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2005年1月31日(月)
国際産業観光博覧会

 今朝の長崎新聞。高校サッカー島原2勝しベスト8。堀口監督のコメントあり。長崎北高が国見を破る。福田監督のコメント掲載。総合選抜の市内の進学校が国見を倒したのだ。福田先生は,五島でいっしょに国語の研究会をやっていた仲間である。
 朝から曇り。雲仙は雪が少なめ。理系と文系2時間続きの4時間授業。質問の生徒と難関校添削に追われる。放課後急遽職員が集められ,明日の降雪に伴う学校側の対応について話がある。夜になって雪になってきた。今日から夜学開始。初日から当番である。軽食としてラーメンの出前を取る。21時の終了前から迎えの保護者の車の整理に担当職員総出であたる。80台の車を3カ所で整理して送り出す。21時40分帰宅。


 「郵趣2月号」「全日本郵趣」「SEVEN」「国際切手展出品者の会会報」到着。
 JAPEX2004のメダル類が到着。「長崎の外国郵便」のJAPEX委員会賞のカップ,「UNZEN」の金銀賞,「昭和切手蒐集CD-ROM」の大銀賞の3点である。JAPEXは11月上旬開催なのでもうすぐ3ヶ月になろうとしている。どうしてこんなに時間がかかるのだろう。おまけにメダルの2点には銘がなく誰がどんな題材でとった賞か不明。カップの方には氏名・作品名の銘は入っていた。JAPEXでも以前受賞したメダルには氏名・作品名が入っていたような気がするので,JAPEX2004から変更になったのだろうか。こんな扱いで3ヶ月もかかるとはお粗末過ぎる。何かとJPSから批判されることの多いもう一つの全国展である全日展では,メダルと特別賞は授賞式の場から持ち帰り。荷物になるがそれはそれで嬉しいもの。銘のプレートのみ後日郵送というまことにスマートな応対。しかもその郵送は3ヶ月も待たせることはなかった。国際展でも昨年のHOGKONG展では1週間経たずに作品と賞状,銘入りのメダルが到着した。JAPEXは予備審査が開催1ヶ月前にあるのだから,そこである程度の予想はつくはず。作品返却も1ヶ月ほどかかり遅い。万事主催者側の都合に合わせており,出品者側にたった応対ではない。苦言を呈したが,まだJPSには改革に意欲的な若手がいるので真摯に受け止めてもらえることと思う。

 昨日からアクセスカウンタの動作が不調。臨時にバックアップ用のアクセスカウンタの登場。46000アクセス達成。

 島原新聞連載第4回は国際産業観光博覧会について。記事を送信する。5回用の記事を書く。常に1号分余裕を持っている状態。
 語ろう板に気になる記事。書留便で「ユニーク・現存唯一」「櫛型YOKOHAMA 17・9・13」。20銭はウッドワードのものが存在するから,もしや10銭2枚貼りが発見されたのか。1913年8月でなく9月というのも微妙な時期。明日以降の情報に期待したい。

2005年1月30日(日)
45678

 ゆっくり起床し,HPを見たら,自分で45678を踏んでしまった。天気がよいので,BEATで11時過ぎにドライブ。たまに乗ってやる必要がある。タイヤを交換してから調子がいい。途中飯盛のガソリンスタンドで給油とワックス洗車をしてもらう。結局長崎まで。アミュプラザのメトロ書店でお目当ての本は未入荷。ブライアン・バークガフニさんの長崎の古絵はがきの写真集である。最近の絵はがきブームで,遂に長崎でも古い絵はがきを集めたものが出版されたのだ。1月下旬発行だから,メトロ書店の「長崎の本」コーナーに行けばあると思ったのだが。また来週長崎に行くので寄ってみるとしよう。その後知人と長話をし,21時1分に出島道路に入り,長崎自動車道経由で帰る。諫早まで16分。帰宅22時過ぎ。

 スタンプシバタオークションの落札物到着。ほとんど全滅に近いが2点。1点は誤記入による調整。急いでいる時よくやるミス。調整によって良心的な値にはなっていたが。

2005年1月29日(土)
スタンプマガジン

 午前中授業が2時間あるため,遅い朝食後出かける。午後月曜日の授業の準備をしたあと先週の土曜日会って立ち話をしたK先生宅訪問。長崎県の国語部会や島高のこと島原新聞の記事等,近況を報告したり,お話を拝聴したりする。17時前に帰宅。またしても雨でテニスクラブに行けなかった。最近火曜と土曜の夜は雨ばかりである。

 定期購読することになった「スタンプマガジン」。読んでみると,かつお釣り切手の詳しい記事があった。文献で見かける八田さんの写真も掲載され,くわしい聞き書きもあり密度の高い記事。楽しく読めた。「スタンプマテリアル」「スタンプコレクター」着。

2005年1月28日(金)
郵便・切手に見る雲仙史第3号

 通勤時今日も雲仙は雲に覆われている。決まったテキストがないと,教材作成・教材研究に追われる。放課後放送部に顔を出す。職員室に戻ると,質問の生徒。難関校添削。
 月末から夜学が始まる。21時まで学校で自学するというもの。保護者が車で迎えに来ることができる生徒のみ。定時制の授業完了の21時15分までに迎えに来ないと混雑するらしい。教科から1名は常駐して欲しいとのことで1月末から2月末の夜予定がない日を数えてみたら7日しかなかった。19時前帰宅。明日も授業である。


 先日「新消印とエンタイヤ」のことを書いたら,複数の問い合わせがあった。発行者の了解を得たので申込先を記す。 「送金先郵便振替 00290-3-38856  関口文雄」で,年会費は送料とも3600円となっている。消印と印紙の専門誌とのことで電報関係も詳しい。

2005年1月27日(木)
昭和切手シートのスキャン

 曇天ですっきりしない天候。1・2年生はマラソン大会なので1校時の時間帯に陸上競技場にビデオ撮影機材を届ける。学校行事は記録する必要があるのだ。3年生は平常授業。2校時教材作成。3・4授業。午後添削と小論文添削。放課後職員会議。17時過ぎに終了し,質問生徒の応対。19時過ぎ帰宅。

 第4回の原稿はできたが送るのを調整中。スキャナーで画像を取り込む。A4画像の合成機能に挑戦してみる。これはA4画像を右と左に分けて取り込み合成してA3にするというもの。昭和切手のシート合成をしてみるが微妙にずれる。色調も同一というわけにはいかないようだ。

2005年1月26日(水)
第3回

 午前0時台に45000アクセス達成。
 通勤時快晴とはいかない。雲仙には雲がかかり山容明らかならず。出勤すると,前の席の吉田先生から「また新聞出とったよ」と教えてもらう。「郵便・切手に見る雲仙史」の第3回目のことだ。一昨日送ったばかりなのですぐ載ったことになる。ハイペースである。第4号は少し遅らせるとしよう。1・2年生は明日のマラソン大会の試走。3年関係の先生は午前中4時間出願検討会議。午後3時間連続授業。試走はぱらつく雨がしだいに晴れなんとか実施できたとのこと。放課後は質問の生徒の応対や添削作業。19時前帰宅。


 帰宅後,原稿作成と画像スキャンを少々。

2005年1月25日(火)
いつも雨

 職専免を出しておいたので,独立行政法人国立病院機構長崎医療センター(旧国立川棚病院)に朝直接出かける。10時から胃カメラ。検査自体は10時40分過ぎに終了。主治医(実は弟)の診察が終了したのが12時過ぎ。弟からは「ポリープができており,結果判明は2週間後。良性のようだが内視鏡で切除した方がよい。1泊2日でできる。全体に赤斑があり,胃が荒れた状態。しばらくはアルコールを控えるように。結果は電話する」とのこと。年末年始の暴飲暴食がよくなかったようだ。もう若くないので無理はするなということか。今年度は脳ドック受診の年でもあり,今まで時間がなかったので,2月に受診する方向で話をしてくる。すぐに(川棚から島原まで2時間弱かかるが)職場に戻り6・7校時の授業を終え,難関校添削や短大の入試で解答がない問題の解答作り等の仕事を終え,帰宅は18時過ぎ。またしても雨。テニスクラブに行けず。

 スタンプシバタオークション,病院の待ち時間に目を通す。弱気で入札。「新 消印とエンタイヤ」第154号到着。

2005年1月24日(月)
連載第2回

 山の方は雲で覆われている。その下は雪なのであろう。こちら下界は雨である。特別編成時間割。学校便り「青き楓」第5号発行。カラーレーザープリンタで各中学校や関係機関,クラス掲示用として100枚以上両面印刷する。保護者用は単色両面印刷。今年度は隔月刊6号までだが,来年度は月刊になるらしい。もう一人編集できる人がいればいいのだが。
 19時に上田歯科で定期検診。20時過ぎに帰宅。明日は胃精密検診。胃カメラである。


 島原新聞の連載,第2回目が掲載される。HPに載せていいかの可否をメールで問い合わせていたが,使用してもよいとのこと。早速トップページからリンクさせた。第3回原稿送る。

2005年1月23日(日)
45銭

 久しぶり家でゆっくり過ごす休日。遅い朝食に朝風呂。時間を気にせず過ごす1日。RZ71でDVD作成。

 日フィラのオークションは今日だった。水口さんのオークションレポートを見ると,あまり競らなかったようだ。旧小45銭あの値段なら欲しかった。でもフロアだから一つ上で落とされるんだろうな。

2005年1月22日(土)
縦長素版

 特別編成授業。土曜日は教員の勤務日ではないので,その時間にいけばよい,担任はそういうわけにはいかないが。午後から帰宅。駐車場で昨年担任した生徒から「新聞見ましたよ」と声をかけられる。
 新装になった「うちだ屋」で昼食後ガソリンスタンドに寄ったところK先生にお会いし話し込む。昨日の島原新聞のことも見たと話される。退職されてもお元気である。国語の大先輩で同窓会誌の編集を担当されておられたのでよく島高のこともご存じである。島原新聞にもよく文章を書かれている文化人のお一人。帰宅14時過ぎ。
 一休みして,今日こそテニスクラブに行くぞと20時頃外に出ると,雨。今日もテニスクラブに行けず。44444アクセス22時台に達成。


 郵趣関係のサイト巡回。タカハシスタンプのHPにかつお釣りの目打ちありシート写真が公開されていた。おそろしく奇妙な素版構成。2×5と3×5の縦長の素版で構成されている。今回分割される無目打のシートとは違う版。何版も作られたのだろうか。また,今後の関心は,このかつお釣り切手が不発行切手としてカタログに採録されるのかということ。今までは冷淡にも単なるラベルの扱いだったのだ。「JPSオークション」到着。

2005年1月21日(金)
島原新聞

 通勤時快晴。清々しいお山雲仙。また雪が増えたような気がする。出勤すると前の席の吉田先生から「新聞出とったね」とのお声をかけていただく。「郵便・切手にみる雲仙史」の連載第1回が今朝掲載されたのを知る。図は新聞社の編集部で作ってくれたタイトル。バックに「温泉」の風景印があしらってある。
 特別編成授業になって,教材を各種入試問題から作成する必要があり準備に追われる。メンバーの志望大学を考慮して,過去問を旺文社入試問題正解や通称赤本などからさがしてきての演習。準備したら自分なりに解いて解説を考える。その作業の合間に学校便り「青き楓」の編集作業,昨日出張前に起案したのが帰ってきたので,訂正する。同窓会誌の依頼原稿。紀要の編集。国語部会の地区理事への理事会資料の送付,FAXで意見を伺う。国語部会誌の出版社との打ち合わせ。難関校添削。一つの仕事中にいくつも舞い込んできて,その都度中断。授業第一だが,その合間もこんな有様なのだ。机上の散らかり具合は忙しさの度合いでもある。
 7校時の時間帯に島原市教育委員会に放送コンテストの後援申請書を持参してお願いに行く。担当の方と会い,帰ろうとすると後ろから「新聞見たよ」の声。中学時代の恩師の荒木先生から。教育委員会にお勤めなのだ。今朝の島原新聞の記事のこと。地域に密着した新聞ゆえ多くの人の目に触れたことであろうと推測する。
 なかなか仕事が終わらず,19時30分過ぎに目処がついた。進路指導部は夜を明かしての会議である。20時頃帰宅。


 「九州郵趣」到着。JAPEX04の話題。注目の永吉氏「戦後年賀切手の製造面収集(T)」連載開始。戦後年賀切手の製造面についての記事は紙媒体としては初めてではないだろうか。姫野氏の連載「戦時特例(2)」の中「暫定予納葉書」も興味深い。裏表紙の「郵趣会紹介」は長崎郵趣会。
 ヤフオク落札物到着。2003年末頃未着の落札物も同封されていた。諦めていただけに嬉しい。

2005年1月20日(木)
大寒・pdf

 44000アクセス。午前0時台に達成したようだ。
 雲仙が朝日に輝くのを見ながら通勤。昨日の雪ですっかり麓の方まで雪景色である。今日は1年のうちで最も寒さが厳しいとされる大寒。午前中授業を済ませ,午後から出張で諫早高校へ。出張直前まで,学校便り「青き楓」の編集作業。起案をしていかないとタイムリミットに間に合わない。
 出張は放送部の顧問会のため。2月に行われる中地区放送コンテストについて役割分担等決める。17時過ぎに諫早高校を後にして,途中ベスト電器に立ち寄る。CANONのスキャナーCanoScan 5200Fを購入。pdfボタンがついており,即pdfに変換ができるので便利。最初からフィルムが読み込めるようになっており,それでいて今まで使っていたものの半分の値段である。今使用しているのはWin98時代に購入したものでもう7年以上使っている。USB接続が最先端だった頃の機種。19時30分帰宅。


 早速pdfの設定をあれこれ試しながらワンフレーム展の「UNZEN」をpdfにしてみる。最初の設定で次々に読みとらせるのは便利。レターサイズにきちんと設定してやるとボストークのリーフもきれいに収まった。今までの機種ではどうしても数ミリ欠けていたので,ずいぶん見栄えがいい。

2005年1月19日(水)
日専完売

 雨天。雲仙は雲で見えないがきっと雪なのであろう。中庭の工事で大型車両が出入りするので駐車場の移動があり混雑している。国語部会の仕事,2月上旬の地区主任会・理事会に向けて連絡調整。戸締り当番を済ませ帰宅は19時過ぎ。

 JPS正会員報到着。ケネスGクラーク氏の「日露戦争と歴史」は注目の必読の書。他には,「日本関連地域切手カタログ2005」が2月10日発売。昨年版は北九州の集いでアオヤマスタンプから購入した。今年もそのパターンでいこう。日専2005は売り切れとのこと。「スタンプマガジン」誌到着。

2005年1月18日(火)
散逸

 センター試験の結果が出,いよいよ2次試験に向けて動き出す。カウントダウンは38日前。1校時の学年集会。2校時から特別編成授業開始。18時過ぎ帰宅。小雨のためテニスクラブ行けず。先週から開始になっているのだが,火曜日は夜の会合で,土曜日は北九州泊のため行けず。今日は雨天。今週の土曜は北九州に行くならまた参加できない。

 思うところあって,石川コレクション集を引っ張り出して眺めた。林コレクションも隣にあり,2冊の初期の外国郵便のコレクション集を見直したわけである。また金井氏の「方寸の魅力」もつい引き込まれて読んでしまった。「集めるだけの人はアキュムレーターであって,コレクションを作る人だけがコレクターと呼ばれる」。至言である。コレクションを後世に残して欲しいと思う。出版も簡便になっているのだから,コレクションを作り上げたら,作品集を世に出して欲しいということである。墨人堂のコレクションの散逸の記事を読み,強くそう思った。

2005年1月17日(月)
南大東島無線

 センター試験終了後初の登校。生徒は午前中自己採点,午後自宅学習。センター試験を解き自分なりの見解を持つ。予備校・受験産業のHPで書かれているのと同様の感想。国語T・Uの平均点上昇がどう影響してくるのか。県の国語部会の仕事,地区主任会・理事会・部会誌編集とまだまだ続く。18時帰宅。

 JPSオークション落札物到着。やはりフロアは場に出た人には勝てない。ひとつ上ではねられたもの多数。「スタンプシバタオークション」到着。前回の1次昭和20銭,南大東島無線20500。1万枚に1枚あるかないかの消印はやはり高い。

2005年1月16日(日)
長崎郵趣会

 折尾10時23分発「ソニック」に飛び乗り,車内で特急券を買う。博多着10時59分,大急ぎで11時2分発長崎行きの「白いかもめ」に乗る。しばらくして動き出した。乗換え時間3分なので心配していたがなんとかなった。2号車でDVDを見つつ長崎へ,2時間弱で到着。駅前の吉野屋で牛焼肉丼を食べ,ふと横を見るとJTBのSさん。昨年度修学旅行の添乗をされた方である。最近駅前に長崎支店が移転したそうで,明日からの添乗に備え,これから会社に詰めるとのこと。長崎郵趣会の例会会場である長崎中央郵便局のふれあい会議室に行くと既におそろい。20名弱の出席。高島さんの司会で,近況報告・最近の話題・交換会と進んでいった。高校生の和田君持参の南方占領地ビルマ2次普通切手5セントのガッターつき200面シートはきれいな状態。実はこのシリーズのシート構成,100面シートを横に2つ並べた形をしていることはあまり知られていない。私もつながった200面シートを見るのは初めて。銘版の表示はないのを確認。上下の耳は白耳。左右4カ所に番号が入った耳。次回2月例会は北九州の会と重なるので出席できない。
 終了後新年会と称して,関さん池田さん森田さんと和田君で軽く食事。駅ビル・アミュプラザの「庄屋」。ささやかながらJAPEXでの受賞のお祝いをしていただく。切手の話だけでなく,古代史や県内教会建築の煉瓦の話とバラエティに富んだ内容だった。飲み足りないらしく,私と池田さん森田さんの3人で3次会。駅前の「白木屋」。「長崎にもJPS支部を」の話題で盛り上がった。20時14分発のシーサイドライナーで帰る。21時1分に着いたが次の島鉄の便は21時42分。バスのターミナルに行くも便なし。気長に待つ。島鉄湯江からはタクシーで帰宅。23時前。


 ネット情報によると,小判ビッグ3の田型,予想どおり大激戦。意外に単片は無風状態の様子。

2005年1月15日(土)
博多都ホテル

 島鉄湯江駅発9時14分の列車に乗るべく準備。有明タクシーでなんとか間に合う。島鉄の車中で昨日の日記の更新。携帯電話で更新作業完了。諫早で乗り換え,10時48分発「白いかもめ」。途中佐賀駅で村岡氏が乗り込んでこられた。12時18分博多着。待ち合わせの博多都ホテルへ村岡氏と行くと,田畑氏ともうおひと方。しばらくして永冨氏が見えられ,ホテルから少し移動したところにあるB1のレストランへ5人で。昨年6月長崎であった会の博多編とでもいうべき会合になった。移動した先では,郵趣家向けにテーブルの広いおあつらえ向きの席。ランチ後郵趣談義。私は持参の「小判切手」アルバムを見てもらう。特に田畑氏には,目打関係の重品をお世話になりそう。ありがたいことである。多忙な村岡氏,今朝羽田から佐賀,博多とこられ,しばらくして次のスケジュールの場所へと向かわれた。結局後には,私と田畑・永冨氏の3人が残り17時過ぎまで会談。ランチとコーヒーで4時間以上もねばれる希有な店である。2月の北九州での再開を誓い別れた。私はもう一件立ち寄るところがあり,北九州の妹宅着は21時過ぎ。姪のパソコンがスキャナーの認識をしないというので,キャノンのHPからXP用のドライバをダウンロードして,使えるようになった。明日は長崎郵趣会の例会である。
 画像は「温泉」表示の風景印。「雲仙」表示に変わるまで2年強の使用期間なので,さほど多いわけではない。

2005年1月14日(金)
出陣式

 センター試験前日。3年生は3時間自学をして,昼食後出陣式。ときの声をあげ,1・2年生の見送りと拍手の中,校門を後にしていった。後輩の励ましを受け涙ぐむ生徒も。島原新聞社も取材に来ていた。冬の風物詩である。午後から県の国語部会の出版物の編集委員会。福岡から出版社の方も見えられ挨拶する。17時過ぎ,センター試験引率の先生方の陣中見舞いに出かける。副担任の先生4名と。長崎の某ホテル着19時過ぎ。眼下に長崎駅が眺められる見晴らしのよいホテル。本校250名の貸切りである。20時30分前まで話をし,帰宅は22時過ぎ。43000アクセス達成。

 明日の会合に持っていくものをまとめる。特に見てもらう「小判」のアルバム。図は「雲仙」表記の初期の印影。雲仙国立公園指定が昭和9年3月であるが,これは5月19日のデータ。

2005年1月13日(木)
最後の授業

 雪景色の雲仙は,渓谷の濃淡がくっきりと浮かび上がり,とても間近に感じられる。今日でクラス単位の授業は終了。文系古典の3クラスである。理系の2クラスは昨日で終了。最後に,センター試験のポイントを話す。要点をまとめる。明日はセンター試験出陣式。18時30分帰宅。

 週末の郵趣行事の準備。福岡・北九州・長崎と移動。

2005年1月12日(水)
3日前

 雲仙は雪景色である。寒気厳しき頃。センター試験3日前。前日から出発するので,授業があるのは明日まで。センター試験後は特別編成授業になり,クラスを解体して2次試験に特化した授業になるのでクラス単位の授業は明日までということになるのだ。クラスによっては今日で最後のところもあった。18時30分帰宅。

 今週末のタカハシスタンプ,そろそろ入札の準備をしないといけない。

2005年1月11日(火)
始業式

 3学期の始まり,始業式のある日。大掃除・始業式・LHRが午前中。午後授業3コマ。19時から,体育部顧問会主催の「進学就職激励会」が白土湖前の「君の家」で。高総体激励会が進路指導部主催で行われるのと対になる行事。校是である「文武両道」の体現である。2次会「花」新年初。「悲しみが雪のように」90点で店内掲示。今年3人目である。代行で帰宅したのが,24時30分。

 やっとSEVEN到着。年末年始の郵便物渋滞で遅くなったのだろう。消印を見ると,1月6日。5日もかかって到着したことになる。
 昨日書いたことが気になって,Aコレクション集を開いてみたら,30銭無地紙は,墨点のみ。掲載品ではなかった。菊朝鮮字入りは,掲載品だった。

2005年1月10日(月)
ノイズキャンセラー

 母が北九州の妹宅に行くというので,同行。10時出発。福岡の姪浜まで私が運転。知人宅に行く。その後母は,同じく姪浜の叔母宅に寄った後,北九州の妹宅まで自分で運転して出かけて行った。
 私は用事を済ませ,博多駅に17時過ぎ着。時間があったので,筑紫口のヨドバシカメラへ。車中で食べるサンドイッチやピロシキなんてものを買い込み18時30分にみどりの窓口に行くと,19時のかもめは指定席満席とのこと。選択肢は3つ,1500円の差額を払ってグリーン車に乗る,自由席にする,1便遅らす,である。結局1便遅らせても島鉄の最終で帰れることがわかり,20時2分発のかもめ43号で帰ることにした。指定席はもちろん電源の使える2号車である。
 早めにホームに入り,ガラスの覆いのある待合室へ。ヨドバシカメラで買ってきたノイズキャンセラー機能付ヘッドホンを試す。いくつか比較して唯一のインナーイヤータイプであるソニー製のを買ってみたのだが,凄い。雑音がスーッと消え,静かな部屋で音楽を聴いているような効果。256MのMP3プレイヤーで聞いてみるが,凄い効果である。どうしてもっと早く買わなかったのだろうかと後悔するぐらい。定期購読している週間アスキーで何号か前に特集をやっていたので,興味があったのである。
 諫早で島鉄の最終便に乗り換え,島鉄湯江駅から歩いて帰った。23時過ぎ帰宅。明日は3学期始業式である。


 「SEVEN」が今日来ているかと思ったが,現在未着である。先月落札代金とともに誌代も送金したので,誌代切れと言うことはないはずなので,あとしばらく待って到着しなかったら,問い合わせしてみよう。
 HP巡回していると,30銭無地紙の話題があった。確かに私の所持しているのも墨点と不明ボタの2枚のみ。不明ボタは,だいぶ前にスタンプショウ広島の前夜祭酔っぱらいオークションでA先生出品の分を落札したもの。Aコレクション集に掲載品であるが,無競争で買えた。日本ゼネラルではこれぐらいが丁度相応しいものと思っている。同時に落としたのは菊朝鮮字の少ない方の目打ちだから単線12,ただし消印半欠け。これも掲載品だったような記憶があるが無競争。どちらもリーフ作りには欠かせないものという点では共通する。やはり普段からリーフを作っているかどうかである。かくいう私も小判は十数年前,菊に至っては二十年ぐらい前に作ったものに貼り足しているに過ぎないのだが。

2005年1月9日(日)
12秒

 8時町民センター集合。家を出るとき粉雪が舞う。選手8時30分頃から到着。9時開会式。10時1区スタート。選手輸送にあたる。3区を走り前半40秒差の3位。4区スタート11時。5区にバトンを渡す時10秒遅れの2位。5区は区間賞をとったTさん。1分近く差をつけて6区もそのまま1位。後半1位。前半のタイムとあわせて12秒差の2位だった。各区4〜5キロ,1区あたり2秒差である。これは結果論。18時からの打ち上げもこの話で盛り上がった。22時過ぎ帰宅。

 そろそろ,作品の構成を考えなければいけない。

2005年1月8日(土)
同窓会打ち上げ

 42000アクセス達成。1週間で1000アクセスだから,最近ペースがあがっているような気がする。冬季補習後期4日目である。今日は土曜日で勤務日でないので,3校時の授業時間に間に合うように10時過ぎに出かける。6校時終了は16時過ぎだが,雑務をしていると,17時過ぎになってしまった。急いで自宅に帰り,南風楼に送ってもらい到着したのが,18時。1週間前の同窓会の集合写真が出来上がり,諸々の書類とともに発送するための作業。最初10人ぐらいで開始して,終わった頃には13人。で,幹事長を労うご苦労さん会である。もっとも本人は「労いの言葉よりも,男からは金,女からは愛撫を」と言っていたようであるが。2次会「紫烟荘」。帰宅24時30分。明日いよいよ町内1周駅伝大会,8時町民センター集合である。

 小判切手の出品,真面目に検討してみようかと思う。先ずは銀賞ぐらいをめざして,「枯れ木も山の賑わい」である。昭和切手のシドニー国際展作品と制作時期が重なるが,郵便史と違って,テキストの書き込み量が格段に少なくて済むので,なんとかなりそうな気がする。よく考えたら,国際展5フレーム,全日展3フレームではないか。

2005年1月7日(金)
七草粥

 冬季補習後期の3日目。1・2年生は今日まで,3年生は土・日もある。ただし,私は日曜日が駅伝大会のため,他学年の先生に代行をお願いしてあるので,明日までということになる。昼食時,家庭クラブ(顧問の先生)から出勤している職員の先生に七草粥が振る舞われる。無病息災を願う。国語部会の部会誌の編集作業。原稿が集まりつつある。18時30分帰宅。20時から駅伝大会の練習。今回4〜6区の伴走をし,やっと全コースがわかった。終了後,Bチームの1人が出たくないというので,体育班長6人のうちAチームの選手でもある1人を除く5人で,自宅までお願いに行く。自宅に不在で,消防団の出初め式の打ち上げ3次会の家まで押しかけ,引き受けてもらう。今日は町の消防団の出初め式があったのだ。Aチームでもそのため練習に2人欠席であった。最後に当日の打ち合わせ,体育班長は8時集合とのこと。21時30分帰宅。

 島原新聞の原稿だが,「雲仙国立公園七十周年にまつわる切手・郵便の話題」という題名を与えていただいたおかげで,構想が決まり10話の項目を決定。国立公園制定当時の局名変更の話題が1話目,「温泉」表示の風景印が2話目。とりあえずこの2話と今後の予定を書いてメールで送る。

2005年1月6日(木)
紙の情報誌

 センター試験まで9日,とうとう一桁。14日には出発なので実質1週間である。質問・相談と添削。18時30分帰宅。

 長田氏の紙の情報誌到着。新年第1号にふさわしく富士山の絵封筒について。いつもながら丹念な調査,楽しく読ませていただいた。昨日の「温泉」縦書丸一印はこの印の第一人者浅見氏もこれ以外未見とのことで,やはり私の手元のものが唯一なのだろうか。リーフの書き込みには,「ここに示したものが発表された全てである」旨記入したのだが,これは所有者の発表を期待してのこと。でも意外に次のJAPANオークションに出たりして。

2005年1月5日(水)
幻の消印

 今日から後期の冬季補習開始。センター試験のカウントダウン掲示はあと10日。また日常の生活に戻る。放課後も質問と難関校添削。18時過ぎ帰宅。20時から駅伝大会の練習。1区から6区のAチームの選手全員とBチームから2人参加。体育班長は6人そろうが1人は選手のため,5人が1〜3区と4〜6区に分かれ車で伴走。実際のコースを走る。自治会長と自治会公民館長に9日夜の駅伝大会反省会の案内文を持って行く。帰宅は21時30分。

 昨年度出品した切手展作品のスキャンデータの整理。以前は白黒コピーで作品を残していたが,パソコンで管理するようになってから,スキャナーで取り込んで保存している。それだけにこまめなファイル管理が必要。今日の画像は,縦書丸一印の珍品「肥前/郵便電信取扱所/温泉」。田中本では未発見となっていたもの。この表示形式は中宮祠とともに全国で2例しかなく,ともに季節局という点で特異。

2005年1月4日(火)
休日出勤

 本来なら今日から仕事始めだが,3年生は2・3日と登校してプレテスト。今日は3年生は束の間の休み。それで,私も年休を出して明日からの冬季補習に備えようとしていたのだが,明日の日程の確認のため,午後から出勤。机上の書類を整理していると,登校してきている生徒が質問に来る。結局しばらくいる羽目に。夕方帰って部屋の掃除をしていると,もと放送部の卒業生から電話。ジョイフルで少し話をしてくる。切手類の作業場になっている机に層を成しているマテリアルを発掘して,ファイルに納める作業をしていたら,やっと机の表面が現れた。でも,探し物はみつからず。

 明日から,補習である。また規則正しい生活に復帰することになる。

2005年1月3日(月)
プチ更新

 二度寝して,起きるともう午後。やはり2日続けて,連続の酒宴は体にこたえたらしい。HPのトップページはJAPEX2004のタイトルリーフのままだったので,新年らしく雪景色の雲仙岳。クリックすると,1次国立公園雲仙に図入り年賀印の満月印という趣向。モノは例の一連の束モノからなので,間違いのない品物。それに加えて,日記のスタイルを一新した。画像が簡単に取り込めるらしい。でも今までように携帯で見ることができなくなったのは良いのか悪いのか。ま,パソコンで見て欲しい。

2005年1月2日(日)
祖母の1周忌

 祖母の1周忌。10時30分に家を出る。11時から読経。法話「『花びらは散っても花は残る。人は去っても面影は残る』大谷大学の学長の言葉。『歎異抄』は,弟子の唯円の著。親鸞滅後,直弟子の多くがこの世を去っていく中で,師である親鸞の教えがその趣旨と異なって理解されていくのを歎き,師の教えを改めて明らかにしたいという願いから書いたものである。唯円もまた親鸞の『面影』に一生を生きた人ではなかったか。」というのがその趣旨。法事後,場所を移して,「仲よし」で会食。70名ほどの参加者で盛大。親類が一同に会する場である。妹家族5名と弟家族5名も参加。終了後家に集う。妹の長男長女が大学生,次女が高校生。弟の長男次男が小学生,三男は未就学児。恒例の「八朔」狩りは収穫がポリ袋5袋分。家に数個残し,妹4袋,弟1袋持ち帰る。おせちも自宅消費用に少し残しただけで,重箱ごと持たせてやった。暗くなる前に記念写真撮影。さっそくプリンターで印刷。十人が帰ってから,やっと年賀状の整理。追加分を印刷し,差し出しに行く。明日は,フリー。やっと正月らしくのんびりできそう。

2005年1月1日(土)
謹賀新年

1年の計は元旦にあり。束の間の就寝を経て,起床。昨夜といっても厳密には今日なのだが,年賀状の印刷を終え,9時に郵便局に持ち込み風景印を押印して発送する予定だったのだが,おせち料理と雑煮を食べていたらすっかり遅くなり11時過ぎに郵便局着。局員の方も忙しそうなので,三百枚を超す数の年賀状に風景印を押印し終わると,11時30分である。出がけに来ていた年賀状を送迎の車中にてざっと目を通す。12時前に洋服の青山着。めあての福袋3万円分を購入。内訳は,2万・2005・3000・5000円の4種類。特典として,毛布・ハローキティ絵皿・グルメ券をもらう。青山の初売りの福袋購入は,ここ数年の正月の行事である。事前にチラシで確認していたので,12時15分に完了。校長宅の新年会に向かう。12時22分着。16時前に校長宅を後にして,島高28回生の同窓会会場である「ホテル南風楼」到着は16時5分。受付で,同窓会の会友の勧誘。16時30分開宴。私も会の冒頭に,学校現況と会友制度の趣旨説明を学校の係として行った。途中から同じホテル内の隣の部屋で2次会。数人から妹の消息を訪ねられた。活発で明るかったので密かなフアンが多かったようだ。20時過ぎに場所を移動して,3次会を「六本木」4次会「Victory」。その後同じ町内のS君K君と3人で屋台のラーメンとおでんを食し,タクシーで帰宅。25時20分。長い1日だった。のんびり年賀状を見るのは明日。41000アクセス達成。