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2005年4月30日(土)
JPSオークション

 昨夜JPSのHP上に発表されたスタート値を検討する。大方のロットに入札が入り,まずはいいスタートといえよう。

 夕方18時30分から島原市民劇場の例会「令嬢ジュリー」公演。女優の栗原小巻が自主企画する会社「エイコーン」が送る舞台である。上演作は近代演劇の先駆者,ヨハン・アウグスト・ストリンドベリが,立場の異なる男女の恋愛を通して,人生の真の幸福とは何かを観客に問う,心理洞察のすぐれた作品である。矛盾・動揺に悩む人間を追求した感動作。栗原小巻,清水紘治,木村万里の三人のみの出演,場面も一幕,台詞も長いものが多かったが,観客を飽きさせることない演技で,最後まで惹きつけられて観た。座席が最前列のため2メートルくらいの至近距離で栗原小巻を観ることができた。ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849年〜1912年)は,その多くの作品で,19世紀末の矛盾動揺に悩む人間を追求。近代演劇の先駆者と言われている人。身分という不条理,良き心と悪しき心,男と女が描き出された「令嬢ジュリー」は,ストリンドベリの代表作であり,現代でも時を超え,世界中で公演されているとのこと。このあと,2005年5月6日(金)〜8日(日)まで池袋サンシャイン劇場にて上演される予定になっている。
 終了して駐車場に向かうと南風楼の送迎バス。村中社長に会う。挨拶すると社長自ら運転手を務めるとのこと。折からの雨で連休後半は雨天で過ごすことになりそう。

 21時少し前に帰宅したが,JPSのHP上には既に結果一覧のpdfファイルが置いてあった。すぐにプリンターで印刷して,検討。あまり値段が伸びたものがない。不落札品即売は明日のジャパンのカタログ到着を待って検討できる日程。

 「ぼくはこんなリーフを創ってきた」第8回目もシドニー展作品から。トップページからどうぞ。
 「郵趣ウィークリー」「新消印とエンタイヤ」到着。牧野氏の震災電報の記事に興味。

2005年4月29日(金)
JPSメール締切

 昨夜の痛飲のため2度寝して目を覚ますと,もう15時過ぎ。昨日の遠足の疲れもあるのかもしれない。1日家から一歩も出ない日であった。暖かな日よりで半袖でも快適に過ごせた。

 昨日ジャパンのオークションカタログ発送とのことだから,明日にでも到着になるのだろうか。JPSのメール締め切りが今日正午。寝過ごしたのも天のお告げか。原稿書きの準備に入る。

2005年4月28日(木)
菊10銭

 歓迎遠足である。当然早朝補習はなし。授業がない,行事の日には早朝補習は原則行なわないのだ。天気快晴,降水確率0パーセント。日焼けが心配。私は放送部の機材運搬のため車で行く。途中信号機で横断の交通整理。
 場所は市営グラウンドの芝生公園。歓迎行事が行なわれる。昨年から恒例の新転任先生方の挨拶。パフォーマンスもあったようだ。メイン行事のクラス対抗綱引き大会。大いに盛り上がった。学年1位が決定したところで,全校1位の決定戦。1・2年は何と1年生。3年と急遽結成の職員チームは,最初職員優勢もスタミナ切れで3年。最終決戦1・3年対決は,余裕で3年の実力を見せつけた。実は担任はey先生。昨年度の綱引き大会の優勝クラスの担任であり,担任として2連覇ということになる。聞くところによると,クラスで息の合わせ方を練習したそうだ。
 一昨年は,遠足がなかったので綱引きは球技大会で行なわれ,私の担任した2年生のクラスが優勝。3年になって半数がey先生のクラスに引き継がれて昨年優勝という流れである。こんな生徒たちとの交流が教員の喜びである。熱戦の様子は放送部の番組班と私がしっかり記録した。
 その後は,昼食と各自のレクレーション。昼食後私は公園を散策してみた。風が強く時折桜の花びらが舞ってくるので不思議に思っていたが,上の方にはまだ山桜が咲いていた。蝉の鳴き声らしきもの。観音像の近くの観音公園では活水幼稚園と島原商業も遠足だった。先ほどの蝉らしきものについて,生物の先生にお聞きすると春蝉というものらしい。
 帰途は再び機材を積み,部員2名を載せて帰る。部員は早速簡単なビデオ編集をしたようだ。
 16時過ぎに一旦帰宅して,再び学年懇親会のため市内へ。各学年最初の学年懇親会なのだ。3年団は岩永旅館。しっかり食べ,2次会はY先生と駅前の喫茶店でコーヒー。3次会「六本木」。23時前帰宅。


 「郵趣」5月号到着。遂に菊10銭のカバーの全容が明らかになる。乃木2銭朱12のシートも衝撃的。一瞬,数年の分割での資金繰りの計算が脳裏をよぎった。
 シドニー展の日本からの出品者受賞記録がDOCTORのHPで発表された。APFのサイトに発表だったのか,さすが国際派DOCTORと感心する。
 

2005年4月27日(水)
84(24,31,25,4)

 最近早めに出勤しているのは,日の出が早いせいか。明日は歓迎遠足。連休中は,中2日挟んで,3連休の3セット。で5月10日になる。ただし連休といっても模試や自学でほとんど学校は開いているわけだが。でも完全休日も設置してある。
 放課後放送部へ。屋上からは発声練習の声が聞こえてきた。19時帰宅。

 帰宅後20時から,自治会の集会で公民館に行く。5月8日の日曜は自治会対抗のソフトボール大会らしい。昨年の体育班長なので出るようにいわれたのだが…。

 昨日,コミッショナーからのメール中,84点の内訳であるが,1主題の選定treatment and importance,構成・展開30点中24点。2郵趣知識と研究knowledge and sutudy35点中31点。3状態と希少性condition and rarity30点中25点。4展示技術presentation5点中4点。計100点中84点となる。郵趣知識と研究が高く評価されたようだ。未発表のものが多数あったせいか。


 68000アクセス。

2005年4月26日(火)
シドニー展・金銀84点

 早朝補習。今日は1年生のクラス。3年のみ担当が3人なので,補習授業だけだが,他学年の手伝いにいく。基礎だけにしっかりやることが大切。7校時部活動集会。新入生の第1次の部員獲得の時間。結局は4名入部。2・3年があわせて27名なので31名になった。今年度は2・3年が部員獲得に積極的でなかったのは,ここ2年のペースで増えると,コンテストの出場ノミネート数は決まっているので,校内予選をしなければならなくなる,そこまでしたくないということらしい。ポスターも目立たないところにひっそりと貼ってある始末。でも逆に言えば,それだけ意識の高い生徒が入ってきたということになる。地区大会にアナウンス部門10名,朗読部門8名まで可である。番組部門は,県大会に直接搬入。今年度は,テレビ番組に2年チームと3年チーム,それに3年男子チームの3本。地区予選落ちのアナウンス班・朗読班でラジオドラマ1本作成の計画を立ててみた。うまくいくかどうか。19時過ぎ帰宅。日が長くなったのでつい遅くまで仕事に没頭してしまう。

 留守番電話に,シドニー展を参観されたM氏からのメッセージ。私の作品は,84点の金銀賞とのこと。85点から「大」がつくので,この1点の差は,もう1度出せばOKとのサインと読んだ。1次昭和切手だけでなく,昭和切手全体の作品として,初出品で金銀の上位はできすぎ。私もここまでは予想していなかった。M氏が聞かれた審査員の評によると,製造面はブロック多用の未使用で,使用例はカバー中心の展開がよかったとのこと。いずれ国内でも,展覧会か誌上のかたちで公開する機会があるだろうと思う。その前にこのHPでも一部は紹介することになるだろう。
 次回の改善点は十分承知している。単片消印の書き込み不足と,カバーの説明不足。3次昭和の版欠点のリーフの省略等,時間不足でできなかったところである。次回の克服すべき課題として残すためにあえてしなかったといえば言い訳になるか。悪く言えば手抜きなのだ。

 これで昭和切手作品として過去最高得点を得たことになる。でもあくまでコレクション作品としてである。個々のマテリアルを抜き出しただけでは,これより大きな収集物はもちろん複数存在する。
 だから昭和切手の国際展最高得点は構成とプレゼンテーションの評価と受け止めている。慢心はしていないつもりだ。
 追ってコミッショナーのS氏からも受賞のメールが届く。84(24,31,25,4)ということである。
 「スタンプコレクター」到着。2次17銭のZ型時刻入り,存在をぼかした書き方だが,もちろん存在する。私の場合,今回作品中に単片。作品に使用しなかったカバー,書留と速達をZ型櫛との組み合わせで入手済である。

 天気もよかったので,久しぶりに町のテニスクラブに行く。30分も球を打っていると勘が戻って,少し早い球も打てるようになってきた。半袖でもいいくらいの暑さで汗が噴き出る。でも少し長い間休憩を取るとやはり風は冷たいのだ。22時までの2時間だが,正味80分ぐらいの運動量だろうか。久しぶりに心地よい運動をした。

2005年4月25日(月)
肩白抜変種

 早朝補習。休み明けの早朝補習は,寝坊しないようにと前夜から身構えるのだが,最近は夜明けが早いので自然と起きてしまう。5時にはもう明るいのだ。サマータイムを導入してもいいぐらいの夜明けの早さである。東京に比べて1時間ぐらい早いような体感時間。
 午後から出張。高等学校文化連盟放送専門部の理事会。今年度から県央地区の理事に選出されたのでまた責任が重くなった。地区の放送コンテスト3回,県大会2回,2泊3日の夏季合宿,2泊3日の顧問研修会は休めない。コンテストごとの地区の強化練習会等もあるのでかなりの休日が割かれることになる。
 理事会は14時から事務局のある諫早高校で。今年度の行事の審議の中,ふと見ると,6月19日にNHK杯放送コンテスト県大会があるではないか。どうも昨年より1週間ずれたのはNHK長崎放送局の都合らしい。当然こちらの日程が優先である。
 15時40分から県央地区の顧問会。しっかり17時まであった。その後事務局との打ち合わせを済ませ,17時30分頃に出,諫早のベスト電器で小物や消耗品類を購入。19時前に帰宅。


 「郵趣ウィークリー」到着。心動く即売の案内があったが,我慢。
 3次昭和の定常変種,日専採録の肩の白抜き。束の中から探し出すが,探す労力を加味すると,日専の評価は安すぎ。でも未使用より高くできないというのが実情だろう。定常変種は未使用ブロックの横に使用済単片を配置するのが理想である。

2005年4月24日(日)
銀の壁

 昨夜の痛飲で宿酔が残り,のんびりとした1日を過ごす。しばしの休日といったところ。RZ71のパソコンに自動録画してあった番組のチェック。プロジェクトX,昨年の12月にあった吉野ヶ里発掘の父子の物語に涙する。つい見入ってしまった。
 作品作りで乱雑になってしまっていた机上のうちライティングディスクの周りを整理する。その横にある,ファイルからあふれている「肥前國国内印」もいつか整理してみたいもの。でも画竜点睛となるのはいつのことか。

 シドニー展の結果判明せず。昭和切手の国際展出品,フィラ東京81銀賞,フィレックスフランス89銀賞,フィラニッポン91銀賞と続いているが,なかなか銀の壁が越えられない。今回は国内展の金賞を発展させたものだから,ぜひともと期待がかかる。

2005年4月23日(土)
プチ同窓会

 久しぶりにゆっくりと自宅で過ごす1日。夕方から島高28回生のプチ同窓会で諫早へ。諫早ではたびたびこんな会があっていたようだが,それに島原からも参加するような形。幹事のK君の調整のたまもの。8人乗りの車で本諫早駅近くの「太郎寿司」に向かう。開場18時だが到着は18時30分。途中で数名の参加があり,総勢23名。延々話は尽きることなく続く。帰宅はアルコール不可の方の運転で有明組3人を送ってもらう。2次会なし。帰宅23時30分。

 シドニーの国際展,会期は明日までだが,日本からの出品はどんな賞になったのだろうか。
 「ぼくはこんなリーフを創ってきた」第7回目はシドニー展作品から。トップページからどうぞ。

2005年4月22日(金)
沖縄1874−1972

 早朝補習の日。放課後1年団が雲仙合宿から帰還。お願いしていた合宿の様子のビデオ,無事届く。放課後放送部に顔を出すが,発声練習の後,自学のため教室に戻るのか少なめ。25日の放送専門部理事会・顧問会でアナウンス原稿の発表等があるまで,コンテストの気分が高まらないのだろう。19時前帰宅。

 正会員会報届く。「沖縄1874−1972」本の案内。予約葉書を早速出すとしよう。

 67000アクセス。

2005年4月21日(木)
Pacific Explorer 2005 World Stamp Expo

 今日も昨日と同じ時間帯に出かける。余裕を持って朝が過ごせるのがいい。連休中の学習課題予定と中間考査の予定を立てる。連休が終わるとすぐ中間考査である。1年生は雲仙合宿。2年生もクラス単位でセミナーハウスでの合宿が続く。面談週間なので,クラス担任は忙しい。放課後放送部に行く。帰宅19時前。

 東京で先週16日から行なわれていた全日展2005も今日まで。今日からシドニーでは,Pacific Explorer2005が開幕である。24日までの4日間。FIPのサイトで詳細は見ることができる。http://www.f-i-p.ch/である。
 

2005年4月20日(水)
はぐれ刑事純情派

 昨日より少し遅く出るととたんに交通量が多くなる。FM中九州の「ぶらり熊本サウンドスケッチ」をフルに聴いて出勤。連休中の指導計画を立てる。放課後,放送部。放送コンテスト用の朗読作品。基本的に作品を読ませて各自が気に入ったところを読ませるようにしているが,アドバイスもする。連休にかけて決定していくことになる。19時前に帰宅。

 20時から新しくスタートの「はぐれ刑事純情派ファイナル」初回の舞台が島原というので視聴。宿泊先はなんと「南風楼」。ほかにも随所に見覚えのある景色が。DVD化する。

 「SEVEN]の落札結果。TOTTORIの櫛入り三日月印。けっこういい値段になった。

2005年4月19日(火)
UNZEN

 早朝補習の日ではないのだが,空いてる道路が気に入って早めに行く。30分ほど教材研究。

 放課後は,昨日計画していたとおり,今日から始まった1年生の雲仙合宿の取材である。取材に積極的な1年生3人を連れて雲仙へ。レクレーションの取材のあと,夕食の取材までだいぶ間があったので散策。ホテルは元禄8年開業の「雲仙湯元ホテル」,創業310年だそうだ。高浜虚子や吉井勇の書の掛け軸等展示してあったのを興味深く拝見。昨年のJAPEX2004出品作品「UNZEN」のタイトルリーフに使用した絵はがきと同じ場所から同じ構図でデジカメで写真を撮ってみた。「賽の河原より新湯を望む」の図である。ホテルを少し行ったところである。少し足をのばして雲仙局の局長さんにご挨拶。もうすぐ100周年である。今年の5月1日で郵便局開局100年なのだ。その後,夕食の礼法指導の取材も無事終わり,下山。有家方面に降り,順に生徒三人を降ろして北上し帰校したのが19時過ぎ。機材を放送室に戻し,帰宅19時30分。


 昨日届いてじっくり見ていなかった「スタンプマガジン」誌をじっくり読む。思いがけない人の写真が載っているので楽しい。

2005年4月18日(月)
審査講評

 早朝補習。最近はだいぶ余裕を持って行っている。道路が空いていてストレスなく行けるのがいい。放課後放送部。明日から1年生の雲仙合宿なので生徒を連れて取材に行く。その打ち合わせ。19時前に帰宅。

 「郵趣ウィークリー」「スタンプマガジン」到着。「APFニュース」到着。シドニー展特集なので出品者に送ってきたものだろう。
 全日展の審査講評の画像をHTMLアルバムにしてアップする。

 66000アクセス。

2005年4月17日(日)
東京2日目

 朝起きて昨日の入賞結果のHTMLアルバムを作る。アップロードがサクサクいかない。途中で転送エラー続出。ホテルチェックアウトまで作業を続けるが,できない場合は今晩帰宅後自宅での作業になる。どうも回線がブロードバンドでないようだ。転送速度が異常に遅い。
 10時にチェックアウトしていぱーくへ。ホテルから新宿3丁目の駅までかなり歩く。10時40分頃到着し,作品を見ていたら特別展示の菊切手の前で,小判等の方々とお会いする。ドクター井上と授賞式に。地下2階の講堂である。2年前は4階の会議室であったが,今年の方がセレモニーらしい雰囲気。202点の中央審査の展示中,金・金銀受賞者13名がそれぞれ壇上で賞をいただき,最後は全員で記念撮影。途中澤氏の審査講評には納得できる点ばかり。自戒する。11時30分には終了した。経費節減か2年前はあった懇親会はなし。
 食事は小判党の方々と東京駅の食堂「みかど」で小判振舞処である。なかなか興味深いお話を聞くことができた。9名出席。
 13時から私は切手研究会総会に出席のため再びていぱーく4階の会議室に戻る。今年の三井賞の受賞は軍事郵便の鈴木氏である。星名氏,荻原氏,鈴木氏の講演を拝聴し,記念撮影後散会。
 以後ひたすら切手を見る。ブースも出る直前に少し見るが,買い物は「さくらカタログ」のみ。
 17時に岡山の方と広島の方と3人で羽田空港まで同行。お二人とも授賞式に出られた方である。
 長崎行きは,羽田空港の滑走路の混雑で10分離陸が遅れたが,以後は順調に飛行し無事長崎空港に着く。自宅着は22時過ぎ。
 すぐに全日展の受賞HTMLアルバムをアップロード。自宅ではサクサク転送できた。
 かくて2日間の旅は終了した。

2005年4月16日(土)
日韓展・全日展

 早朝補習に行く時間くらいに出発。諫早から大村までは高速道路を使っていくと1時間10分ぐらいで到着。車をいつもの「みどり駐車場」に預け,空港まで送ってもらう。空港でゆっくりすることができた。昼過ぎには目白到着。切手の博物館3階に上り,日韓国交正常化40周年記念切手展を見る。郵趣4月号に掲載の在韓国局最古のカバー2通はショーケースの中に。現物をじっくり見ることができた。ショーケース横には,ドクター井上特製の開設カードがありこれをもらうために参観に来たようなもの。昭和切手時期の作品や内藤氏のテーマチクは興味深かった。このミニペックス,画期的なのは,会期が全日展期間中というのもあるが,展示全作品が2枚のCD−ROMに収録されて会場で販売されているということだ。2枚で2000円。申し込みは郵趣4月号掲載のKOREA部会の幹事飯塚悟朗氏まで。その後4階にある日本郵趣出版に上り,M氏に面会を求めるが会議続きで忙しそう。しばらく待てば会えそうとのことで待つ。現在進行中の企画のことで打ち合わせ。目白から全日展会場の大手町までは山手線で東京駅まで。そこから歩く。会場に入るところで全日展の常連の太田氏に会う。賞が金銀ということを教えてもらう。太田氏も同じ賞だったらしい。会場で賞を確認する。小判の出品は軒並み金・金銀。まさしく小判振舞の賞。小判切手で3フレーム無難に展開すればそれくらいの賞はつくようになったということか。主要な賞。「手彫切手(谷喬)」金・総裁賞。「新潟県の初期消印(玉木国夫)」金・総裁賞。「郵便事業発達史(大橋武彦)」金・総裁賞。「在朝鮮日本局郵便史(井上和幸)」金銀・日本郵趣協会賞。「菊切手(加藤茂樹)」金銀・日本郵趣連合賞。もうひとつの特別賞,郵便文化振興協会賞はジュニアの作品にいったようだ。会場で撮ってきた画像をアップロードするので,他の賞はそれで確認してほしい。
 長野・永冨両氏と3人,閉場ぎりぎりまで参観し,いつもの会が18時30分,今回は渋谷の「おはち」という京風料理の店。隠れ家みたいな個室。時間調整に通り道にあった日郵コインに入りしばらく時間をつぶす。会場に行くと先に丹下氏到着されていた。我々3人と遅れて片山・山口氏,村岡氏も。楽しいひとときを過ごした。渋谷から新宿を経て宿の「リステル新宿」着,23時過ぎ。

2005年4月15日(金)
EMS配達完了

 早朝補習・1・2と連続授業。昨夜作成したリーフを某所に送る。エクスパックは取りに来てくれるので便利である。19時前に帰宅。

 EMS配達完了のメールが入る。インターネットで追跡してみると,お昼頃配達されている。ということは差し出してまる3日でオーストラリアのシドニーに到着したことになる。ともあれ,無事に到着してなにより。明日は東京で全日展参観である。

2005年4月14日(木)
sydney着

 やはり肌寒い天気。20時過ぎ帰宅。

 東京もこんな気候なのだろうか。上京するのにコートを持っていくべきか悩むところ。
 EMSの追跡をインターネット上で見ていると,昨日のフライトを経て無事sydney局に到着したようだ。通関中らしい。思ったより早い。
 全日展期間中切手の博物館でも展示があるようで,そちらの参観も計画してみる。

2005年4月13日(水)
千島

 少し肌寒い1日。上京にはコートが必要になるのだろうか。新学期は,なにかと慌ただしい。放課後放送部に顔を出し,18時過ぎに歯科の定期検診に出かける。帰宅は20時過ぎ。

 「スタンプシバタオークション」到着。なんとカラー4ページに増えていた。在千島の函館分局,消印のかかりぐあいもまずまず。
 65000アクセス。

2005年4月12日(火)
EMS

 今日から早朝補習開始。久しぶりの早朝補習である。昼休みにEMSで作品を発送。最高額いっぱいの補償をつけて郵便代金9650円。1000円切手の下2段8枚ブロックと単片1枚,140円160円350円切手を貼付して紙片に切手を貼り,きれいに欧文印を手押しで消印してから箱に貼付するようにお願いした。欧文ローラ印がないのである。これでシドニー展は結果発表を待つのみである。年度当初の行事で慌ただしい。放課後放送部へ。副担任の仕事をしていたらすっかり遅くなり,19時30分帰宅。

 全日展参観の日程プランを立てる。授賞式と小判振舞処,切手研究会の総会あたりがメインになる。

2005年4月11日(月)
40時間

 仕事も今日から忙しくなる。1校時学年集会のあと,理・地歴の実力テストの監督。放課後放送部。18時30分帰宅。帰宅後昨日の日記を書いてアップする。

 「郵趣研究」「JPSオークション」到着。会費は払っていたようだ。リーフの手直し。十数リーフもあった。1日たって冷静に見直すとあちこち不備がみつかる。画像をJPEGとPDFにする。25時,やっと寝ることができる。40時間ぶりか。

2005年4月10日(日)
朝だ!徹夜

 8時に起きてリーフに切手を貼り込む作業。4時間もあればできるかとたかをくくっていたが,実際にできたのは80リーフから遡って41リーフまでの40リーフである。12時過ぎに作業を止め,かねてからの約束であった小城市の知人宅訪問へ。15時頃到着したが,福岡と北九州からも既にご到着だった。ひととおり作業の後,小城市の山手の方にある鯉料理の店「深松屋」である。ひととおり堪能した後帰宅。19時に小城をあとにして21時30分自宅着。ひたすらリーフ作り。楽しい作業に時間を忘れ,出来上がったのが,30時30分。朝である。朝風呂のあと,スキャン作業中にスペルミスをたくさん発見し,今日日中に発送するのを断念。32時前に出勤。日記更新できないのが心残り。

2005年4月9日(土)
プリントアウト完了

 朝から,土曜講座である。いつもと同じように,出かける。8時35分開始65分授業,15分休みの1・2校時授業をして帰る予定が少し長引く。12時前に帰宅。

 昼食後,リーフ作りにとりかかる。明日は12時から出かける用事があるので,この時点で24時間しかない。一つひとつ片づけていく。定常変種のページが,スキャナーで画像を取り込む作業がはいるため,思うように進まない。夕食後も,ビールを飲むことなく,作業。27時にリーフをプリントアウトし終えた。あとは貼り込むだけで完成。やっと寝れる。

2005年4月8日(金)
長い1日

 大掃除の後,新任式・始業式。新しいクラスのHR。私も3年の副担任として挨拶をする。午後,入学式。放送部員にビデオ撮影をするように指示。私は2名の部員とともに体育館の放送室でBGM等の操作・緞帳の開閉等。折しも桜の花満開。入学式にふさわしい日であった。放課後,明日の授業の準備。明日は土曜講座なのだ。夕方から職員の歓迎会。ほぼ全員出席。70名足らず。この日のために会場の「南風楼」と打ち合わせてきた。19時開始。幹事長挨拶は手短にすます。新転任者登場・開幕でBGMを流す趣向は,「去年はなかったぞ」の声もあったが,概ね好意的にとらえてもらえたようだ。滞りなく済んだが,帰りのバスの時間になっても歓談は続く。バスを見送ったあと,さくら代行を呼んだが,かなり待って帰宅したのは22時30分過ぎ。

 作品制作2リーフ。定常変種の画像を入れる込み入った作業のためこれぐらいで終わり,寝たのが25時過ぎ。

 全日展2005実行委員会から封書。入賞したので,授賞式へのご招待の連絡。出席の返事の葉書を書く。どんな賞だろうか。

 64000アクセス。

2005年4月7日(木)
7リーフ

 明日の入学式の設営。放送関係を仕上げる。入場のBGMも準備。結局,年休を取って帰宅したのは15時。それから昼食。疲れて寝る。

 再び起きてリーフ作成,7リーフのみ。あと25リーフだ。4銭東郷のリーフは,未発表定常変種を貼り込む。輪転版と平面版の初期のきれいなコーナーブロック。目打形式の違いが一目瞭然。輪転版の100番切手貼替えのものも展示できた。ほぼ満足のいく出来映え。いずれ紙形式で目に触れる機会があるだろう。

 今年度の体育班長に備品等の引き継ぎに行く。昨年度私が作った文書なども持参していった。

 明日は,始業式・入学式,歓迎会と1日が長い。明日中に帰って来れるだろうか。

2005年4月6日(水)
3/5

 昨夜遅くまでリーフ作りをしたせいで,起きるのが遅め。でものんびりしてはいられない。今日は第1フレームの銘版中心のリーフ作り。コイル切手は14銭の6枚ストリップのマージン不整を貼ることができ,ちょっとした自己満足。いつもはペアで使っている14銭の使用済みも実は3枚ストリップ。これもマージン不整。で書き込みをして貼ることができた。今回は5フレーム作品だが,ワンフレーム作品5本みたいな構成。短編作品集といった趣き。第1フレーム,製造面の各シリーズの紹介・銘版・みほん等。第2フレーム,凸版1色切手。第3フレーム,凸版2色刷り・凹版・平版切手。ここまでが製造面。第4フレーム,郵便種別を中心としたカバー中心の使用例。5フレーム,地域的な広がりのある使用例をカバー中心で。植民地で1段,航路・パクボーで1段・南方占領地で2段の構成。マラヤなどは田型3点のみ。カバーは2通だが。マラヤの4リーフの使用例は使わず。結局,単片満月をそぎ落とした作品になった。ということは,使用済中心でもう8フレームぐらいできそう。ここまで書いてくると,もうおわかりだろう,2003全日展金賞作品の増補・進化型なのだ。ということで残るはあと2フレームだが,1フレーム分は保護ラップに入った作品を英文化する作業。

 明日は明後日の入学式の準備のため,学校へ。リハーサル後速やかに帰宅し,作品にとりかかる予定。

 午前中JTBに連絡を取りFAXを送ってもらう。だがなんとFAXが不調。よく見ると紙が詰まっていた。なんとかうまく配置すると,不達記録1とデータ読み込んでいたもの2通の後に今日の分が出てきた。2月と3月のもの。ずいぶん前から使えなくなっていたようだ。N君やっと今日見たよ。

 「九州郵趣」到着。次の原稿書きは,全日展から帰ってからになるだろうか。

2005年4月5日(火)
2/5完成

 朝から職員会議。新年度の業務についての会議である。全体会のあと,学年。午後,下足の移動と職員室の座席の移動。今年度の座席はものすごく快適である。後ろに自分のロッカー。振り返って荷物の出し入れができるのはなんと便利なことか。机上にはパソコンのみというデスクライフが実現しそう。授業の教材は後ろのロッカーの上に立てておいておけるのだ。新たな気持ちでがんばっていこうと誓う今日である。教科会,分掌会,部活動顧問会と続く。その後放送部の生徒の様子を見に行く。帰宅19時。

 「たんぶるぽすと」高馬氏の連載もひとまず終了とのこと。楽しみに読んできただけに名残惜しい。紙の情報誌が届く。私の今年の出品作品は,情報誌でおなじみの方々と全日展での小判振舞処での再会ができますようにと思って出したようなもの。でもまだ航空券の予約はしていない。明日が10日前なので予約しよう。今日の一連の会議で,なんとか校務に支障なさそうということがはっきりしたようだ。土日といえども自由にならないのが進学校の教師の宿命。仕事あっての趣味である。

 27時までかかって,16リーフ仕上げる。これで2フレーム分リーフ完成である。明日も年休を取っているので,明日どれだけできるかだ。

2005年4月4日(月)
EXPACK500

 朝起きて郵便局に行く。EXPACK500にDVDを入れてプレス工場に発送。その後,リーフ作り。やっと1フレーム分完成。まだまだ5分の1だが,レイアウトもストックリーフ上で完成してあるので,あとは考えることなく,時間をかければ出来上がるはず。

 「タカハシスタンプオークション」到着。

2005年4月3日(日)
最初のリーフ

 男子バレーボールの大会のDVD,不具合や細かいところを直す作業。書き込みにまた4時間以上。その間パソコンが使えない。切手の構成を考える。
 やっとシドニー展のリーフ,最初の1リーフ目が完成。最初のリーフでどのようにするかが大事。基本的な型が決まってしまえば,そのコピーだから簡単。逆に不十分なままスタートし,途中で変更しようとした場合,多大な労力がかかる。個々のリーフの構成を5フレーム分完成。あとはパソコンに打ち込むのみ。
 明日はDVDをプレス工場に送付したあと,リーフ作りに没頭。年休を出しているので,こもって作業するのだ。


 63000アクセス。

2005年4月2日(土)
櫛入三日月印

 昨日完成したDVDの動作チェックと盤面の印刷を完了。以前作った昭和作品のデータを探す作業。もう2年前になるのでどこに仕舞ったのか探すのに一苦労。5台のPCのHDの中を検索して発見。これで3フレーム分のレイアウトは確保したことになる。残り2フレーム分は新規に作成である。

 「SEVEN」158号到着。3人の執筆陣の読み物があるのがいい。顔の見える入札誌である。TOTTORIの櫛入り三日月印最低値も高いが,落札値はもっと上がるのだろうなと予想される。自然な姿で好ましい印影。

2005年4月1日(金)
文献2冊到着

 今日から新年度である。午前中,合格者オリエンテーション。午後部活動紹介。部長がくじ引きで最後の順番を引き当てたため,トリを飾ることになったらしい。私の方は数日前からのバレーボールのビデオ編集。ひととおり終え,DVDへの出力。これが時間がかかる。4時間くらい。19時に帰宅後自宅で行ない,24時過ぎにやっと1枚。

 シドニー国際切手展作品は,まだ1リーフもできてない状態。明日から3日こもって作る予定。「切手バブルの時代」,どこかで読んだ話が多いような気がするのは,参考文献のせいか。取り上げられた切手は私にとってあの頃を思い出させるのに十分の切手ばかりで,しばし懐古の情に浸った。「カラーマーク収集ガイドブック」パラパラとめくってみて,手持ちの切手を細分類したい気持ちにさせたが,そんな暇はない。一段落したら着手したいものだ。

「Stamp MaterialAuction」到着。束ものから出たらしい満月印多数。

  2005年4月


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