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2007年4月30日(月)
教育方針

 朝,通勤途中風が強い。芸術学院横の杏の花もこの強風ですっかり散ってしまい,葉桜ならぬ葉杏状態。
 1・2校時K教授による授業参観。昼食をご一緒し,アドバイスをいただく。東北師範大学日本語科の教育方針は,板書より会話,文法より用法・用例中心で,それに沿った授業を展開してほしいということだった。日本人教師が陥りやすい欠点は,日本人だと「表現力・語彙力=理解力」が成り立つが,日本語科の生徒は難関の入学試験を突破しただけに理解力はある,足りないのは日本語の表現力・語彙力だということで,それにしても漢語は理解できるので,ひらがな表記の語句の用例をたくさん挙げた授業をしてほしいとのことだった。たしかにひらがな表記の語,たとえば副詞・接続詞・オノマトペ・畳語の理解が難しいとは授業で感じていたことではある。
 たまたま授業の例文で「悲しいたって」が出てきたとき,「悲しいったって」と「悲しくたって」との違いの質問が出て,「@過去・完了の助動詞『た』に接続助詞『とて』が接続するので連用形接続」「A引用の格助詞『と』に『言ったって』『したって』の意の『たって』がつくので終止形接続,『と』が促音便になる『っ』がつくのが一般的」で説明を終えるよりも,用例を挙げて「苦しくたって悲しくたってコートの中では平気なの」「今頃学校へ行ったって誰もいないよ」今更悔やんだってはじまらない」「簡単にあきらめなくたっていいじゃない」を@の例,「普段元気だったっていつ病気になるかもしれない」「逃げようったって逃がさないよ」「旅行ったって伊豆の温泉に行ってくるだけだ」をAの例のように例文を豊富に示してほしい。@では撥音便「ん」のあとには濁音化する,例「悔やんだって」,Aでは名詞にもつく,例「旅行ったって」を補足すればさらにいいとも。
 というようなアドバイスをレストラン「上島珈琲」で昼食をしながら話していただいた。「上島珈琲」は日本の上島だが,資本は台湾資本だそうだ。日本→台湾→中国という図式。
 ちょうど1ヶ月授業をしてみて,適当な時期に適切なアドバイスをしてもらったと感謝する。といっても明日から7連休である。
 午後は,連休明けに返す作文の添削。これが終わらないと気持ちよく連休が過ごせない。
 途中,連休中沈陽(旧奉天)の旅行の案内をしてもらうO君と市内の見学箇所とコースの確認。特急アジア号のパシナ型が展示してある蒸気機関車博物館に行けるかどうかは日程次第。場所がちょっと離れているので,今回は見送らなければならないかもしれない。切符もO君の家の方が立て替えて購入してくださったそうだ。ありがたいことである。それにしても帰りの切符がその駅でないと買えないというのは不合理。それとも旅行代理店を儲けさせるためにそうする必要があるのだろうか。
 連休が明けるとしばらくして4年生の卒業考査。作問の準備をする必要があるので,大学内のスーパーの横の書店にテキストを余分に1部ずつ購入するために行った。3冊で60元ほど。
 その後,ビールが切れかかっていたので横のスーパーで食料品やDVDを購入。20時過ぎに帰宅。日本時間だと21時である。

2007年4月29日(日)
浄月キャンパス

 朝,外に出ると暖かい風。大学正門まで15分,そこから研究室まで5分。でも外国学部棟が正門から一番近いのである。1・2校時が終わり,10時から4年生の授業があるので少し前に教室に入ると,3・4校時の授業はなくなったと学生が言う。それを確かめにK教授の所に学生と行くも不在。日本語学部の部屋に行くとKan先生がいらっしゃったので聞くと,全学年スポーツをすることになったとのこと。Kan先生もK教授もさきほど知ったばかりという。世界スポーツデーとかで急遽一斉にスポーツをすることになったらしい。4階から眺めると,日本語科以外の学科の生徒もクラス単位でバレーボールをしたり,ドッジボールをしたり。中国らしいのは足で蹴る羽子(ティアンズ)。私とKan先生は4階の部屋で学校や日本についての世間話をして気づくと12時になっていた。3年生のK君に電話すると図書館前にいるという。学部棟の中は冷たいのに外は暖かい。K君と一緒にいたS君はなんと半袖のポロシャツ。図書館の食堂も弁当も売り切れで北食堂に行くことになった。2階の入ったすぐのところの料理を食べることにした。カレーらしきものを食べている人がいたのであれは何だとS君に聞いたらわざわざその人のところに聞きに行ってくれて判明した。同じものを注文。3元のカレー。もう一人のクラスメートも加わり4人で食事。
 この両君は午後,文化祭の打ち合わせに浄月キャンパスにいくという。私も行っていいだろうかと聞くとぜひ来てくださいという。13時にもう一人と待ち合わせしているというので,MBAの観戦に湧く食堂の片隅で文化祭進行台本文章の添削をする。
 13時にKさんを入れて4人でバス停へ。160番バスに乗り「師大新校」で降りるらしい。女性運転手の運転するバスは全速力で走り,きっかり20分で着いた。普段25分くらいかかるらしい。速度制限はないのかとK君に聞くとそんなもの誰も守っていないですよとのこと。
 バス停で降りしばらく歩くと浄月キャンパスの正門へ。芸術学部学生制作の彫刻ソクラテスかプラトンらしき哲人と孔子との出会いの場面らしい。広大なキャンパスである。煉瓦作りを基調にした校舎でまるでハウステンボスの建物群のよう。ドムトールンに匹敵する時計台まである。まず外国学部ビジネス日本語科の学生を訪ねた。打ち合わせの後,訪ねたのが校舎群の中でもひときわ大きい図書館。3階と4階の開架室を見た後,1階のスーパー。構内に寮完備なので数千人が生活出来るように必要品や場所が完備されている。私も少々買い物。最後にアイスクリームを4人で。
 その後,日本語留学センター棟を見学。あいにく日本語教師は太極拳の練習で出払っていて鈴木先生しかいらっしゃらず挨拶のみ。二十数名の日本語教師がいらっしゃるそうだ。日本人教師も3月に来て8月に帰国する短期の教師とのこと。このセンターは中国全土から日本へ留学する生徒に必要な日本語を半年で教える施設らしい。
 ここに居るときLさんからケータイに電話があり,書類作成完了したのでパスポートの受け取りOKと連絡が入る。
 バス停までの間の途中のバス停「北東師大」表示をK君が見つけた。もちろん「東北」のミスプリントである。さすがおおらかな中国。
 帰りのバスを待つ間,市内で見かけない車をよく見かける。日本の軽自動車より小さい車体に4ドア,前輪1の3輪車である。K君に聞くとオートバイですという。あれは市内に乗り入れはできないんです,市内ではみかけないでしょとも。珍しいのでデジカメで撮った。再びバスで帰り東門を入ると17時に5分前。5分で管理センターまで行こうと早足で行くが,17時を過ぎてしまった。ケータイで連絡すると,まだ居るからどうぞとのこと。パスポートを受け取る。これで連休中の旅行ができる。ホテルのインターネットができない旨伝えるとすぐ連絡してくれ,もう直ったとの連絡を受けたとのこと。やっと日記がアップ出来る。
 研究室でしばらく教材研究をして18時30分帰宅。
 インターネットができない。再びLさんに連絡取れたのが20時過ぎ。フロントで交渉してほしいとのこと。紙とシャ−プペンシルとケータイを持ってフロントへ。筆談でなんとか分かった。インターネット壊れた,明日修理すると。
 DVDのTV番組を見る。

2007年4月28日(土)
杏の花に決定!

 部屋は暖かいのだが,外へ出ると空気は冷たい。2校時終了後,FAXをしに学部事務室へ。事務室には日本宛のFAXはなく学部長の部屋にあるというので,事務の人2人と日本語教師L先生と私の4人でFAXをしに行く。が,結局不調。管理センターのLさんのところに4校時終了後行くことに。事務室の方とL先生に花の画像を見せると杏の花だとのこと。やはり長春には桜はないらしい。大連に行けばあるそうだ。
 4校時終了後LさんにFAXしてもらいようやく完了。その際インターネット接続の事も連絡をお願いした。明日まで待ってほしいとのこと。昼食はK君と図書館のコーヒーハウスでカレー。6元。弁当が売ってあるところも見学に行く。いったい学内に食事関係でいくつの売店・場所があるのだろう。
 午後,スピーチコンテスト出場者の指導。3年生の日本語学科文化祭実行委員たちの原稿作成の指導。研究室で無線LANの電波を2箇所キャッチ。54Mbpsの速度が出ているのだがさほど軽快でない。結局有線LANに繋ぐがこちらも100Mbpsの表示の割にはいまひとつ。skypeの会話もとぎれがち。日記の更新もアップできない。途中で切れてしまうのだ。大学でフィルタリングされ,国家でフィルタリングされているせいだろうか。
 18時過ぎに学部棟を出ると外の方が暖か風。風も暖かいのだ。部屋に入るとやはり室内が寒い。こんな日もあるものなのだ。

 JPSオークションのスタート価格が出るのを待ってダウンロードして帰る。4点のうち2点は圏内,誰も気づいていなければ儲け物と思って最低値の10倍以上で入れたものはきっちり一声上。さらに代行で頼むかどうかは一晩じっくり考えよう。昭和・富士鹿風景・新版田沢に昨日の日記にあるような新ご当地消。潔く諦めるべきか。

2007年4月27日(金)
超特急

 金曜日のみ授業は4年生から1・2校時が始まる。連休前半の予定が決まり,瀋陽(旧奉天)までの切符を買いに,4校時終了後大学の近くの切符売り場に行く。時速200キロ以上で走る超特急だと1時間半。停車駅も長春の次が四平,その次が瀋陽と2駅目である。普通列車だと3,4時間かかるそうだ。座席も新幹線並みとのこと。O君と一緒に行き購入してもらう。O君に桜の花らしきものを撮った写真を見せると桃の花ではないでしょうかとのこと。長春に桜の木はありませんとも。
 午後スピーチコンテストの学生の指導。教材研究をして帰ると帰宅は18時30分。冷え込みが強い。ホテルのインターネットが接続出来ない。2・3日前もあったがそのうち復旧したので明日まだ直ってなかったら,連絡するとしよう。

 JPSオークションの入札用紙を記入。FAXは明日。

2007年4月26日(木)
休日

 連休前の貴重な休日。明日から土日がそれぞれ金月の授業になり金金月月の4日間授業日になるのだ。労働節で1週間も休めるというのはいいがなかなかその前準備は大変である。
 今日は出校せず,のんびり過ごすことにした。昼食は珈哩工房でビーフカレー。量が多いのは中国風。12元。その後スーパーで買い物。台所用品と箒とちり取りを買って部屋の掃除。掃除はしてくれる事になっているが見えないところや細部まではしないのが中国流。普段は気づかないが1日家にいて陽光の中で部屋を見るとけっこう綿埃があるのに気づいてしまったのである。
 炊事するようになって水の減りが早い。とうとう底をついたので,水の交換をフロントに言う。夕方,係の少年が来て取り替えてくれた。5ガロン約19リットル分の水である。10元。
 DVDでTVドラマを見る。

2007年4月25日(水)
杏の花?

 朝,外に出ると風が冷たい。温かい日と寒い日が交互にきてだんだんと春に向かっていくのだろう。桜が一段と開花したようだ。4校時終了後1年生担当のY先生が切手収集家という学生を研究室に案内してくれた。その友人2人も一緒である。昼食はその友人の一人SさんとY先生を交えて3人で。いつものシン源飯店で。Sさんは1年生だが朝鮮族でとても流暢な日本語を話す。
 午後スピーチコンテストの出場生徒の指導。昨年のコンテストのDVDビデオを見せてもらう。身振りや仕草や小道具を使ったもの。中国全土2600名以上の出場者が8ブロックに分かれ予選を行い,各地区2名のみ通過。さらに1名加えて17名だけが日本に行けるという。その17名で決勝を東京で行った結果,昨年3位入賞したのが本校の学生で,今教えている4年生と知り驚かされた。1位は大連の学生。東北地区は2名とも入賞したことになる。東北地区の日本語教育のレベルの高さがわかるというものである。
 18時過ぎ帰宅。
 どうも桜だと思っていた花は杏の花ではないかと思えてきた。よくみると花びらの先の切れ込みがないのだ。昼食時Y先生も桜が咲いているのを見たといってほんとうに桜だろうかと議論したのだが,桜によく似た花ということでは一致した。Y先生も昨年の8月日本からの赴任だから初めての春なのである。でデジカメで撮った画像を見てみると花びらの先端に切れ込みがない。

2007年4月24日(火)
桜咲く?

 通勤路に桜らしき花が咲いている。デジカメで撮る。こんなことをしているのは私くらい。
 9時に大学の研究室着。スピーチコンテスト出場のKさんが昨日手直しした原稿をみてほしいというので少し早めに出勤したのだ。他の先生のアドバイスも受け,明日また書き直してくることになった。火曜日は3年生の作文の授業のみなので,素材文の選定を新聞からしているのだが,昨日印刷室に行ったらもう閉まっていた。18時過ぎなので当然だが。ということで早めに行き印刷してもらう。
 昼食はK君と。初めて南食堂に行く。北食堂に比べて小規模だが,北食堂が大きすぎるので,こちらも十分多きいといえる。こちらの2階で3種類の料理とご飯で食べる。3.5元。食後1階で鯛焼のようなものとペプシコーラでデザート。3.5元。1階にちょっとしたスーパーがある。単4充電池8元を4本購入。昼食時テレビ前の人だかりから歓声。MBAというバスケットの実況中継で中国出身の長身の選手の応援をしているらしい。1階でもTVを囲むようにして観戦。ジャージ姿の学生が多いのでK君に聞いてみると,南食堂の横の寮が体育学部学生の専用寮とのこと。
 研究室に帰って午後から教材研究と作文の添削。仕事というものはやればやるだけ出てくるから不思議なものだ。帰宅途中朝見た花が一段と咲いているような気がした。どうみても桜のようだが本当に桜なのだろうか。明日先生方に聞いてみよう。16時過ぎに帰宅。

 4月11日こちらから差し出した長崎市宛の郵便が今日届いたとの連絡。航空便書状なのに13日かかったことになる。長崎市から3日で届いたのに逆は10日も余分にかかっているのは不思議だ。

2007年4月23日(月)
1週間違い

 だいぶ暖かくなってきたので,今朝初めてコートを着ないで通勤してみた。部屋の中は暖かいようだったのでコートなしでも大丈夫と思ったのだが,やはり外は冷たい風。でも真冬に比べれば十分にコートなしでも過ごせる。
 土日通勤しなかった通勤路,というよりビルの谷間であるが,その通りを歩いて行くと春らしさを感じるのは,花が咲き始めたからか。
 授業終了後,3年生の男子2名と北食堂の2階で昼食。韓国のビビンバ。5元だがちゃんと石焼きである。掻き混ぜて食べるのが正しい食べ方と教えてくれたのは朝鮮族の K君。午後はスピーチコンテストに出場するKさんの原稿添削と本人の指導。作文添削。帰宅は19時過ぎだった。
 
 「タカハシスタンプ」到着。実家から転送してもらったのだが,昨日到着したの1通と同じ日の差し出しだがなぜかこれだけ1日遅れた。こちらはホテル着。
 大学宛に送ってもらっている「全日本郵趣」「スタンプシバタオークション」到着。前者は9日差し出しのSAL便,後者は16日差し出しの航空便。1週間違う。どちらも印刷物。後者はなんとか入札に間に合った。

2007年4月22日(日)
郵便物到着

 昨夜寝る前に仕込んでおいた炊飯器,無事にご飯が炊き上がっていた。洗濯をして,9時の開店を見計らって調味料・醤油・野菜等の食材を買いに行く。すぐ帰りご飯で朝食。風邪薬を飲んで休む。昼食は遅めに取り風邪薬を飲み寝る。夕食は軽めに。ブランデーの水割りで。ワインも20元ほどの安物だが長白山ブランドを購入してきた。ワイングラスを買わないと。
 醤油の種類の多さには驚いたがウスターソースがないのはどうしたことだろう。明日にでも先生方に聞いてみよう。
 
 夕方2度目の買い物に出かけるときにフロントから郵便物が届いたと2通の郵便物をもらった。こちらは日曜日も配達するらしい。自宅からの郵便物の転送。「郵趣研究」「JPSオークション」,「たんぶるぽすと」,「日本フィラテリックセンターオークション」。同時期に3通送ったうちの2通なので「タカハシ」は残りの1通に同封されているのだろう。
 東京では全日展2007も今日まで。来年まで参観出来ないのは仕方がない。結果をウェブ上で知る。

2007年4月21日(土)
買い物&ホームシアター

 朝K先生から電話,修士論文の指導で学校にいるがスーパーに買い物に行くので,郵便局に行くならどうですかとのこと。昨夜話した事を覚えていてくださったらしい。
 スーパー前で待ち合わせ。こちらで買ったバッグ類の修理を郵便局前で営業中の修理屋さんに交渉してもらう。3箇所で3元。郵便局に受け取りにいくと,県教委からの新聞と私が発送をお願いしていた教科書類。あまりに重いのでタクシーで大学の研究室に運ぶ事にした。車中 K先生が携帯で学生に連絡を取ってくださって正門に着くとY君が迎えに来てくれた。卒業アルバムのクラス写真撮影で教室にいたとこと。小包は宅配でなく,郵便局まで受け取りに行かなくてはならないのだ。帰りはバスでスーパーまで。バスの乗り方を教えてもらう。ついでにバスカードもスーパーで購入手続きをする。乗るバスの番号さえ間違わなければ市内1元なので便利である。とりあえず50元ほどチャージする。
 電子レンジと炊飯ジャーを買うのが今日の日課。スーパーで見て電子レンジを購入。500数元が値引きで395元。同時にスーパーの会員手続きもする。電子レンジ程度までは宅配をしてくれないので,これもタクシーで運ぶ。タクシーに乗るとき K先生とは別れた。
 設置後昼食は珈哩工房でハンバーグカレーを注文したところ,ハンバーグがおそろしくまずい。二度と注文しないだろう。14時L先生と待ち合わせ先で会い,紅旗街のパソコンビルへ。スイッチングハブやウェブカメラ・マイク,USBハブ,USBメモリ2G,ブルーツゥースマウス等安い物だからつい買いすぎてしまった。500元ほど。あと変圧器はその向かいの欧亜デパートの6階パソコン街。こちらはパーツ屋もあり,やや怪しげな感じ。220Vを100Vに変える変圧器,天津で作っているようで300元。日本で買って持って行くより割安。1500ワットと表示してあるが600Wまでで使用してくれとのことだそうだ。主な用途は180Wのプロジェクターなので大丈夫だろう。光源を使う装置は表示ワットの3倍程度の余裕が必要らしいので,600wだったら大丈夫だろう。
 そのデパートの1階の受付で荷物を預け,炊飯ジャーの選定。一通り全部のメーカーを見て回るが,日本製は中国国産に比べて2倍以上の価格。結局シェアナンバーワンの美Mediaの500元のにしようと思ったが,もうひとつ上のランクの品がゴールデンウィーク前の値引きで800数十元が700元ほどになるという。それに決めた。タクシーでホテルまで運ぶのまで手伝ってもらった。L先生に感謝である。
 帰宅後早速変圧器を使ってプロジェクターでDVDのTVドラマを100インチで投影してホームシアター完成である。4時間通してみても電源が落ちなかった。日本から持って行った200Wでは1時間もしないうちに電源が落ちていたのである。
 風邪の初期症状で喉が痛い。前任者の先生方が残して行かれた薬類の期限切れは処分して,残っているうち風邪薬の未開封のものがあった。感謝しつつ使わせていただく。
 

2007年4月20日(金)
月月火水木金金

 通勤時風が強い。長春駅からまっすぐ南に延びている人民大街の大通りでは南からの風。あとで聞いたら西風にのって黄砂がきたそうだ。長春の春の風物らしい。
 いつものように11時30分の授業終了後昼食は学生のK君と。今日は図書館でカレー。夕方歓迎会なので軽めにすます。学生は11時30分に4校時が終了して5校時が14時からなのでたっぷりの昼休みがある。中には校内にある寮に帰って昼寝をする学生もいるそうだ。大学の管理部門・事務室も11時30分から13時30分までは閉まっているので,なにか用があってもじっと待つしかない。食後私も13時30分まで昼寝。郷にいれば郷に従えだ。お誂え向きに研究室にはソファがある。
 午後作文の添削。夕方歓迎会があるので早めに帰宅。ホテルに帰ると,郵便局からの通知が来ているとのこと。フロントに場所をなんとか聞き出し行ってみた。
 教えられたとおりホテルの3つ目の通りである桂林路を行くと桂林郵便局があった。かなり大きい郵便局。局員がいたので紙を出すと中国語で話しかけられる。全くわからないので携帯で学生に聞いてもらうと,もう時間外だから明日,パスポートを持って来るようにとのこと。そこで管理センターのLさんに連絡してパスポートを受け取りに行くことになった。時間がないのでタクシーで。
 無事パスポートを受け取り,外国語学部の1階に行くと送迎のバスが待っていた。17時20分集合だったのである。歓迎会は「社会主義新農村」という文化大革命当時の雰囲気を出した店。店員の服も人民軍のものである。会場は豪華な部屋でここは豊かな農村だそうだ。留学中の先生と某試験委員で缶詰中の先生の2名を除き残り12名が歓迎会に出席していただいた。主に東北地方の料理だそうだ。R教授の草野心平の詩を引用した格調高い挨拶から始まった。締めは私の挨拶で。帰る前に他の部屋の見物。文革時の新聞を壁に貼った部屋。印紙や配給券が展示してあったが解放区の切手はなかったようだ。
 20時前に帰宅。
 歓迎会でK先生から連休前の土日は振替授業があるとの連絡を受ける。28日土曜日は金曜日の授業,29日日曜は月曜日の授業があるとのこと。やはり飛び石の9連休ではなくきっちり7連休だったのである。まさしく月月火水木金金である。ということを言ったら隣のR教授がご存じですかという。こちらはR教授が知っているのが意外。博学だけある。K先生は金金月月だけどと仰っていた。

2007年4月19日(木)
生きる

 研修日だが,健康診断のため管理センターのLさんを9時30分に訪ねる。携帯片手にいつも忙しそうである。しばらくして運転手付の公用車でLさんと出かける。国際検疫センターというところでひととおりの検査。採血もあった。中国は注射針が使い捨てではないらしいので再感染を一瞬心配した。Lさんが通訳してくれたので滞りなく終了。再び大学の外国語学部前まで送り届けてもらった。11時過ぎで,朝食抜きだったので,少し早いが図書館のコーヒーハウスでランチ。Lさんにお願いして作ってもらった図書館カードを早速使う。入るときのチェックインに必要なのだ。5品から3品を選ぶのだが,番号で言えばいい。数字くらいは30年経っても覚えているので注文はできる。
 さすがに空腹が満たされず,3年のK君と11時30分過ぎに昼食を一緒に行く。軽いものでいいというと,吉林大学にいきましょうとの提案で,南門から抜け出し,吉林大学キャンパスへ。四川料理の拉面屋に入り,野菜の入ったトマトスパゲッティ風の麺を注文。6元で山盛り。量に圧倒される。スープ付き。食後にペプシコーラ。食後に薬を飲んでいると,日本の保険制度の話になった。中国はまだまだ遅れていますと。オリンピックでは40年遅れているが実際はそれ以上とも。帰りにアメリカの銃乱射と長崎市長銃撃の話題になる。外国語学部のエレベーター前で別れる。
 午後は3年生の課題の添削。途中3年生の生徒2名が『大つごもり』の劇の相談にくる。日本語学部の文化祭は5月の第二土曜日あたりに開催されるそうだ。
 ところで,5月1日から始まる労働節の日程が決まったとの連絡が学部事務室からあった。日程は年によって違うそうで詳しい日程が決まり次第教えてくれるようにお願いしていたのだ。1日から7日まで休みである。1日が火曜なので飛び石の9連休ということになる。月曜の午後からフリーである。
 結局,17時過ぎまでかかって課題の添削が終了。一昨日見つけて迷っていた電機敷き布70×140を買いにスーパーへ。49元。スーパー内のパン屋でパンとシュークリーム,ヨーグルト。
 帰宅後,黒澤明の『生きる』をDVDで見る。テキストの例文に雪のブランコのシーンの文章があったので,久しぶりにみたくなったのである。白黒なのだが夕焼けが美しく,この映画を見てから夕焼けに感動できるような生活をしたいものだと思ってきた。物を作るのは過程が大事だとも。できあがった物は結果でしかないがその過程で楽しめたら人生を生きたことになるのだろう。
 明日は日本語学部の先生方から歓迎会があるとのこと。先週延辺行きだったため,1週間延びたのである。日本人教師4名は先週,旅行で一緒だったのでわかるが,中国人教師は5・6人ぐらいしかお会いしていない。全部で10人だそうだ。

2007年4月18日(水)
郵便消印百科事典

 曇り空。7時40分研究室着。8時授業開始,9時30分終了,再び10時授業開始,11時30分終了。終了後質問があったので研究室に帰るのが少し遅くなった。水曜日は日本語科の先生方との昼食の日。外国語学部1階の入り口前に行くが,先生方がいらっしゃらない。先に行っているのかもと思い正門を出て,歩道を途中まで渡ったところで雨がひどくなったので,研究室へ戻り,折り畳み傘をとってくる。もしかしてと思い直し4階の日本語科研究室に行くと日本人教師のY先生が1人で作文の添削中。今日の昼食について聞くと,都合が悪い人が重なったらしく集まっていないようだとのこと。
 そこでY先生と一緒に食事をすることになった。二人とも食事をしたことがない食堂棟3階のバイキングである。5元払って選ぶが,行った時間帯が遅かったので,ほとんど残っていない。副食3品に主食に蒸しパン2種類とご飯を選ぶ。食後,1階でY先生から豆乳がおいしいと教えてもらい購入,1元。Y先生とはそこで別れ,雨の中帰宅。明日は休みだが管理センターに行かなければならないので,通勤する予定。だから添削作業は明日にまわして今日は早く帰ることにしたのだ。
 途中,「長崎郵趣」を3箇所に発送するため自由大路の郵便局に立ち寄る。「PRINTED MATTER」・「AIR MAIL」・「TO JAPAN」という単語を知っていればなんとかなると思ったがなかなか通じない。まず局員が英語を理解出来ないのだ。英語をわかる客が説明するが,印刷物の概念がないようだ。UPUで印刷物の料金が定められているはずなのだが。そして大きな封筒をもってきてこれに詰め替えろと言っているようだ。そのままの封筒では送れないらしい。仕方なく個別に送るのはやめて,その大きな封筒に3通を詰めて実家に送ることにした。国内に到着してからメール便で送ってもらうことにしたのである。
 料金は48元。ここにも5元切手がなく在庫の最高額が2元切手。これを24枚貼って差し出した。30枚シートから6枚除いたブロックである。
 雨中の通勤はこちらに来て初めて。

 「郵便消印百科事典」到着。といっても日本の実家宛である。SKYPEでTV電話している最中の日本時間の18時ごろだろうか,郵便が来たというので見せてもらった。エクスパックでの到着。画面にパラパラとページをめくってもらっての流し読み。図版も読み取れた。かなり印影については詳しそうだが,記事まではゆっくり読めない。これは7月に帰国したときにゆっくり見せてもらうとしよう。

 155000アクセス。

2007年4月17日(火)
製氷器

 火曜日は3・4の授業のみ。3年生の作文である。9時過ぎに出るつもりが9時30分になった。授業の最初に,長春に会社を出す計画をしている某日本企業が学生の日本語の能力を知りたいということでお見えになる。4年生はもう進路が確定しているので,3年生にということでR教授が案内してこられた。ちょっとした企業説明会。学生の質疑応答ももっともなものばかり。授業終了後K君と昼食。行きがてら会社について聞くと的確な評価。長春出身だったらいいかもしれないとのこと。K君は長春出身ではないのである。
 今日の昼食は留学生会館の1階。5元の定食。外国語学部からだと一番遠い所にある。そこまで歩いていくのに10分ぐらいかかっているのでもうほとんど売り切れ状態。食後K君とは外国語学部のエレベーターの前で別れる。
 13時30分までは事務室は昼休み。14時にパスポートを預けに管理センターへ。
 4年生の提出課題の添削と教材研究。課題を出すのはいいが後の処理が大変。でも現在の力を知るのは大切なことだ。
 17時過ぎに退出。スーパーで文房具類と食料品の買い物。ホッチキスや製氷器(水を入れる容器)を3階の文具と日用品の売り場で探す。製氷器は筆談で説明してなんとか見つけることができた。
 帰宅後製氷器に給水器の水を入れ冷凍庫に。大型冷蔵庫が備え付けなのだが,2ボックスになっていて冷凍庫が広いということに今日気づいた。冷凍食品がたくさん入るようになっているのだ。これで明日からオンザロックが飲める。

 長崎郵趣の印刷。明日発送できそうだ。B5判が入る大型封筒が売ってない。どこかにはありそうなものだが。こういうことを想定して日本から宛名印刷した封筒を4ヶ月分は準備してあるのでさしあたって必要はないのではあるが。

2007年4月16日(月)
吉林大学

 朝6時長春駅着。30分後宿舎に帰り,朝風呂。身支度をして7時30分に出かける。8時から授業。11時30分終了。
 昼食はK君。学内を散歩し南門から道路を渡り,吉林大学へ。ここにも旧建国大学の遺構とおぼしき建物が散見。その中の1棟の店で昼食。朝鮮料理の店。いつものようにカレー。食後東北師範大学の学内を案内してもらう。
 吉林大学では男子学生が目に付くのに対して,東北師範大学では女子学生の姿が多い。対照的である。
 早めに大学を後にし,スーパーで食料品を購入。

 「長崎郵趣」の編集。1週間計算を間違えていて,実は昨日が例会日だったようだ。

2007年4月15日(日)
SANBO

 朝8時から日中交流センターのサイさんのガイドで北朝鮮国境ツアー。最初は図們。橋の中心まで進み記念写真。
 次に開山。向かいは三峰里といって戦前はSANBOという欧文印も使用された土地。
 途中のドライブインのような民家風の店で地鶏料理。延辺の地ビール。キムチがうまい。で,最後に三合。向かいは会寧。戦前の日本切手収集家にはおなじみの地名である。
 対岸の北朝鮮の山々に木々が生えていなくてはげ山だったのが印象的だった。
 夕食は冷麺で軽く,といっても量が多い。延吉の国営の冷麺店で中の10元の冷麺だったが,全部食べることができなかった。
 食後再び按摩センター。2人で行く。21時30分長春行きの夜行で帰る。切符が取れなくて硬臥と呼ばれる2等寝台。

2007年4月14日(土)
延辺

 朝6時延吉駅着。駅前の呼び込み攻勢がすごい。賑やかである。右手の食堂に入り,朝食。終了後バスで延辺大学公寓へチェックイン。10時30分まで休む。
 11時から延辺日本人会総会に出席。夕方まで時間があるので按摩センターに案内してもらう。6階で受け付け5階でしてもらう。50名ほどの男女のマッサージ師が在籍し,部屋はさながらカラオケボックスのよう。足ツボ中心に1時間で30元。一行4人個室で。
 夕方延辺大学の日本人教師との交流会。7名と7名の14名。早めに休む。

2007年4月13日(金)
軟臥

 夕方18時に最年長のF先生宅に集まりお食事会。20時30分長春駅までタクシーで出かける。
 21時30分過ぎの延吉行きの夜行列車。1等の寝台がとれた。軟臥というらしい。

2007年4月12日(木)
30周年

 授業がない研修日だが,R教授に会うため出校。R教授は火と木のみの出校なので私と全く日が合わない。先週と今週の火曜日はそれが分からず,今日こそはと思って行ったのだが,かなり多忙でみんなが探しているらしく,なかなかつかまらない。かろうじて昼食をご一緒できることになった。K先生と3人で「SPR COFFEE 春天餐庁」という西洋レストラン。外国語学部の欧米系の先生もよく利用するらしく,日本人の好みの上品な味。食後のコーヒーの小は日本の大に相当する量。大はその2倍の量。中国は量が多いのである。食後のチョコムースもいけた。いろいろご配慮いただき感謝している。
 午後は3年生の『大つごもり』の現代語訳の添削。夕方完成しクラス代表のK君に連絡。早速明日から練習にかかるとのこと。
 16時30分に研究室を出て,スーパーで買い物。17時30分に帰宅。明日の夕方から吉林省朝鮮自治区の延辺地区に旅行する。金と日が列車泊,土が延辺大学の宿舎泊という日程。日本人会への出席と延辺大学日本人教師との交流,北朝鮮国境観光があるらしい。本校の日本人教師を中心に7名参加予定。月曜までは日記の更新はできそうもない。月曜日は長春駅6時着で8時から4時間の授業という日程になる。

 昨日買った切手シートを眺めているとナンバーリングで左上か右下に押印の版番号が全ての切手上に蛍光インクで加刷されているのが認められた。発光切手である。水で落ちるかどうかは不明なので,少なくとも未使用とオンカバー・紙付だと分類できることになる。
 ウェブを見ていると,長野君も私も展示作品を作り始めて今年で30年目かと感慨を新たにした。今年は全日展もJAPEXも縁がなく,8月と9月の展示のみである。人生の6割もアルバムリーフを作り続けてきたことになる。

2007年4月11日(水)
大学内郵便局

 ゆったりとした時間が流れている。昨晩はそのまま寝てしまったため早起きし,朝風呂。7時過ぎに宿を出て,7時30分には研究室着。8時から授業。4年生の授業では少し熱が入り,気づいたら11時36分と6分も時間がオーバーしていた。チャイムはないので授業開始も終了も自分の時計なのだ。授業開始も5分前に教室に入り音読の様子を見て時間になったら開始するようにしている。
 さて昼食は,水曜日は先生たちとすることになっていたので唯一携帯番号のわかるK先生にかけるとK先生は大学にでない日だそうだ。そこで学生のK君にかけると下で待ってますとのこと。準備をして1階にいくと先生方4名が待っておられてK君には事情を話して一人でいってもらったとT先生。浄月キャンパスから来られた先生が多いので,外国語学部棟の1階で待ち合わせ。外国語学部は浄月キャンパスへの送迎バスの発着所が近いのである。また正門から一番近い建物でもある。そのため先生方御用達の「シン源風味菜館」が食堂棟より近いのだ。4品と各人ご飯か炒飯で食べきれないほどの量。またしても支払いはさせてもらえない。R先生が出されたようだ。5名中日本人教師は3名。金曜日の旅行の話題も出た。
 1時間以上もおしゃべりをして研究室に帰ると13時過ぎ。15時過ぎに学部事務室から電話。新聞が届いたとの連絡。受け取りがてら差出用の郵便物を持って行く。新聞を受け取りそのまま学内の郵便局へ。大学名の入った封筒を購買部で購入したので,その封筒で出そうとしたら表の大学名を隠さないと差し出しできないらしい。裏にしか差出人を記載出来ない規則でもあるのだろうか。国内便はいいが外信便はだめだそうだ。これは近くにいた日本語ができる人に通訳してもらってわかった話。日本宛航空便の封書料金である5元切手がなく1元1枚と2元2枚で宛名を隠して出すように言われた。1元切手30枚シートと2元切手30枚シートを購入。郵便差出用。航空便はポストに入れるように言われたので東北師範大学内局の消印は特殊扱いにしか押印しないのだろう。
 研究室に帰ってきて教材研究をしていると17時過ぎ。17時30分にホテル帰着。

2007年4月10日(火)
添削

 今日は10時からの2時間の授業の日だが,事務的仕事と教材研究,それに生活のリズムを乱さないように,いつもどおり出勤,といいたいが8時過ぎに出勤。9時30分の2校時の授業終了と共に学生が研究室を訪ねてきた。10時からの授業は3年生の作文。400字詰原稿用紙2枚を書かせる。授業後3年生の学生と一緒に昼食。図書館の1階のコーヒールームでも昼食ができるという。日本の定食スタイルで日替わりの5品の中から4品まで選べ,ご飯とスープ付で4元。ご飯はお代わりができるらしい。案内してくれた学生はおかわりしていた。私にとってはちょうどいい分量だったが,彼に言わせると日本人は小食だそうだ。企業研修でダイハツの工場にいったとき日本人の食べる昼食の量では腹が減って仕方がなかったと言う。といって彼は普通の体型なのでこれは体質と言うほかない。午後作文の添削。30名ほどの添削を終了したのは19時過ぎ。だんだん帰宅時間が遅くなっていっているような気がする。
 朝食のパンを買うつもりでスーパーに行くとついいろんなものを買ってしまう。ビール各種とつまみになりそうなもの。毎日昼食が量が多いものだから,夕食と朝食は簡単に済ませるようになってきた。
 学生の文化祭での出し物樋口一葉の『大つごもり』の劇のために学生が訳した現代語の添削は明日になった。
 帰宅するとホテルに日本からの郵便物第1号が届いていた。4月7日の日付なので3日で長崎市内から到着したことになる。部屋のベットのシーツ類が交換してありきれいにベッドメイキングがしてあった。

2007年4月9日(月)
島原新聞

 朝7時にホテルを出る。15分ほどで到着。5分前に3年生の教室に入り学生の音読の様子を見る。8時きっかりに授業開始。9時30分終了。次は4年生。5分前に入り10時開始で11時30分終了。昼食は少し時間をずらししばらく研究室で待機。O君が迎えにきた。3年生のS君とも途中でいっしょになり,食堂棟3階を案内してもらう。3階は主に教職員用で5元のバイキングとのこと。見物しただけで結局2階の食堂で。焼き餃子2元分8個と泰式珈哩炒飯4元。
 研究室に戻る途中学内の散歩。研究室のある外国語学部(こちらでは外国語学院という)と食堂棟は歩いて数分とかなり離れている。かえって正門を出てマクドナルドに行った方が近いくらい。歴史学部の建物は満州帝大の建国大学の遺構だろうと思う。いくつかの遺構と思える建物が散見される。O君の話では本部キャンパスだけで150万平方メートルで浄月キャンパスもそのくらいあるらしい。浄月キャンパスは1・2年生と経済・法学系の学部が主となるそうだ。
 K先生が研究室にきてくださり郵便物が届いているとの連絡。昼休みなので14時過ぎにいった方がいいだろうとのこと。こちらはたっぷり昼休みをとることになっているらしい。K先生はなにかとお世話いただき感謝している。学部事務室へ行くと島原新聞が2通。3月末のもあったので10日ほどかかった計算。プリンターの設定や部屋の模様替えで研究室にいると再び事務室から。また新聞が届いたとのこと。2通は4月になってからの分なので1週間ほどで到着している。航空便のためなのか着印が押されてある。プリンターとスキャンスナップの設定が終わり,文書の取り込みをスキャンスナップで行い,学生名簿の作成。事務処理にけっこう遅くまでかかり19時過ぎに帰宅。

2007年4月8日(日)
休日

 K先生からの電話で起床。昨日代理で購入していただいた折り畳み物干台の受け渡しの連絡。受け渡し後,帰宅。洗濯等家事。昼食は前任者から教えてもらった珈哩工房でカツカレー。野菜たっぷりのカレーに薄く揚げたカツが載せてあり,メニュー表でみるとつい頼んでしまう。前回はJAPANのフロア当日ここから日本の代行者に電話をかけた場所。広島で修行してきたオーナーの経営でけっこう欧米人の姿も多い。この店を知ってから長春でも生きていけると思った。中国はとにかく量が多い。夕食は食べなくてもいいかもしれない。
 スーパーに買い物。スーパーは商品を選んでレジで提示された金額を支払うだけである。1階から3階までゆっくり見る事ができた。
 日本にいるときに見る事ができなかったTV番組を一気にDVDで見ている。

 154000アクセス。

2007年4月7日(土)
バーゲンセール

 朝K先生からY先生とショッピングに出かけるからどうされますかというお誘いがあった。冬物のバーゲンセールが始まったらしい。大学前の国商デパート(CHANGCHUN MALL)を見る。大学前の店は支店で駅前に本店があるらしい。バスに乗って長春駅へ。バス代1元はカードでK先生に払っていただいた。デパート本店のバーゲン場は6F。Y先生がコートを購入。デパートの喫茶室で雑談。私は室内用物干しを探していたのだが,デパートにあるのは輸入品の高価なものばかり。
 K先生と別れ,Y先生とホテル近くのスーパーに行くバスに乗る。K先生から小銭を出すとき人前で財布の中身が見えないように注意される。バス内でK先生から物干しが見つかったので購入しておきますとのこと。格安の50元。
 スーパーで食料品を購入しY先生と別れる。自室に荷物を置き,前任者に下見の時紹介された盲人按摩へ。40元で1時間。

2007年4月6日(金)
関税

 8時からの授業が4時間終わり,管理センターに預けてあるパスポートを受け取る。今日の案内は3年生のY君。寛城郵便局にタクシーでプリンターを受け取りに行く。関税が600元。研究室に運ぶのもY君がしてくれた。その後学生食堂で韓流炒飯,4元。13時過ぎに管理センターへパスポートを再び届ける。午後,Y君が買い物につきあってくれた。まず220Vを100Vに変換する変圧器。それとB4の紙を求めに紅旗街(ホンジジィ)の電機ビル街へ。ここでB4の紙が入手できた。変圧器は別の場所にあるかもしれないということでタクシーで移動。連れて行かれたのは長春駅近くのビルの5F。秋葉原のようなパーツ屋や中古のジャンク品を扱う店がワンフロアに集まった場所。中古のSONYのMDプレイヤーが並んでいる店で見ているとY君「それはSONYではないと思いますよ」。変圧器220Vを110Vに変換するのが30元,十分あやしい品である。その他小物を購入。再び紅旗街に帰り複合機を購入。自宅用の印刷機も兼ねる。自室に複合機を置き,スーパーで日用品を購入。B4の紙を置きに大学の研究室に戻る。Y君と別れたのが17時。研究室設置のパソコンのデフラグをかけ,机のレイアウト替え。部屋らしくなった。18時過ぎに研究室を出る。

2007年4月5日(木)
研修日

 ゆっくり起床して出勤。授業がない研修日なので自宅で過ごしてもいいのだが,赴任関係の手続きで出校する必要があったのだ。昼食は学生食堂で,ラーメンの小を。普通が4元,小が3元だが小でも日本の1杯より麺の量が多い。四川風の辛口。代金は食堂カードによる決済。とりあえず100元ほど入金する。日本では3食分だがこちらでは25回分はある。その後購買部で日用品やDVDビデオCDなどを購入。
 赴任手続きに,写真が必要だということで,午後O君の案内で写真館に写真撮影に行く。4枚15元だが5枚必要というので8枚20元になった。大学のすぐ前のビルの1階である。
 管理センターのLさんに持って行き,パスポートも預ける。
 出がけにホテルのカウンターから手渡された郵便局からの通知。EMSで送ったプリンターを受け取りに来いというもの。中国では小包は宅配でなく受け取りにいかなければならないのだ。受け取りには関税が600元必要。記載金額の5万円に対してである。
 郵便局に行く前に中国の携帯電話を購入することにした。グローバル携帯は便利だが中国国内では割高だし,かけてくる人にも気を遣わせてしまう。O君の案内で各種携帯電話の取りそろえてある店に行く。2年間もてばいいし,通話できればいいので,あれこれ見たあげくにO君と同じ機種の色違いを購入。国産は大事に使えば2年は持つでしょうとのことだったが,逆にいえば大事に使わないと2年は持たないということだ。その点外国製のNOKIAは落としても壊れない頑丈さがあるとO君。彼が1年前買ったときには,800元ほどしたそうだが,今日は500元ほど。1年経って300元値下がりしたことになる。中国では携帯電話の機械本体を購入した後で,個人用のカードを購入する事になっている。個人情報の入ったチップである。このチップを別の携帯に入れると自分の携帯として使えるそうで,そのため1000元以上の高価な携帯は盗まれることもあるらしい。もちろんチップは捨てられる。その点安物は安心だ。このチップ代が75元。うち手数料が25元で50元が通話料の前払いだそうだ。月額の使用料はサービスに応じて細かく決めてあるが一番高い料金にしても20元である。
 さて,プリンターだが,寛城郵便局が税関扱いの国際郵便局らしく,O君も管理センターのLさんも場所がわからないので,記載の電話番号にかけてやっと場所がわかった。長春駅の近く。タクシーで取りに行く。郵便局は満州時代の物と思われる古い建物。局員からパスポートが必要と言われるが大学に預けてある。取りに戻ることにしたが折り悪く夕方のラッシュアワー。タクシーがすすまない。結局明日もう一度行くことになった。中国の道路が自転車であふれていたのはもう20年前のことで現在は車の洪水である。片側6車線に歩道と自転車専用道路各1車線ある広い道路が車で埋まってしまうのである。
 明日はO君の都合が悪いときは3年生のY君に私のことは頼んであるということなので早速携帯にY君の番号を入れてもらった。
 夜スカイプでTV電話がかかってきた。母が北九州の妹宅に行って自分のパソコンでかけてきたのである。母や妹それにオーストラリアから帰国中の甥と近況について話をする。

2007年4月4日(水)
授業2日目

 時差の関係か早く起きてしまう。でもゆっくり起床して整髪などしていたらもう7時40分。歩いて行っていると遅れるのでタクシーで。渋滞なので7時50分に到着。料金は初乗りの5元。日本円で70数円。健康のため歩こうと誓ったはずなのに。
 8時から昨日やった3年生のクラス。9時30分に授業を終え研究室にいくとK先生と長老のF先生がお待ちかね。K先生からは昼食のお誘い。F先生からは来週の金土日の休みを使った小旅行のお誘い。夜行長距離列車を使った車中2泊エンペン大学宿舎1泊の旅行だそうだ。北朝鮮国境までいくらしい。エンペン大学の表記は今はわからないが詳しい日程表が後日配布されるようだ。もちろん参加することにした。
 10時から4年生のクラス。昨日と同じく,自己紹介メニュー。テキストも少し。
 昼食は日本人教師6人で。シン源飯店で。量が多い。残してもいいとのことだ。むしろ残した方がいいらしい。全部食べると足りないと催促されていると受け取られるとのこと。1年生担当のY先生が生徒から誕生祝いの大きなケーキをいただいたので食後にみんなですこしずつお裾分けしてもらって食べた。
 午後から3人の先生方が買い物につきあってくださった。今日は桂林路市場へ。人混みの中セーターを探す。ウールのイブサンローランのOEM製品の赤とグレイ。1着160元を2着280元,1着150元という。ここでT先生の力量発揮。大きな中国語の声でなにやら交渉。2着260元になって私とK先生はすごいと見ていたら,さらに交渉してついに240元まで。K先生も驚いていた。次に通勤用のリュック,ここでもT先生,他の安物との製品の違いを,ここがこうなっているから安くできない(と言っているように思える)のをさらに値切る。店員さんが気の毒になるくらい。これも60元を45元に。ポーチは20元で。
 帰宅後管理センターのRさんからインターネット接続に専門家が行くとの連絡。
 しばらくして専門家がやってきて無事インターネット開通。
 明日は授業がない日だが,赴任関係の事務処理で,管理センターに行かなくてはならない。その前に顔写真を5枚準備する必要がある。

2007年4月3日(火)
雪男

 朝起きて寒いなと思って外を見ると,雪が降っている!たしかに昨夜空港に着いたとき外気が冷たかったのだが,4月に雪が降るとは,さすが長春。コートを持ってきておいてよかった。主任のK先生から電話があり,「伊藤先生が来ると雪が降る,先生はやっぱり雪男ね」と言われてしまった。3月上旬下見の時に50数年ぶりという大雪に遭遇したのだ。R先生からも連絡があった。
 さて,今日から授業である。幸いなことに火曜日は3校時から。10時開始なのである。9時に学生のO君が迎えに来てくれた。ホテルの客室係の主任が一緒に来てO君が通訳してくれた。飲み水は専用の機械を前任のN先生が購入して残していってくれたのがあるのだが,その水の配達システムの案内である。5ガロン約18.9リットルほどの水10元,敷金として50元計60元で敷金は解約時に預かり証と引き替えに返金してくれるそうだ。あいにく100元紙幣しかなく帰宅後設置してもらうことになった。空になったらホテルのフロントに言えば運んで設置してくれるそうだ。水汲みの23リットルを運ぶのが重労働の私にとってありがたいシステムである。それと掃除の頻度はどうするかと言われて,毎日でなくてもいいので1日おきにしてもらうことにした。シーツの交換は週に一度らしい。
 通勤途中マクドナルドで朝食。朝メニューにはビーフハンバーガーはなくポークハンバーガーのようだ。コーヒーは量が多い。9時30分前には研究室に到着し,授業の準備。前任のN先生のメモを見る。最初の授業は何をやってもいいです,次の日の授業からはテキストをやってくださいとの主任のK先生からの言葉があったので,自己紹介を兼ねて放送部制作のDVDビデオを3枚。普賢岳に関するもの2枚と島原高校の学校紹介ビデオである。そのためにA5プロジェクターを準備したのである。スクリーンは日本から持参した模造紙。設置に数人が協力してくれた。
 次に自己紹介を読み方がわかるように,ちょっとした文を書いてもらった。呼名は日本読みでいいですとのことだったのでそれで書いてもらう。
 時間内に全員書き上げてしまったので,テキストに入った。
 授業終了は11時30分。学生のO君が研究室に来てくれて管理センターのR氏のところにつれていってくれた。赴任関係の事務処理について。再び研究室に戻ると,K先生から電話。昼食を誘われていたのである。それと買い物にもつきあってくれるらしい。日本語科のT先生と3人で大学の近くのシン(森の字の木の部分に金が入る漢字,つまり金が三つ並んだ漢字)源飯店。一品一品の量が多い。数人できてもいいくらい。かなり食べた。
 買い物は衣類と食料品を中心にデパートでスラックス3着とジャケット1着,シャツ3着。大型スーパーで下着や食料品・ビールなど。手袋を方々探すが「いったい今が何時だと思っているんだ」と言われたとK先生。スーパー地下の店で発見,購入。K先生には宿舎の近くまで荷物を運んでいただいた。
 昼食の量が多かったため,パンとヨーグルト,ビールとおつまみの質素な夕食。シャンプーも買ってきたので浴槽に湯を入れ入浴。少し淡いクリームがかったお湯である。ヒーターのシャワーはいつでも使えるが,浴槽のお湯は朝と夕の時間が決まっているらしい。
 インターネット接続できず。おおらかな中国なのでこちらもゆったりとした気持ちでいることが肝要だ。

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2007年4月2日(月)
旅立ち

 昨夜からロケーションフリーテレビの設定を続けるが,依然としてうまくいかない。家庭内無線LAN経由だときれいに見れるのだが,インターネット経由は「LANの組み方に問題がある」旨の表示が出るのである。無線LANでリビングのデジタルハイビジョンTVからの映像を受け取るクライアントモードを諦め,有線でルーターに直接つなぐAP(アクセスポイントモード)にしようとしても結局できず。刻一刻と出発の時間が近づく。断念。次に帰国したときに設定しよう。
 次に母のパソコンのノートンウイルスセキュリティをアンインストールしてソースネクストのウイルスセキュリティをインストールする作業。3ヶ月の試用版のため6月中旬で切れてしまうのだ。うまくアンインストールとインストールができたが,今度はインターネットに繋がらなくなった。あれこれ試している時間もないので,システムの復元をすることに。なんとかインターネットは使えることになった。
 9時台に出発。高速経由で大村へ。11時過ぎ到着。搭乗手続きを済ませ荷物を預けたところで派遣教師の会のK氏とY氏,山東師範大に赴任するG氏夫妻と会う。北京赴任者は,福岡空港からの直行便で,廈門赴任者は関空経由の直行便で昨夜大阪泊らしい。
 関空から到着の前任のH氏も駆けつけられた。廈門大学で直前まで授業をされていたそうだ。山東師範大学の前任者Y氏,昨夜一緒だったF氏も見送りにきてくれた。皆に見送られて出発ゲートへ。G夫妻とは上海まで一緒なので心強い。
 中国東方航空の13時30分発の便で上海へ。1時間の時差があるので2時間飛行機に乗っても現地時間14時30分着である。浦東(プートン)国際空港である。携帯のエリアを中国に合わせると時間も現地時間に変わった。G夫妻は別のところにある上海の国内空港へ移動とのことで荷物を受け取って別れた。
 17時30分発の長春行きなので時間がたっぷりある。まず人民元に両替。出発ロビーは上の階にあるらしい。カートをどうやって運ぶのか見ていたらエスカレーターで運ぶ人がいたので同じように運んでみた。日本の国内便だとカートそのものがエスカレーターに乗れないようになっているがここではちゃんと乗れるようにポールが抜いてある。2階に上りゆっくりフロアみてまわる。案内書の女性に聞いたらもう出発ロビーはもうひとつ上らしい。3階も同じようにエスカレータで運ぼうとすると,居合わせた男性からむこうと指さされたので行ってみると,出口を出たところの反対側にエレベーターがあった。わかりにくい。無事3階の出発ロビーに。中国南方航空の長春行きをさがすが案内がない。便を見ると大連行きがあった。経由地の大連表示なのである。次に中国南方航空のカウンターをさがすがみつからない。中国東方航空のカウンターでやっているらしいことが英文表示でわかったので,その列に並ぶ。自分の番が来てかなり緊張したが無事チェックインできた。パソコン2台が入ったバッグともうひとつのバッグそれにお土産の袋の3点が機内持ち込み。
 時間までゆっくり荷物をカートに乗せて上海(浦東)空港見物する。出発ゲートのチェックも無事通り,中で待つ。大連まで2時間。途中大連で全員降ろされ,再び長春行きになった飛行機に乗り込んだ。長春空港着21時過ぎ。出迎えのRさんと運転手のOさんにつれられて宿泊のホテルへ。別館の長期滞在者棟の2階まで重い荷物をRさんが運んでくれた。さすがに階段は2人がかりで。
 ひとつ問題があったのは,インターネット接続ができないこと。3月末にシステムが変わったそうで,Rさんもよくわからないそうだ。今週中になんとかしますとのことだったが,はたして何時になるのだろうか。
 長い1日が終わった。

2007年4月1日(日)
諫早

 昨夜が遅かったのでゆっくり起床。友人Sから昨夜は都合がつかなかったので昼食か夕食でも一緒にどうかという誘い。教員の友人Fからも夕食を誘われていたので,夕食を諫早で3人一緒にすることに。
 明日渡航なので母のため舞岳源泉に水汲みに。23リットル用3本と18リットル1本分。23リットルというと23キロである。かなり重い。少し腰が痛くなった。軟弱なのである。かなりの人出だがちょうどこのときのみ天候が晴れ,これも日頃の行いがよいせいか。帰りの車内でガムを噛んでいると奥歯の詰め物が取れた。帰宅後行きつけの上田歯科に連絡するも連絡取れず。高校時代の友人で歯科医Sがいたことを思いだし,自宅に電話するが不在。いく人かの友人の携帯に電話したうち,K君が今一緒にいるとのことで,事情を話して詰めてもらうことに。ただし夜でないと帰っていないらしい。私にとってもそちらが好都合。歯科医Sは諫早で開業している歯科医。
 さて友人Sが夕方,車で迎えにきてくれた。最近体調のため飲酒を止めているので運転手に徹するという。友人SはF氏と初めての出会いだが共通の話題も多く,食事よりも話で盛り上がる。
 20時に友人Sが歯科医S宅へ送ってくれた後,また戻って友人SとF氏は話をしているうちに,私は歯科医Sに詰め物の接着をしてもらう。終了後友人Kも交えて3人で急遽送別会。4ヶ月待ちで宮崎の歯科医から送ってもらったという焼酎「瓶雫」を開けてくれた。本当に瓶から柄杓で掬って注いでいくのである。一段落したところで友人SとF氏に迎えに来てもらい,ふたたび3人で居酒屋へ。さすがに私はウーロン茶で。22時過ぎに諫早を出,帰宅23時過ぎ。
 切羽詰まってからでないと取りかからないのが私の欠点。ロケーションフリーTVの設定。長春で日本の自宅のTVをインターネット経由で見ようというのである。どうにか無線LAN経由では見ることができるようになったが,インターネット経由ではどうもうまくいかない。ルーターと無線LANの組み方に問題があるらしい。そのまま夜を明かす。

  2007年4月


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