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2007年5月31日(木)
Japanese Philatelist

 7時25分にO先生と一緒に送迎バスの発車場まで行く。ここで昨日判明した某ブログの管理人に会う。
 バスは7時30分に発車し,5分で大学の正門へ。その5分後には研究室の椅子に座っていた。今日は授業がないので大学で取ろうと思っていた朝食のために北食堂へ。途中何人かの日本語科の学生に会う。ちゃんと挨拶を日本語でするから立派なものである。豆腐と焼売のようなものとヨリヨリのような揚げパンで。帰りに豆乳を買う。1元。よく女子学生が机上に置いているのをみかけるものだ。作りたてでまだ熱い。そのまま交流センターに行き,明日の旅行の詳細を聞く。やっと詳細がわかった。日程表も2部コピーしてもらう。高句麗の第1の都五女山だそうだ。第2の都が好太王の碑がある集安で第3の都が平壌だそうだ。集安は世界遺産登録後観光客が殺到しているらしいが,同時に指定された五女山まで訪れる人は少ないらしい。12時30分に外国語学部の前に集合とのこと。3階の学部事務室で郵便物を受け取り,414号室へ行くと,ちょうどY先生がいらっしゃったので旅行のコピーを渡す。研究室へ戻り,K教授に提出する成績を整理。2校時終了後K教授の部屋へ行くが教室から帰られていらっしゃらなくて不在。しばらく同じ階の414号の日本語科の部屋へ。L先生と少し話をする。その後再びK教授の部屋へ行き書類を点検してもらう。試験の報告書が必要と言われ,学部事務室の担当者に書類をもらいに行く。3・4校時になんとか書類を作り届ける。
 特に授業もないので,帰る。途中昼食は888ラーメンで。でも熱いのでラーメン以外にしようと思っていたら,さすがに店内は冷房が効いていた。鰻丼,赤だし味噌汁付き15元。帰宅後明日の旅行の準備。学生からケータイで電話があり卒論の相談。国会図書館から文書のダウンロード。たしかに学校からは回線が途切れてうまくできないのだ。夕方印刷するための用紙を買いにスーパーへ。A4とB5の用紙500枚をそれぞれ1組。

 『Japanese Philatelist』着。プラガ2008の案内。8月末締め切りなので,バンコク展の状況を見て,申し込むつもり。あとは2009年の2月のHONGKONG2009は長崎の外国郵便。China2009はなにか出したいところ。6月のロシア展と8月のバンコク展の出品作一覧等の詳細も判明。

 メールで島原高校の放送部の生徒から近況報告と機器の質問。県大会に7人行くらしい。なかなかがんばっているようだ。

2007年5月30日(水)
送迎バス

 朝フロントの女の子と出入り口の警備員さんにニイハオと挨拶するのだが,警備員さんから「オハヨッ」と日本語で返ってきて驚いた。いつもニコニコ笑顔の警備員さんである。宿舎から大学まで大きな通りを三つ越えなければならない。同志街という南北方向の通りと自由大路という東西方向の通りと人民大街という南北方向の通りである。横断歩道を渡るときは左見て右見てが基本。信号は信用してはならない。赤信号でも現地の人が渡るのと一緒に渡るのがいい。渡るとき赤でも青になるのである。逆に誰も渡っていない青の時に渡り始めると途中で赤になり道路の真ん中で立ち往生してしまう。右折車両は信号に関わりなく曲がっていいというルールのため。日本なら左折車両は赤でも曲がっていいというのと同じ。一見合理的ではある。
 とにかくこの三つの通りを渡るのがたいへん。最近は現地の人が渡るのと一緒にくっついて道の途中でも渡ることができるようになり,これも慣れてきたといえるのか。宿舎から研究室までどんなにスムーズに行っても15分超。これ以下になることはない。通りを渡るのに時間を取られると逆に20分近くかかることも。
 1・2校時のあと414の日本語科の部屋に行く。6月1日の旅行等の情報を仕入れるためである。ちょうどY先生がいらっしゃったので,尋ねるがまだ詳しい連絡はないという。その後研究室に行くと4年生のKさんが訪ねてきた。卒論の相談。昼食は3年生のK君と南門を抜けて吉林大学へ入る。行列ができているのはお持ち帰りの涼面屋。並ぶ気力もなく,以前行った韓式食堂へ。ここも混んでいて相席。涼面があったので注文。6元。
 午後は,書類整理。途中でS君が,昨日から自分で調べた結果を持って留学の相談。17時過ぎに一緒に部屋を出る。17時30分着。部屋に入る前に東棟にお住まいの日本人の方から呼び止められ話をする。赴日予備校の教師の方で西棟は欧米人ばかりと思っていたのに私がそちらに曲がっていっていたので不思議に思ってとのこと。私の方もいろいろ教えていただいた。さっそく送迎バスの使い方も教えていただき明日一緒に行くことになった。
 夕食後ドリアンを食す。チーズケーキかクレープを食べているような食感。二つでお腹いっぱい。

2007年5月29日(火)
ドリアン

 最近服務員が早めに清掃にくるのでゆっくり寝てもいられない。8時過ぎに朝食を食べ終わった頃やってきて清掃とシーツの取り替え。3・4校時の作文の時間に間に合うようにゆっくり通勤。早めに着き,履歴書の用紙を印刷。これは学生から要望があったもの。日本の書式だが,志望動機等の書き方にも触れる。結構時間がかかり作文の課題は金曜までに設定。
 昼食はK君と久しぶりに北食堂の1階。行列できているところは涼面つまり日本でいうところの冷やし中華である。もうそんな季節になったのである。ひととおり見て回って結局この涼面を注文。スープは10種類ぐらいを混ぜ合わせリクエストもできる。白い粉3種類は砂糖・塩と何だろうとK君に聞くと,味の素ではないかという返答。やはり辛い。舌が麻痺・痺れるような辛さ。でも嫌いじゃない。3元。帰りに百事可楽(ペプシコーラ)を買って帰る。これも3元。
 午後研究室にいると,3年生のS君が留学のことで相談に来る。17時過ぎに一緒に帰るが,これから市内の実家に行くという。昨日バスで掏摸にあって内ポケットに入れておいた財布を盗まれたという。先日のK君の自転車泥棒といいたしかに治安はよくないようだ。注意しなければと思う。
 帰宅後,卵がない事に気づき,スーパー恒客隆に買い出しに出かける。ビールやジュース類に果物の王様といわれるドリアンを購入。500グラム8.8元でまるごと40元からおつりがくるくらい。買ってきたはいいが臭いがきつい。普段使っていないダブルベッドの部屋に隔離。明日食べるとしよう。

2007年5月28日(月)
長崎郵趣

 初めて半袖のシャツで外出。でも上着も必要。朝は少し肌寒い。1・2校時3年生の「日語精読」。3・4校時の時間帯で,4年生の成績処理と予備問題の作成。本来なら4年生の「日語精読」の時間帯だが,今後は卒論指導の時間帯になる。
 昼食はK君と南食堂。串焼きで牛肉カツみたいなものと,他2品の串焼と饅頭類。串焼きは意外に辛く,つまみに最適なのでビールを注文。2.5元。K君はアルコール不可なので一人で飲む。中国ならではのゆったりした昼食。K君は寮に帰り,別れる。2時間たっぷり昼休みがあるので,寮で昼寝する学生も多いようだ。その分夜遅くまで勉強している。21時まで教室で勉強しているのを見かけた。
 午後は,教材研究と明日の作文の準備。17時過ぎに帰宅。

 データをメールでいただいたので,『長崎郵趣』の編集。少しは中国郵趣事情も書いてくれとのリクエストもあり,目下思案中。となると4ページ増刊になり,なかなかのボリュームになる。7月例会は15日の日曜日だが,その日までには帰国できるような仕事の見通しなので,なんとか7月例会には出席したいところである。

2007年5月27日(日)
実は4日で届いていたEMS

 休日なのだが,昨日しっかり休養をとったせいか,出かけたくなる。天気もいい。ということで学生のK君と重慶路の「和平大世界」へ。今日は4階がメイン。消印関係とカバー中心に見ていくが,ほとんど新中国。解放区の注文消しらしき田型3種セット180元に満州1次1/2F縦ペアに大同元年の丸二印押オンピース120元,新中国の東北地区他のカバー類でしめて400元。1階のバーゲンで半袖シャツ198元が29元。4着購入。重慶路の地下街は戦時中の防空壕の跡を使用したものらしいが,地下2層に広大な空間が広がっており,人出がすごい。途中帰りのバスからは人民公園には大勢の人でごった返している。牡丹鑑賞なのだろう。マクドナルドで休憩してK君と別れる。

 「SEVEN」到着。長崎からの船便が航空便並みの速さで到着。しかしあいかわらず長崎中央は和文ローラ消。今回は欧文が証示してあるのが救い。長春の機械到着印も鮮明だが,年号が2005に見える。誤植か。
 気になっていたEMSを検索してみると,14日(月)出しで長崎中央に18日朝到着。その日持ち帰ったまま配達済みの記録がない。ということはまだ郵便局なのか。通知してほったらかしなのだろうか。しかもその通知がわかりにくいところに置いてあって受取人が気づかずにいたとしたら…。EMSで送るような郵便物は一刻も早く届けるべく努力するのが郵便局の義務ではなかろうか。サービス低下を如実に物語る出来事であった。実は4日で届いていたのだ,長崎中央郵便局が配達しなかっただけで…。

 しかし長崎中央は何か変である。スムーズに機能していない気がする。2回続けて外信印押印はでたらめだし,郵趣会には部屋を貸さないし,記念押印にも心やすく応じてくれない,そのあげく今回のEMS。船便が航空便並に早く着くのは歓迎だが。

2007年5月26日(土)
天倫

 休日。ゆっくり起床し,DVDを観たりネットサーフィン。ジャパンスタンプのHPの即売Aで『広島で,だけ』の残り物の即売があっているということを知り,メールで申し込む。折り返し返信がきて3点とも送るとのこと。2点は昭和切手,もう1点は小判&長崎関連。昭和はバンコク展出品作のと貼替えできる。創作意欲の湧くマテリアル。
 夜,爪も伸びてきたので3週間ぶりぐらいに「天倫」へ。130元のコース。土曜日とあって浴場は混雑。アカスリの順番待ちが長く,何度もサウナに入ったり。今日のアカスリは屈強の中年の人。前回は青年だったのでマイルドでよかったのだが,今日は力一杯してくれたので,イナバノシロウサギ状態。途中いろいろ聞いてくる。タオルはヤオ,ローションもヤオ,ミルクまでは要らないのでプーヤオ。前回の友人F氏の料金が高くなったのはこのためだと納得。ローションには岩塩が混じっていたのかザラザラ。その状態でサウナに入れとのこと。しっかり汗を流して出るとシャワーで洗い流せとのこと。2階でのマッサージまでの時間待ちで浴槽に入ったり。
 マッサージは,下に温浴シップを敷き,髭剃りに始まり,頭皮・顔面のマッサージ。海藻パックをしている間足に蒸しタオルを巻きビニール袋を被せ蒸らす。爪を切り,腕のマッサージ,足膝腿胸とマッサージし,うつぶせになり天井の棒につかまり足で背中のマッサージ。足の爪を切り,足ツボと角質取り。洗髪と耳かきで終了。アカスリのタオル代5元と岩塩ローション代15元が入って150元。価値ある150元である。また爪が伸びたら行こうと思う。

2007年5月25日(金)
888

 4年生の授業はないので,1・2校時空き時間だが,4年生の学生が卒論のことで質問にくる。いよいよ本格的に卒論に取りかかるのである。結局2校時終了ぐらいまでかかる。3・4と授業をして昼食は3年生のK君と。久しぶりに図書館の5元の定食。K君が浮かない顔をしているので尋ねると,自転車が盗まれたという。鍵付きワイヤーに繋いであった前輪だけが残っていたという。夜のうちに学校の寮の前の駐輪場から盗まれたらしい。こちらに来て200元で買ったのであまり上等ではないらしいのだが,一度目をつけられるとどんなに鍵をしていても無駄だそうだ。
 午後は卒論担当者の第1回の助言・指導。こまかな語句の添削の他に,大きな構成上のアドバイス。その後O君と某教授室の切手コレクションを見せてもらいに行く。掛け軸も二幅。こちらの方が価値がありそう。

 研究室に戻り作文の添削。早めに大学を後にして帰宅。17時過ぎ。まだ時間が早いので,某ブログの情報をもとに最近オープンしたという日本資本のラーメン屋を探しに行く。実はここ1週間周辺を見ていったのだが発見出来なかったのである。通りの名は「西康路(シーカンルー)」ということなので,今日は端から端まで歩くつもりで行く。同志街のこちら側(西側)は何度も行ったので,東側に行く。それらしきものはない。かなり進んでから発見。西康路の北側で西側から歩いてきた左手に発見。「888(さんぱち)」ラーメンで,北海道が本店らしい。メニュー表掲載番号1番の味噌ラーメン16元と餃子6元とキリン一番搾り12元を注文。餃子は衣が厚く蒸し餃子を焼いたような感じ。ビールもちょっと高め。味は日本語の貼り紙によると日本の本店のものより薄目にしてあるそうだが私にはちょうどよかった。希望により本店並みの濃さにもできるらしい。近くには日本人のグループ。その後には中国人の若者グループとけっこう繁盛していた。開店セールなのか支払いは27元だった。
 スーパー恒客隆(ハンクァールン)でビールとジュース類を中心に購入。重い物を身軽なときに買わないといけないのだ。これが車で買い物に行く日本と違う点。

 『長崎郵趣』の航空便で送った分が月曜に着いたと某ブログで判明。7日で着いたことになるので当然EMSで送った分は着いて日曜日に行われた例会に間に合ったものと思っていたが,なんと間に合わなかったとの連絡のメール。日本からのEMSは3日で着くのにどうしたことだろう。航空便は書留にしても20元,EMSは119元。6倍も高い料金なのだ。メールでデータもいただいたので,今回は早めに作って発送することにしよう。
 158000アクセス。

2007年5月24日(木)
DVD一気見

 昨夜から今日にかけてTVドラマ『ごくせん』の1話から12話と卒業スペシャルを一気に見た。日本にいたときはTVを見るなどという時間も心の余裕もなく,1度も見ることも,いや見ようとさえ思わなかったTVドラマであるが,こちらに来てから少しずつ見ている。見終わったのが,夕方。なんと第2部もあるというのは今日初めて知った。こちらの方はまたいつか時間を見つけて見ることになるだろう。学年4クラスあるはずなのに職員数の少なさ(あの職員数では学年2クラスがせいぜい)に制作予算のことを思ったり,さまざまなところで気になる部分が満載だが,水戸黄門よろしく今日的勧善懲悪の痛快さがある点はやはり高視聴率のTVドラマである。実は『ドラゴン桜』も『GTO』もこちらに来て初めて見たDVD。『電車男』もよかった。12話を一気に見るのは時間節約にもなるが,1話完結なので1話見逃してもそう大筋には影響しない造りになっていると,通して見て初めて気づいたこともあった。

2007年5月23日(水)
期末考査

 朝は少し肌寒い。まだ長袖のジャンパー。教員になって20年以上になるがノーネクタイで授業するのは今年が初めて。朝夕の冷え込みで,なかなかジャンパーが手放せない。3・4校時は4年生の後期試験。初めての試験監督である。
 終了後,昼食は出口で出会ったY君。外のレストランに行く事になり,吉林大学との間の乾式レストラン。途中,樹毛が依然として舞っている。珈哩飯を注文。Y君はアルコールも大丈夫というので2人でビールを一本。Y君は面倒見のいい学生でなにかとお世話になっている。何か困ったことがあれば遠慮無く言ってくださいとのことだったので,今日の予定を聞くと15時からの授業までは空いてますという。長春で一番大きい郵便局で5元切手のシートを買いたいというのが最近の希望だったのと,ビデオカメラのバッテリーを買いたいと思っていたので,3時間足らずのうちになんとかいけるだろうと見積もって2人で行くことにした。
 私のバスカードを使い,長春駅行きの6番のバスに乗り長春郵便局へ。着いた先は,600元の関税を払ってプリンターを受け取った寛城子郵便局。ここが一番大きい郵便局だそうだ。長春中央郵便局のような壮大なビルをイメージしていたのが見事裏切られた。多分戦前の満州国建国以前の建物と思われる歴史的な,そしてみるからに重厚な建物だが,いまではすっかりあたりのビルに埋没している。売店で1枚1角のエアメールの封筒を100枚と大型封20枚,5元切手付エアメール封を10枚,これは売価5.5元。封筒が97枚しか無く2角の中型封を3枚で,全て79元3角。Y君が大商いですねと横から。古風な表現を知っているものである。お目当ての5元切手は3枚ほどしかなくシートではないそうである。いったいどこに行ったら買えるのであろうかと疑問を質問すると,2・3日したら買えるとのことであった。どこの郵便局でも横5枚ストリップでの保管・販売である。だから耳付は郵趣家便と思って間違いがないくらいの稀少性。国家的な職員の指導なのだから仕方がない。その窓口で見せてもらったのが6元切手。たしかに鳥図案である。見せてもらった1枚しか在庫がないという。不思議な話である。局員に聞くとこれが最高額になるらしい。
 再びバスに乗り,以前行ったジャンク品を扱う電気街。和平大世界というテナントビルの3階。M型バッテリーを捜すがみつからず。やはり現物をもってくる方が説明しやすい。諦めてインタビュー用のマイクを探すと5階にあるとの情報。5階はDVDやパソコンアクセサリーの店舗街。途中4階が古物店街だったのでもしやと思い降りて行ってみると,紙幣・コインに混じって切手の店発見。初めの店で5元切手の小型シート額面販売品を10枚購入。1993年頃のものは額割れなのであろうか。そうこうしているうちに14時30分。タクシーを拾い,大学へ帰った。Y君と別れた後は,ひたすらテストの採点。途中で終わるわけにいかず,19時過ぎまで。
 バスに乗った特の広告で新規開店の牛丼屋の場所がわかったので,夕食を食べて行くことに。「古本良田」は中国(香港)資本の牛丼チェーン店らしい。牛丼の並にわかめスープ,キムチ付きのセットで15.5元。店内は明るくお洒落な造りなのでカップルの姿が目立つ。
 採点と点数記入まで終わったので,明日はゆっくりできそう。
 4年生は私のテストで期末考査が全て終了。卒論に本格的に取りかかることになる。2人目の第一回指導が金曜日なので,卒論を持ち帰ったので明日検討することにしよう。

2007年5月22日(火)
切手の整理

 火曜は,3校時からの授業なので,寝坊していたら,服務員の人が8時過ぎに2人組で現れ,シーツ交換と床掃除をしてくれた。その後朝食,出勤。4校時終了後K君と北食堂の2階で。肉じゃがと野菜を炒めた物を半分ずつと平べったいお餅のようなもの。食後地下の売店。「快の客」というファーストフードの飲み物店は桂林路を始め町中でよく見かける店だがよくみると「の」の字がひらがなである。日本発ということか。その大学内の支店があったので,アイスコーヒーを注文する。4元。研究室に持ち帰り。午後作文の添削。やったその日に処理しておくと,後が楽なのでなんとかやり終える。学部事務室に郵便物(といっても島原新聞だが)を取りに行ってRさんと日本語で話をする。夏休みの計画で,日本から再び来る日を決めるには新学期が何時から始まるか知らないといけない。方々に電話して聞いてもらうと9月3日だそうだ。1・2日が土日のためそのようになるらしい。ということはその前の週に帰ることになるので8月27日頃で調整してみようと思う。7月も15日ぐらいには帰れそうだ。帰国したらバンコク展の作品作り。7月末には東京往復。8月上旬はバンコク。しばらく日本に滞在して中国という予定。なんと2ヶ月以上前に決まるとはすばらしい。昨年までの直前まで決められなかったのとは大違いである。外は昼間暖かかったが,夕方は少し肌寒い。19時前帰宅。
 
 日本から持参の未整理昭和切手類の整理。事務室のRさんが同じ事務室の人が収集家ということを教えてくれ金曜日にコレクションを見せていただけることになったのである。あちことで切手を集めてますと言っておくとなにかのついでにでも気がけておいてもらえたようだ。

2007年5月21日(月)
郵便物到着

 まだ朝は肌寒い。1・2の授業を終え,K教授に4年生の期末考査の要領を聞きに行く。人数分印刷して試験の時間に行って監督すればいいらしい。その後試験問題・正解をA・Bの2種類,それに成績処理したものを提出することになる。
 3・4校時,4年生の教室に行くと数人。スピーチコンテスト優勝者のKさんがいたので,3年生の作文の授業で使用していいか了承を得る。研究室に行きスピーチコンテストの原稿のデータのコピーしていると,4年生2名が詳しい試験範囲を聞きに来た。
 学部事務室に郵便物を受け取りに行く。大阪からの印刷物航空便7日出しなので14日間。大阪からのEMS17出しで4日。横浜からの航空印刷物15日出しで6日。
 昼食は南食堂で餅類を買う。外に出ると依然としてリュウジョが舞っている。外の方が暖かい。午後作文添削以外に時間がかかり20時前帰宅。フロントに郵便物。地球の歩き方バンコク等の書籍到着。航空便島原15日出しで6日。重たい本類なので破損したのか,検閲したのか中国郵政のテープで補修してあった。

 スタンプシバタ到着。JAPANオークション到着。バンコク展ブルテン2到着。

2007年5月20日(日)
休養日

 完全休養日。ゆっくり起床し,バスタブにつかる。読書。料理,といっても簡単なもの。一日中部屋の中で過ごした。プチ引きこもり。
 掃除・洗濯。来週は4年生の学年末考査である。

2007年5月19日(土)
柳絮舞う

 ビデオカメラ2台と3脚を持ち,タクシーで大学正門まで。20分に着いたが,I先生F先生R教授の3名のみいらっしゃるだけでまだバスが来ていない。研究室に登り,DVDの盤面印刷。30分前に戻ると,30名ほどがバスに乗り込むところ。7時30分ちょうどに出発。
 スピーチコンテストの会場は長春理工大学。長春駅から南にまっすぐ延びる朱雀大路に相当する人民大街を南にまっすぐ進み南湖公園の横を通り到着。会場も広く,座席は大学別に指定してある。カメラ設置のしやすい場所を確保。もう1台は学生に任せる。
 東北地区の26の大学から26名参加。全国8ブロックの1ブロック会場である。午前中課題のスピーチ。本校のKさんは落ち着いて発表できたようだ。
 昼食時,建物の外に出ると,綿毛のようなものがたくさん降っている。柳絮といって柳の種子だそうだ。別名「樹毛」。春の終わりを告げる風物。学内の公園の樹木にリスの姿発見。理工大は企業からの寄付が多く,運営資金も豊富とはRC教授。
 昼食は近くの小さい韓式食堂。地鶏や韓式料理の数々と驢馬肉の餃子,ビール。先生方7名で。
 午後は即席スピーチ。これはテーマが書かれたカードを引き,そのテーマで3分以内スピーチをする。テーマを引いてから話すまで10分間しかない。出場者は隔離された部屋で出場10分前にカードを引いて,話をしなければならないのである。本校のKさんはそのため事前に予想テーマ30題についての作文を書いており,私が水曜日に添削した後も書いていたようだ。やはりやるべきことをやった自信からか昨日のニュース記事を交え,ゆっくりと落ち着いて話をした。午前中の課題スピーチとも整合性がとれており,能力の高さを改めて感じた。
 発表。18人の入賞のあと,3位・2位の6名の発表。最後に最優秀2名の発表。その1人にKさんが選ばれた。この2名は7月30日に東京である決勝大会に参加する事になる。もうひとりはI先生によると大連外国語学院の大学院生だそうだ。いっさい大学名・氏名ともいわず審査していくので誰かわからないのだが,大連外国語学院出身の若手教員I先生にはわかったのだろう。Kさんと記念撮影後,審査員のR教授と引率のK教授に挨拶。帰国中なので7月30日は東京に応援に行きますと言ってしまった。
 バスで本部学部前まで行き,そこで散会したあと,F先生が発起人で伊藤先生の慰労会を兼ねて食事しようということになり,18時に「北國」と決まった。日本人教師4人とK婦人。東北師範大学経営の「東師会館」の3階にある日本食堂だそうだ。一度行ってみたかっただけにちょうどよい機会となった。
 自宅で着替え,17時50分着。店名は正式には「プチ北國」。あとで聞いたところによると,ここは支店で本店は別にあるので「プチ」の名が冠せられているそうだ。
 冷や奴や焼き鳥,寿司,焼き魚にアサヒドライや冷酒等の居酒屋メニューで日本の居酒屋で飲んでいるかのよう。茶屋風の小部屋だがゆったりとしたところが違和感があるとの意見も。新宿あたりではもっと狭いぞと。これだけ飲み食いして1人50元。
 外にでるとまだ柳絮が舞っている。樹毛布団もできるかという話などをしながら散会。いい1日だった。

2007年5月18日(金)
作問完成

 昨夜電気が通じたところで,作問作業開始。まず教科書本文のデータをスキャナで取り込む作業。1枚ものならスキャンスナップで自動的に取り込めるのだが,冊子状態のものはフラットベッドスキャナで取り込む事になる。教科書は自宅用の書き込みをしていないものを使用。20元くらいなのでばらしてスキャンスナップで1冊まるごと取り込んだほうが時間節約になるかもしれない。今回は面倒でも試験範囲を1ページごとに取り込んだ。
 最近はpdfファイルにしてからOCR認識でテキストデータにでき,精度も高い。テストの形式は,「格式」という書式に沿って作成。前任者の残していった前期の試験の「格式」の上に今回の試験問題を上書きしていく。大問1と2が長文読解。それぞれ教科書の2ページ分ほどの分量。問題になりそうな部分を選ぶ。問の形式は前任者のものに似せて作成。
 大問3・4・5は漢字・語句・古文解釈の問題。漢字は書けそうだが,簡体字と違った字を書かなくてはならないため,勉強しないと書けない字が多い。ただし今回は読みのみ。やまとことば中心に。3時くらいまで作業を続け,目処が立ったところで,仮眠。平行して,文化祭ビデオのDVD化。こちらの方はもう一台のパソコンで作業する。
 6時起床で7時通勤。4年生は今日で最後の授業なので,今までの提出物を返却する準備。
 3年生・4年生の授業終了後,3年生数人と昼食。南食堂で野菜炒めビーフン。学生と別れ,コカコーラを買い研究室へ。作問作業をページプリンタで印刷しながら,進める。途中F先生とその後任のK先生がお見えになったり,4年生数名きたり,3年生が数名来たりと,出入りの多い日。4年生の試験日は私が自分の授業の時間に時間を設定して決めていいらしい。ということで水曜日の授業時間に決定し,4年生に伝える。それと明日のスピーチコンテストは7時30分に外国語学院前集合だそうだ。
 20時過ぎに研究室を後にして帰宅。バスタブにお湯を入れ,ゆっくり休む。ビデオカメラ2台の充電も完了したのを確認。

2007年5月17日(木)
停電

 いつの間にか寝ていたらしい。今日は研修日なので出勤せず。急に電灯が点いたので今まで停電だったらしい。メールのチェック。今日は作問を何としても完成させなければならない。と思っていたら10時頃から停電。騒がしいので,1階へ行ってみると先日焼けた配電盤の復旧工事中。仕方ないので読書するがなかなか復旧しない。昼食に富士亭の牛丼を食べに行く。今回は単品10元。外に出ると雨。スーパーで買い物。傘も予備に買う。米5キロ秋田小町31元。ビール朝日生を買っていると,バドワイザーの青を勧めるのでこれも購入。各2本。韓国製のレトルトカレー,意外に高くて6.6元を4箱。これだけで米5キロに相当するほど。帰宅後1階では工事中。依然として停電。いくらなんでも夜には復旧するだろうとしばらく寝る。9時頃電灯が点いた。今晩は徹夜になるのだろうか。

2007年5月16日(水)
南食堂

 天候がすぐれない。授業後質問する学生がいるので2・3の間の休憩時間が30分なのだが,10分ほどしか取れず,研究室に戻りすぐ次の授業へと行く。熱心な学生が多い。4校時終了後もそうした質問の生徒で20分ほど話をした。昼食は一昨日の野菜炒めビーフンの味が忘れられず,一人で南食堂へ。なんと売り切れてない。その周辺をみていたら,4年生の学生がいて声をかけてくれた。さきほどのところに行くと一つだけあった。カードで購入。スープもいるかと聞いているらしいのでそれもと答えるとちゃんと通じた。先ほどの学生と食べる。先生のはお餅ですねというのでよくみたらビーフンでなくて,餅を切ったもの。貝柱かジャガイモを小さくきったもののように見えるが食べてみると餅である。野菜炒め餅。食事しながら話をする。このような料理は北食堂にはありませんというのでたしかに南食堂だけの料理のようである。食後別れコカコーラを買って研究室へ。
 土曜日にあるスピーチコンテスト出場者の即席スピーチ予想課題をA4用紙30枚打ってきたのを添削しなければならない。414号室の日本語学科の部屋に行くとY先生が日本から帰って来られていた。雑談後,時折Y先生の日本からのお土産を食べコカコーラを飲みながら,ひたすら添削。終了後自分の研究室に帰る。インターネットが繋がらないか繋がっても異常に遅い。使い物にならない。
 夕方スピーチコンテストの出場者Kさんが来たので,指導。そのまま帰宅。

2007年5月15日(火)
切手市場

 火曜は3・4のみなのでゆっくり出勤。作文用の新聞のコラム欄を二つ印刷した紙を印刷室に持って行って3年生の人数分印刷してもらう。
 終了後,学部事務室へ行くと小包が届いているという通知書をもらう。桂林路の郵便局に受け取りに行かなくてはならない。K君も桂林路に行くというので一緒にタクシーで。雨が降り出したためである。昨日場所を確認した郵政局の支局へ行く。そこには郵政の売店があり,小型シートや年間切手帳等が売ってある。現行普通切手の鳥シリーズ2種のFDCがあったので,2組購入。年賀切手の切手帳も額面だったので5組購入。そこの売店にいるというおじいさんのことをK君に聞いてもらうとこの近くに収集用の切手を売っている市場があるという。そこの地図を書いてもらった。しかしけっこう時間がかかり,13時30分の授業が始まるというので,その授業終了後再び行くことになった。タクシーで行くが途中私は下車。小包の受け取りにパスポートが必要ということに気づき取りに帰るため。K君はそのまま大学へ。15時に研究室で待ち合わせた。
 下車後富士亭で昼食。前回行ったとき牛丼があったため食べてみようと思っていたのである。「ジーヤシャオニューハン(吉野小牛丼)」という吉野家もどきである。単品10元,セット15元。そのセットを注文。長春での牛丼デビューである。小牛丼というネーミングに似合わず,吉野家の大より大きいかという丼。味はまあまあだったが,人参の大きな固まりが着いているのは調理人の好みか。しかもあまり火が通っていない。キムチと漬け物,サラダとわかめスープがセットの内容。これだと単品の方が値頃感がある。
 帰宅しパスポートをさがす。大学外事センターのLさんから電話。6月1日からの旅行に参加するかというもの。省内の1泊2日の旅行らしい。もちろん参加で返事。日本文化祭のビデオのパソコンへのキャプチャーをセットして,大学へ。途中フロントで水の注文。10元で5ガロン,約19リットルの水を部屋に運んでセットしてくれるのである。郵便物も受け取った。雨が降っているのでタクシーで。雨が降るのは滅多にないので贅沢をしよう。日本だとどこへ行くのも車の生活なのだから晴れた日にはせいぜい歩くとしよう。タクシーの運転手は女性。中国では女性のタクシー運転手やバスの運転手をよく見かける。「トンベイシーファンタシュエ(東北師範大学)」で通じる。途中,交差点のところで何か聞かれると「ジョンメン(正門)」答えると右折して正門まで行ってくれる。メーター表示の5元払って「シェシェ(謝謝)」と言って降りる。以上タクシーの乗り方。
 研究室で郵便物を開けると,日本フィラテリックセンターとタカハシのオークション誌。PX−G5100のインクセット8本。送られてきたものを眺めているとK君がやって来た。雨が降っているのでタクシーで。このタクシーの運転手渋滞の大通りを避けて小道を通り,大通りに出たと思ったら郵政支局へ着いた。プロのタクシーである。K君も運転に感嘆していた。5元。
 地図をもとにあちこちで尋ねながらその切手市場へたどり着いた。農村市場という名の2階にあった。切手センターみたいなところでいくつかの業者が店を並べている。未使用の新中国切手中心だが,少しの使用済もある。新中国の消印中心で拾っていく。吉林を始め東北三省の消印が多い。K君は朝鮮族なので「延吉」の消印のついた切手を示すと本当だと興味を示していた(ように思える)。最初の店でカバー(古封筒)はないかときくと,たまにやってくる人が持っているとのことで,こちらの連絡先を教える。4軒ほどで普通切手と記念切手のかかりのよいデータ判読のものを20点ほど抜く。普通切手は1元,記念切手は台切手の値段により高くても10元。実逓からはがした「真の使用済」である。16時30分であと30分しかないので,桂林郵便局へ。パスポートを提示して小包を受け取る。県教委からの4月分の新聞である。窓口にPスタンプの掲示があったのでK君を介して聞いてもらうと,新しく始まったサービスで5シート200元だそうだ。額面12×5の60元だからかなり高額。しかも結婚式用だから男女2人か子供1人しか受け付けないという。
 途中でK君と別れ,帰宅。雨も上がり空気も澄んだような気がする。

2007年5月14日(月)
EMS

 結構昨夜遅くまで編集していたのだが,ちゃんと6時前には目が覚める。ビデオキャプチャができていない。学生が習作に撮った40分の映像はDVDにできた。研究室に置いてあるPX5100でレーベル印刷をして渡すことになる。
 授業終了後O君と南食堂へ。3階もあるというので初めて行くが,あまり残っていない。1階のテナントで中華饅頭がおいしそうなので2品。胡麻と杏。もうひとつビーフン野菜炒め。これが量といい,味付けといい私にぴったり。日本の焼ビーフンと同じだが,違うのは値段が4元。中華饅頭胡麻は持って帰る。そこでO君と別れ,コカコーラを購入し,研究室に帰る。ひたすら印刷。14時から卒論の指導の第1回。改善点を指摘。いくつもの誤字・脱字・言い回し等の訂正。百人一首に関するものなので,アドバイスできるが,論文としては中国人の視点を大切にしたい。
 F先生が研究室に郵送の島原新聞を届けてくださり,しばらく雑談。ちょうどDVDの盤面印刷中でそのことも話題に。75歳ながらパソコンやpdfやスキャンスナップに興味を持って話をきいていただいた。
 明日の授業の準備を16時30分までやるが,郵便局に出しに行かなければならない。K君は5時から会議で都合が悪いが,クラスの誰かに頼んでみましょうという。一緒に教室に行くと何人か残って勉強している。その中のKさんが行ってくれることになった。正門からタクシーで桂林路の郵便局まで。A4が入る封筒を10枚,EMS発送封筒を5枚買う。指定封筒以外は差し出しを拒否されるのである。切手は全て横5枚ストリップの状態。かなり大きな局なのだが在庫は2元2枚であとは1元切手の少額ばかり。5元切手はメイヨウ。この服務員にお金を預けると中央局に行ったときに買ってきてやると言っていると学生。5元切手を在庫にするつもりはないらしい。福岡宛が20元,広島宛が22元。1元切手5枚ストリップの4組貼。2元分は在庫最後の2元切手で。早い航空便がいいかときくのでそれを頼むと書留にし始めた。学生に聞くと書留の方が早く着くとのこと。中は印刷物だと学生に言ってもらっても無反応。印刷物のほうが安いはずなのだが。
 EMSはなんと119元。日本円で約1800円。切手貼付では送れないという。現金払い。以前K教授に教えてもらった収集用の切手を売るおじさんがいるという郵便局を訪ねてみる事にした。けっこう歩き,途中K教授にも電話して探し当てた。ちょうどシャッターが閉まるところ。後日行く事になった。あともう一箇所スーパーの地下のDVD屋。迷路のような場所をあちこちの店に尋ねながらたどり着いた。購入後学生と別れ,18時30分帰宅。
 やっとインターネットが復旧していた。

 「全日本郵趣」到着。4日差し出しのSAL便印刷物。10日で到着。中国最初の国際切手展CHINA2009があることを知る。HONGKONG2009はどうなるのだろうか。

2007年5月13日(日)
長春日本人教師の会

 朝風呂に入り,9時30分前に本館に行く。それらしき方が日本語で案内されているので,場所を聞くと6階の会議室だそうだ。本館は初めて。続々とお集まりになり,20名を超え30名近くの参加。年齢・性別・派遣先等々混合の会。共通点は長春で日本語を教えているということだけである。お二方の実践報告。やはり初心者や熟達していない学習者の場合は全く違う指導法になる。私は日本語検定1級試験に3年生30名全員が合格するという能力の高い学生を相手にしているということを実感。同じ大学でも浄月校の日語ビジネス科も本部に負けるなと補習をされているというのも初めて知った。
 昼食を本館のレストランで,参加者のほぼ全員参加で行った。本校経営のホテルが会場というからでもないが,本校関係者が私とF先生,留学センターから数名。食事の時留学センターの方と話をすることになり,別館2棟のうち私の住んでいる西側と別の東側に6名留学センター勤務の先生方が住んでおられるというのを初めて知った。各棟8名なので東棟は残り2名が他国籍ということになる。私の住む西棟は日本人は私1人だけのようだ。留学センター勤務の方は,3月赴任で8月までの半年勤務とのこと。朝夕の送迎バスがあるそうだ。実はホテルのレストランに入ったのも初めて。いつも素通りするだけだったのである。
 昼間からビールを飲んだので,散会後ベッドで横になる。学生から電話があり,夕方ビデオの編集の事で私に部屋に来たいという。18時30分に訪ねて来た。学生が撮ったビデオはソニーではあるが録画方式がPAL。日本はアメリカと同じNTSC方式。でもなんと日本から持ってきたNTSC方式のビデオでもPAL方式の再生はできることを発見。キャプチャしている間に夕食のため外に出る。学生2名はしてきたそうで飲み物をつきあってくれた。日本食の「富士亭」は一度行ってみたかったところ。カレーを注文するが売り切れ。ハヤシライスもどきを注文。スープに漬け物2品とアイスが付いたセット。
 キャプチャできているのを確認後,帰っていった。明日の卒論指導の準備。

 合間にやっていた「長崎郵趣」の編集完了。詳細な資料があったのだが,手書きやワープロ打ちのため打ち直しに時間がかかった。でも資料がいただけるだけでもありがたい。明日発送しないと来週の日曜日には届かないだろう。
 157000アクセス。まだインターネットが使えない。フロントで聞くと明日修理とのこと。

2007年5月12日(土)
日本文化祭当日

 日本文化祭の当日。7時30分に外国語学院(外国語学部)の前にバスが来るので集合するようにと前日K教授から連絡を受けていたので,遅れてはならない。荷物もビデオカメラや三脚等多いので,タクシーを拾い,大学正門まで。5分前に到着。既に多くの学生が集合している。4年生のO君もいた。K君がケータイで連絡している。結局バスが来ないことになり,タクシーで分乗して行くことになった。数十人が次々に乗り込む。タクシーが後から後からやって来る。いつも思うのだが日本に比べてタクシーの台数が多いようである。最後に実行委員のK君のグループと乗り,会場へ。今日は私にタクシー代を出させなかった。タクシーは西門に着き,荷物も多いので衛視と構内乗り入れを交渉するが不可。けっこうな距離歩いて芸術学院に到着。
 8時30分開始なので,ビデオカメラの設置場所や最後のプロジェクター・スクリーンの設置手順を確認。
 本部が1〜4年生,浄月校も1〜4年生で計8クラス。1クラス30名平均。それに他学部の選択科目で日本語を学習している学生も交えて250名以上の学生に教員を加えた参加者である。劇や歌・踊り等が続き,学生の出し物は終了。先生方による審査表の回収があり審査集計。その間クイズ。プロジェクターでスクリーンに映しての日本に関するクイズ。その後引き続き私の「昭和切手」の話。使用例のおもしろさを中心にするも時間不足で終了。審査集計が終わったのである。表彰と講評。講評は7月で帰国される福田先生にしていただいた。私の感想は,司会・進行の学生のうまさである。実に堂々として流暢な日本語。出し物も大学生の文化祭に相応しいものであった。
 終了後,慌ただしく撤去作業をし,有志の先生方10名で昼食をすることになった。13時過ぎになっていたので,浄月校の近くのレストランで。中国ではしっかり食べてから飲むのが基本である。ひとしきり食べてからビールで乾杯。話題は来週のスピーチコンテストに。来週土曜日の19日に長春工業大学であるそうで,8時30分開始なので7時30分に待ち合わせをすることになった。帰りは大学の公用車でホテルまで送ってもらい帰宅。
 飲み過ぎ・食べ過ぎたのでベッドに横になっていると,電灯の明かりの光が微妙に揺らぎ,消灯。とともに焦げ臭い匂い。ドアの外にでると煙。隣室のカナダ人老夫婦のご主人が「ファイヤー」と叫んでフロントに連絡しに走って行った。階段を下に降りると,1階の配電盤が燃えている。程なくフロントから数名の人が駆けつけ,消化器で火を消し止めた。しばらく停電。夜中に復旧するもインターネットは不通。
 風邪薬を飲んで寝る。明日9時30分から「長春日本人教師の会」勉強会があるらしい。月例の勉強会だそうだ。場所はこのホテルの6階会議室。私の所は2階建ての別館なのでフロントのある本館の6階である。

2007年5月11日(金)
初めてのバス一人乗り

 朝,依然として風が冷たい。1・2が4年生,3・4が3年生。授業終了後K君が,スクリーンを借りており,明日の日本文化祭のリハーサルをするので会場に来てくださいと言う。午後はスピーチコンテスト出場者の指導があるのでそれが終了次第行く旨返事。昼食は K君が忙しそうなので,図書館の売店でパンと月餅のようなものを購入して食べる。14時からスピーチコンテスト出場の学生の指導。1文ずつ発音・アクセント・イントネーションを直していく。放送部でのアナウンス・朗読の指導が役立っている。ただ放送のアナウンス的な指導と違い,弁論部的なアピール力も必要。審査員には日本人と中国人が半々だそうなので,中国人の審査員向けに身振り手振りを交えたアピール力も必要である。16時過ぎにひととおり終わり, K君に連絡するとまだやってますので早くきてくださいとのこと。そのためにはプロジェクターをホテルに取りに帰らなければいけない。
 大学正門前からバスで帰る。初めて一人で229番のバスに乗った。スーパー前で下車して,ホテルに帰り,すぐ引き返し,大学北門の前のバス停から,浄月校区行きの160番バスに乗る。乗るバスの番号を間違えないで乗り,下車場所さえ間違えなければバスは一人でも大丈夫。でも下車場所はよく注意していないと見逃しがち。30分ほどかかり,東北師範大学浄月校の正門から芸術学院(芸術学部)の建物に入るがホールにたどり着けない。3階や4階に行ったりしてうろうろ。そこに見えているのにたどり着けないのだ。ケータイで連絡して迎えにきてもらい,無事たどり着く。2階に,ホールへ入るドアがあった。会場ではまだまだリハーサルの最中。司会・進行役の学生がそのつど変更した文章を持ってくるので私が添削。ひととおり終わった頃に,クイズと私の演目をプロジェクターでスクリーンに映してみる。全てが終了したのが18時30分くらい。K君がお腹が空いたのでここで食べていきましょうというので浄月キャンパスの学生食堂で一同食べることにした。K君は入学後1年間商学部に通っていたので浄月キャンパスが懐かしいのである。第二学生食堂の2階。隣のグループをみるとビールを飲んでいるのでビールも注文。K君は酒類は苦手というので,学生4人には落花生豆乳飲料を,私のカードで。落花生から作る豆乳で普通の豆乳より飲みやすく学生食堂では普通においてある。ここでも私は珈哩炒飯。
 帰りのバスは18時が最終なのでタクシーで帰ることになった。K君が交渉するが不調に終わり大通りに行こうとすると呼び止められる。交渉成立。女子学生3人を寮で降ろし,私とK君は大学正門まで。20元を私が支払う。下車して聞くと,普通に乗ると28元から30元かかるが最初に交渉すると最短ルートで行くらしい。一昨日もバスを待っているとタクシーが大声で怒鳴って通り過ぎていくの聞いたら一人5元でいいと言っているとのことだったので一人5元の25元で交渉したものだと思っていたら1台20元で本部正門までで交渉したらしい。正門でK君と別れ,雨も降っているので再びタクシーに乗り,ホテルへ。渋滞が激しく,ホテル側へ左折できないので,スーパー前で下車。
 明日の演目をパワーポイントで作成。

2007年5月10日(木)
休養日

 完全に鼻風邪の状態。喉と鼻水が出る症状。外に出ることもなく風邪薬を飲んで1日ゆっくり寝る。
 ネットでバンコク展の参観のための往復航空券とホテルの検索。格安航空券は10日FIXというのが多い。ホテルは公式ホテルになるだけ近いところで1泊5000円ぐらいのところで探す。

2007年5月9日(水)
バンコク展

 依然,朝の風が冷たい。4校時終了後K君S君で北食堂2階に行く。韓式炒飯4元。12日の日語科文化祭のリハーサルのため浄月キャンパスの芸術学部に行くというので私も行くことにした。13時出発。バス1台を大学が出してくれた。1・2年生含めて40人ほどで行く。芸術学部のステージは広い。客席は横30席が10列に階段状に並んだ横長の状態。ステージに登ると客席部分と同じくらいの広さがあるイメージ。
 3年生が司会進行役なので,リハーサル途中原稿の訂正を持ってきたのを添削する。最後の演目が私の「昭和切手蒐集」。パワーポイントとプロジェクターで切手蒐集についての話。20分程度なのでたいした話もできないだろうが,英文を使った国際展仕様のリーフより国内展用の日本語書き込みの方がこの文化祭に相応しいので,JAPEX2002の作品をもとに話をするつもりである。
 全て終了したのは17時45分。貸し切りのバスは1・2年生とともに既に帰ってしまっていたので,リハーサル終了時に残ったのは実行委員の浄月キャンパスの3年生2名と本部の3年生5名。その5名と路線バスを使って帰る。大学構内に「果園」の表示があり,何かと聞くと「果物園」のことで果実ができたら学生は自由に穫って食べていいそうだが「あまりおいしくない」とのこと。軽軌鉄道の東北師範大駅も立派だが遠回りになるのでバスで帰る。
 大学前のバス停で学生と別れ,帰宅途中雨が降り出した。19時前帰宅。
 ホテルのフロントから郵便物を渡される。長崎郵趣会の例会報告。4月25日長崎中央の和文ローラなので2週間もかかっている。もう一つは実家からの郵便物。5月1日の島原の和文印消し。EXPRESS表示の航空速達。7日で到着したことになっているが,差し出しは4月27日。速達なのにどうして4日間も消印しないで放っておいたのだろうか。しかも和文消で。欧文の証示印も押していない。
 ビールを飲んでそのまま寝てしまう。

 メールでバンコク展のアクセプトがなされたとのこと。12作品中10作品のアクセプトだそう。これで夏休みのバンコク行きの準備ができる。2日搬入で12日に搬出なので,8月1日出発になるだろう。12泊すると滞在費だけでもそうとうかかりそう。

2007年5月8日(火)
国際展級切手展

 3・4校時の作文の授業は,テキストがないため折々の新聞に題材を求め,2時間の講義も前回書かせた文章の中から話をしなければならない。作文自体は課題として書いてくるようにと指示しておくと書いてくる。提出したあとも添削でかなりの時間がかかるのである。
 昨夜頃から冷え込み,風が冷たい。昼食は3年生の級長K君と。図書館のコーヒーハウスのカレー。管理センターや事務室が業務を再開する13時30分まで4階の日語科室で過ごす。その後管理センターのLさんから給料をもらう。これで中国元が手に入った。学部事務室に行くと日本からエアメール。SHINJUKU5月2日付で今日到着。6日間。江戸悪奴会切手展の最終確認書。10フレームも出していいのだろうか。日本切手部門に限れば国際切手展並みのレベル。
 教材研究をして帰宅は18時過ぎ。野菜炒めとインスタント味噌汁の夕食。喉が痛いので風邪薬を飲んで寝る。

2007年5月7日(月)
連休最終日

 明日の作文の素材探しを新聞各社のWEB上で行う。いくつか候補を見つける。午後再びインターネットが使えなくなった。どうも安定しない。
 昼食は,電子レンジのオーブン機能を使ってパンを焼く。トースター代わり。夕食は,初めて調理らしきものをする。野菜炒めをF氏に日本から持ってきてもらったウスターソースで食す。夜,インターネット復旧していた。
 昼間,ベランダの掃除。埃で見えなかったが,食堂と同じピンクのタイル張りという事が初めてわかった。埃は黄砂だろうと思う。バーベキューもできそうな広さ。同じ棟の欧米人はよくこのベランダに机を出してパソコンで仕事をしているのをみかける。夜は入浴後浴槽の掃除。

2007年5月6日(日)
連休6日目 

 3・4日の市内見物・旅行で,連休前に両替した中国元を使い果たし,もうどこへ出かけようという気にもなれない。両替をしてきてなかったF氏の分も出したため。精算は日本円でもらった。連休期間中はどこも両替出来ないのである。また中国はクレジットカードが使えないのも不便。
 午前中は洗濯をしたり,読書をしたり。いつの間にかインターネット接続が復帰しているので,ネットに繋いだり。午後は研究室に出かけて,Kさんの卒論の手伝い。KさんのUSBメモリ,ネットカフェで使ったのでウィルスに感染しているかもしれませんとのことだったが,そのとおり感染していた。ノートンで削除してやった。
 帰りにスーパーで買い物。明日籠城する分の買い出しである。サクランボがおいしそうなので10個ほど。15元。スイカも半分切が10元。スイカは4月からあったのだが,どうせ高いだろうと値段も見ていなかったのだが,サクランボとの価格差で安いと感じ購入してしまった。カンビールは朝日の生。
 明るいうちに着いたので,おやつとして,買ってきた半切のスイカのさらに半分を食す。サクランボ5個ほども。山形産ほどではないにしてもまあまあいける。

2007年5月5日(土)
連休5日目 休息

 友人F氏の見送りに学生のKさんがホテルのロビーまで来てくれた。白タクも待ち合わせ時間に既に到着している。6時出発。7時には長春空港へ。通訳役のKさんのおかげでスムーズに手続きも終え,7時30分には入り口で見送る。帰りの途中でKさんは降り,私は寓居まで送ってもらう。
 その後はのんびりとした1日。昨日までがハード過ぎたので一休み。Kさんの卒論の下調べをしたり,読書をしたりの1日。またインターネットが接続しないので,DVDを見て過ごしたり。

2007年5月4日(金)
連休4日目

 6時20分ロビーでの待ち合わせの前にO君からケータイで連絡あり。タクシーで迎えに来てくれた。そのまま長春駅まで行く。7時13分発の新幹線「和諧号」D24次。東北地区はフランス,華北は日本,南はドイツの新幹線の技術で開通したそうである。和諧号はフランスから部品を運び,長春で組み立てたそうだ。4.18の時刻表改正で登場したが試運転で,5月1日のメーデーから本格運用になったらしい。長春・北京が6時間なので日帰りも可能とのこと。
 車中,ビュッフェでパンとビスケットで朝食。9時24分沈陽北駅着である。切符売り場には長蛇の列。この時点で沈陽南駅にあるという蒸気機関車博物館行きを諦める。鉄道で行くと時間がかかるので,タクシーでの沈陽駅に行く。駅に着き,まず食事。吉野家が沈陽には多い。並みが11.5元だがセットで15.5元を注文。味噌汁とキムチ付のセット。日本でも食べられない吉野家の牛丼を味わう。味噌汁は白味噌だが,薄すぎる。中山広場をめざして歩いていく。中山広場は旧日本関係の遺構が多いところ。奉天ヤマトホテルを見つけ,ティールームでコーヒーを飲むことにした。客は我々3人のみ。アイスコーヒー2杯とオレンジジュースで80元には驚いた。日本並みだとF氏と話していたらO君がここはヤマトホテルでしょ,だから日本式なんですと鋭い意見。1次昭和14銭と25銭を貼った奉天ヤマトホテル宛の航空便を持っていたが,ひょっとして処分したかもしれない。帰国したら探してみよう。現在結婚式場になっており,披露宴が行われていた。今でも超一流の場所らしい。
 中山広場のロータリーは公園になっており,毛沢東の像がある。同じポーズで記念写真。タクシーで故宮に移動。清朝初期宮廷があったところである。世界歴史遺産。タクシーに乗って行く途中,路地裏の道を行く途中駐車している車のところからスクーターが飛び出してきた。転倒もしない接触事故だが,後ろに乗っていた10歳くらいの女の子がさっと飛び降りてタクシーの運転手に大声で怒鳴り,文句らしき言葉を堂々と言っているのにはびっくりした。女の子でさえたくましいのである。我々はそこまでのタクシー代10元を払いその場を離れる。人だかりがしてきたが警察を呼ぶ気配もない。こういう場合は警察を呼ぶより示談になるそうだ。そこから故宮まで歩く。入場料1人50元。最初の建物を降りる階段のところでF氏が転倒。柔道の先生なので受け身をしたのだが,手のかすり傷。すぐO君が係員に連絡に行った。私がいつも持参している濡れナプキンで拭いている途中で横にいた親子連れのお父さんらしき人が綿棒と赤チンを出してくれそれを塗る。O君が係員を連れて来たが,傷がたいした事がないとわかるとバンドエイドを取りに行って持ってきてくれた。礼を親子連れに言うと中国語で何か答えてくれたのでO君に尋ねると「当たり前の事をしただけだ」とのこと。よく薬を持っていたなあとO君に言うと,子供のために外出時には持ち歩いているんですとのこと。途中休憩しながら歩いてまわった。
 次は柳条湖にある九一八歴史博物館。日中戦争についてよく調べられてあり,侵略者日本による「偽満建国」から「光復」までがわかるように展示してある教育機関である。最近の警戒すべき人物として某都知事や幾人かの文化人が多数実名で糾弾されていた。
 私が最も胸を痛めたのは日本軍の投降の写真パネル。父の一つ上の伯父が二十歳そこそこで満州で兵隊として終戦を迎え,シベリアへ抑留されていたのである。もっともそのことが判明したのはゴルバチョフの情報公開があってから。それまでは満州で死亡とされていた。あの写真は同じような境遇にいた伯父の肖像かもしれなかった。
 最後は北陵,これも世界遺産の一つ。入り口から門まで1.5キロある。そこで3人乗り自転車で行くことに。30年ぶりの自転車なので中央に私。3人乗りに乗るのは初めての経験。陵の周囲は散歩コース。季候もよく,初夏の風情のある風を切って走るのは実に快かった。料金は1時間40元で預かり金100元。
 17時になったので食事に。沈陽に行ったら何はなくとも中街へと称されるが,中街は歩行者天国。地元民O君のお薦めは「老辺餃子」本店。日本にも支店がいくつかあるそうだ。蒸し餃子3種類と焼餃子2種類と白菜・貝の炒め物を肴にビール数種類。3人で127元。18時30分過ぎに出て沈陽北駅に向かう。新空調軟座特快19時8分発T531次。ホームまでO君が見送ってくれた。O君は市内の実家で過ごすのである。特急なので途中停車駅は四平のみ。22時前に長春着。

 昨日行ってみて非常によかったので,F氏に韓式マッサージを勧めたところ,行ってみるかとやっとその気になり,再び「天倫」へ。今日は私は入浴のみの38元。入浴後は3階休憩室で休む。25時過ぎ帰宅。到着すると入り口のドアは鎖がかかっていて入れないので守衛さんを呼んで入れてもらった。こんなに遅く帰るのは始めて。明日も早い,6時出発なのですぐ寝る。

2007年5月3日(木)
連休3日目

 朝8時にO君が迎えに来ることになっていたが,10分前にはロビーに到着。朝食を学食で取るために大学まで。北食堂の2階,韓国料理のビビンバを朝っぱらから2人して食す。F氏ご満足の様子。F氏の両替をするために中国銀行まで行くことになったが,労働節で7日まで休み。ならば外資系のホテルなら両替出来るのではないかとシャングリラホテルに行くことになったが,この近辺は満州時代の官庁街。国会議事堂を始め遺構が多く残るところ。最高裁判所を始め遺構を見物してから。国会議事堂は吉林大学の医学部附属病院になっているが,1階の売店で入場料10元払えば日本語で解説と案内をしてくれるらしい。しきりに満州時代の絵葉書写真集とビデオCDを買えと勧められ心が動くが荷物になるので後日買いに行くことにした。白黒200元,カラー版400元近くするのは高すぎ。満州時代の新京の特大地図50元もあった。
 旧関東軍司令部はお城風の建物。現在は中国共産党が使用しているため,遠くから見るのみ。シャングリラに行くが両替は宿泊客のみのサービスとのこと。
 昼食は近くの中華料理店で。ここでもビールを飲み過ぎ,70元。午後はタクシーで偽満州皇宮へ。前回は大雪の時だったので,我々以外の見物客は皆無だったが,今回は連休中ということで,団体客を含め,人出が多い。前回は40元だったように記憶しているが今回は80元。O君の分は学割で30元,しめて190元。帰りは桂林路の桂林市場の見学。F氏も30元ほど購入していた。
 お友達がきたら案内してあげると喜ばれるよと管理センターのLさんから紹介されていた「天倫」入浴場。マッサージ込みで130元のコースを紹介されたが,F氏は38元の入浴のみでいいというので,私のみ申し込む。入浴後韓式アカスリ。つるつるになった。しばらくサウナ等に入っていると,案内されマッサージ。至れり尽くせりのサービス。爪切り,足裏マッサージ,髭剃り後顔面マッサージと海藻の顔パック。19時前に入ったのに,21時過ぎに出て,昨日と同じように珈哩工房で夕食。ビールの飲み過ぎで68元。
 ホテル帰宅後,そのまま休む。インターネット接続依然としてできず。明日は6時20分が出発時間。

2007年5月2日(水)
連休2日目

 今日もゆっくり起きて,午後研究室に。ホテルのインターネットが使えないので,研究室の回線から接続を試みる。なんとか5月分の日記をアップすることができた。夕方スピーチコンテスト出場者のKさんが来室。
 18時頃から友人F氏が長春空港に到着するため,迎えに行く。O君が都合が悪いので,Kさんが同行してくれるという。バスで行こうとターミナルに行くが18時で窓口が締め切り。白タクのおにーさんが往復120元でいいと言っているらしい。タクシーで行くときの半分の料金。しかもこちらに帰ってきてからの後払いでいいらしい。結局その人に送ってもらうことにした。
 事前のメールでは20時15分着とのことだったが,結局21時着。22時頃ホテルに着いた。5日の早朝の送迎もこの人に頼むことになった。
 珈哩工房で食事,ビールを飲み過ぎ72元。
 帰ってきてからも日本から持参の焼酎とこちらのビールで深夜26時30分までつもる話をして過ごす。

2007年5月1日(火)
連休1日目

 昨日までの連続4日間の連続4時間授業というのは,こちらに来て初めての経験。ということで今日は完全休養日。炊飯器で炊いたご飯があるので,卵とハム・ソーセージがあればなんとかなる。キムチと海苔もある。それにヨーグルトと100パーセントジュース。15時くらいから再びインターネット接続ができなくなった。LAN自体は100Mbpsで接続しているので外部との通信が不調なのだろう。明日まで待って接続できないなら,フロントに言わなければならない。
 3・4日の長春・沈陽旅行の事前学習のための読書とTV番組・映画DVDを見て過ごす。部屋から一歩も出ず。

  2007年5月


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