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2008年1月31日(木)
印刷できるようになった

 ハードディスクが飛んでしまったJ12。リカバリディスクが見つからないので,ヤフオクで調達。どうにか復旧。印刷できるまでに。シーゲイトのハードディスクは徐々に読めなくなって行くらしい。8月の時点で異常に気づきデータはバックアップしてあったのだが,直す間もなく中国に。旗艦のRZ71もおかしくなった頃で,こちらは中国から帰ってきてすぐにとりかかり,現在普通に使っている。
 カスタマに預けてあるT90PSは,電話でのやり取りで,無線LANのファームアップで解決するらしい。早く返送するように頼んだ。
 それとA4ノートのFX55Z。これで急場を凌ごうとヤフオクで落札。普通に起動してますとのことだったが,まずDVDコンボドライブが故障。有線LANのジャックが壊れ,動きが遅くおかしい。仕方ないのでジャンクのドライブを落とし,デフラグ。
 部屋の片付けは,部分的に進みつつある。
 AERAも週間アスキーも読み込みつつある。精神的に余裕がなく,日記も滞りがち。

 画像は文化大革命時期のカバー。

2008年1月30日(水)
籠る

 昨日の疲れか,1日外に出ることもなく,ひたすら片付け。
 
月日だけが非情にも過ぎて行く。

 画像は昨日の葉書の絵葉書面。

2008年1月29日(火)
環大村湾橋巡り

 西彼杵半島の西海町大瀬戸の伯母の見舞いに行くことになり,母を乗せて出発。諫早から長崎自動車道で終点まで。そこから先はまだ工事中なので,下の道を女神大橋まで。長崎自動車道はゆくゆくはこの女神大橋に繋がるらしい。長崎湾口に架かる大鳥居のような女神大橋は新長崎漁港まで繋がる迂回路だ。渋滞の長崎市内を通らなくてもいいので,新長崎漁港まで時間短縮になることだろう。
 旧外海町の三色橋は南から青・白・赤とフランスの国旗の色。ド・ロ神父にちなんでいる。そこを抜けると旧大瀬戸町。遅い昼食を魚荘という食堂兼民宿で。
 伯母は在宅で,伯父は自宅隣の病院の看護で。伯母は84歳。父の兄弟の中で唯一存命中。戦前満洲に住んでいたことがあり,新京の道路が広かったことや児玉公園で遊んだ記憶などを話してもらった。チチハルは新京に比べて寒かったことなども。
 帰りは,母が大島大橋を渡ったことがないというので,大島まで。懐かしき大崎高校までドライブ。以前住んでいた町営団地や町中を廻って,再び大島大橋を渡り,佐世保方面へ。
 第二西海橋ができたというので,有料道路へ。『釣りバカ日誌』の佐世保ロケの時に開通し,三国連太郎が開通式に出たらしい。
 ハウステンボスを横に見て,川棚町を通り,東彼杵町から長崎自動車道へ乗り,諫早インターから島原まで。200キロ超のドライブだった。
 女神大橋・三色橋・大島大橋・第二西海橋と1日で廻ったわけだが,長崎県は橋の宝庫である。これを教会巡りと結びつければ新たな観光資源になるかもしれない。

 画像は,新中国。遼寧/1978年8月22日/瀋陽。中国共産党第一次全国代表大会会議の絵葉書。

2008年1月28日(月)
日々は過ぎて行く

 郵趣アイテムの発掘。昭和切手は以前作品にしたものはどこかにあるはずなので,それを捜すことになる。あちこちにアイテムがあるので一念発起してジャンル別にクリアボックスに放り込む。昭和,満洲,長崎の和文,長崎欧文,冨士鹿風景,田沢,小判等々。
 夕方,ホームセンターのコメリまで買い物。セブンイレブンのJNB等。

 画像は昨日紹介の葉書の全体。

2008年1月27日(日)
外出せず

 日曜日だが,ここのところずっと休みなので曜日の感覚がない。とにかく部屋の片づけが終わらない。
 パソコンの復旧。足りないものをヤフオクで落札。リカバリCDなど。パソコン環境が整わないことには作品作りもままならない。

 画像は,日露戦争時の軍事郵便葉書の一部分。丸二型印,遼東守備軍/38年5月17日/第十一野戦局。裏面の差出の書き込みは5月10日。

2008年1月26日(土)
同窓会

 夕方,高校時代の同窓会。2ヶ月前からメールで案内があっていたもの。正月の時期でなく,少しずらしてあるのがタイミングよく,私も参加できた。島原と諫早在住者中心なので,その中間地点ということで雲仙市の旧瑞穂町の森田屋で。日本料理の数々を堪能する。
 現在の高校の話題として,私が説明。昨年度の国公立大の合格率は過去最高だったことや,今年のセンター試験の出願率は過去最高だったことなど。高校の生徒数が定数減になっているので単純に過去と比較できなくなってしまったため,最近では率で換算するようになってきた。
 行きも帰りも島原からの参加者は発起人のO君がハンドルキーパーで車を出してくれたので便乗していった。

 画像は,昨日の封書の裏面。南満洲鉄道の封筒に,長春大和ホテルの書き込み。

2008年1月25日(金)
通院

 昨日の用事のため,午前中柴田長庚堂病院に。B型肝炎ワクチンの仕上げの注射。7月に1回目,1ヶ月おいて8月に2回目,3回目は半年おいて打つ必要があるらしい。その3回目が今日。それと常備の薬を。
 昨日わからないと窓口で言われた新切手注文書。昨日のうちに携帯に電話があり,準備できましたとのことなので行き,お年玉シートの販売用の申し込み。10万枚を郵頼でのみ販売。不便なのは100枚注文しようとすると,上限20枚のため5回に分けてしなければならないということ。それぞれに300円の送料と払い込み手数料80円がかかり,1枚あたり額面130円に対して149円になる。しかしお年玉賞品と同じだが10万枚と限定してある点が気になる。別枠で印刷したものかもしれない。ということであとから区別可能となった時点では入手困難。まぁそんなことはないだろうが,万が一ということもあるのがこの世界。
 午後,ペリカン便がT90PSを引き取って行った。 

 画像は,満・長春/大正2年6月10日/全11−后2。

2008年1月24日(木)
用事で走り回る

 郵便物の受け取りと差出にいくついでにもろもろの用事をすませる。『長崎郵趣』を広島と福岡に発送,ヤマトのメール便で。柴田長庚堂病院は院長午後休診のため明日出なおすことに。
 修理から戻ったT90PS,どうも画像の表示がおかしい。乱れて表示。ツールから履歴を消去して更新ボタンを押して正しく表示されるが煩わしいので,昨日VAIOカスタマサポートにメールしていたのだが,電話があり明日引き取りに来てもらうことになった。ボタンの塗料剥がれも修理されてなかったのでそこも指摘。また10日ぐらい使えなくなるのは不便。

 画像は昨日の葉書の裏面。

2008年1月23日(水)
日本不在時の情報リカバリ

 今日も外出せず。雑誌の読み込み。AERAの10月号あたり。長田さんの紙の情報誌到着。作品作りの環境整備。パソコンの整備も含めて。
 中国では見れないハイビジョン放送。つい見入ってしまう。
 『日本郵便印ハンドブック』,私の論文も引用されているのは1本だけ。西野本(1985)に先行する『長崎局における外国郵便日付印』は参考にされていないようだ。またHP『郵趣日本』http://www.philately.jpに掲載の『長崎の外国郵便』(アイコン上から2番目のPhila NIPPON入賞作品)も参考にされていないようで,データの漏れがある。このHPは2001年出品当時のまま凍結してあるのでデータが古いのはあるが,ここを参照するだけでいくつかは更新できるはず。実はこれは7年前の五島赴任時なので引越しの際更新のパスワードがわからなくなってしまい,一度も更新されることなくネットの海に漂ったまま。OCNに問い合わせればいいのだがそのままになっている。改めてみるとDOCTOR井上氏の25銭カバー関連もちゃんと載っているではないか。
 
 画像は,満・遼陽/明治39年9月30日/后5−8。日活字の前はハイフン。

2008年1月22日(火)
叔父宅訪問

 午前中から昼食を経て午後まで叔父宅に挨拶に行く。昼食は餅を海苔巻きにして。
 帰宅後,T90PSにホームページビルダー12をインストール,ついでにFFFTPもインストールして「郵趣日本」のHPを9月以来更新できた。

 画像は昨日の葉書の裏面。

2008年1月21日(月)
外出せず

 なにもかもおっくうでやる気がしない。というか何から手をつけてよいのかわからないほど。デスクトップの2台は起動しないまま中国に行くことになったし,ノートパソコンはソニースタイルから修理して帰ってきているものの,リカバリされているのでソフトを入れるという面倒な仕事が待っている。とりあえずデスクトップのRZ71を使えるようにした。J12はHD自体が壊れているので入れ替えてリカバリしてソフトをインストールという面倒な作業,後回し。雑誌の整理に明け暮れた。夕食はトンカツ。

 画像は,満・鉄嶺/明治41年12月18日/前11−后2。赤のペン書きの異様な葉書。

2008年1月20日(日)
長崎郵趣会

 昨夜遅くまで,荷物の整理と雑誌の整理。16誌の約5か月分の整理。郵便物も中身まで見ていない。
 朝起きたら雨。数ヶ月見ていなかった雨に感動。暖かい証拠。午前中長崎に向けて出発。長崎北局に13時過ぎ到着。終了後,有志で西洋館2階のジョリーパスタで新年会。ビール組4人とコーヒー組6人。私は車なのでコーヒー組だ。
 終了後寄り道せずまっすぐ帰宅。帰宅後すぐに伊藤理容店に散髪に。だいぶさっぱりした。夕食は雑煮。

 画像は昨日の裏面。

2008年1月19日(土)
帰国・雪のない世界に

 朝が早い。でも朝食は7時から。少し前に行き一番乗り。さっさと荷物をまとめ,チェックアウト。空港は雪でなければ歩いていける距離だが,タクシーで。搭乗手続きをして中に入る。福岡行きはけっこう行列ができている。8時45分発の中国南方航空CZ645便。機内で食事も出た。これならホテルで食べなくてもよかったかも。11時20分着。時差の関係で2時間35分かかったことになっているが実際は1時間の時差のため1時間35分で到着。意外に近いものだ。
 福岡空港に降りたった第一印象は「雪のない世界に来た」というもの。風も秋風のように心地良い。迎えの甥たちは渋滞で遅れるらしく空港内で待つ。あまりに暑いので上着を脱いで。甥のA君とその妻Mさんに挨拶し,車を受け取り日本の財布からETCカードを取り出し車載機にセットし,都市高速・九州自動車経由で帰宅。途中諫早の吉野家で生卵の牛丼を。中国では決して食べられない組み合わせ。中国の吉野家では生卵は出さないのだ。15時過ぎに帰宅。少し休む。夕食は日本産の鰻蒲焼。

 画像は,奉天/大正3年1月1日/前0−8。

2008年1月18日(金)
大連2日目

 朝起きたら外が暗い。窓越しに見ると雪が降っている。どおりで昨日も寒かったはずだ。Yさんは午前中仕事だそうで,午前中雪景色の中山広場の建物群を見てまわる。旧ヤマトホテルの向かいは旧横浜正金銀行。雪景色はきっと珍しいはず。10時30分にチェックアウトし,今晩泊まる国際空港賓館へ。ここは四星だけあってタクシーからボーイが荷物を運んでくれた。部屋に荷物を入れ,12時に待ち合わせの場所へ。昼食はガイドブックに乗っているシャングリラホテルのバイキング。飲み物別,二人で380元ぐらいなので,一人150なのだろう。これは長春といっしょの値段。
 食後なにはともあれ,古玩城へ。骨董品のビルだが切手も扱っていることが多い。1階から5階まで眺めたが,古いところは皆無。しょうがないので掛け軸を眺めていたら,ひげのおじさんが話しかけてきた。以下Yさんの通訳を私が翻訳。「これはわしが描いたんじゃ。これに目を留めるとはお主はなかなか筋がよい。」ここで長春の値段を引き合いに出すと「それは印刷に彩色した物じゃ。墨の部分のみツルルルーっと印刷してあるんじゃ。よく見てみい。」と安物の掛け軸を持ってきて「どうじゃ。ちがうじゃろう。」。たしかにスクリーン線が見える。水墨画三幅と印刷のもの一幅購入。「ところで朋友よ。」Yさんによると,自分の作品を認めて買ってくれた人は朋友らしい。私が大学の教員ということも伝えたらしく「ワシは書もよくする。拙者が貴兄にぴったりの書を選んで進ぜよう。」。取り出したのは「博通古今」と書いた書。「書は時間がかからんから安くていい。」とのことでありがたくいただく。
 北京市長と一緒の写真は,北京で展覧会を開いたときのもので,虎の絵がいたくお気に入りだったとのこと。虎の絵は時間がかかるので高いらしい。屋号は「塗虎堂」。「ところでポンヨウよ。ワシは日本でも展覧会をやりたいと思っているのじゃが何か,つてはないかね。またワシの絵が日本人に売れるじゃろうか。」というので,この値段の2・3倍では売れると思いますよ,と答えておいた。日本の朋友に宣伝してくれとのことで「杜中永」氏のことを記してみた。
 見学に荷物なのでホテルに置きに行く途中,大連駅を見る。ホテルに掛け軸を置き,同じタクシーで,旧大連郵便局まで。その向かいで切手を売っているとのタクシーの運転手の情報。確かに売ってはいたが新しいのばかり。大連の切手風のシールを購入。夕方になったので国際貿易センタービルを目指す。結構歩いた。57階が展望所。ライトアップされた中山広場は必見。入場料1人40元。
 歩きつかれたので,有名なサッカー選手の奥さん経営のマッサージ店。1人1時間68元。終了後,そこからバスに乗って勝利広場まで。餃子の王将でラーメンを。昼に食べ過ぎたので軽く。Yさんは家が国際飛行場ホテルの途中とのことで送り届けてホテル着。

 画像は,昨日の葉書の裏。

2008年1月17日(木)
大連1日目

 早朝,成績票に書き加えるべき聴講生と留学生の成績処理のために大学へ。無事書き加え,事務室の担当者に提出。これで全ての仕事が完了。10時に見送りの方がタクシーで迎えに来てくれた。空港まで行き,手荷物を預け,国内便のゲートに入るまで一緒にいてくれた。
 あまりに早く着きすぎたのか,だいぶ時間がある。昨日紛失したマスターカードの利用停止のことで携帯から日本まで何回か国際電話。そうこうしているうちに13時20分の出発。後は大連到着後。中国南方航空CZ6652便。14時40分着。カード会社と連絡が取れ,私が使用してから使われていないとのことで安心する。空港からタクシーで大連賓館へ。旧大連ヤマトホテルである。途中タクシーから雪が残っているのが見えた。大連は雪がないと思っていただけに意外。大連駅前の中山広場に面したクラッシックホテルへ到着。三星だけあって,階段は自分で荷物を運ばなければならない。カウンターは日本語が通じる。夕方まで一休み。夕方,案内を依頼していたYさんが迎えに来てくれ,夕食を一緒に。現地の人に人気の火鍋の店。しゃぶしゃぶのような鍋料理と思ってもらったらよい。食事後,少し街歩き。友諠広場を抜け,勝利広場あたりまで。21時にバス停まで見送り,ホテル着。疲れて寝る。

 画像は,丸二型,大連/(明治39年)8月25日/野戦局。

2008年1月16日(水)
長春別離前夜

 長春での遣り残した仕事で走り回る。夕方研究室で若手教員のLさんに電話すると手順をメールで送るという。それを見てなんとか入力。いくつかは電話で聞きながら。事務室が閉まる前に担当者に入力以外の分を提出。試験採点済み用紙・実施試験問題A無記入のもの・その解答・実施しなかった問題B・試験分析書B5判2ページ分。もうひとつのWEB上での入力済みの成績をプリントアウトしたものも提出だがそれは414号室に置いておけばL先生が提出してくださるとのこと。18時過ぎ帰宅。
 帰国前夜だし,仕事も終わった開放感から軽く飲みに行く。明日から旅立つ。大連に2泊後帰国。福岡経由で長崎まで。2日間更新できない。

 画像は,柳樹屯/大正4年4月18日/前3−6/D欄満。カバーの一部。

2008年1月15日(火)
7銭4

 久しぶりに通勤。8時からみっちりと成績処理。ふと気づくと14時過ぎ。遅い昼食を北食堂に。揚州炒飯と落花生の豆乳。再び戻り,成績処理。主任のK教授のサインが必要と思っていたところK教授がタイミングよく来室。国際交流科で航空券を受け取る。大連経由往復で4304元。18時30分過ぎ終了。あとはウェブ上での成績記入。だがこれがやっかい。中国語なので,中国人の先生についてもらってしてもらわないといけない。最終確定のボタンを押した後は変更がきかないのだ。前学期は男のL教授が付きっ切りでしてくれたのだが,あいにく日本へ出張中。若手のC先生は明日午前中は試験監督,午後会議で夕方しか空いてないという。とりあえずお願いする。
 帰宅後すっかり疲れて寝た後,残りの食材でカレー6皿分を作る。ご飯も炊く。

 画像は,最難関欧文ローラ印。これに匹敵するのは数十年前から凍結したままのSコレクションぐらいか。落札金額は呆れる位。でもバンコク展の審査員との対話ではこれはプラスにもマイナスにもカウントしていないとのこと。まさしく呆れるぐらいだ。

2008年1月14日(月)
7銭3

 肝心のテストの採点。ようやく作文の採点が終了。採点基準をつくるのが一苦労。点数の説明責任があっても大丈夫なような採点基準。明日は大学に行って平常点との合算作業。4科目もあるのでなにかと気を遣う。
 結局,長崎郵趣の印刷は朝方に終了。
 懸案事項が済んだので,カレーを作る。食材が2回分あるので帰国までにもう一度作る必要がある。

 画像は欧文印YOKOHAMA.。単片では史上最高の状態といってもいい。

2008年1月13日(日)
7銭2

 昨日昼から長崎郵趣の印刷のためにプリンターを調整するが何度ヘッドクリーニングをしてもうまくいかない。外付けインクも漏れがあるので,思い切って修理に行くことにした。Y君にきてもらい,購入した店へ。プリンターは向かいにメーカーの修理店があるそうだ。そこに行くと1時間ぐらいで終わるらしい。2階が修理室になっているようだ。拍子抜けした。1週間ぐらいかかるので引取りをY君に頼もうと思っていたぐらいだったのだ。こんなことならもっと早く来ればよかった。昼食を『百脳「亡(に立心偏)」バイノウフイと読む』の5回の富士亭。日本食レストラン。牛丼を。
 プリンターを受け取り,外付けインクの購入店に行くと近くの店が修理店になっているのでそこに持って行くが,そこでは修理不能。インクヘッドがいたんでいるらしい。それで自分の店のインクを買えという。これは修理できるとのこと。140元。ためしに少し安くならないかというと180元の別の商品を出してこれは170元になるという。確かにこちらの方がいい。プリンタにセットまでしてくれるという。結局これを購入。最終的に160元にしてくれた。
 再び最初の店で生DVDや用紙を購入して,別の店のインクの領収書もそこで発行してくれた。この両店はどういう関係なのかよくわからない。今福引をやっているのでその領収書をもっていくといいらしい。1階での福引は現金2元。
 帰ってきて大学に写真のプリントをしに行き,最終的に夕方帰宅。途中で恒客隆スーパーで念願の厚手股引を購入。K教授から今はいているのは薄すぎる,もっと厚いのがあるからそれを着なさいと言われていたのだ。日本人は薄着だそうだ。だから風邪ひくらしいとも。
 このところ冷蔵庫の食材を片付けている。帰国準備だ。一段落してひたすらプリンターで長崎郵趣の印刷。普通紙のフォト印刷だときれいに出る。ただし時間がかかるのが難点。1ページ印刷するのに3.5分かかる。でもいままでのどんな印刷よりも美しい出来栄え。ぜひ例会で確認して欲しい。九州・中国の各支部の方々もお楽しみに。

 7銭画像は欧文ローラOSAKA。かかりは悪いが,鮮明さはあるような気がする。総じてJPSのと同じくらいだろうか。

2008年1月12日(土)
7銭1

 帰国までまだ日があると油断してしまう。台北展のページ構成などを考える。完全に額面別。総論なし。使用例のページなし。額面もカタログ順。したがってタイトルリーフの後は5厘から始まることになる。これは8フレーム構成でやろうとしていたことだが,これを5フレームだとどこかで2額面1リーフになる。
 香港の若き審査員がわざわざ別の作品の前で,プルーフ・見本・未使用・カバーとならべるのが伝統郵趣の作品だと言ったことの実践になる。フレーム単位だと1次3,2次と3次が各1という構成にならざるを得ない。1次2.5,2次1.5になるかもしれない。これは作っていく過程で見直すことになるだろう。とにかくいかに省くかだ。2銭乃木も切手1リーフ使用例1リーフだ。他の切手と同じ扱い。7銭は3リーフくらいになりそうだが。
 久しぶりにDVD映画。辺見庸原作今村昌平監督『橋の下のぬるい水』カンヌ国際映画祭出品作品。
 JPSオークションの結果。昭和スペシャル第2弾。人気2位の7銭欧文印ロット。生涯かけてこの程度のかかりぐあいしか入手できない。それほどの難額面。
 画像はその7銭の欧文印。今日のものとくらべてどうだろうか。

2008年1月11日(金)
点滴4日目

 点滴は通常3日でいいらしいのだが,もう1日するともっといいですというので,今日も行く。昼食をカリ工房のシーフードカレー。タクシーで大学まで。国際交流科のLさんに航空券の交渉をしてもらう。20日がJPS長崎支部の例会,2月17日が北九州の集いがあるので,19日までに帰国2月18日以後中国という日程で。北京・瀋陽経由は1ヶ月のみなので可能性は19日帰国19日中国行きの瀋陽便。北京は必ず1泊する必要があるので不可。料金が一番安いのは北京経由なのだが。
 残る可能性は大連経由。行きはどうしても1泊になるようだ。連続する2日だとうまい便がないので大連で2泊することに。結局17日大連行き,2泊して19日早朝福岡行き。11時40分に到着。この日だと,うまいぐあいに甥に預けてある私の車を空港まで持ってきてくれるそうだ。中国行きは2月22日。25日から新学期なのでちょうどいい時期。ということで1月19日から2月22日まで日本。この期間に台北展の作品を完成させなければならない。
 16時30分にO君が研究室に来てくれた。昨日までのCさんのかわりだそうだ。聞いてみるとO君は点滴を受けたことがないという。薬で治してきたそうだ。だから診察の手順は私の方がよく知っていることになる。今日の診察は昨日奥にいた青年医師。処方箋を書いてくれた。点滴を待つ1時間半の間付き添ってくれた。なんとこのO君,タクシーに乗り込んで宿舎まで送ってくれた。礼儀正しい青年である。

 画像は,カバーの一部。満・公主嶺39.10.6/前11−后2。

2008年1月10日(木)
点滴3日目

 昨日1日ゆっくりできたので,元気になったようだ。調子がいいので歩いて大学まで。11時30分に来客。昼食は一緒に東師会館3階のプチ北国。午後ひたすら採点。総合日語の3.4年と視聴の3科目が完了。作文が残っている。
 16時30分に東師大医院に行くとCさんが待っていてくれた。受付で3元払い,診察で処方箋を書いてもらい,会計で9元払い薬局へ。点滴セットをもらい看護婦室へ。今日の診察も女医さんだが,奥にはえなりかずきみたいな素朴な青年医師がいた。今日の看護婦はフレンドリーな人でワンシャンハオ(こんばんは)というので私もワンシャンハオ。
 点滴中に友人のTさんも来てくれた。今日は早めに終わり18時過ぎにCさんたちと別れ,知人と東方餃子王で餃子。途中,調子がよかったので青島純生を。少し飲む。
 帰宅後,すぐ寝た。

 画像は,(清)/39−2−9/柳樹屯。

2008年1月9日(水)
点滴2日目

 昨日早めに休んだため,4時に目覚め,二度寝したら10時過ぎ。遅い朝食。11時30分に約束していた人から連絡があり,明日に延期になったので,今日は休むことにして再び寝る。
 14時過ぎに起きて昼食。知人から電話があり,その話の中で点滴は3日続けないと意味がないといわれ,昨日Cさんが言った意味が初めてわかった。16時30分に出かける仕度をしているとCさんから病院で待ってますと連絡。タクシーは自由大路の師範大付属小学校まで行かないとつかまらず。
 受付で3元払い,用紙を持って2階の診察室へ。今日も女医さん。書類を書いてもらい,点滴代7元を払い薬局で点滴セットを受け取り,看護婦から点滴の針をつけてもらい,待合室で2時間ほど。終了後再びタクシーまで見送ってもらう。明日も16時30分。
 宿舎のフロントでスープと揚州炒飯のルームサービス。今日は海老と野菜のスープ12元。炒飯が5元。
 明日は大学で採点しなくては。

 画像は、満・旅順/明治40年6月2日/三星。

2008年1月8日(火)
期末試験2日目・病院にいく

 最近通勤はタクシーで。少し歩いたところでうまく拾えた。1・2校時が視聴のテストなので準備のため7時20分に出かけたが,6階の教室棟の鍵が開いていなくてしばらく待つ。監督はC先生と。映像編集したDVDで滞りなくテストできた。3・4校時は採点。
 昼食は昨日と同じく好味道の揚州炒飯。待っているときにくしゃみが出て,また風邪になったらしい。
 午後,国際交流科のLさんに航空券のことを相談に行き,病院のことを訊くと学生を手配してくれ,16時30分に学生のCさんが迎えに行くから一緒にいくといいとのこと。
 16時30分に東北師範大学付属病院に一緒に行く。手続きは受付を1元払ってし,2階の診察室で診察。処方箋を書いてもらって会計で24元の料金を払い,その書類を薬局へ。薬と注射・点滴・薬剤・点滴のチューブセット等を受け取り,看護婦の部屋に持って行き点滴をするというもの。看護婦に点滴を提げるビニールの網代1元を払う。点滴は瓶でその中に薬剤を注射器で入れる。点滴をはずしてもらう人としてもらう人で忙しく,一人の看護婦で手際よくやっている。点滴は駅の待合室のような場所に多数の人がいる。ここが唯一人がたくさんいるところ。日本と違い診察室前にも患者はいないし,病院内で医者にも会ったのは一人だけだし,看護婦も一人だけ。時間が遅いせいもあるだろうが。途中から友人のTさん(昨年度の教え子)も来て,話をしながら点滴終了の時間まで付き合ってくれ,帰りのタクシーまで見送ってくれた。明日も病院に行くときには連絡をしてくれとのこと。
 18時30分過ぎに帰宅後,宿舎のフロントの女の子に揚州炒飯を頼んでいたら,手の甲の点滴の跡を見て風邪引いたのかという(ように聞こえた)。そしてタン(スープ)がいいよと勧めるのでそれも注文。Cさんがお湯をたくさん飲んでくださいと言ったのを思い出した。フロントのメニューは英語が併記してあるのでなんとなくわかる。
 しばらくして部屋に届けてくれた。スープはトマトと豚肉と野菜ということでボルシチのようなスープ。体がだるいので休む。

 画像は,満・大連/明治40年10月25日/三星

2008年1月7日(月)
期末試験1日目・澳門楽団

 早めに通勤し,3階の外国語学院事務室で試験問題を受領。試験会場の702号室へ。監督にL先生。1・2校時4年生。3・4校時3年生。ともに総合日語(日語精読)。4校時にK教授が様子を見に来てくださり,私の風邪の心配をされた。英語科のアメリカ人の外籍教師が亡くなったとのこと。直接的には心臓だったらしい。71歳とご高齢の由。風邪は万病の元だから早く病院に行くようにとのこと。中国の医療ももっと信頼していいとも言われた。
 昼食は北食堂2階の好味道の揚州炒飯。午後採点していると,林嵐教授が来られて風邪の心配をされた。夕方からマカオのオーケストラのコンサートに行きませんかとのお誘い。チケットが手に入ったとのこと。二つ返事で行きますと。集合時間まで採点。若手教員のC先生が来られて夕食をマクドナルドで。その後,一緒にタクシーで吉林省の文化センターへ。林嵐教授は昨日もウィーンオーケストラのコンサートで来て,2日連続だそうだ。
 日本人のk先生が少し遅れて到着。澳門楽団首訪長春音楽会が正式名称で,日本流に言うと,マカオオーケストラ長春ファーストコンサートにでもなるだろう。指揮者はSHAO EN(召の右におおざとでSHAO,恩でEN)。非常にパワフルな指揮者。途中の琵琶の奏者は章紅艶という女性奏者。羅西尼がロッシーニのことだと始めて知った。そのロッシーニの『サルの理髪師』でオープニング。琵琶協奏曲の『草原姉妹』と続き,休憩。休憩中,TV局の取材をまたしても受ける。横から何か一言と林嵐教授からも促され,「ヘンハオ(非常に好い)」。こんなときのために短い言葉をもっと覚えておくといいわよと林嵐教授。後半40分は『自新世界』徳沃夏克。ドボルザークの『新世界より』。なじみの名曲を十分堪能できた。アンコールも指揮者が出て2回,指揮者なしで1回と盛況。会場とオケが一体化した瞬間だった。澳門楽団は2003年に結成された若いオーケストラ。ポルトガル領の名残をとどめ,ポルトガル人らしき顔だちの人多数。中国各地を演奏して周っているらしく長春は14番目の都市とのこと。
 帰りはタクシーがなかなかつかまらないだろうと中でしばらく待って会場を出た。たまには生のオーケストラもいいものだと思った次第。
 長春のタクシーは冬場はなかなかつかまらない。需要が増すせいだが,この時期を基準にタクシーの総数が決まっているようだ。したがって春から秋にかけてはタクシーがそこら中を走っているような印象。

 画像は,清/明治39−5−22/営口。文字間がハイフンである。

2008年1月6日(日)
天倫

 朝・昼と読書して過ごす。午後,爪も伸びてきたので,久しぶりに天倫に行こうと思ったところ,学生から電話とメールで添削の依頼。終了後,天倫へ出かける。
 入浴後,アカスリ・マッサージ(39番)とゆったり。終了後,地下でチンタオビール純生15元と風味豆腐12元。別にアカスリタオル代5元で計162元。
 体が冷えないようにタクシーで帰宅10元。

 昨日届いた『全日本郵趣』。2009年香港展が復活。期間も来年の冬休み真っ最中。ぜひともフル参加したいものだ,縁起のいい長崎の外国印・8フレームで。ということで目標ができた。「コミッショナーの岩崎さんよろしくお願いします。」
 またFIP展中国2009も4月に変更になっていた。こちらは山崎さんがコミッショナー。
 巻頭言の澤さんの前向きの発言は,そのとおりであると納得。

 画像は,満・熊岳城/明治40.10.18/D欄櫛。

2008年1月5日(土)
歓楽ディズニー長春南湖氷雪遊園会2008

 ゆっくり起床し,浴槽にお湯を入れ入浴,遅めの朝食。ちょっと炒めものをしてみたりして。昼間,フォトショップエレメンツで消印の印影のみを抜き出す画像処理を試みる。なんとかできたが,見栄えがよくない。
 夕方知人と南湖公園の氷祭りに行ってみた。標記のタイトルのようにディズニーのキャラクターの彫刻やお城を氷で再現したもの。「HAPPY DISNEY CHANG CHUN SOUTH LAKE ICE AND SNOW GARDEN PARTY 2008」というそうだ。12月23から2月22日までなので帰国前に行っておこうと思ったもの。まさに北国ならではの氷の彫刻。全て氷でできている。暗くなると色とりどりのランプが氷の中から光る。氷柱の中にランプが埋め込まれている。これで入場料50元。
 食事を桂林路の欧羅巴(ヨーロッパ)で。帰りに恒客隆で買い物。一時帰国前なので,それまでの食材の兼ね合いも考えて購入。

 画像は,満・鉄嶺/明治40-10.22/三星。年活字と月活字の間が点でなくハイフンが使われている。

2008年1月4日(金)
今学期最後の授業

 朝宿舎を出るとちょうどタクシーがやってきて乗り込む。宿舎から長慶街を北に行き右折して,西康路を東に進み人民大街へでるというコース。なるほど通勤バスで渋滞している自由大路を避けたというわけだ。
 1・2校時4年生の日語精読。今学期最後の授業である。終了後研究室で作文の整理。昼食を取るのも忘れ作業をしていた。
 所要でシャングリラホテルの近く,西安路に行く。帰国準備である。遅い昼食をメイクイユエン・レストランで。
 帰宅すると17時過ぎ。だいぶ風邪も治ってきたようだ。

 画像は,昨日のとほぼ同時期だが,こちらは金属印の方。NEWCHWANG 1913.9.13 I.J.P.O/D欄6-9/E欄P.M.

2008年1月3日(木)
明日まで授業

 宿舎を出たところでタクシーが来たので,そのまま乗り込んで大学まで。1・2校時3年生,3・4校時2年生。少しテストの準備をして早めに帰宅。遅い昼食を「八八八ラーメン」で。カツ丼と(日本式)餃子。
 風邪のため早めに休む。明日まで授業で,土日休んで7日から期末考査開始である。

 画像は,NEWCHWANG(牛荘)1913.9.18 I.J.P.O D・E欄空欄/エラー印として既発表『フィラテリスト誌1972年4月号/大西二郎』

2008年1月2日(水)
授業再開

 雪が依然積もっている。タクシーを求めて自由大路まで行くがつかまらない。反対方向に行くタクシーが停まったので,それに乗り込んだら,反対方向は行かないらしく激しい口調で喋り,恐い顔で睨むので降りる。需要が多いときはタクシーも強気である。結局そのまま雪の中を転ばないように注意しながら大学まで歩いた。
 1・2校時3年生。さすがに体調不良の者以外は出席。3・4校時4年生。就職活動のせいか少ない。
 昼食は久しぶりにK君と北食堂。オンドルの話などをしていたら,急に韓国料理がおいしそうに思えて,ビビンバを。
 北食堂のスーパーは休み。風邪薬が買えず。
 13時30分から,体調不良で作文のテストを欠席した学生の追試。問題Bで実施。試験問題の検証を行い,主任のK教授のサインももらい,無事事務室の担当の先生に提出。これで来週の試験は実施できる。あとは解答と問題Bの問題と解答の作成だが,今日はこれで帰宅。途中薬屋で風邪薬購入。

 帰宅後,切手類のスキャン。これであと1ヶ月くらいはもちそう。
 今日の画像は,支那字加刷菊10銭にNEWCHANG(牛荘)1910.1.28 D欄櫛

2008年1月1日(火)
謹賀新年

 多分生まれて初めて海外で年を越したことになる。学生時代スカイメイトで元旦に帰った記憶があるぐらいだから,自宅以外では約30年ぶりということだ。
 昨日,結局泊まってしまい,朝遅く起き,簡単な朝食。すぐ自宅に帰り,風邪薬を飲んで再び休む。
 夕方から起き出して,期末試験の問題作成。ここ数日風邪や忘年会やその他で捗っていない。でも構想はできていたので,あとは時間をかければできるはず。なんとかペーパー3種類,視聴覚の出題DVDの編集が終了したのは26時。
 なんとか明日提出できそう。
 
 画像は,4次普通切手30分3枚貼航空書留配達証明。新京中央,康徳5(1938)年11月7日。日本では昭和白紙30銭の頃。1次昭和30銭の発行は翌年。料金は基本料金4分の2倍で8分,航空料金2倍で70分,書留8分,配達証明4分で計90分となる。

  2008年1月


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