10月31日

2004年10月31日(日)
 今にも雨が降りそうな曇天。福岡へ。福岡市内まで4枚切符1万円は,リーズナブルな料金設定。11時48分諫早発かもめ18号,電源のある2号車に指定席が取れた。車中いつも携帯しているC1VRXで,出品前にスキャンしていた画像をWEBアルバム形式にまとめる。あと,画像をHP用に小さくできたので,帰ってからHPにUPするとしよう。13時18分に博多着到着。地下鉄に乗り換え,終点姪浜へ。知人が迎えにきていた。家まで歩いていく途中,石蔵という和風の店で名物瓦そば御膳で昼食。夕方姪浜から地下鉄で博多にあるヨドバシカメラに。ホームページビルダーV8を見に行く。VAIOタイプTに心を動かされる。途中4階のレストラン街で夕食。その後売り場で,私は2点ほど小物を購入。21時02分発かもめ45号の2号車を座席指定した後,駅内のコーヒーショップで時間まで過ごす。博多駅では知人が見送ってくれた。22時41分諫早着。自宅へは23時40分頃着。車でいくより割安で疲れない,かもめの旅である。

 タイトルリーフのHPへのUPロードは明日になりそう。

10月30日

2004年10月30日(土)
 11時から法事。叔母の3回忌。従兄弟の主催。実は叔母の義母の3回忌も兼ねていた。従兄弟にしてみれば,母と祖母を相次いで亡くしてから満2年と言うことになる。11時にお寺から読経のお坊さんが 来られてお参りをする。読経のお坊さん,直方市出身の方で兄の知人がイラン拘束中の香田さんだそうで,法話はそのことと母への感謝だった。その後,場所を彦八寿司に移して会食。久しぶりに親戚と会う。隣に座った方と話をすると,叔母の嫁ぎ先の母の従兄弟の方で,60歳ぐらいにしか見えない方だったがもう80を超えているという。シベリア抑留の経験があるとの話につい聴き入ってしまった。20歳ぐらいのときに終戦を迎え,移動中の8月19日に終戦を知ったそうで,ウズベキスタンの砂漠にある火力発電所の建設に従事したとのこと。郵便も往復葉書が支給され,初め半信半疑だったが出してみると返事が返ってきて,集会でみんなが手紙の返事を読みあった由。5通出した抑留者郵便の葉書は手元にあるというので,コピーをもらうようにした。復員するときは,一切置いてこなければならなかったので,日本に送った往信のみある,メモの紙一つ持って出れなかったので,そこでの知人の日本の住所は憶えて帰ったことなど興味深かった。昼のアルコールは,ビールといえどもよく酔いがまわる。しばしダウン。スタンプシバタオークションの落札物,弱気だとなかなか落ちない。地元印のみ。

10月29日

2004年10月29日(金)
 金曜は極端に後ろに偏った時間割。1・2空きで,3・4・5授業,6空き,7・放課後補習の5時間授業体制。明日明後日は県下一斉模試。監督を頼まれたが,明日は法事,明後日は所用。でも11月1日は創立記念日で生徒は休み。職員も年休を出して休める,というので年休を出していたのだが,模試の採点で出校することになりそう。

 「郵趣」・「全日本郵趣」・長田氏の紙の情報誌到着。JAPEX2004もあと1週間。長田氏は2日目からの参加とのことなので,6日にあるであろう小判党の昼食,楽しみである。

10月28日

2004年10月28日(木)
 センター試験まであと何日というカウントダウンの掲示板,100日前から掲示するが,昨日で80日,今日は79日である。センター試験対策の授業にシフトして20日ほど経ったことになる。放課後職員会議後,放送部の様子を見に行く。アナウンス4名朗読3名の県大会出場者は,読みに専念。1年のアナウンス班でラジオドラマ作品,1年制作班・2年制作班でテレビドキュメント各1本という体制。18時30分に帰宅。郵便局でヤフオクの落札物を受け取る。

 束モノを少々見る。多くの切手に触れるというのは,その切手を理解するのに最善の方法。既存の分類に頼るのでなく,まず自分の分類方法を多くの切手の山を前にして行うというのは大切なことであると実感。

10月27日

2004年10月27日(水)
 授業時間の多い水曜日。国体出場の生徒のうち,剣道部が顔を見せた。レスリング部と弓道部はまだ。空き時間は難関校の添削と教材研究。放課後は質問と放送部。3年生の担任の先生は,推薦入試の準備で忙しそうである。職員室と教室棟の2ヶ所設置の掲示板表示,センター試験まであと80日。19時から,国語科の慰労会。先週の国語部会の県大会と本日まであった教育実習生のおつかれさま会である。国語科8名全員と実習生1名参加。「ほうじゅう」。久しぶりに「花」に顔を出す。最後は「六本木」でウーロン茶だけを飲む。26時帰宅。

 11月のジャパンのフロアオークション,国語科の教科旅行のため,出席できず。8名全員が揃うのはその日だけなのだ。土日といえど,部活の新人戦引率や土曜講座等の校務で誰か必ず出ていることになる。3年生は模試なのだが,監督を外してもらってやっと実現。大阪の会場では,「冒険王U=ぼうけんおう・セカンド」と「冒険王スーパー」がバザーで販売されるらしい。ぜひ通信でも販売を。

10月26日

2004年10月26日(火)
 1校時の授業の後,2校時教育実習生の研究授業。3校時空き,4校時授業,午後から国語部会の出版物改訂の第1回編集委員会。放課後補習。帰ってくると,質問の生徒の応対。放送部の生徒の指導。19時30分帰宅。

 「スタンプコレクター」誌到着。長野氏の記事中,高知県の原田氏のことについて触れられてあったのを懐かしく想い出した。高校時代小遣いの中から使用済み切手やエンタイヤを買っていたことなど。「たんぶるぽすと」着。高馬氏の記事,秀逸。ところで,片山七三雄氏がe-PEXでご自身のJAPEX2004出品の2作品と,丹下氏の作品を公開中である。トップページにあるe-PEXからぜひご覧になっていただきたい。

10月25日

2004年10月25日(月)
 アクセス32000,24日から25日にかけて達成。月曜は早朝補習。1校時,6,7,放課後補習という全くの中抜けの日。放送コンテストのその後の結果判明。朗読部門12校全39名に本校から1年2名2年3名出場。結果,2年の3名が1,2,3位。1年は10位までに入賞できず。アナウンス部門と併せて7人が県大会に行くことになった。2年生6名は全員と1年生1名である。しかし全国レベルの長崎地区の高校をやぶって九州大会に出場するのは至難の業。今度の合同練習会が11月7日,それでどのくらい上達できるかだ。放課後補習が終わった17時過ぎ,番組制作班の様子をのぞきに放送室へ。1年のアナウンス班でラジオ番組1本,1年の制作班でテレビ1本,2年の制作班でテレビ1本を作る予定。2年の番組に私を題材にしたいとのこと。もう一人の顧問の先生の助言らしい。どうなることやら。国語部会の仕事は,県大会のお礼状の起案,九州大会に向けての調整等続く。明日は,長崎県担当出版物の第1回編集委員会。教育実習生の研究授業もあるらしい。20時前帰宅。

 SEVEN落札物到着。束モノ2点落札。なかなかの人気である。「JPSオークション」誌到着。

10月24日

2004年10月24日(日)
 昨日,九十九ホテルに置いてきた車を取りに行く。休日はゆったり起きて行動するので,10時過ぎになった。思い立って福岡までBEATでドライブ。車の運転は嫌いな方ではないが,最近疲れ気味なので,特急白いかもめで行くことも考えたが,天気がいいのでBEATで。11時40分頃に出て,福岡西部に着いたのが14時過ぎ,ガストで食事をして,知人のパソコンの説明を夕方まで。車でほど近い小戸公園の夜の散歩後,公園近くのスーパーでお弁当を買ってきて,公園の街灯の下で夕食,安上がりである。その後移動して,野方の山の上の公園から夜景を見る。この場所から見るのは,昨年の8月以来。蒸し暑かったあの頃と違って,少し寒く感じるほどの夜気である。21時40分過ぎに西区を後にして,山越えルートで帰る。福岡・佐賀の県境の三瀬トンネル経由で佐賀大和インターから長崎自動車道に乗り,帰宅したのは24時20分頃。

 ヤフオクの未見束モノ,依然人気である。ほとんど買えなかった。

10月23日

2004年10月23日(土)
 朝,8時30分頃諫早の高城会館に着く。九州高校放送コンテスト中地区予選の会場である。既に隣接する公園ではあちこちから発声練習している声が聞こえてくる。会場が9時にならないと開かないので,しばらく待つ。9時前に開いたので,会場設営をする。椅子100脚,机前4卓後1卓ステージ1卓を生徒・教員で出して設営。それらしくなった。9時20分受付を済ませ,3階の引率教員控室兼本部でうち合わせ。予定通り10時から開始。部会長の諫早高校校長の挨拶のあとアナウンス部門の審査開始。12校34名の出場。島高は1校あたり規定最高の8名出場。結果は1・2・5・6・11位以下17位までに8名全員が入る成績。10位までが県大会に出場できるので4割が出るということになる。2年生3人全員と1年生が1人である。他校の生徒で私がうまいと思った生徒は3・4位でちゃんと入賞していた。合同練習会で1人でも九州大会に出れる生徒を育てたい。早めの進行状況なので朗読部門の審査を30分送らせて実施することになった。この時点で私の朗読部門の審査は代わってもらうことになった。13時30分過ぎに出ないと次に間に合わないからだ。朗読部門は39名中5名出場。終盤本校の5名のうち4名聞いたところで,出発する,2年生3名の入賞を確信しつつ。15時過ぎに島高同窓会会場の九十九ホテル到着。既に多くの人が来ている中,ビデオカメラの設置。キャリー付きの三脚だが,会場びっしり円卓が並ぶのでキャリーは使用できない。定点のみの三脚使用になる。400名あまりの参加者を得15時30分開始,15年度会務報告と16年度の会務計画を事務局からということで私が行う。その後ビデオ撮影。懇親会の前に島高合唱部のコーラス。特に最後の2曲,「島原の子守唄」と「ふるさと」は心に残った。特に3番

こころざしをはたして
いつの日にか帰らん
山は青きふるさと
水は清きふるさと

の最後の「ふるさと」を「しまばら」に替えたところは参加者の心を打ったようで,拍手鳴りやまず。これだけで参加した甲斐があったという声しきり。ビデオ撮影の合間に同級生の円卓で飲んだり食べたりだが,あまりそれもできなかった。18時に終了後ホテルのバスで大手まで,そこから島原文化会館に島原城堀端を歩いていく。6時30分から市民劇場なのだ。なんとか開演に間に合った。今日は,劇団俳優座の「きょうの雨 あしたの風」(作/吉永仁郎,演出/安川修一)である。

 江戸深川の裏長屋に住む女たちを描いた藤沢周平の名作短編を「季節はずれの長屋の花見」で幕末の江戸の庶民のしたたかさをユーモラスに描き、また佐藤愛子原作の「遅咲きの花のワルツ」では初老の夫婦の徹妙な心のずれを巧みに描いて好評を得た吉永仁郎脚本で贈る話題作です。
 所は江戸…。寡婦のおときが世の中に隠れるようにただひとりひっそりと暮している深川の裏長屋。同じ長屋に住む左官の六助は酒を飲むと誰彼かまわず連れてきて泊めてしまうという奇妙な癖を持っていた。昨晩も汚らしい老婆のおはなを連れてきては女房のおよねを困らせ、おしゃべりのおもんのかっこうの話題にされる始末である。桶職人の重吉にほのかに想いを寄せている一善めし屋の女中のおしずは博打の借金をかかえた弟の栄次に悩まされていた。ある日、ひょんなことからおときのもとへ若い男の居候・幸太が住みつ<ことになる。そして、博打の借金の取り立てにやくざが長屋のおしずのもとへやって<る。人生の裏道を歩いてきた日雇い人足の作十はなんとかおしずの力になろうと老いた体でやくざに立ち向かうが…。

これは,公式サイトからの引用である。原作,藤沢周平だけに人情味溢れる舞台だった。くるくる回るセットも進行のリズムになっていたように思う。21時終了後夜の街に出ることもなく,おとなしく帰る。21時30分頃着。明日九十九ホテルに車を取りにいかなければ。

 スタンプシバタさんより,入札案内のメール。ありがたい。財団法人日本郵趣協会九州・沖縄地方本部のHP,支部報拝見「げんかい」(福岡支部)412号によると「 第22回全国会員大会in仙台参加報告」の記事があり,最も恐れていたことが。来年の正会員大会の日程が,9月の第2週の土日。これは,例年の体育祭の日程にぴったり当てはまる。日曜の当日は休めないが,土曜日の設営・準備は不義理をして,特急の最終便で帰ることも検討しなければと思う。




10月22日

2004年10月22日(金)
 はっと気付いたら,ネクタイは外していたが,帰ってきたまま寝ていた。時間を見ると,丁度6時。えっ朝の6時?という感じ。6時45分に朝食会場,7時15分に出発という計画だったので,大急ぎで支度する。朝食会場には既にお二人。もう一人は,遅れてなんとか。予定より遅く出発だったが,佐世保から川棚という通勤と逆方向だったせいか渋滞に遭うこともなく,川棚高校に8時到着することが出来た。受付と駐車場係の先生を中心に係の先生に早くから来てもらっていたが,挨拶の後,早速持ち場の仕事をしてもらう。8時20分から会場校の朝会で全職員に挨拶し,9時受付に備える。予定通り9時25分開始。公開授業,分科会と午前中のプログラムは進む。昼前お弁当も到着。午後の講演,総会と予定通り終了。講演者のサイン会も盛況であった。撤収作業を大急ぎでして,お世話になった川棚高校国語科の先生方6名を校門前で撮影し,17時前に見送られつつ,島原へ。大会で使った大中小のリボンは明日の同窓会総会でも使うので,会場の九十九ホテルのフロントに預け,学校へ。機材等帰すべき所へ収め,明日の予定の確認。放送部は生徒6時58分島原駅発の島鉄で出発。8時30分会場の高城会館に集合。9時に受け付けなので,それまで発声練習。我々教員は大会準備とのこと。アナウンス部門,朗読部門の順で審査。13時30分までなので,なんとかギリギリ。15時から同窓会総会。国体出場中の事務局長の代理で,会務報告をしなければならない。夜は市民劇場。

 帰ってネットの巡回コースを確認。ヤフオク入札するも,更新される。

10月21日

2004年10月21日(木)
 4校時まで授業をして,川棚高校へ。途中大村湾のパーキングエリアで昼食。ファストフードといえば,カツカレー。15時に川棚高校着。設営を終え,17時25分後にして,宿舎の佐世保シティホテルへ。35分ほどで着いた。18時30分から食事に出かける。「たこ政」,「花鈴」,「lady」。24時過ぎに帰り着く。

10月20日

2004年10月20日(水)
 台風23号のため,風雨強し。案の定送迎の車で少し渋滞。島原の地方の地域区分で,島原より北を北目(きため),南を南目(みなんめ)と呼ぶ。これは江戸時代の街道の呼称の名残で,島原を中心に,北目筋,南目筋,西目筋と呼んでいたのである。西目筋は,現在の千々石・小浜方面をさすが,今日西目の呼称は用いない。「MINAMIME」の「I」音が脱落して,「MINAMME」即ち「みなんめ」と発音するが,「KITAME」は,そのまま「きため」である。「きたんめ」とは決して呼ばない。なぜなら「北の目」が変化したものではないからである。また,訛りで「ん」をつけてるのでもないからである。なぜくどく書いたかというと,お二人の教頭がそろって「きたんめ」と発言されたからで,いずれ言わなくてはならないだろうが,おおらかな気質の島原人はこんなことで目くじら立てて訂正しない。かくて誤った呼称が一人歩きすることになる。
 さて,その南目方面のバス・列車だけが遅れて到着したほかは,ほとんどの生徒が平常通り登校。授業開始後交通機関運行停止。嵐の中授業は進む。放課後16時過ぎに交通機関運行開始と何事もなく学校生活は過ぎた1日だった。
 でも,仕事上は大忙し。ただでさえ授業が詰まった水曜日。空き時間が2・5のみ。国語の県大会の第1分科会の病欠の分の対応に追われる。10分の休み時間をも使って関係者に電話。第1分科会の司会・記録・会場責任者・助言者,会場校の責任者,九州大会事務局,九州大会の新たな発表者等。助言者には別の分科会の助言にまわってもらうため,とりあえずFAXと速達での郵送。総会資料の原稿を部会長である校長にみていただきOKが出て印刷開始したのが,6校時頃。最終的に放課後製本作業と袋詰め。22日が国語の県大会・総会だが,翌日23日もう一つの総会がある。同窓会総会である。こちらでも私が事務局から会務報告を400名近くの人の前で行うことになる。その資料の製本作業を事務局のNさんが一人で途方に暮れて作業されていたので,場所を会議室に移し,国語部会の作業と平行して行う。放課後会議室は放送部が練習しているので,20名の部員に手伝ってもらうと,400部あまりの同窓会資料はすぐに出来,国語部会の作業を手伝ってもらい,こちらも完了。袋詰めした資料はA4版6種類,B4版2種類である。当日の受付での地区別に分けた段ボール4箱を手伝いにきてくれた九教研の人の車で搬入することに。その合間に,出版物の編集委員の委嘱状と第1回の会合の案内文書の発送作業。放課後生徒がいる時間帯は,放送部の読みの指導。地区大会が23日土曜日である。5名ぐらいしか聞くことができなかった。職員室に帰ると1校時台風のため遅刻した生徒が質問にきたのに対応する。
 生徒下校後,もう一度明日搬入する備品のチェック。ビデオカメラ・テープレコーダ・マイクとチェック。掲示物も全て作成済み。足りない備品を22時直前にダイレックスに入り,紙コップ150,靴入れ用のビニール袋100入2,撮影用フィルム6本を購入。そのまま帰り22時過ぎに帰宅。帰宅したら,体育班長の仕事の案内文書。11月21日の町内バレーボール大会の選手名簿提出が11月2日とのこと。
 明日からはぎっしりつまったスケジュール。21日は4校時まで授業。会場校の川棚高校に移動して,15時から設営,佐世保泊。22日は,県大会・総会。23日放送コンテスト中地区予選,諫早まで生徒を引率して審査員,13時まで。島原に戻り同窓会総会・懇親会が15時から。18時に終了して18時30分から市民劇場鑑賞。

 切手の原稿書きはしばらくできない。「ナイショのDOCTOR's DIARY♪ 」を見ると,JAPEX2004の出品者一覧が協会のHPに掲載とのこと。一番上と,真ん中,一番下に私の名を発見することが出来た。個人的な興味は,和田氏の東郷5銭,謀略切手のシートである。大村氏の1次新昭和は,3次昭和の続編だろうか。須谷氏の作品も楽しみ。神宝氏の公園は戦後,どんな新鮮な切り口の作品だろうか。HPでおなじみ永吉氏,じっくり見たい。郵便史では,片山氏の小包,大御所鈴木氏の日露軍事,村岡氏の在日英国局。マルコフィリーは今までのJAPEXらしからぬタイトルが並ぶ。ワンフレームがバラエティに富み面白そう。あと2週間あまりに迫ったJAPEX。楽しみである。

10月19日

2004年10月19日(火)
 22日の国語部会の研究大会,分科会の発表者が病気入院とのことでその対応に追われる。昨日決まった執筆者の第1回会合の日程調整連絡。国語科新任研の研究授業参観。これらを授業の空き時間にこなすわけである。放課後は放課後補習の後,放送部の読みの指導を2人ほどとビデオ編集機材の配線,国語部会の資料作りと,必要品の買い出しにベスト電器に。20時30分過ぎてから,台風23号接近のため早めに帰宅しようということで全員一斉に帰る。21時前に帰宅。

 SEVENの入札を朝完了。最近入札誌をじっくり見ていない。

10月18日

2004年10月18日(月)
 早朝補習。久しぶりの月曜日の早朝である。代休でずうっとつぶれてきたような気がする。過去日記を調べて見ると(こんな時便利である),9月27日以来の2学期になってから2回目である。授業の方は1回欠けていない水曜日と交換があったが,補習はそのままだった。今日から後期の時間割ということで01578(0は早朝,8は放課後補習)の授業。先週からの執筆依頼,どうにか最終の一人が決定。今週の国語部会県大会が終わったら,第1回の会合を持たなくてはならない。放課後県大会資料の校正,放送部の放送原稿の添削,教科の質問生徒の応対等で20時過ぎに帰宅。

 「スタンプマガジン(サービス分)」到着。好評連載中で一度見たいと思っていた,山田廉一氏「妻の言い分,夫の言い訳」,妻に対するデリケートな応対が家庭円満の秘訣と納得。

10月17日

2004年10月17日(日)
 ゆっくり支度してホテルの部屋を出るとき時計をみると10時13分。10時22分発のかもめ11号に間に合った。白いかもめの新型車両でないタイプの車両。後ろに佐世保行きのみどりが連結して肥前山口で分かれていくタイプである。車両は2号車。前と後ろに分かれている後ろの座席。車内外にSONICのロゴがある白いソニックかもしれない。一般掲示板に書き込みをしてくれた山口くんのおかげでまたひとつ世間を見る目が新しくなったようだ。12時30分長崎に着き,駅前のカツ屋でカツカレーを食す。13時の開始前に長崎中央郵便局の2階の会議室に入ることが出来た。かなり欠席者がいたが,それでも12名の出席。JAPEXの出品作品「UNZEN」を見ていただく。池田さん・田川さん欠席のため会後のお茶会はなし。再び長崎本線に乗り,諫早を経由して帰宅したのは18時。19時から職場の方の身内の不幸があったためお通夜に。食事をして20時30分頃帰宅。来週は忙しくなりそう。

10月16日

2004年10月16日(土)
 土曜講座。授業を入れ替えてもらい,1〜3校時に。8時35分開始の65分1コマ,途中15分休憩。3校時終了が12時20分。すぐ帰宅し,福岡行きの準備。昨夜プリントアウトできなかった5枚をプリントアウト。ぎりぎりまでこの作業をする。なんとか出来た。到着の「郵趣研究」とJAPEX入場券の入った封筒をバッグに詰め込み,諫早へ。14時48分諫早発のかもめに間に合った。車内で「郵趣研究」を読む。博多着16時18分。それから,宿泊先のホテルクリオコート博多にチェックインして,荷物を置き,「福岡普賢会」の会場八仙閣へ。17時前に到着したら,既に来賓の校長,同窓会副会長,講演の鐘ヶ江夫妻が控え室におられた。私も学校側の同窓会担当という立場での来賓である。鐘ヶ江さんはヒゲの市長で有名になった方で,島原高校の前身である旧制島原中学出身の同窓生でもある。総会・講演のあと懇親会。21時過ぎまで。懇親会ではタイムリーな話題としてダイエーの高木社長の辞任問題が話題にのぼる。14回生の同窓生であり,会場には同期生や親しく付き合いして折られる方が多数。途中アトラクションの「不知火太鼓」の披露,今日は明日の不知火祭りの前夜祭にあたるが,昨年からの約束で来ることになったらしい。その後,2次会は島原出身の方が経営される「ナック」へ。二十数名が詰めかけカウンターの中に入る人も。途中30分ほど抜けだし,所用のため東京から来られたT氏と別のショットバーでコロナビールを飲みながら,JAPEX出品作品「UNZEN」を見てもらう。事前指導の前と後を見て,全く印象が違って見えるとの評をいただいた。確かにワンランク上のリーフ作りができたように思う。再び「ナック」へ戻り,引き続き歓談。途中で同級生のY君の行きつけの店へ。中州丸源36ビル2階の「ル・ル・ル」。閉店の25時過ぎまで。店の3人の女性を連れて,「博多 藪」という蕎麦屋で腹ごしらえ,帰宅は26時過ぎ。ホテルクリオコート博多は,シングルで予約したが,ホテル側の都合によりダブルの角部屋。広々とした2方向に窓がある部屋である。無線LANでメールもHPアップも可能。明日はJRで長崎まで直行し,長崎郵趣会の例会へ。31000アクセス。

10月15日

2004年10月15日(金)
 久しぶりに早朝補習。火曜日の放課後会議が入って交代してもらった分。今日は放課後補習もあった。放課後,原稿執筆依頼の電話1名承諾していただく。残るはあと1名。明日は土曜講座。午後から福岡に移動。夕方から福岡の島原高校同窓会「福岡普賢会」総会に学校側の来賓として出席。昨年に引き続いての出席だが,昨年は,スタンプショウはかたと重なり掛け持ちでやりくりしたことを思い出す。久しぶりにJRのかもめで行こうと思う。「青山」でスーツを買う。20時帰宅。

 うまくいったら,知人のT氏と会えるかもしれないので,「UNZEN」のリーフをプリントアウトする。

10月14日

2004年10月14日(木)
 朝職員朝会で,教職員課からの視察者3人の紹介・挨拶がある。下田人事管理監は,新任時代の研修で師範授業を見せていただいて以来,指導主事,豊玉高校校長と歴任されてこられた国語科の大先輩である。2年ほど前あるパーティで話をした際憶えていただいて恐縮したことがある。放課後,放送部の生徒がコンテスト用の原稿作成のため入れ替わりで数人が来る。秋の大会が近いのだ。やはり自分の仕事が終わるのは19時近く。19時過ぎに帰宅。

 九州郵趣の原稿,すっかり放置していた。熟成させてきたので,新鮮な目で見直して送ろうと思う。画像もスキャンしてある。

10月13日

2004年10月13日(木)
 朝,全校朝会は国体出場選手の壮行会。剣道部とレスリング部の6名出場。剣道部の大将前川君は長崎県選手団の旗手をするとのこと。いよいよセンター試験対応の演習中心の授業へとシフト。ベネッセの高校教員向け機関誌の取材がある旨職員朝会で紹介がある。明日から全日音研という音楽教師の全国大会が本校と有明町文化会館「グリーンウェーブ」で行われるので合唱部が行ったらしい。毎月全国から数校の視察がある。今年で記憶にあるのは北は青森県,南は沖縄県だ。県内は頻繁にある。年度末はラッシュと言っていい。最近の傾向として登校風景から下校まで3日ほど見学するというもの。朝7時から夕方19時までなので見る方も大変だ。明日は県教育庁教職員課の視察があるらしい。授業の多い水曜日の授業の合間を縫って,執筆者探し。戸締まり当番なので18時30分過ぎに校舎を見まわりに行くがまだ多数の生徒が残って自学中,「最後の人は戸締まりを」と声をかけて窓を閉めて行く。廊下の窓を閉めていると見ていた生徒が閉めてくれる場面も。19時過ぎに帰宅。

 JAPEX参観の準備をしなくてはならない。問題は金曜日休みを取れるかどうかだ。国語部会の県大会・九州大会と金曜日が欠ける日が多く,また他の先生の出張も金曜日が圧倒的に多いため授業のやりくりが大変なのだ。

10月12日

2004年10月12日(火)
 学年末考査後の授業,単位数が少ない授業のクラスではテストの返却。放課後「紀要」編集会議。2年に一度の発行だが今年度はその発行の年。この編集も私がやることになる。その後,国語部会の仕事。出版物の執筆者探しであちこちの学校に電話をかける。19時前に帰宅。

 久しぶりに書斎のライティングデスクで切手の整理。短くてもこんな時間を持ちたい。それと1日1回切手のことを考えるためにも日記を書き続けたい。

10月11日

2004年10月11日(月)
 天気快晴。こんな日にはドライブに出かけたくなる。長崎自動車道を一路福岡へと。いつもは高速代が安く済む軽のミッドシップBEATで行っているが,高速での疲れ具合を考え,今日はEXAで行く。FFは直進安定性抜群,やはり普通車だけのことはあり高速での静粛性もいい。知人のパソコン関係の処理を済ませた後は,シーサイド百道で潮風に吹かれる,好物のソフトクリームを食べながら。天神イムズB2で今日まで行われている「piece of peace−レゴブロックで作る世界遺産展」を見に行く。その後各階を巡り14階上屋上から夜景を見る。食事をして,21時30分過ぎに福岡を後にする。24時過ぎ帰宅。

 出かける前に,「冒険王」から出た1次昭和7銭の軍関係分室局の整理をする。

10月10日

2004年10月10日(日)
 第39回有明町民体育大会である。体育班長はテント設営のため,7時15分集合。会場の有明の森グラウンドは高台にあるため,下の方は雨でなかったが,高度が増すに連れ途中から雨がひどくなってきた。雨中テントを立てる。7時45分から監督会議。8時頃から,観客選手が集まり始めるが,雨はやまず。結局小降りになったのを見計らって,開会式。町長の話で町民体育大会の沿革がわかった。東京オリンピックの翌年から始まり,ゆえに39回とのこと。郡民体育祭で今年も優勝し,13連覇,島原半島は1市16町だが,その16町で毎年郡民体育大会が行われ,連覇するのは至難の業,などという話が続く。1時間以上遅れての開始だったが,終了は45分ぐらいだった。試合結果は,わが大野地区が総得点91点で優勝。2位三の沢81点3位東空閑81点(1位の数で上位決定),おまけに昨年63点から28点伸びたということで躍進賞まで獲得。躍進賞は私が壇上で受け取った。得難い体験をさせてもらったと思う。自治会の人の協力でテントの撤収はスムーズに事が運んだ。公民館の倉庫に格納するときも手伝いにきてもらった。感謝である。19時から「もとよし食堂」で祝勝会。16時30分に行き準備の合間に,優勝旗のペナントを調べて,大野地区は,昭和56年の16回大会から,60年の20回大会まで5連覇,平成13年の36回大会優勝についでの今回の優勝ということがわかった。夜遅くまで歓談は続き23時過ぎ帰宅。体育班長の仕事は,11月のバレーボール大会,1月の駅伝大会を残すのみとなった。

 朝雨天のとき,中止になったら,福岡で開催中の「スタンプショウはかた」に行こうと決めていたが,結局雨中の体育大会で今年は行けず。また来年に期待しよう。東京で今日行われたはずのJAPEX2004の予備審査はどうだったのだろうか。

10月09日

2004年10月09日(土)
 土曜講座。1・3・4と授業。4校時終了が,14時10分,雑用を済ませ,15時過ぎに学校を出る。16時に自治会の公民館で待機。隣の自治会の方がトラックでテントの積み込みをしてくださるのだ。私の自治会からは大小二つのテントを積み込む。もう一つの自治会の公民館をまわり計四つのテントを積み込み,有明の森グラウンドへ。明日の町民体育大会のテント設営なのだ。もう一台のトラックに三つのテントを積み込んだものも到着しており,我が大野地区は六の自治会でテント7張りを立てる。人員は体育班長6人とプラス1人は昨日の長老。時折の霧雨の中テントを立て終え,帰ったのが17時30分頃,休む間もなく,自治会の選手宅25世帯に選手名簿とプログラムを配って,明日の選手の最終確認。20時近くに終了。久しぶりに晩酌でビールを飲む。昨夜は店で飲んだが,自宅では久しぶり。

 「たんぶるぽすと」「スタンプシバタオークション」着。今日からスタンプショウはかたが福岡で行われている。九州での郵趣催事には出来るだけ出かけるようにしているのだが,今日だけは残念。地域の義理を欠かすわけにはいかないのだ。福岡へは,11日に行く予定。JAPEX2004の出品物,追跡調査で8日に私書箱に到着していたのはわかっていたのだが,今朝1番で無事協会に到着したのを確認。事前審査に間に合った。

10月08日

2004年10月08日(金)
 午後から,国語部会の理事・役員会。20名ほど出席。22日の県大会・総会に向けての役割分担の確認。これから22日までは,忙しくなる。終了後16時05分から放課後補習。しばらく採点をして,19時40分過ぎに学校を出る。20時から体育班長の集まり,シューフルールで。10日の町民体育大会の故障選手の補充。いろいろな理由で3名ほど出られなくなったのだ。地区の長老を先頭にお願いしてまわる。21時過ぎに全て決まり,祝杯。23時30分に帰る。

 切手の方は,タカハシをながめたぐらい。

10月07日

2004年10月07日(木)
 このところ寝不足で疲れ気味。空き時間にはひたすら採点。ついうとうととなることも。放課後久しぶりに放送部に。その後,明日の国語部会の理事会・役員会の資料印刷製本作業。県大会へ向けて準備が進む。19時前に帰宅。地区の体育班長の人から町民体育大会の選手のことで電話。出れない選手が出てきたので,かわりをあたってくれとのこと。早速電話してOK。明日集まることに。30000アクセス達成。たしかめにいったら,自分で踏んだ。

 JAPEX2004の出品物,今朝送付。明日の夕方までには届くだろう。「タカハシスタンプオークション」着。

10月06日

2004年10月06日(水)
 学年末考査最終日。2時間続けて試験監督。終了後大掃除と学年集会。午後から職員研修。安全衛生委員会,14時から16時まで。放課後2クラス分採点済み。18時30分過ぎに出て19時前に帰宅。

 JAPEX出品作品,一つずつ片づける。文献部門をまず梱包。「長崎の外国郵便」のリーフ2つ手直し。「UNZEN」14リーフ作り直す。全てが終了したのは27時である。しかしなんとか明日発送できそう。「SEVEN」「日フィラ」到着。

10月05日

2004年10月05日(火)
 学年末考査3日目。1校時試験監督,2校時古典の見まわり。昼食後12時30分から進路検討会。17時前に終了できた。昨日今日で8時間以上の時間を費やして,320人近くの全生徒の進路検討を行った。大安吉日ということで,猛島神社に願掛けに行き,センター試験出願書類発送,これは進路の係の先生。18時30分から,検討会のおつかれさま会。神社に願掛けした際の御神酒を皆でいただく。「ちゃんこ力士」で。2次会「Betty」H口先生と25時帰宅。

 JAPEX事前指導をお願いしていた分の添削到着。寝ないでリーフを3・4リーフ作る。それに伴ってマテリアルの選定。なんとか目処をつけて寝る。

10月04日

2004年10月04日(月)
 学年末考査2日目。1校時「現代文」各教室をまわる。2校時試験監督。3校時少し採点。午後から第2回進路志望校検討会。国語の指導と模試の反省をふまえ,展望を語る。個々人の現時点での志望校に検討。今日は理系。明日文系。18時過ぎ帰る。

 JAPEX2004リーフ作成。長崎の外国郵便のタイトルリーフの日本語版を完成。あとは雲仙のリーフの差し替えとして,私製葉書未許可時代の書状料金での発送のものを作れば完成。

10月03日

2004年10月03日(日)
 昨夜,遅くまで姪のホームページ作成の手伝いをしたので,ゆっくり起きる。朝風呂に入り朝食を取ったのが11時過ぎ。妹はブラジル帰りの時差ぼけらしい。また,ホームページ作成。WEB日記もしたいというので,思い切ってホームページビルダーV8にアップグレードすることになり,YAMADA電気に出かける。同時に教則本も購入。外出したついでにいろんな買い物をしようと最近出来たらしいジャスコに行く。15時過ぎに遅い昼食,ジャスコ内のセンターリバーというステーキとハンバーグの店。姪の高校はもうすぐ修学旅行らしい。バッグも購入。帰宅後ソフトをインストールし,OCNの無料ページとブログを申し込みする。使用まで2営業日かかるので,すぐにはアップロードできない。ホームページの容量は10Mのままだが,ブログは30Mというのは始めて知った。たまにはのぞいてみるものだと実感。17時30分過ぎに北九州を後にして,福岡で夕食後,夜景を見る。眼前に博多湾,右に福岡タワー,左にマリエラの二つの観覧車が見える場所。21時30分過ぎに都市高速に乗り帰宅は24時過ぎ。HPを見る。

10月02日

2004年10月02日(土)
 そういえば,10月1日,人気サイト「J-stamp20」のリニューアルの日である。深夜(今日の早朝?)早速訪問してみた。http://jstamp20.net/ 独自ドメインも取得され,今はやりのブログ風のおしゃれなトップページ。これから毎日が楽しみである。午前中出発して福岡の知人のパソコンを設定に出かける。昼食は福岡のベーカリレストラン,サンマルコ,さらに夕食後,北九州の妹宅へ。だいぶ前に送ったパソコンが設定できずに放置してあるとのことで,インターネットに接続すべく無線LANの設定。ものの数分で完了。その後,高2の姪がホームページを作るというので,苦労しているのを教授というか,手伝う。手取り足取りではなく,疑問に思ったところで,助けるという方法。姪はイラストを書くのでそれらを公開したいとのこと。目的がはっきりしていれば上達も早い。意志有るところに道あり。姪は詩の方も公文の機関誌に掲載されたほど感受性豊か。それと平行して私は,いつも持ち歩いているVAIOのC1VRX/Kを妹宅の無線LANに接続する設定。終了後,メールは見ることが出来た。簡単ホームページ日記をインストールしているGR7/kは自宅に置いてきたので,日記の更新はできず。

 出かける前に郵便局に寄り,昨日到着の日フィラの落札物を受け取る。一番ほしいものは無事落札。丸一人気らしく,小判1円の丸一口之津含むロットは落ちず。結局家に帰り見ていく羽目に。出発が遅れた。

10月01日

2004年10月01日(金)
 今日から10月。年度の後半のスタートである。3年は学年末考査,1・2年生は中間考査である。朝,交通指導のため,学校に車を置いて,大手広場まで歩いていく。8時頃の島原城のお堀端は風も心地よい。派出所の前付近でもう一人の先生と,8時30分近くまで交通指導。帰りは車に同乗して送ってもらった。1校時の早速の仕事は,昨日締切だった国語の県大会の出欠未着の学校に催促のFAX送付すること。おかげで昼過ぎまでにかなりの返事がきて,既に昨年の出席者数を上まわった。放課後生徒が下校した頃,問題検討会。3年担当の先生3名,なかなか多忙で揃う時間帯があまり取れなくてこんな時間になってしまった。最終段階をI先生に託し,18時過ぎに帰る。いつもお世話になり感謝。19時に町民体育大会の地区の選手に選ばれた自治会からの選手中学生2名を載せて有明の森運動場へ上る。高校生は保護者の人が連れてきてくれるとのこと。20時30分ぐらいまでバトンの受け渡しを中心に練習をした。

 「九州郵趣」の原稿,1ページ文字だけで埋めた。今回は季節局の時代まで。郵趣掲示板にJAPEX2004出品目録用の解説文を掲載。

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