06月30日

2004年06月30日(水)
 期末考査2日目。午前中試験監督。明後日の古典Uの問題案作成。午後第1回の志望校検討会議2日目。13時から17時過ぎまで。ほとほと疲れた。その後持ち寄った案を元に作問会議。問題を練り,訂正し摺り合わせ。1枚にまとめ,解答用紙を作ったら23時過ぎ。帰宅し,ビールで晩酌できたのはなんとか24時前のシンデレラ。

 「全日本郵趣」着。澤まもる氏の「旧小判5厘切手に関するメモ」の記事の中,旧小判切手の束の話は興味深く読めた。

06月29日

2004年06月29日(水)
 期末考査1日目。8時から8時30分過ぎまで,登校指導。西門の近くの横断歩道でひたすら挨拶をする。けっこう知らない生徒が多いものだと感じた。よく考えると22クラス中5クラスしか授業に行ってないので,当然といえば当然の話である。部活動の生徒を入れても6クラス分ぐらいしか双方向に知らないのである。午前中試験監督。午後第1回の志望校検討会議1日目。13時から17時まで。すっかり疲れた。

 「Japanese Philatelists」到着。国際切手展出品者の会会報だ。平成16年度第2号。佐藤浩一氏の国際切手展向けのアルバムリーフ実践講座が読めるのはこの機関誌だけ。アメリカ勢とヨーロッパ勢の比較など面白く読めた。マサトさんのサイトでNAGASAKI−MARUの機械印の話題が。ま,いずれ入手の機会もあるだろうと思う。大学郵趣連盟時代エコノミックアニマルならぬフィラテリックアニマルという言葉があった頃とは違うのだから。

06月28日

2004年06月28日(月)
 期末考査前日。123と授業後,長崎北陽台高校へ。県国語部会長崎地区主任会に事務局長として出席のためである。途中吉野家でカレー丼を食す。長崎バイパス経由,川平道路の二つ目の出口を出る。北陽台高校は初めて訪問。これで県立高校で進学校といわれる12校全て訪問したことになる。会終了後校長室にご挨拶。花岡校長は前任校での校長である。前任校の話題で盛り上がる。一番の話題は,野球部が軟式から硬式に変わり甲子園を目指すようになったということである。先日の抽選会で1回戦の相手がなんと私の現勤務校。花岡先生は7月10日,こちらに来ている旧職員に声をかけて応援にいくとのこと。1点差ぐらいで接戦だったらいいのですが…と私が言うと,10点ぐらい取られるのではないかという心配をされた。県内で一番小さな高校と大規模校,いい試合になればと願う。私も当日土曜講座があるが,やりくりがつけば応援に行きたい。高速の出口をでたところで気付いたが,北陽台高校は弟の新築した家のすぐ近く。引っ越し前には何度か行ったが引っ越し後はまだなので,訪ねてみる。引っ越しの段ボールが山積みだが,植木も馴染みだんだん家らしくなってきた。で帰りは,高速を使わず,山越えで大村湾に添って帰るコース。起伏に富んだいいドライビングコースである。天気がよかったので一度家に帰り,埃をかぶっているBEATを洗車後学校へ。19時過ぎ到着。明後日のテスト作成をT先生・I先生が奮闘されておられた。T先生帰宅後,I先生と二人で分担してなんとか完成したのが,22時。その30分後に帰宅。18000アクセス達成。

 ヤフオクの落札品到着。いつになったら整理ができるのだろう。でも,どのように整理していくか考える,その過程が楽しいのだ。
 「マサトさん欧文機械印気付きませんでした。というか,入札誌が埋もれてじっくり見ていないのです。そのうちに出たときみてみましょう。」

06月27日

2004年06月27日(日)
 町内相撲大会の当日。8時30分に一般の部から開始される。一般の部は地区対抗の団体戦のみ。当地区は3位だった。次に小学生団体,小学生学年別個人戦と進んでいった。途中,余興として赤ちゃん相撲の奉納というものがあり,小学生の決勝。赤ちゃん相撲の奉納とは,化粧回しをした赤ん坊を抱いて力士が土俵入りをするのである。体育班長という役でなければ出席することもない行事だけに新鮮に感じられた。12時40分頃帰宅。18時30分から相撲大会の打ち上げ。自宅近くの「力寿司」で。各自治会の会長・公民館長・体育班長・体育指導員が出席。21時頃帰宅。来週は水泳大会と町の体育関係行事が続く。

 午後,一気に「冒険王」を見る。JPS菊田沢切手部会のHPに古家さんの報告があるが,私の分には鉄郵のオンピースがいくつかあり,その意味ではアタリなのかも。産業図案5円切手帳の鉄郵なんていうものもあった。鳶色機械印の下部に広告が入ったタイプはオンピースで整理すると面白いリーフができるのではないかと思う。途中で切れているものが多かったが。記念切手は完全なものが少なかった。当時を考えてみると,切手ブームのさなか。目立ちやすい記念切手は,カットにした当事者が抜いたというのが真相だろう。おかげで良質の普通切手の消印オンピースが残ったのである。

06月26日

2004年06月26日(土)
 土曜講座は4校時で午後からだが,2校時の時間帯から,島高青楓塾と題した講演会があるので,9時に出かける。ビデオ記録の係なので,機材を積んで,会場の島原文化会館へ。社会の第一線で活躍中の本校OBの方を招いて進路学習の一助にしようと言う企画で,昨年から始まったものの第2回目。今回は,地元の文化人宮崎金助氏である。佐世保工業高校校長を勤められた国語科の先生であり,11回生ということで,私の17年先輩にあたる。「軌跡を起こした生徒たち」という演題で,自分が関わった前向きに生きる人の姿を話され,生徒も感銘を受けたことだろう。島原高校と島原を愛され,近年の旺盛な著作活動は,精力的である。私にとっても,校内にある鬱蒼とした小山である秋岳台と記念碑の由来については興味深く,長年の疑問が氷解した。午後からの土曜講座の授業を終え,しばらく仕事をして,16時頃帰宅。

 「スタンプコレクター」着。大村さんの記事には驚かされる。使用済みと未使用シートが揃ってみつかれば,定常変種の可能性は大きい。でもこんなに派手な変種がいままで気付かれなかったということはかなり少ないはずだ。データの蓄積の必要性を感じた。以前の「フィラテリスト」誌の読者の投稿欄のように気楽に変種の発表ができる場があればよいと思う。シートポジションまで確定しないと,認められないのでは調査はなかなか進んでいかない。「金剛山」と「冒険王」の束モノを少し見る。

06月25日

2004年06月25日(金)
 期末考査が近い。放課後補習でも試験範囲の授業をする。それが終わると,数人の生徒が質問に来た。別室で勉強会,下校時間の18時30分過ぎまで。帰宅後,自治会の体育班長の仕事。27日(日)にある町内相撲大会の事務連絡のため,自治会の会計担当の人と地区の世話人の人との間を走り回る。

 机上の切手を横目に見つつ,じっくりと見ることもできない。佐賀の集いの折り,アオヤマスタンプで購入してきた「ルーペ片手に」を読む。
 

06月24日

2004年06月24日(木)
 空き時間に,懸案だったホームページの更新。本校と同窓会の二つ。土曜日の講演会の案内と高総体の結果を入れる。来週火曜日から期末考査が始まるので,そろそろ作問に取りかかる必要がある。放課後職員会議。17時前に終了。下校時間の18時30分までは,断続的に生徒の質問がある。昨日の疲れから切り上げて帰宅。19時前。

 日フィラの締め切りも今日の正午だったことに気付く。どうしても仕事が忙しいと見過ごしが多くなる。購入してきたマテリアルを使って,目下アルバムの構成中。1時間でも毎日切手のことを考える時間を持ちたい。

06月23日

2004年06月23日(水)
 ここのところ,出張が多くて,振替の分,授業の時間が増えている。1・2空きで3〜7の恐怖の5時間連続授業。ここ2・3週間行われていた教育実習の最終日ということで,慰労会を「鳥善」で,19時から。2次会「花」,その後,「七万石」,「六本木」。27時帰宅。

 スタンプシバタオークション,入札しようと思うが,冊子がみつからない。今回は断念。次回は早めにしよう。

06月22日

2004年06月22日(火)
 出張の影響で,コマが詰まった1日。机上には提出された週末課題と難関校添削用の課題が山積。一気にはできないが少し処理する。放課後補習のあと,18時過ぎに島原文化会館へ。市民劇場の例会日である。同じグループの人が前の方に座席を確保してくれていたので,じっくり見れた。2004年劇団民藝公演「巨匠」である。木下順ニ/作,守分寿男/演出,俳優座劇場開場50周年記念の各地公演で,今日が島原で開催されるのだ。劇団民藝の公式サイトによると,

 ポーランドのテレビ・ドラマをもとに、<芸術家の運命>について書き下ろした木下順ニ、衝撃の現代劇。1991年に滝沢修主演で初演、97年には大滝秀治の巨匠役で再演し話題に。このたび待望の第三次公演として新しく舞台化されます。
 ある人気俳優がシェイクスピアの『マクベス』を演じようとしています。もうすぐ幕があくという初日の楽屋。ある演技をめぐる演出家との議論に、俳優は20年前の出来事を語ります。1944年、ドイツ占領下でのワルシャワ蜂起も制圧され、小学校の教室に5人の男女がひそんでいた。そこへゲシュタポが現れ、ゆうべの鉄道爆破への報復に4人の知識人を銃殺するという。旅役者だという老優は、簿記係の身分証明書をもっていたため除外される。しかし老人は、自分が俳優であることを証明するためにマクベスのモノローグを朗誦するのだった……。

ということである。劇中劇,追憶のシーン等あったりで,複雑な構成にもかかわらず,素直に見れたのは,木下順二の構成力によるものか。2時間ほどの公演だったが,時間があっという間に過ぎたように感じた。大滝秀次の迫真の演技もみどころだった。20時30分頃帰宅。

 
 九州郵趣家の集いの収穫物を確認する。盟友田畑氏・丹下氏の心遣いにも感謝。ほんとうにいいものをいただいた。いずれ発表できる機会もあるだろう。

06月21日

2004年06月21日(月)
 昨夜は,おとなしくホテルで過ごす,というかすぐ寝たのでわりとゆっくり起床。9時半にチェックアウト。午前中は年休をとってあるのだ。出島道路から長崎自動車道で諫早に向かう途中雨脚が強くなった。家に帰り,支度をして通勤。12時過ぎに着く。13時からの会議の準備。結局18時過ぎまでかかる。18時30分にバスが出る一小横に間に合った。高総体の優勝祝賀会である。深江町の石川屋で。優勝旗4本というのはやはり県下の高校で最多ということだった。2次会はY先生と。代行運転の規制が6月から厳しくなり,本人の車以外には乗せられなくなったそうで,車を取りに行く分割り増しになるらしく,いつもの2000円前後の約1.5倍の3000円を請求され驚く。24時前に帰り着けた。

 「JPSオークション」着。長崎の外郵印押印のカバーに興味を引かれる。

06月20日

2004年06月20日(日)
  「九州郵趣家のつどい・佐賀大会」2日目。7時30分に東横インをチェックアウトして,はがくれ荘に移動・朝食。食後,再び切手交換会。アオヤマスタンプで郵趣付属品・書籍を買い込む。渡会さんから昭和切手未使用の定常変種ブロックを。
 9時30分にロビーに集まり,長崎ツアーへ。日本郵趣協会理事長松本氏と九州郵趣連盟理事長の村岡氏の7年越の友情が実り実現したもので,ピナテール関連の地を中心に訪れる旅である。お供は私と丹下さん田畑さん永冨さんで,計6名様ご一行のツアー。田畑さんは私の車に乗り出発。九州自動車道の長崎の終点から出島道路を使うと,すぐ出島。今晩宿泊のトレディアホテル出島に車を預け,出島を横切りると,集合場所のワシントンホテルである。ここでピナテール研究家の田川助利氏と合流する。元長崎新聞社論説委員の方である。少し早いが昼食を江山楼で済ませ,大浦の国際墓地へ。ここはピナテール父子の父の方が眠る。次に斎藤茂吉が興味を持ったピナテールは坂本の国際墓地。入り口には永井隆博士の墓。道路を隔ててピナテール。奥にはグラバー家の墓。
 出島に移動するとピナテール旧宅跡は,広場になっており出島復元の整備中である。浜町まで歩き,アーケードの中の旧「長崎書店」跡地を見学。ピナテール書簡集を扱った書店で松本理事長念願の地。近くの喫茶店「ツル茶ん」で一服。トルコライス発祥の店として有名で,一つ注文して分け皿をもらい,皆で一杯のかけそばならぬ一品のトルコライス。少し行くと国宝崇福寺。切手になっている竜宮門の前で写真撮影。
 ピナテールゆかりの丸山を見たあと,長崎港・市内を一望できる鍋冠山公園へ。まだ観光地としてブレイクしていないスポット。次に訪れた旧香港上海銀行ではピアノのリサイタルの途中。ピアノに造詣が深い丹下さんに曲名の説明を受ける。遠慮がちに1階を通り2階へ。その後,徒歩で近くのオランダ坂を散策し,旧フランス領事館である16番館でコーヒータイム。恐ろしく値段の高いコーヒーで有名で,以前来たときには千円だった思い出があり,微に入り細に入る芸術的なコーヒーの入れ方が強く印象に残っている。今回はアイスコーヒー・アイスティー類なので,芸術技を見ることはできなかった。しかし値段はパワーアップしていて1500円から1700円台,端数がついていて詳しく思い出せないが。一生思い出に残るだろう。その後歩いてワシントンホテルに戻り,荷物を取り,卓袱料理「はしもと」へ。長崎県に住んでいても,ここで食事するのは2度目。女将のレクチャーを受けながら,歓談。20時過ぎにお開き。行きつけの「リクエスト」に行くも,日曜日で空いていなかった。折しも雨がぱらついたのでタクシーを使い,ワシントンホテルで松本・村岡両氏を降ろし,トレディアホテル出島へ。
 それにしても,梅雨とは思えないほど晴れ渡り,陽射しも強く,その中を良く歩いた1日だった。ホテルで確認したら,本日17000アクセス達成。

06月19日

2004年06月19日(土)
 「九州郵趣家のつどい・佐賀大会」のいよいよ当日。10時過ぎに出かける。家から2時間30分かからないくらいで,佐賀市の会場である「はがくれ荘」に到着。受付後13時から九州郵趣連盟の理事会。各県理事に事務局・監査を加えた9名。機関誌「九州郵趣」の年間スケジュールの確認等の議題。来年は鹿児島,その次18年度は長崎ということを初めて知る。言われてみれば,前回長崎は平成11年に開催したので,ちょうど順番となる。14時30分から財団法人日本郵趣協会理事長松本純一氏による講演,演題は「ある長崎物語」と題してピナテール書簡集についてのものだった。一番の収穫は,発見当時ミカン箱いっぱいといわれたピナテール書簡集が推定50通だろうということ。とすると,私の手元に6通あるので,1割以上を所有することになる。活発な質疑応答のあと,写真撮影。切手交換会は東京や地元福岡から6業者に加え,切手収集家によるものなど。私の目当ては,パインスタンプの「見てない千束」。2万1千枚買う。18時から懇親会。結局参加者は104名とのこと。乾杯の音頭を私が勤めることになり緊張した。旧知の方々と話ができた2時間だった。その後,21時まで再び切手交換会。21時から有志で2次会。ホテルニューオータニは佐賀城のお堀端にあり,風情のある眺め。24時に宿舎である東横インに。早速千束を3つほど見てたら就寝は25時30分になってしまった。

06月18日

2004年06月18日(金)
 予定通り,1〜3の授業の後,会計担当の先生と佐世保目指して出かける。のんびり食事する暇もないので,途中大村サービスエリアで蕎麦のセットで食事。支部長校での会議は無事終了。その後県大会の会場校である川棚高校の下見。総会・講演会・分科会の会場の見当をつける。帰校が19時過ぎ。机上には月曜日の日程のプリントが。台風6号接近に関して,21日月曜日の早朝補習は中止,21日朝は交通機関の運休に伴って流動的になるとの文書。自習課題の点検や添削等を済ませ,帰宅は20時30分。明日は県下一斉模試だが,私は出れない。心苦しいが,採点業務を某先生にお願いした。

 不在通知があり,どうやらSEVENの落札物が到着したようだが,受け取りは明日になる。受け取って佐賀に出発。JHの検索によると,諫早−佐賀大和間は1時間あまり。家からだと2時間30分みておけばよいだろう。今日行った佐世保より近いではないか。明日から「九州郵趣家の集い」佐賀大会が始まる。出席者は100名超だそうだ。

06月17日

2004年06月17日(木)
 明日午後からの出張と,月曜日の午前中年休,午後会議で授業ができない分を他の日に振り替える作業に2時間かかった。当該教科の先生が授業だったり,一人が動くとまた別の人に影響が出たりで,なかなかスムーズにいかない。金曜の放課後補習と月曜の早朝補習の振替もお願いする。明日は123校時授業後すぐ佐世保移動,14時からの佐世保地区国語科主任会に事務局長として出席,その後,10月の県大会会場校である川棚高校の挨拶と下見の予定。放課後,会議の後,放送部へ行き少しの時間を過ごす。合間に難関校指導の添削と口頭での説明。説明は昼休みと放課後に集中する。月曜の会議の準備と生徒の提出した週末課題の点検作業。まとめて一気にやったら,けっこうな時間がかかり,帰宅したのは21時30分だった。

 ヤフオクでの落札品2箇所から到着。昭和切手の折れ目のないシートに感動。ヤフオクのためていた評価を一気につける。

06月16日

2004年06月16日(水)
 授業が一番多い水曜日。7分の5。空き時間の2時間も,国語部会事務局の仕事。県下3地区の国語主任会の準備。放課後文化祭についての文化部顧問会。今年は9月2日実施なので,差し迫った問題。その後久しぶりに放送部に顔を出す。部長に文化祭について考えておくように伝える。高総体のダイジェストビデオ20分に加え,ステージでの10分の演出,これは朗読・アナウンスに関するもの。19時過ぎに帰宅。

 ヤフオクでの落札品到着。その後昨日に引き続き,見てない束モノ「金剛山」を見る,が見ても見ても一向に減らない。7000枚とは,やはり膨大。こんな束モノを短期間で解体できるのは,やはり一種の才能だ。シバタさんの仕事に感心する。

06月15日

2004年06月15日(火)
 13時30分から長崎北高校で,長崎県教育研究会の総会である。初めての場所なので余裕を持って出かけようと授業後,11時出発を目処に仕事をしていたが,雑務が重なり,11時過ぎに出発。ゆっくり食事する暇もないので,諫早の吉野家で,新発売らしい角煮きのこ丼を食べ,長崎バイパス経由で長崎東高へ。迷いながらもなんとか辿り着く。山の上の見晴らしの良いところである。各部会の部会長と事務局長の2名出席。国語部会は1番目だ。終了後,何人かの校長先生に挨拶する。帰る際,東高の校長先生に挨拶。島高の同窓生で先々代の島高の校長先生である。近況を立ち話でしていると,つい話し込んで校長室へということになり,ひとしきり話をして帰る。しばらく行っていないコンピュータウンに立ち寄り,消耗品などを購入。帰途異常に眠い。ということで愛野のジャージーファームに寄りアイスクリーム休憩。一瞬学校に帰り仕事をしようとも思ったが,そのまま自宅へ帰る。18時30分帰宅。

 早めに帰ると,気分に余裕ができる。見てない束モノ「金剛山」を開封。確かに第1次昭和切手7銭金剛山が大多数を占めるが,それ以外もけっこうな種類混じっている。まさしく「混合」の「山」。鯛さんもうまいネーミングをしたものだと感心する。大物は出ないが,ただの為替印の満月でも嬉しくなるのが束モノ探し。地元印で使えそうなものが出た。

06月14日

2004年06月14日(月)
 高総体も終わり3年生は,今日から放課後補習開始。新しい補習の時間割になって,早朝補習が月曜のみになってしまった。早朝補習を0校時,放課後補習を8校時とすると,0〜8校時の9時間授業ということだ。本日は01278という偏った授業時間。3456の時間に国語科通信を作ったり,国語部会の主任会の資料作り。放課後補習のあと放送部に顔を出す。19時過ぎに同窓会館である「秋岳館」に。同窓会の理事・役員会が19時30分から行われる。30名近くの出席。私も校内理事ということで運営のお手伝いをする。21時頃終了し,職員室に戻り明日の日程確認。21時30分過ぎに帰宅。

 「郵趣研究」着。小判切手の木綿紙に関する大胆な仮説は興味深い。乃木2銭の記事も昭和切手関連で面白く読めた。産業図案切手も研究が進んでいくのは喜ばしいこと。この研究が進む時期が,その分野の収集家にとって幸福な時期であろう。「スタンプシバタオークション」着。

06月13日

2004年06月13日(日)
 6時30分に島原駅に生徒を迎えに行く。8時15分頃NHK長崎放送局に到着。駐車場に停めることができた。5Fの会議室が本部。3Fのスタジオがアナウンスと朗読のコンテスト会場。1Fのスタジオが番組部門のコンテスト会場。1年ぶりの番組部門の審査員である。テレビ番組ドキュメント部門(Tドキュ),ラジオ番組ドキュメント部門(Rドキュ),ラジオ番組ドラマ部門(Rドラ),テレビ番組ドラマ部門(Tドラ)の順で審査を行う。出品作品数が多い順である。Tドキュ17作品,Tドラ4作品,その間にRドキュ,Rドラが入る。本校の作品Tドキュの17作品の1本である。1本7分30秒〜8分内の制限下の作品なので,コメントを記入する時間がアナウンス・朗読部門より余裕がある。改善点2良い点1ぐらいの割合でコメントを記入する。どんな作品でも1点良い所を見つけて書くのは教育的配慮である。Tドキュ4作品が東京行きだが,どうひいき目に見ても本校の作品は上位4本に入りそうもない。そのとおりの結果だった。8分で見てコメントを書き続ける作業を16時頃まで続ける。時間の感覚無く,気付いたら夕方という1日。アナウンス部門は決勝進出で11位と14位。朗読部門は予選通過ならず。各6名が東京行きだが,長崎勢が圧倒的多数を占める。長崎県勢は全国大会で毎年必ずベストテンに入る激戦地帯である。1位もかなりの頻度で出る。さて,講評・表彰と行事が続き終了は17時過ぎ。長崎駅前のアミュプラザに行きたいというので,立ち寄る。ここの3Fの書店に郷土関係の文献のコーナーがあり,ここで時間をつぶす。このコーナーの本2冊とまだ買ってなかった「さくら」カタログを購入。駐車場はとりあえず無料になった。18時過ぎに出発して,愛野のジャージーファームでアイスクリーム休憩。この1ヶ月で放送部の生徒とは必ずアイスクリーム休憩をしているので,4回目ぐらいか。20時過ぎに島原駅到着。

 帰宅後サイト巡りをしていると,茶山人さんのサイトで,「オークションネット」の話題が。カタログを引っ張りだすと,本日開催。いくつかシートを入札したかったのだがすっかり忘れていた。来週は出張が続き,土日は「九州郵趣家の集い」である。村岡さんから,この件で電話あり。
 

06月12日

2004年06月12日(土)
 土曜講座の日であるが,今日は2校時からなので,ゆっくり起きて9時に出かける。9時55分から65分の2コマ。午後は,進研マーク模試1日目。監督終了が17時10分。それから放送部へ。明日の放送コンテストの日程確認。最後の読みの練習の指導。県大会に5名出場するが,県大会の壁は厚い。明日6時30分島原駅集合。19時まで学校にいて,明日の県大会撮影用のDVテープを購入してたら19時30分頃に自宅着になった。ここ2日間に比べると早い時間帯に帰ることができた。

 H.Endo氏の「電信・電話専業局所リスト(明治編)」第2版を開封,肥前の国関係に興味。菊切手の束モノは電信関係が多いので,非常にタイムリーな企画。感謝したい。ヤフオク数点落とす。

06月11日

2004年06月11日(金)
 3時に寝て6時に起床。3時間ほど寝ることができた。早朝補習はないので7時50分に出勤。午前中授業。県国語部会理事会の事務局での打ち合わせが12時30分。理事会15時から16時40分まで。その後,放送部に顔を出すと,あっという間に時間が経つ。18時より「ほうじゅう」で懇親会。20時30分に1次会終了し,2次会「花」に案内後,自治会体育班長会に出席のため代行運転で車を自宅に置き,地元有明町の喫茶店「シューフルール」へ。6月27日の町内相撲大会の打ち合わせ。21時30分に再び,「花」に戻り25時過ぎまで。その後1人で「六本木」へ。27時過ぎにタクシーで帰宅。明日は2校時から土曜講座なので,ゆっくりできる。午前中土曜講座,午後進研マーク模試の監督17時30分頃まで。早く帰れそう。日曜はNHK杯放送コンテストの県大会。

 ジャパンスタンプの結果速報を寝る前に確認。フロアの結果は1声上ではねられたのが2つほど。UNZENの欧文印カバー結構値段が伸びた。これだけの確認さえ昨日はできなかったのだ。H.Endo氏から「電信・電話専業局所リスト(明治編)」の第2版送付。「初版を読まれた方々からの情報・ご指摘で国内4外地2の局所の追加、1箇所の局種変更を加え、更に不明だった開設日の追加ができたほか、私の得意とする?漢字変換ミス、振り仮名のミスなども幾つか見付かり、これらを改訂し完成度を大いに高めることが出来ました。したがって第2版は実質改訂版となりましたので、リストの生命は正確性であることから、初版ご購入の皆様にはこの第2版をご送付(無料)申し上げますので、こちらのご利用をお願いいたします。」とのメールがあったのだが,そのとおり現物の到着。非常に良心的な対応。でも気力なく開封せず寝る。

06月10日

2004年06月10日(木)
 相変わらず,時間に追われている。明日の県国語部会理事会の資料作りと13日の放送コンテスト出場者の指導と出品作品作りのアドバイス。放課後平行して行う。理事会資料作りは事務局員4人で分担して,22時過ぎに,作品は23時頃できた。食事後,生徒を自宅まで送り届け,作品を持って放送専門部の事務局校である諫早高校まで深夜のドライブ。26時過ぎ帰宅。午前中に16000アクセス達成。

 ジャパンスタンプの落札品着。やはりメールだと相応のものしか落ちてこない。結果速報の分析は,後日。

06月09日

2004年06月09日(水)
 高総体は終わったが,会議と放送コンテストの準備で忙しい。おまけに授業の多い水曜日。空き時間もめいっぱい仕事。午前中一つ仕事を発送。午後FAXで,コンテストの申し込み。放課後原稿作りを部員総動員で。何とか発送準備できたのが,19時過ぎ。それから,11日の理事会の資料作り。事務局員4名で分担し,なんとか目処がついたのが21時30分過ぎ。帰宅は22時過ぎていた。

 見ていない切手・整理していない切手は,たくさんあるのに,今度はそれをすべき時間がない。今授業でやっている安部公房の「赤い繭」状態である。長田氏からの小判切手の紙の情報私信をいただく。ゆっくりアルバムを見て話題提供をしたいものだが…。

06月08日

2004年06月08日(火)
 高総体の代休日で休日のはずだが,今日も放送部の取材。8時に島原駅に1名,学校に2名迎えに行く。放送コンテスト用のテレビ番組作品,諫早湾干拓地をテーマにというので,レポーター・カメラマン・コメンテータ役の3名を連れて,諫早湾干潟跡地まで取材に行く。旧堤防沿いに愛野から諫早まで横断する。断続的な雨。資料館である「干拓の里」に入場して,学習。最近水族館も出来ていて,むつごろうもたくさんいた。トビハゼとむつごろうの違いもよくわかった。途中食事をして学校着が15時過ぎ。放送室では,1年生が高総体の報告会用のビデオ編集をしていた。アドバイス後,帰宅。そのまま寝続け22時まで。慢性的に疲労が蓄積されているのだろう。運転中とても眠かった。

 ゆっくりした時間が取れないと,趣味を楽しむゆとりもない。束モノを見るのはお預け。

06月07日

2004年06月07日(月)
 だんだん曜日の感覚がなくなってくる。7時30分に島原駅に生徒を迎えにいく。諫早の総合陸上競技場公園で開催の陸上競技場とテニスの取材。晴れていたのが途中から雨。16時からの400メートルリレー男女は盛り上がった。学校に帰り,編集の準備。剣道男女,弓道男子も優勝。38年ぶり5度目優勝のソフトテニスとあわせて4本の優勝旗。レスリングは準優勝。弓道男子3連覇達成。剣道女子4連覇。

 やっと来ました「冒険王」。軽く見たが鉄郵消や鳶色機械等入っていたようだ。金剛山7銭はまだ見ていない。

06月06日

2004年06月06日(日)
 引き続き佐世保での,ビデオ取材。9時からソフトテニス,11時からバスケットボール男子,午後から弓道。3箇所に生徒を配置してまわる。バスケットボールは対長崎日大高校,一進一退の攻防,結局7点差を縮めることができなかった。対照的なのがソフトテニス男子,準々決勝対島原工業高校,準決勝対佐世保商業勝利,決勝対島原商業1−1のあと競り勝って優勝。これで優勝旗1本持ち帰ることができた。弓道は予選突破とのこと。弓道は昨年まで2連覇で今回3連覇のプレッシャーが大きいと推測される。母校で開催中の剣道は昨日の個人戦では3回戦までに全員敗退とのこと。先日日本一になったメンバーが全て敗退とは何かが起こっている。今日の剣道団体は,予選リーグ突破とのこと。さて,17時過ぎに佐世保を出て20時過ぎに島原駅着。学校に使わない機材を置きにいく。生徒会指導部の先生を中心にかなりの先生方が残っておられた。21時頃帰宅。
 
 8月のジャパンスタンプの日程が,語ろう板にあるが,またしても行ける可能性が少ない。28(土)は絶対休めない日,29日(日)だと行ける可能性ありといったところ。それにしても5円鎌足の裁断エラーはそそられるアイテム。
 
 

06月05日

2004年06月05日(土)
 今朝郵便受けに「九州郵趣」,いつから真夜中に配達するようになったのだろう。昨夜帰宅時にはなかったのに,不思議だ。

 今日から,高総体の取材。7時に生徒2名を島原駅に迎えに行く。貸し切りバスが何台も並んでいた。途中1名乗せて,計3名。途中のインターチェンジで,バスに乗車の放送部の弓道取材班2名と打ち合わせ。9時30分にソフトテニス取材班2名を降ろす。最終地はバスケットボール会場の佐世保西高校。男女あわせて4試合。最後の試合が終わったのが19時前。その間,弓道会場の県立武道場の弓道場とテニス会場,バスケットボール会場の3点を走り回る。暑い1日で,ペットボトルのお茶500ml3本を消費。19時過ぎに帰宅のバスを送り出し,宿泊先のセントラルホテルへ。ここも高総体宿泊の高校生と引率の先生の姿が多かった。知人と食事後,1人で,「花鈴」へ。佐世保在住時代からのなじみの店である。20年近くつぶれずにあるのはすごいことだ。

 佐世保は,海上自衛隊の関係者が多い。HAMANA SEA POSTの差し出し人も,実はこの店の常連さんだったのだ。

06月04日

2004年06月04日(金)
 朝,森岳城(島原城)清掃。9時30分開始,開会式に出る部は最後の行進練習のため,放送部他開会式に出る部は準備のため10時に抜ける。機材の準備をして,11時,島原文化会館発。1・2号車は選手団を乗せて高速道路経由で佐世保直行。3号車に放送部新聞部写真部生徒会,それにレスリング部。レスリング部を大村で降ろし,高速を使わず,佐世保へ。14時に到着。応援部の縄張り内に1台,フィールド内に1台の2カメ体制。15時30分頃入場行進開始。フィールド内にギリギリまで入って撮影させる。17時終了だが場内はバスで混み合っているため,佐世保の陸上競技場を抜け出たのが17時20分。島原文化会館前到着20時30分,学校で明日の準備をし,戸締まりを完了して校舎を21時頃出る。自宅着21時30分前。長い一日が終わった。

 帰宅後,インターネットのサイトを一通り巡回する。束モノの情報を入手する。明日は5時起きで佐世保出発。1日中取材。佐世保泊の予定。

06月03日

2004年06月03日(木)
 空き時間は,先週の週末課題のチェックと添削,昼休みと放課後は添削の指導。放課後放送部の取材予定の最終確認。取材用のIDカードをカラーレーザープリンタで印刷。明日は,森岳城(島原城)清掃。その後,佐世保での開会式に出かけることになる。20時過ぎ帰宅。

 「日本フィラテリックセンターオークション」誌が到着。ヤフーでの束モノ少し到着。来年シドニーで行われる国際切手展のコミッショナーである設楽さんから出品のお誘いが来た。今度は「昭和切手」にするかと思う。もちろん構成は全日展2003作品の正常進化型。初期印刷の未使用ブロックと未発表定常変種・カバーでの構成を計画している。

06月02日

2004年06月02日(水)
 高総体が近づいている。今週金曜日に開会式。昨年は雨で中止になった。土日がメイン。放送部もその取材で県下に散らばるわけである。それに加えて放送部のNHK杯コンテストの練習と出品作品制作。生徒が使える時間は16時から18時30分の2時間半と休日しかない。今日から,高総体終了までは早朝補習はない。が,高総体後は,3年生は早朝補習の他に放課後補習も始まる。正課7コマに0校時と,8校時の計9コマ体制になるのだ。例によって空き時間がほとんどない水曜日。18時30分までは放送部。以後,資料作り。国語部会事務局として理事会に向けて。結局20時過ぎまでしたところで,帰る。

 「IDENTITYオークション」着。最新の情報が詰まった入札誌。「津田沼徒然草」着。永冨さん発行の丸一専門誌である。2月の北九州の切手のつどいで初めてお目にかかった。6月の九州郵趣家のつどい佐賀大会でもお会いすることになる。今回の号は,5周年記念号ということで,昨年のJAPEX2003のワンフレーム展でベストワンフレーム賞受賞,長野君「北海道の記番印」が紹介。カラープリンター制作の労作である。

06月01日

2004年06月01日(火)
 久しぶりの晴れ間。これこそ五月晴れというのだろう,厳密な意味で。久しぶりの早朝補習。7校時,高総体の選手壮行会。その後本校で行われる剣道競技の応援の仕方の指導。放課後放送部の生徒の作品構想の計画の相談にのる。撮影は来週の火曜日の代休の日に決定。晴れるといいのだが。雨だったら有明海の干潟シーン無しで作るしかない。18時過ぎに生徒を帰し,19時から職員の壮行会。ほぼ全員の参加。「そば幸」。2次会「if」。「H」,もう1軒は開いていず,代行運転で帰る。ミナト代行。25時帰宅。午前中に15000アクセス達成。ほとんど日記のみのコンテンツで5ヶ月間,ありがたいことである。今後日記以外のコンテンツの充実も図りたいと思ってはいるのだが。

 昨日の冒険王と7銭の束モノは,冒険王は買えたようだ。7銭2つはダメみたい。1つでも買えればいいのだが。昨日15時に鯛さんが書き込みするとは予想できず。注文は夕方だった。今日の束も朝一で早速申し込むが,どうだろう。

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