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2006年6月30日(金)
6月も今日まで

 期末考査最終日。午前中に学年集会まで。放送部の1・2年生を集め,夏季合同合宿の参加講座調査。3年生の全国大会出品作品については提出した台本の範囲内の改変しか認められないので細かな不具合を直していく。
 生徒が帰ってから,ひたすら採点。19時30分帰宅。

 帰宅途中メール便発送。18時頃最終便が出るので明日の受付。

 慌ただしかった6月も今日で終わり。ほとんど休んでいないような気がする。松山・五島・小豆島と旅行も重なった。高総体の取材はきつかった。NHK杯は全国大会に6年ぶり2度目の出場。九州郵趣家の集い長崎大会の盛況。講演とその資料集『実践昭和切手蒐集』の出版。

 明日はほんとうに久しぶりの休日。

2006年6月29日(木)
価格設定

 期末考査3日目。午前中試験監督,午後志望校検討会2日目。17時過ぎ終了。テストの採点を切り上げ帰宅したのは20時過ぎ。

 『実践昭和切手蒐集』の低い価格設定についてJ−stamp20のサイト他にいくつか,書いていただいているが,これは近年の豪華本に対するささやかなアンチテーゼである。より多くの人に手にしてもらいたいからである。また発展途上のコレクションをライブで提供するねらいもある。もちろん,国際展金賞作品は一つの目標であり,カラー印刷で後世に残すのは重要な意味がある。ただそこに至る金銀賞や大金銀賞の作品集は,当人にとっては不完全さばかりが目につくためいままで公開されなかったのではないか。国際展入門編といえるこれらの賞を公開することによって,国際展出品の敷居を低くしたい。
 講演の最後で言ったように,この構成は国際展5フレーム用であるので,あと1回の出品である。8フレーム用は自然な流れの構成になるだろう。その記録の意味もある。
 製本にもこだわった。家庭用プリンター・簡易製本でなく,印刷所での本格的なものにしたのは,後世に残るものをという意識の元,7年に1度の九州郵趣家のつどいの記念の意味もある。7年前雲仙での講演の折も小冊子を配布したが,ページプリンター両面印刷で製本のみ印刷所発注の造本であった。費用はかかるが,自分で編集すれば印刷・製本代だけである。10年単位でみれば費用の苦労は忘れてしまう。CD−ROM『昭和切手蒐集』の販売実績もあるのである程度の部数の読みもできる。
 長崎郵趣会/(財)日本郵趣協会長崎支部での発行なので,仮に利益が出たら会の活動資金になる予定である。もちろん赤字の場合は私持ちである。世に作品集を残せたことでよしとしたい。
 出版の功徳はいろいろなご意見がいただけることである。瞬間に終わる展覧会でなくじっくり観られるからだ。現に1冊の本になって見直すと,作品提出当時のミスプリントが至る所に散見される。自分で意識していた以外に読者の方からご指摘いただいたものがさっそくある。間違いさがしという読み方もあるかもしれない。
 

2006年6月28日(水)
菊切手

 期末考査2日目。午前中試験監督,午後第1回志望校検討会1日目。14時30分から同窓会HP委員会のため抜ける。17時前に志望校検討会に戻る。終了後やっと採点である。20時過ぎ帰宅。

 「全日本郵趣」到着。長野氏の菊切手の解説を読むと二十年以上封印してきた菊切手を集めたくなってきた。怨嗟のこもった熾烈なコレクションより,こういう啓蒙的なコレクションが心を和ませてくれるので好感が持てる。
 昨日到着の「スタンプコレクター」を開いてみると,ここにも長野氏の記事が。斎氏の第1次昭和は懐かしいノスタルジーの漂う作品。

2006年6月27日(火)
赤い月

 期末考査1日目。作問が終わったら採点である。
 市民劇場の例会。なかにし礼の「赤い月」。22時帰宅。

 「赤い月」はなかにし礼の自伝的小説の劇化。満州国の栄華から引き揚げ船のどん底までを描ききったもの。満州国紙幣が舞うシーンは圧巻。

2006年6月26日(月)

 期末考査前日。放課後,生徒の質問が多い。
 昨日の雨で島原半島の北部で一カ所,南部でも鉄道の寸断有り。一部区間バス乗り継ぎである。早めに生徒を帰す。
 雨がひどく,一時瞬間的に停電。ノートパソコンはバッテリー内蔵なのでいいのだが,デスクトップ機で作問中の先生は停電で一瞬にして…。
 帰宅途中,メール便発送。本日の分は締め切ってあり明日発送の分と同じになるそうだ。20時前帰宅。

 五島行きの写真到着。こちらで撮った分も送らなくてはと思う。 

2006年6月25日(日)
讃岐うどん

 朝食前に温泉に。7時30分頃朝食。8時30分チェックアウト間際頃,エンジェルロードが再び海に没する時間帯。じっくり観察する。「二十四の瞳」映画村へ。施設内の壺井栄文学館で学習。オリーブソフトを食す。
 10時50分の高松行きのフェリーで小豆島を後にする。高松に着き,雨中屋島見学。屋島寺を散策。展望所から開運といわれる瓦投げをみんなで。
 14時過ぎに仙台組の2人と関東の1人と別れ,我々は讃岐うどんを求め「かな泉」丸亀店へ。食後瀬戸大橋を車で渡って福山。そこで本日福山泊の一行と別れる。福山発ののぞみで福岡経由で帰るが,かもめが2時間以上遅れ25時過ぎに諫早着。帰宅26時。大雨の影響かと思いきや人身事故の影響らしい。特急料金830円払い戻し。


 「新消印とエンタイヤ」到着。124000アクセス。

2006年6月24日(土)
小豆島

 「歴史散歩の会」全国大会で岡山経由小豆島へ。15時岡山駅噴水前集合だが14時過ぎ到着。駅地下で遅い昼食。15時一行が揃い新岡山港から小豆島の土庄港へ向け出発。小豆島国際ホテルはエンジェルロードの前に建つホテル。エンジェルロードというのは潮の干満により島との間の砂州が現われたり消えたりするのだ。到着したときは砂州が現われ島まで歩いて行けた。あとはギネスブック公認世界で一番狭い海峡と西光寺の三重塔。温泉に入り,近況報告。前回の全国大会は十年以上前に松山の道後温泉だった。今回を逃すとまた何年も会えないだろうと無理して参加。
 明日は島内観光後,高松へ渡って讃岐うどんを堪能する予定。島内には教育の原点である「二十四の瞳」ゆかりの施設がある。

2006年6月23日(金)
台本

 期末考査前で慌ただしい。放送部は全国大会前で作品の台本締切り日。放課後補習後,台本のチェック。足りないものがあり,探して急遽みつける。21時過ぎ帰宅。

 20時前に昨日出せなかったメール便と台本を発送に行く。その後仕事に戻る。

2006年6月22日(木)
メール便

 早朝補習。放課後職員会議。放送部の全国大会出場用の台本が完成したようだ。チェックは明日。期末考査が近い。21時過ぎ帰宅。14時間近く職場で過ごしたことになる。

 21時過ぎなのでメール便送れず。ということは発送は明日の夕方になる。

2006年6月21日(水)
祝勝会

 早朝補習。放課後は放送部の生徒と一緒に市役所へ。手紙の取り直しである。市長が在庁とのことで,全国大会出場の報告をする。
 19時から高総体の祝勝会。22時過ぎにさくら代行で帰る。

 祝勝会に行く前にメール便と冊子小包を出しに行く。早ければ明日着くとのこと。

2006年6月20日(火)
トップページ更新

 3日空けると久しぶりに出勤した気分。期末考査1週間前でなにかと落ち着かない。放送部の全国大会用原稿手直しも制作のタイムリミットが今週の金曜日。県大会で指摘された部分を直すのだが期末考査1週間前なので部活動許可願いを出して初めて1時間の活動が認められる。関係の先生方と協議して放課後補習の終了する17時5分から1時間である。手直し用の写真を借りにお世話になった写真館へ。市役所の御礼の手紙の取り直しのアポイントは明日。
 3日間の仕事の整理がついて帰宅は20時30分。

 『実践昭和切手蒐集』の申し込みが数件メールで入っていた。重さを量ると150グラム超。荷造り梱包する。
 HPのトップページを更新すると定型メールでの申し込み多数。アクセス350超,総ページ閲覧800超はここ数ヶ月の記録である。J−stamp20からの訪問が多い。

2006年6月19日(月)
五島一周

 起床し,日記のアップを携帯に繋いで。8時前に朝食会場へ。かえってきてもう一度鬼岳温泉へ。9時過ぎに観光タクシーで宿を出る。島内を左回りにまわるルート。
 最初は岐宿の魚津ヶ崎。遣唐使の寄港地である。すぐ近くにあるのが水の浦教会。五島在住中クリスマスイブにミサを見に行って荘厳さに感動したところ。三井楽に入り白良ヶ浜万葉公園,遣唐使ふるさと館で学習。島の北西端の辞本涯の碑。弘法大師が中国へ渡ったときの最終地。弘法大師の像が建っていた。以前は碑だけだったのだが。そのまま海岸沿いに南下し高浜海水浴場が一望できる魚藍観音へ。隣の噸泊海水浴場は車中から。
 荒川温泉も車中から。海岸沿いに玉之浦へ。最初に昼食,「パンドラ」にて。食後,大瀬崎灯台。国立公園切手5円の題材である。帰りに井持浦教会,大宝寺。そこから西へ向かい途中富江に入る。堪次ヶ城・井坑(いあな)は探し出すのに時間がかかる。最後に只狩山の展望所。富江の町と,はるか遠くに鬼岳が遠望できる。あじさいは時期が過ぎていて残念。富江から福江は新しいトンネルができていて初めて通った。空港で一行と別れて私のみ福江港へ。16時30分のジェットフォイルは奈良尾経由のため,長崎到着は18時20分。ワシントンホテルまで出島横を歩いていき車を受け取り20時前帰宅。

2006年6月18日(日)
九州郵趣家のつどい・長崎大会2日目

 2日目の行事は朝食の後,8時から即売会。昨日の2軒の切手商は朝早く出かけたので,残るは3軒のみ。エージェントスタンプ・アオヤマスタンプ・パインスタンプである。10時の終了まで多少粘って売り上げに協力する。まず自分がチェックアウトし,長崎郵趣会の実行委員の方々と,会の出席者全員がチェックアウトしたのを確認して,散会。
 11時前に大波止に向かう。有志を案内しての五島行きである。それまで5年間暮らした五島を離れて丸4年,再度訪れたいと思い続けてきたのだが日々の生活の中に埋没して4年が経過した。今回このお話があったときにまず考えたのが仕事である。授業の振替もうまくいったし,大きな行事もない。行くのが自然な流れに思えた。

 事前に予約していたジェットフォイル11時30分発に乗り込む。案内するのは大先輩の蒐集家である。85分で福江港に到着すると,ターミナルビルが昨年完成したとかで,全く様変わりしていた。明るく開放的なイメージ。宿泊先の五島コンカナ王国のマイクロバスが迎えに来ていた。
 ここに前回宿泊したのは,4年前の3月30日。5年間住んだ家を引き払い,3月31日の最終便のANKで帰って以来。ANKの五島福江・長崎間の最終記念便で五島を後にしたのである。ターミナルビルの上からのエールを送られての職員・生徒達の送別シーンは一生忘れないだろう。
 チェックインして昼食。14時30分に五島観光タクシーが迎えに来た。今日は旧福江市内を中心の観光。
 鬼岳・鐙瀬海岸・五島藩主累代の菩提寺である明星院・堂崎教会・六角井戸・五島邸心字池・石田城門・武家屋敷通りを回った後,喫茶店「ナポリ」で一休み。時間になったので予約していた「心誠」に移動。22時過ぎ宿帰着。鬼岳温泉入浴後,W杯クロアチア戦をみんなで観戦。やはり何人かでみると楽しめる。

 途中,本日行われていたNHK杯放送コンテストの結果が判明。TVドキュメント第2位で全国大会出場権を獲得できたとのこと。4本全国に行けるのである。やっと今年の2月から取り組んだ成果が実った。7月下旬のNHKホールでの全国大会が楽しみ。
 
 123000アクセス。
 

2006年6月17日(土)
九州郵趣家のつどい・長崎大会1日目

 いよいよ「九州郵趣家のつどい・長崎大会」当日である。11時前に開場のワシントンホテルに到着。早速講演会場のリハーサル。13時から九州郵趣連盟の理事会。郵政公社の幹部の方との意見交換会もあった。15時開式。挨拶は長崎郵趣会の長老草野さん。郵政来賓の挨拶の後,いよいよ講演。「実践昭和切手蒐集」を資料にして1時間以上話をする。終了後セッティングをして全体集合写真。懇親会まではブースでお買い物。けっこう買える物があった。
 「実践昭和切手蒐集」来場者には無料配布の非売品バージョン。それとは別に定価入りの販売用バージョンを準備。制作費を捻出するためのものである。問い合わせはメールで。
 参加切手商には声をかけたので,ていぱーく売店やアオヤマスタンプで入手可能である。
 懇親会の後は22時までブース。その後有志で思案橋ラーメンに食事に行く。バクダンラーメンがここの人気メニュー。

2006年6月16日(金)
納品

 早朝補習。昼食は放送室で。昨日に比べると過ごしやすい気候。放課後補習が終わると17時5分。放送部に行く。20時前帰宅。

 自宅に印刷所から講演会資料「昭和切手蒐集」納品。これで明日の講演会は無事できる。88ページなので冊子というより書籍である。

2006年6月15日(木)
開放感

 早朝補習。3年Rドラマ制作の生徒は,早朝補習前に来て最後の仕上げをやったらしい。3年生は心配していない。心配なのは1・2年のRドキュメント。台本が放課後までにできるのか。昼休みは今週の月曜から日替わりでお昼の放送。部員26人を5班に分けてそれぞれ月曜から金曜まで毎日放送している。昨年までは月に何度かだったが毎日行うというのが新しい試み。
 結局事務局には17時過ぎに出発して18時過ぎに到着。アナ・朗の台本8人分,番組3本分,作品VIDEOテープ1本,MD2枚とバックアップカセット2本を事務局に届ける。
 久しぶりの開放感。20時前に帰宅。

 「九州郵趣」「スタンプシバタ」「中国・四国,九州の支部部会報」到着。

2006年6月14日(水)
締切前夜

 朝は雨ではなかったのだが,昼頃から雨。梅雨のこの時期が一番過ごしにくい時期。7月になれば,エアコンが入るのでいくぶん過ごしやすくなる。放課後,番組制作のラストスパート。TVドキュメントの普賢岳は作品・台本とも完成。1・2年のラジオドキュメントは作品完成,台本まだ。3年のラジオドラマはあと一歩で作品・台本共に未完成。明日朝の補習前に来て仕上げるそうだ。7時には登校するそうだ。生徒は6時45分の下校時間と共に帰り,後かたづけ作業。22時前に帰宅。

 「スタンプマガジン」到着。

2006年6月13日(火)
講演会

 晴れなのだが靄がかかったような天気。黄砂なのだろうか。放課後2年のラジドキュ作成のアドバイス。19時前に生徒が帰ってから授業の準備。20時前帰宅。

 講演会の内容は,資料ができた時点でほぼできたようなものだが,プロジェクターを使用するかどうかまだ未確定。使用しても簡単なものになるだろう。

2006年6月12日(月)
放課後補習開始

 早朝補習。昼休みになると昼食は放送室でとりながら打合せ。普賢岳ビデオの班は台本まで完成。あとは微調整のみ。3年のラジオドラマと1・2年のラジオドキュメント班の指導に専念。3年の方は自分たちでできるので、1・2年の方の指導。構成と台本作りが重要。今日から放課後補習も開始である。それが終了する17時5分から,再び放送室へ行き編集の仕方を教える。3年が編集機を使用しているので,1・2年はパソコンで編集ソフトPremiaを使っての編集。ばたばたと19時まで過ごす。それから県一斉の成績入力や教材研究である。20時30分過ぎ帰宅。

 帰宅後,印刷所の担当の方の携帯に電話し,校正OKでGOサイン。16日納品で確認。カラーページプリンタでの出力なので,このまま製本してもいいくらいの出来映え。
 「郵趣研究」「JPSオークション」到着。

2006年6月11日(日)
文化部合同発表会

 文化部発表会の日。3年生の出場者は早朝自学の後,11時からのリハーサルに参加。ビデオ班は最後の微調整。私は1年生4名を連れて現地でセッティング。演劇のリハーサルの後,放送部。アナウンス・朗読。ビデオのプロジェクターから音声が出ない。会場の係の方に相談すると,ミキサーに繋げますから大丈夫。次の管弦楽のリハーサルになったので結局ビデオの音出しができないまま開場。管弦楽のあとプロジェクターのセッティング。配線は文化会館の係の人を信頼してお任せ。アナウンス・朗読のあといよいよビデオ上映。音声が出ない。急遽緞帳に行き,マイクで直接音を拾うことにしたが,数分後マイクの音も入らなくなり,結局中止に。あっけない幕切れ。なんとも後味の悪い結末。係の人は相性だというが,L/Rの音声ケーブルがミキサーに行き着くまでの間の断線が原因と思う。それにしても急遽マイクで拾っていた音が途中で切れたのは?これもあり得ないミス。今日まで大ホールだとばかり思っていたので,11時に中ホールと聞かされ急遽予定変更でセッティングしたのも原因か。放送部の生徒は文化祭で上映しましょうといってくれたのだが。卒業生も多数きてくれ何人かから「残念でしたね」と声をかけられたのが救い。
 16時30分に演劇も終了し,写真部・美術部の展示も一通り見終え,撤去作業。機材をアナ・朗の出場者と1年4名で放送室へ運び込む。
 3年生のビデオ班の台本も完成し,必要部数をコピー・製本し,コンテストに出品するばかりになった。それとコンテストはVHSビデオでの応募なので編集器からDVとVHSに落とす作業を18時過ぎに生徒が帰ってから1人で行った。19時過ぎ帰宅。明日は早朝補習である。

 帰宅後,長崎大会の出席者の連絡確認。直近になっての異動がけっこうあるのは仕方ない。

2006年6月10日(土)
拡大実行委員会

 県一斉模試。午後から所用なので監督はできないが,採点業務はしなければいけない。朝,生徒作ったビデオをみての感想と改善点を持っていき編集室の黒板に書き置き。県一斉の問題と解答を手に長崎へ。空き時間に目を通すため。長崎行きの理由は長崎大会の拡大実行委員会である。終了後再び学校へ。18時過ぎ到着。明日の文化部合同発表会の打合せとコンテスト作品について。県一斉模試の方は今回は残りの先生が手分けしてやっていただいたようで次回がんばってくださいとのこと。21時前帰宅。

 第33回九州郵趣家のつどい長崎大会,いよいよあと1週間に迫ってきた。会場のワシントンホテルで拡大実行委員会。ホテルの担当者と実際現場を見ながらの打合せ。イメージをつかむことができた。「オアヤマさん,パインさんちゃんと屋根付きの駐車場を確保しましたのでご安心ください」。テーブルバザーも予定。市内10郵便局の風景印が一堂に会する。名所はほとんど網羅されているので押印はこの機会に。

 「SEVEN」到着。「JAPAN」落札品到着。

2006年6月9日(金)
理事役員会終了

 早朝補習。日の出が早いので6時にはもう明るい。国語部会理事役員会の資料を揃える。冊子も人数分製本。14時過ぎからぞくぞく来校。14時30分定刻開始。今年度から庶務として議事進行をすることになった。来年度の長崎県での九州大会の開催地は昨年度末に内定はしていたのだが,今日の会議で確定。第1案がそのまま決定。準備委員会が発足して始動することになる。滞りなく議事は進行し16時30分には終了。放送部では生徒がTV番組の最後の追い込みとラジオドラマ番組の収録。もう一つのラジオ番組ドキュメントは取材に生徒4名と某ホテルに行く。18時過ぎに帰り,下校時間まで番組制作の3チームの相談にのる。明後日日曜は文化部合同発表会。放送部はアナウンス3名朗読1名番組1作品の上映。総合司会も放送部の生徒である。その生徒出場についての担任の了解をとる。19時に事務局の会食。新事務局長と今日の出席者のお一人に私で計3人。いつもの「鳥善」で国語教育について語り合った。22時30分帰宅。

 明日は長崎市内で九州郵趣家のつどい長崎大会の拡大実行委員会。そのあと放送部へ顔を出す予定。

2006年6月8日(木)
資料作成

 早朝補習。明日の国語部会理事役員会の資料作成。放課後放送部の指導。ラジオ番組班2組の制作も始動。19時から地元の会合に出席のためやりくりして駆けつける。明日の資料作成は午前中。議事進行はリハーサルなしで。会合後帰宅,20時前。

 「実践昭和切手蒐集」の版下pdfデータを地元の会合に行く途中印刷会社の営業の方に手渡す。あとは校正を経て16日納品を待つのみ。
 122000アクセス。

2006年6月7日(水)
実践昭和切手蒐集

 ほとんど休日らしき休日もないまま勤務に突入。高総体終了後の脱力感漂う雰囲気を変えるために,結果報告会後学年集会。放課後は放送部の番組制作。生徒は19時前に帰し私も帰宅。19時30分。やや早い。

 「実践昭和切手蒐集」本の編集完了。結局B5判本文88ページになった。シドニー展の全リーフを掲載したため。明日印刷所にPDF出稿して16日までに印刷してもらう予定。今は印刷所も余裕があるらしい。

2006年6月6日(火)
休日出勤

 高総体の代休。でも中地区の県大会出場者の強化練習会。地区で一番の出場者が多いせいか本校の同窓会館で行われた。そちらの方はもう一人の顧問にお任せして,私はビデオ作品の制作班の方へ。
 結局18時30分過ぎまで生徒につきあった。帰宅は20時前といつもの日と同じである。

 講演会資料の編集。

2006年6月5日(月)
剣道・サッカー

 今日も朝早く出発。試合開始の9時30分には放送部の生徒4名とともに長崎南高校に着いていた。剣道女子は昨日までに8強が残り,準々決勝から。次々に勝ち上がり決勝対決。見事優勝できた。2年ぶり5度目の優勝だそうだ。昨日の男子は大番狂わせ。春の全国大会8強が県予選敗退だったのだ。副将までの4人が引き分けで大将戦での負けらしい。一瞬の出来事で勝敗が決するのが剣道である。
 時間があったので佐世保で行われているサッカーの取材に行く。長崎道の開通で田上にある長崎南高校から佐世保までぐんと近くなった。1時間30分ほどで会場の佐世保工業高校へ。20年前の勤務校なので渋滞しない道を選んで到着できた賜物である。食事は大村湾インターチェンジのベンチでパン。今日で4日連続パンと飲み物のみ。ゆっくり昼食をする暇がない。
 サッカーの試合の対戦校は会場の佐世保工業高校。前半最初に1点先取。同点に追いつかれ,後半で追加点。守りきって勝つことができた。8強である。
 急いで帰り,19時前に学校到着。20時前に帰宅。
 明日は放送部の地区練習会である。

 「全日本郵趣」「タカハシスタンプ」到着。

2006年6月4日(日)
長崎関係物

 朝起きると長崎新聞に昨日インタビューを受けた記事が写真入りで掲載されていた。生徒の後ろには私の姿もしっかりと写っている。
 7時過ぎに長崎へ出発。駅やバス停で3名の生徒を乗せる。高速道路で本校の貸切りバスを追い越す。島原駅7時発のバスである。
 長崎南高校へ9時前に到着し,撮影場所の確保。9時30分試合開始。女子の1回戦5ー0で難なく勝ったのを撮影後移動。次の男子1回戦まで3時間あるのでバスケ男子のある長崎鶴洋高校へ。4月から総合学科への改変で長崎水産から校名変更になったもの。そこで2名降ろして,水泳部のいるビッグN球場へ。水泳部での活動を終えた放送部員を1名拾い,かきどまり競技場へ。陸上とテニスの会場である。そこで2名を降ろし,再び鶴洋高校へ。バスケの撮影を終えた2名を拾う。車中で昼食後再び剣道の長崎南高校へ。校門に入ってから車の渋滞で生徒2名を先にやる。どうにか駐車し会場へ行くと3−1であっさり勝ってしまったとのこと。この時点で14時30分。次の試合まで2時間。多分予選リーグは突破できるだろうとの希望的観測でかきどまりに行く。2名と会いやっと4名揃った。
 陸上とテニスをいくつか撮影し,17時過ぎに帰途につく。途中でも本校の貸切りバスを長崎バイパスで追い越す。19時島原駅着。学校に戻ると剣道男子の,なんとまさかの予選リーグ敗退。明日は女子のみの撮影になりそう。8時前に帰宅。

 長崎市内移動中にジャパンの戦況についての電話。こちらは3勝1敗。全て長崎関係物である。

2006年6月3日(土)
15周年

 6月3日は島原市では「いのりの日」として定着しているが,これは平成3年6月3日の大火砕流以後に制定されたもの。今日でちょうど15周年。合同慰霊祭があり,放送部の生徒と取材に行く。報道機関に混じって生徒が取材していると逆に長崎新聞や朝日新聞,西日本新聞から取材された。直後には最も人的被害の大きかった消防署の慰霊式に移動。その後生徒1名を市内の高校に降ろして,14時から行われる高総体レスリング団体の決勝の取材に生徒3名と一緒に行く。島原南である。僅差での勝負が多く,悲願の優勝ならず。1名は地元なので2名とそのまま帰宅。すぐに帰り,編集のため,その2名も学校に置き,部長を連れて運命の大火砕流の時間16時8分の黙祷取材に再び慰霊碑まで。帰宅後校舎閉鎖の時間ぎりぎりまで放送部の指導。県下各地に取材にいっている生徒の一人から連絡があり,ビデオカメラの充電器の忘れ物を届けに雲仙市国見まで行き帰宅。20時過ぎであった。

 今日からのジャパン,帰宅後電話で収友に依頼。ささやかな楽しみである。
 「日本フィラテリックセンター」オークション誌到着。

2006年6月2日(金)
判型

 朝起きたら雨。今日の高総体開会式は中止だろうと思って出勤すると大会本部は実施するとの発表。どうなることかと思っていたが,昼に近づくにつれ雨が上がり長崎にバスが出発する11時30分には晴れていた。かきどまり陸上競技場に着くやいなや放送部員とカメラ設置のロケーション。民生用でなく業務用のカメラ2台に私のHDVカメラで撮る。17時30分過ぎにバスは会場を抜け出し帰途へ。19時30分過ぎに島原着。明日の機材の準備。20時過ぎに家に帰ってからはバッテリーの充電。

 講演会資料の判型B5判かA5判か,リーフも縮小併用にするか5フレ80リーフ各1ページにするか迷うところ。もちろんシドニー展の全リーフ紹介のことである。コストの関係もあるがマサトさんだったらどっちがいいだろう。
 ちなみに長崎大会の講演会参加者には無料配布となる予定。

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2006年6月1日(木)
日記の更新

 今日まで落ち着いて授業できる。明日から高総体。体育部の3年生にとっては「本番」である。
 各教科課題を配布。
 最近,放送室で生徒と話をしながらの昼食。ビデオ作品の進捗状況等ききながら。お昼の放送「MJ(ミュージックジャム)」も今日から一新。高総体に向けてのメッセージ。生放送である。
 放課後放送部へ。機材室へ。地元のケーブルTVから先日取材を受けた番組は明日19時放送との連絡を受ける。
 生徒が帰宅後の19時から小テストの処理や教材の準備。

 毎日の日記,もう2年以上毎日更新している。萩に旅行に行ったとき1日遅れた以外は「ほぼ」でなく「毎日」更新している。郵趣と実生活は切り離せないという理由から身辺雑記の下に記事を書くことが多い。
 もっともT氏によれば私の日記は1日遅れの日記らしい。人の一生は棺を覆うた時に決まるらしいので,やはり夜の24時を過ぎた後でないとその日のことは書けない。中国の正史が次の王朝によって書き継がれてきたのと同じである。

  2006年6月


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