11月30日 |
2004年11月30日(火)
慌ただしかった11月も今日で終わり,明日から2004年最後の月。もうこんな時期になったのである。2年生は代休なので,修学旅行引率の先生も代休。職員室の真ん中の部分に空白が目立つのはよけい寂しい気分がするものだ。忘年会出欠の回覧もきた。放課後補習の後は,質問の生徒も少なく,18時過ぎに学校を出,一旦帰宅し,20時からテニスクラブ。22時まで。今日までが初心者教室らしい。インストラクターの指摘は的確である。フォアストロークの癖やサーブのトスの時指で支えていないからボールが回転して安定していないなどというのは実に新鮮なアドバイス。フォアとバックのボレー,サーブなど基礎的な練習であっという間の2時間だった。テニスクラブの忘年会12月5日だそうだ。19時30分から「もとよし」で。もちろん参加予定。
ジャパンスタンプのメール締め切り,昼休みにFAXで3枚送信。最低値プラスアルファぐらいが大部分。帰宅直後,宅急便でJAPEX記念出版「南方占領地」が届く。明日ゆっくり見るとしよう。就寝前,束を紐解くとすばらしいものが。
11月29日 |
2004年11月29日(月)
1週間の始まりは早朝補習から。今日はなにかと慌ただしい。2年生は期末考査終了で,明日代休明後日から修学旅行。1年生は明日から期末考査。3年生は平常授業。放課後補習のあと,放送室に行くと,期末考査終了ですっかりくつろいだ2年生が。修学旅行用として番組制作班にビデオ1台を託す。18時30分と割に早く帰宅。郵便物を受け取りに行く。
スタンプシバタオークションの受け取り,やっと完了。大物は落ちず。それにしてもジャパンの落札はどんな状況なのだろうか。
11月28日 |
2004年11月28日(日)
いつものように6時過ぎには目覚め,日記を書く。7時過ぎに大浴場にてゆったりくつろぐ。8時の朝食後,海の見える露天風呂というのが別にあるとのことで,つかりに行っていたら,出発時間9時の10分前。フロント横のデータ通信電話で日記アップをするが,ダイヤルアップはつながったものの,日記がアップできない。そうこうするうちに出発の時間(帰宅後,ノートンインターネットセキュリティのファイアーウォールによりFTPサーバーに接続できなかったと判明)。宿の近くの萩(指月)城の散策。観光客もあまりいず,ゆっくり見ることができた。萩焼の湯飲みと萩の地ビール「チョンマゲビール」3種セットを購入。ホテルは満室ですごい人数だったのであの人たちは何処に?と思っていたら,次の松陰神社で観光バスがひっきりなしに出入り,ここにいたのだと納得。「月刊松下村塾」2号が昨日発売というのでこれも1号とともに購入。夏みかんソフトクリームはいまひとつ。萩開府400年記念ふるさと切手のたとう付に松陰神社前局の風景印押印してもらい1760円。切手22枚分の額面である。最後に藍場川周辺の散策。観光案内によると,「市内の東南端から市内に通じる幅1.5mの人工河川。昔から農業用水や水上交通路として利用され、市民の生活に関わりの深い存在。歴史を感じさせる味わい深い石垣や石橋が今も残る。澄んだ水には鯉が泳ぎ、いかにも萩らしい情緒豊かな散歩道といえる」。桂太郎旧宅もここにあり,4畳の間は,4イコール死のイメージから,通常は取らない間取りで切腹用の隠し部屋という説明に驚く。鯉に餌をやったり,散策を楽しんだ。12時30分前に萩を後にし帰路の途へ。食事場所を探すが,適当なところがなく美祢インターから中国自動車道へ入ってしまった。壇ノ浦サービスエリアで遅い昼食。「毛利元就三本の矢」という絶妙なネーミングのものを食べる。何のことはない尾頭付きの3本のエビのフライを卵とじしたものに吸い物・お新香ともう1品のセットである。対岸に門司,横浜上海航路の寄港地として栄えた往時を偲んだ。帰途再び金立サービスエリアで一服し,ジャージーソフトを。ジャージー牛乳のソフトクリームはほんとうにうまい。諫早公園で2名と別れを告げ,帰宅は18時。無理のないゆったりした旅の終了である。帰宅後すぐに日記アップ。
留守中の郵便物,「スタンプコレクター」,「スタンプマテリアル」到着。帰るなり,ジャパンオークションについての情報をWebサイトで集める。やはり1声上ではねられたもの多数。でも仕方ないかとあきらめる。バザーの即売品についてのメールも。ジャパンの即売については,会場配布の即売品の案内によると,「1から14は10個から100個までの在庫で,売れ残ったらご相談しましょう、ハンデ分位はサービスするかも知れません」らしい。100個作ったものは完売とは考えられないので,売れ残りの再販の可能性が出てきた。明日以降の「語ろう板」に注目したい。
11月27日 |
2004年11月27日(土)
国語科の研修旅行。月々の積立金では予算が不足しそうなので,臨時徴収あり。朝8時学校出発ということで,私の自宅は8時15分ぐらいに迎えに。9時15分頃諫早公園前に諫早で合流の2名を迎え計7名勢揃い。2名は学校の用事で急遽参加できず。高速長崎道の金立パーキングで一息。もうここで既にイカ天始めとする練り物の食い始め。中国道に入りパーキングで休憩を取りつつ,小郡インターで降り,まず最初は種田山頭火ゆかりの其中庵(ごちゅうあん),当時の庵を再現したもの。ほとんど観光客もいず,隠れた観光スポット。昼食後山口市内に入り,中原中也記念館。中原中也と小林秀雄と長谷川泰子の関係を描いた特別展の開催中。「悪妻は哲学者を作る」などと言う言葉が唐突に思い浮かんだ。ザビエル聖堂,瑠璃寺の五重塔を経て,萩の宿舎「千春楽」に着いたのが18時30分。19時から食事を開始し,2次会は館内のラーメン屋,3次会タクシーでカラオケハウス「メロィライン」,24時前にホテル着。
大阪では,晩秋の陣。オークションの方は落ちなくても納得できる金額で入れてあるのでいいが,気になるのはバザーの「昭和の海」。二人に購入依頼をしたが,ひとつは買えなかったそうで,結局手に入ったのは前半4後半6の計10。郵送してもらう予定。
11月26日 |
2004年11月26日(金)
金曜日は,ただでさえ午後にシフトした時間割。おまけに出張の先生の関係で時間割変更があり,4・5・6・7・放課後補習と5時間連続授業。でも今日がセンター試験前50日ということもあり,7校時は学年集会だったが。ついこの間100日前といっていたのがもう50日前である。放課後はいつものとおり,質問の生徒と難関校の添削。20時帰宅。明日は国語科の研修旅行,中国自動車道経由の萩探索ツアーである。
ジャパンオークションのメール入札,なんとか済ませることができた。今回は,なんと1ページの枠内に収まった。果たして何点落札できることやら。
11月25日 |
2004年11月25日(木)
今日は、もう木曜日である。ということは,あと1日で土日。旅支度をしなければならない。実は今日から新しいVAIO
T90PS上で日記を書いている。2年生は考査中,1年生考査前で,15分程度の発声練習だけで部活動もない。月末の木曜日は職員会議。会議終了後,3年生が質問にくる。それと副担任をしているクラスの生徒の志望動機の作文添削・難関校の添削と,いつものように過ごす。20時前に帰宅。
JAPANオークション,仕事が込み入っていると,家に帰ってゆっくり見るという時間がとれない。明日メール締め切り。
11月24日 |
2004年11月24日(水)
休日明け,今週はあと3日でまた土日。ジャパンオークションに行きたいところだが,国語科の旅行のため断念。2年生は修学旅行前の学期末考査1日目。1年生も学期末考査1週間前で部活1時間程度,といっても放送部は日々の発声練習15分程度だが。放課後,3年生の質問の生徒,いままで来てなかった生徒も来だした。それと短大の推薦合格の報告,大学受験の相談など放課後が忙しい。6時過ぎに学校を出て交差点で停まっていると近所のI君がバス停待ちしていたのだが乗せてほしいと駆け寄ってくる。自宅に帰るまで車中で進路相談など。今日早く帰ったのは,注文していたVAIOタイプTが出荷との表示になったので,そろそろ到着する頃と思って帰宅すると,案の定到着。ノートタイプのパソコン購入は3年ぶりである。ソニースタイルでXPプロとメモリ1G積んだもの。もちろんDVD±RW搭載。6ヶ月払いのボーナス併用で購入。切手以外はつつましく暮らしているのである。早速セットアップするが,完全移行はしばらくかかりそう。
SEVENとスタンプシバタの入札誌の検討。タカハシからは不落札通知,また1点も落ちず。やはりフロアには負ける。
11月23日 |
2004年11月23日(火)
休日の目覚めはのんびりとなる。第8回福岡コレクターズバザールに行くために,早起きしようとしたのだが,結局出発は10時半過ぎ。11時48分のかもめに乗る。電源の使える2号車である。13時20分頃に着いて,会場であるももちパレスへ。地下鉄の藤崎で降りるとバスセンターに出る。その隣接する建物がももちパレスである。14時前には着いたと思うが,パインスタンプの松本さんによると「田畑くんはついさっき帰ったよ」とのこと。しばらくして,「あっ,帰ってきた」というので見てみると,JPS福岡支部長の末永さん。田畑くんとは食事して別れたとのこと。終了時間の16時までひたすらカバーを見る。精算を済まして会場を出ると藤崎。19の頃というと28年前になるが,当時住んでいた西新から藤崎,室見と歩いて姪浜の親戚の家までよく行っていたことを想い出し,藤崎の街を西新まで歩く。ビルやマンションが建ち並び昔の面影はない。西新の交差点に出ると通学路である。昔を想い出すように歩いてみた。左に修猷館高校。創立200周年記念の建物を見つつ行ってみるとそこは駐車場。ただし入り口に記念プレートが。修猷館の同窓会が創った修猷学館が存在したことを示すプレートである。当時県立の予備校などといわれていたが,もちろん別法人である。修猷館OBが講師をし,学館生の半数が修猷館卒業生であるというだけである。体育のときはなぜか修猷館の体育館を使わせてもらっていた。門を通るのが面倒なので塀を乗り越えて直線距離で移動していたような記憶がある。予備校なのに入試があり,要項には入試の程度は国立2期校程度とあった。外部からの募集は100名ということは,修猷館からの卒業生も100名ということになる。プレートによると40年の歴史を閉じたのが平成7年。大学入試センター試験受験が全国展開の大手予備校の分析によるデータ収集なしではできないということになった時期だろうと推察する。当時福岡で隆盛を誇った水城学園ももうない。親不孝通りという名のみ今に残る。西新で食事をし,地下鉄に乗り,博多17時22分発のかもめだが,これはソニックかもめで電源のついた席はない。交通費を使っても行く価値のあるパインスタンプ,見るたびになにかしら収穫があると満足した福岡行である。19時過ぎに諫早到着。帰宅は20時過ぎ。
11月の初めに町からのチラシで申し込んでいたテニスクラブ,今日初めて参加することができた。火・土の週2回20時から22時。今度の土曜も旅行で参加できないので,できれば今日参加したいと思っていたが,なんとか間に合った。15年ほど前まで熱心にしていたのだが,最近あまりやっていない。初心者コースを今月から初め,7回目だという。今日から参加の私を含めて2名は特別に指導してもらう。丁寧に教えてもらうが,勘を取り戻すのに時間がかかる。弱点も指摘してもらった。最後はミニゲームまで。サーブも徐々にスピードを増していった。運動不足の解消のためにつとめて参加しようと思う。22時10分帰宅。36000アクセス達成。
11月22日 |
2004年11月22日(月)
1週間の始まりは,早朝補習から。2校時から4校時の空き時間,剣道部の監督と講演会のプレゼンテーション用のビデオ作成。監修者が横にいての制作だからやりやすい。練習風景17分全国大会優勝のビデオの編集とあわせて35分になった。記念ビデオの制作会社に電話をかけ著作権に問題ないことを確認。監督の希望で「栄光の架け橋」の音楽の一部分を使用したが,JASRACのHPで著作権関係を調べてみると,無料の講演会なので私的範囲にとどまるようだ。昼休みにかけてやっと完成。これも生徒たちの編集があったからこそ。放課後補習終了後,17時過ぎに放送室に行き,放送部の生徒たちとビデオを見て完成を祝う。職員室に帰り,質問の生徒の応対。下校後は難関校の添削。国語部会の機関誌「国語研究」の原稿依頼文書,起案したものが帰ってきたので,封筒に詰め発送。20時過ぎ帰宅。
「JPSオークション」到着。明日は福岡のももちパレスで行われる第8回福岡コレクターズバザールに行く予定。「身の丈にあった商売」が信条のパインスタンプ松本さん,束モノはまだあるだろうか。
11月21日 |
2004年11月21日(日)
いよいよ自治会対抗バレーボール大会の当日である。7時30分集合,7時45分開会式,8時10分第1試合開始。町民体育館Bコートで第2試合と第5試合。1セット目女子,2セット目男子,3セット目男女混合だが,けっこう3セット目までもつれ込む試合が多く第5試合が終了したのは13時頃。終了と同時に自治会の公民館に場所を移し,食事会,怪我もなく無事出場できたことを祝った。なんといっても,出場選手は9人制バレーで男子9人,女子9人のぎりぎりだったのだから。自治会会長,公民館長,選手と家族で20人以上の食事会だった。その後はビールの飲み過ぎでダウン。夜起きたら,体の節々が痛い。この1週間慣れない運動をしたせいか。
Yahoo!オークション ,「軍事郵便 鉄道郵便/40-3-24/大連昌図間/上二 日露戦争」301,000 円,「【和】希少!国内航空便.初日印-20.00円.五重塔-貼 -20.10.25」421,000 円だった模様。
11月20日 |
2004年11月20日(土)
久しぶり家で迎える休日。昼頃起きる。夕方BEATの前タイヤ2本を注文していたカーショップ「クワハラ」に行く。早くから入荷の電話をもらっていたのだが,なかなか行けないでいた。今回,前2本POTENZAに替えたので,4本とも同じブランドのタイヤになった。バッテリーも弱っているとのことで交換。帰り道,心なしかエンジンが軽快になった印象。クワハラの前は諫早の競技場。交換前に少し散歩した。もうすっかり秋の風景である。交換中は,店長からカーコンポの説明を受ける。MP3ファイルを焼いたCDが直接再生できるというのは便利。CDチェンジャーがいらないではないか。19時前に帰宅。20時からバレーボールの練習,22時まで。いよいよ明日が自治会対抗バレーボールの大会である。帰宅後,練習に来ていなかった選手に電話で確認。
タカハシの入札をFAXで。いくつ買えるのだろうか。
11月19日 |
2004年11月19日(金)
金曜日は1・2校時空き。放送室の編集機器の前で,全国制覇を達成した剣道部の監督といっしょに,取り入れてほしい場面をみながら編集。5・6校時は第2回の公開授業。地域・保護者・中学校の先生方に本校の授業の様子を見てもらおうという試みで,今年から開始。私は5校時,3の1古典U。普段の授業をやってくださいということだったので,現在やっているセンター試験対策の演習の授業。4階の端の教室のためか,数人が眺めていっただけだったようだ。放課後補習前に,1年生の番組班の生徒に,編集の続きをやるように指示。補習終了後一緒に編集。途中ここ数ヶ月の懸案を想い出す。スケジュールがあわずここ数ヶ月行ってなかった歯科定期検診,カードを見ると8月の予約日,ということは7月から行っていないことになる。電話で予約し,後を生徒に任せ,深江町の上田歯科まで。20時前に放送室に帰り,編集の続き,22時まで。生徒は18時30分頃までには帰宅しているので,当然一人で作業。帰宅は22時30分。昨日がボジョレー・ヌーヴォーの解禁日ということで購入してはいたものの,昨日は体が疲れ果てて飲もうという心の余裕はなかった。1日遅れで開ける。ピエール・アンドレ レ・ティエイユ ボジョレー・ヌーヴォーの赤である。
長田氏から紙の情報誌到着。いつも一方通行で申し訳ない。明日タカハシのメール締切。
11月18日 |
2004年11月18日(木)
木曜日の授業は,3時間で標準的だが,これに授業の振替で1時間,公開授業の参観で1時間と2時間増えると,空き時間が2時間になる。全国制覇を達成した剣道部の監督から,練習風景と大会の軌跡をビデオに20〜30分でまとめてくれという依頼があり,1年生にさせていた分を放課後手直し。空き時間はその先生と必要な映像部分を切り取る。18時頃までは1年の生徒としていたが,生徒下校時間後は,私がやった。19時30分頃まで続け,目処がついて帰宅するが,今日は自治会のバレーボールの練習日。トレーニングセンターにボールを置いて,少し遅れる旨,伝言を頼んで帰宅。食事して着替えて20時30分から22時まで練習。今日は時間いっぱい練習した。22時10分帰宅。
「九州遊趣」原稿割付確認のメール。もうすぐ発刊。次回の分も12月中に出したいとのことなので,原稿も11月中に仕上げなければ。
11月17日 |
2004年11月17日(木)
11月17日である。そう,普賢岳噴火から14年目。長崎新聞でも1面にはその記事。1年後転勤し,平成4年4月から噴火が終息する頃までの5年間,噴火下の島原商業高校に赴任して過ごした。故郷の一大事に当事者として活動できたのはある意味で幸せだったのかもしれない。火山灰に悩まされた日々。ノート提出で生徒のノートを見ると,噴火のあった日のノートには微小の火山灰がついてざらざらしていたのももう,思い出である。そんなことを考えてしまうのが11月17日。
さて,授業が詰まった水曜日。放課後も質問の生徒や難関校添削に追われる。県の図書館部会からは部会報の原稿依頼,先日電話で依頼された分が正式に文書で来た。国語部会の執筆依頼をした人からの頼みだから断りにくい。1600字の2ページだから,原稿用紙8枚。資料さえ揃えられれば2時間の仕事。でも資料収集に時間かかりそう。帰宅は19時30分。
ジャパンのカタログを眺めるが,今回は場に行けないので,作戦を慎重に立てなければいけない。狙い目は白黒図版とメール。意外に安く落ちることが多い。
11月16日 |
2004年11月16日(火)
机上の書類を片つけていく。最近,推薦入試で受かりましたと報告の生徒が何人も。短大・専門学校はもうそんな時期なのだ。国立大の推薦の書類も担任と分担して目を通す。放課後補習と紀要の編集委員会。2年に一度の紀要であるが,この編集も私がやることになる。1月下旬原稿締切3月発行の発行スケジュール。その後放送部へと。19時過ぎに学校を出て,20時からトレーニングセンターで自治会のバレーボール大会の練習。隣の自治会と試合形式の練習を22時まで。帰宅22時頃。
郵便史学会「郵便史学」到着。初期外国郵便の記事に興味。
11月15日 |
2004年11月15日(月)
やっと平常の日々に戻る。月曜は早朝補習から。1校時が終了して,机上の書類を一つずつ片づけていく。放課後補習の後,質問の生徒。放送部に行く。7時過ぎに学校を出て,体育班長の仕事。21日の自治会対抗バレーボール大会の選手名簿と要綱・組み合わせ表を持って,選手の家庭18軒と自治会長・公民館長の2軒計20軒をまわり終えたのは21時過ぎ。明日から練習開始の連絡もする。カウンタ作動してないが,35000アクセス達成のはず。
「ジャパンスタンプオークションカタログ」届く。未使用やカバーでいくつか目を引くものがあった。
11月14日 |
2004年11月14日(日)
九州高校放送コンテスト長崎県大会である。島原駅6時45分発のバス。私は有明役場前から乗車。途中多比良・神代で3人乗り生徒20名に私を加えて21名。林田観光の運転手着きマイクロバスには,ビデオ設備もあり,作品を披露。なかなか20人が一同に会することはなく今日初めて作品を見た人も多かったと思う。今日用事や他の部活動の掛け持ちの人以外は皆参加してくれ,マイクロバスを借りて県大会に行くことになったのである。8時20分,NHK長崎放送局に到着。8時30分打ち合わせ開始。私はアナウンス予選の審査に入ることになった。40人の出場に対し,予選通過は17名。本校から2名通過。朗読部門も40名に対し17名だが予選通過ならず。午後から決勝。アナウンス部門は8位まで優秀賞だが,それには入らず,12位までの優良賞1名。県大会の壁はなかなか超えられない。アナウンス・朗読部門とも長崎西・南・北,活水の長崎市内4校の独占状態。作品部門も,入賞せず。閉会式後16時20分頃再びマイクロバスに乗り帰宅の途へ。途中下車しながら18時過ぎに帰宅。
ここしばらく切手の活動をしていない。明日から平常に復帰。
11月13日 |
2004年11月13日(土)
昨日はそのまま寝てしまい,しかし体内時計のお陰で一旦は7時に目覚めるが,ホテルの遮光カーテンの威力はすさまじく,二度寝して起きたら9時47分。フロントに電話してチェックアウトの時間を確認すると10時とのこと。大慌てでシャワーを浴び,着替えてチェックアウトしたのが10時7分。10時過ぎていたので,最近行っていないコンピュータウンに。書籍2冊購入。と放送部のもう一人の顧問の先生からTEL。そのまま学校に向かう。朝食に買っていたパンと飲み物は,信号待ちの合間に。12時20分頃到着。放送部の作品をまとめることに,1年生のビデオ作品は時間が足りなくて失格の恐れ。ラジオドラマは,音声が切れているところのやり直し。18時30分過ぎまで生徒と一緒に作業。2年生の分はそのまま出すことに。2年生の分は,私が題材なだけになんとも形容しがたい。CD−ROMを渡していたので,田畑氏の解説をもとにナレーションを考えていたようだ。ぜひとも田畑氏には見ていただかねば。
3日ぶりに帰ると郵便物が。切手関係では,「スタンプシバタオークション」「SEVEN」が到着。ジャパンはまだ。
明日は,NHK長崎放送局で九州放送コンテスト長崎県大会である。再び長崎へ。部員が20名行くというので,マイクロバスを借りて私はその引率。島原駅6時45分,有明役場前7時の予定。また明日も早い。
11月12日 |
2004年11月12日(金)
国語の九州大会2日目。9時30分開会なので,ゆっくり起き,昨日入っていなかった大浴場でのんびり朝湯。浴場に向かう途中,大会会長の樋口佐賀県会長とすれ違い挨拶。鹿児島の事務局長とも浴場にて出会う。大会が始まるまでは,なにかと忙しかったが始まってしまえば,ゆっくりと会そのものを楽しむほかない。8時30分に日記をダイヤルアップで更新して,9階スカイレストラン・キャッスルビューで朝食。9時過ぎに荷物をまとめて,車に積み込み,唐津市民会館へ。南城内駐車場2時間以上は400円という駐車料金設定。開会後は,昨日の分科会報告。その後新井満の「千の風になって」いう講演。朝日新聞の天声人語(2003年8月28日 木曜日)に掲載されたときから興味を持ち,早速生徒にも印刷して授業で使ったぐらいだから,期待していた。もうすぐ公開の映画『天国への手紙』(南果歩主演)の主題歌にも決定しているそうだ。「オンリーワン」を創造する魂のテノール歌手,新垣勉も「千の風になって」を歌うことが決定しており,新井氏の講演会の様子を聞きたいと言うことで唐津まで足を運んでくださり,ついでに歌を披露。新井氏の歌とはまた違った魅力がある。新井訳の1・2番を紹介する。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
閉会行事の後,新井氏のサイン会。写真集・絵本と,もう1冊,計3冊とCDを購入。するとフジテレビが新井満のドキュメンタリー番組制作で追っかけをやっているとのことで,インタビューを受ける。とっさに言葉は出ないがなんとか答えた。とりあえず今日の分は「笑っていいとも」の前にある30分のニュース番組で近々放映されるらしい。本3冊とCD1枚にしっかりサインをしてもらった。実はインタビューの最中に携帯電話に着信。マナーモードにしていたのでさりげなくインタビューに答えたが,後からかけ直すとF先生から昼飯でもどう?という誘いの電話。唐津駅前の「加羅津」でゆっくり3時過ぎまで談話。今日は夕方までに長崎に着けばよいので,高速道路を使わずに,唐津から伊万里・有田を通り佐世保,西彼杵と肥前の国をゆっくりと長崎まで,EXAのメタルトップを取り払い,頭上に大空を感じながら。さすがに日が落ちると寒かったけれど。長崎市内に入ると夕方の渋滞で6時20分にホテル着。チェックインのみして,荷物をフロントに預け,島原高校同窓会「長崎普賢会」に出席するため,長崎グランドホテルへ。島原からは,校長名代の吉田先生と同窓会副会長と同窓会事務局から私の3名出席。会員は各界のお歴々。2次会は,吉田先生と「サンクチュアリ」,3次会は,私の行きつけ「リクエスト」。もう20年来の店である。浜田省吾「AMERICA」を歌ったら,この曲を私が歌うのは初めてではないか,とのこと。そのとおり,最近歌い始めたのである。カラオケの師匠は全てお見通し。24時前に帰宅。
11月11日 |
2004年11月11日(木)
いよいよ,第48回九州地区高等学校国語教育研究大会佐賀大会の開幕1日目である。ゆっくり起きて,8時30分に9階スカイレストラン・キャッスルビューで朝食。虹の松原が一望できる絶好の場所。この角度から見て,なぜ虹というのがついているのか直感的に体得できた。まさに虹の如く湾曲しているのである。その先端部に位置するのが,唐津ロイヤルホテル。9時過ぎにのんびり散歩がてら,唐津城下に位置する唐津東高校へ。15分ほどで到着。受付を来賓の部で済ますと,各県部会長・事務局長控室へと案内される。10時から公開授業を見学。新しい試みで,パソコン室でプロジェクターを使用したプレゼンテーションによる漢詩の授業があった。再び歩いて,唐津市民会館へと向かう。みんなが行く方向へ15分ほど歩くと到着。正式に受付を済ませ,控室へ案内される。11時30分から 開会行事。12時から昼食。12時50分から基調講演「国語との上手なつき合い方」早稲田大学教育学部教授石原千秋先生。難関中学入試の小説問題を使用しての考え方は新鮮だった。大学入試は生々しすぎて使いにくいのだろうが,出題側の考え方がわかったような気がした。14時35分から分科会。私は長崎県の発表する第3分科会へ。17時にて全て終了。昨日のF先生と夕食を一緒にすることに。今日は早く帰りましょうねと言ってはいたのだが……。会場に近い唐津シティホテルに宿泊のF先生,荷物を置きに言ったのを待っている間ホテルのロビーで無料情報誌が居酒屋特集。クーポンを持っていくと10パーセントOFFの店を発見。その居酒屋「遊匠庵」は,タコスやカルパッチョなど品揃えもよく唐津名物ギョロッケも堪能した。「LAdy・60(レディ・ムー)」,「暫(しばらく)」難しい読みの店続く。「PUBシルクロード」では,F先生の教え子を含む団体に合流。気付いたらまたしても24時30分,25時前にホテル着。
出かける前に,1Fロビーの公衆電話からダイヤルアップで,メールチェックと日記UP。私の二つの掲示板にはどうやら長野君が,書き込みをしてくれたようだ,携帯でチェック。
11月10日 |
2004年11月10日(水)
今日から出張である。1校時終了して,出かける準備をするが,昨日の学校便りの手直しをしていると,情報図書部のIさんが来てくれて,後はやっておきますということで,任せて出発。10時38分島鉄湯江駅発の島鉄列車に乗れば,時間通りに着くが,準備をしていなかったので,結局間に合わず,車で行くことに。週間予報によると,明日明後日は雨というので,BEATでなく,EXAで行くことにした。多少割高になるのは仕方ない。諫早ICから高速道路に入り,昼食を多久SAで。阿蘭陀ラーメン680円。トンコツで角煮とチーズ入り。多久ICで降りて唐津を目指す。14時過ぎに到着。唐津ロイヤルホテルにチェックインして,15時30分から九州地区高等学校国語教育研究会会長事務局長会議。17時過ぎに終了。18時30分から懇親会。21時に終了。と,旧友F先生から携帯に電話。明日からの国語の九州大会に参加するらしい。彼は唐津に住んでいたこともあり,土地勘がある。2次会に唐津の街に出る。松浦橋たもとの「だるま寿司」で2次会。スナック「奈々」で25時過ぎまで。屋台から店に変化したらしい「きみがよ」26時30分過ぎまで。
「一心ふらんす、郵趣人生」を持参。折りに触れて読む。随所に自分のことではないかと思い当たる例が散見。人の振り見て我が身を直せ,と自戒。
11月09日 |
2004年11月09日(火)
明日からの出張のため,準備に追われる。放課後,放送部。ラジオドラマ1本・テレビドキュメント2本,アナウンス朗読の各部門の指導に追われる。明後日作品必着なので,明日までが勝負。私の最終的な確認ができないまま発送することになりそうである。19時から有明町の町民センターで体育班長会。町民体育祭の反省と,21日のバレーボール大会の実施について。審判講習会や対戦相手抽選会,練習日程の調整等もあり,終了したのは21時30分過ぎ。それから再び学校へ戻る。よりによって戸締まり当番。3年の教室2フロアーを懐中電灯片手に見て回る。窓の閉め忘れがいくつかあった。夜の学校というのは不気味だがそんなことをいえるほど,心に余裕がない,今日しなければならないもう一つの仕事,学校便り「青き楓」の編集作業があるのだ。各分掌からの文章が集まったのが今日,発行・印刷は今週末,明日から私は出張。ということはあと数時間で仕上げなければならない。パーソナル編集長を使って作業すること約2時間,数人いた先生方も次々に帰宅され23時45分,あと少しというところで,もう一人残って仕事をされていた2年の学年主任が帰るという。2人で職員室の戸締まりをし帰る。食事をしていなかったので,近くのファミレス,ジョイフルへ。このテンションのまま編集作業を店の端のテーブルで続ける。食事と編集が終わったのが24時30分。25時前帰宅。
ということで,宗像郵趣の21日の例会には出ることが出来ないだろうということが判明した。7時30分集合8時試合開始の第2・4試合なので,早速と敗退すれば間に合うかもしれない。
11月08日 |
2004年11月08日(月)
3日も学校に行かないと,リズムをつかむのに戸惑う。3日間ゆったりした夢のような至福の時を過ごしてきただけに,早朝補習35分,授業45分,放課後補習60分という小刻みの時間にあわせての生活を取り戻すのに,午前中いっぱいぐらいの時間かかった。胃検診をすっかり忘れて朝食を食べてきたり。月曜は早朝補習に始まり,放課後補習で終わる日。その後,放送部の作品制作のすすみ具合を確認に行く。ラジオドラマはいい作品になりそう。アナウンス・朗読部門の7人のうち4人の読みを聞いてアドバイス。残り3人は明日。TVドキュメントは,1年班が映像をつなぐところまで,2年班は,チーフの生徒が原稿台本作り。
ジャパンからの配達記録郵便,4日の配達だが,ようやく今日受け取りに行けた。差し出してから到着まで6日間かかったことになる。のんびりしたものだ。宅急便なら,夜遅くなっても,こちらが受け取りに行けば,おおむね受け取り可能であるのと大違いである。19時まで鍵を持っている人がいたんですがねぇというのが近くの集配郵便局の弁。書留類を入れた金庫の鍵は担当者が持ち帰るシステムらしい。このことで何度受け取りのためだけに,19時前に帰る羽目になったことか。今日は19時20分だったが,郵便局に行くことを連絡してあったので,すんなり受け取れた。19時30分過ぎに到着。アクセス34000。
11月07日 |
2004年11月07日(日)
昨晩というか,今朝の3時まで撮ってきたデジカメ写真の画像の整理や,HPへの画像のアップをしていたら,すっかり朝起きるのが遅くなり,10時30分の開場をやや過ぎた頃にJAPEX会場到着。
長田さんから,昨日のパルマレスの間行われた小判振舞処での沢さんの伝言を聞く。「長崎の外国郵便」はすばらしい,単片のページは,単独でなく,下にカバーを入れるとよくなるということをぜひ伝えてくれとのこと。20年以上に亘って国際切手展の審査員を務めてこられた沢さんの言葉だけに深く重い意味を持つ。勇気づけられた思い。また,旧小判に造詣の深い沢氏なればこその,作品に隠された符号を読みとっていただけたものだと思う。
憂鬱な気の重い昨日からの気が晴れた気分。審査員は専門の知識に造詣の深さが求められるが,全部の分野をカバーするのは不可能,わかりやすく作品はかかれるべきだという一種の「逃げ」で審査をしてもらいたくない。
またJAPEXほど国際展の形式をまねた国内展はなく,国際切手展準拠を標榜している以上国際展の審査を尊重してもらいたい,表面でなく本質的な部分で。制度上の欠陥が見つかった場合,その場で変更できないのは,組織の硬直化でもある。昨日の審査について書いたが,この作品を片一方のみ,即ち「ルート郵便史」と「伝統郵趣マルコフィリー」からの側面でしかとらえられないJAPEX審査員団の姿が浮き彫りになったように思う。JAPEXでの高得点を目指すならばこのことを念頭に置くべきだろう。
また,審査員が特定の分野に詳しい場合は,それがプラスに働くことは少なく,逆にマイナス要因になるということも頭の片隅に置くべき。その審査員の作品の文脈で構成するのでなければ,極端に低い点数になるのだから。自分のスタイルを確立した方は,それ以外の見方ができないのではないかと思う。またJAPEXには「ルート郵便史」と「伝統郵趣マルコフィリー」の両方についてバランス感覚を持って審査できる人がいないらしい。それと,大きな郵便史の中に小さな専門分野としてのマルコフィリーが存在するというのが,自然な理解だが,JAPEXでは,伝統郵趣の人が採点するという体制らしい。だから,郵便史として出した作品を,消印「のみ」に注目して,これは,「マルコフィリー」の作品だ,ということで,マルコフィリーの分野に並べると言うことになるのだ。マルコフィリーの中で見るとそのようなまとめ方をしていないので,評価が低くなるのは当然。出品解説にもはっきり書いているが,これを読んでもらえたのだろうか。
長崎の外国郵便1875-1905
本作品は,長崎発着中継の郵便物を通じて,
長崎地方における外国郵便の活動を明らかに
しようと試みたものである。具体的には,郵
便物の種類,到達経路,郵便料金,消印及び
書込みの精査により達成することができた。
消印については,上記の一要素に過ぎないが,
未解明な点多数を解明し得たオリジナルなス
タディが本作品の特徴である。
また,発信便に加え,可能な限り到着便,
中継便を展示した。タイトルリーフのみ日本
語で示したので,構成を十分に把握の上,作
品をご覧いただきたい。
夜にマルコフィリー担当の井上和幸氏からメールが来ので,引用させていただく。「伊藤さんの作品ですが、マルコフィリーの採点が85点、郵便史が82点でした。つまり日記は逆になっています。当初、郵便史として審査して82点ということでしたので、マルコフィリー部門として審査したほうが良くなるかもしれないということで(我々日本関連マルコ担当が)意見し、最終的には我々(マルコ側)の点数が採用されました。該当部門が2通り考えうる場合は出品者がより有利になる方で審査するという原則に従っての処理でした。点数についてはお手数ですが、訂正お願いします」。非常に良心的な対応である。多少なりとも小判切手を集めておいでの井上氏ならではの対応なのだろうと感謝。
いちいち書いていないが,単純な旧小判5銭切手や10銭切手であるが,長崎局においては,印影のはっきりしたカバーは,現存1点や2〜3点という物が多く,本気でここらを集めた人のみがその内容を知りうる作品なのだ。簡単に集まる横浜や神戸の外信便を使って,ルート中心の郵便史だったら数年で金賞作品が完成できるだろうが,長崎では,情熱を持って十数年かけてしても私のこの程度の作品しかできない。長崎局の外国郵便初年度1975年のカバーの売り立ては,1982年のとき辻さんが落とされたカバー以来,公の場所で取り引きがなされていない。それなのにそのカバーがないと指摘するのは簡単。私自身もそのことは十分自覚している。そのカバーなくして国際展で金賞はあり得ないとさえ思う。5年後位を目処に,FIP公認の国際切手展で金賞を目指したいと思う。JAPEXより審査レベルが低い国際展であるそうだから,5年かければ,金到達は容易なことだろう。
さて,今日の小判振舞処は分科会出席の関係で11時45頃に集合とのこと。石焼き「燔楽(ばんらく)」。石焼ビビンバを注文。稲葉さんの学生時代のアルバイトの掘出物語を興味深く聞く。13時から菊・田沢部会に出席するのだが,石川さんの作品解説を初めの方だけ聞いて遅れて出席。山口さんの1銭5厘の万束調査に基づく,使用時期の調査,これは近々「郵趣研究」発表されることとなろう。古谷さんの官製葉書「みほん」,山田さんの小判のカバーや石代さんのインク浸透式丸一名古屋,戦後の機会印の変遷と,バラエティに富んだひとときだった。それが終わると終了まで2時間。デジカメで,自分の作品前で写真を撮ったり,最後にもう一度作品を見て回る。田畑氏と帰る飛行機の時間がほぼ同じということがわかり,いっしょに羽田空港までいくことにした。途中「ていパーク」で開催中の「ボストン美術館所蔵 ローダー・コレクション『美しき日本の絵はがき展』」を見ることにして大手町で途中下車。17時30分頃大手町を後にして,羽田空港へ。来年,福岡で開催されるJPS全国会員大会の相談を受ける。結構具体的に話が進んでいるようだ。JALの長崎行き最終便19時05分発,やや出発が遅れたので,長崎空港の送迎つき駐車場を後にしたのが21時28分,高速道路を使わずに,帰ったので23時過ぎ,どうにかその日のうちに帰り着けた。
11月06日 |
2004年11月06日(土)
朝10時過ぎにホテルを出発。ホテル横の松屋フーズで牛飯390円みそ汁付きを食して行ってもゆうゆうと10時30分の開場に間に合った。久しぶりの牛丼に感激。
会場で審査顧問の天野先生に私の作品の審査について話を伺う。厳しい審査だったそうだ。どちらも中途半端とのこと。いつもながら,師の言葉は厳しい,慢心することなく精進せよとのことと理解した。改善すべきは改善して再度チャレンジするのみ。まだまだ上がりではなく,夢の途中である。
昼食は昨日のメンバープラスαと小判振舞処にて。
13時からJPSオークション。これに出席して帰ると,16時から審査員との対話の時間。松本理事長から直々に講評を伺う。要点は2つ。マルコフィリーに徹するか,ルートの分類に徹するかということだ。要するに,「長崎の外信印」というタイトルか,「長崎外国郵便発展史」というタイトルのどちらかにしなさいということ。「長崎の外国郵便」というあやふやなタイトルはだめということだ。国際展を見ていると多種多様な作品があるので,両者を融合させた作品が可能と思えたのだが,前例がないのだろう。マルコフィリーで採点すると82点,郵便史で採点すると85点になるとのこと。よって金賞なし。レギュラークラスでは85点は金だが,チャンピオンクラスは金は90点からだからだ。
授賞式では名誉あるチャンピオンクラス出品証明の賞状と,名誉ある〈JAPEX〉委員会賞・金色カップの特別賞をもらった。カップは3つしか用意されてない,その一つである。受賞結果と写真は郵趣掲示板に掲載してある。
夕方,鯛・丹下・長野・片山・石代の各氏とサンシャインプリンスのホテルティールームでお茶を飲み,そのままパルマレスに。パルマレスでは3回登壇した。これは最高ではないかと思う。2次会は村岡・丹下・長野の各氏と郵政公社の来賓の方2名と同じくサンシャインプリンスのホテルティールームで歓談。途中長田氏・大橋氏のお二人が加わり,郵趣談義。
22時にホテル帰還。
11月05日 |
2004年11月05日(金)
朝,長崎空港に向かう。車を長崎空港近くのみどり駐車場に預け,マイクロバスで空港まで送ってもらう。自動機でチェックインの後,離陸まで待合室へ。飛んでから東京までは約1時間30分の空の旅である。
ホテルのチェックインが14時からだが,少し前に到着し,チェックイン。ホテルのポイント還元システム,見覚えのあるPUPU。登録葉書の本部の宛先は長崎県南高来郡国見町。国見郵便局私書箱1号である。長崎県ではこのポイント,地元の親和銀行,十八銀行の口座へ振り込むようになっていたが,全国のホテルを網羅したカードでは,郵便局の「ぱるる」の口座を使用する。ポイントが8〜10パーセント現金で振り込まれるのがPUPUカードの特徴だ。
荷物を置き,15時前にはJAPEX2004会場着。すぐに長野氏発見。永冨氏と歓談中。ひととおり,会場をまわり,まずは自分の作品を確認にいくが,ワンフレームクラスの看板のあるところに展示がない。レギュラークラスの看板があるが,チャンピオンクラスの看板がない。長野氏にきくと,企画展示の郷土の郵便印のところにあったよとのこと。確かに,両方とも展示してあった。ただしどちらも郵便史での作品であり,郵便印にだけ的を絞ったマルコフィリーではないので,ちゃんと郵便史の作品として審査してもらえるのかが心配。郵便史では郵便印は重要であるが,要素の一部に過ぎないからである。今回チャンピオンクラスが私の作品だけとはいえ,看板もなく企画部門の中に目立たぬように組み込まれたのは,心外である。せめてレギュラークラスの看板を掲げるのであれば,看板ぐらいは掲げてほしかった,全く部門が違うのだから。昨年の大金+グランプリ作品が,今年のFIAP主催HONGKONG国際展で大金,この展覧会で私の作品はワンランク上の大金銀なので,国際展準拠を標榜するJAPEXとしては,どのような評価をしてくるのか見物である。もちろん展覧会はそのとき限りの評価と言うことは十分理解しているつもりである。文献部門のCD−ROM,本来審査員以外には目に触れないはずの普及をしめす購入者リスト,しっかり誰でも見れるようになっていた。
17時からの松本純一氏の「一心ふらんす、郵趣人生」出版記念サイン会。事前添削をしていただいたお礼と挨拶を述べる。待ち受けている人が多く,時間より早くスタート。私は2番目にしてもらう。明日のパルマレスの出席予約も済ませる。その後長野氏と作品・切手店ブースを一巡,会終了前に入り口前で小判党の方々と合流。田畑・古家氏は立場上18時からの懇親会に出席とのこと。中川氏もそちらに。
かねてからの計画どおり,大盤振舞ならぬ小判振舞処の開始である。会場は土佐料理の店「土佐藩」,メニューの裏には坂本龍馬の写真が。設楽さんの国際展審査員資格取得の祝いと出品者の上位入賞を願い乾杯。すっかり酔ってしまい,宿泊先の池袋ホテルテアトルへ。途中コンビニで夜食を仕入れ,21時半ごろ帰る。
今日買った本を読む。先ほどの「一心ふらんす〜」では,郵便史の第一人者の視点での記述は大いに参考になる。氏の「郵便史コレクションの作り方」は私の郵便史の教科書として座右の書である。リーフ実践派という点でも共感できる。夏にツアーでピニャテルの史跡探訪したときの写真も納めてあり,バックのお二人T氏とN氏を認めることもできた。発刊されたばかりの「切手の博物館研究紀要第1号」「日本の官製はがき類 切手の博物館所蔵品目録2004」107の番号入り。「日専2005」の鯛さんの意見広告。「2005日本絵葉書カタログ」は著者生田氏が会場で絵葉書を漁っていた現場に遭遇しサインをしてもらったもの。氏の場合,達筆でない点で信憑性がある。南方占領地の本は不具合が発見されたとかで発売延期であった。
11月04日 |
2004年11月04日(木)
授業の合間に明日の課題の準備。授業の振替がうまくいかず,自習。明日は出張の先生も多く,振り替えできない科目は自習が多いようだ。各クラスの係の生徒に指示を書いた紙を渡す時,決まって「明日自習…」といった瞬間,瞳の奥に喜びの表情を見せる。でもしっかり課題はあるのだ。放課後放送部の,ラジオドラマの音声収録。1年のテレビドキュメントの取材・インタビュー。画像を確認して,構図がよくない画面は明日撮り直し。2年のテレビドキュメントだけ動き無しのように見える。合間に職員室へ帰ると3年生の質問の生徒につかまる。来週の授業の準備と10日からの国語の九州大会で欠ける分の授業の割り振りと10日の日程を考える。12日に長崎普賢会という長崎支部の同窓会総会がある。その後宿泊するホテルの予約。いつものトレディアホテル出島。12日の日程は昼過ぎまで唐津での九州大会。夕方から長崎で同窓会。またしても学校からの来賓の立場での参加である。で,日曜は,放送コンテスト長崎県大会の審査。めまぐるしい1週間になりそう。アクセス33333昼間に達成したもよう。
「タカハシ」「日フィラ」「アイデンティティ」のオークション3誌が届く。タカハシは,日本郵趣連合の基金オークションで,長崎関連で興味あるものが出ている。締切を忘れないようにしなければ。
11月03日 |
2004年11月03日(水)
休日である。午前中部屋の片づけ,掃除。電話「6人行きますから」。13時38分の島原鉄道大三東駅着のはずが,13時過ぎに電話「着きました,3人です。迎えに来てください」。放送部の2年生のチームによる取材である。もう一人の顧問の先生の指導によるらしい。途中でもう1人合流し4人で取材。途中お菓子や飲み物をとりながら,また,用事でこれなかったチーフの生徒の指示を仰ぎながら,なんとか取材完了。いったいどのような編集になるのか,興味がある。この作品に関してはもう一人の顧問に完全に任せた格好。17時頃終了し,町内から合流した1人は家の人に迎えに来てもらい,島原方面の生徒3人を島原駅まで送る。途中ブックマートに寄りたいというので立ち寄って島原駅に着いたのが18時過ぎ。18時30分頃帰宅。撮影は床の間のある和室で行ったが,16畳の自室も片づけたので部屋が広くなった感じで気持ちいい。自分の郵趣活動をビデオ番組にするというのはいい記念である。質問に答えていっただけで,自分の言いたいことを100パーセント言い尽くせたとは思えないが,取材とは相手の知りたいことに答えればいいのだからその意味では合格なのだろう。最後にまだ崩していない万束約20万枚の映像も入れた。これをどのように編集するのか見物。この作品に関しては他人事(ひとごと)である。14日の作品審査でじっくり見せてもらうことにしよう。
11月02日 |
2004年11月02日(火)
33000アクセス。午後の空き時間に有明町の教育委員会にバレーボール大会の選手申し込み書を届けに行く。これでひとまず,安心。放課後補習の後,放送部の部活動の様子を見に行く。県大会出場のアナ4・朗読3の7人は,原稿作成と,読みの練習。1年のアナウンス班で制作中のラジオドラマの収録したテープを聞くが,録音状態が悪く,もう一度取り直しの指示。その日程の調整で電話をかけさせる。木曜日放課後再度収録までこぎ着けた。テレビドキュメント1年班,インタビューの先生・生徒に協力をお願いする。これも木曜日収録。テレビドキュメント2年班,私の家で切手のことについてのインタビュー明日13時30分から。ある程度の見通しが立った。職員室に戻ると,質問の生徒が。生徒下校後,難関校添削を6冊片づけて帰宅。19時30分着。
先日の法事で知り合ったH氏から,抑留者郵便のカラーコピーが届く。5通の裏と表がコピーしてある。大きく分けて赤十字の「+」のマークが左に,ソ連のとがった月のマークが右に赤で加刷してあるのと,ないのに大別できそう。文面も貴重である。国際切手展出品者の会の会報も届く。
11月01日 |
2004年11月01日(月)
昨日,「白いかもめ」の車内でした,スキャン画像の編集したもののうち,JAPEX2004出品作品のタイトルリーフをトップページに掲載する作業をした。郵趣掲示板にも画像を追加。午後年休にもかかわらず出校して,土日にあった県下一斉模擬テストの採点。私の受け持ち分を採点。記述式なので自分で解いて自分なりの基準を設定して採点。採点中も国語の質問に数人の生徒が入れ替わり立ち替わり質問に来る。それにも応対。本日は創立記念日のため17時過ぎには施錠するというのでやや焦る。どうにか時間内に終了。帰宅後,体育班長の仕事。バレーボール大会の選手依頼の電話をかけまくる。19時創立記念日の日にある「有明島高会(ありあけとうこうかい)」。2年続けてJAPEX参観のため欠席したので久しぶりの出席。45名の参加者だった。通常,新制「島高(しまこう)」旧制「島中(とうちゅう)」と呼称するがあえてこの会では,「とうこう」と音読みする。有明町在住者の同窓会である。会後おとなしく帰る。
[戻る]
この日記は簡単ホームページ日記で作成されました。