02月08日

2005年2月8日(火)
後期13
 昨夜早めに就寝したので今朝,自然と早起きした。いまにも雨が降りそうな曇天。空き時間が集中しているので,昨日見れなかった難関校添削や,小論文添削を済ませる。授業の資料もあわせて作成。国語部会誌の編集で撮影した写真をスキャナーで取り込む作業が進まなかったが,フォトCDサービスがあると聞き,早速近くのキタムラへ。2時間ほどでできるという。
 放課後は同窓会誌の校正作業を同窓会館で行っているとのことで,まずそちらに行き自分の担当分を校正。
 その後放送部に行く。今度の大会に出場する生徒の読みの指導。順番に聞く。1年生でずいぶんうまくなった人もおり,楽しみである。
 18時30分に学校を出てフォトCDを受け取りに行き,19時からの新年会。例年始業式に行うのだが,今年は暦の関係で始業式が遅く,センター試験前の進路指導の激励会と近かったため,延期になっていたもの。歳祝いの会である。当地では,男性の41の厄払い(初老の祝い)とともに女性の33の厄払いを新年行う会があり職場でもやっていただくのである。私も8年前やっていただいた。  
 場所は豪華な食事で有名な「岩永旅館」。めかぶ,茶碗蒸し,伊勢海老・鮑等の刺身,島原のがんば(ふぐ)料理に始まり,オードブルは七面鳥丸焼きとハム・ソーセージ類。カニ,牛肉と鴨のしゃぶしゃぶ,牛肉は1人に1皿である。牛肉のステーキ,サザエ・ホタテ・マテ貝・ハマグリの貝類の酒蒸し,順番に仲居さんがその場で調理してくださるので食べるだけ。途中で活き車エビの飛び跳ねるのを生で。これは私は遠慮する。最後,イクラ丼・寿司は食べきれず。祝いの場であるから赤飯のみいただく。
 その後喫茶店「ケルン」でY先生と歓談の後,さくら代行を読んで帰宅。22時30分。火曜日せっかく雨が降らない日なのにまたテニスに行けず。
 大橋館長さんの日記を見ると新小判20銭の後期13を入手されたとのこと。確かに少ないものである。一時期1円の後期13が少ないといわれた時期があったが,その後何点か出現して,ひところのようではなくなった。1円と20銭どちらが難しいのだろうか。はるか以前雑誌に掲載されたA先生のリーフでは25銭が抜けていたので最難関と思い込み,執念で入手した記憶がある。

02月07日

2005年2月7日(月)
小判切手
 通勤時は雨。4時間授業が入ると空き時間に余裕がない。結局,難関校添削・小論文添削,出されたもの全て処理できなかった。放課後会議。その後放送部に行く。今度の土曜日12日はコンテストなのだ。水・木の午後は出張なので放課後放送部の読みの指導ができない。明日の放課後だけの指導ということになる。18時過ぎ帰宅。

 「たんぶるぽすと」着。石川コレクションの話興味深く読む。「紙の情報誌」到着。いつもなにかしらの新発見があるのは人徳故であろう。そろそろ小判切手の作品作りにとりかからねばと気持ちを引き締める。本日付島原新聞に連載4回目掲載。

02月06日

2005年2月6日(日)
シーサイドライナー
 8時51分にチェックアウトして隣のビルに行く。移動時間が短いとゆっくりできる。9時開始。
 午前中の講座1本目,審査の実際ということで実際に審査をしてみる演習。アナウンスと朗読についてそれぞれ行う。いずれも耳に心地よい読みだが,どこで差をつけるか,どの部分に注目するか勉強になった。参加者のほとんどはNHK杯の県予選の審査をし,全国大会の審査員も多数おられる。要するに審査員の講習会みたいなもの。
 次に,テレビ番組・ラジオ番組の作品制作の構成段階の演習。9斑に分かれ1時間ぐらいで構成までもっていくというもの。テーマは「今どきの高校生」。網羅的になるより焦点を絞ったものがわかりやすいようだ。いずれの班も映像が浮かんできそうな内容。何度も全国1位を取った高校で指導されておられる先生の班のものが印象に残った。実際作ってみようという話にもなった。撮影や編集の講座は多いが,このような発想を鍛える講座は初めて。ポストイットの付箋紙を使用してあれこれ並べ替えて構成していくポストイット構成法である。この2本の内容の濃い午前中の研修であった。
 午後は,鹿児島での九州大会の報告,佐賀の小学生・中学生・高校生参加の放送コンテスト「アバンセ杯」の報告。最後に今年度のNHK杯全国大会の審査で問題になったことを,審査員として参加された天野先生から報告があった。予定通り14時30分終了。
 40分には会場を出て,長崎駅から15時10分発のシーサイドライナーに乗る。その名のとおり,大村湾沿いに走っていくJRの快速電車である。天気もよく海岸の景色も眺望できた。諫早で16時15分発の島原鉄道に乗り換え,17時20分には帰宅。ノイズキャンセリングヘッドホンは列車の移動には欠かせない。47000アクセス。最近アクセス数多いような気がする。

 2日分の郵便物,といっても日曜は配達がないので昨日到着と思われるが,到着していた。「タカハシスタンプオークション」,いくつか入札しようと思うものあり。

02月05日

2005年2月5日(土)
放送部顧問研修会
 昨夜遅く帰宅し,再び長崎へ。10時前に会場である県の農協会館に入る。出島電停の前。トレディアホテル出島の横。10時30分開始。約100名の参加者のうち半数が県内,残りは九州内とそれ以外が半々といったところ。県外の参加者は放送コンテスト常連校と過去の参加者からの口コミでの参加。宮城・千葉・石川・大阪・広島・島根・高知等熱心な県の放送部事務局幹部が参加しているようだ。12年前この会を企画された天野紘先生の人徳により全国から集まったようなものである。長崎県放送専門部はオープンな会なので年々県外からの参加者も増えている。県内にもオープンであり,初めて顧問になった人でも顧問研修会を通じてある一定レベルの指導はできるようになるのである。県外の先生方から「長崎県集団指導体制」などとしばしば言われる。手の内を公開することによってレベルのボトムアップを図るというのはどんな組織にも必要なことではなかろうか。自分さえよければという発想で狭い殻に閉じこもっていてはジリ貧になっていくばかり。
 18時から交流会。県外の先生ほとんどと県内の先生半数ほど参加。ちゃんぽん発祥の店「四海楼」が会場である。グラバー園の前。入場したところで,急遽幹事長から乾杯の音頭をしてほしいと言われる。顧問歴が長い方に入ってきたためか。各県の紹介と並行して,つつがなく会は進行し,角煮饅頭や中華,発祥のちゃんぽん・皿うどんを堪能。
 2次会会場まで夜の長崎を歴史散歩しながら移動。社会科教諭の木村先生をガイドに一同頷きながらの夜の散歩である。誰もオランダ坂(これは私)などと言いながら故事来歴のある史跡を見ていく。旧正月を祝うランタンフェスティバルとは今年タイミングが1週間ずれたが,メイン会場の港公園は飾り付け完了済。灯の点いていないランタンを見ながら新地の中華街を抜けていく。
 2次会の会場は銅座にある,天野先生「かかりつけ」の店「プチマダム陽子」。昨年もこの時期登場したはずである。この顧問研修会の2次会は何人入るかに挑戦する日らしい。数えてみたら37人。県外からの先生が8割といったところ。店側が2名。40名近くが入ったことになる。男女比半々,20〜60台の年齢構成。高校放送部という一点で結びついた集団である。目処を24時に設定してお開き。途切れることないカラオケの喧噪の中でも,じっくり話ができるのが2次会の利点。私自身天野先生から直接,島原高校放送部のよい点・改善点のお話を聞けたのはよかった。最後は全員で肩を組んで「乾杯」を合唱。「長崎はひとつ,九州はひとつ,全国はひとつ」を合い言葉に奇妙な連帯感が生まれた日であった。
 胃検診の結果判明していないので次は行かず,ほどほどにして宿舎へ。トレディアホテル出島である。出島を通って行く。12時30分到着。またしてもテニスクラブに行けず。

 ヤフオクの入札だめだったようだ。やはり場にいなければ負けてしまう。最近携帯でも入札できるのを知ったが,2次会場で見るわけにもいかない。まっ無駄遣いしなくて済んだと思うことにしよう。

02月04日

2005年2月4日(金)
華の長崎
 放送部の顧問会議で長崎へ。途中雪が所々残る長崎バイパス経由。県立総合体育館大研修室。ここは駐車場が無料なので車で来た。明日の会場の農協会館は駐車場がないので,JRで行くつもり。今日は県内の顧問の放送部活動の年間反省と次年度の行事について話し合う場である。午後からは「PA」について顧問として知っておくべきことについての講習。主にマイクの特性,ミキサーの使い方等。16時に終了後,近くのヤマダデンキ,港の近くの「夢彩都」の紀伊国屋書店に立ち寄る。やっと念願の長崎の絵葉書写真集「華の長崎」購入。6090円長崎文献社。ネット購入もできるらしい。

http://www.e-bunken.com/docs/top2.html

 その後知人と食事,22時過ぎ帰宅。

 「華の長崎」は絵葉書の収集もそうだが,背景の歴史が詳しい。雲仙の表記にミスがあったのは愛嬌か。

02月03日

2005年2月3日(木)
国語部会
 わりと日中過ごしやすい天気。国語部会の地区主任会で使う資料を各地区理事に発送する。国語部会誌の原稿を出版社に発送。3月末発行に向けて始動する。夜学の当番。質問の生徒も来るのでのんびりできない。20時50分から駐車場の整理。生徒を迎える保護者の車を3カ所で整理する。9時15分までには終えることができた。帰宅9時40分。

 今年最大の話題のはずだが,J-stampのHP以外にはコメントがない。Nくんに思いを馳せる。

02月02日

2005年2月2日(水)
10銭
 雪は自宅周辺は残っていない。島原市内はいくらか残る。紀要の原稿10ページを仕上げる。昨日までにおおざっぱに作っていたのだが,レイアウト,文字の大きさ,数字の半角全角の統一,用語の統一等である。各執筆者の予定ページも少しオーバー気味の様子。放課後同窓会誌の編集に必要な画像をスキャンするために同窓会館にて作業。寒い中の作業。手がかじかんでしまった。国語部会誌の編集もあるのだが手が回らず。18時30分帰宅。

 語ろう板,毎日興味深く見ている。今日も少しずつ輪郭が見えてきた。書留便は送ってきた封筒で,モノは菊10銭単貼。だとしたら,今年最大の売り物ということになる。これひとつあれば単片2種はいらない圧倒的存在感。一緒に並んだら単片2種のリーフよりもずっといいだろう。ということは値段は姿,すなわち見栄えになるだろう。リーフに貼ったときの印象が全てだ。大正白紙のフレームが終わり,旧大正毛紙のフレームの冒頭に入れると郵便史的に,まさにぴったりのマテリアル。こればかりは単片では物足りない。まして未使用はここでは使えない。ということは菊切手コレクターのみならず,田沢コレクターにも必須のマテリアルということになろうか。でもJAPEXでこんな使い方をすると田沢シリーズに菊切手,しかも「切手でないもの」をいれたなんて言われて大幅減点だったりして。

02月01日

2005年2月1日(火)

 雪。南国のため雪はめったに降らない。子どもの時は庭に出て家族で記念写真を撮っていたぐらい珍しい。国道を遠望すると盛んに車が走っているので5分早く家を出た。島原市に入るところぐらいから渋滞。いつもより車の量が多いようだ。なんとかたどり着いた。途中雪が断続的に降り続いたが,積もるところまでいかない。放課後職員室に集まり対応についての話。生徒はすみやかに帰す,どうしても練習のある部も18時30分には完全下校,職員も勤務時間後早めに帰る,とのこと。帰りも積もっていなかったが帰宅途中雪が盛んに降ってきた。明日はどうなるかわからない。18時前に帰宅。

 昨日のメダルプレートには「大銀賞」「金銀賞」の文字のみだが,もしやと思いそれぞれのメダルを取りだして裏をみたら,賞と名前のも彫り込んであった。作品名なし。

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