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2005年2月28日(月)
同窓会誌

 明日の卒業式に備え,1・2年生は2時間の授業の後,午前中設営。午後から予行。記念品贈呈式・同窓会入会式。午前中はプロジェクターの準備。2台使って卒業証書授与のとき校長の背後から生徒の顔を映そうという趣向。昨年保護者から好評であったので再びすることになった。午後の予行でもうまくいった。式での私の係は記録。ビデオでの記録である。今年は放送部は部員が多いので役割分担がゆったりできる。
 さて,今日は印刷物の配布が多い。生徒会誌「楓」,島高新聞,PTAだより,図書館報,それに「同窓会誌」。明日ぐらいには,www.shimakoh.jpの新着情報から表紙だけは見ることができるだろう。「同窓会誌」は私も編集委員なので出来上がりは格別だ。早速職員室に運び配布してまわった。そのときのせいではないのだろうが,予行のとき腰痛が。帰りに伊藤整骨院に寄って帰宅したら20時前だった。
 明日は卒業式。長い1日になりそうだ。 

 
 「郵趣」到着。大橋さんの旧小判45銭の記事,昨日リーフを作ったばかりで興味深く読んだ。「郵趣ウィークリー」が最近来てないと思っていたら,昨年4月から会費切れとのこと。誌代2年分送金したらどさっと約1年分到着。暇なとき読むとしよう。ここ二十数年購読し続けていたので止めるわけにいかない。

2005年2月27日(日)
温泉

 7時前に起床して,温泉へ。岩永旅館の温泉は初めて。いわゆる「島原温泉」である。湯上がりに朝食。8時過ぎに解散。諫早方面に帰る先生の車で送ってもらう。早速リーフ作り。今日までで単片のページ20リーフほど作成。カバーのページ12リーフは一気に作る予定。ということは単片のページが16リーフぐらい。1フレーム分である。タイムリミットまであと1週間くらい。なんとか見通しが立ってきた。

 午前0時過ぎくらいに51000アクセス達成。今日だけで180アクセス増えていたようだ。

2005年2月26日(土)
富花会

 引き続き小判切手の作品制作。4リーフ完了したところで,お出かけの時間。昨年もこの時期あったもので,前任校の上陸者による会である。昨年は諫早で開催されたが,今年度は島原でやろうということになり,私とY先生が幹事担当である。といってもほとんどY先生にやってもらったようなもの。私は2次会担当である。前任校の名と当時の校長の名から「富花会」。会場は豪華な料理で有名な「岩永旅館」。2次会は「花」。24時には旅館に帰り就寝。岩永旅館は昭和の趣を今に伝える由緒ある旅館である。

2005年2月25日(金)
5厘のリーフ

 国公立大学個別学力検査前期試験である。センター試験の得点を踏まえての試験であるから,出来不出来はかなり大きく影響する。全力を尽くして頑張ってもらいたいと思う。
 私は,年休をとり,以前頼まれていてなかなか取りかかれなかったバレーの試合のビデオ編集。編集に取りかかるまでが時間がかかる。

 並行して,全日展作品の制作に取りかかる。レイアウト・枠の大きさ・枠線の太さ・字体・文字の大きさ等々試行錯誤で最初の1リーフを作る。5厘のあとすぐに1銭黒を完成。最初のリーフのスタイルが決まれば,あとは早いものだ。

 「スタンプコレクター」「九州郵趣」到着。

 明日は夕方から1泊で懐かしい人たちとの旧交を温める会である。

2005年2月24日(木)
もうすぐ卒業式

 満開の紅梅を見つつ,庭を横切り新聞受けへ。白梅の開花が遅いようだ。いつもどおり出勤するが,生徒の大部分は前期試験へ出かけて行っているのでほとんど3年生の姿を見かけない。昼過ぎに二人卒業の挨拶に来る。来週早々卒業式なのだ。放送機材の点検をする。月曜が設営である。18時前に帰宅。
 明日は年休を取った。懸念になっているバレーの試合のビデオ編集&DVD制作のためである。


 島原新聞用の第7回原稿を仕上げる。書いて1日以上おいて見直し訂正するのがよい。一気に書くと思い違いもあることが多々。
 ある程度小判の作品の構想がまとまる。

2005年2月23日(水)
勝手にJAPAN

 職員室内にある「国立大学個別学力検査前期試験まであと2日」の掲示板。もう明後日に迫った。特別編成授業も今日まで。小論文の添削を熱心に続けてきたI君は1校時,昨日の答案を受け取りに挨拶に来てすぐ出発するとのこと。
 午後進路決定者の課題研究発表会。7校時前期試験受験者の集会。明日出発の生徒である。今年から教員の引率はなくなり個別に行くことになった。旅行代理店が毎週来て200名近くのチケットを手配していた。放課後,紀要の編集を少々。18時30分帰宅。


 「勝手にJAPAN」反響がすごい。1日で400アクセスぐらいあった。自分であったらいいなというものを実行したまでである。購読者に不利にならないように白黒ページの写真版は載せていない。PDFの一番の特徴である検索機能でモノを探してほしい。自己利用にとどまらず公開したのは検索の便利さを知ってもらいたかったからである。また使用に際しては,知的財産権である著作権の保護は大事であるので,ダウンロードもできるようにしてあり印刷もできるが,個人での使用にとどまってほしい。厳密に言うと,図版の著作権はJAPANスタンプ商会に,PDF制作の著作権は私にあるのだから。

 「昭和切手蒐集」CD-ROMの際も著作権には気を使った。全て自分が書いた記事とはいえ出版元に掲載の承諾を得たのである。

2005年2月22日(火)
いのちぼうにふろう物語

 朝,紅梅の満開と白梅の七分咲を見ながら庭を横切り,門外まで新聞を取りに行く。8時過ぎに自宅を出て,西諫早病院に着いたのが9時20分。9時40分から諸検査。MRI自体は20分程度で終了した。ものすごく大きな音で驚かされた。11時前に終了。共済の事業の一つ「脳ドック」である。設定年齢に申し込みができる。希望者が多くて抽選で当選したそうだ。個人負担は2万6250円。半額程度が共済の補助になるそうだ。昨日の21時以降絶飲食だったので,まず食事。諫早公園通りにある「ガスト」で12過ぎまで。学校到着13時20分。予定より早く着けた。5校時の学年集会先へ駆けつける。

 夕方18時前に島原文化会館,市民劇場の例会。仲代達矢/無名塾「いのちぼうにふろう物語」である。

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“悪の吹き溜まり、うっかり入ると
ニ度と出られない”と
恐れられている無法地帯
そこにたむろする無類の若者たち 
  荒んだ彼らの心の底に
  突如燃え上がる熱い炎・・・・・

原作:山本周五郎「深川安楽亭」より 劇作:隆 巴  演出:林 清人  
  公演の詳細          
   山本周五郎の心に染みる物語を宮崎恭子(隆巴)は無名塾に遺した
若者たちと見ごたえのある舞台を創りあげたいと思っている(仲代達矢HPより引用)
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三十名近くの役者さんと,くるくる回転する舞台,おおがかりな舞台装置に観客は魅了されたようだ。
21時45分帰宅。50000アクセス達成。 

 島原新聞の連載「郵便・切手に見る雲仙史」第6回分掲載。
 
 トップページに「勝手にJAPAN」コーナー追加。JAPAN STAMPのオークション誌は発行部数1900部だから,日本切手に関心を持つほとんどの人は購読しているはずだが,PDFテキストだと検索できる。お目当ての分野・切手を探すのに便利なはずである。著作権処理済。
容量が大きいのでブロードバンドでないと厳しいかもしれない。

2005年2月21日(月)
切手と戦争

 寒の戻りか,また寒くなってきたようだ。昨日降った雪で雲仙の山頂は雪景色。今週末,国立大学の個別学力検査が始まる。職員室のカウントダウンの掲示板はあと4日を表示している。授業は明後日までだが,遠隔地に受験に行く生徒は明日ぐらいから出発するらしい。
 夜学の当番で21時まで残る日。この夜学もとうとう明日まで。今年の受験もいよいよ山場である。受験生は実力を出し切ってほしいと切に願う。
 放課後難関校添削の生徒複数に説明・指導。小論文の生徒もどんどん書いて持ってくるので,添削に追われる。
 21時40分帰宅。明日は定期健康診断の脳ドックである。


 「JPSオークション」到着。SEVEN落札物到着。昨日北九州で購入してきた書籍のうち内藤陽介著「切手と戦争」(新潮新書)を読む。大手出版社の新潮社の本であるが,固くない内容の本で一気に読めた。読み物として,こんな気楽に読める切手の本がもっと出ればよいのにと思う。
 郵趣掲示板に昨日の会場の画像をアップした。

2005年2月20日(日)
北九州切手のつどい’05

 会場の北九州中央郵便局まで妹に車で送ってもらう。9時に妹宅を出ると雪が舞う天候。積もらないことを願いつつ,黒崎インターから小倉インターまで都市高速。すぐに北九州中央郵便局到着。田畑氏に「今日はずいぶん早かったですね」と言われる。開始前に到着し53番の受け付けだったのだ。
 開始後,永冨功氏の「消印収集のすすめ−丸一型日付印の集め方・楽しみ型」という演題で講演。講演のレジュメも特製のもので労作。九州地区の講演ということで,九州の国別のトピックスは,たいへん参考になった。私の収集している「肥前」でも,初めての知見があり,これを聞くことができただけでも来た甲斐があったというもの。
 その後の抽選会では,何も当たらず残念賞の使用済み切手のみ。宝くじが当たらないわけだ。昼食を田畑・姫野・永冨さんたちと局の食堂で。午後テーブルバザーを見て回る。結構なものを入手できた。「温泉」の丸一印。8割かかっているもの。今まで持っていたものよりかかりがいい。これを入手出来ただけでも来た甲斐があった。その他いろんな切手がざくざく入り,会終了後も盟友田畑氏から博多の会で話をしていた即戦力になる重品を分けていただき,小判の出品作品がだいぶ充実した。支払いも猶予していただく。いつもながら感謝する次第。
 小倉駅前のミスドとロッテリアの複合店で話をする。田畑・永冨・姫野・谷之口の各氏。途中姫野・谷之口氏が帰られ3人で打ち合わせ。終了後18時56分荒尾行き快速で折尾まで。19時19分着。母が迎えに来ていた。北九州に来た目的は,妹宅に滞在していた母を連れて帰るというのもある。妹は旦那を福岡空港(仙台へ直接出張らしい),長女を博多駅(神戸までだが小倉と博多は料金が同じらしい)に送りに行って不在らしい。妹宅も一挙に人数が減ったことになる。

 さて,運転を代わりそのまま都市高速を経て九州自動車道路へ。鳥栖を20時25分通過。35分頃金立サービスエリア着。ラーメンを食べていると,背中をつつかれる。振り返ると,なんと弟。家族5人で宮崎のソフトバンクのキャンプを見に行った帰りだという。駐車場も隣。子ども3人のうち起きていた長男のみおばあちゃんに会うことができたことになる。たった20分しか滞在しなかったのに偶然会うとは驚き。行動パターンが同じということか,人が多く集まるところか。

これやこのゆくも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関。

 22時30分頃帰宅。
来週は,いよいよ小判の作品を作らねば。

2005年2月19日(土)
テーブルバザー

 4校時の授業を済ませて,帰宅。途中で食事をしていく。13時30分着。北九州へ行くのに全く準備をしていない。ファイル類をひっくり返してモノを出す。17時に有明タクシーを呼んで17時7分の島鉄湯江発のディーゼル車に乗る。到着18時6分。諫早で40分近く時間待ち。諫早駅構内のミスドで軽食。18時48分発のかもめ38号で博多へ。到着が20時21分。特急きらめき2号20時25分になんとか間に合う。20時59分着。妹が迎えに来ていた。着くなりパソコンの設定をさせられる。大阪に単身赴任中の旦那さんと神戸の女子大に行っている長女も帰っていたので,6人揃ったことになる。

 明日は「北九州切手のつどい’05」である。テーブルバザーも出す予定。

2005年2月18日(金)
国立公園切手

 昨夜CD-ROMの盤面印刷まで済ませて,午前中最後の手直し。オートラン機能もつけて午前中に完成。CD-Rに焼いて検証。事務局員のパソコンで検証してもらうと,エラーでオートラン機能が働かない。ファイルを間違えていたことに気づき,もう1枚ずつCD-Rに焼く。結局20枚ほど作成し終えたのが,理事・役員会開始直前。14時30分開始で16時前に終了。監査は3月17日に行うことになった。一つ一つ仕事が片づいていく。小論文と難関校添削。18時30分帰宅。

 島原新聞「郵便・切手に見る雲仙史」第5回掲載。国立公園切手について。第6回原稿を送る。某目録をpdfファイルにする。テキストデータには日本語が埋め込めるので,検索できて便利。画像も重たい冊子を持ち運ぶ必要もない。

2005年2月17日(木)
創刊号

 梅といえば自宅の庭の紅梅と白梅,まだ三分咲きといったところ。ちょうど門から北風が入ってくる位置にあるので咲くのが遅いのかもしれない。今日も空き時間はCD-ROM作成。ホームページビルダーを使ってHTML文書の作成。写真を同じ大きさにリサイズして,会次第に沿って時系列に並べる。デジカメで撮ったものは簡単だが,紙焼きのフィルムからフォトCDにしたものは時間の前後が不明。一枚一枚確認していくことになる。なんとか写真の方は今日1日で終わった。午後卒業生2人が訪ねてくる。大学生は後期の試験も終わり,もう春休みなのだ。18時30分帰宅。腰痛で伊藤整骨院に行く。20時前帰宅。27時近くまで国語部会CD-ROM作成。明日の理事会・役員会に間に合いそう。49000アクセス。

 九州郵趣連盟事務局の姫野さんから,九州郵趣の創刊号と2号が手に入ったとのことで,2冊分のカラーコピーが送ってきた。「九州郵趣」も既刊分は,そろそろCD-ROM化すべき時期に来ているのかもしれないなどと考える。

2005年2月16日(水)
レイアウトスタイル

 また雨。でも暖かくなっているのがわかる。朝起きたときは室内より外が暖かかったのだ。おかげで,登校してみると,校舎内の廊下は結露でたいへんだった。空き時間に「国語研究」付録のCD-ROMの編集。国語の県大会のデジカメ写真・研究資料のPDF・講演のビデオ等を収録する予定。大会の様子を伝え,後々役立つ資料にするためである。完成度より,とりあえず今年は作ってみるつもり。空き時間は,そのほかに小論文と難関校添削。夜学の当番。20時50分から生徒を迎えに来る保護者の車のため駐車場整理。本館校舎前の白梅が満開なのに気づく。21時20分に全て終え,帰宅は21時40分。

 そろそろ作品の構想を立てる頃。手順を踏んでやらねばいけない。作業自体は1日1フレームで3日で完成できるのだから。伝統郵趣の作品はテキストの量も少なくてすむので,郵便史に比べれば楽観している。大事なのは,文字の字体・大きさ,レイアウトスタイル,それに全体の構成だ。

2005年2月15日(火)
九州郵趣

 火曜日は午前中空き時間である。私が編集することになっている勤務先の紀要。原稿がひととおり揃ったようなのでLANでつながれた共有フォルダ上のデータを全て印刷して,構成・割付を考える。2年に一度の発行で,A4判になってから今度で5度目の発行になる。前回発行の分は,原稿の割付もなく単に綴じただけの体裁。過去4回の分を調べるとA4判になった平成8年度の分が書籍としての体裁も整っていて,このスタイルに復帰することにした。事務に聞くと入札で決定した印刷会社が別件で午後来るという。午後一番に印刷所の人と打ち合わせ。昨年度「島高新聞」でお世話になった方であった。データは260メガなのでMOで渡す。紀要の編集は今日1日で完結できた。2月中に1度校正となる。
 6・7校時授業。1・2年生の期末考査時間割発表。放送部の活動もアナウンス・朗読班の人の20分程度の発声練習のみになる。
 帰宅途中スーパーに立ち寄ったら,駐車したところが宝くじ売り場の前。今日の「オークションを語ろう板」で鯛さんに書かれたことが頭をよぎり,吸い込まれるように売り場へ。宝くじも買わなければ当たらないのである。宝くじを買う習慣はないのだが鯛さんのお告げだから当たるかもしれない。3年前に帰郷後初めて地元で買う宝くじである。18時過ぎ帰宅。また雨。テニスクラブの練習ができない。


 「九州郵趣」の原稿,3連休中に仕上げて昨日インターネットディスク上に置いたものを事務局がダウンロードしたとの連絡。ワープロソフト「一太郎」をバージョンアップするたびに増えた容量が130メガ。今回のデータ8メガなのでメールで送るのでは重い。セキュリティソフトでカットされる容量。そんなときのデータのやりとりにインターネットディスクは便利である。
 「九州郵趣」の原稿は雲仙の明治から順に,「島原新聞」は,昭和の国立公園制定前後から書き進め明治へ戻る構成,もうすぐクロスするはず。「島原新聞」の方が一般向けに書いたつもりである。
 
SEVENの落札速報,旧能面70円単貼書籍小包が最低値1000円に対し55000円。小包便の高騰が著しい。私も数年前から小包は集めており,戦争前後が難しいと思っていたのだが,意外と制度制定直後の書籍小包もないのかも知れぬ。

2005年2月14日(月)
ジャパンスタンプオークション

 3日ぶりに勤務先に行く。道路が新しく舗装され直してあるのに驚く。先週まで道路工事で渋滞していたところである。これから年度末に向け道路の工事が続くのであろうか。
 午前中2時間,午後2時間の授業,合間を縫って難関校と小論文の添削。放課後放送部に行くと,生徒たちでコンテストの反省中。私もコメントを述べる。各自3ヶ月後のコンテストに活かして欲しいものだ。バレンタインデーと言うことで放送部の生徒からいくつかもらう。心優しい生徒たちである。18時に歯科定期検診で深江町の上田歯科へ。20時前に帰宅。

 とうとう到着「ジャパンスタンプオークション」,帰宅後着替える間もなくパラパラとめくる。安堵,悩ますものはない。小判の作品に間に合えば入れたいものはあるが,タイムリミットが3月8日。6日終了してモノを場で受け取り,リーフに貼るばかりにしていれば間に合わせることができる計算だが,そこまでするような私の作品でもない。「スタンプマガジン」Wイノウエの記事を真っ先に読む。「スタンプシバタ」到着。

2005年2月13日(日)
国立公園切手
 実は昨日風邪気味にもかかわらず,無理してテニスクラブに行ったものだから,体調すぐれず。特に頭痛はないので鼻炎か。自宅で静養。どうも1日おきにONとOFFを繰り返しているような3連休であった。

 島原新聞の連載原稿5号を送信し,6号の原稿を完成。常に1号分ストックしている状態。いよいよ切手の話題に入る。国立公園切手の登場である。
2005年2月12日(土)
郵趣研究

 「第3回中地区放送コンテストならびに校内放送研修会」の当日である。諫早の高城会館で,9時50分から顧問会議,そのまま審査員打ち合わせとなる。今回から中学生の部は中地区に限らず長崎県内から参加可となった。私の審査は高校生の予選。中学生の審査の後,高校生の予選の審査。2時間で90番までをどんどん採点していく。途中40番までで10分間の休憩。5名の欠席のため85名を予選で審査したことになる。13時から決勝。決勝に島高出場10名中5名が残った。決勝は高校20名でその中に5名だから優秀。参加校は16校である。結果は第2位に1名で優秀賞,これは3位まで。10位まで1名で優良賞。秋の大会入賞者の2名欠席は痛い。16時30分過ぎに諫早を後にし,帰宅は17時30分過ぎ。20時にテニスクラブに行くことができた。雨や雪や新年会等・出張で参加できなかったので,本年最初のテニスである。参加者も10名と少なく,休む間もなくボールを打ち続けた2時間であった。例年冬場は参加者が少なくなる傾向とのこと。宴会にだけ出る人もいるらしい。22時15分帰宅後の入浴,ビールが旨い。48000アクセス。

 「郵趣研究」到着。丹下氏の展覧会の記事,池田氏の国際展の記事を興味深く読む。香港展では日本からの出品物は総じて高い評価を受けたとのこと。「総じて」とはそうでない作品もあったということであろう。

2005年2月11日(金)
5+5

 昨日の疲れか体調不良。1日外出せず自宅で過ごす。

2005年2月10日(木)
40銭横すかし

 曇天から天気が持ち直し,晴れに。今日も午後から国語部会の地区主任会に事務局長の立場で出席するため出かける。3校時終了後,持っていくものを確認して出発。今日の予定は14時30分までに佐世保。長崎自動車道に諫早から乗り,東そのぎインターで降りる。昨日オイル交換したのでエンジンの調子がすこぶる調子がいい。EXAは高速道を走るための車だと再認識。高速走行で車が空気の固まりを切り裂いて走っていく感じを久しぶりに味わった。14時過ぎに会場校の佐世保東翔高校到着。14時30分に会が始まる。佐世保地区主任会での大きな議題は九州国語研究会の出版物の執筆分担の担当地区。次年度の理事校代表理事校はすんなり決定。佐世保地区の発表者は担当ローテーショングループの各校に持ち帰って協議してもらうことになったようだ。今年度佐世保地区の代表理事校でお世話になったので校長先生にご挨拶をしようとしたがあいにく会議中とのこと。
 帰りは再び東そのぎインターから高速道に。途中木場パーキングエリアで20分ほど仮眠。長崎パイパスを経由して市内へ。昨日から長崎はランタンフェスティバルのためバイパスを抜けたところにある「西洋館」の駐車場に停めて電車で出かける。市内の知人といっしょにランタンフェスティバルを見に行くのである。
 みなと公園会場はびっしりの人たち。中華街で食事をして,中華街を抜け,浜の町アーケードへ。市内至る所にランタンの展示。途中の鐵橋にも大きなランタンが展示してあった。そこを通り,もう一つの会場である中央公園へ。みなと公園と比べれば,意外に人が少なく木製の長椅子にも腰掛けられ,丁度始まったばかりの胡弓の演奏を30分ほど聴くことができた。屋外は寒かったがカフェラテを飲みながら心は温かい気分。

 知人は長崎市内の地理に詳しいので帰りは,鐵橋からバスで「西洋館」のある浜口町まで。市内でバスに乗ったのは多分初めての経験。「西洋館」内のサンデーサンで話をして別れる。市内に5時間ほど滞在したようだ。24時過ぎ帰宅。

 2次昭和40銭の横すかしデータ判読のもののダイレクトメール到着。モノは絶品。でも上耳付未使用入手済のため,私としては迷うところ。

2005年2月9日(水)
白眼

 今日も雨。午後から国語部会の地区主任会出席のため出かける。3校時終了後出発すると丁度よいと思って時間を確認すると,今日は15時30分,長崎北陽台高校で。
 資料整理をして12時過ぎに出発。最近オイルランプが点いたのでガソリンスタンドで給油のついでに見てもらうと,ガソリンオイルがほとんど入ってない状態だった。その他にも見てもらい,オイルエレメント交換等もしてもらい13時前に出発。途中食事をして,着いたのは15時過ぎ。長崎自動車道路から長崎バイパス経由川平有料道路を使用。
 長崎地区主任会は大きな議題が二つ。17年度県大会の会場校決定と,九州大会の発表者の決定である。先人が作り上げたローテーションが決まっており,それに沿って協議していくことになる。16年度の県大会の反省では特に意見はなく,17年度大会の議題は各学校に持ち帰って協議していただくことになった。17時前に会は終了し,校長室に挨拶に行く。花岡校長が在室されており,近況報告をする。昨年も実施した富江高校時代の集まりの会を2月26日実施するそうで場所は島原。幹事として手配に動かねばならない。17時過ぎに長崎北陽台高校を後にする。校長自ら玄関まで見送りしていただいた。
 その後,近くにある弟宅へ。病院内の宿舎で使っているノートパソコンがインターネットに接続できなくなったためにいままで使用していたのを長男用にしたのだが,そのノートパソコンのモニターの画面が暗い状態というので,明るさの調整を説明しにいかないといけないと思っていたので丁度よい機会,
と訪問するが,原因はACアダプターを使用してなかったためと判明。ここの自宅用の新しく買ったデスクトップを見てくる。宿舎で使用のノートパソコンも新調したとのこと。コーヒーをいただき外に出ると,もう日が暗い。帰宅は20時頃。


 ヤフオクの2次昭和15銭「白目」変種。結構な値段になった。自分でも納得の価格で入れていたので別に後悔はない。今回初物だけに,高くなった値段を受けての次の出物に期待したい。凹版特有の,インクが十分乗らないでベタ刷りの部分が白く抜けてしまったものと推定される。顔の中でも「目は口ほどに物を言う」部分。確かに異様な印象を与える変種である。「白眼視」という言葉もある。

2005年2月8日(火)
後期13

 昨夜早めに就寝したので今朝,自然と早起きした。いまにも雨が降りそうな曇天。空き時間が集中しているので,昨日見れなかった難関校添削や,小論文添削を済ませる。授業の資料もあわせて作成。国語部会誌の編集で撮影した写真をスキャナーで取り込む作業が進まなかったが,フォトCDサービスがあると聞き,早速近くのキタムラへ。2時間ほどでできるという。
 放課後は同窓会誌の校正作業を同窓会館で行っているとのことで,まずそちらに行き自分の担当分を校正。
 その後放送部に行く。今度の大会に出場する生徒の読みの指導。順番に聞く。1年生でずいぶんうまくなった人もおり,楽しみである。
 18時30分に学校を出てフォトCDを受け取りに行き,19時からの新年会。例年始業式に行うのだが,今年は暦の関係で始業式が遅く,センター試験前の進路指導の激励会と近かったため,延期になっていたもの。歳祝いの会である。当地では,男性の41の厄払い(初老の祝い)とともに女性の33の厄払いを新年行う会があり職場でもやっていただくのである。私も8年前やっていただいた。
 場所は豪華な食事で有名な「岩永旅館」。めかぶ,茶碗蒸し,伊勢海老・鮑等の刺身,島原のがんば(ふぐ)料理に始まり,オードブルは七面鳥丸焼きとハム・ソーセージ類。カニ,牛肉と鴨のしゃぶしゃぶ,牛肉は1人に1皿である。牛肉のステーキ,サザエ・ホタテ・マテ貝・ハマグリの貝類の酒蒸し,順番に仲居さんがその場で調理してくださるので食べるだけ。途中で活き車エビの飛び跳ねるのを生で。これは私は遠慮する。最後,イクラ丼・寿司は食べきれず。祝いの場であるから赤飯のみいただく。
 その後喫茶店「ケルン」でY先生と歓談の後,さくら代行を読んで帰宅。22時30分。火曜日せっかく雨が降らない日なのにまたテニスに行けず。

 
 
大橋館長さんの日記を見ると新小判20銭の後期13を入手されたとのこと。確かに少ないものである。一時期1円の後期13が少ないといわれた時期があったが,その後何点か出現して,ひところのようではなくなった。1円と20銭どちらが難しいのだろうか。はるか以前雑誌に掲載されたA先生のリーフでは25銭が抜けていたので最難関と思い込み,執念で入手した記憶がある。

2005年2月7日(月)
小判切手

 通勤時は雨。4時間授業が入ると空き時間に余裕がない。結局,難関校添削・小論文添削,出されたもの全て処理できなかった。放課後会議。その後放送部に行く。今度の土曜日12日はコンテストなのだ。水・木の午後は出張なので放課後放送部の読みの指導ができない。明日の放課後だけの指導ということになる。18時過ぎ帰宅。

 「たんぶるぽすと」着。石川コレクションの話興味深く読む。「紙の情報誌」到着。いつもなにかしらの新発見があるのは人徳故であろう。そろそろ小判切手の作品作りにとりかからねばと気持ちを引き締める。本日付島原新聞に連載4回目掲載。

2005年2月6日(日)
シーサイドライナー

 8時51分にチェックアウトして隣のビルに行く。移動時間が短いとゆっくりできる。9時開始。
 午前中の講座1本目,審査の実際ということで実際に審査をしてみる演習。アナウンスと朗読についてそれぞれ行う。いずれも耳に心地よい読みだが,どこで差をつけるか,どの部分に注目するか勉強になった。参加者のほとんどはNHK杯の県予選の審査をし,全国大会の審査員も多数おられる。要するに審査員の講習会みたいなもの。
 次に,テレビ番組・ラジオ番組の作品制作の構成段階の演習。9班に分かれ1時間ぐらいで構成までもっていくというもの。テーマは「今どきの高校生」。網羅的になるより焦点を絞ったものがわかりやすいようだ。いずれの班も映像が浮かんできそうな内容。何度も全国1位を取った高校で指導されておられる先生の班のものが印象に残った。実際作ってみようという話にもなった。撮影や編集の講座は多いが,このような発想を鍛える講座は初めて。ポストイットの付箋紙を使用してあれこれ並べ替えて構成していくポストイット構成法である。この2本の内容の濃い午前中の研修であった。
 午後は,鹿児島での九州大会の報告,佐賀の小学生・中学生・高校生参加の放送コンテスト「アバンセ杯」の報告。最後に今年度のNHK杯全国大会の審査で問題になったことを,審査員として参加された天野先生から報告があった。予定通り14時30分終了。
 40分には会場を出て,長崎駅から15時10分発のシーサイドライナーに乗る。その名のとおり,大村湾沿いに走っていくJRの快速電車である。天気もよく海岸の景色も眺望できた。諫早で16時15分発の島原鉄道に乗り換え,17時20分には帰宅。ノイズキャンセリングヘッドホンは列車の移動には欠かせない。47000アクセス。最近アクセス数多いような気がする。


 2日分の郵便物,といっても日曜は配達がないので昨日到着と思われるが,到着していた。「タカハシスタンプオークション」,いくつか入札しようと思うものあり。

2005年2月5日(土)
放送部顧問研修会

 昨夜遅く帰宅し,再び長崎へ。10時前に会場である県の農協会館に入る。出島電停の前。トレディアホテル出島の横。10時30分開始。約100名の参加者のうち半数が県内,残りは九州内とそれ以外が半々といったところ。県外の参加者は放送コンテスト常連校と過去の参加者からの口コミでの参加。宮城・千葉・石川・大阪・広島・島根・高知等熱心な県の放送部事務局幹部が参加しているようだ。12年前この会を企画された天野紘先生の人徳により全国から集まったようなものである。長崎県放送専門部はオープンな会なので年々県外からの参加者も増えている。県内にもオープンであり,初めて顧問になった人でも顧問研修会を通じてある一定レベルの指導はできるようになるのである。県外の先生方から「長崎県集団指導体制」などとしばしば言われる。手の内を公開することによってレベルのボトムアップを図るというのはどんな組織にも必要なことではなかろうか。自分さえよければという発想で狭い殻に閉じこもっていてはジリ貧になっていくばかり。
 18時から交流会。県外の先生ほとんどと県内の先生半数ほど参加。ちゃんぽん発祥の店「四海楼」が会場である。グラバー園の前。入場したところで,急遽幹事長から乾杯の音頭をしてほしいと言われる。顧問歴が長い方に入ってきたためか。各県の紹介と並行して,つつがなく会は進行し,角煮饅頭や中華,発祥のちゃんぽん・皿うどんを堪能。
 2次会会場まで夜の長崎を歴史散歩しながら移動。社会科教諭の木村先生をガイドに一同頷きながらの夜の散歩である。誰もオランダ坂(これは私)などと言いながら故事来歴のある史跡を見ていく。旧正月を祝うランタンフェスティバルとは今年タイミングが1週間ずれたが,メイン会場の港公園は飾り付け完了済。灯の点いていないランタンを見ながら新地の中華街を抜けていく。
 2次会の会場は銅座にある,天野先生「かかりつけ」の店「プチマダム陽子」。昨年もこの時期登場したはずである。この顧問研修会の2次会は何人入るかに挑戦する日らしい。数えてみたら37人。県外からの先生が8割といったところ。店側が2名。40名近くが入ったことになる。男女比半々,20〜60台の年齢構成。高校放送部という一点で結びついた集団である。目処を24時に設定してお開き。途切れることないカラオケの喧噪の中でも,じっくり話ができるのが2次会の利点。私自身天野先生から直接,島原高校放送部のよい点・改善点のお話を聞けたのはよかった。最後は全員で肩を組んで「乾杯」を合唱。「長崎はひとつ,九州はひとつ,全国はひとつ」を合い言葉に奇妙な連帯感が生まれた日であった。
 胃検診の結果判明していないので次は行かず,ほどほどにして宿舎へ。トレディアホテル出島である。出島を通って行く。12時30分到着。またしてもテニスクラブに行けず。


 ヤフオクの入札だめだったようだ。やはり場にいなければ負けてしまう。最近携帯でも入札できるのを知ったが,2次会場で見るわけにもいかない。まっ無駄遣いしなくて済んだと思うことにしよう。

2005年2月4日(金)
華の長崎

 放送部の顧問会議で長崎へ。途中雪が所々残る長崎バイパス経由。県立総合体育館大研修室。ここは駐車場が無料なので車で来た。明日の会場の農協会館は駐車場がないので,JRで行くつもり。今日は県内の顧問の放送部活動の年間反省と次年度の行事について話し合う場である。午後からは「PA」について顧問として知っておくべきことについての講習。主にマイクの特性,ミキサーの使い方等。16時に終了後,近くのヤマダデンキ,港の近くの「夢彩都」の紀伊国屋書店に立ち寄る。やっと念願の長崎の絵葉書写真集「華の長崎」購入。6090円長崎文献社。ネット購入もできるらしい。

http://www.e-bunken.com/docs/top2.html

 その後知人と食事,22時過ぎ帰宅。


 「華の長崎」は絵葉書の収集もそうだが,背景の歴史が詳しい。雲仙の表記にミスがあったのは愛嬌か。

2005年2月3日(木)
国語部会

 わりと日中過ごしやすい天気。国語部会の地区主任会で使う資料を各地区理事に発送する。国語部会誌の原稿を出版社に発送。3月末発行に向けて始動する。夜学の当番。質問の生徒も来るのでのんびりできない。20時50分から駐車場の整理。生徒を迎える保護者の車を3カ所で整理する。9時15分までには終えることができた。帰宅9時40分。

 今年最大の話題のはずだが,J-stampのHP以外にはコメントがない。Nくんに思いを馳せる。

2005年2月2日(水)
10銭

 雪は自宅周辺は残っていない。島原市内はいくらか残る。紀要の原稿10ページを仕上げる。昨日までにおおざっぱに作っていたのだが,レイアウト,文字の大きさ,数字の半角全角の統一,用語の統一等である。各執筆者の予定ページも少しオーバー気味の様子。放課後同窓会誌の編集に必要な画像をスキャンするために同窓会館にて作業。寒い中の作業。手がかじかんでしまった。国語部会誌の編集もあるのだが手が回らず。18時30分帰宅。

 語ろう板,毎日興味深く見ている。今日も少しずつ輪郭が見えてきた。書留便は送ってきた封筒で,モノは菊10銭単貼。だとしたら,今年最大の売り物ということになる。これひとつあれば単片2種はいらない圧倒的存在感。一緒に並んだら単片2種のリーフよりもずっといいだろう。ということは値段は姿,すなわち見栄えになるだろう。リーフに貼ったときの印象が全てだ。大正白紙のフレームが終わり,旧大正毛紙のフレームの冒頭に入れると郵便史的に,まさにぴったりのマテリアル。こればかりは単片では物足りない。まして未使用はここでは使えない。ということは菊切手コレクターのみならず,田沢コレクターにも必須のマテリアルということになろうか。でもJAPEXでこんな使い方をすると田沢シリーズに菊切手,しかも「切手でないもの」をいれたなんて言われて大幅減点だったりして。

2005年2月1日(火)

 雪。南国のため雪はめったに降らない。子どもの時は庭に出て家族で記念写真を撮っていたぐらい珍しい。国道を遠望すると盛んに車が走っているので5分早く家を出た。島原市に入るところぐらいから渋滞。いつもより車の量が多いようだ。なんとかたどり着いた。途中雪が断続的に降り続いたが,積もるところまでいかない。放課後職員室に集まり対応についての話。生徒はすみやかに帰す,どうしても練習のある部も18時30分には完全下校,職員も勤務時間後早めに帰る,とのこと。帰りも積もっていなかったが帰宅途中雪が盛んに降ってきた。明日はどうなるかわからない。18時前に帰宅。

 昨日のメダルプレートには「大銀賞」「金銀賞」の文字のみだが,もしやと思いそれぞれのメダルを取りだして裏をみたら,賞と名前のも彫り込んであった。作品名なし。

  2005年2月


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