07月31日

2004年07月31日(土)
 夏季補習は土曜日も関係なく,1校時7時35から開始。なので7時過ぎには出かけていく。1・3・4と午前中に終了。2の空き時間には難関校の添削。午後から放送部,15時に帰宅。

 収友から長崎関係の葉書到着。整理がてら,最近購入の品物を整理。リーフを1リーフ作る。

07月30日

2004年07月30日(金)
 夏季補習,今日は3校時から授業なのだが,勤務時間の関係で8時過ぎに出勤。でももう日が高い。2時間目の時間帯に難関校の添削と教材研究。3・4・6と授業。その後放送部へ。18時前に帰宅。

 早く帰ってきたので,束モノを見る。なんと1次昭和30銭に欧文印の一部消が出現。43年3月とC欄「NIPPON」の一部がかかった状態。もう1枚は43と同じくC欄の一部,計2枚。局名はわからないがTOKYOと推定。50銭や10円に44年消の欧文印単片が存在し非郵便ではないかと疑っていたのだが,その可能性が強くなってきた。一部消があるということはもっと消印のかかり具合がいいのが出てくる可能性があるということ。期待したい。

07月29日

2004年07月29日(木)
 夏季補習午前中に3コマ終了。午後から難関校の添削。このところ数人が熱心に問題を解いて持ってくる。生活のリズムができてきたのだろう。来週から雲仙合宿。3年目にして初めての参加。6泊7日で1日11時間以上の学習時間が組んである。教員の方もほぼ24時間勤務に等しい。会場の雲仙高原ホテルは,インターネットの設備はないようなので,ダイヤルアップでの接続になるかもしれない。ひょっとしたら日記の更新もできないかもしれない。まさに山籠もりである。
 さて,午後から久しぶりに放送部に行ってみた。エアコンがないので,最初は暑かったが不思議なもので体が慣れてくる。9月早々の文化祭用のビデオ編集を放送室で,ステージ発表の朗読の練習を会議室で。朗読は群読。題材から読みの構成まで2年生の部長を中心に自分たちで行い練習している,もちろんアドバイスぐらいはしている。カタチが見えてくるところまで口出ししないつもり。18時過ぎに帰宅。

 「郵趣」8月号着。長野行洋氏の収集家日記「有楽町で逢いましょう」とは,同世代の発想。「有楽町で逢いましょう」の歌が流行った頃の舞台は,今はなき「有楽町そごう」だったが,収集家にとっての有楽町は「交通会館」の即売会のこと。ともあれ長野君も収集意欲旺盛である。ジャパンスタンプの1面広告で例の5円鎌足の銘付10Bを見る。また高くなるんだろうなと羨望。天野安治氏「戦後記念切手は使用済が面白い」プレビュー記事に目を奪われる。郵趣裏表紙に紹介された同書の表紙を彩る使用済切手の名品もさることながら,プレビューページに紹介されたリーフ写真。国際文通週間のリーフ,初期の田型5種を貼ったスマートなリーフや難関24円の単貼カバーのリーフ,未だに収集界をリードするトップコレクター健在の印象。100リーフを超えるリーフ写真が掲載されるのも作品作りに有益な示唆を与えてくれるだろう。

07月28日

2004年07月28日(水)
 夏季補習は続く。7時35分開始65分授業の6コマ15時50分終了,毎日3コマの授業という時間割はゆったりしてよい。夏休みという雰囲気がする。問題演習をしているが現代文や古典で名文に出会うとついいろんなことを考えてしまう。感受性の強い人間ほど文章の持つ力に魅せられ問題を解くのがおろそかになるのではないかと思うほどだ。志賀直哉の「暗夜行路」の一節で少年時代の主人公謙作が父と角力を取る場面。「義経記」の静が鶴ヶ岡八幡宮,頼朝夫妻の前で,白拍子の舞いを見せる場面。ともに今日授業と添削でやったところ。教材研究と添削を空き時間に済ます。帰宅は,18時過ぎ。

 「全日本郵趣」着。長田氏からの紙の情報誌着。1年越しの全日本郵趣の原稿を発送。また,PACIFIC EXPLORER 2005の申し込み用紙記入後,タイトルリーフのコピーを同封して発送する。大事な申込用紙は時間をおいて清書した方がいいので作業が今日になった。

07月27日

2004年07月27日(火)
 夏季補習1校時の日なので,7時過ぎに出かける。1・4・6ととびとびの時間割。空き時間に溜まっている仕事を処理する。18時過ぎ,生徒が帰る時間帯に帰る。19時前帰宅。

 「スタンプコレクター」誌到着。SEVENの落札品着。束モノ2000枚だが,ブロックから崩した500枚束4個の状態。一番上の切手のヤケ・糸の古色・十字の糸かけも見てないことを思わせる。やはり第2次昭和切手の鮮明印は少ないことを実感する。

07月26日

2004年07月26日(月)
 1校時が入っていないので,8時過ぎに出かける。昨日1日学校に出ていないと机上には添削用の問題集が山積。2校時の時間帯で処理する。3・4と授業。昼食の後,5の授業。6の時間帯で教材研究。掃除・帰りのSHRの後,インターハイその他に出場選手以外は自学,18時まで。19時前に帰宅。

 FIP公認の世界展,シドニーで行われるPACIFIC EXPLORER 2005に出品予定の昭和切手のタイトルリーフ完成。あとは申し込みの記入をして送付するだけである。
 郵趣掲示板に昨日の「筑後地方切手のつどい‘04」の写真を2枚UPしたところ,田畑氏からさっそく補足の書き込みをいただいた。ご覧の通りの盛況であった。

07月25日

2004年07月25日(日)
 「筑後地方切手のつどい‘04」に出かける。昨年鳥栖インターで降りたら出口が二つあるとガソリンスタンドで言われ,道に迷ったので,今回は小郡インターで降りる。高速を横切ったら,右折して高速沿いの道を鳥栖方面に行かなければならないのだが,まっすぐ行ってしまい,知らない町の名前を二つほど過ぎておかしいと思い引きかえす。そういえば一昨年もこんなことをした記憶が蘇る。筑後平野の真ん中で目印になる高い山がないためどこを走っているのか見当が付かないのだ。
 小郡の七夕会館に着いたら,田畑裕司氏の講演 「キロボックスおよび払下げ切手の歴史とその整理方法」が既に始まっていた。レジュメによるとメリアンカバーの話題が過ぎたところぐらい。実物リーフは,旧小判の束モノから出た切手で作った定常変種のリーフ。未発表と思われる。これが見れただけでも来た甲斐があった。お昼。昨年まで利用していた,七夕会館裏の内田屋うどん店がなくなり,ご婦人方が多い洒落たレストランに変わっていた。昼食は,小郡の中島さんの案内でここで食べた。1500円のランチ。横に鹿児島の永吉さん。前に中島さん。むこうのテーブルに茶山人さんたち。茶山人さんが元気なさそうだったのであまり話もできなかった。日記だけでも再開してほしいものである。午後からテーブルバザール。宗像の中島さんから「宗像郵趣」の復刊第1号と,活動停止15周年の合本をもらう。例会も宗像のM先生宅で再開するとのこと。ほかには九州郵趣の事務局長と「九州郵趣」誌の記事その他の打ち合わせ。幸か不幸か,おかげでバザーはあまり見られず。最後に盆回し。少し売れたがそれ以上に買う。パインスタンプさんが私のために見てない万束を持参してくださっていたので,ありがたく頂く。これで在庫はトータル20万枚超になった。
 帰りは寄り道して帰宅は23時前。家に着くと,シバタさんの落札物が届いていたが,軒並み不落札。単片満月は,今でもけっこう人気が高いようだ。21000アクセス達成。

07月24日

2004年07月24日(土)
 夏季補習2日目である。1・3・4と午前中で終了。COCO一番屋で,野菜カレーにトンカツをトッピングしたのを食べて帰る。14時過ぎ帰宅。赤いBEET車検に出しているが,代車を換えに整備工場に。思い切ってエアコンを修理することにした。これで車検5万保険料4万エアコン修理6万計15万の出費は痛い。4月のEXAの車検も車検15万,ショックアブソーバ修理8万5000円計23万5000円かかった。この時も,これに保険料4万ほど加わる。車の維持費だけでも相当なものである。47回目の誕生日。

 早く帰ったときには,切手の整理。束モノから出た切手をストックブックに入れる。明日は「筑後地方切手のつどい‘04」である。田畑裕司氏の講演 「キロボックスおよび払下げ切手の歴史とその整理方法」が楽しみである。
 ヤフオクに私が昨年出版したCD−ROM「昭和切手蒐集」が出品されていたが,本日結果が出た。最低値1000円が3人で競り上がって2300円。定価は3000円となっているが,「九州郵趣」1年分の購読料800円つきなので実質2200円。100円高い落札値ではないか。まだまだ需要があるようだ。

07月23日

2004年07月23日(金)
 今日から夏季補習。時制も変わる。早朝補習の時間帯,通常の0校時が1校時となり,65分授業の6時間制。途中15分の休み時間。@7:35〜8:40A8:55〜10:00B10:15〜11:20C11:35〜12:40D13:25〜14:30E14:45〜15:50,ここまでが講義で,このあと自学が2コマ組んである。この時制は3年生用で,1・2年生は4校時まで。ただし,この期間は担任の先生は保護者面談が入る。1・2年生は13時頃から19時頃まで,3年生は16時頃から19時頃まで面談が続く。夏季補習期間は土曜も続くが,これが雲仙合宿になると,土日も続く。夏休みが却って忙しくなる所以である。19時前に帰宅。

 最近昭和切手の構成を考える。それといくつかの原稿の文章構成も考えているところである。

07月22日

2004年07月22日(木)
 7月は本日までが授業設定日。明日から夏季補習となる。0・1・3の授業後支度をして出張。14時からの会合が長引いて,諫早の会場を出たのが18時頃。自宅に車を置き,なんとか19時前に有明町総合文化会館に入ることができた。有明町の地区PTAである。本日の有明町を皮切りに校区内を12ヶ所に分け8月7日まで開催する。明日は3ヶ所同時開催。初日にあたる本日は,校長・教頭・PTA会長と3人が揃う2ヶ所の一つであるらしい。現況報告質疑応答と活発な意見が出る。その後すぐ近くのもとよし食堂に場所を移して懇親会。このパターンは4月14日付けの体育班長会での会合と同じである。日記を書いているとこんなことまでわかるから便利である。忘却の彼方にある記憶が蘇る。全てが終了したのは22時頃だろうか。徒歩2・3分のところなので歩いて帰る。直線で200メートルといったところか。

 昨日,島原新聞の宮本記者から,7月18日(日)付けの新聞3部届いた。1面見出しに,「『温泉』から『雲仙』に改称」「逓信省が率先して改称」「国立公園指定の半年前」という活字が並ぶ。先日雲仙国立公園指定70周年記念でなにか話題がないかというので,雲仙郵便局の郵便史をまとめた「肥前國温泉(ひぜんのくにうんぜん)」を提示したところ,その中から風景印と局名改称にまつわるエピソードをまとめられたものである。同書は「九州郵趣家のつどい」が前回長崎の雲仙で行われた1999年,私が講演をした際の資料である。ちょうど1フレーム分くらいのリーフ写真が掲載されている薄いパンフレットみたいなもの。新聞には,図版提供者ということで私のことも紹介してある。我が国最初の風景印は,昭和6年7月10日から、「富士山」「富士山北」局(いずれも定期開設局)で,使用開始されたのが最初であるが,温泉(うんぜん)局でも遅れること5日,ほぼ同時といってもいい時期に使用開始。九州では3局同時に使用。このころから「温泉(うんぜん)」表示を「雲仙」表示にしようという声が論議されるようになり,昭和8年10月11日付けで局名が「雲仙」表示になった。翌9年3月16日付けで国立公園指定。霧島,大山瀬尾内海とともに国立公園第1号の指定である。日本最初の公園切手の題材になった富士箱根国立公園は1936年,昭和9年2月1日の制定だから,ずいぶん早い。私も,この辺の事情を郵趣サイドからみた記事を九州郵趣に書く予定である。

07月21日

2004年07月21日(水)
 授業設定日。変則的な日課表。0校時の早朝補習が50分授業になったのに伴い,朝会等の時間がずれてくるが,うまく時間調整し1校時開始は普段の5分遅れで,50分授業でまわす。ということは5分×4時間+5分で25分遅れで昼食になる。午後から,某予備校の講師をお招きして,国英数・小論文の難関校対策の研修会。90分の2コマの研修である。基本的総論的な部分と東大京大九大阪大一橋東工大等の各論的な部分の話があったが,大まかなところで,これまでの指導の方向性は間違っていなかったことを確信できた。明日の有明町の地区PTAの連絡調整をする。19時帰宅。

 SEVEN149号の結果22時過ぎにHP上で判明。パラオの移動分室,最低値5000円に対して39000円とのこと。私も一応入札したのだが遠く及ばず。日付が15年3月10日だったので天の啓示と15310円で入札したのだが,結果は倍以上。やはり南洋モノは専門収集家にはかなわない。スタンプシバタオークション,入札締め切りが24時までとのことで,メールで応札。

07月20日

2004年07月20日(火)
 全県的に本日が1学期終業式のはず。本校も例外ではない。ただし1〜3が授業で4が大掃除,午後から終業式,学年集会,放課後自学で18時05分終了という日程は不変の点が他校とは異なる。放課後会議が一つ。明日から2日授業設定日,それ以後夏季補習,雲仙合宿,放送部合宿と8月13日までほぼ休み無し。厳密にいうと2日ほど日曜日の休みの日があるのだ。20日ごとにまわってくる戸締まり当番を済ます頃にはすっかり暗くなっていた。20時前に帰宅。

 来年のFIP公認の世界展,シドニーで行われるPACIFIC EXPLORER 2005に出品予定の昭和切手のタイトルリーフの英文をALTの先生に添削してもらう。気さくな英国人で,男性なので話がしやすい。「JPSオークション」着。銘版つき10枚ブロックの特集。

07月19日

2004年07月19日(月)
 連休というのはいい。1日用事で出かけても,まだ休みがあるのだ。何ヶ月ぶりかで家で過ごす休日。10時ぐらいまでベッドでゴロゴロ。昨日買ってきた文庫を読む。

 午後,レイアウトしたリーフを印刷しようと思うが,ノートから印刷できない。無線LANの電波が弱いのかと思い,プリンターのある部屋に持ち込むも同じ。結局USBの直付けで印刷。その後何とか原因も究明でき無線LAN経由で印刷できるようになった。4000PXのインクも少なくなってきたし,950Cの少ないインクも調査し,リストを作る。某所に速達郵便物を送りに郵便局まで。せっかくだから,パーソナル編集長で,もう一つリーフを作る。来年のFIP公認の世界展,シドニーで行われるPACIFIC EXPLORER 2005に出品予定の昭和切手のタイトルリーフである。国内の申し込み締め切りが7月末なので,そろそろ準備する必要があるのだ。IBMの翻訳の王様というソフトで,大雑把に翻訳して,あとは私の拙い英語力で部分的に手直ししていく。この1週間で完成させよう。

07月18日

2004年07月18日(日)
 この諫早ステーションホテル,パン2種と飲み物が無料の朝食サービスがある。Y先生と8時30分に待ち合わせて,食事。クロワッサンとトースト,オレンジジュース,コーヒーをゆっくりいただく。Y先生は野球部の3人目の顧問なので,12時からの2回戦を応援に行かれるとのこと。長崎のビッグN球場である。ゆっくり新聞などをみていると,N先生も軽食を。諫早のタウン誌・情報誌も見る。長崎に移動し,13時の長崎郵趣会の例会には,時間があるので,駅前のアミュプラザ内メトロ書店で時間をつぶす。2000円以上90分無料駐車できるので,なにか買わなければと思っていたらけっこう見つかり,3700円ほど購入。店内の事前精算所で90分にセーフ。かくて30分ごと150円450円が無料になった。会場の長崎郵便局の会議室に早めに行くが,12時30分には,かなりの人が揃う。8月の例会は,第3日曜日が精霊流しのクライマックスの日なので流会。2時過ぎに終了してアミュプラザ内のロイヤルホストへ。池田さんと森田さんS高校のT君と私。中高一貫の私立高校1年になったT君,剣道部で毎日部活をしているが休みには例会に出てくる有望な青年である。昔の紙類を集めているそうで,明治8年の「地権」は紙幣寮刷版局の銘版があり,旧小判切手の銘(日本最初の切手の銘版)と同じであることを,彼のコレクションで確認した。16時30分頃まで雑談をする。18時過ぎ帰宅。

 リーフレイアウト完了。印刷は明日。

07月17日

2004年07月17日(土)
 土曜講座である。基本的に勤務日ではないので,その時間帯にいけばよく,8時35分開始が1校時。1・3・5と,とびとびの時間割で,3と5時間目の間に昼休みが入るため,2時間5分も空いてしまう。外に食事に行く。暑いときはエアコンの利いた部屋で熱いラーメンということで味千ラーメンへ。ここはいつも空いて待たせられないのがいい。5校時終了後,掃除監督をして帰る。16時30分帰宅。今日は,それから,一種の同窓会である。前任校の平成12年度の学年会の先生方との食事会が諫早である。一番辛かった時期を乗り切った5人の仲間たちである。3人は上陸して,2人が島内に残っている。連休でその2人が帰ってくるのに併せての開催。私が担任をしながら学年主任と進学主任を兼任していたときの学年である。場所は,島原や大村方面から集まり易い諫早。20時前に,諫早のアーケードの近く「ZEN」で食事会。2次会カラオケ,ちょうど1年前のこの会で使ったアーケードのはずれの店が廃業になっていたため,駅前の「メロディ」という店を探し当て26時まで。そのまま諫早ステーションホテル泊。

 結局リーフレイアウトは今日できず。残念,明日までお預け。

07月16日

2004年07月16日(金)
 本日未明20000アクセス突破。終日球技大会で早朝補習なし。朝7時に来て練習をしていたクラスもあったらしい。午前中は各種会議や夏休みの計画。副担のクラスは,女子バレーで朝練組。決勝で8組とあたるとの予想だが意外にも接戦で敗れたらしい。男子フットサル,戦っている最中。炎天下でのプレー,応援の声援。結果は3位。でもよく頑張った。総合優勝は,2種目優勝の3年8組。歓迎遠足の綱引きに引き続いての優勝だ。「8組」の有終の美を飾るクラスとの評も。というのは,1・2年は7組まで。来年からは8組は存在しない。担任に言わせると,旧伊藤クラスのDNAを受け継いだからだそうだ。昨年担任していた2年3組は,2年ながら綱引きで優勝。その6割以上が3年8組になっているのだ。いまでもよく声をかけてくれる。さて,早朝補習はないが放課後補習はある。受験生に休みはない。そのかわりそのあとの放課後自学はない。ちょうどその放課後補習のクラスは副担任をしているクラス。インターハイにでる生徒の席は空いているものの大部分が真面目な受講。やはり疲れからかついこっくりの生徒をソフトに起こしてまわる。17時過ぎに終了して放送部1年のミニ発表会に同窓会館に出かける。2年生の企画。アナウンスと朗読希望の1年生7人がこの日のために練習してきたようだ。審査員は県大会出場の2年生5人と私。途中の4人目から聴かせてもらった。終了後2年生から一言。的確な評。何事も自分で善し悪しの判断がつくようになったら一人前。その意味で2年生にとってもいい研修だったはず。最後に私の講評は,放送において「伝える」意義について話をする。18時過ぎ,上田歯科に連絡し定期検診に。予約カードをみたら6月22日だったので1か月とばしたことになる。たしかに忙しかったと1か月を思う。担当の人は島商時代担任だったクラスの1学年下の人で,私のクラスに先輩が何人もいたらしい。そんな話などをしつつ検診を終える。帰りは気候もよかったのでBEETの幌を上げて,頭上に空を感じつつ,深江から島原を抜けて帰った。20時過ぎ帰宅。明日は土曜講座。

 1フレーム分の文字データをテキストファイルに全て打ち終える。後は「パーソナル編集長」で既存のレイアウト上にデータを貼り付け,レイアウトしていくだけだ。この作業が楽しいが,その楽しみは明日までお預け。

07月15日

2004年07月15日(木)
 本日5・6校時は,新たな試みとしての授業公開の日である。地域住民・保護者・中学関係者に実際の授業を見てもらい,本校の評価をしてもらおうというのである。本来木曜の5・6校時は授業は入ってないのだが,出張の振り替えで5校時に授業が入ってきた。普段着の授業ということで特に何も準備はしない。授業中何人か廊下を通り過ぎる。そのうち保護者の人が後ろで参観。初めての経験だったが,刺激になったかもしれない。放課後職員会議。その後,放送部に顔を出す。お昼の放送番組「MJ(ミュージックジャム)」を初めて1年生を入れて作るらしい。明日の球技大会のビデオ撮影のプランを作るようビデオ撮影班の責任者の生徒に指示する。19時30分から同窓会誌の編集委員会。私の担当分の原稿を持っていった後,今号,私の香港国際切手展のリーフ写真をカラーで掲載するというので自宅まで取りに戻る。食事も済ませて同窓会館に戻り会議終了まで。22時前に帰宅できた。

 香港展のスキャン画像を発見するのに手間取ったが,4リーフ選び,A4マット紙にPM4000PXで印刷する。だいぶ小さくなるがそれでも割にはっきりと印刷できた。それに帰宅後,昨日のリーフ作成を少々。

07月14日

2004年07月14日(水)
 空き時間が2時間しかない水曜日なのに,新任の先生の研究授業が入り,1時間になった。昼休みは文化祭に向けての文化部顧問会の会議。放課後進路指導関係の会議のあと研究授業の合評会。8時40分から17時過ぎまでスケジュールが詰まった1日であった。18時30分まで放送部で合宿の申し込みの調整。19時前に帰宅。

 ここ最近の懸案であった,ある分野のリーフ作りに帰宅後すぐとりかかる。仕事の延長のテンションでやらないと事務的作業ははかどらない。入浴・食事でビールを飲んで横になったら朝だからだ。久しぶりのリーフレイアウト作業につい熱中してしまう。方針が決まり,テキストデータがあれば,1フレーム分ぐらいは1日でできるのだが,けっこう書き込みのテキストデータが多い場合は,全てテキストデータを打ち込んでからの方が早いかもしれない。帰宅直後の集中作業,ここしばらくこのスタイルでやってみよう。

07月13日

2004年07月13日(火)
 火曜日は唯一2時間の授業の日だったのだが,放課後補習が入り,1・4・8の授業に。空き時間に随分こまごまとした書類作りがはかどった。夏休みの動向を作成したが,連続休日は4日が最高,もちろんお盆の期間4日間だ。それ以外は授業設定日や補習や合宿である。授業設定日というのは夏季休業中に各校長裁量で授業日を設定できるようになったことをさす。もちろん授業であるから欠席すると出席すべき日を休んだとして公の記録上欠席扱いになる。補習や合宿は建前上任意参加なのでその扱いはしないという点が異なる。ここで困るのは土日も補習や合宿が入り,教員は出勤簿の上では勤務上代休を取らねばならないのだが,その週はずっと補習なり合宿をしているわけだから,取れないのである。出勤簿上は代休を取った形になっていても実際は出勤して,補習や合宿をしているのである。これが夏休みがかえって忙しくなる原因である。
 さて,放課後は放送部に行き,合宿の参加状況を見る。今日で16名。長崎県の放送部の集まりである高文連放送専門部では,学校横断で夏季に生徒の合宿研修を行っている。昨年は「長崎ゆめ総体」というインターハイの影響で実施しなかったが,一昨年は佐世保の青少年の天地で,今年は諫早少年自然の家で行われる。200人以上が参加する大規模なものである。アナウンス・朗読・番組制作に分かれ研修をすることになる。このような催し物は全国的にも珍しいらしく,例年他都府県からの先生方の参加もみられる。ともあれ,夏休みに向けて始動し始めたのだ。

 太田さんのHP,いつも楽しく拝見しているが,「A4用紙への直接印刷によるリーフ作りにトライした。」とのこと。切り張りで苦労されておられたようであるので,今後の記事に期待したい。私も26年前は,インスタントレタリングを使ったり,印刷屋で写植を印字して貰いレトラコピーという透明シールにコピーしたものを切り張りしていた。懐かしくそんな時期を思い出す。モリサワや写研といった会社名を知ったのもこの頃。難点は費用が恐ろしくかかること。この時期は1作品制作に5万円くらいのインレタ代や写植印字の費用がかかっていたような気がする。1989年のパリ国際展出品作品からは直接印字。1981年から使い始めたワープロも精度が上がり,直接印字でも充分使えるようになったのだ。この時点で4台目。最終的に5台目までいった。2001年のフィラニッポン国際展からパソコンを使った,プリンターによる直接印字。仕事でも使っているパーソナル編集長というソフトを使うようになってからである。0.1ミリ単位で指定できる精度を持つ。使い始めた頃はVer3.0だったのが,今ではVer6.0になっている。プリンターもページプリンター1台,顔料系と染料系のインクジェット各1台が現有機。パソコンもOS別に稼働中だけでもデスクトップ3台ノートよく使うもの2台,たまに使うものあと2台,研究用保有2台計9台を使い分けている。これ以外に保有していたものは現在妹や弟宅で甥や姪たちのパソコンやプリンターになっている。何が言いたいかというと,ワープロ・パソコン遍歴は「全てリーフ作りのため」という一点に尽きるということだ。昨年購入したエプソンPM4000PXは,顔料系でA3印刷できるのでおすすめである。

07月12日

2004年07月12日(月)
 週に1度の早朝補習の日。梅雨明けとはいうものの,今年は梅雨という気がしない。午前中なんとか単票提出。休日明けは週末課題と添削問題が続々集まる。7校時が終了すると,一息おいて放課後補習。国語科通信を2号分作る。20時前に帰宅。

 「スタンプシバタオークション」到着。例のNAGASAKI-MARU欧文機械印3000円の最低値に対して43000円の落札結果。かねてから入手を依頼していた雲仙国立公園70周年記念Pスタンプを入手。糊タイプとシールタイプの2種。販売価は各1200円と良心的。2セットずつでも4800円なのでやはり値が張る。8月の雲仙合宿で時間があったら実逓便を差し出してみよう。

07月11日

2004年07月11日(日)
 昨日の痛飲のため,ゆっくり起床。10時過ぎに起きてネットサーフィン。食事して家で過ごしていたら14時過ぎる。国民の権利と義務である選挙の投票に出かける。参議院選挙である。期末考査の成績処理のため,そのまま学校へ向かう。3年国語担当の先生で話し合うことが多く,全て処理できず,結局,自分の処理だけを済ませたのが18時過ぎ。18時30分頃帰宅。これでも,ふだんより早い。

 早く帰ってくれば,意欲も湧く。見てない束モノをいくつか見る。先月の佐賀大会のアオヤマスタンプで買ってきた大判のストックブックに入れていく。1ページに8×9の72枚収納可能だ。30銭の束を見ていたら,明らかに十字に紐で縛った跡が有るのに,縦方向の糸が見あたらない物あり。誰が,何のために,糸を切ったのだろう,不思議だ。

07月10日

2004年07月10日(土)
 明け方に強い雨。高校野球県大会の開会式当日なので心配しつつ遠雷の音を眠りの中で聞く。昨日の疲れからか二度寝したため,出発が10時過ぎになった。長崎市かきどまり競技場に向かう。天候も大丈夫そうだったのでBEETで行くことにした。長崎自動車道路,多良見で長崎バイパスに行くべきところ,直進し次の芒塚で降り市内を抜けて13時前に到着できた。応援席には,野球部下級生・保護者の方々,野球部OB,学校から山添教頭と3人目の顧問の山口先生。対戦相手は,私の前任校の富江高校,山口先生も同様。今年軟式野球から硬式に転換しての初出場である。4月にこのニュースを聞いて旧職員みんなで応援に行こうと行っていたのだが,皮肉なことに対戦相手という形で実現した。野球部の活躍は高総体と時期が違い例年普段あまりビデオに記録できないので,放送部の生徒を連れて行こうとしたが,あいにく1・2年は進研実力,3年は進研模試。放送部の生徒とも話し合い私が撮ってくることになった。初出場なのでコールドで勝負がつかないようにと心の中で祈っていたが,1回表の島原の攻撃,2点。しかしその後両者ともよく守り5回裏で富江1点入れるまで均衡を保つ。6回が始まる前グラウンドの整備の時間に富江側に挨拶に行く。当時の花岡校長(現在長崎北陽台高校校長・県高野連会長)・永田教頭(現在上対馬高校校長)を始め旧職員の先生方・同窓会長さん・保護者の方々と話ができた。特に当時の野球部監督だった松下先生は声を張り上げての応援。この時点で1点差だったが,6回表に2点島原が追加,9回に1点ずつで結局5対2で島原が勝った。両者ともよく戦い好試合であった。かきどまりの球場を出たのが15時過ぎ。途中食事等の寄り道をしたので17時過ぎに帰宅。友人との約束まで時間があったので仮眠。炎天下の応援で疲れたようだ。20時に友人と2人で出かける。いつもの定番「鳥善」「N」「六本木」。26時過ぎに帰宅。

 インターネットの切手に関するサイト巡りのみ。

07月09日

2004年07月09日(金)
 宿泊先の富士町の某施設を出て,唐津へ。重なる山々の中を縫うように走る細い道を掻き分けて着いたのが虹の松原。メイン会場の唐津市民会館の施設見学。例年10月実施の国語の九州大会が今年に限って11月の下旬に実施されるのは,唐津のおくんちのためとのこと。市民会館の前が神社,隣が曳舟会館なので早速見学し,ビデオを見て唐津のおくんちの雰囲気を味わった。1995年に切手になったふるさと切手佐賀版「鯛の曳舟」も見てきた。唐津駅で九州地区の他県の先生方とも別れ,多久インターチェンジを目指す。九州大会の発表者である某高校のK先生と連絡をとり16時30分に面会の約束をしたが,だいぶ時間が空く。多久インターチェンジを少し過ぎると,なんと小城町だということに気づき,急遽村岡総本舗の見学に。電話連絡するが,急なことで村岡さんご本人にはお会いできなかった。念願の羊羹資料館の見学を果たし,じっくり見ることができた。帰途の途中,先述のK先生を訪ね,今後九州大会に向けてのスケジュール等の打ち合わせをする。自宅着は18時前。少し横になり1時間ほど仮眠。19時30分から同窓会誌の編集委員会のため,学校へ向かう。とりあえず職員室へ行き机上の整理。自習課題4クラス分や添削用課題,連絡用のプリント類が乱雑に置かれているのを片づける。処理は明日になるだろう。それがひととおり終わると同窓会館での編集会議。だいぶページ割が出来,原稿が集まったようだ。今後の見通しが立ったところで解散。22時前に帰宅することができた。

 たった1泊してきたに過ぎないのだが,懐かしい気がする自室の机上。昭和切手のシートはシートファイルに,束モノは,ケースに収めると随分広くなった。スタンプシバタオークション誌発掘。風景2銭の機械印の日付部,確かに文字の並びからして「NAGASAKI」でなく「NAGASAKI-MARU」のようだ。でも単片は郵便史では使いにくい。日本切手でなくて中国切手貼りでもよいから葉書なり封筒なりの状態で入手したいものである。

07月08日

2004年07月08日(木)
 今日は,国語の九州地区部会長事務局長の打ち合わせで佐賀に出張の日。1・2・3と授業の後,佐賀市郊外の富士町へ。佐賀大和インターから15分,会議のある宿泊施設へ。会議の後,懇親会。国語部会の今年九州大会の佐賀事務局,来年開催の宮崎の事務局を始め,九州各県の先生方と交流を深めることができた。明日は,唐津市にある九州大会会場の下見。

 最近到着したオークション誌を持参するもみる暇なし。

07月07日

2004年07月07日(水)
 本日未明19000アクセス達成。空き時間2時間の水曜日。机上の提出物と,添削。せっせと処理する。放課後までかかる。生徒の自学終了の18時過ぎまた増える。明日から出張なので,自習課題と,明日の授業の準備のプリントを作っていたら22時前。基本的に授業は振り返えて授業時間を確保しているのだが,金曜日は出張の人が多く,学校にいる人に授業が偏ってしまった状態で振り替えが困難。例えば数学3時間とかになっているのだ。で,たまには自習もよかろうと時間内にできる課題を準備。そんなことをしていたら,帰宅は22時過ぎ。明日は時間割を1・2・3校時にしてもらい,その後,佐賀へ。九州地区国語部会の理事会。今年は,九州郵趣家の集いと同じで,佐賀で開催される。明日は会議。明後日,会場である唐津の下見になる。

 ヤフオク落札物到着。小物は少しずつ入っている。

07月06日

2004年07月06日(火)
 期末考査が終了し,早朝・放課後の補習も平常になり,週末課題・難関校添削の問題集が机上に山積の状態。でも当面は期末考査の採点。昨日2クラス,本日の授業で2クラス,放課後補習で1クラス返却し,完了。記述問題が多かったので結構手間取り,1クラスの採点に2時間以上かかったようだ。合間にHP更新と学校だより「青き楓」の校正,昨日起案したのが返却され訂正分を直す。順調に編集作業が進行したので発行が前倒しになり,今週末に発行できそう。難関校添削を片づけたのが,19時30分。20時前に帰り着く。ビールを飲んで,久しぶりにテレビを見る。「プロジェクトX」は讃岐うどんの小麦作りにかける情熱の人たちの物語。小麦粉の品種改良の人,それを作る農家の人,うどん職人,この3者の情熱が讃岐うどんを讃岐うどんたらしめたのだ。

 切手のアルバムリーフ作りをするぞと思いながら,日々は過ぎていく。まとまった時間さえあれば1リーフ分できるのだが。

07月05日

2004年07月05日(月)
 もう月曜日である。昨夜は採点途中で寝てしまったらしい。おまけに,月曜日は早朝補習の日。7時過ぎに通勤。7時といってももう日が高い。時間割変更で,123と授業。早朝補習とあわせれば,連続4時間授業と言うことになる。午前中に授業がつまったおかげで,採点がずいぶんはかどった。放課後補習,0時間から始まる授業の8時間目,実質9時間目を終え,やっと放課後。この時点で17時過ぎ。途中生徒の質問等があり,採点を20時過ぎまで。21時前に帰り着く。

 「タカハシスタンプオークション」・「日本フィラテリックセンターフロアオークション」・「たんぶるぽすと」着。

07月04日

2004年07月04日(日)
 町内水泳大会7時40分から監督会議ということで出かける。体育班長が監督だそうだ。町の教育委員会の主催で,町民プールの前で教育長の叔父と会い,世間話をしながら,プールに入る。監督会議の後,8時30分競技開始。10時30分頃に終了。閉会行事が済んで帰宅したのは11時過ぎ。帰宅時,台風の影響だろうか,かなり風が強かった。町営の温水プールができて13年目になるそうだ。もうそんなになるのかと感慨深かった。初代館長は父であり,完成時はよく家族で出かけていたからだ。大会の挨拶で,16町で行う郡民体育大会の水泳競技ではプール完成以来12連覇中とのこと,さらには総合優勝も12連覇ということを知る。島原半島は1市16町から成るが,16町の中でも人口は,国見町や温泉地の小浜町を抜き1番多くなった。島原深江の普賢岳災害の時,有明町に多くの人が移り住んだ時以来である。島原半島を楕円とするならば,中心から近い円周に島原,遠い円周に有明が位置すると考えてよい。なにはともあれ,13連覇を目指してほしいものである。今日の大会は8月の郡民体育大会の選考も兼ねているらしい。自治会の体育班長になってから,知ったことは多い。午後テストの採点を少しする。夕方から,島原市民劇場創立30周年記念ということで記念公演があった。市民劇場の公演は,通常2ヶ月に1回行われるのだが,今年はこの記念公演の分増えて7回になる。「地人会」が夏の一時期だけ上演している朗読劇「この子たちの夏」が行われた。広島・長崎で被爆した母や子が残した膨大な手記や遺稿,詩,短歌をひとつにまとめ,6人の女優が読み継いでいくもので,木村光一構成・演出。毎年8月6日−9日は東京で上演することになっているらしい。帰途の車の中で同じサークルの人たちと感想を出し合うが,母が女学校の時で遠く離れた島原半島にいたが,すぐ近くで爆弾が落ちたと思ったと,あの日のことを話してくれた。父は生前,師範学校の学生で諫早から長崎入りし,被災者の救援にあたり,黒い雨を浴びて間接被爆したそうだ。だいぶたってから被爆者手帳をもらったようだが,ほとんど使わないままだったことを思い出す。帰ってから,テストの採点。

 合間にヤフーのオークションを一通り見る。相変わらず束モノ関連のロットは高値だ。

07月03日

2004年07月03日(土)
 土曜講座。午後からの講演を聞きに行くために,授業を振り替え,123と済ませ,講演会へ。「感性の絵巻 仲町貞子 作品とその生涯」と題した活水女子大学の田中俊廣先生の講演である。長崎新聞社から,同名の新書を出されたばかりでタイムリーな企画。有明の歴史を語る会の主催。大三東村(長崎県有明町)に生れた仲町貞子は、昭和初年代の文壇に彗星のように現れ、わずか10年の創作活動のあと、文学会から忽然と姿を消す。幻の天才作家の代表作と、数奇で誠実な生涯を辿る,というのが講演の主旨。http://kyushu.yomiuri.co.jp/series03/monogatari/mono_42/mono42_040225.htmに詳しい。

 「SEVEN」誌到着。長田氏の書簡版情報誌到着。

07月02日

2004年07月02日(金)
 期末考査4日目,最終日である。3校時「古典U」で終了,午後大掃除・学年集会。18時過ぎまで採点。19時過ぎに帰宅。少々疲れ気味。明日は土曜講座。

 ヤフオク落札物2箇所から到着。マテリアルは続々来ているのだが…。

07月01日

2004年07月01日(木)
 期末考査3日目である。昨日の答案1枚も採点できず。午前中試験監督,午後会議。17時過ぎまで。3日連続同窓会館で会議,どっと疲れる。答案の採点が心配だが,昨日遅かったので早めに帰る。19時帰宅。

 「郵趣」着。収集家&切手商日記,長野行洋氏の万束の話題に私も登場させてもらったが,腱鞘炎は別の人,私は腰痛である。日本珍品切手物語,「キ半銭」は憧れの切手である。「1」の字のセリフがないとは初めての知見,興味深かった。井上正人氏の新高額10円の試刷,噂に聞いていたが初見。私の2次15銭の試刷もどきと異なり,収集家魂をくすぐる逸品。ひととおり目を通したが,今月の「郵趣」は読みごたえありそう。

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