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2007年6月30日(土) |
ハルピン行き |
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7時15分大学正門集合。4月の延辺行きのメンバーのうちSさんを除く6人。Sさんは留学を終え帰国されるので慌ただしいのだろうか。
前回は中国に来て1週間ほどの時期,今回は帰国の2週間前である。時間にそろいタクシーで長春駅前のバスセンターに移動。8時発のハルピン行き。途中パーキングエリアで10分ほど立ち寄り,ハルピン着11時30分頃。駅まで移動し,タクシーでハルピン工業大学構内の西苑賓館へ。非常に近代的なホテル。三つ星ホテルの表示プレートもある。人工衛星「東方紅」の技術開発をした大学らしくパネル展示がしてあった。市内一等地に広大なキャンパスを持つ大学の西門に位置している。
ハルピン工業大学のH先生が見えられ,昼食はロシア料理。ポットの煮込み料理にボルシチとパン,コーヒーのセット80元。そのまま観光へ。中央大街は旧キタイスカヤ通りで歴史的な建築物が残る全長1450メートルの通り。途中工事中なので,大きく迂回して松花江へ。岸辺に沿って歩く。太陽島へはロープウェイが繋がっている。昔の避暑地だったらしい。そのまま日本人街へ行くというので私は名刺その他を取りにホテルに帰る。昼食に出るものと思いビデオとデジカメ以外持ってきていなかったのである。ちょうど夕方のラッシュアワーでまずタクシーがつかまらない。ハルピンは初乗り8元と高い(長春は5元)ため,あまりタクシーがいないようだ。それでもいそうな大通りまで移動し,乗車したのはいいが,全く動かない。互譲精神がないのか無理矢理曲がろうとした2台がつまっていたのを20分ほど待ってバックさせるまでタクシー車内でじっと待つ。ホテルで荷物を取り,会場へ向かうタクシーに乗った時点で既に18時。18時20分に会場の日本料理店鈴蘭着。日本人会の集会に参加させてもらったのである。今回の旅行の目的の一つ。長春に比べ日系企業の数が少ないため,日本人教師と留学生主体の会である。
会終了後ホテル帰着。H先生からホテル近くのマッサージ店に連れて行ってもらう。全身で20元。その後ホテル前の店をHさんと散歩。マッサージのせいか足取りも軽い。
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2007年6月29日(金) |
最後の授業 |
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3・4校時の3年生の授業で,今期全ての授業終了。月曜からの期末考査を残すだけとなった。
昼食はK君が寮のルームメイトの4年生の送別会のためS君と。まず郵便局に航空便を出しに行く。EMS160元,航空書留印刷物54.3元,航空書留書状17元。小型シート丸ごと貼りは切手が貼れないのではがせというのを私が切手を受け取りどうにか表に料金分貼った。裏に貼ってある郵便物をよくみかけるが,裏に貼ってはだめだと局員。3通出すのに1時間ぐらい待ったような気分。
EMSの送り状に国名を書けというがそれぞれJAPAN・CHINAと書いている。S君に言わせると英語が読めないらしい。日本の郵便局の不親切さなどかわいらしく感じるほどの対応。S君が中国にはサービスという概念がありませんと説明してくれた。そもそも郵便料金表がなく局で計って初めて料金がわかるというのは窓口が感雑するだけだと思うのだが,それでうまくまわっていっているのが中国であるらしい。そのため同じ仕様で出しても局や日によって料金が違うことになる。
郵便局差し出し後S君と,近くの北食堂で「涼拌米線」4元。スイカの角切り皿盛り1元。ペプシコーラ3元。
午後は卒業式のDVDの盤面印刷。夕方赴日予備学校のO先生が中国語の個人レッスンのGさんとの会食なので私もご一緒しませんかというので合流。Gさんは卒業生で私の教え子でもある。2組の師弟関係での不思議な縁。タクシーで東方餃子王の本店に行く。週末の夕食時ということで大混雑。屋上のビーチパラソルの下でちょっとしたビアガーデン。
宿舎近くのショットバー風のバーを紹介していただき,中国で初めてウイスキーの水割りを飲んだ。ギターの生演奏,ウェスタン調の内装と中国らしからぬ雰囲気。22時30分帰宅。明日からハルピンに出かける。日曜の夕方帰着予定。
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2007年6月28日(木) |
雨 |
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朝ゆっくりした時間を過ごし,午前中のうちに出かける。外は珍しく雨。ドアの外の方が肌寒い。バスに乗って見当をつける。重慶路を抜け,大経路へ左折したところで下車。いつも行っている重慶路の店の意外に近く。点と点が結びついて線になった。
4年生の大学院進学組は事前準備の授業の日らしく,付き合わせるわけにいかないし,就職組は帰省準備で忙しいので,今日は単独行動。3年生はもちろん授業である。交渉は筆談で。中国では筆談で意思の疎通がはかれる。だからA4用紙を折りたたんだものとボールペンは必需品である。
長崎郵趣会のIさんから中国関連のウオントリストが送られてきたので,重慶路の和平大世界の4階へ。目安がないので相手の言いなりだが270元を250元にまでは交渉。石窟の小型シートは280元と高額なので,本人に確認してから購入することにした。こちらでは100元紙幣が最高額だからずいぶんと高額なのである。通信用の額面販売切手を310元分購入。
再び,バスに乗って帰る。
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2007年6月27日(水) |
大経路 |
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1・2校時最後から2番目の時間。新しい教材に進まないで復習をしたいというので,質問タイム。
授業を終え,学部事務室で郵便物を受け取り,513号室に帰る。私信で長春市内の情報を知る。ちょうどそこへスピーチコンテスト出場のKさん。東京の会場の入場整理券の申込書を持ってきてくれた。
今から時間が空いてますので私がその場所まで案内しましょうと言ってくれ急遽出発。正門からタクシーで。長春大街と大経路の交わる所の百貨店の4階。確かに長春でキーになる人物。満洲切手の型録とカバー・絵葉書などを購入。店に置いてないものがあるとのことで,明日再び訪問することに。値段も Kさんを介して交渉を済ませた。
そのまま私は宿舎へ帰る。
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2007年6月26日(火) |
いい日旅立ち |
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今日は作文の本期最後の授業。予告していたとおり期末試験にかわる作文を書かせる。今まで毎時間書かせていた作文で評価しようと思っていたのだが,答案を事務室に提出する必要があり,そのためには最後の授業で書かせたらいいと教授からアドバイスを受けたので,実施したのである。平常点30点,今日の作文で70点で評価しないといけないらしい。70点の点数の内訳を細かく示し,指針とした。
昼食は,K君とKさんの三人で。Kさんのリクエストで図書館のコーヒーハウスの定食。食後二人は図書館の上の閲覧室に行ったので,私はアイスとコカコーラを買って414号室へ。この部屋は北向きなので涼しいのである。今日は34度だったらしい。長春は湿気がないので室内は風が通れば涼しい。日本の夏の感覚と違うので不思議な気分。しばらくして入ってきたL先生と雑談。中国事情がわかるような貴重なお話を聞かせていただいた。
13時30分は午後の授業開始時間であるとともに事務室が仕事を開始する時間でもある。2時間の昼休みは鍵を閉めて食事に出かけるので用事があると不便でしょうがない。学部事務室に行き,島原新聞を受け取り513号室へ。テストの答案整理等をし終えた頃,K君が詩の解釈の質問に来た。初めて読む詩だったが,キーとなるべき語句に注意し,比喩の意味するところを考えさせ,どうにか理解出来たようだ。
17時30分から卒業パーティだが,ビデオを持ってきていなかったことに気づき,16時過ぎ取りに帰ることにした。外国語学部棟1階の入り口付近には日本語科の4年生が大勢いて,先生一緒に写真撮りましょうと誘ってくれた。何枚か撮り「パーティでまた」と別れ正門までいくと角棒をかぶり衣装を着た,これまた日本語科の学生が写真を撮っていた。ここでも誘われ何枚か撮る。
ビデオを持参して会場の留学生公寓1階食堂へ。本部4年生180名と教員で200名以上の参加のはずで,入れるのかと心配していたが楽に入れる広さ。立食でなく着席の円卓。あちこちで乾杯。そのうち司会者が進行を始める。教員紹介では私は日本語科の学生が日本語で紹介してくれた。学部長始め来賓の方々の挨拶は定番。中盤からビールも回り,教員・学生入り乱れて無伴奏やカラオケの歌の数々。日本語科4年生有志は「いい日旅立ち」をカラオケで。「あぁ日本のどこかに私を待っている人がいる」の部分は「日本」でなく「世界」ですねなどと隣のKN先生と話したことであった。結局ほぼ最後まで学生たちと飲んだ。写真もいっぱい撮ってもらった。二・三ヶ月しかつきあいはなかったのにほとんどの学生が「お世話になりました」と挨拶に来たのには感激した。「二・三ヶ月しか習わなかったけど先生は一生私たちの先生です」という言葉には本当に中国に来てよかったとさえ思った。こんな言葉に出会えるから教師稼業が続けていられるのである。なんていい学生たちなんだろう。「長崎県からの先生は,先生といいN先生(私の前任者)といい優秀な先生ばかりでした」というのは褒めすぎ。
進行・挨拶は中国語だったが隣の学生が適宜訳してくれて退屈しなくて済んだ。終了間際には抱き合ったりして泣く学生があちこちで。4年間同じクラスで過ごした仲間との別れだから,むべなるかな。こちらはクラス固定で教員がその部屋に行って授業を行うから,学生の緊密度は日本の比ではない。
私は固持したのだが終了後,学生みんなからの信望が厚いO君がホテルまで見送りに来てくれることになった。21時30分頃だったが大勢の学生が寮の方角へ向かうのとすれ違った。聞いてみると9時30分に図書館が閉まるので,その時間まで勉強していた学生でしょうと言う。正門まで10分(会場は正門から最も遠い),正門から15分計25分の道のりも,O君と話しながらだとあっという間に着いてしまった。ロビーでお礼を言って別れた。アルコールのせいかいつになく饒舌なO君であった。
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2007年6月25日(月) |
卒業式 |
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1・2校時授業の後,513号室に卒論の口頭試問を受けた学生が清書したものを提出。これで私の担当3人は全て完了。入れ違いにスピーチコンテスト出場のKさんが相談に来る。
昼食はK君と。今日は外に行きましょうという。前任のN先生といったことがあるところだそうだ。正門を出て,少し歩き路地を西に入ると先生方とよく行くシン源菜館だがその手前の韓国料理店。冷麺の小,3元とあまりに暑いのでビール3元を注文。食後ビデオカメラを取りに宿舎へ帰る。
卒業式が浄月キャンパスであるので,本部からのバスの出発が14時。O君が13時45分に外国語学院ロビーでお待ちしますといった意味は,バスが来次第乗り込まないと座れないためだ。
卒業式は外国語学院の日・英・露の各学部7クラスが本部と浄月キャンパスそれぞれにあるので計14クラスだが,浄月の露は4年生がいないので正確には13クラス。日本語科以外は25名定員で日本語科30名なのは人気が高いためらしい。卒業生の進路がほぼ全員決定しているのは日本語科だけらしい。
14時30分には会場に着くが15時から開始のアナウンス。横に卒論を指導したRさんが座り状況を日本語に訳してくれた。結局15時30分に開始。優秀学生表彰・優秀リーダー表彰・その他表彰と続き,来賓祝辞,卒業生代表男女各1名の挨拶。学部長挨拶と副学長挨拶は原稿なしでのパワフルな演説だった。
バスが30分後に出ますというので浄月の日本語科の教員室に行く。私以外の日本人教師3人の机はこちらに準備してあった。本部に比べて大きな部屋。バスの時間になったので学生に聞いてみるともう出ましたという。幸いO君が残っていたので,赴日予備学校のマイクロバスの運転手に話をつけてもらい宿舎まで帰ることができた。
卒業パーティは浄月キャンパスは今日,本部は明日である。浄月キャンパスは初めての卒業生を送り出すことになる。浄月キャンパスの正式な学部名は外国語学院電子商務科で教員免許取得が免除の学部である。通称ビジネス科。
学部事務室のRさんによると今日の温度は35度,昨日も34度だったとのこと。卒論提出に来たSさんが「今年は異常気象です,去年まではこんなに暑くはありませんでした」と言っていたが,環境問題は大陸の内陸部で深刻化しているのかもしれない。
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2007年6月24日(日) |
街歩き |
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長春日本人教師の会による長春市内散策である。9時30分長春駅前の春誼賓館(新京ヤマトホテル)集合。マクドナルドで朝食の後326番バスで駅に向かう。今回は第2回ということで,第1回が官公庁だったようだ。繁華街の散策がテーマ。偽満時代の絵葉書写真集を片手に現在の風景と見比べていく。旧日本橋通を中心に東側一帯を散策。けっこう当時の建物も現存している。現在は日本橋も川も残っていないがその跡地を確認。ほぼ満鉄附属地の東半分を回りきった。団長のA川先生にあと4分の1ですよと声をかけていただきゴールの春誼賓館までたどり着くことができた。天気がよくこのために購入した帽子が役に立った。
参加者14名昼食のビールがよく喉を通った。食後解散。私はYさんが桂林路に行かれるというのでタクシーにご一緒して帰る。
すっかり日にあたったのでいささか疲れ気味。
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2007年6月23日(土) |
DVD |
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昨日歩き回って疲れたので今日は安息日。遅ればせながら『硫黄島からの手紙』を観た。明日はまた歩き回る予定。部屋から一歩も出ず。
熊本では今日「九州郵趣家の集い」が始まっている。昨年長崎で行われたのもあっという間のような気もするし,遠い昔のような気もする。来年は福岡だそうだが,来年までは出られそうもない。今年は7月下旬の小郡の切手の集いには出られそうである。
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2007年6月22日(金) |
中東大市場 |
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1・2校時の4年生の授業がないので,3校時からの授業。昼食は南食堂の「特色涼湯面」。昨日食べたのと同じだが,これが正式名称。ついでに言えば南食堂の売店は「南苑水巴(正しくはくちへんがつくともえ) 」が正式名称。果物を扱っているわけではないので「スーパー」の音をあてたもの。北食堂の購買部は「超市」で文字通りスーパーマーケットの意である。その南食堂の売店でアイスとコカコーラを購入。
414号室でアイスを食べ,513号室に帰ると,聴講生のBさんが訪ねてきた。某大学の日本語の先生だが1年間研修で本学の授業を聴講しに来られていたのである。授業の仕方や日本語についての話をいろいろとする事ができた。
EMSが届いているので国際交流センターに来るようにとの連絡を受け,行ってみると長崎郵趣会からの冊子類。大学名だけで外国語学部宛になってなかったので国際交流センターに行ったようだ。
15時過ぎに午後の授業が終わるとY君が部屋を訪ねてきた。郊外の大きな市場を案内してくれるということだったのである。大学横のバス停から227番のバスに乗り,東の方へ向かう。中東大市場というところ。大きな倉庫が衣類や日用品,家具,食品などの建物に分かれ一つの建物を歩いて回るのも時間がかかる。日本では土地の関係から上に階層的になっているが,こちらでは平屋で横に広がっている。帽子を二種類購入。ポロシャツとシャツ。扇子も三本。文房具類。DVDと中国の流行歌のCD。店の人がしきりに登麗君(テレサテン)を勧める。3枚組で30元。正規品だそうだ。途中「快の客」でジュースを飲んで一休み。ホームセンターや食品売り場へ行く。お茶屋で烏龍茶を尋ねると「鉄観音茶」を勧められる。烏龍茶の一種だそうだ。一番小さな缶を購入。飲んでみてよかったら日本へのお土産にいいだろう。18時過ぎまで歩き回り,バスで桂林路まで戻る。
Y君と東方餃子王へ。1週間前になかったジョッキの生ビールがあった。ウナギの鉄板焼きは売り切れ。餃子3種類と野菜の酢の物でお腹いっぱい。生ビールも2杯飲んだ。Y君はアルコールもいけるので頼もしい。今日も二人で39元だった。21時前に帰る。
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2007年6月21日(木) |
DVD三昧 |
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朝からDVD鑑賞。日本文化祭でも学生が寸劇を演じた『クロサギ』。実は全く見てなかったのだ。全10話と最終回スペシャルを夜までかかって全て見た。
実はその後も劇場版『GTO』も見たのだ。
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2007年6月20日(水) |
天倫 |
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1・2校時の授業の後,昨日行われた口頭試問の学生に書き直しの指導。
昼食は南食堂に行く。実は南食堂は3階もあるということを今日初めて教えてもらった。大きなフロアは注文式のレストラン。冷麺がないのでパス。階段の横に小さな食堂。回式食堂と書いてあったのでK君に聞くと少数民族の食堂で,豚肉を使わず牛肉しか使ってありませんと言う。入ってみるとほとんど料理が残っていない。結局1階へ。一番奥の店で特別涼麺を注文。行列ができているので調理の様子をながめていると,麺打ちから初めて,茹で,冷やし,の工程経て味付けはその場でやるというもの。これで4元。スープ・麺ともに申し分なし。アイスとコカコーラを買って帰る。
414号室でデザートのアイスを食べ,読書。
513号室に戻り,4年生の卒論提出者から卒論を受け取る。日本の事情等の雑談をして行った。卒論は午前中指導の学生が清書してくれば全て終了だ。3人分の卒論評語・評価書も書き上げた。18時前に帰宅。
一旦帰り,懸案だった「天倫」へ行く事を決心。夕食は「古本良田」の牛丼。まだ明るいのでバスを使っていくがものすごい混雑。重慶路で降り,見当を付けたところを歩き回るがない。そのうちあたりが暗くなるが心地よい風。夕方の散歩もなかなかいいものだ。旧関東軍司令部は高い塀に囲まれた木立の多いところ。樹木が多いせいか中から冷気が道にあふれてきている。30分以上歩いたが見つからないのでタクシー。意外に近かった。天倫では爪も短くなった。
24時過ぎに帰宅。ホテルの入り口が閉まっていたので,警備員のおじさんに鍵を開けてもらう。
16万アクセス。
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2007年6月19日(火) |
口頭試問 |
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作文の授業は3・4校時。来週の授業時間に行うテストについての説明。
昼食はK君と北食堂。途中S君から今日は端午の節句だからチマキと卵を食べる日ですと教えてもらった。2階でチマキ2種類と野菜2品。チマキはあんと豚肉。あんチマキはおはぎのよう。卵は特製タレで煮込んだもの。こちらではこの卵も食べるのが習わしらしい。
学生会館地下の超市(スーパーマーケット)で原稿用紙とDVD数枚購入。図書館でアイスとスプライト。コカコーラもペプシコーラも売り切れ。暑いせいか。
13時30分から414号室で口頭試問。教授2名・副教授・講師と私。日本人は私一人である。「優」候補の6人の口頭試問が終わったのが16時30分。3時間だから一人30分かかった計算。私が指導した学生は,教授のアドバイスを入れて書き直せば「優」ということになった。
明日の授業の準備をして17時過ぎに帰っていると,F先生と出会い,これから一緒に食事でもということになり,東師会館3階の「プチ北國」へ。20時過ぎ帰宅。
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2007年6月18日(月) |
作品集到着 |
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4年生の卒業記念写真撮影というので,スーツの上着を持って行く。8時から3年生の授業だが途中で撮影に抜けていってもいいかと学生に聞くと口を揃えて4年生のためならどうぞ行ってくださいと言う。3年生は4年生を敬愛しているのである。日本語科だけと思っていたところ,英語科・ロシア語科も一緒だとのこと。外国語学部は英語科5クラスでロシア語科は日本語科と同じ1クラス,計7クラスというのを初めて知る。教員団が一番前の椅子に座りその後ろに女子学生・男子学生の順。一時授業中断だが,5分ほど授業をオーバーしてもう少し続けようかと聞くとさすがに終わってほしいとのことで授業終了。
昼食は久しぶりにK君と南食堂で。涼麺だが肉入りで4元。食後にアイスとペプシコーラ。食後のデザートというのがぴったりなのは,香辛料がきついせい。午後期末試験の問題作成完了。K教授に問題を入れる袋をもらい厳封して学部事務室の試験問題担当者に渡す。期末試験は印刷を外注するので2週間前に問題提出らしい。テストを提出して日本語科の部屋414号室に行くと,飲用水のスタンドが置いてあった。これで学部事務室まで水汲みに行かなくても済む。R先生と話をする。
研究室に戻り,明日の作文の準備。添削と資料作成・印刷。
明日の卒業論文の口頭試問用の論文が6部揃った。一通り目を通す。17時30分帰宅。
宿舎に帰ると,エクスパック到着。紙の情報誌とカラーコピー作品集2冊。ありがたい事である。
バンコク展の航空券とホテルの予約,ネットで完結。
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2007年6月17日(日) |
休日出勤 |
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ゆっくり起きて,昼食は888ラーメンのカレー。13時30分に研究室へ。卒論の最後の一人の指導。17時前に帰宅。
期末試験の構想を練る。
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2007年6月16日(土) |
東方餃子王 |
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3年生の期末試験を作成しないといけない。
4年生の卒業関係の行事日程が判明。18日(月)8時30分に卒業記念写真撮影。25日(月)15時30分から浄月キャンパスで卒業式。26日(火)16時30分から卒業記念パーティが留学生食堂で。
夕方,赴日予備学校の先生方4人と私とY君の6人で「東方餃子王」桂林路店に行く。開店初日の夕方18時30分ではあるが,日頃の行いがよいせいか運良く席があった。いろんな種類の餃子と野菜を食べ,ビールを飲んで全部で120元とは庶民のレストラン。一人20元の計算。幸せな気分で眠りにつく。
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2007年6月15日(金) |
雲南 |
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朝,歩いて大学へ。片道15分,往復30分と昼食に20分は歩くので,日本にいたときよりもずいぶん運動している。少しは体重が落ちた気もする。授業終了後Y君と昼食。桂林路に行きましょうという。豆を絞ったものというから豆乳かと言うとそうだという。その専門店。あいにく工事中。その隣に有名な東方餃子王の支店。入ると明日オープンだという。結局,米銭の専門店へ。米粉を麺にしたもので,米のうどんと言ったらよいだろうか。鉄鍋にスープが煮えたぎったものが運ばれ,運んだその場で野菜・薄切肉・米銭を入れるとほどよく煮えるというもの。スープもあっさりしていておいしい。雲南省の料理だそうだ。1人前10元だがこれくらいなら学生でも食べられる金額ですとY君。中瓶ビール1本もらう。3元。二人で23元で済んだ。東方餃子王に行こうと誘い明日行くことになった。アルバイトが17時30分まであるので,18時30分に待ち合わせ。13時から某工業大学で日本語の講師のアルバイトだそうだ。日本語を自主的に学びたいという学生が対象だそうだ。人に教えることは自分の日本語の理解にもつながるのでいいことである。
大学に帰って図書館の売店でアイスとペプシコーラを購入して,作文の添削。午後,卒論の指導。なんとか完成できそう。18時前に帰宅。
バンコク展の参観スケジュールも決まって来た。直行便の予約をネットで完了。
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2007年6月14日(木) |
人防市場 |
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研修日で特に用事もないので,午前中ゆっくり過ごす。昼食を888ラーメン。今日はトンコツラーメンである。10元。店を出てそのまま東に向かって歩き人民大街へ。6番バスで重慶路へ向かうが,バス停を一つ乗り越し,歩いて戻る。日差しが暑い。地下街の人防市場は,戦前防空壕だった場所。2層になって一大ショッピングセンターになっている。重慶路の交差点で地上に出て目指すは和平大世界。2階の店で79元のポロシャツを購入。3階の電気街と4階の古玩城と5階のDVDをひととおり見る。3階で少し購入。値引き交渉も筆談でなんとかなるものである。
重慶路を西に向かい,人民大街を越え同志街へ。シャングリラホテルの前からバスに乗り,恒客隆(ハンクールン)スーパー前で降り食材を購入して帰る。
休日の町歩きも慣れてきた。
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2007年6月13日(水) |
お粥 |
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1・2校時3年生の日語精読。テキストが縦書きの国語の教科書と違って,横書きだと日本語というスタイルになるから不思議だ。でもやることは同じだ。形式段落から意味段落へ。その間連。全体として作者の主張を正確に読み取る。
10時に郵便がくるというので,11時頃学部事務室に顔を出すと,小包の通知が来たとの連絡。中国は小包は宅配でなく郵便局に取りに行くもの。外国人は受け取りにパスポートが必要。通知を見ると県教委からの新聞だ。
11時30分に3年生の教室に行くと今から会議が8階であるという。Yくんがしばらくしてから抜けてきますので50分に行きましょうというので待ち合わせて行くことに。運動会についての話し合いだったらしい。英語学部の授業は無くなったが日本語学部は特に影響がないとのこと。Y君おすすめの店は桂林路のお粥の専門店。その前に宿舎に帰りパスポートを取り,桂林郵便局で小包を受け取り宿舎に置いて、お粥の店に。箸とおしぼりセットが1元,お粥が食べ放題で2元。総菜各種を選ぶが,私は餃子4個2元と平べったい餡餅1.5元。餃子は大きい。お粥であるが12種類。雑炊みたいなものからぜんざいのようなものまで。五穀・小豆・玉蜀黍・大豆とさまざまなバリエーション。しかも24時間営業らしい。昼時なので大混雑。
午後は卒論の指導。Bさんである。ほとんど完成だが細かな字句の訂正。Cさんもパソコン室にいるというので連絡してもらって進捗状況を知らせに来てくれた。やはり明日いっぱいかかりそうとのこと。それを確認して早めに帰宅。16時。
送ってきた「長崎新聞」を読む。読んだものから研究室に運んでいくことになる。
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2007年6月12日(火) |
作文 |
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昨日ベッドメイキングがなされていたので,今日は朝からゆっくり起床。3・4校時作文の授業。
作文の授業であるが,みんなうまくなったと思う。今日返した600字ほどの作文で,1箇所の訂正もない完璧な作文をしてきた学生が出た。こちらの学生に多い間違いは,「あの」「その」の指示語。これは指示語の数が中国語に少ないためらしい。「の」の多様。例えば,「するの人」。「だから」の誤用で「するだから」。その他日本語にない漢字や熟語の使用。心中語に丁寧語「私は〜ですかと思った」。一番多いのは「は」と「が」の間違い。意味が微妙に違ってくるのでどちらが適切か見極める必要がある。文体の統一は最近よくなった。一番困るのが「です」「ます」体と「である」「だ」体が半々に使われている文章。1文が長くなり主語・述語が途中で変わる文のねじれは日本人でもよくやる間違い。いい作文を授業で紹介するのだが今日の授業ではかなり多くなった。それだけ上達したのだろう。
昼食は南食堂で。涼麺。3元。味付けの時香辛料を抜いてもらったのであっさりめ。アイス1.5元,コカコーラ3元。K君は果物を食べないとと言って,南食堂の入り口の果物屋で瓜とトマトを購入。
午後は,13時30分から卒論の指導。Sさんの論文もずいぶんよくなった。手直しがかなり必要なので明日できるかできないか微妙なところ。その後作文の添削。
帰宅18時。
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2007年6月11日(月) |
888(さんぱち)ラーメン |
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1・2校時授業。3・4校時卒論指導。昼食は北食堂で冷麺。暑い。食後K君は着替えてくると行って寮に帰って行った。北食堂の売店ではコカコーラもペプシコーラも全て売り切れ。アイスを買って外国語学院に帰る途中の木立の中に入り,小高い山中でアイスを食べた。日陰は涼しい。学部事務室のRさんによると,昨日の最高気温は34度で今日が35度だそうだ。道理で暑いはず。研究室は窓を開けて風が通るようにしたら少しは過ごしやすくなった。湿気がない分建物の中は過ごしやすい。
頼んでいた帰国の航空券が取れたらしい。7月13日(金)帰国,8月31日(金)再入国。長春・福岡の直行便である。中国南方航空が6〜10月の夏期だけ運行する便である。
午後は作文の添削。19時過ぎに終了。いつも添削をしている気がする。明日の作文の授業の準備。
夕食は888ラーメン。チーフマネージャーが私の顔を見るなり日本語で「いらっしゃいませ」。すっかり顔を覚えられたようだ。冷や奴にキリン一番搾りのビール・カツ丼で。ビールを店長が自ら持ってきてついでくれた。開店セールの期間が終わり,値引きの商品もなくなったようだ。それでも店内はそこそこの入り。
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2007年6月10日(日) |
別れ |
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9時から長春日本人教師の会勉強会があるので,本館の6階に行ったところ誰もいない。確認すると,9時半からとのこと。一旦別館の自室に帰り時間に行くと会議室に入りきれないほど。25名ほどの参加者。今日の会は在長春日系企業の方からのお話を聞く。医療関係の会社で,中国では中国人管理職の方が多いという企業。世界16箇所に工場,40箇所に営業所がある大企業。求められる人材は変化に対応出来る人材。一言で言うならば好奇心旺盛な人ということになる。というのも時代に合わせて会社は変化していくもの。それに対応できる人間・企業こそが生き残れるという。2週間後の長春散策の会の案内。
場所を農林会館に移して昼食会。7月に長春を離れる方々の送別会をも兼ねたもの。5・6人おられた。ビールはいいのだが,昼から白酒(パイシュ)を少し飲んだだけなのに,すっかり酔いが回り,帰宅後横になる。そのまま寝る。
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2007年6月9日(土) |
DVDな休日 |
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休日でゆっくりと過ごす。またしても日中インターネットが不通。ここ数日行っている屋根の工事と関係あるのか不明。夜になって繋がった。1日DVDビデオを観て過ごす。明日は出かけるとしよう。
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2007年6月8日(金) |
KTV |
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1・2校時の時間帯で4年生の卒論の個人指導。3・4校時3年生の授業。昼食時K君と学内の郵便局に航空便の発送に行く。年賀切手帳ペーン全貼に耳付切手貼のフィラテリック便。耳付はシートで購入したものを貼らないと入手出来ないという点でフィラテリックなもの。航空書留便で送る。福岡21元,広島23元,長崎34元。中に切手帳の表紙も同封したので,お楽しみに,福岡のKさん。
東北師範大学内郵便局だがどんな消印になるか楽しみ。5元切手の30枚シートも発見。150元。大学の絵入官葉3種連刷6元もあったので5枚購入。日本宛は4元貼り足せばOKだそうだ。
郵便局のすぐ近くの北食堂で昼食。3元の涼麺。K君は寮に戻り,私は図書館でアイス1.5元を購入後,414号室で資料探し。513号室で教材研究。17時過ぎ帰宅。
赴日予備学校の先生方と18時30分に食事会。大学経営の東師会館3F日本料理店「プチ北國」。3人の先輩の先生方とご一緒する。寿司定食68元と豪華な内容。アサヒビールを軽く。赴日予備学校というのは日本の文科省と中国政府が合同で設置した日本語教育機関である。中国全土の博士課程修了者と大学の教員・研究者で日本に留学する人に日本語の教育を1年間で身につけさせる学校である。9月から2月までを中国人スタッフが行い,3月から7月までを日本の研究者が半年間来て教える。理系の研究者が多いので日本の各大学からの出向者が来ているそうだ。10名の日本人がいて,そのうちこの宿舎の長期滞在等の東棟の8名全部がその関係者。こちら西棟の8名は先日旅行に行った国際交流センター経由の外国人教師で私1名のみが日本人である。招聘の管轄が違うので全く交流がないどころか,その存在も知らなかったという間柄だったのだ。
出かけていくとき,お隣の英国人T氏は大掃除,1Fの独人O氏とカナダ人Sさんが私の姿を認め,手を振ってくれた。
ひとしきり食事も終わり,帰宅途中で私がこちらでカラオケに行ったことがないというと1時間ぐらい行きましょうかということになり,最近できたカラオケハウスに。KTVというらしい。4Fのカラオケボックスのルームは1時間68元だそうで,初めて中国の地でカラオケ体験。あまり新しいのはないがそんなに歌えないというわけでもない。4名仲良く宿舎に帰ったのは24時。警備員の人に開けてもらって無事入れた。
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2007年6月7日(木) |
古玩城 |
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午前中ゆっくり過ごす。昼食は,888ラーメン。少し混んでいる時間帯をずらしていくと,日本語を話せるフロアマネージャが話しかけてきた。日本人の店長らしき人もやってきて名刺交換をする。その後306番バスに乗ってシャングリラホテル前のウォルマートへ。このスーパーマーケットに日清のUFOがあるらしいという情報でさがしに行ったのだが,結局みつからず,中国合弁の日清のカップ焼きそばを買う。そのまま重慶路の和平大世界ビルへ。3Fジャンクの電気店街,4F古玩城という骨董品店街,5FDVD街というマニアックな専門店街。4Fのお目当ての店は閉まっていたが,いくつかの店で使用済とカバーを購入。最初50元を35元にまで交渉したりして。筆談と電卓だけでもなんとかなるものだ。17時になると店が終了のようだ。1Fでシャツ2枚を買う。再びバスカードでバスに乗り帰宅。
のんびりした休日であった。
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2007年6月6日(水) |
卒論 |
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1・2校時の授業の後,414号室の日本語科の部屋に行き,Y先生やL先生と情報交換。10時に513号室に戻り,島原高校へ送る近況報告を印刷。昼食は南食堂で冷やし中華風の冷麺。四川麺の店なので辛いとは予想していたが,予想以上。アイスとコカコーラを買って帰る。午後は卒論の添削。414号に行くと部屋ではL先生が同じように卒論の添削中。黙々と添削。一段落付いてL先生と情報交換。17時過ぎに帰宅。まだ柳絮が舞っている。
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2007年6月5日(火) |
JAPANの結果発表 |
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火曜日は,朝食がいつもより遅め。でも最近服務員の掃除の時間が早いので,早めにすます。私が出かける前にベッドメイキングと部屋の拭き掃除。
資料の印刷を印刷室に頼み,513号室に行く。授業前に資料を受け取り,3・4の授業。
昼食は北食堂の冷やし中華風の冷麺3元。この麺がいい。スープは辛いのを入れないようにK君に注文してもらう。だいぶ食べやすくなった。昨日の南食堂のスープとこの麺が一緒になれば,日本の冷やし中華になるのだが。
午後卒論指導。17時過ぎになり早めに帰宅。少し休む。夜起きて資料整理。
「全日本郵趣」到着。プラハ城の作品は参考になりそう。澤氏の文章はいつも一気に読ませる。これでオークションがつけば,ポストスタコレ。
JAPANの結果を見る。まあまあの結果。どうしてもというほどのものはないが,買っておくといずれ役立つだろうと思われるもの。
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2007年6月4日(月) |
JAPANメール |
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朝,タクシーで大学まで行ってしまった。1・2の授業のあと,つい仕事に熱中してしまい昼食に行くのが遅れてしまった。
ケータイで連絡をし K君と待ち合わせして南食堂に行き,餃子と中華胡麻饅頭がおいしそうなので買う。冷麺もうまそうなので注文。スープがいい。麺は本場のものはこれぐらいだが,私にはコシが強すぎる。3元。スプライト3元を買って帰る。午後明日の作文の添削。金曜日から旅行に行ったツケがまわって,20時過ぎまでかかる。
帰宅後も資料作成。
JAPANのメール。応札を練る。初めてキザミ幅を意識しての応札。
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2007年6月3日(日) |
世界遺産探訪3日目 |
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7時朝食。いよいよ本来の世界遺産探訪の当日である。現地,桓仁の旅行社のガイドがつく。早口の中国語のガイドの言葉を国際課のYさんが英語に翻訳。日本人には要点のみをLさんが話してくれた。駐車場にバスを停め,専用のバスで山腹まで。そこから急な石段を登っていく。かなりきつい登山。山城だそうだが,麓からの様子は頂上が平べったいエアーズロックのような山容。その平べったいところに王宮を作っていたらしい。いくつもの展望ポイントがある。昨日行った桓龍湖も一望できる。高句麗の都だったのは紀元前1世紀のこと。
下りもかなりの長距離を歩いて降りる。山腹から専用バスで駐車場に行き,旅行社のバスに乗り換え,昼食。近くに郵便局があったので,郵便を出す。ここにも5元切手はなく,2元2枚と1元1枚の貼り合わせ。その後一箇所,五女山氷山葡萄酒工場の見学。試飲もするが購入はしなかった。スーパーでみかけたら買うとしよう。氷というのは寒い時期に作るのでこの名があるらしい。このブランドの年代物は学長のお気に入りということをLさんが教えてくれた。
帰りも来た道を7時間バスに乗って帰る。車窓から中国東北地区の大地を眺める。途中の休憩でメロンの差し入れ。皮ごと種ごと全部食べるのが中国流。
20時前に宿舎着。4組5人のみ宿舎で残りは大学で降りた。
長時間のバスでの往復は腰に悪い。マッサージと食事のために外出する。888ラーメンで,カレーライス。マッサージの店はちょうど終わったところ。明天と言われた。
JAPANオークションのメールの部の検討。いつも使っているパソコンは研究室なので日記の更新はできず。
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2007年6月2日(土) |
世界遺産探訪2日目 |
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7時朝食。バイキング形式なので気が楽である。ここのところ中華ばかりなのでコーヒーが懐かしい。
食後出発。バスに揺られて(文字通り道が悪いので揺られる),遼寧省最大の人造湖「桓龍湖」。船着き場から船に乗って「万楽島」をめざす。島に上陸し,島を左から回ると岩をくりぬいて作った石仏群。彩色してある。半周したところで「龍華寺」。ここの布袋さんも金ピカ。仏像も極彩色。仁王像を閉じこめたお堂を過ぎその先あたりから山を登り,巨大な観音像。楊柳観音というらしい。スピーカーから流れるお経が軽快なリズムで耳に残る。下ると船着き場。まだ半分も帰っていないのでもう半周することに。Lさんが島の反対側は全く違った景色ですよというように,こちら側は断崖絶壁。途中文昌閣という建物を見るために登る。山登りが続く。ここのも極彩色の閻魔様。石段を下っていると掃除のおばさんがそのまま上を行けると教えてくれたので,尾根づたいに行くとさきほどの観音の登り口に出た。そこを再び下り,島をあとにする。乗船場近くのレストランで昼食。
中華料理に青島ビール。イギリスのT氏とドイツのO氏がビールがいける。
午後は再びバスで移動し,大雅河漂流。大雅河は川の名だが,漂流とはどんな意味だろう,川下りと違うのか,いろんな疑問が湧く。Lさんが着替えは持ってきていないのか,と聞くが初めて聞く話。売店で売っているので半ズボンとスリッパ,雨合羽を購入。出発点に行くと,2人でゴムボートに乗るというのを知る。結局Yさんと乗ることに。急流では水が容赦なく飛沫となって襲ってくる。川幅が広いところでは進まず,まさしく漂流。ビデオカメラとデジカメで記念撮影。1時間半あまりゆったりと川下りを楽しんだ。結局予定どおり行かなくて望天洞という洞窟は見学できなかった。途中,国際交流課の人から胡瓜の差し入れ。中国人が胡瓜をポリポリ囓っているのを列車などで見かけるが,実際自分が食べるのは初めて。そのままでも十分おいしいのが中国の胡瓜。
2時間ほどバスに乗りホテル帰着。すぐに夕食。ビールを飲んで休む。
日本の中華料理は日本人の味覚に合った日本料理ということを痛感した。本場の味とはいうけれど,三食ともはきつい。私はプチベジタリアンということを思ったりした。
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2007年6月1日(金) |
世界遺産探訪1日目 |
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授業は3・4のみなのだが,バスに乗るため7時25分出発。
4校時終了が11時30分。12時30分に旅行のバスが出るので時間があまりない。国際交流センター主催の春期ツアーである。年に2回春と秋に国際交流センターが旅行に連れて行ってくれるのである。職員の旅行も兼ねているような様子。
パソコンは外国部学部の研究室に置いて,そのまま出かける。12時30分に外国語学部の前に行くが,バスが来ていない。どころか,参加者の姿も見えない。国際交流センターのLさんにケータイで聞くと遅れます,国際交流課にきてくださいとのこと。管理棟に行くと,参加者らしき外国人の人たち。しばらくしてバスが来た。学内を移動し,正門を出たのが13時。行く先を暗示するような出発である。
高速道で行けるところは高速道を利用し,農村地帯に入る。ちょうど田植えの時期。東北部でも田植えをしていた。田の形状はさまざま。幾何学模様の直線で構成された田園地帯は人間が作った第二の自然である。
畑は,水平でなく,丘の形状にそって農作物を作っているのが特徴的。雨で流れないのかと心配してしまう。絶対冬の雪の季節はスキーをしているにちがいない。ゲレンデとしては恰好のロケーション。
途中で通化を通過し,バスに乗ること6時間,予定ではとうに着いている時間。結局7時間かかり20時ホテル着。正方賓館というヨーロッパ調のホテル。桓仁市という撫順市と丹東市(旧安東)の間にある市。
遅い夕食は,外籍教師9人の卓と国際交流センター職員6名の卓で。9人の内訳は私とYさんが日本人。イギリスのT氏,エチオピアのT氏,ドイツのO氏とその恋人カナダ人のSさん。ロシアのTさん,中国系スェーデン人のMさん,中国系アメリカ人のHさん。共通の言語は英語ということになる。Mさんはスペイン語を教えていると紹介があったが,日英露の三学部だったはずと思うが,選択でスペイン語もあるのかもしれないと思ったりして。Mさんは日本語も少し話されるのでわからない言葉は訳してもらう。イギリスのT氏の話す英語は早くて聞き取り不能。それをMさんがわかりやすく伝えてくれる。
国際交流課は,LさんとA所長が日本語。あと英語はYさん,ロシア語は別の人というように話せる言語が最低一人はいるので,なんとか意思疎通は図れる。ドイツ人のO氏は,歴史学部でラテン語を教えているらしい。Yさんによると昨年のベストティーチャーに選ばれたらしい。
食後も残っていろいろ話をした。部屋はLさんと二人のツイン。気兼ねしなくてすんだ。
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