05月31日

2004年05月31日(月)
 今日は,6月5日(土)の代休である。雨が降り続いているので,予定していた取材もなしになった。夕方コードレス電話の子機のバッテリーを買いに行く。取り替えたらまた使えるようになった。

 「SEVEN148」誌到着。1銭農産物種子という驚くべき使用例がいくつも出ている。一つ買えればいいのだが。他に「郵趣ウィークリー」着。

05月30日

2004年05月30日(日)
 昨日,長崎県地方も梅雨に入ったとのこと。今日の天気予報は雨である。昼から降るらしい。晴れていたら,放送部の番組制作班の生徒と取材にいく予定だったが,それもできそうにない。午後から思い立って,長崎までドライブ。コンピュータウンで夏モデルのパソコンにさわってみる。昨日2台入荷したばかりだというVAIO type U,確かに小さかった。周辺機器を買って帰る。あまり長時間いたという意識はないが2時間ほど経っていた。

 大橋さんのHPの掲示板に早速昨日のオークションの結果が書き込んであった。2次昭和3銭輪転版糊無大日本銘が売られたらしい。何点か存在するということがわかったわけで,今後も出てくる可能性はある。昭和切手とは,それだけ新しいシリーズなのだろう。ありがたいことに,ヤフーオークションに「見てない万束」の出品。大阪に行けなかった者のために鯛さんが出品してくれたのだろう。リーズナブルな値段で,今まで買えなかった20銭30銭を即決。もうすぐボーナスを期待して…。 

05月29日

2004年05月29日(土)
 放送部の中地区強化練習会は,10名を対象にした「アナウンス部門」の練習が午前中,13名を対象にした「朗読部門」の練習と判明。もうひとりの顧問の先生に「アナウンス部門」に出場する3名を引率してもらう。私は,「朗読部門」出場の2名を連れて行くことになった。10時に学校集合。11時過ぎに練習場所である諫早高校に到着。図書館では既にアナウンス部門出場の生徒が先生方を捕まえて読みの練習中。早速私も何人かの生徒の読みを聞く。午後朗読の生徒の読みを聞く。指導の顧問の先生方の中に,今年退職された天野先生と原先生が来ておられた。天野先生の指導は詳細で,延々指導の予約者が絶えない。16時に帰る際,引率の2名に天野先生に聞いて貰ったかと訪ねると1名がまだだという。全国レベルで指導できるカリスマ的存在である天野先生に聞いて貰わず帰るのはいかにももったいない。図書館が16時までしか使えないので,庭園で指導してもらうことにした。諫早高校は,諫早家の旧宅に創建された学校であるが,その庭園を「御書院」という名で保存,最近では市民に開放している。生徒が指導をうけている間,中心をなす大きな心字池の周りを散策してみた。大きな楠があり,野呂邦暢の「落城記」で象徴的に扱われている木ではないかと思ったりもした。「落城記」は戦国時代の諫早の旧領主西郷氏が佐賀の龍造寺氏に滅ぼされるさまを,一人の姫君(西郷氏ゆかりの男勝り)の視点で描いた小説である。その後龍造寺氏は諫早氏と改名したというのは,「御所院」の説明書きによって始めて知った。中の島へも石橋を渡って行ってみた。川面には亀がゆったりと泳いでいたり,鯉が群れを成して泳いだり,蛇が泳いだり。湧き水のようなものが2箇所からあるのが水面の乱れでわかる。何度も諫早高校に来たことはあるが,こんなにじっくり「御書院」を見ることができたのは初めてである。一般に開放しているので,ぜひ訪れて貰いたいお薦めの観光スポットである(http://www.fwd-net.com/san/gosho.html)。生徒の指導が終わり,天野先生と近況報告と雑談をひとしきり。生徒2名を島原駅に送り届けて帰宅したのが18時過ぎ。久しぶりに明るいうちに帰宅できた。

 「今頃は〜」と空白の時間ができたときに,大阪の催事に思いを馳せた1日だった。オークションもだが,会場限定の束ものに心を奪われる。つくづくジャパンスタンプ商会の鯛さんのセールストークの巧みさには感嘆する。まさしく「メイド・イン・ジャパン」である。帰宅後「郵趣」「全日本郵趣」が到着しているの見る。「郵趣」の巻頭カラー軍事郵便は,この構成のとおりに絵葉書などを入れてオープン展の作品としてつくれば,一般の人にもアピールできるのではないかと思った。スタンプシバタオークションの落札物を受け取る。やはり南洋関係は,値段が伸びて1点も落ちず。他の植民地が少々。

05月28日

2004年05月28日(金)
 高総体前の短縮授業なので,13時までに,約5コマ授業が入る。そのうち3コマをし,13時から同窓会館で会議,終わったのは23時過ぎ。23時30分頃帰宅。その日のうちに帰ってくることができた。明日は8時から17時まで放送部中地区顧問会主催の強化練習会。

 ここ九州の地には1日遅れで「オークションネット」の第1回入札誌が到着。pdf版はひととおり目を通したが,実物を実際手にとってみると,立派な作りである。pdfで見て誤植が多いと思っていたが,やはり正誤表が入っていた。メールアドレスは郵趣を意味する「philately」でなく,どの英語の辞書にもない「philatery」であるのは,何か深い考えがあってのことだろうか。本文の行間はジャパンのデータぎっしりを見慣れた目から見れば,空きすぎの印象。表紙のデザインは往年の「ボルドー」誌を彷彿とさせる久野氏一流のもの。最低値が全体的に低めなので入札しやすい。でも決して安くは落ちないだろう。競り上がりそうなものがいくつもある。私も何点か入札させてもらう予定である。

05月27日

2004年05月27日(木)
 昨日と同じ。放課後は放送部の指導。それが終わって,高総体での放送部の輸送計画作成。明日会議の資料作り。22時少し前に戸締まりをして学校を出る。22時30分前に帰宅。

 「たんぶるぽすと」着。澤さんの記事,ミステリーを推理するようで面白い。ヤフオクで落としたカバー,1通着。「九州郵趣」連載の「地方郵便史の楽しみ」で使えそう。でも,「口之津」の次は「温泉・雲仙」をやるのでそのあとぐらいか。

05月26日

2004年05月26日(水)
 水曜日は,授業が詰まっている日。それに加え,卒業アルバムのクラス写真撮影が入ってきた。副担任をしているクラスは,島原城で撮影をすることになり移動。4校時だったので帰りに売店で丸天うどんを食べて帰る。放課後職員会会議。その後放送部部活動へ。部員数,当初29名だったが,新しく3名入部し,合唱部とバスケ部に転部した2名がいるので,現時点でちょうど30名。お昼のラジオ番組を作ったり,パソコンで連絡文書を作ったり,県大会用の原稿作成,過去の入賞作品を見たり,ビデオ編集したりと活況を呈してきた。かくて,生徒が帰る18時30分頃までは忙しい。それから事務処理や教材研究,会議資料作成。21時30分過ぎに学校を後にしたが,まだ残っている先生が3名。22時前に帰着。
 
 H.Endo氏より「電信・電話専業局所リスト(明治編)」が届いた。労作である。早速肥前の国を見る。また楽しみが増えた。また,ヤフオクからの束モノ関係到着。少し扱い,切手にふれる時間が持てた。長野君からは,明治の肥前関係の葉書2通到着,北海道関係が入ったら送ることにしよう。心遣いに感謝。

05月25日

2004年05月25日(火)
 早朝補習なし。今週の早朝補習,私はもうない。出張・会議の授業振替で,授業1時間増える。やっと県の国語部会の書類発送。放課後放送部。夕方上田歯科へ定期検診に行く。最近できたカレーハウス「CoCo壱番屋」で期間限定のとんかつカレーを食べ,再び学校の同窓会館へ戻り,会議。19時30分から同窓会のインターネット委員会なのだ。21時過ぎに帰宅。

 「スタンプコレクター」到着。大村さんの記事。3銭輪転版糊無し大日本銘は単片でさえ少ない。また特徴として紙が白いというのも,その通りである。40銭凸横透かしとともに,珍品であろう。でも銘版の入手はしばらく自然体でいきたい。今は耳付単片で満足している。

05月24日

2004年05月24日(月)
 早朝補習。朝会,諸連絡の後は,会議。17時過ぎに帰り放送部に顔を出す。TSUTAYAに立ち寄り,資料を購入。19時前に帰宅。

 SEVENの落札品,長田氏からの紙資料,JPS菊田沢部会の会報,「JPSオークション」誌,「郵趣ウィークリー」誌到着。切手の世界から遠ざかって久しいB氏が復活の予感。一時代を画した極上単片主義の実践者の復活で,市場が再び活気づくのだろうか。
 

05月23日

2004年05月23日(日)
 未明に14000アクセス達成。昨日の疲れから二度寝して11時過ぎに起床。明日の会議の資料作りをしなければならないのに,ヤフーオークション。いくつか落とす。これを書いている「簡単ホームページ日記」ソフトのヴァージョンアップの連絡あり。早速更新したら,新しい日記が最上位にくるようになった。これで毎日スクロールしなくてよくなった。

 ヤフーオークションでは,やはり競るモノは競る。けっこう何点か競って購入した。メールが来たので,オークションネットのPDFカタログをダウンロードして見る。本邦初公開のweb上でのオークションカタログではないだろうか。この点で画期的だ。内容は特にひねったモノはなく,小判の未使用を競るくらいだろう。私の場合は昭和の未使用で値段次第というのがいくつか。校正ミスの誤植が複数箇所あったのは残念。

05月22日

2004年05月22日(土)
 NHK杯放送コンテスト長崎県中地区大会である。県内を,長崎地区,佐世保地区,中地区の3地区に分けることが多い。中地区とは,大村諫早の県央地区と島原地区をあわせた地区のことである。会場は諫早にある長崎ウエスレヤン大学の西山ホール。出場生徒16名にビデオ記録の生徒も含めて24名引率していく。朗読部門の生徒の出場が69名と多いため,急遽予選と決勝をすることになった。アナウンス部門は44名のため,決勝のみ。審査員団には朗読部門に本校のもう一人の顧問の先生,アナウンスと朗読決勝に私が入ることになった。私の場合2つの審査で,引き続き70名近くの生徒を2分ぐらいの間に採点し,コメントを記入しなければならないのでハードな作業になった。審査の結果,アナウンス部門優秀賞10名優良賞5名,朗読部門優秀賞13名優良賞3名を選出。本校の結果は,アナウンス部門優秀賞3名優良賞1名,朗読部門優秀賞2名優良賞2名と計8名賞状を手にすることができた。2・3年生は全員入賞したことになる。1年生も10位台の生徒がおり,次回は楽しみである。生徒を送り学校に着いたのが19時過ぎ。丁度何人かの先生方が戸締まりをされているところだった。ビデオ機材等を放送室に運び,バッテリー充電状態にして帰る。

 スタンプシバタオークションからメール。つい仕事が忙しいと切手の方まで気が回らなくなる。ありがたいことである。

05月21日

2004年05月21日(金)
 早朝補習。来週の出張や,他の人から頼まれて時間割変更をしていたら,授業が6時間になってしまった。7分の6である。補習をいれると,8分の7になる。放課後,卒業アルバム用の写真撮影。そして,放送部のコンテスト前の最後の仕上げ。19時過ぎまでかかる。国語部会事務局の仕事も平行して。10分間の休み時間・昼休み・放課後の合間を使い,なんとか連絡を取りあうことが出来,役員決定。事務局庶務担当の先生と委嘱状,理事会案内等の書類を作成し終えたのが22時過ぎ。月曜一番に決済を仰ぎ,発送となる。22時30分帰宅。明日は,コンテスト。島原駅に6時50分集合。

 忙中切手ありといきたいところだが,しばらく切手は横目で眺めるのみ。机上の束ものもそのまま。

05月20日

2004年05月20日(木)
 早朝補習。放課後,放送コンテストの読みの指導。エントリー数16人は1校あたり出場数の制限枠いっぱい。やはり2・3年と比べると1年生との差は歴然。毎日の発声練習の成果の分だけ2・3年生がうまい。副顧問の先生と2人で指導したが,最後の生徒が終わったのは19時過ぎ。家の人に迎えに来てもらうらしい。それから,事務処理。20時過ぎに帰宅。

 ヤフオクの落札物1点着。かくて小物ばかり増えて行く。

05月19日

2004年05月19日(水)
 早朝補習はない日。授業7分の5の日だが,1つ金曜日に移動で,教材研究の時間ができた。その分金曜日が7分の5にシフト。放課後放送部の生徒の指導。昨日会議から帰ったら生徒は全員帰っていて指導ができず。NHK杯コンテストの地区大会の原稿送付締め切りが20日。事務局が諫早なので,明日までに着くか島原郵便局に確認。エクスパックなら集荷にきてくれるという。アナウンス部門8名,朗読部門8名計16名分を各3部ずつ入れて,18時30分ごろ発送完了。エクスパックの便利さを実感。今日は2・3年生を中心に6名ほど読みを聞くことができた。1年生のアナウンス原稿はやっと今日完成したばかり。練習できるのも,明日明後日と2日しかない。22日土曜日がコンテストなのだ。18時30分頃から国語事務局の仕事。連絡の必要があって電話してももうお帰りになりましたというところが殆ど。昼間の授業時間もこちらの空き時間以外なかなか連絡できず,できても相手が授業だったり。放課後は双方部活でまた連絡が取りにくい。一つの事柄がなかなか進展しない。20時30分帰宅。

 帰宅するとヤフオクの落札物がいくつか。最近一番の収穫が到着。図版では小さくてはっきり確認できなかったが,定常変種らしきもののポジションがわかる塊が出品されていたもの。もうひとりそれとなく気付いた人がいたのだろう,かなり競ったが無事落とせた。確認したら,まさしく正解。素人の方のデジカメ撮影だったが,出品者本人にしてみれば最低値の数倍まで競ったから大満足であろうと思われる。これこそ,画像で確認できるヤフオクならではの取り引き形態。出品者も落札者も双方納得。で,このマテリアル持っていたような気もするので,CD−ROM「昭和切手蒐集」をパソコンのハードディスクに保存していつでも閲覧できるような状態にしているのを,早速確認したところ,展示作品にはスペースの関係で,使用済み単片しかいれていないのを確認。でも持っているような気もする。また今度ストックを探すこととしよう。記憶があやふやなときはとりあえず買う。見る前に跳べだ。

05月18日

2004年05月18日(火)
 早朝補習,といっても夜明けが随分早くなったので,さほど苦痛ではない,まだ暗い頃に出かけていた冬の期間に比べれば。午前中授業の合間に成績処理や6月の高総体の取材計画。午後ずっと会議,終了が18時過ぎ。それから職員室に戻り,土日の提出課題の点検処理。その後生徒会の係の先生と高総体の取材計画の打ち合わせ,21時過ぎに学校を出るが,まだ十数人の先生方は残られて仕事。この時期は本当に忙しい。

 郵趣ウィークリー到着。ヤフオクの落札の小包到着。いったいいつ整理できるのだろうか。収友からの速達も到着していたが,返信はしばらくかかりそう。SEVENの落札結果をWeb上で確認。やはり落ちたらいいな位の弱気の札は2点とも少し上で落札されていた。でも一番ほしかったものは,しっかり調整されて落ちているようだ。今のところ事前から事後までWeb上で確認できるオークションはSEVENのみだろう。その意味では日本最先端といえる。これから一番期待したいのはJAPANスタンプオークション。独自のHPを立ち上げて,当初は白黒の写真をカラーで掲載するだけでも郵趣界一のアクセス数になること間違いなし。オークション当日も札を記録する人の横に2名ほどWeb上にアップする係を置いてリアルタイムで落札結果を発信する,そんな時代が来ないものだろうか。しかし今の時代リアルタイムでストリーミング放送をするというのは決して特殊なことではない。ビジネスの新展開として検討してみませんか,鯛さん。

05月17日

2004年05月17日(月)
 昨日の代休。午前中は昨夜のせいで二日酔い。冷酒の口当たりが良く飲み過ぎたようだ。午後本を探しに出かける。マツハヤスペースM・ブックマート・TSUTAYAと本屋・古本屋めぐり。帰りに久しぶりに夕焼け空を見る。その後在宅ワーク。明日の会議の資料作り。

 九州郵趣のKUCHINOTSUの欧文印の原稿校正終了。オークション誌を眺める。

05月16日

2004年05月16日(日)
 月曜との入れ替わりで出勤日。早朝補習,さすがに日曜日の朝7時には道路も混んでいない。スムーズに学校まで。雨模様で生徒送迎の車が見られるくらい。家から12分は最短記録かも。授業3時間後,中掃除,午後からPTA総会,記念講演,学年PTA,学級懇談。保護者には,けっこう同級生が多い。声をかけられる。夕方18時から国語科の歓迎会。4月当初の時間がとれず,とうとう今日になってしまった。国語科8人中3人転出で若手3人転入。それに校長・教頭2名ともに国語科で,残留5名で新しく5名を迎えることになった。「はしもとや」。その後「紫烟荘」,「六本木」。25時30分頃帰る。

 ヤフオクいくつか落札したようだ。やはりその場にいないとたいしたものは落ちてこない。ひとつ上ではねられるのはフロアーオークションと同じ事。

05月15日

2004年05月15日(土)
 休み。明日は出勤のため遠出もできず。家で過ごす。雨がひどい。梅雨の走りというのだろうか,最近休日は雨ばかりだ。昨日リカバリしたパソコンにソフト類を入れる。後は読書。

 「タカハシスタンプオークション」速達にて到着。「スタンプシバタオークション」着。束ものからの特集だそうだが,少ないものは少ないとの印象。

05月14日

2004年05月14日(金)
 早朝補習がない日,遅く出勤すると本館前の駐車場はいっぱいである。だから,やはり余裕を持って出勤しないといけない。県国語部会事務局の最初の仕事として理事と各支部長の選出依頼がある。なかなか決まらない。放課後22日の放送コンテストの出場の事務手続き。6月5日からの県高総体の放送部取材計画の作成。明日は休み。3年のいくつかのクラスは登校自学。16日日曜は翌日と振替で,授業の後,PTA総会。HPカウンタ13000アクセス。

 そう言えば,タカハシが送ってきていないことに気付く。振替に行こうとは思いながら,なかなか行けないでいた。ホームページを見ると,ジャパンネット銀行(JNB)が使えるようになったということで,内容文付きで送金したところ,すぐに送りますとのこと。JNBは便利である。特にJNB相互間は手数料が安い上に,最近メールに文章を着けて送れるサービスが始まり,いっそう便利に。ここ2週間ほど北九州の妹宅に行っていた母が,妹の起動しなくなったパソコンを持って帰ってきた。ベスト電器で見積もりをとったところ,7万円の見積もりとのこと。症状を聞いてみると,どうもウィルスにやられたようだ。リカバリすれば大丈夫だろうと試してみる。その間昭和切手の束ものをほどく。これがリカバリ作業と実にマッチする。パソコンも快適に動くようになった。

05月13日

2004年05月13日(木)
 早朝補習は無い日。1・2年は国英数のみなので,この3教科の先生はほぼ毎日ある。3年はこれに理科と地歴公民が加わるので無い日が多くなった。今日も空き時間に採点。全て終了。学校便りの印刷。カラーレーザープリンター両面印刷で60部ほど関係機関・中学校用を印刷する。校内用はモノクロ両面,これはリソグラフ印刷,1000部。発行日の日曜には,pdfでホームページで公開予定。放課後放送部関係。アナウンス部門は自校ニュースの原稿作成,朗読部門は朗読箇所の原稿作成。だいぶ進んできた。カラープリンターの調子が今ひとつで,時間がかかった。今日も帰宅は20時過ぎ。

 学校宛てに段ボール1個到着。前任校の事務の方から,エンタイアの詰め合わせ。現勤務校に赴任してから丸2年だが,この期間の分を取って置いて送ってくれたのだ。4月3日の日記に書いた会で,顔を合わせた際,送りますねということだったが本当に送ってきた。心遣いがうれしい。帰宅後開けてみる。書留や速達,冊子小包に見るものあり。

05月12日

2004年05月12日(水)
 早朝補習。おまけに7コマ中5コマ授業の水曜日である。空き時間2コマで1クラスの採点完了。放課後放送部と,学校便りの起案訂正。学校便りは,この後印刷。今度の日曜日のPTA総会に間に合いそう。18時過ぎに戸締まり当番で教室の戸締まりに行く。かなりの生徒が自学している中,つかまり進路の話など。いよいよ県国語部会の件で他校に電話するがお帰りとのこと。今日は何としても19時までに郵便局にゆうパックを受け取りに行かねば。この2日間20時過ぎの帰宅で受け取りができてない。なんとか4分前に到着,無事受け取れた。

 ジャパンのオークション誌を見る。全てのマテリアルが自分のものになる可能性が等しくある落札までのこの期間中に,あれこれ考えを巡らすのが,収集家にとって至福のひとときかもしれない。結果より過程を楽しめる人が人生の達人なのではないかと最近思う。結果はあとからついてくる。

05月11日

2004年05月11日(火)
 中間考査。国英数に理科を加えた四教科実施。その後生徒総会。放課後,長崎県高等学校教育研究会国語部会の事務局引き継ぎの打ち合わせ。昨年度まで長崎南高校が事務局だったが,本年度から本校が担当することになった。任期は2年。部会長を本校の校長が,事務局長を私が担当することになったのだ。長崎県高等学校教育研究会国語部会とは長崎県の高校の国語の教師約420名で構成する研究会で,年に1度研究大会を実施する。機関誌の発行も行っている。その部会長に本校の校長が就任することになり,さまざまな理由で事務局長が決定した。他の役職は庶務と会計。校務とは別に会を運営していくことになる。これはもう,運命というか巡り合わせというべきか,願ってもなれるものではない性質のものであるので精一杯頑張ってやっていくしかない。その後テストの採点だが昨日宅急便の配達を20時過ぎにお願いしていたのを思い出し急遽帰る。帰宅すると,自宅前で宅急便の車が待機していた。4月11日の日記で注文したカズオ・イシグロの関連書籍とDVDがamazon. comから到着したのだ。同時に注文したものが同梱されず別便でくるらしく,約1か月かかっている。DVDはいつみれるのだろうか。

 忙中趣味ありということで,ベッドでジャパンスタンプオークションのカタログをみる。フロアーの分が本文44ページ写真版120ページ,カラー38ページのコート紙印刷なので,寝ころんで読むのは重い。もう1冊,メールの分が本文25,写真版が46ページである。こちらの方は手軽である。ロット数フロアー3774,メール2242。膨大な量である。カタログがぼろぼろになるくらい精読すれば,何か発見がある。

05月10日

2004年05月10日(月)
 連休も完全に終了し,再び多忙の日々。授業以外に午前中図書館のオリエンテーション。放課後難関校指導志望者説明会と行事は続く。明日は1日だけの中間考査である。国英数のみ行われる。昨日の休日出勤はこのため。今度の日曜日PTA総会にあわせて「青き楓〜島高だより〜」を創刊する。隔月発行。学校の様子を家庭に周知しようというもの。国語の校長なので言葉を大事にされるのが嬉しい。原稿が集まったので「パーソナル編集長」で一気に作る。20時過ぎ帰宅。VAIOの夏モデル発表。ラインナップが大幅に変わる。従来の「シリーズ」でなく「typeR」のように「type〜」に呼び名が変わるようだ。驚くべきは開発中の「typeX」,HDはテラバイトで7つのTVチューナーを持つTV放送丸撮りマシンだそうだ。いよいよテラバイトの世界に突入か。

 「ジャパンスタンプオークション」誌到着。よほど頑張らないといけないものはないので安心。単色ページに面白い物がありそう。あと1週間日程を考えてみて行くかどうか決めよう。バザーも検討しようかと思う。

05月09日

2004年05月09日(日)
 昨夜からの小雨。ソフトボール大会の実施が町内の防災無線を使って6時に発表される。それで「中止」を確認してから二度寝。夕方16時から打ち合わせがあって学校へ。結局帰ってきたのは21時だった。いつもより遅い。

 机上は,さながら戦場のごとき様相を呈している。しばらくはこのままだろう。夕方からの打ち合わせがなければ,福岡の即売会へ行きたかった。

05月08日

2004年05月08日(土)
 土曜講座。1校時65分授業の後,進路講演会。代々木ゼミナール福岡校からAGO井上(通称:本名は別にあり,垂れ幕は本名で)さんを講師として迎え,「今,何をすべきか」と題して行われた。島原文化会館で3年生319名と保護者150名ぐらい。受付の係をする。昨年担任をした保護者や同級生の保護者何人かから声をかけられる。30分過ぎたぐらいから講演を聴く。もちろん,最近の入試動向についてはひととおりふれた後,後半は進学にこだわらず,人生についての講話だった。受験勉強は「努力の度合い」もっと言うなら「我慢強さ」だと断定。自分がよく知っている人の偏差値の伸びを例に出して,偏差値30代から70代までいかに努力したか。「心が変われば行動が変わる,行動が変われば習慣が変わる,習慣が変われば人生が変わる,人生が変われば運命が変わる」で締めくくり,最後に良く知っている人とは実は自分AGO井上のことというオチまでつく。連休後の意識を変えるのに役立ってくれればと願う。昼から放送部の3人の生徒をつれてコンテスト用の文庫本を買いに行く。17日申し込み締め切りだから,早く原稿をつくる必要があるのだ。その後,近くに最近オープンした「味千ラーメン島原店」にいく。熊本ラーメンのチェーン店だ。夜明日の町内対抗ソフトボール大会の選手15人に確認の電話をする。でも明日は雨になりそう。その場合は中止。アクセス012345昼過ぎに達成。15時過ぎにみたとき012354だった。

 鯛さんから,見てない万束と束物5種類4万2000枚と,シバタさんから少し見た250グラムロット2つ届く。250グラムで5000枚なので,今日だけで昭和切手の7額面5万2000枚届いたことになる。少しほどいてみたが,なかなか好さそう。この分では早くなくなるだろう。ここらあたりから昭和切手の収集が盛んになってくれればよいのだが。

05月07日

2004年05月07日(金)
 早朝補習。午後から会議。18時まで。職員室に帰って,連休課題の点検等の仕事。放送部の生徒も帰る頃。最近練習をみることができない。明日土曜講座後でも進展状況をチェックしよう。アクセスたぶん明日12345が出るだろう。

 福岡の即売会の報告のメールをもらう。地元九州のパインスタンプでは,見てない万束を1000枚単位にばらして売っているらしい。小売りは鯛さんの値付けと同じだが,1000枚単位なので買いやすいようだ。確かに2000枚も見ればその切手の性格がわかる。収集家に優しいやり方だ。さすが達者なビジネスマン。

 明日は,土曜講座で出勤。日曜は,町のソフトボール大会。自治会のチームの監督なのだ。福岡に行きたいが時間的に無理だろう。

05月06日

2004年05月06日(木)
 早朝補習でもないのに,その時間帯に出勤。ここ5日間職場に行っていないので,早めに行って机上の整理である。実に雑多な印刷物が置かれている。中間考査は来週からである。放課後部活。17時半からPTAの評議員会後の懇親会に出席。「平野食堂」で。2次会「七万石」,ここまではPTAの役員さんらと一緒。その後「ママス&パパス」,「六本木」。26時。

 「SEVEN」着。今回は昭和切手関係で興味を引くものあり。KAGOSHIMAの戦後欧文印などというのは,やはり稀少だろう。

05月05日

2004年05月05日(水)
 連休最終日。今日は素晴らしく天気がよい。こんな日には燻っていられない。ということで,猛烈に掃除をする。まず,ここ数日の雑誌の置いてある旧居間の10畳。旧8畳の2階の自室が書庫になっている。その真下の10畳は完全な書庫。2階の8畳に単行本と雑誌以外のものを運び込む。雑誌だけは重く,旧居間の一角にかためて置いた。時期が来れば,ヤフオクにでも出そう。同じものを2冊もいらないから。いらなくなった紙類を畑の方で燃やす。旧居間は中央部が広々となった。雑巾掛けもする。天気がいいと気分がいい。その余勢をかって寝室の6畳の掃除。掃除機をかけ,端の方は雑巾を固く絞って拭く。雑誌の整理が一苦労。昨年以来の雑誌が層を成しているのを片づける。メインの切手とパソコンとオーディオの部屋16畳と,新8畳の書庫の片づけはまた後日。部屋が広いと掃除も大変である。あればあるだけ使ってしまうのが人間。学生時代の4畳半が懐かしい。12000アクセス達成。今回の1000アクセス増加は8日で。前回より1日早い。その分多くの人が見てくれたのだろう。

 ヤフオク。少し見た束ものを入札。結局2つ手に入れることができた。3つ目の最後のものは,画像で見てもわかる樺太消がいくつも入っていたため競り上がる。ちょっと油断した隙に落札された。

05月04日

2004年05月04日(火)
 連休4日目。断続的に雨。新緑の頃の雨ということで緑雨と呼ぶそうだ。在宅ワークが少しははかどった。7日の会議の見通しも立った。夕方散髪に。親戚の伊藤理容院に行く。祖父が従兄弟同士という遠い間柄だが,何親等になるのだろうか。繁盛していて3人目だった。おかげで,ヤフオクの最初の所は入札できず。

 そう今日は「見てない束もの」の決戦日。前回購入の束,今回の即決価格の1.5倍で買っているのでできるだけ安くということを念頭においたのだが,ある束ものが延長に次ぐ延長で19時30分ぐらいから始めて,終わったのが21時くらい。途中励ましのメールが入ったりして。結局4万2000枚入手。型録価計170万円也。その後食事。極楽とんぼの私である。

05月03日

2004年05月03日(月)
 連休3日目。雨天。在宅ワーク。早く仕事を済ましたい。夕方ビールを買いに外出。奮発してヱビスビール。と本生緑缶は発泡酒。

 「郵趣5月号」着。長野氏の収集家日記。「伊藤のことを書けるのは、郵趣界広しといえども、長野行洋か田畑裕司しかいない」というフレーズを思い浮かべてしまった。愛情溢れる表現ありがとうといっておこう。「日本フィラテリーオークションカタログ」到着。ここ数日さんざん見慣れたあの表紙である。ここのオークション目録の特徴は,表紙のマテリアルに敢えてかどうかわからないが珍しい品だけを載せていない点だ。つまりじっくり中身を見ないとその月の目玉を見逃してしまう。もっというなら,下見しないと思い切って入札できない。目の離せない入札誌である。

05月02日

2004年05月02日(日)
 連休2日目。在宅ワーク。「文學界」過去1年分のバックナンバーの小説のなかから何編かを読む。大人が読む分には面白いのだが,なかなかぴったりくるものがない。雨模様で今日も外出せず。明日はビールを買いに行かなくては。

 雑誌の整理。「全日本郵趣」を年度ごとにまとめる。年で色分けしてあるので整理が簡単。シンプルイズベストの好例。やはり失われたもの多数。郵趣もタカハシもまだ届かず。アクセスがいつもより増えているようなのは,連休の影響か,郵趣5月号掲載の影響か。

05月01日

2004年05月01日(土)
 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(よみ人しらず  古今集巻三 夏歌)
 今日から5月,連休1日目である。しかし,連休明けの7日に会議があるので,その資料作り。たまっている原稿書き。たまっているビデオ編集。で特に出かける予定もなし。昨日から泊まっていた弟と2人の子供たちは,7時30分から並ぶとかで朝早く 出かけていった。ウェスタンリーグという2軍の試合らしい。その福岡ダイエーホークスとサーパス神戸(オリックスブルーウェーブ)の試合が島原であるというのだ。16時過ぎまでサイン会や何やとあるらしい。子どもたちの好物というので,彦八寿司から天ぷらの盛り合わせと寿司の盛り合わせをとる。18時50分頃帰っていった。

 やらなければならないのがたくさんあるが,何はともあれ雑誌の整理。カメリアオークションや懐かしの鎌田オークション第1号なんてのも出てきた。コイエのちのHKスタンプ。サンフィラも後期は発送が半田からになったりしている。封筒に入れたまま保存してあるので,消印に目がいき,そういったことも思い出してしまう。モリシタもかなりあった。雑誌毎に分類すると,「郵趣」が一番高い山になる。詳しくは数えてないが概算で20年分。合本になっているのが,70年代までなので,やはり10年分くらいはなくなっている勘定。名鑑も1冊もなかった。母屋に保管の分は市のゴミに出したそうなので,そこにあったのかもしれない。12月に見かけたときに持って帰っておけばと後悔。今日判明したのはそこまで。

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