04月30日

 早朝補習。金曜日の授業と入れ替えで5/7の日,補習ともで6/8である。しかしこの入れ替えで今週と来週の2週間で1週間分と言うことになり,全ての授業が1週間分なくなることになる。進度が揃ってよい。今週の月火と入れ替えの水,来週の木金で1週間分だ。放課後,放送部をみる。朗読の課題図書,アマゾンで検索したら,オススメの本のところに課題図書がズラリ。放送部関係者が購入しているのだろう。全国でこの期間かなりの量が出ると思われる。課題本のブックレビューをまとめ,朗読希望者に見せた。来週金曜日ぐらいまでに原稿作成しないと読みの練習ができない。アナウンスは,自校ニュースを原稿用紙にまとめ,朗読は課題図書の規定時間に間に合う部分を探し,原稿用紙に書き写さなければならない。部員名簿の提出締め切りが今日。計29名揃えて提出。18時過ぎに歯科の定期検診で深江の上田歯科へ。19時過ぎに帰宅して,ソフトボールの選手宅に実施要項等をまとめたものを持ってまわる。選手14名(自分は除いて)と,自治会長さん,公民館長さんの計16名をまわり終えて帰宅したのが22時30分。その後夕食。弟とその長男次男たちが到着。島原市営球場で明日ダイエーの試合があるらしい。この家族はダイエーファンでよく福岡まで出かけて観戦しているようだ。

 「全日本郵趣」着。丹下甲一氏の「ドクター市田のルーツを探る(補遺)」,長崎の活版印刷の祖,本木昌造の名が出たり,かなり興味深く読ませていただいた。高校時代の澤護氏のこともふれてあり,よく調べられたものと感心する。同時に届いた「たんぶるぽすと」の澤氏の小判切手の記事も示唆に富んだもの。でもこれからはみんな探すんだろうなと思う。でもそれでデータが集まればよいではないか。このような未解決のデータの蓄積が必要とされるものが各シリーズに多く存在する。それにしても澤氏の最近の執筆意欲は旺盛である。楽しみだ。ヤフオクの「見てない万束」即決終了続出。でもAがなくなるとBというように出てきているようで,もうしばらく様子見。

04月29日

 休日なのでゆっくり寝ていたら,消火栓の説明があるというので,9時30分頃起こされる。消防団の人たちから消火栓の使い方を実演してもらう。地区の人たちが20名ほど遠巻きに見ていた。昨日太陽の下で過ごしたため日焼けして,顔や額のあたりがひりひり痛む。夜,5月9日の町内ソフトボール大会の選手名簿を作成。

 ヤフオクに,「見てない万束」出品される。前回の高騰ぶりを参考に即決価格が示されるが,どうなっていくのだろうか,5日間推移をみたい。先日からの雑誌の整理。封筒から出していないものが多くかなり手間である。

04月28日

 連休を前に,遠足の日。赴任3年目にして初めての遠足。昨年は「長崎ゆめ総体」のため,一昨年は校舎改築のため,その前年は雨天のため,遠足実施は実に4年ぶりのとのこと。校長先生の「緊張と弛緩により教育効果は高まる」と言う言葉に共感。歓迎遠足なので新入生歓迎に趣向を凝らした演出の出迎え。2・3年生が先に到着し,拍手の中で迎えたのだ。場所は市営球場横の公園。前日までの雨も上がり陽光の中のんびりしたひとときを過ごした。遠足の行き帰りの会話や,食後の散歩の途中沢山の生徒からお菓子をもらったり,写真を撮ってやったり(歩いているとなぜかカメラマンとして撮ってくれと頼まれる),雑談をしたりと穏やかな1日だった。夕方から校長先生を迎えて,3学年団の結団式。3学年団の最大の目標は「進路保証−希望進路の実現」である。そのためにこれからがんばっていくことを確認。「魚亭」。2次会11人でS先生の行きつけ「美保」,その後一人で「六本木」。代行運転で帰る。地元のさくら代行をひいきにしているが,繁盛らしく40分待ちなので,別の代行で。25時帰宅。

 昨日の,島原新聞の記事,沢山の生徒から見たよとの連絡。その質問の中で,まだまだ一般の理解が単なる「切手あつめ」のレベルにあると実感。この段階から作品としてのレベル,歴史を読み解く現物との認識への積極的なアピールの必要性を感じた。

04月27日

 早朝補習。終了後職員室に戻ると教頭先生から新聞のことについて紹介しますからとのこと。今日付けの島原新聞に先週取材された記事が掲載されたのだ。なんと1面のトップ記事。地方ローカル紙とはいえ破格の扱い。香港国際展作品と昭和切手CD−ROMの二つをうまくまとめたもの。何人もの先生方や生徒から声をかけていただく。ありがたいことだ。歴史的史実を絡めた現物主義の知的遊戯である「フィラテリー」を認知させる手だてにしたいものである。7校時の部活動集会,1年生が14名入った。これで,2,13,14の計29名である。早速体育館アリーナで発声練習をしていた。それを見届けてから,図書館へ。当番である。17時過ぎから会議。添削をし,小論文模試のノートの点検をしていたら19時になっていた。アクセスカウンタ11000突破。

 「スタンプコレクター」着。今一番読み物の充実している雑誌である。長野君の「猫に小判」共感するところ大。気楽に読め,眺められる誌面作りは貴重。いくつか気になるマテリアルがオークションに出ていた。入札を忘れないようにしよう。

04月26日

 腰の所や体の節々が痛む。昨日の労働のせいだ。早朝補習。午後から放送部の地区の顧問会のため出張。何人かからお帰りなさいと言われる。昨年1年のみ正式な顧問でなかったからだ。NHK杯放送コンテスト,地区大会が5月22日,県大会が6月13日に決定。よかった,1週間ずれてくれて。6月20日だったら九州郵趣家の集いは土曜の日帰りの参加になるかもしれないと覚悟していたのだが,これで19日は佐賀に宿泊できる。8月の放送部合宿も10〜12日が決定し,休日がどんどん短くなっていく。今年の最大の連休は5月の連休になりそう。夏休みはかえって忙しくなる。というのも土日もまたいで行事が入るからだ。

 昨日の雑誌類の整理。必要なものは持っていってください,あとは全部燃やすからと言われ「全部持っていきます」,ということで軽自動車で2往復してもらってきたのはいいが,ざっと見渡して名鑑は見あたらず。「緑の箱入りの本みかけませんでしたか,12月に来たとき母屋に置いたものですが」と聞いたら,母屋のものは全部燃やしたとの返事なので,本当に灰になってしまったのかも。紙袋の底に眠っていることを期待。ひととおり見るだけでも,しばらく時間がかかりそうだ。




04月25日

 昨日が遅かったためゆっくり起きる。天気がいい。こんな日は家でごろごろしていられない。そうだ熊本へ行こう。ということで知人宅の家の整理の手伝いに。海を渡って出かける。菊池川添いに上っていく。畑の方では紙屑を燃やす煙。雑誌は燃やしきれないほどあるということで,燃やしたものもあるらしい。炎の中から観音10円のエンタイアを救い出した。MSAを送ったとおぼしき記念切手貼の封筒は目の前で灰になってしまった。まだまだいくらでもあるよとのことでほんとうに紙屑なんだなと実感。家人といっしょに整理のお手伝い。紙や雑誌の類は重いので汗がしたたる。久しぶりに肉体労働をした気分。日が落ちる頃,家の中もすっきり片づき,バーベキューをごちそうになる。車の運転のため,お茶で我慢。帰りに積めるだけのいらないという雑誌類,紙屑の類を積んで帰ってきた。当分は整理に手がかかりそう。

 帰宅後,5月9日(日)の町内ソフトボール大会の選手集めで電話をかけまくる。あす,選手名簿提出なのだ。

04月24日

 いつもは出かけることが多い土曜日だが,久しぶりに出勤がない日。ゆっくり自宅で過ごす。「文學界」のバックナンバーを読み直す。日々の忙しさにおわれて一瞥してしまうときもあるので,こうしてまとめて見直すのは有効だ。夕方から,友人Sと出かける。「洒落喰」でサッカー女子オリンピックアジア予選を見ながら久しぶりの近況など。彼とはよくサッカーの試合があるときに出かけるようだ。「N」「花」「六本木」。川口恭吾の「桜」94点。27時帰宅。

 休日の自宅で過ごす日はヤフオク。出かける間際に少し大目に入れて行ったところ,首尾良く3点ほど落ちていた。


 

04月23日

 久しぶりの早朝補習。今週は2回だった。担任による面談週間も終わり。40分短縮授業も終わりということだ。5分の差が多きいことを実感した1週間だった。

 蒐友よりメール。朝日新聞の夕刊に今連載中の出久根達郎氏が執筆している「かわうその祭り」について。切手や紙類を扱う業者が主人公だそうだ。題を聞いて思い浮かべたのが正岡子規。ペンネームに獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)を使った時期がある。朝日新聞のサイトを検索したら果たしてそのとおりであった。以下に引用。

 次の連載小説は出久根達郎氏「かわうその祭り」
 柳美里氏の連載小説「8月の果て」に代わり、1日からは出久根達郎(でくねたつろう)氏の「かわうその祭り」が始まります。出久根氏は44年生まれ。古書店を営みながら執筆活動に入り、93年に「佃島ふたり書房」で直木賞を受賞。人情の機微に触れるエッセーや、古書の該博な知識を生かした小説で知られています。作品に「本のお口よごしですが」「おんな飛脚人」「安政大変」などがあります。
「かわうその祭り」は、明治から現代にかけてを背景に、「幻の映画フィルム」にまつわる謎を追い、歴史のうねりに翻弄(ほんろう)される庶民の哀歓を描きます。題字・挿絵はイラストレーターの土橋とし子氏です。
 ◇作者の言葉
 イタチに似た、愛らしい水生哺乳(ほにゅう)類ニホンカワウソは、毛皮目当てに乱獲され、また河川の荒廃で今はわずかしか棲息(せいそく)せず、特別天然記念物に指定されている。中国ではこの獺(かわうそ)が、獲物を自分のまわりに並べておく。これを獺祭(だっさい)と称する。転じて、集めた書物に囲まれること。文学者の正岡子規は、自室を獺祭書屋(しょおく)と名づけた。獺は、いわばコレクターである。一本の映画を軸に、収集家の意義を描いてみる。

 参考文献を机上に開け放して執筆する姿をかわうそにたとえたのが正岡子規。獲物(切手)を広げてアルバムリーフにまとめている姿は,言われてみれば切手蒐集家そのものではないか。また,今はわずかしか棲息(せいそく)せず,特別天然記念物に指定されるくらいの存在というのも。先日は「腕落ち」,「足落ち」がの用語があったり,昨日からは、菊切手10銭の偽物の横浜消のことが題材に出てきたらしい。出久根氏は作家の中で切手収集界に詳しい作家で,これまでにも切手に関する読み物があった。若いとき実際集めていたらしい。菊切手の偽物についてのエッセイを以前読んだことがある。切手収集用語には想像をかき立てるものが多い。「書き十」など歴史のある手彫切手に多いが,それ以後も田沢6銭「玉に瑕」等有名になったものもある。豊穣なイマジネーションの世界が広がっているのだ。

04月22日

 早朝は,まだ冷え冷えするが,日中は随分暖かくなってきた。昼休みいくつかの会費を払いに郵便局へいき,最近の切手類も買う。趣味週間や科学技術シリーズなどを買っていたらすぐ1万円以上になってしまう。少数多種類のまさに切手の洪水である。後世の蒐集家はこの時代をどう位置づけるのだろうか。放課後は例のごとく18時5分まで自学監督。すぐ島原文化会館へ。市民劇場の鑑賞会の日なのだ。島原市民劇場創立30周年記念と言うことで,前進座「鳴神・雪祭五人三番叟」である。記録として以下に。21時30分頃帰宅。

  舞踊 雪祭五人三番叟
 古来、三番叟は初春の声であった。芸能の世界ではいつもめでたい事始めの式楽であり、それは農耕行事と関わりがあるといわれてきました。
 翁は荘重厳粛な舞で天下泰平を祈り、三番叟は五穀豊穣を祈念し、素朴で滑稽で躍動的な舞を舞う。汗して働いた豊作のあと、早春の初雪の中で乱舞する五人の三番叟。

 『鳴神』の見どころ・舞台背景
 主人公の鳴神上人は朝廷に願い出た自分の望みが叶えられないのを恨んで、龍神を北山の滝壷に封じこめます。その結果、雨が一滴も降らず干ばつに見舞われます。それを解決するために朝廷が送りこんだ美女が雲の絶間姫です。つまり堅物の上人を色仕掛けと酒で欺こうという作戦です。その辺のやり取りが前半の見所です。
後半は、欺かれたと知った鳴神上人が怒りまくります。その怒りを表現する各種の見得が見所となります。前進座の鳴神は市川家の型とは違いますが、千回以上も上演をしている前進座歌舞伎の代表作です。元禄歌舞伎のおおらかさと様式美を堪能して下さい。
 
 朝トップページに九州郵趣原稿に使った葉書を掲載したところ,早速椙山氏から掲示板への投稿。言われて初めて鹿児島宛と納得。この葉書を入手したときは唯一の発見例ということで,随分フロアで頑張った記憶がある。その後抹消例が2点発見され,それぞれ菊切手の名のあるコレクターの元へ。一昨年そのうちの一点が競売にかけられ,44万という高値になったのは記憶に新しい。いずれにしても現存3点の稀品。何故それほど稀少なのかの歴史的考察をしたのが今回の「九州郵趣」の記事である。乞うご期待。 

04月21日

 水曜日である。空き時間が2時間の日。担当の5クラスの授業が全部ある日。放課後,放送部の手伝い。MJ(ミュージックジャム)という番組を週1回ぐらいで放送しているがその第1回。昨年までは,カセットテープで作っていたが,MD2台あるので,MDで制作できるように配線を変えてみた。NHK杯放送コンテストも今年の要項では,ラジオ番組の応募はMDに変更になったから,慣れる必要があるのだ。放課後自学終了が,18時05分。19時前に帰れた。

 東京中央郵便局からの2003年イヤーセットを郵便局にやっと受け取りに行く。4月16日(金)に配達の案内が来ていたのだが,全日展に行ったり,19時過ぎの帰宅が続いたりでなかなか受け取りに行けなくて今日になってしまった。母はこのところ北九州の妹宅に行っている。毎年2セット買っているが,整理は当分できず。九州郵趣の原稿完成。5月発行の号に間に合いそう。「郵便史の楽しみ−第1回−」と題して,現存3点のKUCHINOTSU欧文印についての記事。歴史から余談まで,九州郵趣にふさわしい地方色豊かなものに仕上げてみた。

04月20日

 早朝補習の日。昨日届いていた車検終了のEXAに久しぶりに乗る。滑らかに走行したのに感動する。午前中,授業の空き時間に島原新聞の取材を受ける。香港展のことについて。宮本記者は同級生の兄である。よくイベントでお会いするが,いつも忙しいそうで,今日になったとのこと。昨年も全日展2003の記事を掲載していただいた。

 取材後雲仙の話題になった。国立公園指定70年だそうで,記念のイベントもあるらしい。かねてからの「UNZEN」をJAPEXのワンフレーム展にだそうかと思う。九州郵趣家の集いが長崎県であるときはいつも雲仙の新湯ホテルで開催しているが,その時の作ったリーフがちょうど16リーフぐらい。その後もマテリアルの追加があるので,かなり見応えのあるのができそう。今年は,早めに作って事前指導をうけてみようかなという気になる。目玉は幻だった縦書き丸一,丸一消外信便。これらは季節局時代。櫛形印になって「温泉」表示の時代。そして「雲仙」「UNZEN」の時代。公園切手が多いのが気にかかっていたが,神宝氏の講演で納得。戦後まで含めるかどうかが思案のしどころ。

 放課後放送部と自学の監督。やはり帰宅は19時過ぎ。

 「郵便史研究」到着。会費を送らないといけない。

04月19日

 早朝補習はないが,その時間帯に出勤して土曜日の模擬試験の採点。同じ学年の先生がだいぶしてくださっていたので,午前中に全て完了。今日は午後10時ぐらいまで残業かと思っていたので感謝。月曜は1・2・7と端っこにくっついた時間割なので途中3〜6は,まとまって時間が取れる。今週分の残りの国語科通信6〜8号をまとめて作る。毎週4号で,月曜の分は週末に,水木金の分は,月曜に作るのが定着しそう。今週から担任は放課後面談だが,部活動生以外は放課後自学なので,副担任は18時過ぎまで監督につくことになる。それが終わり職員室で自分の雑用をしていると19時になる。

 「JPSオークション」「郵趣ウィークリー」着。上京中にゆっくり見ることができなかったHPをひととおり見る。その後全日展会場で撮った写真の整理。縦を横に変換したり,名前を付け替えたりと結構な手間がかかる。会場でわからなかったことや,冷静に見ることができ,新たな発見もありそう。

04月18日

 朝,ホテルから日記と画像を転送。午前中は東京在住の知人と新宿の街を散歩する。「ていぱーく」へ移動後,13時から「切手研究会」の総会に初めて参加する。旧知の方何人にも挨拶した。講演は神宝氏の戦前講演切手,牧野氏の飛脚資料,行徳氏の戦後郵政資料集の発刊についてと盛りだくさんの内容。総会後,階下の全日展の参観。昨日はただ眺めてばかりだったので,中の様子をデジカメで撮った。特に九州からの作品はフレーム毎に撮ったので,「九州郵趣」の記事に使おうと思う。個々のコメントは追々していこう。17時前に「ていぱーく」を出,ホテルに戻り荷物を受け取り,羽田空港へ。新宿3丁目からだと大江戸線の大門経由モノレール使用が一番乗換が少なく行けるようだ。19時10分発長崎行きだが,空港が混み合っているとかで地上に待機し15分遅れで出発。長崎空港に到着して,高速道路経由で自宅に着いたのが22時30分頃で,NHKBS2の番組「熱中時間 忙中趣味」を見ることができた。俳人中原道夫を案内役にその道の専門家を紹介。この奥深い趣味を一般に認知してもらえるきっかけになればと思う。番組中オークションの場面ではよく知った方々や,南方切手の土屋さん,尾道の天野先生が「伝説のエンタイアの達人」として登場。久しぶりにテレビで拝見してお元気な様子がわかった。番組中気になったのが,エンタイアと自作のカバーを意図してか使い分けていない点。エンタイアとは自然に使われたもので,自分宛のものはカバーと呼ぶべきだ。尤も広義ではどちらも同じ意味で用いられるのだろうけれども。

 カウンタ1万突破。

04月17日

 いつもより早起きして,長崎空港へ。諫早から大村までは慎重を期して高速道路を使う。車は空港に一番近い「みどり駐車場」に預け,空港まで送ってもらう。これらの努力の成果で意外に早く着き,空港でゆっくりできた。人生万事こうありたいものと自戒。東京モノレールで浜松町に着き少し歩いて,大門からホテルのある新宿3丁目まで大江戸線,新宿乗換。新宿で途中下車して,「イレブンイマサ」でカレー,大学時代から食べ続けて26年,よく続いているものと感心。大学時代の名物だった「田舎カレー」はメニューから消えたけれど,血脈は流れている。ホテルは「サンライトホテル新宿」,インターネットが別室だが無料で使え,料金が安いので決定したが,やはり部屋で使えないのは不便。まず荷物をホテルに預け,大手町へ。小川町=新御茶ノ水経由で大手町「ていぱーく」へ。

 会場では,ドクター井上氏や片山氏,行徳さん,正田さん,設楽さん,稲葉さん,の方々にお会いする。ひととおり見ての印象は銀銅賞が多いということ。また銅,賞なしも目についた。金は3。日本切手部門の「旧小判切手(大鐘久生)」総裁賞,「航空愛国募金切手(小宮山能康)」郵趣協会賞,企画部門の「沖縄における航空郵便と航空切手1948−58(石澤司)」総裁賞。他の特別賞はジュニアの金銀にそれぞれ郵便文化振興協会賞・総裁賞と,郵便史の「播磨の國・記号入番号消印(山中一兌)」郵趣連合賞。詳しくはまた明日。

 「ていパーク」前で写真を撮ったきり,作品をひたすら見た。夕方から,今はなき「大学郵趣連盟」のメンバーと食事会。丹下さん石川さん片山くんに,先日テレビ「NHKスペシャル」で先駆的な雇用形態を創出している企業の敏腕人事部長として出演した伊藤良司さんを加え,青春のひとときの回顧と現在のことについて,おいしい酒を飲むことができた。「Shinjuku得」。2次会からは村岡さんも合流。都会の喧噪を離れたセントラルホテルの静かなラウンジで,ゆったりとした時間が流れていたように感じた。

04月16日

 今日も早朝補習はないが,ある時間帯に行く。どうも体がそのリズムになっているようだ。私の場合,結局今週実施したのは2日のみ。今年は理系2クラス,文系1クラスが担当で,理系は理科2教科やっており,6科目を5日ではまわせないので,教科によっては早朝補習がない週があるということに納得。ひととおり1週間授業をやってみて,忙しい日とそうでない日の落差が激しいがそれはしかたないとのこと。グレード別の授業をいくつかの教科でやっているため,そうならざるを得ないとの係の説明。強弱あって,それもいいかもしれない。帰宅19時過ぎ。昨日掲示板の有料化に伴い,カウンタを設置し,タグが使えるようにした。これで,画像がアップできるようになった。
 
 いよいよ明日は全日展。飛行機に乗り遅れないように早く寝るとしよう。では,「ていぱーく」で会いましょう。

04月15日

 早朝補習がない日。3年生は早朝補習に理科と地歴が入ってくるので,週に何日かない日ができてくる。逆に部活引退後は,放課後補習が始まる。正課7時間に補習2乃至3時間で,9乃至10時間授業になる。その後,家庭学習ということだ。今日も昼休み図書館業務。放課後は,部活動生以外は教室で自学。副担任をしているクラスの監督に行く。2日続きで夜の会議だったが今日は早く帰れた。19時過ぎに帰宅。

 昨日届いていた「九州郵趣」誌。ここ数号若干遅れ気味だったが,今回の号で解消。後は5月号と7月号で,CD−ROM特典の人の1年が終了する。なんとか次年度の購読に結びつけたいものである。長崎の外国郵便のファイルを今日も眺める。年号4字印と二重丸明治印が充実してきた。それにしても,5月のジャパンのオークションに長崎の大物カバーが出てきませんように。財政好転は6月末までかかりそうだから。

04月14日

 早朝補習はないが,登校指導ということで早朝補習があるときよりももっと早く出る。生徒の登校が絶えたところで学校へ。今年の時間割は水曜日が一番過酷。7コマ中5コマが授業。おまけに昼休みは図書館業務。放課後放送部へ顔を出す。18時から町の体育班長の会議のため,町の文化会館グリーンウェーブへ。町に8地区42自治会あるということを知る。今までいかに地域の活動に参加していなかったかということだ。参加者は自治会体育班長と体育指導員,町の幹部。会議の後,このメンバーで場を,近くのもとよし食堂に移して懇親会。他地区で管理職をした以外は,ほとんど地元有明町と国見町の中学校勤務だった父を知る者は多く,担任をしてもらったという人がこの中に何人もいた。また,定年後は,町の施設建設の頃で,歴史民族館の初代館長,温水プールの初代館長と仕事をした中で一緒に働いたという人もおり,家庭ではわからない父の人となりを聞くことができた。当分父を超えることはできない。

 昨日ファイリングしたマテリアルを眺める。まず,蒐集品を眺めるところから全ては始まるのだ。大学時代4畳半の下宿では,毎日アルバムリーフを眺めていた。すると何が必要か見えてくるのだ。いや逆に切手たちが,欲している声を聞くことができたような気がしていた。主客が転倒し,コレクションそれ自体が意思を持ち,その充実のために動く自分という存在。主人(マスター)でなく,執事(サーバント)としての存在。我々蒐集家は,手に入れたマテリアルは自分の手元にあるが,自分の所有物でないと知るべきだ。次代へ伝えるべき遺産なのだ。だから,破壊や焼失には万全の注意をはらう義務を負う。生存中恩恵を受けるが,切手そのものは時空を超えた存在なのだ。あたかも地球や自然がそうであるように。

04月13日

 早朝補習。だいぶ明るくなってきた。7時頃は交通量も少なく,ストレスなく通勤できるので気持ちいい。図書館の業務が入ってきたため,放課後図書館へ。その後,放送部の生徒にNHK杯の情報を持っていく。ネット上では朗読の課題図書は発表になっているのだ。ラジオ番組は,今回からカセットテープでなく,MDで提出に変更になった。19時30分から,同窓会の方たちと「同窓会誌」第7号の編集会議。21時30分頃終了し,帰宅したのは22時。

 長年の懸案だった机上の整理。下層にカバーが埋もれているのを丹念に掘り起こす。長崎の外国郵便,香港展の作品で使用しなかったもの,最近入ったものを1冊にファイリングしたところ20リーフ以上は出来そうだ。尤も量があるというだけだが。年号2字の時代,1905年までで,別にしてある研究用のものを入れても3フレ48リーフはまだまだ。遥かな道のりである。

04月12日

 早朝補習開始。また朝7時に出勤する生活。3年生では,理科・地歴も入ってくるので,毎日あるというわけではなさそう。そして本年度の授業開き。だが昨年に引き続いての担当のため,簡単なもので終わり早速授業へ。新たな気持ちで頑張ろうという手応えを感じるのでこの緊張感を持続できればと思う。授業の合間に毎時間配布する教科通信づくり。放課後放送部の発声練習の資料作り。これらは上級生が手慣れて作ってくれるので印刷するだけだが。1年生が入部したようだ。その後19時まで年度当初の資料作り。JNBの入金のできる端末が近くのファミマから撤退したため,愛野町のファミマまで入金しに車を走らせたため,帰宅は20時30分頃。明日も早朝補習。

 「郵趣ウィークリー」「郵趣研究」「スタンプシバタオークション」着。それにO氏からの小判資料も。さっそくファイリングする。月曜日は郵便物が特に多い。

04月11日

 自治会の前体育班長がバレーボールやグローブなどの体育用具を自宅まで持ってこられた。14日に町全体の会議,その後5月の連休明けに早速ソフトボール大会だそうだ。日曜ということで外出せず,家で過ごす。差し迫った用事で「文學界」のバックナンバーを見直す中で,いくつかの文章に目がとまる。昨年12月号のエセー「カズオ・イシグロの長崎 平井杏子」,検索してみると,
  Kazuo Ishiguro(1954 - )
  カズオ・イシグロ
 長崎市生まれ。5歳の時に両親と渡英し、'83年にイギリスに帰化した。'82年『A Pale View of Hills(女たちの暑い夏)』により、王位文学協会賞を受賞。'87年に 『An Artist of the Floating World(浮世の画家)』でウィットブレッド賞、'89年に 『The Remains of the Day (日の名残り)』で英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞した。また、第4作の『The Unconsoled(充たされざる者)』ではCheltenham Prizeを受賞している。現代イギリス文学を代表する作家の一人。
また,平井さんは長崎市出身の昭和大学教授で翻訳家ということもわかってきた。早速関連書籍とDVDをamazon. comに注文する。

 長崎の外国郵便を集めていると,絵葉書が自然に集まってくる。一見カラー印刷と見間違うような彩色写真の絵葉書である。明治期だと諏訪神社の青銅製の犬とか上のエッセーでも紹介された「中川カルルス」はよく見かけるものの一つ。カズオ・イシグロと関係があったとは,驚き。またカズオ・イシグロの旧居を購入し,現在お住まいの國子さんは,噴火災害時ヒゲの市長で有名になった前島原市長の娘さんというのも新たな知見。

04月10日

 通勤前に自治会の公民館長さんが,体育班長の引き継ぎ書類を持って来られた。地区の活動でも忙しくなりそう。土曜講座65分の2コマ。終了後も月曜からの早朝補習授業と新クラスの授業の準備。2時半過ぎに帰宅。17時に地元の友人からお誘いが。小中高と地元から通った気の合う仲間5人がいるのだが,久しぶりにどうかという誘い。五島に行っているときは帰省の度に5人が集まっていたのだが,私が帰郷すると,いつでもできるという安心感からかここ1年ほど会ってなかった。酒席は連日になるが来週は東京行きなので,参加した。各職場でそれぞれ責任のある仕事をしているようだ。一番のニュースは地元有明中学校の新校長に島高同級生のN君が就任したとのこと。義務制の学校では教頭になっている同級生は多いが校長は初めてだ。同級生8クラス360人のなかで,小中高の教員になっているのが50人以上。島原は教員の産地と称される所以である。尤も小中の義務制学校が多く,高校教員は10人足らず。近々祝宴を開こうということになった。明日も予定のある人が多く,2次会は行かず,大人しく帰る。

 HP「ひろしま切手博物館」の館長日記に昨日の日記を取り上げていただいた。他愛もない日々の繰り言を見ていただき恐縮の限り。

04月09日

 新学期2日目。学年集会・諸調査・LHR,地歴と理科の校内実力テストとぎっしり詰まったスケジュール。放課後,剣道部の優勝・第3位報告会。夕方から,全体の歓迎会,「九十九ホテル」で。「七万石」「パパス&ママス」「if」。27時帰着。

 昨日あたりから,ネット上で今年の全日展の話題が。招待出品が設楽氏のバンコク展の作品「小判」,大鐘氏の「小判」と九州からのボタ印コレクションと「小判切手」に関する話題が注目されそう。3フレームの「小判切手」とは,いかなる構成なのだろうか。私だったら,1フレ目は未使用・マルチプル中心の製造面,2フレは単片満月中心の使用面,3フレはカバーによる料金・宛先に注目した使用面とするだろうが,たぶんあっと驚く構成になっていることだろうと思う。楽しみである。

04月08日

 新学期開始である。出欠確認のSHR,全員欠けることなく出席していた。大掃除の後,旧クラスでの最後のHR。新クラスを一人ひとり読み上げ発表。歓声と喚声。諸々のカード類を配布し,新クラスへと散り散りに。私はといえば,2年の文系クラスの担任から,3年理系クラスの副担任へ。一応生徒とともに進級できたことになる。担任でなくなるのは少し寂しいが,今年は担任を持つ以上にいろんな役職があるので,忙しくなりそう。校長室で辞令交付式。司書教諭の辞令をもらった。資格を保有する人が私ともう一人いるのだが,今年は私が県に登録されるらしい。分掌は情報図書部なので,今年は,図書館業務の仕事も入ってくる。部活動は放送部。午後の入学式前の待ち時間に行事を中心とした学校紹介のビデオ上映。入学式のときは,ステージの上の緞帳室で放送機器の管理をしながら,緞帳の上げ下げを。全て終わって各々2台のプロジェクターやスクリーン,各種コード類,デッキカメラ等の撤去作業。結局新クラスへの挨拶はできなかった。やっと今日から名票の解禁日なので,教務手帳に名票を貼り込み授業の準備。

 ヤフオクの落札品が2箇所から計3点送付されてくる。地元印がたまに無競争で手に入るときがある。タイミングの問題なのであろうか。

04月07日

 新学期の準備である。風が吹くたびに桜吹雪が舞っていた。明日出す島高新聞の作成を手伝う。その他には,午前中は明日の入学式の前に流すビデオの編集を手伝う。ほとんど生徒たちがしたのだが,途中わからないことがあると,職員室に呼びにくるので,結局放送室で完成までつきあうことに。午後から入学式の設営。放送部は会場の両サイドにプロジェクターとスクリーンのセッティングと放送用マイクの設置。映像ケーブルのグラついているのをハンダ付けした。久しぶりの体験。でもこれで安心して使用できる。明日は始業式・入学式。

 10日後に開催される全日展の話題がネット上にも書かれるようになってきた。小判切手の作品もあるとか。楽しみである。ボタ印の力作は必見だろう。那覇ボタは葉書だから間違いのないもの。あれから1年になるのかと思うと感慨深い。

04月06日

 春休みに,年休をとった2日目である。ここ数年,年休を取れるときに取るようにとの指示が管理職からあり,だいぶ取りやすくなった。といっても,授業のある日に取ると授業の振替で振り替えた日がきつくなるので,無闇に取れない。そこで,夏冬春休みに取ることになるのだが,基本的に本校は休みの日でも学校に出る機会が多いので,比較的取りやすい日に取ることになる。その日が今日であり,3月31日だったというわけだ。まず,車検を迎えるメイン車のEXAを整備工場へ。ざっと見て貰っても,タイヤやショックアブソーバーの交換で費用がかかりそう。3月は車の任意保険や餞別,2年に1度の車検と何かと出費が嵩む。昨年までの0.5ヶ月のボーナスがあった頃はよかった。今年からなくなり,その分夏に上乗せするというが満額でなく,実質マイナス。朝三暮四。国の勧告で,長崎県の教職員は年収5パーセントダウンなのだ。支払い関係で銀行と郵便局とコンビニとまわる。その合間にふと目を玄関横の鉢植えに転ずると,なんと桜が咲いている。「一才桜」と名付けられた鉢植えの桜である。五島にいたとき生協で購入したもの。当時3年の学年主任をしていたので学校に持っていって机上に飾っていたところ,丁度3月1日に満開になった思い出がある。昨年も咲いたが,室内でなく路地で過ごさせているため,この時期に咲くようになった。連続3年咲き幹も太ったので,より大きな鉢に植え替える必要がある。あまり過保護にせず外の世界で逞しく育てた方がよいのは植物も人間も同じらしい。さっそくデジカメで何枚か写真を撮る。その後ここ何回かの会合の折りの集合写真やら,スナップ写真やらをプリンターで印刷する。数十枚L版で写真印刷したら,PM950のシアンとライトマゼンタのインクが同時に無くなった。だんだん備蓄がなくなりつつある。割引が使える時期にまた買うとしよう。その他には灯油を5缶分買ってきてボイラーに入れたり,メダカが越冬している姿を確認したり,普段できないことをやってのんびり過ごした。明日は新学期の準備と午後から入学式の準備。卒業式で好評だったプロジェクターを使って,受付から開始までの待ち時間に学校の様子をビデオで紹介しようというもの。忙しくなりそう。

 「フィラ関西」誌到着。関西郵趣連盟の機関誌であるが,有益な記事が多い。関西に5年いたときに知遇を得た方々のお名前を拝見するのも楽しみである。

04月05日

 久しぶりに職場へ。今日は新年度のスタートを決める職員会議。その前に,生徒は登校自学なので,出欠を取りに8時35分に教室へ。全国大会優勝の剣道部のメンバーも来ていた。9時職員会議。続いて学年会。その合間に12時に掃除・帰りのSHR。戻って学年会。昼から座席移動。同じ規格の机なので,引き出しのみ持って移動。新しい場所から見える景色は違って見える。しばらくは慣れないだろう。下足箱の移動15番から12番へ。さらに一段上がり,上から2段目に。年齢順なので,高齢化したことになる。教科会・分掌会と続き終了したのは17時前。長い1日が終わった。今日は教科毎の歓迎会が多いが,国語科は,校長の都合がつかず延期とのこと。私が今まで仕えてきた校長十人目にして初めての国語科の校長。期待するところ大である。実は新教頭も国語科,仕えてきた教頭十一人目で二人目の国語科の教頭である。新しい時代の到来の予感がする。国語科出身の校長というと,まず浮かぶのは長崎女子短期大学の現学長田中正明先生,かつて本校の教頭として島原に住まわれたこともある。著作で私淑している尊敬すべき大先輩である。さらに現諫早市立図書館長の平田徳男先生,一時代を築かれた名校長。国語科出身の校長には今でも人々の記憶に残る名校長が多い。学校の桜も風に散り始めたのか,花びらがたくさん落ちていた。入学式まであと2日待ってくれればと願う。

 「タカハシスタンプオークション」誌到着。長崎関係では,丸一朝鮮仁川で消されたU小判5銭8枚ブロック貼り外信書留,中継に長崎の年号4字印が押されたもの。しかし如何せん肝心の丸一印がフラフラ。でも貴重な品であることには変わりない。別冊のモノクロ版にいくつか興味を引くものあり。

 

04月04日

 長崎泊だったが,再び出島ロードを通り,新しくできた長崎インターから北九州へ。妹宅にいる母を迎えに。もう一つは,妹宅,せっかく2月に光ファイバーと無線LANの環境に設定したのに使えなくなってしまったとのことで,その設定のため。北九州へ向かう途中で食事を取り,夕方近くから復旧作業。無線LANは機能しているようなのだが,光ファイバーのモデムとがつながっていないようだということで,エアステーションとモデムの電源を切り再起動させたところ,簡単につながった。あと,メール設定を2台のパソコンに。プリンターも使えるように設定。ただし,Win2000のVAIO−XR7Z/Kが異様に遅い原因はつきとめられなかった。Win95のThinkpadは快適に動く。結局XR7Z/Kにはメモリーを足して,ウィルス対策ソフトを入れることを勧めたのが22時40分。それから自宅に帰着したのは,26時。明日は新学期の会議の後,国語科の歓迎会。また遅くなるかも。アクセスカウンタ9000カウント。土日がアクセス数が伸びるようだ。

 北九州で設定の傍ら,愛用のGR7/Kを54M無線接続してのヤフオク。延長の末降りた。負けるが勝ちという諺もある。(負け惜しみ…)

04月03日

 朝方8888カウント達成。8888で思い出すのは,私の住んでいる有明町。舞岳ふれあいロードと名付けられた八、八八八段の遊歩道は日本一の階段とのこと。これは,有明町のシンボル「標高703mの舞岳」の中腹から山頂まで約3kmにわたり,八八八八段(擬木)からなる自然遊歩道である。子どもから大人まで約1時間で登られ,登山の途中や頂上からの眺めは最高とのこと。このオープンにあわせ,平成8年8月8日から,この階段と特産品を描いた風景印が使用されることになった。マンガチックな牛がかわいいと評判。午後から夕方にある,対馬高校の校長を御退任され,4月に長崎に帰ってこられた菅藤先生のおつかれさま会に出席のため,長崎へ。角煮で有名な「こじま」で。教頭時代,前任校で御指導いただいたので,何をさておいても出席しようということで今日も長崎泊。例のごとく「トレディアホテル出島」泊である。前任校の当時の有志12名が出席。あの時代あの場所にいるような気分になった。長崎市内までは,先月下旬に開通した長崎インターと出島ロードを通ってきたところ,ホテルはすぐだった。ドライブ途中の沿道には至る所に桜。満開の桜が咲き誇っているのが見えた。2次会は例のごとくスナック「リクエスト」。マスターに24日の件を報告。先月と異なり26時にはホテルへ帰還。それにしてもマスターの歌った川口恭吾「桜」,説得力があると評していいのか,本人以上に聴かせてくれた。それに比べると私はまだまだである。

 「日本フィラテリックセンターオークション」カタログ到着。南方占領地に興味を持った。入札を忘れないようにしないと。

04月02日

 朝,長崎新聞に

男子島原が初優勝 魁星旗全国高校剣道
 剣道の第33回魁星旗全国高校大会は3月29―31日、秋田市の県立武道館で行われ、男子は島原が初優勝、女子も島原が全国選抜大会に続いて3位入賞した。本県勢男子の優勝は、第21回大会の長崎東以来12年ぶり3度目。大将の前川矩英は最優秀選手に選ばれた。女子は高千穂(宮崎)が14年ぶり3度目の優勝。
 男子の島原は、準決勝で全国選抜優勝の桐蔭学園(神奈川)を大将戦で破り決勝進出。九州勢対決となった鳳凰(鹿児島)との決勝は、先ぽう宮崎嵩が1勝1引き分けの後、次ほう宮崎東が3人抜き。4人残しで優勝を決めた。女子の島原は、準決勝で左沢(山形)に惜敗した。男子の諫早は3回戦で敗退した。
 魁星旗は全国選抜、全国高総体、玉竜旗と並び、全国高校剣道4大大会に数えられ、全国から375チームが出場した。

との記事。昨年の玉竜旗は3位,全国選抜は,県内予選で西陵高校に敗退,出場さえできなかったのは以前取り上げたバレーと同じで,県内を勝ち抜くのが全国大会を勝ち抜くのより難しいのだ。長崎新聞のコラム「水や空」(2003年10月8日付)で広報誌「ひらど」が紹介された際,市民文芸短歌のコーナーの寺田秀有さんの作品「玉竜旗奮戦三位島原の次峰中島五回戦の華」に詠まれた中島君と前川君,ともに私のクラスである。前川君は最優秀選手に選ばれたとのこと。また,渡邉監督は,剣道をしていた妹の一つ下の後輩でもあり,母校就任15年目の全国制覇とのこと。おめでとう,ほんとうによかった。
 今日は,会議のため諫早にある西陵高校に出張。帰りに足を伸ばして長崎市内のヤマダ電機で160GのHDとDVD−R10枚組を購入。その後深江にある上田歯科に定期検診。先月末開通した「がまだすロード」と,島原市内の眉山と平成新山の間を通る「まゆやまロード」経由で深江まで。担当の歯科衛生士の人は7・8年前島原商業高校で受け持ってた学年の一つ下の学年だったそうで,見知って声をかけてくれた。

 収友から,長崎ボタの鑑定の依頼。早速手持ちのものとの比較。まず国内ボタか外信ボタか。国内用は証示印との二連印なので,外周リングの見えるものが多い。見えれば国内ボタ。見えないもので特徴的なものがいくつかタイプがある。また,外信ボタは,西野分類で5タイプ。慣れれば分類に困ることはない。国内展上位の作品でも国内ボタと外信ボタを混同した作品をよくみかけるが,基本的に分類可能である。形はよくても真贋の決め手は,別の要素,例えば印色にある場合もある。


04月01日

 今日から新年度。5日の会議に向けての資料作り。行事は合格者登校日。新1年生のオリエンテーションだ。午後から部活動紹介ということで,新1年生があちこちの部活動を見て回る姿が見られた。既に部員獲得競争が始まっているのだ。

 「SEVEN146号」着。平等院30円の欧文機械印が目を引く。最低値もお高いので案外安く落ちるかも。カバーでは水原氏が,沖縄富山印切手の富山氏に宛てた平等院円位24円と円位1円貼りの航空郵便。この貼り合わせはよく見るので,そんなに珍しいものではない。むしろ差出人と宛名が郵便史的に貴重なのではないか。55円旧まりも貼り重量便書留,いままで見たこの使用例の中で最も見栄えのするカバー,貫禄品。高くなりそう。3月27日(土)切手の博物館3階で行われた天野安治氏による講演「二重丸日付印研究ことはじめ」の資料一式が収友から送られてきた。内容は「1940〜50年代の二重丸日付印を中心とする日付印研究の歴史と今日的課題」ということであるが,レジュメを読んで概要をつかむことができた。このためだけに上京しようかと一時考えたが日程の調整がつかず断念。それだけにありがたい。「郵趣」の編集部から5月号の記事中私のサイトを紹介したいがどうかというメール。もちろん快諾した。

[戻る]

この日記は簡単ホームページ日記で作成されました。