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2006年4月30日(日)
編集

 ビデオ撮影隊,8時に島原駅集合だが,天気晴れにもかかわらず,肝心の山が見えない。黄砂のせいかかすんでいるのである。で結局これまで編集してきた映像の編集とこれからの撮影計画を立てる。放送室の模様替えも。カーペットを屋上に天日干しして午後になってから収納。放送室を吹き抜ける風が心地よい一日だった。14時過ぎに帰宅。生徒はしばらく自学してから帰るとのこと。
 帰宅後しばらくしてから弟家族一行5名様が到着。男3名なので騒がしいこと。次男と三男の遊びにつき合う。途中お買い物につき合い夕食をして帰宅したのは21時過ぎ。
 BSデジタルを見る。

2006年4月29日(土)
放送部練習会

 GW初日。地区の放送部合同練習会である。アナウンス・朗読の生徒40名ほど参加する。そのうち約半数が本校である。まず7時30分に家を出て諫早駅に講師の天野先生をお迎えに行く。8時30分少し前に着きその1時間後に島高同窓会館に到着。休日の朝は道路も空いているがいつもよりは多く感じるのはGWのためだろうか。
 10時開始。本校の3年生は小論文模試と自学のため午後からの参加。
 練習会の方はもう一人の顧問のT先生にお任せし,私は午後からはビデオの取材。14時アポイントを取っておいた西川写真館に生徒4名と行く。途中で友人の方も来ていただき結局終了は18時。生徒を学校まで送り帰宅したのは18時30分過ぎ。天野先生からも家についたとの電話。帰りはT先生に送ってもらったのである。私もお礼を述べる。
 普賢岳取材班のメンバーは明日も朝から普賢岳を撮りに行きたいというのでつきあうことになった。

2006年4月28日(金)
遠足

 天気良く遠足日和。私は放送部の機材と部員2名それに足の捻挫で歩けない生徒を乗せて車で。場所は市営陸上競技場横の公園。現地では2・3年生が1年生を迎える形で開始。新たに本校に来られた先生の自己紹介。今年はクイズ形式で行われた。そのあとクラス対抗綱引き大会。けっこう盛り上がる。昼食後休憩して帰校。その後急な仕事が入り18時45分まで仕事。19時から本年度最初の夜の学年会。25時30分帰宅。

2006年4月27日(木)
ラストロット

 早朝補習。放課後会議。放送部の普賢岳のビデオの指導。アナウンス・朗読の指導は1年生には2・3年生が基本的な指導をしているようだ。29日土曜日の地区の練習会を本校で行うための準備。本校3年生は午前中小論文模試と自学のため,午後から参加。
 時間取れず小テストの処理ができずたまっていく。GWの課題の準備。20時30分帰宅。明日は遠足である。

 「JAPAN STAMP」のHPでラストロットを確認。現存1点のユニークというのは何者にも代え難い。ただ使用状況からいってカバーにはかなうまい。

2006年4月26日(水)
ヒゲの市長

 早朝補習。今日から1年生の教室に。今年も1年生の1クラスの補習だけを担当する。小テストの処理。7校時終了後すぐ,放送部の制作部長と自衛隊へ。昨日話をつけてきた件での用事。今日は鐘ヶ江元市長のインタビューが16時30分からのアポイントを取っているので,急ぐ必要があったのだ。終了後すぐ学校に帰り生徒4名を載せて,元市長宅へ。当時そのままの付け髭と防災服姿でインタビューに応じてもらえた。サービス精神旺盛な方である。けっこう話をしていただき18時前に生徒を学校に降ろし,諫早へ向かう。実は市民劇場なのだ。島原は昨日終了したので今日の公演会場の諫早に行くことにした。もちろん事前連絡をした上でである。
 音楽座のミュージカル「とってもゴースト」,19時過ぎに到着したので,30数分遅れで見る。平凡な1日を生きることの素晴らしさを教えてくれた。帰宅22時30分。

 117000アクセス。

2006年4月25日(火)
黄砂に吹かれて

 昨日あたりから黄砂により霞んでいる。春の霞ではないようだ。7校時部活動集会である。放送部は1年生が4名入った。2年生も4名増え,3年13,2年9,1年4の26名でのスタート。放課後普賢岳のビデオ作成の準備。学校便りの編集作業。ふと気づくと20時。帰宅20時30分。

 「スタンプコレクター」「新消印とエンタイヤ」到着。大石さんの所沢時代に家を訪ねていったことを思い出した。もちろん蒐友N氏とである。

2006年4月24日(月)
週の始まり

 早朝補習である。昼休みもアルバム委員会で生徒を集めて説明。放課後も放送部へ。19時30分帰宅。帰宅後自治会の公民館で減反の集まり。昨年と同じ手続き。

 「郵趣ウィークリー」到着。

2006年4月23日(日)
普賢岳撮影&長崎行き

 朝8時に放送部の生徒が公衆電話からモーニングコール。今日は良い天気なので撮影に行きましょうとのこと。飛び起きて準備をしていく。放送室にいくと黒板一面に制作意図。プレゼンテーションを受ける。晴れてはいるものの,あいにくの雲で普賢岳は見えず。そこで撮影予定地の下見を兼ね生徒3人と私で出かける。最初に垂木大地の雲仙ネイチャーセンター。次に砂防ダム。その対岸の大野木場小学校の被災校舎。安中のかさ上げ事業で生まれ変わった土石流跡地。水無本陣の被災遺構保存地。途中食事を挟んで帰校。15時前に帰宅。すぐ長崎へ出発。池田さんと6月のつどいの打合せ。途中初めてETCを長崎道と長崎バイパスで使用。快適である。16時30分から初めて2時間近く打ち合わせ。ヤマダ電機で小物を購入して帰る。20時30分過ぎ帰宅。

2006年4月22日(土)
ETC

 天候がよければ,放送部の撮影があったのだが,雨のため行けず。通院のあと,ETC取り付けに諫早まで。島原のショップは売り切れで水曜日にならないと入荷しないらしい。諫早のショップでも最近よく売れているとのこと。
 島原のベスト電器ではパソコンソフトを扱っていないので,ETC取り付けの帰りに諫早のベスト電器でソースネクストの「いきなりIP電話」を購入。これで遠距離の友人とも無料で通話できる。相手が既に購入済なのですぐ使えた。

2006年4月21日(金)
イヤーセット

 このところ放課後は放送部のコンテスト用原稿作成の指導に追われている。それと番組構成の相談。制作班がやる気を出して頑張っている。19時前に帰宅させる。21日はノー残業デー・ノー部活デーなのにそんなことをいっていられないのが現実である。20時過ぎに帰宅。明日はロケ取材だったが,天候がよくないようなので中止に。

 郵便局に行ったついでに,切手趣味週間の切手を購入。東京中央のイヤーセットがなくなるというので,新発売の切手を今後撮っておいてくれるようにその局に予約をしてきた。

2006年4月20日(木)
全日展2006今日まで

 昨日と違って風が冷たい肌寒い1日。放課後は昨日借りてきたビデオを放送部員と見て分析。全部で7本。その合間にアナウンス原稿添削と朗読箇所の相談。十人近く。明日が校内での原稿締切りなので皆必死である。生徒を19時前に帰し私はビデオを分析。帰宅20時過ぎ。

 全日展は今日まで。小型印使用はなかったそうだが,趣味週間の記念切手販売は混乱がなかったのだろうか。

2006年4月19日(水)
平成新山

 早朝補習。汗ばむ陽気。上着を脱いでワイシャツ姿で早朝から授業。放課後,放送部の取材。有明町の写真家。その後雲仙に登り,1年生の合宿を取材に行く。麓では桜は散ってしまったが,雲仙に行く途中桜が満開からやや散り始めという場所があった。車道いっぱいに桜吹雪。19時30分帰宅。すぐ伊藤理容店で散髪。さっぱりした。

 ふるさと切手長崎県版平成新山を撮影した写真家である。
 116000アクセス。

2006年4月18日(火)
講評

 肌寒いのは東京に行ったせいと思っていたが,こちらに帰ってみると土日からこちらも寒かったとのこと。でも今日は日差しが暖かかった。放課後TVドキュメントのチームの相談にのる。普賢岳噴火をある一人の人物に焦点を当てることで表現しようというものである。明日の取材のアポをとる。19時30分帰宅。

 トップページにようやく全日展2006の全作品のタイトルリーフと賞・講評のアルバムを掲載できた。HP容量を圧迫しているので長期間の掲載はできないだろう。
 「スタンプマガジン」「たんぶるぽすと増刊・日本印紙型録」到着。

2006年4月18日(火)
入賞者掲載

 新学期は落ち着かない。また今日から新しい週が始まる。放課後は放送部でNHK杯の相談にのる。普賢岳災害から16年目になる。それをテーマにするのがTVドキュメント。TVドラマもシナリオが完成したので読んでアドバイスをする。19時30分帰宅。

 「郵趣ウィークリー」到着。「ボタ印」の本をみる。
 郵政公社のHPに全日展の入賞者の掲載。

2006年4月16日(日)
授賞式

 昨日の余韻でゆっくり起床。リッチモンド東京の朝食会場は2Fのロイヤルホストであるが,客室から直接は行けず,1Fを経由して行くことになっている。バイキング形式である。
 目白から大手町までは池袋経由丸ノ内線が早いようだ。ていぱーくは丸ノ内線A5の出口からが一番近い。会場に着き,鳴美の売店で荷物を預かってもらう。11時から授賞式へ。受賞は激戦の2006に相応しく金7人,金銀13人。その中の一人になれたのはツイていた。確かに例年の基準で推し量れないレベルの高さであった。澤氏の講評は昨年に引き続きためになる。このためだけで授賞式に来た甲斐がある。
 授賞式から帰ると入り口近くには小判振舞処の面々。近くの最近できたビルの和食「えん」に行く。話の種に持参の作品集を。石代氏が私の作品を熱心に見ている。朱雀大路が気に入ったらしい。会場に帰ってから早速掘り出し物をしたようだ。すばらしい行動力には感服する。
 14時30分過ぎまで会場で受賞作を見ていた。鳴美売店で遅ればせながら「ボタ印」の本を購入。「さくら」カタログも。それぞれ200円ずつ負けてもらう。「ボタ印」の本は版元との関係でこれが限界とのこと。「さくら」カタログは破格の値引きである。単体ではこうはいかないだろう。
 新宿に移動して新宿三井ビル54階ミツイクラブで切手研究会の総会。講演は牧野さん,新井さん,田中寛さん。新井さんは昭和切手の伝説的カリスマ。講演の内容「新中国の普通切手版別」には驚いた。いつまでもいい意味でのローリングストーンである。常に新しい対象に挑戦する姿は見習いたい。田中氏もインターネット活用で柔軟なお若い思考方法はすばらしい。

 16時30分写真撮影の後は,懇親会があったが飛行機の関係で17時20分までしか会場にいることができなかった。昨年と同じく岡山の方と一緒に羽田まで。18時30分羽田着。19時5分発だが,混み合っているらしく滑走路で離陸待ち。到着もだいぶ遅れた。自宅着22時30分過ぎ。

2006年4月15日(土)
全日展1日目

 朝,雨の中大村へ向かう。みどり駐車場へ。最近教職員互助組合の割引があるということを初めて知った。長崎空港から離陸し飛行機からの眺めは厚い雲。雨が降っているのであろう。到着してみると羽田空港では晴れていた。
 まず最初に目白。「読み解く」本の打合せ。担当のSさんとお話をする。3Fでの切手の博物館10周年展をみる。薄暗い照明は岩窟の奥深く隠されたイコンの名品を鑑賞するようである。たしかに競争展とは違った展示の仕方である。ちょうどT野氏と居合わせ展示品を前にお話を伺うことができた。稲葉氏の小判は目もくらむような名品の数々。12銭カバーもあった。古家さんの菊。使用済で製造面を表現するという意欲的な試み。天野・魚来両氏の大正切手・震災は執念の作品。土屋氏の南方使用昭和切手。カバーの名品の数々。北ボルネオや海軍担当地域の希少な使用例が数多く展示。マラヤは逆に少なめで背景の膨大なコレクションがかいま見える作品。池田氏「新昭和速達」奥村氏「産業図案」よく集めてあった。注目の石川氏「そめいよしの」。春の展示に相応しく2フレにカバーが満開。しかも観音10円との同額面異図案の混貼カバー以外は全て「そめいよしの」切手の多数貼というこだわり。SASEHO差出しのAPOカバーなんてのもあった。差出人の標記はSASEBO。「サセボもサセホもホボ同じ」である。宛先はサンフランシスコでなく多分サセボなのではないか。桑野氏の作品はこのまま出版してほしいほど完成度の高いもの。
 1Fのショウルームをのぞきお買い物。宿泊先のリッチモンドにチェックインをすませ,ていぱーくへ向かう。16時39分過ぎ。約1時間ゆっくり見た。
 国際展級作品で掟破りの児玉氏渾身の乃木。3フレということで使用済とカバーをこれでもかこれでもかと並べる。乃木はもう集むまいという気にさせる作品。守川氏「日本占領下の北ボルネオ」,小宮山氏「紀元2600年記念切手」,太田氏「旧小判」,御厨氏「U小判」が注目作。私の作品もちゃんと展示してあった。ルーペを持ってみる人も。
 郵便史では玉木氏「新潟初期印」,井上氏「在朝鮮日本局」に注目した。企画の菊。浜谷,長野,村山,飯田,石澤の各氏の作品のいずれが金や金銀になるのだろうか。

 18時有楽町「中国飯店」。最初5人でスタート。途中H編集長が登場。最後に村岡氏。2次会は新宿に移動。目白からの部隊をキリンバーで待ち,合流。3次会は10人。宿に帰り着いたのは24時。長い1日が終わった。

2006年4月14日(金)
明日上京

 新学期になり,職場の机上はまだきれいなままである。パソコンと筆立て等の小物以外はなくフラットな平面。やはり初めが肝心である。このまま1年間余裕を持っていけそうな気がする。
 放課後放送部でNHK杯作品用の取材についてミーティング。アナウンス班は原稿の題材さがしのアドバイス。18時45分に放送部員が帰宅後少し仕事をして帰宅。19時30分。

 明日は上京。旅の準備をしなくては。

2006年4月13日(木)
一才桜

 最近食卓に鉢植えの桜(一才桜)を運んで開花の様子を愛でている。ここ数日蕾が次から次へと開花し,今が満開のようだ。まだ五島にいた14年2月生協で購入。3年の学年主任をしていたが、3月1日の卒業式の日が満開。翌年こちらに帰ってからは室内でなく路地で育て徐々に本来の気候の頃に花をつけるようになってきた。
 さて,今年度木曜日は授業が連続する日。放課後放送部へ。TVドキュメント班がインタビューの日程を計画してきたので相談にのる。ほかのチームにも聞いてコンテスト用の輪郭がおぼろげながら見えてきた。TVドキュメントは「普賢岳噴火災害から15年」が素材。TVドラマは最初「いじめ」がテーマだったが,「生協の白石さん」に変わってきているという。ラジオドキュメントは普賢岳を「TVとは違う切り口」で構成。ラジオドラマは未定。現時点で3本は出せそうだ。
 授業中に実施したテストの採点。19時前に帰宅。

 「スタンプシバタ」オークション到着。
 115000アクセス。 

2006年4月12日(水)
ルーペ

 早朝補習。朝7時頃は道路も空いており,はやく着けた。授業2日目。放課後放送部。屋上での発声練習。1年生の入部希望者2名を入れて13名で発声。私はストップウォッチ片手に計時。明日の授業の準備をして帰宅。19時前。

 全日展2006出品の私の作品はぜひルーペ片手にみてもらいたいものがある。切手展初登場の定常変種2点である。

2006年4月11日(火)
授業開き

 今日から授業開始。学年集会,諸調査,LHRのあと4校時から。私は今日は2クラス。授業の進め方とうの説明の後,早速授業。1ヶ月以上のブランクもあり,また初めてのクラスなので少し緊張する。放課後新旧3年団の会議。授業の教材研究をして帰ったら20時前帰宅。明日は早朝補習である。

 全日展2006の入賞祝のメール。賞が確定はしていないが入賞は内定したことになる。
 「郵趣研究」「JPSオークション」到着。
菊2銭の素版定常変種。先日の宗像郵趣会の例会席上で存在はきいていたが,今日やっと全貌をうかがい知ることができた。さっそくさがしてみよう。

2006年4月10日(月)
新年度始動

 今日から新学期。大掃除,新任式・始業式のあとクラス発表。新クラスのLHRでの挨拶。私は3年文系クラスの副担任である。午後から入学式。放課後放送部へ。明日の準備をして帰宅したのは18時過ぎ。

 全日展2006もいよいよ今週末開幕。どんな作品に出会えるか楽しみである。

2006年4月9日(日)
スケジュール調整

 のんびり休養。15・16日の予定を立てる。かなり過密なスケジュールになりそう。大手町・目白・新宿が三つの会場。15日夜はかけ持ちできるだろうか。16日昼は小判振舞処のあと新宿へ。ということは目白へは15日中に行っておかなければならないことになる。

2006年4月8日(土)
同窓会

 ゆっくり起床し午後から柴田長庚堂病院へ。最近は週1回の定期検診である。18時から友人の新築祝で同級生が集まる。古本屋の店舗を兼ねた住居。今までは駅前にあったのだが,ネット販売が主になって住宅街にあっても不便でないそうだ。二十名弱が集合し学年の同窓会である。発起人以下23名の賛同者で店舗使用の液晶テレビを贈った。22時前帰宅。

2006年4月7日(金)
表彰式

 桜も満開である。午前中図書館のバーコード入力作業のお手伝い。学校図書館がやっと念願のパソコン管理になったのに伴い入力作業を新学期までにしないといけないのだ。
 昼食はH先生とでかける。警察署の横に消防署が建設中なのだが,そのすぐ前に最近オープンした島原食堂へ。大阪の一膳飯屋をキレイにしたようなカフェテリア方式の食堂である。
 午後は国語のシラバス作成。また年度当初の資料をpdfにしたら180ページ超になった。明日来なくていいように新年度にむけた仕事をする。19時前帰宅。

 全日展の表彰式招待状到着。前の車を廃車にしたのに伴う自動車税の還付状もきた。

2006年4月6日(木)
歓迎会

 新学期に関する各種会議が午前中から午後にかけて。最後の会議終了が17時過ぎ。慌てて車を置きに自宅へ帰る。18時文化会館前に小涌園の送迎バス。18時30分から歓迎会。2次会は久しぶりに「花」へ。今年最初の来訪。24時過ぎ帰宅。

2006年4月5日(水)
特別版

 朝,明け方の雷に驚かされる。目覚めて見ると,長崎新聞は特別版。初めて見た紙面構成。初の長崎県勢の決勝だからだ。次回に期待を持たせるに十分の内容である。
 このところ新学期準備をしているわけだが,明日の会議がないと始まっていかないところも多く,とりあえず小休止。年休をとる。休めるときに休んでおかないと年休の消化もできない。明日は朝から夜まで大忙し。

2006年4月4日(火)
完敗

 新学期の準備。昼に食事に出た頃清峰高校の決勝戦が開始。食後,帰宅途中の車のラジオから3−0で負けているところが流れてきた。帰ると職員室では5名ほどTV観戦。4−0になっていた。その後一方的な試合になりかわいそうで途中から見ていられなくなった。結果は21ー0で完敗とのこと。でもセンバツ初出場で決勝というだけでも立派。これで優勝でもしたらきっとよくなかったのだろうと思うことにしよう。この悔しさを乗り越えてほしいものである。新学期の準備。明日は年休なので来なくてもいいように仕事を終える。18時前帰宅。

 すこし原稿がはかどる。明日に期待。
 114000アクセス。

2006年4月3日(月)
史上初

 1週間の始まりである。ということは春休みもあと1週間ということになる。午前中入学予定者のオリエンテーション。午後部活動紹介。放送部もほぼ全員揃って無事挨拶できたようだ。その後放送室その他の場所で部活見学。放送室にもけっこう見学に来たが合唱部が人気らしい。二桁の獲得は無理かもという声あり。
 部活紹介から帰るとセンバツでは清峰高校が準決勝でPL学園相手に6対0で勝ったとの報。本県初の快挙である。長崎県にとって史上初の出来事。明日決勝だが,この勢いで優勝となれば夢のよう。
 職員室では4月から使う教科書も配布され新学期の準備。机やロッカーの片づけ。この時期にこれをしっかりやっておくと年間余裕がある。18時前に帰宅。

 「タカハシ」「日フィラ」「SEVEN」「九州郵趣」「郵趣ウィークリー」到着。

2006年4月2日(日)
遠雷

 久しぶりに自宅での休養。明け方遠くで落雷の音を聞きながらまどろむ。雨の音。午後眼鏡を受け取りに行く頃はきれいな青空。

 原稿をなんとしても仕上げなければという思い。

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2006年4月1日(土)
47年ぶり

 今日から新年度。センバツ野球,長崎県の清峰高校の47年ぶりにベスト4入りを懸けた試合を観戦。最後の最後までハラハラし通しだった。結果は1959年以来47年ぶりのベスト4。
 午後放送部の打合せがあるというので放送部へ。帰りに柴田病院で診察・投薬。久しぶりに上田歯科で定期検診。18時前帰宅。

 「切手と郵便にみる1945年」豪華本を郵便局で受け取る。昨日不在票が入っていたのに受け取れなかったのだ。

  2006年4月


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