった。国際交流センターで4×3の写真8枚を持ってきてくれと言われたのである。写真館では女性のスタッフがフォトショップを目にもとまらぬ速さで駆使して黒子もあっという間に消して画像処理までしてくれた。6枚単位らしく12枚で20元。写真をみると少し痩せたかなという印象。日々地鶏のように動き回っているからか。そのまま国際交流センターに持って行く。それとサインをして給料。航空券代も相殺。そこへ日本人教師のY先生登場。FAxの依頼。私もFAXの依頼があったのでタイミングよく出せた。帰りに日経新聞を貰って行っているのを尋ねると国際交流センターのLさん宛に送ってきているらしい。それを運ぶのがY先生の役だったらしく,9月から私が取りにいくことになった。
 研究室に行くとKさんが待っており,12時過ぎまで打ち合わせ。午後R教授にアドバイスを受けにいくらしい。16時30分に試験が終わる旨伝える。
 昼食は時間が遅いのでもう一人で南食堂へ。野菜炒めビーフンとスープのセット。帰りにK君と偶然会った。自動車学校の帰りらしい。午前中は自動車学校だったのである。午後追試があるので散髪は明日以降ということになった。
 図書館で1元のアイスと3元のコカコーラを買い,日課になっている414号室での読書。R先生がいらっしゃった。今日からK教授たちは旅行らしい。6月に国際交流センター主催の旅行でいったのと同じ場所らしい。13時30分に学部事務室に行くとRさん以外誰もいない。聞いてみるとみんな旅行に行ったとのこと。Rさんは所用で参加せず留守番らしい。ここで初めて外国語学院全体の職員旅行ということがわかった。外国人を除く職員・教員合わせての旅行なのである。学院宛の使用済みの大型書留郵便封筒がいくつか手に入った。
 513号室で日経新聞の整理と読書をしているともう追試の時間。問題Bを使用。16時30分に終了しすぐ採点。かろうじて及第。成績表に書き加え,月曜に提出すればいつ帰国してもいい。
 ほどなくスピーチコンテストのKさん。着ていく服を考えなさいとR教授から言われたらしく日本の学生はフォーマルにはどんな服を着るのかと質問を受けた。今着ているのはボタンが多すぎると言われたらしい。島原高校の夏・冬の制服を見せたがあまり参考にはならないかもしれない。
 最後の手直しは私が間をとりながら範読。時間計測。読んで初めてわかったタイプミスやひっかかる表現,つながりの悪い語の修正をし,完成。いつしか大雨になりあたりは暗くなっている。Kさんと別れ,部屋を片づけて正門まで行く途中でKさんが道路が水がいっぱいで通れませんという。信じられないことだが,正門の前は湖になっており逃げ遅れて水没した車が数台。バスには人がいっぱい乗車して湖の中。腰まで浸かって移動している人も。たしかに正門前は人民大街でも低いところ。これはバスに乗って初めて感じたことである。Kさんには東西に延びる自由大路に行くと伝え,自由大路へ行くが,人民大街方面の車線は大渋滞。大学北門は西側と東側とあるが,西側の北門から水が少ないようなので,東の方へ行き自由大路を横断して西へ向かい,さらに北へ行き,大回りして自宅に帰った。19時10分帰宅。途中Kさんから心配の電話をもらったので無事着いたと連絡。
 集中豪雨で降った雨が低地に集まり現出した現象。大陸はスケールが大きい。
 
 FAXで入札したJPSオークションのスタート値を確認。本命は1点。その他にいくつか生き残っている。帰国時には届いているだろう。

 明日は日本人教師によるF先生の送別会と今期の慰労会。

2007年7月5日(木)
焼肉バイキング

 朝から出校して研究室で,提出物を整える。お昼に主任のK教授のサインをもらい,提出するばかり。実は昨夜から中国にきて最大のお腹の不調。早めに帰り,昼食抜きで夕方まで休む。夕食はK君が焼き肉屋を案内するというので,18時頃タクシーで迎えに来てくれた。紅旗街の「金又(さんずいがついたまた)斯」というところ。途中路面電車もあった。満州時代の遺物だが今でも立派に活躍している。
 中にはいると,人であふれかえっている。アルプスの少女のコスプレ衣装のお姉さんがマイクで順番を叫んでいる。我々の番号はA30番。あと二十数人。30分ほど待ち19時前に席に着くことができた。焼肉バイキングと聞いてはいたが,焼肉といっても日本のように目の前で焼くのではなく,大きな串刺しの肉をグリルで焼いたものを番号が書かれたTシャツを着た少年が席を回って皿の中に切り分けていくもの。レシートの1〜20の番号の欄にスタンプを押していく。すなわち20種類の焼肉類が食べられるのである。他のサラダや果物・ケーキ・アイスクリームがバイキング。ピッチャーで生ビールをもらい一人で空けた。生ビール12元,焼肉1人30元でしめて72元。お腹の調子がもう少しよかったらと少々残念であった。
 散髪も行きたかったが,明日以降に。20時30分過ぎ帰宅。
 
 JPS九州地方本部報到着。5月の消印が今頃到着。AIRMAILのシールも貼ってあるのに船便扱いか。90円だから船便なのに郵便局でAIRMAILのシールを貼ったものだろうか。謎は深まる。本部報私の名前が「純秀」になっていた。HP版でもそうなっているようだ。

2007年7月4日(水)
一気に採点

 主任のK教授は木曜しか大学に来ないというので,5日の12時までに採点処理をしなければならない。午前中,日語精読の採点・感想・問題Bの作成を終え,昼食。南食堂の特色涼湯面。帰りに図書館でアイスとペプシコーラを買って414号室で読書。午後の時間帯開始の13時30分に学部事務室へ行き,513号室に上がり,作文の添削とそれをもとに採点基準表に沿って採点。過去の作文を元に平常点の計算。合計して点数を出す作業。気づくと20時10分。明日の午前中もあるので,帰宅。1階に降りると外国部学院前までタクシーが来たところ。学内まではタクシーは乗り入れ禁止なのだが,VIPなのか。これも天の思し召しと,乗客が降りたそれに乗って帰宅。とにかく疲れたのである。20時30分前に帰宅。

2007年7月3日(火)
The graduation 2007

 服務員の清掃の時間になり起こされる。ベッドメイキングを手際よくしてくれた。土日と動き回ったせいか疲れがたっまているようなので今日は休養日。依頼されていた卒業式のDVDビデオ「The graduation 2007」を制作。あまり凝った編集をしないで,卒業式と卒業パーティの2日間を1枚にまとめてみた。静止画もスライドショーで見ることができるようにした。レーベルデザインも考えてあるので,明日採点しながら印刷するとしよう。

2007年7月2日(月)
日本語科送別会

 期末テスト初日。学生から質問があるので早く来てほしいとの連絡があったのと,早めに行って試験の実施要領をK教授に聞くために少し早めに出る。試験は K教授との二人での監督。
 昼食は K君と南食堂で。K君は4年生の先輩が寮を出るので寂しくなると話していた。
 いつものように図書館の売店でアイスとコカコーラを購入し414号室で読書して昼休みを過ごす。昼休み終了の13時30分になり513号室に移動し採点でもと思っていると聴講生のBさんが来室。しばらく雑談。
 国際交流課のLさんからケータイに電話があり航空機のチケットが届いたので取りにくるようにとのこと。Bさんが帰ってから管理棟の6階にある国際交流課へ行く。これで帰国の準備が整った。試験の処理が終われば夏休みである。
 16時30分に宿舎に帰り,着替えて18時から行われる送別会に出かけた。場所は私の歓迎会のあった「社会主義新農村」。桂林路を東にまっすぐ進み,人民大街を越え,突き当たりを北へ少し行ったあたり。
 大学院生への集中講義を担当するため長春滞在中の新潟大学の内藤教授も出席された。7月は送別の季節である。内藤教授を含め日本語科の先生方14名が参加された。20時30分帰宅。

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2007年7月1日(日)
旧ハルピン郵便局

 朝食は7時30分からホテルのレストランで,中華バイキング。今日の予定は午前中各自の見学場所へ。私はF先生と再び中央大街へ行くことに。最初F先生がどうしても行きたいとおっしゃる場所へお供する。旧中国人街だが建物もロシア風。100年前から営業しているというアイスクリーム屋で休憩。建物はおおかた残っていたが取り壊し中のものもあった。次になかにしれいの小説『赤い月』中の阿片窟の通りを探して道を尋ねると,三輪自転車タクシーのおじさんが案内してやるというので乗る。ハルピンはこの三輪自転車タクシーが多い。小さな路地が多いので小回りが利くのであろうか。浮遊しているような不思議な乗り心地。5元。歩行者天国の市場の中も声をかけながら人の群れをかき分けていく。魔窟があったあたりは,すでに高層アパートが建っていて往時の面影はない。前の道路は買い物客で溢れていた。
 次に中央大街。『地球の歩き方』を片手に端から順に見ていく。入り口近くには旧ハルピン郵便局。今日の目的の一つである。ファーストフードの店になっていた。旧松浦洋行ビル等の歴史的建物が保存された一大ショッピングモール。名物のアイスを買うときデジカメを落としたらしく子供が届けてくれた。なんといい子なんだろう。礼をするひまもなく走っていった。F先生はここでアイスを食べながら休憩されるというので一人で全ての建物をみてまわった。11時30分にホテルに帰り,昼食は近くの餃子店。駅前に行き旧ハルピンヤマトホテルを見学して,14時30分の高速バスで長春へ。18時過ぎにバスセンターに着くと大雨。タクシーで宿舎に帰った。

  2007年7月


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