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2008年7月31日(木)
大連泊

 長春発12時50分の大連行き,と聞いていたので10時30分に出発の予定を立てていた。3番目の叔父さんが車で空港まで送ってくれるという。10時25分に宿舎まで迎えに来てくれた。途中道が混んでいたので1時間後に空港到着。今回からパスポートを見せるだけのノンチケット方式になったのでやや戸惑う。パスポートを見せて搭乗チケットをもらう。手荷物は21.9キロと22.4キロでOK。手荷物検査場の入り口まで叔父さんに送ってもらった。
 1時間ほどで大連に到着。大連は雨。宿泊場所は大連飛行場の目の前の航空貧館だが,雨のためタクシーを利用。晴れていたらゆっくりキャリーで持っていけるだけの距離。案の定タクシーの運転手が近すぎると文句を言う。初乗りの8元のほかに割り増しの1元を払えと言っているらしい。規定どおり8元払った。
 宿泊場所は,乗り継ぎで当日中に目的地に行けない場合中国南方航空が無料で提供するホテル。中国南方航空経営の直営ホテルである。三星。機長や客室乗務員等の宿泊ホテルも兼ねている。雨のため出かけるのも億劫で少し休む。気流の乱れで少々怖い思いをしたのである。
 夜になり,夕食を市内まで行ってすることにした。解放広場の餃子の王将。と言ったにもかかわらず,支店の方へタクシーの運転手が連れて行ったので,ちゃんと解放広場の方に行くように言う。支店の方しか知らないというが,非常に不自然。タクシー料金が10元も余計にかかってしまった。
 久しぶりにコロッケが美味しかった。雨がひどいのでホテルに帰って休む。歩数4148歩。

2008年7月30日(水)
一時帰国前日

 明日いよいよ日本へ帰国である。正確には帰国のため大連まで行く日。福岡までは長春からの直通便がないため,大連か北京経由になるが,この行きのみ1泊の大連経由が一番安い。一人4057元。原油高騰にもかかわらず一月時より安いのは30日以内の往復便のため。
 荷物の整理。昼食を8月に長春を後にして完全帰国する方と食事。シャングリラホテルの日本料理店「大江戸」。うに丼定食80元,すき焼き定食60元。サービス料一人10元。その後新居見学。午後はまず明日の航空機のチケットを受け取りに大学の国際交流科へ。最近はチケットレスでパスポートを提示すればいいらしい。再び重慶路に戻り,のびのびになっていた結婚指輪とピアスをようやく購入。金製品はグラムの値段に加工料80元ほどを加えた値段。新居の下のデパートで購入。
 最後にもう一度13階に戻り,しばらくのお別れ。タクシーで宿舎に帰り,冷蔵庫の在庫一掃を図る。荷物の重さを慎重に調整。
 歩数8906歩。

2008年7月29日(火)
エアコン設置

 朝から新居にエアコンの設置に業者が来るというので,出かけていく。11時頃業者が二人でやってきた。43センチのコンクリートの壁に穴を開ける作業が進まない。不安が的中,鉄筋の鉄線直径3,4センチはあるのを切断していた。壁のこちら側から15センチぐらいのところだったのでそこで中断し,やや右下の場所に再度穴を開けた。私もポンプで水を供給する仕事を手伝った。この穴でも2センチほどの鉄線を切断。けっこう高密度で鉄筋が入っているようで安心した。結局15時すぎまでかかった。
 夕方,3番目の叔父,家族3人が新居に来た。夕食を一緒にすることになり,韓国焼肉店へ。叔父さんと二人でビール大瓶4本を空け,すっかり酔ってしまった。妻の実家で少し休んだあと宿舎へ帰った。歩数4181歩。

2008年7月28日(月)
シングルシーツ

 朝から活動。スーパー恒客隆で妹夫婦に講評だったシーツのシングルを見に行く。68元。次に中東大市場へ。日本へ持っていくベッドカバーセット,シングルとダブル。計り売りの問屋のような店でシングルシーツ10枚購入。その場で切って縫ってシーツにしてくれる。
 重慶路行きのバスに乗り,亜泰富苑13階へ。妻の友人が新居を見に来た。遅い昼食を亜泰富苑の横のケンタッキーで。1・2階とも満席で3階へ。再び13階へ戻る。エアコンの配達。設置は明日の朝だそうだ。
 夕方,宿舎に戻る。もう一度外出し,結局,恒客隆でシングルシーツの10枚も購入。9734歩。
 夜,最近出していない『北國春城通信』の作成・印刷。

2008年7月27日(日)
プチ引越し

 朝,宿舎から運ぶものを持って,マンションに。今日の予定を立てる。まず旧満州国務院へ行き,レプリカ地図を購入。次に大学へ行き必要なものを取り,追試の解答をK教授の部屋のドアの隙間から差し込む。その後妻の実家へ。ウォーターサーバーを持っていくのだが,重いので2番目の叔父に手伝いに来てもらった。義母もいっしょに4人でマンションに。その後いとこも来てくれ掃除。
 夕食は私のリクエストで東方餃子王へ5人で。海老の入った海鮮餃子が私のお勧め。4人が満腹で106.1元と値段もリーズナブル。食後に歩いてウォルマートと隣の電器店へ。エアコンを購入。2670元を2550元で決定。明日下見に来て明後日取り付けだそうだ。なんとか帰国までに間に合う。手続きが終わったところで閉店。TVまでは購入できなかった。
 タクシーで帰宅。歩数11265歩。

2008年7月26日(土)
マンション整備

  昨日歩きつかれたのでゆっくり起床し行動。妻の実家から使えるものを運ぶ。なにはともあれ寝具が必要なので,少し歩いて中東大市場行きのバス停へ。最終地が中東大市場。着いてすぐ軽食。ものすごい人出で,冷麺の立ち食いとたこ焼き。購入したのはダブルベッドのシーツのセットとパッド類,2台分で770元だがタクシー代の足しにと10元サービスで760元。これは個々で値引き交渉後だから非常に良心的。さすがにかさばるのでタクシーで運ぶしかない。
 夕方銀行員のいとこが手伝いに来てくれて掃除など。その後机を見に近くの家具の大市場へ。3階フロアが全部家具。見渡す限り家具の海。自転車リヤカ−がダブルベッドマットを積んで走り回っている。閉店まで見るが決まらず。夕食を3人ですることに。天天酒店6階の三兪竹苑に行くが満席でだいぶ待たないといけないので,桂林路の同店へ。ここでもしばらく待つ。辛いものの店。私はバドワイザーのビールで。食後に歩いて帰るという。ビールを飲んで歩くのはつらいがこれも健康のため。
 今日はだいぶ歩いた。歩数18332歩。

2008年7月25日(金)
マンション購入

 今日は朝早くから活動。早朝ビザが下りたことを電話の自動応答サービスで知り,吉林省外事弁公所に行った。そこで会ったのが2・3年生の学生。東北師範大学の学生数人のうち日本語科の二人の学生である。中日友好学生団で日本に行くための手続きに来ていた。長崎にも行くそうなので都合がつけば会おうということになった。次は中国銀行へ。朝一番では1万が629元と最低記録だったが,10時過ぎには少し高くなり634円で手続き。入金した通帳のカードでマンション代金の支払い。鍵を受け取ったのは昼過ぎ。不具合部分の手直しを依頼。
 ウォルマートで食材の買い物。隣の電気店で薄型TVとエアコンを見てまわる。エアコンは2000元ほどぐらいが相場らしい。タクシーで帰宅。歩数10598歩。

2008年7月24日(木)
PAPAS

 朝起きてみると,印刷が止まっている。インク切れの点滅。連続供給システムなのでインク切れになるはずはないのだが,100枚連続して印刷するとこの表示が現れてくる。再びセットして印刷。
 午後,両替の限度額オーバーの分の両替を義母にお願いするために,一緒に中国銀行へ。外貨の両替は1人1年間5万ドル相当額と決まっているのである。夫婦で10万ドルが限度額ということになる。それ以上になると家族の分を使える。ただし家族である証明や夫婦である証明が必要。同時に銀行のキャッシュカードも作った。手数料10元に預金分1元が必要。カードでの引き出しは中国元だけだそうだ。通帳は一本通といって外貨と中国元が両方記載される通帳。待ち時間も含めてかなり時間がかかり,その間にも刻一刻とレートが変化。
 銀行の終了時間16時30分になったので,我々の分は明日両替することになった。
 今日は私の記念すべき日なので,夕食は桂林路のPAPASで。13皿の料理。128元。満腹なのでタクシーで帰りたかったが,帰りは手をつないで散歩して帰った。
 帰宅すると,『長崎郵趣』の印刷は全て完了していた。歩数6175歩。

2008年7月23日(水)
長崎郵趣

 朝から雨がちの天気。妻は友人の家に遊びに行った。以前私も一緒に行ったことのあるマンションに住む友人。夫が海南島に出張らしい。
 私は,データがメールで届いたので,『長崎郵趣』の作成。夕方ぐらいから印刷にかかる。外の雨はいつしか豪雨と雷。
 寝る前に,印刷機に紙をセットする。

2008年7月22日(火)
仕事終了

 朝から出勤。成績単票の提出。研究室に到着後,大学のHPにアクセスして,サイト上で成績の入力。点数の間違いがないのを確認してから,確定のボタンを押す。これ以後は修正できないので慎重に。一覧表はpdf化されて出てくる。それを保存したものをプリントアウトして一連の資料を添え,主任教授のもとへサインをもらいに行く。その後事務室に一式そろえて提出。これで今学期の仕事は全て終了。
 その後,資料や机上の整理をして12時過ぎに帰宅。昼食は桂林路の富士亭に出かける。日式のファーストフード店。食後の散歩は長慶路方面。途中でアイスを食べたり。
 帰りに近くの食雑店で中瓶のビール1本2.5元を買って帰る。0.3元の瓶代が含まれているので持って行くと返金してくれるそうだ。歩数,昼まで4377歩それ以後3358歩,計7735歩。
 夜,DVD鑑賞。

2008年7月21日(月)
雨の月曜日

 朝,いまにも降りそうな空。そのうち昼前から降り出し夜中まで降り続いている。読書して過ごす。横では妻が掃除をしたり,果物を切ってくれたり。林檎・梨・メロンと買い置きした分。
 朝日新聞の広告欄に載っていた星虎の抱き枕を妻が気に入り,ここ1・2週間ほど抱き枕を中国でも探し求めていたのだが,どこにも売っていないので,いとこの大学生に中国のオークションサイトに出ているのを買ってもらった。それが昨日届いた。構造も簡単そうなのと,届いたのがやや小さいので少し大きいのを知り合いの洋服の仕立て屋さんに作ってもらうことにした。こちらは生地も洋服の仕立て代も安いのである。
 今日は雨で外に出ていないので,妻は私の万歩計をつけて室内を歩き回っている。4000歩超も歩いていたことに驚く。明日は成績提出のため出勤する。

2008年7月20日(日)
成績処理

 日曜なのだが休みつかれたので出勤。懸案の2年生の作文の成績処理を一気に片付けてしまおうというわけだ。9時頃出勤し,テストの分の採点の点検・見直し。次に14回分書かせた作文を提出させてあるので,それを見ながら平常点をつけていく。添削時に素晴らしいと思った作文にはgoodと書いているので,それを参考に。この作業を午前から午後にかけて。
 昼食は,北食堂1階の涼拌面。これでこの夏食べ収めかと思ってしみじみ食べた。食後,食堂地下のスーパーでDVDを数枚購入。
 平常点の計算もできたら,テストの評価ポイント四点の各項目と平常点をエクセルに入力して成績を出した。平均まで瞬時に出るのがいい。
 最後に,試験分析報告書を作成。ここまで終わったところでちょうど17時前。歩いて帰宅。6718歩。

2008年7月19日(土)
三伏

 昨日たくさん歩いたので,ゆっくり起床し読書。昼過ぎ,妻の実家へ。同志街を北上し267番バスに乗り,児童公園で降りる。今日は三伏という三回ある行事の最初の三伏の日で,中国人は餃子を食べる日らしい。手作りの韮餃子と芹餃子の二種に中華サラダとビール。帰りは少し散歩しようということで樹動街から児童公園の中を横断して人民大街へ。文化活動センターで少し休憩。夜風が気持ちいいのでそのまま二人で歩いて帰ることにした。解放大路から同志街へ行き,桂林路を通り宿舎まで50分の散歩。歩数8508歩。

2008年7月18日(金)
北方市場・中東市場

 K教授から成績処理の日程の連絡があった。提出は火曜日の9時頃でいいそうだ。昨日3年生の分が終了したので,残るは2年生。これも1日で終わるだろうと予測できるので今日もゆっくり休むことにした。
 午前中,北方市場へ日本へのお土産を探しに。その後,新しい住居の購入品の下見に中東市場へ。ここは巨大なアウトレットショッピングセンターのような所である。途中ちょっとした軽食も場内で。歩きつかれた。ここで既に歩数は1万歩超。
 帰宅後横になり,『転校生・さようならあなた』のDVD映画をプロジェクターで観ている所へ,妻の友人から呼び出しがあり出かけていったので,私は読書。
 夕方一緒に食事でもということになり,出かける。老昌春餅,チュンピンである。妻の友人と3人で。ビールとお腹いっぱいのところに,散歩しようと妻。同志街往復のコース。途中で友人と別れて二人で帰ってきた。
 歩数15964歩。帰宅後『転校生・さようならあなた』を観終わる。大林宣彦監督の作品は映画らしい映画である。2007年のリニューアル版の方。

2008年7月17日(木)
成績処理

 今日こそ朝から出勤と決意。9時前から作業。3年生の分。先週採点まで終わっているのでもう一度採点しなおし,点数計算。再度点検し,用紙に記入。再点検。途中日本人のK先生が見えられ作業を中断。その後昼食の時間も惜しんで,というか食欲がなくひたすら作業。平常評価の分の提出レポートの読み込み・点数計算。点数化したものを全てエクセルに打ち込み,出た点数を記入。それを基に,試験分析報告書の作成。と一通り終わったのが16時過ぎ。途中,国際交流化へいったり121号室へ小包の配達表の受け取りに行ったり。県教委からの小包は毎月13日頃に着くのでもう4日も過ぎている,5日過ぎると保管料を徴収されるので早く行かないといけないと思っていたのである。121号室に行くと小包・書留の配達表の受付の担当者が変更になったというので3階の学部事務室の担当者のところまで連れて行ってもらい無事受け取った。通知書の日付は16日。やはり聖火リレーの影響か郵便処理が遅れていたようだ。帰宅時桂林路郵便局から小包を受け取り,自室に置いて,妻とスーパー恒客隆の前で待ち合わせ。桂林市場で食材の買い物後,夕食は味都ラーメンという名の店。ビールが一番最初に来る。イカのから揚げと一緒に持ってくるようにというのを忘れていた。ビールを半分飲んだ頃に味噌ラーメン登場。それを食べ終わってからイカのから揚げ。この店は出す順序に注意を払わない。食後にマクドナルドのソフトクリーム2.5元×2。
 歩数8788歩。

2008年7月16日(水)
夏季休暇

 11日で試験は終了し,学生は故郷へと帰っていった。その後のオリンピック聖火リレーで昨日の午後から大学に入れることになったのだが,ビザのために走り回った。成績処理のために今日こそ大学に行こうと思っていたが,妻が今日は大雨だという。天気予報のチェックは怠りないのだ。朝から雨のようなので,休むことにした。ビザ取得に10日はかかるので,まだ時間はたっぷりある。読書して過ごす。
 大雨どころか昼過ぎには雨が止んだので,遅い昼食のために出かけた。西康路の888ラーメン。食後,桂林市場で買い物をして,近くのイタリアンジェラートの店でソフトクリーム2元を二つ。その後散歩。曇り空なので風が心地よく散歩日和。同志街を北上し,長慶街を南下して帰ってくるコース。果物専業店で林檎と梨を購入。先日購入したのは青林檎でなく梨だった。梨は1個を二人で分けて食べてはならないと言う。梨はリーと発音し,離に通ずるからだとか。特に夫婦ではタブー。
 歩数5949歩。

2008年7月15日(火)
第159回芥川賞は楊逸(ヤンイー)

 20年上半期の芥川賞が中国籍の作家ヤンイーに決まった。昨年の文學界新人賞受賞時から注目していたが,今回の作品『時が滲む朝』も文學界6月号で読んでいた。今月初めに芥川賞候補になったときから芥川賞はこれで決まりと思っていただけに,審査員の方々の眼が節穴でなかったのがうれしい。作品自体も一気に読ませる力があるが,なんといっても外国籍の人の受賞は初めてということ。そして北京オリンピック開幕直前であるということ。母国語でない言語を使って,中国人の心の中を描いてあるので,翻訳小説とも違った不思議な読書体験をさせる作品ということ。これらに注目したのである。アクタガワ・ショーなのだから話題づくりもあるだろうが一番は作品の質。昨今の小難しい袋小路に入ったような作品でなく,一般の人にも広く受け入れられる作品だと思う。日本文学は新しい視点を手に入れたといえよう。イギリスの最も権威のある文学賞・ブッカー賞をカズオ・イシグロ(長崎出身)が受賞したのに匹敵する快挙。カズオ・イシグロの受賞作『日の名残』は日本を舞台にした英文の作品で,受賞時イギリス人以上にイギリス人らしいなどと評されたことなども思い出された。
 さらには西洋人の日本文学者,リービ英雄が成し遂げられなかった外国籍の人の受賞。リービ英雄は候補のままだったのである。センター試験の問題にも使われるぐらいの達者な日本語の書き手に賞が贈られなかったのは審査側の問題と思ったものだ。芥川賞史上二つの大きなミスは太宰治と村上春樹が受賞しなかったことだ。太宰の場合などは,川端以外の選考委員の作品は読まれなくなっても,太宰の作品は読まれ継がれているという事実。これでは審査委員の新しい才能に対するやっかみといわれても仕方あるまい。要するに節穴だったということだ。村上春樹の場合は差し障りがあるので書かない。
 少々脱線したが,ヤンイーの受賞作は時間の広がりも舞台の広がりもあるスケールの大きな作品ということだけは強調したいと思う。でも読み始めると一気に読んでしまえるのが魅力。
 同時に行われた直木賞の選考結果は,候補者の中にその名をみつけ,父のように小説家になっていたのかと驚いた,井上荒野。長崎の崎戸・佐世保に縁のある井上光晴の娘である。佐世保は私の教員最初の学校,崎戸は2番目と私にとっても,縁が深い場所。何かのエッセイで娘の名が荒野というのを知り,記憶に刻み込まれていたのである。娘に荒野と名づけるのは井上光晴以外にいないだろうと思ったものだ。でも彼がなぜそう名づけたかはわかる気がする。
 
 さて今日は朝から雨。EMSが届かない。ここ2・3日ずっと心待ちにしていたのだが,多分オリンピックの聖火リレーで局員が仕事をしていないかできなかったのだろうと善意に解釈することにした。11時にフロントに行くと届いていた。7月8日差出なので7日かかったことになる。前回は4日で着いたので毎日待ち望んでいたのである。早速中に入っている戸籍謄本を持って,吉林省外事弁公所に行ったが,11時30分から昼休み。一人だけ受付をしている人の順番を待つ。12時過ぎに顔見知りの人が来たので書類を見てもらう。中国の勤務先の在職証明書が必要とのこと。日本のだけでは追加を求められる可能性があるというので,大学に連絡して作ってもらうことに。ここ1ヶ月ほど妻のビザ取得のために駆けずり回っている。ようやく今日で終わりそうだ。
 その用事を片付ける前に昼食。近くの餃子館に行くが注文がなかなか来ない。13時30分に食べ終わる。
 コピーも必要というので自宅でコピー。大学の担当者が外回りから帰ったというので,書類を受け取りに行く。それを持って研究室に行き,スキャンで取り込んでコピー。全てを揃え,再び外事弁公所へ。丁寧というか細かいというかチェックが厳しい。17時15分前に終了。
 大雨の中,タクシーで帰る。それにしてもどうして長春の街には側溝がないのだろうか。道の端は水溜りでタクシーを降りるときには細心の注意を払う必要あり。歩数3698歩。

2008年7月14日(月)
聖火リレー

 8時から聖火リレーが始まるというので,昨日買ったTシャツを着て旗を持って応援に行こうと思っていたら妻から制止された,いけません,と。大勢の人が集まるところへは行かないほうがいいらしい。
 ということでTVで観た。218人が2時間かけて行うイベント。自由大路の体育文化館から出発し,人民大街の交差点で南下し,彫塑公園まで行き,彫塑公園を一周して大広場で終わるコース。一人10メートルぐらいのゆっくりしたリレー。いろんなパフォーマンスがあったりした。TV中継では,広い無人の道路を走っているようだが,もちろん道路の端には警察官の人垣があるのだ。人民大街は最大12車線だから走者だけ見ていると応援者は目に映らない。それでも大学正門付近など普段見る道路に車が1台もいないというのは非現実感があった。
 その合間に昨日もらってきた餃子を焼き餃子にして朝食。焼き餃子は私が焼くのがうまいのである。
 日本から戸籍謄本が入ったENSが今日あたり到着するのでビザ申請用の書類を午前から午後にかけて作成。
 昼食は韓国の冷麺。麺を茹でるのは私,キュウリとトマトを刻むのは妻。料理も共同ですることが多い。
 夕方散歩するときにフロントでEMSが着いていないか訊くが未着。聖火リレーで仕事にならなかったのかもしれない。夕方になると,風が涼しく心地よい。同志街を北向きに散歩。昨日のTシャツがいい素材だったのでもう一着買おうかと思っていたら,もう跡形もなくなっていた。次のリレー先の四平や吉林に移動して行ったのだという。オリンピックジプシーである。
 帰りに果物屋で青林檎と赤林檎を5個ずつ,6.8元。スーパーで卵・牛乳・豆乳・豆腐・コンビーフ・ヨーグルトなどを購入で50元足らず。歩数6630歩。

2008年7月13日(日)
聖火リレー前日

 ゆっくり起床して桂林路を散歩。路上にはオリンピックグッズの露天商。昨日もらってきた旗も一つ5元,2本セットで10元で売っていた。しかし値段にばらつきがあるようで一本3元というところも。小型の旗は一本5角,セットで1元というところもあり,家に帰るときに買うことにした。
 さて散歩して行った先はPaPasという洋食の店。名門ホテルの裏の通りを北に行ったところの角。2階というかロフトというか低い天井の奥の席。ビールを注文すると北京のゼロビールというみなれないビールの小瓶。オムライスやサラダが巨大。海鮮料理は辛目。注文以外にも突き出しやスープがあり二人で食べきれないほど。帰りにカーネーションの花を一輪プレゼントしてくれた。ケーキは24日に一緒に祝うことにした。
 帰り道の同志街の左右の通りにはオリンピックグッズの露天商。小旗を5組,1枚15元が相場のTシャツを10元でいいというおばさんから1枚,購入。帰宅して夕方まで一休み。
 16時過ぎに妻の3番目の叔父の家まで277番のバスで出かける。明日の聖火リレーの出発点である体育文化館までは自由大路沿いの左右に柵を設置してあった。驚いたことにオリンピックグッズの露天商がずっと続いている。バスは自由大路を東に向かい中東市場から北に向かった二つめのバス停で下車。そこから歩いてすぐのところ。最上階の7階。けっこう広いので,訊いてみたら110平米あるそうだ。そこに叔父さんたちと義母が勢ぞろいして,叔父・叔母たちが共同で料理をしているところだった。役割分担が決まっているらしく,餃子の皮のタネを粉から練り上げるのは4番目の叔父さん。それをドーナッツ状にして細長い紐にするまでが1番目の叔父さん。それをちぎって1枚の皮をつくる量にするのがその叔母さん。次に1番目の叔父さんがそのちぎったのを薄く延ばして餃子の皮を作るとその皮に叔母さんが具を入れて並べるという具合だ。奥では2番目の叔父さんが海老チリソースの料理を作ったりしている。他の叔父さん叔母さんもそれぞれの料理をしたり片付けたり。どうも叔父叔母が料理,子供たちは別室で遊ぶという具合らしいが,今回妻も餃子作りに参加した。
 なにかあると叔父叔母が集まるというのは島原の叔父叔母たちも一緒で,アジア的な大家族集団である。
 皿が並べきれないほどの料理を前に,今日はビールで乾杯。燕京ビールという北京のビール。よく冷えていて旨かった。餃子も海老入りが私の好物というので海老玉餃子を通常のと別に作っていただいた。陶磁器や宝玉のコレクションも見せていただく。
 すっかり長居してしまい,宿舎に帰ったら23時頃だった。歩数3316歩+α(夕方でかけるとき記録しないでゼロにしてしまい,それまでが不明のため)。

2008年7月12日(土)
内藤先生との別れ

 昨夜からこの1年間に撮りためた写真データの整理をしている。宿舎に置いてある2台のパソコンのHD,外付け3.5インチHD4台にあるデータを最近買った2.5インチ160GのHDにまとめる作業。その時々で入れ易いHDに保存したり,2台に分散したりとあちこちに散乱しているので,いつかはまとめなければと思っていたのである。
 休日にもかかわらず出校して作業。長春を離れられる日本人教師お二人用にそれぞれに関係した画像を集めたデータDVDの作成。盤面も印刷。午前中に内藤先生,午後にK先生の分が完成。その作業の合間にテストの成績処理。
 午後,林嵐教授が研究室に見えられて,オリンピックの聖火リレーについての情報を教えてもらった。大学のある一画の2辺をリレーが通るので,その2辺である,自由大路と人民大街に面した門は閉鎖。北門2箇所と正門である。南門は開けるそうだ。明日から15日火曜の昼までは南門以外からは大学に入れないとのこと。明日は吉林市がリレーで,明後日が長春で行われるらしい。沿道で旗を振って応援する人は各職場から念入りに人選された人ばかりでそれ以外の人はTVで応援するようにとの国家からのお達しがあったそうだ。沿道の窓は開けてはならないとか外出禁止とかまるで戒厳令さながらだと内藤先生と話したばかりのときだった。ここ2・3日は外出には身分証明書携帯らしい。外国人はパスポートか。手ぶらで遠くのほうから見ることはできるらしいが,カメラなどは禁止,と徹底した報道規制。TVでの編集された映像以外の伝達は認めないということだろう。
 オリンピックの聖火リレーといえば,私が小学校1年生のときに学校全員が動員されて見に行った記憶がある。島原半島のような地域にもリレーはあったのだが警官がいたのかどうかは覚えていない。警官ばかりが目に付く中国のリレーとは大違いだ。聖火リレーひとつとっても東京オリンピックと北京オリンピックの,またそれぞれの年代における日本と中国の立場が鮮明に現れているとはいえないだろうか。
 日本人のK先生が見えられて,内藤先生とお別れをした。日本で会いましょうと。明日の朝早くの成田行きの便なので空港の近くのホテルに宿泊されるそうだ。
 16時過ぎにK先生と部屋を出て,学院の前で別れた。
 宿舎に帰ると妻が小さな小旗を二つ持ってきていた。銀行に勤める従兄弟からもらってきたそうだ。そんなものどうするんだという従兄弟に私が欲しがるだろうと思ってもらってきたそうだ。そういえばこの二種類の旗をつけたタクシーが最近目に付くようになったのは,この聖火リレー応援の旗だったのだと思い当たった。二種類の旗は中国旗と白地にオリンピックのシンボルマークに「為奥運加油!」と書かれた旗。「為」「運」は簡体字。「ウェイ・オウウン・チャーユ」と読む。「オリンピックのためにがんばれ」というほどの意味だろうか。
 明日から火曜まで大学に行けないので,のんびりと過ごすつもり。成績処理はその分遅れるが。
 歩数4516歩。

2008年7月11日(金)
学年末考査最終日

 久しぶりの8時開始の日。タクシーで正門まで行く。運転手には自由大路胡同を通るように指示したので渋滞で停まることなく着いた。
 正門から513号の研究室へ。一昨日出校した際,受け取って保管していた印刷済の問題が入った袋を持って702教室へ。大部屋の702号室では日本語科の2年と3年が座っていた。私の試験は入って右側の3年生。L先生が一緒に監督。2年生はK教授とT准教授。二人組での監督が基本。
 30分休んで10時からL先生の1年生聴覚の試験なので6階のLL教室へ。ヘッドホンをあてて聴き取る問題。最初は聴いて4択の絵の問題。次は絵がなく,選択肢も聴きとって番号を答える問題。途中に休憩が入る。L先生の途中の指示は中国語でされていた。
 昼食は内藤先生と北食堂1階の涼拌面。いつもながら行列。内藤先生は行列のない温かい麺のほうに並ばれていたので私が席に着いたときにはもう既にほとんど食べられていた。
 午後はひたすら採点。ひととおり採点し一覧表にしたところでちょうどいい時間となった。18時前に宿舎に帰る。歩数7333歩。

2008年7月10日(木)
ちゅらさん3

 午前中,宿舎の中庭の工事。シャベルの砂を運ぶ音で目覚める。久しぶりに「ちゅらさん3」を観ていたのだが,「ちゅらさん4」の途中で外のすごい音に耐えられなくなり,断念。その後しばらくは読書。午後,スーパー恒客隆へ買い物。野菜と果物とパン類。歩数2591歩。
 明日は朝から通勤である。

2008年7月9日(水)
スピーチコンテスト校内予選 送別会

 起きてすぐ昨夜の続きの印刷用紙のセット。印刷できたら,発送封筒の作成。梱包も終わって郵便局に出しに行こうとするが,朝からの雨がなかなか止みそうにない。意を決して大粒の雨が降る中,桂林郵便局に差し出しに行く。書留航空印刷物,長崎宛31.8元,自宅宛30.9元。自宅から広島・福岡へとメール便で発送する内封筒式。8日ほどで長崎には行くので,今月は間に合うことだろう。
 午後,9月のスピーチコンテストの校内予選があるので,出校。大雨なのでタクシーで。終了後,移動して日本人教師の送別会。内藤先生が帰国, K先生が転勤。日本人教師で残留は私のみになった。
 送別会場に移動する頃には雨もあがり,当初の東師会館207室に行くが,諸事情で急に会場変更になり,大学から人民大街を北に行った「金海湾味道」という海鮮料理の店。移動はタクシーで行ったがすぐ着いた。この店は日本人にも受け入れやすい料理で満足だったが,白酒の乾杯で始まったのには困った。後でビールに替わったが,それまでにすっかり酔ってしまったのだ。
 終了後は,少し遠いが教授たちとおしゃべりをしながら歩いて帰宅。8357歩。

2008年7月8日(火)
長崎郵趣作成

 午前中から午後にかけて,長崎郵趣7月号の編集・作成。すぐに印刷にかかる。夕方までに長崎発送分30部ができなかったので,引き続き福岡・広島発送分も印刷。寝る前に印刷のセットをして寝る。

2008年7月7日(月)
手付金

 9時過ぎに重慶路の亜泰富苑7階に行く。10時から銀行の入金ができるとのことなので,しばらく待つ。無事契約も終了。あとは日本からの送金を待つのみ。
 両替5万ドルの制限があるので,妻も中国の外国通貨口座を開設するため,中国銀行へ。円高が進んでいて先週に比べて1ドルあたり0.1円ほど率がいい。この分だと先週から7万円ほど得することになる。
 帰りはウォルマートで食料品の買い物。今日も暑い1日だった。歩数6168歩。
 K先生から電話。日本人教師2名の送別会を明後日水曜日にやるとのこと。また,15時30分から9月にある吉林省のスピーチコンテストの校内予選をやるとのこと。その後引き続き移動して送別会になる流れ。

2008年7月6日(日)
帰国

 あっという間に妹夫婦の帰国の日になった。行きの時と同じに3番目の叔父が空港まで送ってくれることになった。朝,デイズホテルに行き出発は10時。叔父は運転手に託して我々をホテルで見送った。途中,妹が人防商城で買いもらした物を買い,高速道路で空港まで。二人を出発ゲートの中に入るまで見送る。帰る途中で叔父を拾い,運転手を交えて昼食。大ジョッキで焼餃子。運転手も飲んでいるのは中国ならでは。
 宿舎まで送ってもらった。歩数は記録するのを忘れたので不明。
 帰宅後,両替人を介して両替。叔母の紹介。16万円が1万210元。0.638のレート。明日の手付金の分。両替分の紙幣は銀行に入金するまで取引は終わっていず両替人がいてくれるので,偽札の心配はない。

2008年7月5日(土)
食事会2

 昨日の帰り際,明日も食事会をしましょうと叔父の一人から誘われ今日も夕方食事会。それまで,しばし長春の観光。朝,デイズホテルまで迎えに行き,旧満州国の官庁街巡り。経済部から始まって,交通部,司法部等現存する8つの施設を見学。最後は旧国務院。ここだけ入場料を払って内部を見学できる。昨年は10元だったような気がするが,今日は20元に上がっていた。しかも料金表示がゴム印。二重価格疑惑もある。ここのガイドさんはみな日本語が堪能。その前が皇居になるはずだった建物と北京の天安門に匹敵するはずだった広場。写真を撮る。そこから長春駅までタクシーで行き,旧長春ヤマトホテルから駅をバックに写真撮影。ヤマトホテルは春宜賓館と名が変わり,横に新館も建てられている。その新館で遅い昼食。暑かったのでビール。ここでまた食べ過ぎる。デイズホテルで休息していると雨が降り始めてきた。会場の名門ホテルに着く頃には大雨。タクシーを降りると傘を持ったボーイが迎えに来てくれるところはさすが一流ホテル。傘をさした若者が多数いるのは「明星」すなわちスターのファンらしい。有名なタレントが来るようだ。会場に入り食事会が始まった。小学校4年の姪の筝の演奏で開始。吉林省の大会で金賞を取ったこともあるそうだ。食事は昨日にもまして豪華。お土産も磁器の収集が趣味の叔父からは透かし彫りの磁器,別の叔父からは朝鮮人参,胡桃や松子の詰め合わせ3軒分,と昨日にも増してのお土産。聞くところによると5000元の料理だそうだ。一番上の叔父の趣味は切手収集ということも聞いた。
 料理が終わったあとは鉄観音茶を飲みながら,話をしたり再び筝の演奏があったり。従兄弟たちは小学生も含めて皆英語ができるので,英語でコミュニケーションをとる。
 今日の会は昨日出れなかった2人が加わり,昨日出た大学生の従兄弟が来てないので,昨日よりは1人多いことになる。大学生は今試験中なのである。この時期,教員は楽だが学生は必死。
 今日も,デイズホテルにI夫妻を送ってから宿舎に帰った。歩数9681歩。

2008年7月4日(金)
食事会

 朝,亜泰ホテルを訪ね,チェックアウト。保証金202元が戻ってきた。そのままデイズホテルに行きチェックイン。O氏はお腹の調子が悪くホテルで休息。妹と私と妻の3人は,重慶路の人防商城へ。ここは戦前の大規模防空壕を利用した地下商店街。その広さに圧倒。さらにその店の品揃えに圧倒。妹は娘2人の分と併せて服を14着で1200元ほど購入。そのうちの1着のみ夫の分。生地もデザインもいいとのこと。途中私は飲み物のみ,女性二人はおいしそうなものを買って食べていたが,私も食欲がないのだ。その後ウォルマートで買い物。妹はバラやジャスミンなどの花茶をたくさん買っていた。デイズホテルに戻り,夕食会に持っていくものを取りに宿舎に帰った。スーツの着替えを持ってデイズホテルへ行き着替える。
 夕方18時にシャングリラホテル2階のシャンパレスへ。妻の親戚たちが集まっておられた。20時30分には終了。満足してもらえたようだ。日本から運んだのし付のお土産を各家庭分帰りの際に渡す。精算してみると結局3350元。
 デイズホテルで着替えて,タクシーで宿舎に帰る。歩数15082歩。

2008年7月3日(木)
火鍋

 I夫妻が朝8時に来訪。ホテルの隣室の工事の音に起こされ,時計を見ると約束の9時に近いのであわてて来たのだが実は電波時計が日本時間を示して時差の分1時間早く到着したとのこと。日本の電波時計は佐賀の電波を拾うらしい。4人で歩いて東北師範大学まで。研究室に行くと内藤先生が読書をされておられた。I夫妻と妻を紹介する。9時40分に管理棟の国際交流科を訪ね,日本語の話せるLさんと一緒に郊外にある某大学へ。2時間ほどしてタクシーで亜泰ホテルのある重慶路へ。昼食を探しにシャングリラホテルの近くに行くと,思い出したのが珈哩工房。桂林路と同じ店が重慶路にも存在するのである。カツカレーやビーフカレー等。暑いので私はカツカレーとビールで。計数十元。亜泰ホテルもイマイチというので,長春の最高級クラスのホテル天天酒店(デイズホテル)に行く。今日は部屋はないが,明日明後日は大丈夫ということなので予約。580元の部屋。豪華房8階の895号室。隣のシャングリラホテルの春宮(シャンパレス)というレストランで明日食事会をすることを決め,予約金として1000元預けてきた。メニューも1200元のセットメニューを2卓。それに飲み物の料金が加わる。
 明日の予約ができたところで,亜泰ホテルに戻り連泊の分200元追加して払う。部屋で明日のミーティング。しばらく休む。夕食は川王福の火鍋。4人とも満腹で123元。タクシーで亜泰ホテル経由で帰宅。歩数20938歩。

2008年7月2日(水)
亜泰ホテル

 妹夫妻が来るというので初めて本館の客室のツインの部屋を見たのだが,私のいる別館とは違い,一般のビジネスホテルの広さ。ホテルを換えたいとのことで昨晩あたりをつけていたホテルへ行ってみることにした。昨晩遅くまでミーティングをしたので,出発は10時前。重慶路にある亜泰ホテル。515号ツインの部屋を見せてもらう。これで198元というので即決。昨晩泊まった部屋が120元に比べると格段のクオリティの違い。決まったところで昼食。重慶路の面対面で。4人で54元。
 メイン行事の亜泰富苑デパートの上の物件を見学。それが終了し,観音像を探しに仏像販売店。近くにある和平大世界の3・4・5階の古玩城へ。
 太馬路・上海路の物件と民康路の物件を見学していたら,夕方。ひとまず私の宿舎に戻り,荷物の移動。亜泰ホテルにチェックイン。保障金含めて400元。近くにある天倫へ行くことになり,その前にケンタッキーフライドチキンで軽食。計64元。長春一の繁華街,重慶路を歩きながら天倫へ。シャワー・サウナ・アカスリのあと4人でマッサージを2階で。入念なマッサージに妹I夫妻も満足。地下へ行き,食事。料理が来るまでI夫妻は酸素バー。あまりにリラックスしすぎて22時30分過ぎ。精算をしたら547元。マッサージ130元3人分と入浴のみ38元1人が基本料で,アカスリタオル8元2人分と5元1人分。それに食事代で送金額になるようだ。I夫妻を亜泰ホテルで降ろし,11時の時報をタクシーの中で聞きた。宿舎の入り口の門は開いており,警備員さんに挨拶して入った。歩数12007歩。

2008年7月1日(火)
妹夫妻来る

 7月11日の最後の試験日まで大学の仕事はない。それまで旅行を,といきたいところだが,今日妹夫妻が中国に来るのでその準備。
 午前中ゆっくり起き,読書等でのんびり過ごす。昼食は珈哩工房のある西康路のひとつ先にある桂林路胡同の珈哩制造へ。どちらも長慶街に面している。メニューもほとんど同じ。シーフードカレーとシーフードスパゲッティとフルーツサラダと金士百ビール純生。二人で35元ほど。
 少し横になり,16時まで。妹夫妻の長春空港到着予定は17時50分。余裕をみて16時出発。妻の3番目の叔父が車で迎えにきてくれた。
 長春空港は市内から吉林市方面へ25キロほど離れたところ。高速を通って,35分ほどで到着。空港へ着くと,北京空港からの中国国際航空CA1629便到着は17時35分に変更になっており,喜んだがまもなく18時5分に変更になり,結局1時間30分以上待つはめになった。搭乗口に来るまでさらに待つ。
 二人を出迎え,私の宿舎の本館の3階に荷物を運ぶ。
 夕食は桂林路の東方餃子王。4人で140元ほど。妹のご主人のO氏がシーツの好みが繊細な方なのでホテルのシーツが合わず,恒客隆スーパー3階の寝具売り場でシーツを購入。
 私の部屋で明日以降の打ち合わせ。7551歩。

  2008年7月


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