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2006年5月31日(水)
告別式

 6時すぎに起きてホテルで浴衣とお風呂セットを借り,7時に道後温泉本館へ。階下の湯に入り,3Fの坊ちゃんの間を見学。8時にホテルで朝食。9時にホテルの湯に入り,10時チェックアウト。2時間ほどタクシーで観光。12時過ぎに告別式会場のベルモニー枝松へ到着。当地から預かってきた8軒分の香典を代表で上げる。
 告別式は13時開始。式の最後の方では妹が親族を代表して在りし日を偲び義父から託された言葉を参列者に話し,聞く人の涙を誘った。
 終了後出棺,斎場へ移動。予定の16時30分を大幅に過ぎ,骨入れ。ベルモニーに帰り,初七日の法事。18時過ぎに抜け出し空港へ。19時の福岡行き。19時45分福岡着。駐車場で車を受け取り,母の運転で帰る。23時過ぎ帰宅。

 帰りの機内で資料のページ割り決定。
 「郵趣」6月号到着。


 5月も今日で終わりである。明日から6月。

2006年5月30日(火)
松山・道後温泉

 高総体前で早朝補習は中止。授業は1・3・5・6の4時間。時間割係に連絡して6の授業を2に上げてもらい,5校時まで授業。明日の授業の振替も完了し,授業終了後すぐ帰宅。喪服を準備し,出発。福岡空港前の駐車場に入れ17時45分発松山行きに。16時25分,予定通り到着。空港に親戚の関係者が迎えに来てくれたのでお通夜の会場へ。19時からの会に間に合った。終了後控え室で簡単な食事をした後,妹の車で,道後山の手ホテルまで。そのまま寝てしまう。

 講演の資料作りのコピーを持って来てはいるが飛行機の機内で広げて見ただけである。

 121000アクセス。

2006年5月29日(月)
代休

 今週末の高総体期間中6月3日分の代休。4日分は6日に休むことになる。
 未明に親戚に不幸があり,母が行くことになったがその付き添いに私も行くことになった。明日の授業を振り替えてもらい午後から明後日にかけて年休を取ることになる。飛行機の手配や宿の手配。松山なので車で行くと9時間かかる。結局福岡まで車で行き,福岡空港から松山空港へ行くことに。宿は山の手ホテル。妹夫婦も同じ所に宿泊することになった。観光で行くならいいのだが今回は慌ただしい移動になりそう。
 その他,懸案の仕事をいくつか片づける。 

 「スタンプコレクター」着。「郵趣ウィークリー」着。

2006年5月28日(日)
編集

 ゆっくり朝寝できると思いきや,早く学校へ来てくださいと生徒からメール。普賢岳制作班が編集機材についての説明をしてほしいとのこと。10時過ぎに出かける。結局17時に生徒を送り出し,17時30分帰宅。でもいつもより早い。少しだけ嬉しい。明日はゆっくりできるか。

2006年5月27日(土)
史上最多更新

 NHK杯全国高等学校放送コンテスト長崎県中地区大会である。8時30分に会場の諫早,長崎ウエスレアン大学に到着。アナウンス12名と朗読8名の計20名出場は最多出場校。この時間だと当然一番乗りで,事務局校の諫早高校が受付の準備をしているのを手伝う。私の業務分担は今年は集計。昨年午前中のアナウンス,午後の朗読と続けて審査したので事務局が気を利かせて外してくれたのだろう。
 参加者が今年度は多く,アナウンスで63名,朗読で61名。50人を超える5名ごとに1名県大会出場者が増える計算なので,それぞれ13名と12名になる。
 結果はアナウンス5名,朗読3名が県大会出場に相当する優秀賞。若干名の優良賞に3名と1名入賞。ということで賞状12枚,県大会8名出場。昨年11枚7名だったので本校放送部史上最多の獲得数である。
 終了時間が1時間ほど延びたので,17時頃に会場をあとにして,生徒を送り届けて,ビデオ機材を学校の放送室へ運び帰宅。19時10分。
 明日付けの島原新聞の第1面に放送部の取り組みが紹介。私も写真に写っていた。コメントもしっかり載る。

 明日は講演の資料作り。来てくれた人には来て良かった,得したと思わせるような資料を作成したい。

2006年5月26日(金)
コンテスト前日

 早朝補習。放課後会議室で明日の放送コンテストの最終練習会。19時近くの下校時間ぎりぎりまで行う。20時前帰宅。明日は早い。

2006年5月25日(木)
取材

 早朝補習。授業と授業の合間の10分や昼休みにもアナウンスの読みの指導。放課後職員会議。終了後読みの指導。17時頃,以前からお願いしていた知人の噴火災害の被災を受けた方のインタビューを生徒がする場面に立ち会う。その様子を地元新聞とケーブルテレビが取材。生徒の編集の様子を取材しているうちに私は会議室で読みの指導。最後にケーブルテレビの人が帰る前にインタビューを受ける。顧問としてのコメント。けっこう緊張する。生徒の下校ぎりぎりまで読みの指導。19時30分過ぎ帰宅。

 「郵便史研究」到着。長田氏からの「紙の情報誌」到着。長野氏から支部報掲載の「全日展2006参観記」到着。

2006年5月24日(水)
短縮授業

 早朝補習。高校総体前の短縮授業。午後開会式出場選手による入場行進の練習。放送部の制作班は17時に地元新聞社とケーブルテレビの取材を受ける。読みの生徒の指導。土曜がコンテストだから真剣である。19時前の下校時間までかなりの生徒が残って練習した。ちょっとしたアドバイスで劇的に良くなる場合もあるのは素質がいいのだろう。20時過ぎ帰宅。

 講演の構成を考える。

2006年5月23日(火)
最終章

 早朝補習。授業が詰まった火曜日である。放課後応援練習。放送部の番組班は島原新聞とケーブルテレビの取材を受ける。6・3大火砕流15年に向けての特集である。NHK杯放送コンテスト地区大会が今週の土曜日なので,読みの指導。20人出場なのにあと数日で指導しなければならない。19時30分から同窓会誌の編集委員会。22時過ぎまで。職員室の灯がついていたので資料を置きに行き帰宅。22時30分。

 6月17日の講演に向けて構想を練る。「読み解く」の最終章に相当する,コレクションの構築・アルバム整理に関する部分を重点的に話す予定。ここで話したことをもとに一気に原稿を完成させる予定である。
 120000アクセス。

2006年5月22日(月)
案内到着

 高総体前というので今日から短縮授業。放課後になると忙しい。まず中庭で全校集会後選手以外は応援練習。放送部の2年生はその様子を2カメで撮影。16時過ぎから放送部。今週末が地区大会なので読みを何人か聞く。ちょっとしたアドバイスでずいぶん良くなる。例の普賢岳撮影班は16時30分に市役所と当時のボランティア団体代表の人に2グループに別れて取材。市役所が早めに終わったのでもう一グループの方にもいってみた。帰校後機材編集室でミーティング。生徒帰宅後,明日の部活動写真の打合せ。どうも明日も雨らしい。古典の小テストを作りだめする。20時過ぎ帰宅。

 やっと長崎大会の案内到着。「sydney」が誤植なのは笑って許してやってほしい,私も今日初めて見るのだから。鹿児島の方から電話あり。急遽参加できるようになったとのこと。早めに連絡すれば宿泊はまだ余裕はありそう。
 「郵趣ウィークリィー」到着。誌代切れらしい。送金しなければ。

2006年5月21日(日)
発足式

 財団法人日本郵趣協会長崎支部の発足式である。
 朝起きたら昨日寝る前に印刷していた「長崎郵趣」,B4用紙が5枚不足で40枚しか印刷できていない。急いで用紙補給して5枚印刷したところで,裏面に印刷である。45枚印刷するのに80分以上かかる。別のパソコンとプリンターでは受付用紙や名簿台帳,支部規約等を印刷。それらを持って急いで長崎へ。
 会場に着くと田畑九州沖縄本部長が既に到着済み。挨拶もそこそこに受付の準備。13時過ぎにスタート。メインの田畑本部長の講演は実物のリーフを見てのものであっという間の1時間半であった。参加者からも質問等もあり活気にあふれたものであった。本部からのダイレクトメールのおかげで,初参加者も4名あり,幸先のよいスタートをきることができた。
 参加者は最後の記念撮影の時点で23名,その後の交換会で1名遅れて参加。計24名であった。
 ちょうど長崎に所用で来られていた村岡氏も合流してアミュプラザ4Fで雑談をして別れた。
 弟家族は今日小学校の運動会というので母が応援に来ており,JR道ノ尾駅まで行き弟宅に久しぶりに立ち寄り,母の車に乗せてもらい帰宅。22時前。

2006年5月20日(土)
理事会

 財団法人日本郵趣協会九州地方本部の理事会にオブザーバーとして出席。長崎支部は明日結成式であるので,まだ理事ではないからである。ほとんど旧知の方ばかり。会終了後,本部長と明日の長崎支部結成式の打合せをしていたらけっこう遅くなり17時を過ぎていた。Fスタンプに昭和切手の銘版の出物があるとの情報を教えてもらい鹿児島のTさんと行く。久しぶりに切手を店頭で購入。店を出てTさんと別れ,姪浜に向かい,知人と夕食。ピアノの生演奏,キャンドルサービスのベーカリーレストランサンマルクでディナー。食後西区の野方公園までドライブ。夜景を見る。
 帰路九州自動車道の金立パーキングで仮眠をとっていたら帰宅は25時過ぎになった。

 帰宅後「長崎郵趣」カラー版の印刷。明日の結成式に備える。

2006年5月19日(金)
ノー残業デー

 早朝補習。朝は雨が上がったようだが,午後写真撮影の時間になると大粒の雨が。いくつかが延期になった模様。また来週予定を組み直すことになる。いくつかの仕事が重なり机に座る間もない。特に放課後は写真撮影,放送部の指導,明日の同窓会の講演会のセッティングといつにも増して動き回る。ノー残業デーというのにいつもと同じ20時過ぎ帰宅。

 「長崎郵趣」を自宅の4000PXでB4両面印刷する。二折りにしてB5サイズ4ページの簡素なもの。コストはどれくらいになるのだろうか。カラーで少しと白黒でその他。

2006年5月18日(木)
長崎郵趣

 早朝補習。放課後部活動写真撮影。ちょうど放送部の撮影の前に雨が降り始め,後日延期になった。サッカー部や野球部は撮影できたようだ。
 放送部の原稿が20人分揃い,発送の準備。参加伺いが決裁降り次第送付できる。
 国語部会事務局,本年度も担当。事務局長でなく庶務として事務を行うことになる。理事・役員会の委任状・案内,地区主任会の案内状を発送する。20時過ぎ帰宅。

 「長崎郵趣」印刷は明日になるだろう。

2006年5月17日(水)
実践昭和切手蒐集

 今日は個人的に思い入れの深い日付。感慨深い。
 早朝補習。最近雨がちで梅雨に入ったのかと思うほど。放課後個人写真撮影。今日で7クラス分終了。放送部のアナウンス原稿添削,結構アナウンス・朗読とも清書して提出してきた。今年度は2部門で20人出場予定。そのうち半分は県大会に出場させたい。20時過ぎ帰宅。

 JAPANの型録を見る。6月の講演の構想。レジュメはしっかりした印刷物を作成したい。演題は「実践昭和切手蒐集」。

2006年5月16日(火)
長崎郵趣

 早朝補習。7校時生徒総会。放課後放送部のアナウンス原稿の添削。番組班の取材で市役所へ。ずいぶん積極的に動くようになってきた。市役所で聞いた話を元に次の取材対象の人のアポイントメントを取る。
 卒業アルバムの係として部活動写真の予定を組む。現在クラスの個人写真を撮影中である。帰ろうとしたら戸締り当番。夜の校舎を施錠してまわる。20時過ぎ帰宅。

 「長崎郵趣」の編集。21日に向けて急がないといけない。

2006年5月15日(月)
JAPAN到着

 また1週間が始まる。放課後からが忙しい。中間考査の後処理,ノート点検。途中に放送部の生徒が呼びに来るので放送室や編集機材室に足を運ぶ。あまりかまってやれない。21時前帰宅。

 「JAPANSTAMP」オークション到着。「シバタ」オークションも到着。帰るやいなや,なにはさておき,ぱらぱらとめくる。

2006年5月14日(日)
休日

 昨日の痛飲で目覚めが遅い。午後昨日のJPS本部からの資料と支部旗を長崎の池田氏まで届ける。いよいよ1週間後にJPS長崎支部の発足式である。
 夕方母の日ということで母と諫早の「魚荘」にて食事。諫早名物の鰻料理で有名な店。

 昨日届いていたJPSオークション。富士鹿風景にいいモノが出ていたが悉く敗れ,最低値で落ちたリーフがいくつかと写真写りの悪いものいくつか。リーフの書き込みに特徴のある筆跡。見覚えがあるものだ。いかなる事情で出品に至ったか興味あるところ。

 119000アクセス。

2006年5月13日(土)
勤務日

 木曜日の日課なので早朝補習から始まる。午前中授業。午後授業公開のあと,PTA総会。学年会,学級懇談会と続く。夕食は久しぶりに友人S君と。「鳥善」−「六本木」のコース。25時帰宅。

 よっぽど午後から年休を取って広島に行こうかと考えたが,PTA総会も大事な行事である。JPS本部から支部旗と資料届く。

2006年5月12日(金)
中間考査

 中間考査である。国・英・数の3教科のみ実施。午後情報図書部主催の職員研修。事前準備がたいへんである。プロジェクターの準備をする。講師は若手の専門の先生。内容は「校内LANの利用について,その他」。
 終了後はひたすら採点。放送部の生徒からから断続的に呼び出しがあり,放送室や機材編集室に行く。
 19時過ぎた頃家から電話。今日は地元の人たちとの会合がある日。すっかり忘れていた。急いで帰り20時から出席。21時過ぎ帰宅。昨日購入のHC3,やっとハイビジョンテレビで再生しDVカメラとの次元の違う再生力に驚く。

 全日展から帰ってきた作品の点検もまだ済んでいない。

2006年5月11日(木)
代休

 土曜日にPTA総会があるのでその代休。いくつかの用件で福岡へ。一つはETCの割引の検証。朝,通勤割引の時間帯がおわる9時前に諫早インターに入る。事前に入手していた100キロ地点の東背振インターで一旦出て半額1250円を確認。すぐ入り都市高速も含めた料金が1550円,計2800円。いつもより1000円安い計算。
 二つ目はKAKAKU.Comで事前に得ていたハイビジョンカメラHC3の最安値102500円の確認。何とかカメラのキタムラ天神店を捜し当て,店頭表示をみると158000円とヤマダデンキで数日前確認した店頭表示価格と同じ。店員にKAKAKU.Comのクチコミの話をするとご存じで一発102000円の回答。耳を疑った。「店頭表示はできないんですよ」とのこと。もちろん分割払いで購入手続き。バッテリの一番大きい容量のものとテープを買っても116000円。現時点でKAKAKU.Comの最安値更新である。あいにくアクセサリ類が取り寄せということで,ヨドバシカメラ博多駅前店に行く。ここは品揃え豊富である。三脚・バッグ・アクセサリ類を購入。
 再び天神に戻り三件目。福岡中央局内にある郵政公社九州支社郵便事業部営業課への挨拶。事業本部長は大分に出張で課長と係長に挨拶。長崎大会の件について話をする。
 その後四件目。知人と会う。
 深夜割引に入った直後に諌早インターを出る。都市高速が1割引の540,九州自動車道3割引の2200,計2740円で通勤割引の時間帯利用とほぼ同じという結果になった。25時前帰宅。

2006年5月11日(木)
タカハシスタンプ

 中間考査前の最後の授業。放課後質問の生徒多数。帰宅20時前。
 
 遅ればせながら「タカハシスタンプ」オークション誌到着。誌代送金していなかったため。入札のシステム変更での注意事項が書かれてあった。

2006年5月9日(火)
中間考査前

 中間考査3日前で早朝補習は中止。部活動も中止。登校指導の当番で職員朝会に出ずに指導。放課後国語科の打合せ。20時過ぎ帰宅。

2006年5月8日(月)
平仮名2字

 GWも終了。今週は金曜に中間考査,土曜にPTA総会と行事が続く。放課後放送部員を集めて今後の活動の話し合いをする。20時過ぎ帰宅。
 
 JAPANSTAMPのHPブログに日フィラのことが書いてあり,懐旧の念で当時を思い出した。符牒はつけ忘れるといきなりその値段になるので大事なひらがな2字であった。たまにつけ忘れたのも遠い記憶。

2006年5月7日(日)
実行委員会

 九州郵趣家の集いの実行委員での打合せのため長崎へ。結構時間に余裕を持って出たのだが,アミュプラザの駐車場に入るのに結構時間がかかりやっと間に合った。5月21日のJPS長崎支部結成大会の打合せと機関誌「長崎郵趣」のサンプルも検討してもらう。アミュプラザ3Fの書店で買い物をして17時20分に出る。19時前帰宅。

2006年5月6日(土)
雨中長崎行き

 今日は連休中とはいえ土曜日。通院し常備薬をもらう。この頃から雨が降り始める。午後妹が置いていった起動しなくなったパソコンのHDを買いに長崎のヤマダデンキまで。途中長崎道と長崎バイパスの2カ所有料道路を使用するが,ETCは快適である。後はHD交換してリカバリかけるだけである。

 「SEVEN」到着。久々に昭和のいいモノが出ている。高くなりそう。

2006年5月5日(金)
引き続きリーフ作成

 こどもの日ということで学校も閉鎖。放送部の活動もお休み。リーフ作りに明け暮れる。

2006年5月4日(木)
リーフ作成

 久しぶり家で過ごす日。リーフ作成などをしてみる。午後から妹家族が帰省。妹と夫,長女,義母の4名。お土産は村岡総本舗の羊羹とどら焼き。いつも妹夫婦の手みやげは村岡総本舗の羊羹である。夕食後慌ただしくまた北九州へ帰っていった。
 全日展のメダルと賞状到着。「日本フィラテリックセンターオークション」到着。「切手研究」・総会時の写真とともに届く。 
 118000アクセス。

2006年5月3日(水)
平成新山撮影

 GWというのに7時起き。山が霞んでいるようなので今日も撮影はないなと寝ていたら,市内の方角からは撮影可能ですとのメールで飛び起き,集合場所の島原駅に。途中取材したいといっていたケーブルテレビの方にも連絡。生徒4名を乗せて,最初の撮影ポイント水無川へ。次に垂木台地のネイチャーセンターへ。そこから撮影しているとケーブルテレビの方も到着。生徒が取材しているのをケーブルテレビの方が取材しているのを私がビデオに収めるということに。次に復興記念館。GWということで県外からの観光客多数。その後復興のシンボル観光トロッコ列車を水無川付近で待ち受けて撮影。
 生徒を学校に送り私は終了。帰ってから疲れてそのまま寝てしまう。
 

2006年5月2日(火)
GW中日

 早朝補習から始まる1日。火曜日は授業がつまっているので大忙し。放課後地区別集会。放送部を地元ケーブルテレビが高校生の取り組みとして紹介したいということで取材に来る。19時30分帰宅。明日も生徒と一緒に取材である。

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2006年5月1日(月)
郵趣ミスプリント

 世間ではGWの中日だが,私は早朝補習から始まる生活である。午前中は学校便りの編集と印刷。放課後放送部へ。PTAの評議員会。PTAの懇親会が17時30分からなので慌てて支度して出席。5年間勤め上げられたPTA会長の退任式でもある。保護者に同級生も多い。2次会「七万石」3次会その横のカクテルバー「セブンストーン」。両店は奥でつながっている。女主人は86歳で五十数年のキャリアとのこと。元気である。
 さくら代行は40〜50分待ちということで別の代行運転の会社で帰る。11時30分帰宅。

 「郵趣5月号」着。ミスプリントあり。P19の長崎支部長は私でなく関さんである。おまけに大森支部との混同もあった。担当者からお詫びのメールを数日前いただいていたが,今日確認した。P53は正しい。
 「全日本郵趣」到着。長田氏の信書版情報誌到着。いつもありがたい。その中のいくつ国際展資格を獲得されましたかの問い,ちょっと考えなければ出ない。昭和切手・小判切手・富士鹿風景が伝統郵趣部門,UNZENと長崎の外国郵便の2点が郵便史部門で計5点ということになるのだろうか。

  2006年5月


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