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2005年3月31日(木)
EXPACK500

 当初の予定では,年休のはずの日。1年生のビデオ制作につきあって出勤。ここ数日特に熱心にしているのでいろいろと助言している。というかほとんどやりかたを教えている。結局18時30分過ぎまで放送室でがんばって完成できたようだ。ビデオ編集が楽しくなってきたと言っていた。何かを作り上げた達成感を大事にしてほしい。次の作業としてDVテープ完成版をVHSにダビングする作業が待っているらしい。転校していく級友や転任になった副担任に贈りたいというけなげな心に打たれて私もここ数日つきあってきた。
 いよいよ転任される先生方も今日まで。最後の職員室を後にされる場面では,出勤している全員総立ちでの拍手で見送る。昨日から順に十人ぐらい行なってきたがそれも今日まで。
 ここ数日の長崎新聞では離島での見送りの様子が報道されていたが,季節の風物詩として定着した感がある。フェリーでの別れほど悲しいものはない。離島勤務の5年間には毎年この時期港まで見送りに行ったものだ。紙テープとハンドスピーカー,ブラスバンドの生徒たち。二十数人見送ったことになるが,私自身は飛行機で帰ってきた。ちょうど3年前の今日である。この日のANKの福江長崎間の営業最終便にこだわって帰ったのだ。同僚や生徒たちが大勢,飛行場まで見送りにきてくれたことを思い出した。屋上からのエールは一生忘れないだろう。とこんなことを考えるのも3月31日ゆえ。
 「国語研究」到着。なんとか年度内に全校に到着したようだ。付録のCD−ROMも工場から昨日発送したとの連絡があったので,今日か明日には福岡に到着し,そこから発送するはずなので2・3日遅れで到着することだろう。19時頃帰宅。

 EXPACK500到着の葉書。差出人から推測すると,カラーマーク本と内藤本が到着したらしい。EXPACK500は便利だが,当地では18時までしか受け取れないので不便である。明日の配達になるのだ。ということは本を開いてみるのは帰宅後ということになるので,結局24時間遅れるというのと同じことだ。コンビニで受け取れるようにできないものか。

2005年3月30日(水)
引っ越し

 次年度の準備。紀要が完成し納品された。早速関係機関に発送。あらかじめ準備していた封筒に入れて郵便で送る。県内だから明日には届くだろう。
 転出・転入の先生方の引っ越しの手伝い。放送部の割り当ての先生のところへ手伝いに行く。1年生のビデオ番組制作につき合い,帰宅が18時40分。
62000アクセス。

 なかなかリーフ制作まで取りかかれない。今度の土日が勝負か。

2005年3月29日(火)
「郵趣」到着

 次年度の準備。合間に,以前頼まれていたバレーボール競技のビデオ編集。これがけっこう時間がかかる。とにかく素材を取り込むところまで。18時過ぎ帰宅。

 「郵趣」4月号,「スタンプコレクター」到着。昭和切手をすこし整理する。リーフ作りはまだ。

2005年3月28日(月)
単線12

 午前中から,昨日完成したビデオをDVDにする作業。午後職員会議・教科会等。結局DVD完成は19時30分。新年度の歓迎会,幹事長になったので,会場との打ち合わせ等。20時帰宅。帰宅後DVDの盤面印刷。
 弟宅の引っ越しの手伝いに母はまた自分で車を運転して長崎まで出かけていった。3人の子どもの子守の手伝いである。弟本人は3月31日まで今の病院に診察に出るので布団1組を残して,病院敷地内の住宅から通うらしい。4月から,長崎市内の病院に長崎の自宅から通う生活になる。やっと1年で,新築の自宅から通う生活になるのだ。


 スタンプシバタオークション,不落札。結果表をみると乃木2銭単線12鉄郵消5枚組17万円。朱色だったのだろうか,ぜひコメントをききたいものだ。
 「郵趣ウィークリー」到着。

2005年3月27日(日)
小倉2日目

 10時過ぎに起床し,朝風呂のあと,北九州のパソコンのセットアップ。いつも調子が悪くなるらしい。身支度をして,小倉伊勢丹10階へ。某切手店の主人と世間話をしながら,切手を見る。地方に住んでいると,なかなか手にとって切手を選んで買うという機会が少ないだけに貴重な時間である。A先生の「ワンポイントレッスン」本を購入。サイン入りなのに定価で購入できた。先着3名のみ。広島で3冊購入してきたとのこと。顧客へのサービスみたいなもの。あと2冊はまだ残っていた。
 17時の終了間際までゆっくりと品定めできた。
 小倉駅の5番ホームに17時5分到着。17時16分快速の出発まで10分ほど時間がある。ホームにラーメン店。カレーラーメンなるものを食す。何と注文してから茹ではじめ,果たして間に合うかドキドキ。焦った。
 携帯で連絡をしてみると,ちょうど妹が福岡空港からの帰りに折尾を通る頃快速が到着するようなので,迎えに来てもらう。
 ほぼ16日ぶりに帰宅とのこと。長崎の指導のあと,大阪の障害児教育大会に出席。岡山の津山のゼミ,三重の津のゼミとかけ持ちし,津の帰りに中国自動車道が雪のため閉鎖。下の国道を通って24時過ぎに一瞬帰宅後すぐその日の5時に福岡空港へ向かい2泊3日で沖縄に行った,その帰りらしい。5府県を16日でまわった計算。多忙な日々のようだ。
 さっきラーメンを食べたばかりなのに夕食を食べる。おまけに土産のケーキまで。別腹らしい,うまく収まった。
 18時30分に北九州を出発。金立で20分ほど休み出発したのが,20時5分ほど。22時前に帰宅。


 リーフも揃ったし,いよいよ明日から作品作りだ。

2005年3月26日(土)
小倉行き

 朝から昨日届いていた佐川急便の荷物について問い合わせる。ドライバーが配達中とのこと。ドライバーと連絡がつき,国見町の某所まで待ち合わせて受け取りに行く。こんなことはたぶんサービスのどこにも明示していないはずだが顧客の立場に立って裁量した結果の対応。私企業なればこそである。ドライバーも配達先が1軒減ることになる。双方に益がある。
 朝風呂に入っていたら,11時5分の列車に間に合わず。「南洋群島の郵便史」をつい読み始めると12時,13時のにも乗り遅れた。14時にもぎりぎりの時間で有明タクシーを走らせるが,島鉄湯江駅に間に合わず,多以良駅まで。結局数秒差で間に合わず。駅員が14時23分のバスがありますよと親切に教えてくれる。バス停に行く。
 よく考えたら多以良港がすぐ近く。14時30分発のフェリーに乗った。長洲港に15時15分着。タクシーで長洲駅。14時36分発の特急有明に乗車。携帯で路線を検索すると,当初乗るはずだった列車より速く着く計算。車内誌の地図をみると今回のルートはほぼ直線なのに対し,諫早からかもめ乗車のコースは一旦後ろに戻るようなルートだ。当初では小倉までだと18時近くで即売会には無理。折尾に15時30分に着く予定だったのが,小倉に15時5分に着くのだ。
 博多で特急有明を新幹線のぞみに乗り換え,小倉着。小倉伊勢丹10階I'mホール「古銭・切手掘り出し市IN小倉」である。某店で予約していた品物を受け取る。作品作りに欠かせないものである。切手商として興味深い話や昨今の満月消しの可否論議についてのお話を伺う。別の某店での分割払いも完了。ネット決済もいいが,顔をあわせるときは直接払った方がよい。切手の世界も人と人とのつきあいが基本。「人間」という言葉は「人」と「人」の「間」と書く如し。
 小倉から快速で折尾まで。妹が公文の招待で沖縄に行っている間,次女の世話のため母が行っていたのを迎えに行くのも今回の北九州行きの目的。19時頃妹邸着。明日もう一度小倉へ。

2005年3月25日(金)
パソコンリーフB

 昨日帰宅後,同窓会CD−ROMの盤面印刷を終えたので,残るはビデオ制作。Adobe Premiere 6.5を使ってビデオ編集である。午後から学年の年度末年度初の作業。17時すぎまで。18時に紀要の最終校正。実は昨日で最終のはずだったが,あまりにもミスというか指示どおり直ってないのが多く,不安だったので今日再度持ってきてもらった。起案してOKが出たのが19時前。待機してもらっていた印刷所の人に持ち帰ってもらった。いくつかの指示があるが,そこを直して明日から印刷に入るとのこと。それらの合間にビデオ編集続行。それが終わると編集済みのDVテープをVHSにダビングする作業。19時30分に完了。
 新旧体育班長会には送れる旨伝えてあったので,急いで帰る。車を自宅に置いて,歩いて会場の「かちゃん」寿司へ。20時頃到着。体育班長のこの1年を振り返り,新しい人に託す。22時30分帰宅。


 島原新聞に「郵便・切手に見る雲仙史」第7回掲載。3月は行事が多くそれらもやっと一段落して掲載されたのだろう。掲載まで1か月近くかかっている。第8回もすぐ執筆にかかろう。
 シドニー展出品の昭和切手作品提出まであと2週間ほど。そろそろとりかからないといけない。構成は頭の中に描いているのだが,個々のリーフの構成はまだ。マテリアルの切手を集めるのが先だ。パソコンリーフBが4月まで品切れ状態らしい。展示用リーフの裏を使うことにする。明日は小倉。

 61000アクセス。

2005年3月24日(木)
別れ

 大掃除の後,表彰伝達式・終業式・離任式と一連のセレモニー。離任式の始まる前100人ぐらいだった卒業生が式の途中には150人ぐらいになり,約半数が来たことになる。式後昼にかけ,後期の合格報告の生徒が相次ぎ訪れる。放課後放送部のもうひとりの顧問の先生の送別会を放送室で行う。19時から送別の宴。幹事のため早めに行き会次第の確認。教科ごとのエールもあり新趣向の宴だった。2次会二十数人で別れを惜しむ。3次会からはソフトドリンクで。会後「さくら代行」で帰宅,27時。

 郵趣ウィークリー付録正会員報着。収友から資料届く。

2005年3月23日(水)
長崎の絵はがき

 学校便り完成。今回は別の人による編集。職場で「パーソナル編集長」を使える人が増えてきたのは喜ばしいこと。これをpdf化するのは私の仕事。字体等を少し変えて見やすいものにした。HPにて公開。写真をリサイズしないで貼り付けてあるのか,全体的に重いものになってしまった。これは次回以降編集の際の課題。
 紀要の編集。こちらで手直しする分を執筆者にみてもらって訂正。これもpdf化して印刷所にメール送信。
 「国語研究」は出版社から明日完成の連絡。付録CD−ROMをこの出版社あてに発送。
 午後合格者登校。放送の準備。このころには雨も上がっていた。
 久しぶりに早く帰ることができ18時頃帰宅。腰痛治療のため伊藤整骨院に。その後伊藤理容院に。やっと頭がさっぱりする。

 昨日届いていたSEVENの落札物。最近長崎の年号2字の私製葉書が絵はがきだったら,裏面がわからなくても買うようにしている。もっともたいして値の張るものでもない。今回は絵柄は残念ながら長崎でなく熊本のもの。でも年号2字印の時代に凸版印刷は珍しいかもしれない。

2005年3月22日(火)
10銭勅額

 午前中,同窓会のHPの新着情報を2件更新。紀要の印刷所,校正の要領を得ない。午後年度末作成事務処理。印刷所の打ち合わせ。完全版下原稿で送って欲しいとのこと。pdfに直す作業をしていたら,帰宅できたのは20時前。

 昭和切手のストックブックで切手を移動。まずあちこちに分散しているものを集める作業から。
 今頃になって小判の使えたはずのものが出てきた。探すのを止めたとき見つかることはよくある話。
 10銭勅額目打ありと目打なし,それぞれにAからDの4版あり,目打ありのみに細字版がもう1版存在する。これをどうまとめるか。1リーフでは無理。かといって3リーフ取るわけにもいかないし,迷うところ。


朝,60000アクセス。

2005年3月21日(月)
語ろう板総括

 余震の続く福岡行きは断念し,翌週の小倉行きを決定。久しぶりに家でのんびり過ごした1日だった。のんびり過ごす休日に欠かせないのが朝風呂。身も心もリラックスできた。午後,当地でも有感の揺れがあり行かなくてよかったと思ったものだ。

 語ろう板の土曜日のコメントは「かば」さんに対してではない。少なくともご自分のHPをお持ちでハンドルネームに「かば」を使用されている方はお一人。勝手に名乗ったら本人が黙っていないだろう。匿名でない論は有益である。「かば」さんの幕引きは立派だった。「九州郵趣家の集い」ではゆっくりお話もできるだろう。

 偏執的なのは「参加者」「フロア参加者」という名の「ネット愉快犯(語ろう板の表現による)」だ。この匿名者は「参加者」でも「フロア参加者」でもなかったわけだ。だから「謝罪」「傲慢」「高飛車」「非を認めない」「信者」「奴隷」「勇気を持て」「無銭飲食」「暴挙」などと自分になじみのある言葉を使いたがるのだろう。ここ数日不愉快な思いで語ろう板を見ていたが,記録として載せる。「見苦しい発言(かばさんの言葉より)」の例として。

 かばさんのように,こういう議論ができるのも,オープンなオークションなればこそ。これまで,かつて存在していたものを含め,国内の主要オークションとつきあいがあったが,真に顧客の立場に立って運営されるオークションは希有であろうと思う。下見できる環境にあれば日フィラやJPS,タカハシもいいが,このオークションは写真版が豊富なので,地方在住者でもメールで安心して入札できる。それぞれのオークションにはそれぞれの知られざる面があるのだろうが,それをここまでオープンにして,「参加者」に知らせようと努力している姿勢はすばらしいと思う。過去に存在したオークションをよく研究していると感心する次第である。
 唯一の欠点はネット環境未整備ということ。www.stamp-au.jpなんかどうだろう。www.stamp-auction.jpだと長いから。


 私が勝手に惚れ込んでいるシステムの第一は会費。2000円という会費は送料を差し引くといくらも残らない。尋ねたことはないが,多分印刷代は赤字だろうと思う。第二に,最低値を安く設定し,市場価格に任せるということ。第三に,1回のセールの点数が多いということ。これらのシステムのため,せり上がったものだけが話題になりがちだが,実は毎回格安で入手できるものがあるのだ。それを見極めるのがこのオークションの楽しみ。
 フロアに出席したときは,これがだめならあれというように臨機応変なシュミレーションをしておく必要がある。そのために必要なのがスタート値。場に出ない人にメールで教えたこともあったし,場に出ないとき携帯で聞いたこともあった。
 今回の企画は,前日にあればいいなと思ったことを今回実行しただけなのだ。結果は参加者からは感謝のメール。発表することによって逆に前日事務所に来た人から反発があるのではないかと心配していたが,フロアに出る人はおおらかな人が多いのだろうか反発の声は聞かれなかった。
 メールの途中経過開示は自分がそんなものをあてにしないでこれまで入札してきたものだから,予想外の反発に驚いた。今になってよく考えると途中開示があっているのもかかわらずそれ以下でたくさん入札していたのはかなり恥ずかしい行為だったのかも。メールは最低値で落ちるのも多いから取りあえず入れておこうというものが多い。


 今回の語ろう板の議論を通じて,善意が通じない人がいるということがわかったのが収穫。ボランティアというものをしたことがないのだろうか。

2005年3月20日(日)
作品構成決定!

 地元の自治会総会10時から,公民館で。決算報告も終了し,いよいよ役員改選に入ろうかという頃,突如地震。会場のみんなが一斉に見たのは雲仙岳。とうとう溶岩ドームが崩落したのかと皆思ったのだ。でも山には変化がない。すぐにTVをつけて速報をみると,島原地方は震度4。福岡の被害がひどいとのこと。
 地震騒ぎも一段落して,役員改選。やっと私は体育班長の仕事から解放された。その後食事会。でも長崎へ出かけないといけないので,もくもくと食事のみ。12時過ぎにひとり公民館を抜け出して自宅に帰ると,地震の被害はたいしたことなく,2階の部屋の本棚の上の方のテープ類が落ちた程度。

 天気がいいのでBEATで長崎へ。13時40分頃長崎中央郵便局着。4階の会議室へ。もうほとんど長崎郵趣会例会はお開きの時間。少し話などをする。その後有志で近くの「D−51(デゴイチ)」という喫茶店で雑談。例会後のこの時間のためだけに例会に行っているようなもの。
 帰りは,車の足が自然とコンピュータウンに向く。でも今日は30分ほどで出る。帰りはBEATの幌を上げ,風を頭上に感じながら帰る。途中曇りになり肌寒さもあったがそれでもだいぶ暖かくなったなと思う。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りである。
 帰宅後,明日行けそうもないので,墓参に行った。水仙の花を裏の畑から切り取って持っていくが,すでに親戚の人が他の花とともにいっぱい供えてくれていた後。だが,無理に押し込んで線香をあげてきた。その後島原に行き,ガソリンを給油・洗車中にデジカメプリントをキタムラで。15分ほどでできた。20時前に帰宅。


 シドニー展の昭和切手作品,構成がほぼ決定。製造面3,使用面2。基本的に全日展2003作品の3に2足した形。足した2の内訳は,版別の製造面1,植民地・占領地使用例で1。ワンフレーム作品を2つ作るようなもの。明日福岡に行けなかったら,作品作りに着手だ。

 「ぼくはこんなリーフを創ってきた」第2回。トップページからどうぞ。

2005年3月19日(土)
康平忌

 今年度島原半島文化賞の個人の部に近藤義昭氏,団体の部に島原高校合唱部が選ばれたので取材に行く。近藤氏は「がんば(ふぐ)博士」の愛称でひろく知られた人である。「島原のがんば ば(を) 食おう会」を企画されたり,行動力盛んな方で,島高同窓会副会長・同窓会誌編集長の縁でおつきあいさせていただいている。
 受賞式の日は「康平忌」でもある。式に先立ち宮崎康平の文学碑に献花し,会場の災害復興記念館へ。ともに島原城場内にある。放送部の生徒1・2年生は土曜講座の授業のため顧問一人でビデオ撮影ということだ。学校便り用にデジカメでも撮る。横で見ていたNHK長崎放送局のカメラマンから「両方はたいへんですね」と声をかけられる。
 授賞式の後は,受賞者の言葉。それに島高合唱部の合唱は宮崎康平の「島原の子守歌」と合唱部の代表作「宇宙戦艦ヤマト」の二本。
 後半は康平忌。宮崎康平の顕彰のため命日に行うものである。詩の朗読のあと「康平を語る」は近藤氏。宮崎婦人の謝辞で終了。

 一旦家に帰り,20時から久しぶりにテニスクラブ。火曜と土曜なのだが,夜は予定が入る日が多く,なかなか参加できないでいた。30分ぐらい乱打をしていると慣れてきた。22時終了。

 「語ろう板」偏執的な匿名の書き込み続く。フロアと違い2番値開示で頭ハネなどできるわけもないのに,即ち1番値開示ではないのでいくら入っているかわからないので不利益を被るわけはないのに,本当に「ズレ」た意見。会員である前に自分のコレクション充実のために切手収集をしている人かと疑ってしまう。自分で値段を入れて納得して買うのがオークション。評価出来ない人が人任せで買うべきものではない。問われるのは自分自身の判断。
 フロアに出席していたとき,台湾からの携帯電話へのビッドがありそんなのもありなのかと思ったが,自分自身に当てはめてみると他国の国際電話料金を支払ってまでビッドする状況は思いつかない。よほどの入手への情熱のなせるわざ。その熱い魂にオークショニアが応じたのだろうと一人納得したものだ。臨機応変な対応も明文化など不可能。偏執的な書き込みはまた自己中心的だ。オレサマにもわかる文章を書けという。掲示板入り口にあるようにわかる範囲でわかればいいのである。入り口には「気に入らなければ読まねば良い」「元よりオークションに疎く、郵趣レベルに劣る初歩の人の知力にあわせるつもりはさらさらない」とはっきり記載されている。たまには評論のひとつでも読んでみると読解力もつくのにと思う。読解力養成には,新聞のコラム欄や社説の書写と要約を高校生には勧めている。

 大学入試センター試験の評論を読んでみるのもいいかもしれない。良問ばかりだからである。そこでは客観的な論の読解のみが問われ主観的な読みは排除される。出題陣の平均6割に持っていくための努力は並大抵ではないと畏敬している。いたるところに出題者のワナがしかけられている。しかも解答にいたるプロセスが明示できるのだ。数十万人の批判に耐えうる問題を作るのは神業としかいいようがない。

2005年3月18日(金)
内示

 引き続き同窓会のビデオ編集。DVDにするところまで。盤面の印刷は家に帰ってから。午後人事異動の内示。紀要の編集を18時40分まで続ける。19時から「もとむら」で3学年の慰労と送別の会。2次会「ペガサス」。帰りはいつもの「さくら代行」で。繁盛しているらしく20分待ち。25時帰宅。59000アクセス。だいぶアクセス数も落ち着いてきた。

 ヤフオクの落札品1点のみの到着。 

2005年3月17日(木)
落札品到着

 雨天。だいぶ暖かくなってきたようだ。高校入試の合格発表が9時30分から。学校便り掲載用に写真を撮りにいく。10時から国語部会の監査。その後仕事の合間に同窓会総会のビデオ編集。
 放課後放送部の1年生にビデオ編集の指導。職員会議,連絡会と会議が続く。きりのいいところまでビデオ編集をしていたら遅くなり,19時過ぎ帰宅。


 ジャパンスタンプの落札品到着。今回小判中心だが下見してないのでこんなものだろうと思う。満足である。
 遅ればせながら「日露戦争と歴史」(ケネス・G・クラーク・コレクション)到着。
 友人から日経新聞の切り抜き到着。文化欄に掲載されたブライアンバークガフニさんの随筆である。長崎の絵はがき本「華の長崎」の著者。以前の日記を覚えていて送ってくれたのだろう。感謝。

 早速小判切手をストックブックに収めた。昭和切手も少々切手の移動。

2005年3月16日(水)
難問

 年度末に仕上げるべき仕事のうち,雑誌「国語研究」の最終校正。午前中から始めて午後少し過ぎた頃に完成。起案して福岡の出版社の方に手渡し,完了。その後同窓会総会のビデオ編集。並行して明日の監査の準備。18時過ぎ帰宅。帰宅後もビデオ編集の続きを少々。

 シドニー展の昭和の作品,まずはマテリアルの点検から。あちこちに分散しているものを集積する作業。そのためには部屋の片づけをしなければならない。これが難問だ。

2005年3月15日(火)
何を捨てるか

 今日も断続的に今年の卒業生の合格の報告。放課後に会議。19時から国語科の慰労会。異動発表はないが年度の区切りをつけるためのもの。「ちゃんこ力士」にて。その後ey先生と「六本木」でささやかな国語部会事務局の一区切りを祝う。明日校正が終了すれば一つの仕事が終わることになる。26時帰宅。代行運転はいつものとおり「さくら代行」だが,また新しく入った人。島原地区に代行運転業者が15ぐらいあるそうだが,勢いがあり伸びているのは顧客第一に考えている業者である。どの業界も同じことだろうと思う。

 まだ昭和切手の構成は,決めあぐねている。材料はあるので何を捨てるかが問題なのだ。

2005年3月14日(月)
インク浸透式丸一印

 事務的な仕事の後は,並行してやっている二つの雑誌の編集。「紀要2004」と「国語部会」誌である。「国語部会」誌付録CD−ROMのレーベル印刷見本が届く。確認して発注。
 「紀要」は午後から印刷所の担当者と打ち合わせ。やはり,いろんな高校の「紀要」をかけ持ちでやっているとのことでなかなか迅速ではないのは仕方がないところか。
 「国語部会」誌の方は,福岡の出版社と電話とメールで打ち合わせ。発刊の全行程の見通しが立ったところで編集後記。やはり最後にならないと書けないものだ。
 本日の午前から午後にかけて,先週高校入試で校内に入れなかった今年度の卒業生,前期試験合格者多数が報告に来る。数十人。東大・京大・九大・広大・熊大・長大等々。

 放課後放送部に行き,春休み中の練習計画について話し合う。1年生が積極的で「毎日しましょう」と提案。それに沿って計画表を提出。
 昨年度の卒業生3人が職員室に顔を見せた。春休みで帰省中らしい。
 18時に上田歯科での定期検診。19時30分帰宅。

 「津田沼徒然草」到着。先日の北九州の集いの報告もあり楽しく読めた。インク浸透式丸一印は会場の展示でも質問したもので,今ならまだ探せるかもしれない。「スタンプシバタオークション」誌到着。前回の落札結果のうち45円鉄道郵便印消が95000円には驚き。2番値92000円の調整値らしい。それにしても毎月よく品物を集めてくるものだと感心する。
 この2誌に共通するがどちらも折り曲げないで定形外で送ってくるのは好感が持てる。特に永冨氏,「津田沼徒然草」の紙面作りの心配りと重なって,切手貼付であり発送にまで神経が行き届いてると思う。北九州の資料P11の中に紹介された下から四つ目の私の文献中の名「英」が「秀」のままなので,購読者の方はお手数だが,訂正をお願いしたい。

 アクセス数が,ここ数日だいぶ落ち着いてきた。58000アクセス。

2005年3月13日(日)
ぼくはこんなリーフを創ってきた

 思うところあって福岡に行って来た。9時に出発して12時過ぎに天神北出口へ。ここまでは順調。ソラリア近くの福岡中央駐車場はいっぱい,天神中央駐車場に並んで結局13時にパーキングを出る。横のアクロス地下の豆腐料理「梅の木」で昼食。天神IMSで「てつびん物語」という写真展,ずっしり重たいテーマ。紀伊国屋に「絲山秋子」川端康成賞受賞作と受賞後第1作のサイン本あり。早速購入。雪がひどいので,とっとと帰る。途中高速のパーキングエリアに寄ることもなく,諫早インターまでノンストップ。諫早を過ぎ島原半島近くの「庄屋」で夕食。自宅着20時30分。

 思うところあって,HP新企画を立ち上げる。「ぼくはこんなリーフを創ってきた」である。もう30年ぐらい前になるだろうか,「郵趣」の裏表紙に毎月リーフの写真が掲載されていた。わくわくしながら楽しみに見ていたものだ。そんなコーナーになればと願っている。年間50リーフぐらいなら何とかなるだろうと楽観してとりあえず始めてみるとしよう。最初はたまたま机上にあったリーフ。小判作品に使おうかと思って出したが結局使わなかったものである。英文に自信はないので,変な点は指摘していただければ幸いに思う。

2005年3月12日(土)
5フレーム80リーフ

 完全休養日。朝風呂にゆったりと。遅いブランチ。腰痛もあり夜のテニスも休む。

 昭和切手の5フレーム構成80リーフ。どうするかまだ迷っている。額面順だとJAPEX2002の128リーフでも窮屈だったので,全日展2003の版式別の発展型を基本に考えていたのだが,それとても全ての額面をカバーできない。どの額面を削るか迷うところ。一番安直なのは全日展2003の3フレームに植民地使用で1フレーム,南方占領地で1フレーム追加して5フレーム出来ましたというもの。実は全日展2003作品にはほとんど植民地使用・南方占領地使用は入ってなかったのだ。入れるスペースがなかったというのが正しいかもしれない。いずれにしてもここ1週間ぐらいで方針を決めないと作業の期間がない。

2005年3月11日(金)
シドニー展

 入試業務の日。遺漏のないように確認して行う。紀要の編集,初校。レイウトに統一感ない部分を手直し。記事本文と資料部分のがはっきりわかるように区別する。月曜に受け取りに来るとのこと。国語研究の追加データ送付。意外に作業に手間取り,帰宅が18時30分になってしまった。
 19時から同級生のS君と食事に行く。S君とは久しぶりである。もう半年以上も行ってないのではないかと思う。まずは「鳥善」で食事。2次会は「N」。「六本木」は珍しく21時に開いていた。多分1月1日以来。さくら代行で24時過ぎ帰宅。

 シドニー国際切手展覧会(正式名称:パシフィックエクスプローラー)の出品用紙とリーフを入れる袋が到着。細かなスケジュールも判明。提出は約1ヶ月後だ。私自身は新学期早々のためとても行けそうにない。作品だけメルボルン経由シドニー行きである。送付先はシドニーでなく事務局のあるメルボルンになる。

57000アクセス。

2005年3月10日(木)
オークションハウス

 高校入試2日目。神経を尖らせて業務に当たるのみ。午後,学年主任の先生の携帯に電話,東大合格。昨年は3人中2,今年は1人受験して100パーセント合格。ま1人受かっただけだが。先日の九大は9人だそうな。難関校はほぼ通った計算。

 語ろう板の書き込み,執拗な攻撃が続く。発言者は何のために切手蒐集という趣味を持っているのだろうか。切手を愛する人のための場であるべきだろうに。建設的な意見が聞きたい。ここはじっと鯛さん自らのコメントを見守りたいものだ。後年,鯛さんは「日本のオークションハウスのシステムを作り上げた人」と称されるだろうというのが私の未来に向けての歴史認識である。
 56000アクセス。

2005年3月9日(水)
結果発表1日目

 高校入試1日目。緊張して粛々と行うのみ。国公立大学発表が相次ぐ。生徒自身は校内立ち入りができないので,担任の先生から教えてもらう。最近はインターネット上で画像ファイル公開して発表することも多くなってきたので瞬時にわかる。長い文書などはpdfファイルが標準になりつつある印象。
 今日は京都大合格。私が2年次から難関校添削を担当した生徒の一人。最後まで添削を続けてきたのだ。学校の予習復習の他に朝補習・放課後補習があり,それ以外に添削問題までやるというのはたいへんなことだったろうと思う。心からおめでとうと言いたい。大学受験後の報告で問題を見せてもらい出来映えを聞いたときの感触はよかったので心配はしていなかったのだが結果を聞くまではやはり心配。お茶の水女子大も合格だが日大芸術演劇が第一志望なのでそちらに行くことになるだろう。私の親戚にあたる。明日東大の発表である。18時前に帰宅。


 ジャパンの結果表のHP掲載は何人もから感謝のメールをいただく。一連のHPでの公開は自分なりに以前からこうすればよいのにと思ってきたことを実現したまで。特に画像の公開は数年前にユーザーの立場から鯛さんに言ったこともあり,ようやく実現した。その間タカハシ・JPS・SEVENが相次いで実施。結果発表もJPSがやるようになり使ってみて非常に便利。
 スタート値の発表は今回が業界初の試み。フロア出席者にとって当日瞬時に考えるより,一晩考える時間があるというのは便利だという考えから発表したのだが,場に行けない人も場に出る人に頼むことによって修正の可能性がでてきたことはメリットであると考えるべきで不公平と非難するにあたらない。フロアは場に出る人が主人公でメールはオークショニアの代行なのだ。いくつか経験すれば大きな値になりそうなものは場にでるしかないと思うようになる。場に出ることによってメールでは不本意な高い買い物より,別のリーズナブルな買い物へとシフトさせることができる。地方在住者にとってこそここ一番のときはフロアだ。そうはいうものの私にしても年1回行ければいい方だが。そういう大きな買い物のときには支払いも猶予してくれるのもJAPANのいいところなので,取り引き実績があり,きちんとした仕事に就いている信用のある方は相談してみられるとよいだろう。金利は取られるが微々たるものである。かなり多くの人が利用させてもらっているらしい。だから非常に温かみのあるオークションハウスだと私は考える。
 メールの暫定値(2番札の一キザミ上,フロアのスタート値に相当)も一番札を公開したわけでなく,締め切り前なので変更可。落札値と勘違いした意見もあり非難されたが,これも情報公開のようなもの。変更のチャンスが増えたととらえるべき。判断は自分次第である。

2005年3月8日(火)
待ってた!落札結果

 今日は九州郵趣連盟の理事会及び日本郵政公社との連絡会のため熊本行きである。8時35分島原港発のフェリーには間に合いそうもないので,9時発のフェリーに乗るべく多比良港へ向かう。入り口で昨年担任をして生徒の保護者に会い挨拶する。待合室で仲良し3人組にあう。同じ船で熊本側に渡る。3人とも昨年担任した生徒である。1人が受験で2人は一緒に行くとのこと。今日受験に行く1人が受かれば3人揃って同じ福岡県にある大学に行くことになるらしい。2人は既に受かっているのだ。9時と思っていたフェリー,ドック期間で9時35分になるらしい。おしゃべりしながら待つ。
 4人で長州港から長洲駅までタクシーで行く。切符を手配してやり,私は下りで,3人は上りの列車に乗る。素直ないい生徒たちである。11時20分過ぎに熊本到着。路面電車で九州支社に向かう。11時45分到着。担当の方に挨拶すると既に姫野さんと田畑君は到着しているとのこと。監査らしい。私は出品用紙をもらい小判の出品票を記入。その後3人で食事し,私は1人で全日展の審査。明日まで滞在できず日帰りのためである。九州郵趣連盟理事(副理事長)としての仕事を果たさねばいけない。
 14時から理事会。16時15分から郵政公社との連絡会。
18時から懇親会。
 その後ロビーでコーヒーを飲みながら時間の許す限り郵趣談義。
 21時にタクシーで熊本駅に向かう。携帯で語ろう板をチェックし,ファイルが送られたのを知る。特急の車中でなんとか携帯を介してパソコンでネットに繋ぐ。ちょうど鳥栖で乗り換えの頃語ろう板に書き込みできた。メールを携帯で受信しようとするがちっとも進まない。恐ろしく巨大なファイルらしいので断念。携帯のパケット代は高く,1Mで1000円ほどかかる。前回の17Mだと17000円になる計算。家に帰ってからダウンロードしよう。
 諫早からは家人に迎えにきてもらっていた。帰宅24時40分過ぎ。
 着替える間もなくネクタイ締めたままメールの受信。19M超の巨大ファイル。分割して置く。アップロードにもかなり時間がかかり,元ファイルが何度やってもエラー。時間だけがどんどん過ぎていく。とりあえず分割分のみアップロード。以前のpdfファイルを削除したらうまくアップロードできた。しかし巨大ファイルのためセキュリティの関係でインターネットエクスプローラで開けない。で,表紙のみ置くことで決着。
 一段落してから自分の入札分をチェック。やはりメールは予想通り同値後着負け多数。早く入れた人にはかなわない。ここら辺は自分で入れてみて勘をつかむしかない。でも落ちたものは満足。落ちなかったものは縁がなかったということで,すぐ忘れるようにする。

 55000アクセス。

2005年3月7日(月)
24M

 国立大学の入試発表が今日ぐらいから判明し始めた。何人もの生徒が「合格しました」と報告に来た。今日判明分はいくつかの大学なので明日以降は大幅に増えることだろう。紀要の編集,印刷所から一太郎ファイルのレイアウトが壊れるとの連絡。3人の分30ページくらいをpdfファイルにする作業。プリントアウトし放課後に受け取りに来られた際打ち合わせ。データは一太郎をバージョンアップする際に増え続けた「インターネットディスク」に保存して受け取ってもらう。放課後ノートパソコン25台の納品の立ち会い。設定は明日。設定の立ち会いは別の先生にお願いした。並行して編集している「国語研究」の校正。文字データを送っているものは校正も楽だが,手書きの原稿用紙から活字にしたのは要注意。1ページに必ずミスがあると思って校正。手書きの分の校正は私自身で。事務局員3人にお願いしていたのを集約。明日年休で学校に行かないので何としても今日中に送付しなければならない。20時過ぎに校正完了。帰宅途中にあるヤマトの営業所に持ち込む。同時に沖縄の会社に「国語研究」付録CD-ROMのマスターをエクスパック500で送付。これは集配局前のポストに投函。これで明日は心おきなく休める。熊本行きである。21時前帰宅。

 毎度のことであるが,メール締め切りは火曜日。月曜日と勘違いしてしまう。今回は暫定値も見てみた。大部分は影響ないが,いくつかは断念。また機会があるだろう。今回のこのメールの暫定値公表について非難する人は,暫定値は決して1番札の公表ではないと知っているのだろうか。あくまで2番札の一つ上のキザミ値。1番札はいくらなのかはわからないのだ。だからあくまで目安にしかならない。
 今回の反省はpdfの巨大ファイル。一度私の方でプリントアウトしてもう一度pdfに再変換した方がよかったかなとあとで思った次第。あのときには一刻も早くアップしなければと焦っていた状態。でもADSLだとなんとかダウンロードできる条件。私の住んでいる田舎でだってADSLの24Mがきているくらいだから,日本のほぼ全域で受信可能な状態にあるはず。切手を買うのに比べれば微々たる予算でこの環境が手にはいるのだから利用しない手はない。一口に地方といってもさまざまで,県庁所在地でもなく,ましてや市部でもないところに住んでいる私などは「不公平だ。地方軽視だ」と糾弾できる立場にあるのかもしれないが現実はネット環境に関してはそうではない。意識の問題。
 メールの暫定値は,たしかにさらに高い入札値で入れないと落ちませんよと教えているわけだが,何が何でも買えと押し売りしているのではない。判断するのは自分。暫定値など見ないで入れても大して変わらないというのはご自分でやられてみるのが一番。ただメールは最低値が低いのである程度相場感を持っていれば同じ金額になりやすいということ。ヤフオクと違いキザミ幅というものがあるために間際の入札は同値後着で早めに出した人に負けてしまう場合はよくあること。これは仕方のないことで,早め早めに処理した人の勝ちである。
 フロアでもメールでも私の感覚では異常な高値としか思えない値段になることがありついていけないと感じることがあるが,本人はきっとご満足なのであろうから何も言うまい。
 「狭い郵趣界そんなに急いで何を買う」

 54000アクセス。「たんぶるぽすと」着。コインについての高馬さんの記事が面白い。

2005年3月6日(日)
作品完成!

 本日もアクセスが多い。語ろう板での騒動,言っていることがずれていると思ったら,フロアに出たことがないらしい。今回のスタート値も掲載にあったてはフロア出席者のためにと断っていたはず。でも論理的に説明してくれる人が現れて収束した模様。
 さて私の結果であるが,スタート値の段階で22中14負け残るは8。水口速報で私の1つ上でフロアに落ちたのが判明。残る7のうちいくつ落ちるかといったところが関心。さてこれからメールをじっくり見るとしよう。
 フロアに出席した人からは今回のスタート値速報は歓迎されたようだ。慰めのメールもいただく。感謝。

 全日展出品作品,昨日プリントアウトした用紙に切手とカバーを貼付する作業。午後からやり始め夕方完了。ビールで祝杯をあげ画像のスキャン作業。JPGとpdfで残す。提出まであと1日ある。

 田辺さんの訃報。「フィラテリスト」のオークションの記録欄の仕事のため,大学生時代に郵趣出版に出入りしていた頃の隣の机が田辺さんだった。新宿南口の郵趣会館である。「ジュンエイ」の方がお坊さんみたいでかっこいいだろとジュンエイと言われていたのを思い出す。写真家時代の思い出を聞かせて頂いたのもその頃。
 日本切手名鑑の昭和切手では,私のコレクションがベースコレクションとして使われ田辺さんに預けに行った。コレクションと半年の別れであったが安心して預けたものだ。以来年賀状のやりとりだけのつきあいだったが,来ない年もあり今年来ないのも特に気にもとめていなかったのだが…。改めてお歳を見ると私の父の一歳上。父の七回忌があったのが二・三年前。ずいぶんなお歳だったのだと驚く。
 「現行切手いざ見参」では当時勤務していた出版社の書物を送った際つけた小包葉書を友人から送られたものとして紹介してあったし,「現行切手武芸帳」では5厘コイルも紹介していただいた。
 著書はほとんど読んだ。記事が正確でないという批判もあったが,エンタテイメントとして気楽に読める楽しみがあった。得難い作家だった。あの頃ジュニアと呼ばれていた我々世代の憧れの郵趣作家の一人が田辺さんだったのだ。

2005年3月5日(土)
リーフプリントアウト終了

 HPのアクセスがすごい。昨日52000と思っていたら本日53000突破。語ろう板でメールの途中開示が話題になっているが,今更という感じ。特に大騒ぎするほどでもなく,記憶があやふやだが今までも出ていたような気がする。自分の基準で入れればいいだけのこと。
 そもそも私はそんなものを見て入札などしない。いつもフロアが終わってから,一気にメールを書く。フロアに出たときは,書いてしまってから中間発表を見ることもあるが,負けているからと行って入れ直すことはほとんどない。どうも年を取ってあまり執着がなくなってきたらしい。またメールの出品物などそんなレベル。運がよければ手にはいるし,その逆もある。で,私はいつもメールの落札結果には大満足なのである。
 途中開示があるからといって再入札を拒む訳ではないので追加入札すればいいだけのこと。非常に親切である。
 ただし今まではフロア出席の百数十名のみが恩恵に浴してきたと言うだけ。(スタート値一覧は前日6時くらいに完成するので今まではその時間に事務所に行って下見している者の特典であった。そのために前日から高い飛行機代を払ってフロアに出るのである。具体的に言うと私の場合では,長崎・大阪往復2泊3日,パックを使っても5万円はかかる。)
 センター試験の志望校中間倍率発表や高校入試の志望校中間発表だって行われるご時世。情報開示が世の趨勢である。選定の材料が増えたと歓迎こそすれ,非難すべきものではないはず。逆に間際に入札して同値先着で他の人に行く場合だって多い。私も何度もあった。こればかりは早めに出す人の有利な点。前に出すか後から出すかご勝手にというものだろう。
 落札結果速報にしても,たとえば15万で落ちたものが16万で買えるかというとそうではない。あくまで2番札の一つ上の値段で1番札を持つ人の元に落ちたわけで,1番札を持つ落札者に勝つためには1番札を持つ落札者の考えている金額以上入れなければ決して落ちないのだ。1番札は神とオークショニアのみ知るところ。


 私の結論。オークションは自分の納得できる金額で入れるのが長く楽しむ秘訣ということ。あいつさえいなければもっと安く落ちたのにと思うより買えた自分を祝福したいものだ。他人と競っているようで結局は自分との戦いなのである。

 語ろう板で「懇意にしている者のHP」上での発表で公平さが保たれない旨の匿名の書き込みがあったが,一体私が公平を損なうようなことをしているのだろうか。懇意にしている者というような表現であたかもオークションで有利な扱いを受けているかのごとき印象を受けるが,他の人とオークション上では全く同じ扱い。支払いを猶予してもらうときにかかる金利負担もしっかりかかってくる。大阪に行ったとき二十数年来の友人として食事をすることはあるが,オークションに関して有利な情報を得たというのはないし,あったとしたら信頼を損なうだけだ。
 館長のHP上での水口さんの結果速報と今回の「勝手にJAPAN」「突然!スタート値」の企画はJAPANオークションを補完するものであり,公平にオークションが行われるための一つの材料に過ぎない。

 
 今日1日で全日展作品のリーフのプリントアウトが終了。一気にやったので就寝28時。明日貼付した後,何度も見直して完成。引き続き同じテンションでシドニー展の昭和の作品に取りかかりたい。

2005年3月4日(金)
突然!スタート値

 午前中パソコンの納入業者との打ち合わせ。県費でノートパソコン25台が入ることになったのだ。実習助手と2人で応対。教員には機種選定や業者選定の権限はなく,事務室が入札の結果選定した機種をセットアップするだけである。校務分掌としては情報図書部の業務ということになる。月曜日放課後納入,火曜日設定のスケジュール。パソコン準備室で作業することを確認。LANの設定とウィルスバスターのインストールである。1台1台やっていくのでかなりの手間。午後の空き時間に昨日買ってきた放送部の複合機のセットアップ。放課後校内の委員会の会議のあと放送設備の点検。で急いで帰る。

 帰るなり,18時10分から約束の「突然!スタート値」のメール受信。えらく時間がかかると思っていたら,かたまっていた。なんと17.2Mのビッグサイズ。よくもまあメールで受信できたものだ。なんとかダウンロードできるのを確認して食事。
 東京の方から重くてダウンロードできないというメールがあったので分割したものを置く。私の利用しているレンタルサーバーが50Mなので置けるか心配だったのであるが無事完了。今日だけで35Mアップしたことになる。(後で調べたらレンタルサーバーの私の入っているコースの容量が今までの50Mから100Mに自動的に増量になっていたようだ。)
 本日朝3時に52000アクセスを記録したのだが,それ以前をあわせると今日1日だけで800〜900アクセスあった計算。

 それにしてもその日のうちに入札の経過がわかるというのは便利である。私の入札も一声上でスタートが多数。でも風前の灯火で残っているものや余裕で残っているものもある。メール1番札なのである。相手は明日からのフロア。しかし人数である程度読める。1人の場合はおそらく場では競らないだろうと思われる。これはフロアで競った経験から言えること。
 今回は全日展に間に合わないとはわかっていてもつい小判に入札してしまった。数千のロットの中にはけっこうな拾いものがあるはず。カラー版の中にだってあるのだ。万人が欲しがるものはパスしてそんなものをさがす楽しみもある。
 切手蒐集は義務ではない。人から言われて買わ「なければ」ならないものは何一つない。結果を見て自分で決めるべきだ。人生の選択と同じ。自分の判断で高いと思われるものは買わないというのも見識であると考える。狭い範囲の迷宮に迷い込んで行き詰まってはいないか。オークションで負けてばかりでもいいじゃないか,人間だもの。これは自分への慰め。

 ヤフオクで落札した切手到着。早速貼り込む。また別の額面はリーフを作り替える。行徳さんの本,第3巻も到着。

2005年3月3日(木)
新小判13目打ブロック

  午前中,長崎県高等学校教育研究会メディア研究部会(旧視聴覚部会)の監査でお隣の島原商業高校へ。8年前まで在籍した学校なので懐かしい。各帳簿類との照合を済ませ,もう一人の監査である農業高校の先生,事務局の先生方と雑談をして昼前に帰校。雑談の中で,商業高校の先生方や農高の先生から卒業式のプロジェクターの話が出て,直接卒業式に出なかった人の間でも話題になっているようだ。帰っていると元同僚の教務主任のY先生が出てきて卒業式のプロジェクターの話題。娘の式に出れなかったのでビデオを欲しいとのこと。いずれDVDにする予定なのでそのときにと約束する。
 放課後職員会議。17時過ぎまでずれ込む。放送部の予算の残りが確定したので,生徒の間で要望が強かったプリンター複合機とビデオ編集の際の増設HDを買いにベスト電器へ。生徒の代表2名を連れて実際に店頭で比較検討させて選定。プリンター等の設定は明日以降。19時過ぎ帰宅。


 小判作品U小3種と新小10銭まで作業を進める。新小判10銭は13目打の12枚ブロックを入れたら迫力のあるページになった。15・20・25・50・1Y(2)・5R・3の8リーフで単片ページは完了。その後は13ページ分のカバーとタイトルページが残るのみ。
 新小判は,レイアウトが単調になりがちなのでブロック,特に13目打のブロックはリーフ上のアクセントになる。田畑調査によると額面によっては使用済の田型以上が極端に少なく,6枚ブロックが最大という額面もあるそうだ。実はその額面もある。意識して20年間集めてきたのだ。


 今回の出品で19年来の懸念だった小判のリーフ作成が完了予定。このリーフレイアウトはパソコンのデータとして残っているのでいつでも変更可能になった。19年前は印刷会社で写真植字をしたものをレトラコピーに転写して1文字1文切り貼りして仕上げたので,今から考えると膨大な時間と労力と金額を使って作品を仕上げたことになる。 

2005年3月2日(水)
45銭無地紙

 昨日の卒業式については島原新聞でも非常に好意的に書いていただいた。厳粛な中にも心温まる卒業式であった。しかし,今日から気分一新で後期試験に向けて新たな日々が始まる。1校時学年集会では,各担任と学年主任進路指導主任からの激励の言葉。特に「この時期の試験勉強はプライドを持って」という言葉が印象に残った。150人から200人ぐらいが制服を着て集まった。卒業式後であるから任意ではあるが,国公立出願者ほぼ全員がそろったことになる。これから後期試験に向けての学習が始まる。

 「SEVEN」到着。また長田氏の紙の情報誌着信。1周年になるそうだ。投稿しなければと思いつつ,そのままになっている。45銭を整理して無地紙の未使用に印刷のバラエティらしきものをみつけたので報告しようと思う。このことにより無地紙の未使用を2枚貼ることができた。

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2005年3月1日(火)
卒業式

 朝会のあと式場整備。9時過ぎから保護者が入り始める。9時50分卒業生入場。10時開式。卒業証書は校長から一人ひとり手渡しである。式辞・送辞・答辞ともによい。仰げば尊し・校歌斉唱と盛り上がって終了。卒業生退場・在校生退場のあと保護者会。教室に席を移動して最後のSHR。生徒に一人一言の後,私も副担任として言葉を述べる。担任の言葉の後卒業生から花束と記念品と色紙を贈呈された。なんと副担任である私にまで。

 食事の後夕方まで職員室には卒業生がひっきりなしに訪れた。途中放送部に呼ばれて行くと三十名近くが卒業生と別れを惜しむ場面。18時近くにようやく生徒の姿も見えなくなった。

 19時から場所を「海望荘」に移して卒業慰労会。幹事長H口先生と2次会。自分なりに生徒たちの前途に思いを馳せた。25時過ぎ帰宅。

  2005年3月


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