03月31日

 今日も学校では,新しく赴任する先生方の引っ越しは続いているのだが,かねてよりの予定で母を連れて長崎市郊外へ。弟の新築の家の受け渡しの立ち会い日なのだ。弟が建てる最初の家になる。以前来たのはまだ何もない土地の時で,あの土地にこんな広い家ができるとはと思うほど。周囲にも何軒か新築の家が建っていたり,建築中の家があったり。太陽光発電,IHクッキングヒーターのシステムキッチン,電動シャッターなど電化システムの進化に驚く。花壇と家庭菜園用の土地があるので,植栽の手伝いをした。雨水をためて植木用の水に利用するシステムにも感心した。広さは,今いる官舎の3倍はあるかというものだった。4月2日引っ越しだが,お任せシステムを頼んでいるので手伝いは不要とのこと。私は出張で行けないが母は行くらしい。

 「スタンプコレクター」着。長野君の「猫に小判」,大郵連の話題が。写真図版「Philatelic Journal of UPL78」は,この種の雑誌の創刊号。一番隆盛の頃の象徴。この頃のメンバーはいまや郵趣界の中堅になってしまった感がある。東京中央の年間切手セットの注文が今日まで。金額は,2セット送料共で22000円強。一頃に比べて減ったようだが,それでも新切手1枚ずつ買って約11000円というのは,異常。ボストークアルバム1冊が2年分なのだ。ボストーク図入りアルバムは現在12巻だそうだが,手元にあるのは7巻まで。いつか整理しようと思うが,できないでいる。切手2セットは毎年購入しているのでどこかにあるはず。郵便局にいったついでに,お年玉シート20枚引き替えをしてくる。4等は後日郵送とのこと。結局昨年は引き替えそびれて,シートはヤフーで入手した苦い経験がある。「昭和切手蒐集」CD−ROM,スタンプショウはかた版の引き替え葉書到着。まだいくつか来てないうちの一つ。早速発送準備。料金改正でCD−ROMも冊子小包で送れるようになった。冊子小包扱いで印字切手の貼り合わせにして即日発送した。

03月30日

 会者定離の世の中,出会いあれば別れあり,朝から雨の中,校長と教頭の引っ越しの手伝いをする。雨脚は,引っ越しのときが一番強く,あたかも遣らずの雨のごとく降っていた。昼過ぎから次第に晴れ,夕方新教頭を迎える頃には晴れ間も。大勢でかかればあっという間に終わった引っ越しだった。その引っ越しの合間にチェック済み書類の訂正とロッカーや引き出しの中のプリント類の整理。シュレッダーが大活躍。小テストの束など各クラスボックスへ返却。新しい座席への引っ越しの準備が着々と進みつつある。古いしがらみを捨てて新しい気持ちでいこうという気分になる。

 「国分郵趣」到着。九州郵趣連盟加盟団体の国分郵趣会の機関誌である。鹿児島の赤崎理事の編集で,早速全日展九州地方審査の結果が掲載されていた。九州新幹線の話題も。写真を多用し,カラー印刷の立派なものである。編集者の情熱がなければできない誌面作り。

03月29日

 午前中会議,午後職員会議,そのあと教科会。合間に離島から赴任してくる先生宅へ挨拶。机の片づけ。書類の整理。

 「全日本郵趣」着。「郵趣」4月号着。「郵趣ウィークリー」着。スタンプシバタオークション落札品着。今日の会議で新年度の私の仕事内容が決まってきた。今年も全日展の参観が叶いそう。昨年は忙しい中,授賞式のため上京したのであるが。

03月28日

 昨日充分休養をとったので,海を渡って熊本へ。熊本城の二の丸公園は咲き始めた桜を目当てに大勢の行楽客で賑わっていた。満開らしき桜とまだ三分咲きといった風情の桜があるのは,品種の違いによるものなのか,日当たりの差によるものなのか。熊本のコンピュータウンでパソコンのサプライ品を購入。上通りで熊本市内の大学に4月から通う卒業生に会う。帰り,長州港へは,県道1号線,峠の茶屋経由で帰るが地図では三角形の1辺だが,とんでもない高低差とこまかなカーブの連続があり,おとなしく三角形の2辺を帰ればよかったと後悔。長州港でも卒業生から挨拶される。のんびりとした1日だった。

 昨日のヤフーオークション「見てない万束」,1次昭和50銭44000円を筆頭に,1次昭和3銭の30600円まで,軒並み4万円以上のものばかり。尤もこれは昭和だけであるが。1次新昭和1円や田沢でもっと高くなったものがありそうだが,最後まで確認はしていない。ご本人からのコメントが楽しみだ。フロアさながらのリアルタイムの競りは熱かった。「見てない」という魔力か。この結果が今後の取り引きの基準になるのだろうか。それにしてもこの「見てない」束の中身どんな内訳なのだろう。これを分析するだけで1本の記事が書けそう。誰か挑戦される方はおられないのだろうか。私はとてもそんな時間はとれそうにない。

03月27日

 久しぶりに家でゆったりと過ごす。たまっていたTV番組を見たり,ハードディスクからDVDに残したり普段できないことをする。パソコンでTV録画するようになって快適になったことは,メインのパソコンであるRZ71をビデオサーバーにして,無線LAN経由で番組が見れること。54Mのgタイプなのでコマ落ちすることなく見ることができる。高校時代の恩師よりメール。1月に発表した分が,県のメディア研究会の機関誌「高視研」に掲載され(県下全ての高校に配布される),その感想。長崎新聞に春高バレーの記事が特集。優勝チームは来年度予選免除で出場とのこと。ということは長崎ゆめ総体の再現−大村工業と佐世保南との夢の対戦−が見られるかもしれない。女子バレー優勝の九州文化学園は,県外からの選手もいると聞くが,佐世保南は県内出身の選手ばかりだ。連覇が続けば全国から選手が集まるだろう。既に国見高校がそうであるように。江戸時代の長崎遊学の人材が次代をつくっていったように,今後はスポーツ分野で長崎遊学の時代が到来するかもしれない。

 「切手研究」到着。422・423合併号。「在横浜ペィル兄弟洋菓子店」(小林彰)の記事は労作だ。1870年代のフランス局経由の郵便物をもとにフランスまで足を運び,たんねんに調べ上げたもの。1通の封筒をもとに現地の子孫との対面は,アレックスヘイリーの「ルーツ」を彷彿とさせる感動的なものであった。もう少し内容をふくらませて,一般の人にもわかる平易な言葉で書き,1冊の本にまとめれば充分ノンフィクションとして,一般の人が読むに耐える内容だと感じた。郵便史に関心を持つ人必読の書である。参考までに入手方法を。振替貯金口座00110−1−56531番 切手研究会(西村壽一郎) 本号のみ1300円(〒160円),年間4000円(〒共)。
 夕方からの「見てない万束」の1連のヤフオク出品物はすごかった。延長の続出で終了したのは19時過ぎ。詳しくはまた明日。


 

03月26日

 今日も,ふだん通り通勤。90分の自学を2コマ。終了後,掃除SHR。分掌の引き継ぎ書類と引き継ぎファイルの整理。部活動の新聞部の過去の「島高新聞」の整理。昭和20年代から今年3月180号までを3部抜き出してファイル。新聞部閲覧用,同窓会閲覧用寄贈分,校長室閲覧用だ。私の在学中からの分は個人的に1部増やして4部抜き出す。初めて気付いたことは,高校3年の時の文化祭で1教室借り切って切手展をしたときの号に私の名前が掲載されていたこと。妹は高総体剣道でベスト8の記事があるのは知っていたが,自分の分は気付かなかった。結局,ぼろぼろに劣化していた号はビニール袋に1号分の束を入れ,それを50号ずつクラフト紙でくるみ外気にふれさせないという方法で長期保存に耐えられるように処理した。なんのことはない,エンタイアの整理と同じ事である。古い写真は校史編纂室に移管した。この部屋には改築工事後初めて入ったが,ショウケースには,特に珍しいものではないが,田沢型2銭切手を貼った封筒も展示してあった。結局6時近くまでかかって整理を終えた。新年度の準備が着々と進みつつある。
 春の高校バレー,長崎県勢がアベック優勝とのニュース。バレーボール・全国高校選抜優勝大会最終日男女の決勝が行われ,男子は高校総体準優勝で25年ぶり出場の佐世保南が,ブロックと速攻により東北(宮城)を破り初優勝とのこと。昨年の高校総体男子決勝は,大村工業との同県対決に破れ準優勝だった。長崎ゆめ総体は地元枠で準優勝の佐世保南も出場でき,大会史上初の同県同士の決勝。専門部委員長を本校の校長が務めたため,島原の復興アリーナであったのだ。私も広報の係で1回戦からビデオをとり続けることができた。それを編集してDVDとCD−ROM写真集の2枚組を作らなければならないのだが,CD−ROMは1000枚プレス完了,DVDはまだである。明日もまた編集である。DVテープ30本近くを2時間に編集というのは気が遠くなる作業である。
 アベック優勝の秘訣は,県のスポーツ対策事業を受け,中高の指導者が勉強会を行い,連携して好素材を拾い上げて,地区レベルから全県レベルへと選抜チームを集約しながら育ててきた“長崎方式”が実を結んだものである。男子バレーでいうと大村工業と佐世保南の2校に好選手を集め競わせるのだ。北島監督率いる佐世保南高校とは前任校時代対戦したことがある。県内で最も小さい高校であったが,監督が所用で出れない,そこで3年のみのチームということもあり3年の学年主任の私が監督として試合に出る羽目になったのだ。全く素人なので,選手交代・タイムの指示はキャプテンがコートから出すというものであった。もちろんストレート負けだが決して一方的な試合でなく,あるセットでは13点取ったのを記憶している。その姿を見て感動し涙が出た。試合終了後それぞれの相手チームに監督から言葉があるのだが,私は「頑張って優勝してください」といったような記憶がある。貴重な体験をさせてもらった。選手たちも,あの北島監督からお世辞にせよ「富江高校は強いチームだ」と言ってもらえたと感激していた。このときは大村工業に佐世保南は負けた。県内で勝つことが全国大会で勝つことよりも難しいという状況だったのだ。その大村工業も全国大会では岡谷工業に負け続け,昨年宿敵岡谷工業を敗り,決勝では佐世保南を敗って全国の頂点に。しかし今回は佐世保南に県大会で負け,勝った佐世保南が今度は全国の頂点にという構図。
 今日,ニュースステーション最終回。久米宏のビールで乾杯のシーンが見れた。

 昨日到着の鳴美「たんぶるぽすと」。岡藤氏の丁寧な記事興味深く読ませてもらった。高馬さんの記事,切手商サイドからの視点いつもながら面白い。

 

03月25日

 早朝補習はないが,いつも通り出勤。登校自学が3月は明日までの2日間。4月は5・6日の2日間。平行してひたすら書類作成。19時過ぎに帰宅。

 Japanese Philatelists到着。国際切手展出品者の会会報だ。Volume.2No.1である。佐藤浩一氏の「『5フレーム』から『8フレーム』へ」という記事が興味深かった。タスマニアとハイデラバードの作品を例に実践的な内容の記事で現在の私に大いなる示唆を与えるものだった。

03月24日

 終業式の日である。いよいよこの教室でこの生徒たちと過ごす日も(春休み期間中4日の登校自学があり顔を会わせるのだが公式的には)今日で最後である。大掃除のあと,終業式・離任式。離任式には卒業生も百人以上来ていたようだ。A君もN先生の転勤を知り,長崎から来たとのこと。最後のHRでは,クラスの生徒たちが一人一言書いてくれた色紙の贈呈を受ける。締めとして2004年3月下旬,この瞬間に相応しい曲「桜」(川口恭吾)を歌う。初めはあまりのミスマッチに大爆笑だったが,最後はしんみり聴き入ってくれた。放課後合唱部の指導にきていた卒業生から「桜,歌ったそうですね。ある意味涙が出たといっていましたよ」と言われた。合唱部(百人以上の大所帯)で話題になったそうだ。別の卒業生からも後で同趣旨のメールをもらう。長崎の「リクエスト」のマスターの企画が大当たりとなった。先日指南を受けてきていたのだ,今年のこの時期に最も相応しい曲として。明後日提出の諸帳簿の見通しがつくまで仕事をする。20時過ぎ帰宅。

 スタンプシバタオークションから「受け付けました」のメール。親切だ。安心だ。さて,今後は,まず山積している机上の整理をして,切手のことを考える時間を創っていきたい。たとえ毎日1時間でもそんな至福の時間を創っていくのが,趣味に生きるということだろう。

03月23日

 早朝補習の後,海を渡り日本郵政公社九州支社へ。民営化後初の訪問である。九州郵趣連盟の理事会があったのだが,都合で日帰りのため,午前中に私だけが全日本切手展2004の九州地区予選の審査をする。本来明日の審査なのだ。「切手蒐集CD−ROM」を出品しようとしたが,全日展では電子出版物は受け付けていないとのこと。初めて知った。帰りの便の都合で会議を途中抜け出して,熊本港へ。途中郵政公社九州支社の向かいにある熊本城の桜がほころび始めているのに気付く。なんとか夕方の送別会に間に合った。昨夜から今朝にかけて作った退職記念祝賀会のDVDの2本目もなんとか間に合って手渡しできた。N氏とも今日で最後になるが,昨日の飲み過ぎのため具合が悪いとのことで早速と帰宅され,別の先輩の先生と2軒ほど。その後おとなしく帰る。

 帰宅後,フェリーの中でチェックしておいたスタンプシバタオークションの応札をメールで行う。

03月22日

 ここ2・3日ほど肌寒い。暑さ寒さも彼岸までの諺の通りこれから春に向かっていくのだろう。明日は分刻みのスケジュールになりそう。

 JPSオークション誌着。スタンプシバタオークションから,Eメールで明日締め切りの連絡。仕事がたて込んでいると忘れがちになるのでありがたい。「郵趣ウィークリー」着。SEVEN,入札した2通のうちの1通めでたく落札され到着。

03月21日

 昨日から制作していたDVDが一つ完成。手順は簡単なカットによるビデオ編集後,DVD編集ソフトに取り込みチャプターを決める。メニュー画面のデザインをして最初DVD+RWに焼いて確認,よければDVD+Rに焼いてできあがり。盤面のデザインとパッケージのデザインとを,パーソナル編集長で作り,印刷して完成。10時から自治会の年度総会。役員改選で体育班長に。総会後懇話会だが,長崎郵趣会に行くため12時前に抜け出した。13時20分頃長崎中央郵便局着。会が終了後喫茶店へ。15時過ぎに長崎を出る。18時から大野地区6自治会の新旧体育班長の役員打合会。地元の寿司「かあちゃん」で。バレーボール大会,ソフトボール大会,町民体育祭の選手集めが主な仕事らしい。少年相撲大会と水泳大会は学校側で選手を決めてくれるらしい。メンバーは意外にもどこかで接点がある人が多かったが,考えてみればそれも地元ゆえ。父や母が担任だったという人たちや弟を良く知る人たち,いろんな職業の中に同業の人もおり,意外な発見もあった。今日だけで3つの会合に出席したことになる。

 長崎郵趣会。九州郵趣家のつどい佐賀大会が話題になる。関さんが立正大学の図書館から見つけてきたという郵便路線図の肥前のページのコピー発行が明治21年8月31日。5月時点のものを丸一印使用前日に発行したものだ。朝鮮の元山,仁川との不定期航路が対馬にあるのもわかり,さらにその長崎への幸便による月4回の便もあったことがわかる。例のカバーの謎が解けるかもしれませんよ,DOCTOR♪。

03月20日

 今日は春分の日。さすがに今日は土曜講座もない。ゆっくり起きて,たまっているビデオ編集を。午後からはこれまたたまっている年度末の提出諸帳簿の作成のため,職場へ。同じような人がたくさんいた,学級担任の先生が多いけれど。提出スケジュールを確認して優先順位をつける。終業式後の25日が勝負の日になるだろう。最近乗る機会が少ないBEETで出かけるが,あまりに汚いのでミラコンワックス洗車してもらう。給油も。今日はまた,彼岸の中日ということで,夕方弟家族が墓参を兼ねやってきた。刺身・寿司が旨いと評判の「彦八寿司」に予約をとろうとしたが,既に一杯。配達はするというので,家にもってきてもらう。中学・高校と同級生の店主自ら持ってきてくれた。夜10時過ぎに帰っていった。弟家族が長崎に建築中の家ももうすぐ完成らしい。

 切手の方は,ここ数年整理の方が追いついていない。最近1次昭和25銭のKYOBASHI欧文ローラ消を発掘。すっかり忘れていて,なんだか得した気分。覚えていたなら昨年の作品や一昨年の作品にも使っていたはず。1回全部整理してすっきりしたいが,そうはいかぬのが,浮世の義理。時間は作るものというのはわかっているが,あぁ時間がほしい。

03月19日

 いくつかのクラスで本年度最後の授業を行う。もうそんな時期なのだ。午後内示。放課後,卒業生のA君と友人2人と近くの食堂で食事の約束をしており,5時半に学校を出る。A君とは放送部で2年間付き合いのあった一番親しい生徒である。友人2人も弓道で高総体団体優勝のメンバーで,3年間放課後の部活動をしており,決して勉強ばかりしていたわけではない。校是である「文武両道」を体現してくれた3人である。A君が明日長崎へ引っ越しをするそうで,ぜひとも私と食事をしたいと誘われたのだ。あと2人は東大の文Tと文Vにそれぞれ合格したのだが,文Vに受かったH君は,迷った結果中央大法学部に進学を決めたとのこと。私の後輩になるというわけだ。この3人は昨年度古典を教えたが,同じくらいの成績。県内でもトップクラスだった。A君は大学卒業後の進路も決めているので,地元の大学を受験したが,ボーダーを大幅に上まわって余裕の合格。3人とも能力は高いし,自分の世界を持っており,誰からも好かれるタイプの人物である。21世紀のリーダーたるに相応しい人材であるといえる。このようなすばらしい生徒に関われるのが教員の醍醐味。国語科の大先輩であるN氏も誘ったが所用のため来れないとのこと。会場は「海音」,ここはボリュームがあり値段も安い。入口に学生の店と書いてあるとおり学割料金が設定され,普段は本校生であふれているので,なかなか1人では入れない雰囲気。昼食の出前では何度もお世話になっているが実際店に入るのは初めて。途中何人もの2年生がきて軽く挨拶する。4人で食べているとN氏の友人T氏が。「花」でよく会う某大病院の事務長だ。この人も本校の卒業生だが,面白い経歴の人で東宝のプロデューサーとして芸能界に長くいたという人。現在兄の経営する病院の事務長としてこちらに単身赴任中の身。家族は東京。しばらくしてN氏も登場。N氏も単身赴任中で,よくここで会うとはA君から聞いていた。結局途中から合流してT氏の面白い話を充分に聞かせてもらった。本校勤務が長いN氏によると東大は毎年入っているが,現役合格は文U文Vが多くて,現役で文Tは久しぶりではないかということだ。最後の方は店の主人も話しに加わったが,今年の卒業生ほど合格の報告に来てくれた学年はないとのこと。すっかり長居をしてしまったが,「花」が開く時間に別れた。N氏T氏はその後「花」へ。自転車できていない2人を車で送って帰る。

 九州郵趣連盟事務局長からメール,「昭和切手蒐集」CD−ROMを全日本切手展2004に出品しませんかとの誘い。来年と思っていたが,今年でもいいかもしれない。考えてみよう。アクセスカウンター7777達成。 

03月18日

 研究授業が無事終了した。N氏から合評会を兼ねて行こうかという誘いがあった。1次会は「鳥善」。焼き鳥は苦手なのだがそれ以外を注文する。週末は入りきれないほどの賑わいなのに客がいない。23歳以下(U23)で争う男子サッカーのアテネ五輪アジア最終予選B組,日本がアラブ首長国連邦(UAE)と戦う試合があるからだ。すでに試合は始まっていた。県民はこぞって家でTVを見ているのであろう。平山(国見高)、大久保(セ大阪)の国見高校出身の2人が出ているからだ。前半1点の後,同41分,後半2分には,大久保が追加点を奪った。この「鳥善」,島原に大久保が来たときには必ず立ち寄る店とのことで,大久保を個人的によく知る女将さんも喜んでいた。合計3点取り試合の流れが決まったところで店を出て,「花」へ。二人で歌っていると同じ職場の別の流れの人たちが合流。明日の内示を控えいろんな分掌,教科の送別会が行われているらしい。成績は,96点を2曲出すも,記録更新に至らず。24時過ぎ代行運転で帰る。もちろん研究授業については国語科の大先輩であるN氏から有益な助言もいただいた。

 SEVENの入札,Web上で確認できたが,予想通り高値。もう1点も同様だろう。

03月17日

 早朝補習も来週まで。ということは,来週から春休みということだ。また忙しい日々が始まる。尤も今がもっと忙しいのであるが。年度末を迎え,するべき仕事が山積なのだ。今度の土日は出勤になりそう。でも今は明日の研究授業のことである。他教科の先生方からも見に行きますよと声をかけていただいた。最も重要なのはその授業でどんな力(学力)をつけてやれたかである。この1点がぼやけると散漫な授業となる。パソコンやインターネットはそのための手段であり目的ではないということを肝に銘じておこう。

 JPS正会員報着。裏にキヨソネに関する本が出るとのこと。落ち着いてから申し込もうと思う。

03月16日

 早朝,通勤途中見る雲仙の山々は,もうすっかり春の風情。早朝補習・1校時授業の後,スポーツテスト・体力測定。その後個人写真撮影。明日は,1年生がこの日程。昨日の疲れのため18時過ぎと早めに帰宅。

 「九州郵趣」着。そういえば早く原稿を送らないと。今はとにかく木曜日の研究授業のことで頭がいっぱいである。

03月15日

 早朝補習から始まる1日。本日予定されていた研究授業は,学校行事のため木曜日に延期。夕方第2学年の年度末学年会。深江町の「石川屋」にて。他学年はそれぞれ別の会場で。N氏とは学年が異なるため,誘惑されることなく無事帰着,22時,運転代行業者の運転で。

 朝,SEVENにメール入札。ここもやはり狙ったものは高くなる傾向。ダメだろうが一応入札,といっても最低値の10倍以上だが,最低値が参考にもならないぐらい安すぎるのだ。「郵趣ウィークリー」着。

03月14日

 昨夜というか今朝の4時までスナック「リクエスト」にいたおかげで,10時過ぎまで寝ていた。チェックアウトは11時前。やや二日酔い気味。ビール・赤と白のワイン・ウィスキー・ブランディー・焼酎とあらゆるアルコールを10時間かけて飲んだことになる。昼は知人と食事。帰宅後,地区の自治会長さんがみえられて,来年度の体育委員長を引き受けてほしいとのこと。ソフトボール・バレーボール・町民体育祭の選手決めや練習の日程等調整する役との説明。私の年代でやっていないのは私だけで,年齢順でやるものらしい。掟ならば仕方ないと言うことで承諾する。今年度班長の仕事がやっと終わったと思ったら,新しい仕事が。

 昨日到着していた「スタンプシバタオークション」。すぐ長崎に出発したのですっかり忘れていた。まず結果分析から。先月9日の日記で書いていた10円観音コイルの鉄郵,調整で7万。1字円位55円まりもの鉄郵,調整で81500円。現行は未だに単片満月が人気らしい。今月は昭和の為替印外地消が散見。また高くなるのだろうか。文化人の鉄郵消,8円額面の記念特殊切手機械印満月も気になるところ。

03月13日

 土曜講座。午前中の授業だが,終了後も自宅学習期間中の課題の点検等があり,3時過ぎに帰る。準備をして,長崎へ。長崎県の高文連放送専門部の勇退記念の集いが長崎であるのだ。わかりやすく言えば,放送部の顧問の退職記念の祝賀会である。今年は長崎県の放送部の隆盛の基礎を作っていただいた方のご退職ということで,県下から70名弱の出席。私も特に,天野・原両先生方の薫陶を受けた一人であるので何をさておいても参加した次第。2次会天野先生の行きつけ「プチマダム陽子」22名。3次会「ラストチャンス」13名。4次会私の行きつけ「リクエスト」4名。元ミュージシャンのマスターからカラオケの教授を受ける。ホテル帰着28時。

 ここ2日間ピナテールのことを書いていたら,宿泊ホテルは「トレディアホテル出島」。長崎版出島切手の右上の海上に位置する。祝宴会場は,「ワシントンホテル」長崎版出島切手の左上の海上に位置する。必然的に出島内を渡っていくことになる。ピナテール旧宅(海江田病院跡地)とおぼしきあたりは,工事中だった。

03月12日

 高校入試事務の日。生徒は今日まで自宅学習である。粛々と業務を遂行する。夕方,月曜日に行う研究授業の学習指導案を完成させた。印刷まで完了。明日は土曜講座。久しぶりにクラスの生徒とも会う。剣道部の3人は鹿児島の試合に出場だと顧問と生徒から連絡をもらう。午後から長崎へ。そのまま長崎泊。

 「長崎の港の岸を歩みゐるピナテールこそあはれなりしか」。山高帽子に羊羹色のフロックを着て,トボトボと死に別れた遊女の面影を求め,出島の地を歩いていた姿を斎藤茂吉が詠んだ歌である。私の所持する7通は,一番古いのが1869年,新しいのが1879年と10年間にわたるものであるが,郵趣的には激動の10年間であった。なぜならば,1871年郵便創業,1875年外国郵便開始,1877年万国郵便連合(UPU)加盟という大きな事件をはさむ時期だからだ。UPU加盟によって在日英国局・在日仏国局は順次撤退していくことになる。

03月11日

 高校入試2日目。業務を粛々と遂行する。昨日東大前期の発表で2名合格。お茶の水・東工大も合格。明日まで生徒は登校せず家庭学習。土曜日に登校する。土曜日は退職記念祝賀会で長崎泊の予定。

 最近入手したピナテールのカバー7通目。1870年のフランス切手貼。フランス切手貼は3通目。あと4通はイギリス切手貼である。ピナテールは斎藤茂吉が長崎医専の教授として単身赴任してきた頃まで存命中で,丸山遊女との悲恋は当時でも周知であり,斎藤茂吉も短歌に詠んでいる。没後出島にあった洋館は売却され購入したのは海江田氏の御尊父。遺品は売り立てられ,ミカン箱1杯の書簡集は長崎書店の片隅で長く埋もれることとなる。発見者は当時エンタイア類を探して全国を回っていた吉田一郎。驚喜し,1ヶ月嬉野温泉で豪遊したとのエピソード。海江田氏は九州郵趣連盟の長崎県の理事を長く務められ理事長もされた方で,私の前任者の方である。ミカン箱一杯のカバー類は今では全国の郵趣家のアルバムに収められ,あるいは切手商のストックになり,たまに市場に出てくるだけである。書籍に記録された名品も数多い。逆にある程度数が存在するからこそ入手の機会も多いが,日本の外国郵便前史を語るときには欠かせないものである。また,長崎の郷土史に興味を持つ人の間でもピナテールの名前は記憶されており,熱心な研究家もいらっしゃる。

 

03月10日

 高校入試1日目。無事終了。18時30分から布津町の「君の名は」で国語科の年度末の食事会。2次会は例のごとくN氏の誘惑にやすやすとのって,スナック「花」へ。Mさんも一緒。前回の96点は超えられないが,ゾロ目賞,55・66・77点でドリンク3本ゲット。お帰りは27時。

 「語ろう板」で懐かしきK氏の話題が。お元気そうで安心する。「今も続いている連中」の表現中気になる表現があったが,「一番の心配ごとは頭の髪の毛の残り具合」が私に該当しないので,きっともうひとりの人のことをいっているのだろうということにしておく。

03月09日

 早朝補習通勤時,雲仙の山々には雪が朝日に煌めいている。1校時授業。その後入試会場の設営・大掃除。新しく改築になったばかりの北校舎だが,この校舎は私が在学中完成し,3年時に最初に使った学年である。私が28回生で今年卒業した3年生が56回生なので,28年ぶりの改築ということになる。午後から成績単票の最後の仕上げ。教務提出用のFDが午後4時からみつからず,もっているであろう人物を捜し求め,6時過ぎに発見入力し,今日の仕事は完了。明日から,長崎県では公立高校の入試。今度生徒達に会うのは13日の土曜講座ということになる。それまでの課題を出してある。

 日専関連地域カタログとともに,北九州切手の集いの際,アオヤマスタンプで買ってきた「新・世界切手地図」と「世界・切手国めぐり」。郵便史の分野でもガイドブックになる。例えば,最近入手したパレスチナのテルアビブ宛の1940年のカバー。パレスチナは英国の委任・信託統治領として1918年から切手を発行しており,これが1948年のイスラエル建国まで続く。このカバー1940年当時には珍しく,香港とエジプトのカイロ,到着印と思われるパレスチナの印,それに香港での検閲シール,パレスチナでの検閲印と興味深いマテリアル。さてこのカバーどのようにアルバムに整理しようか。

03月08日

 また,1週間が始まる。早朝補習も今週は明日まで。明後日からは,高校入試のため生徒は自宅学習なのだ。大学入試2次試験の合格発表があり,合格した生徒が何人も挨拶に来た。九州大と鹿児島大,長崎大,長崎シーボルト大等。2年生の時古典を主に教えただけだが,わざわざお礼を言いにくるとは,やはり島高生である。素敵な生徒達だ。東大・お茶の水大の発表は後日らしい。成績単票提出は明日。ほぼ完成。19時前に帰宅。

 「郵趣ウィークリー」着。月曜は郵便物も多い。「日専 日本関連地域専門カタログ2004」を見る。最近南方占領地のマテリアルが豊富に出てくるようになった。専門に集める気はないが,昭和切手と使用が重なる部分が多いため,興味はあった。最初郵便史で使えるかと使用例のみの興味だったが,無目打プルーフ等魅力的なマテリアルも興味をそそる。また正刷切手の中には,昭和切手と同じく内閣銘を持つものもあり,もう一つの昭和切手と呼びたくなるものもある。いつかこの時期の郵便史作品のために活用したい。 

03月07日

 ゆっくり起きて,家の中で過ごす。新聞を取りに行くとき外に出たのみだが,今日も雪が降ったらしい。授業で使うビデオをDVDにする。学校の図書館のビデオキャビネットの中に鎮座しているビデオを授業のステージに上げてやろうというのだ。

 昼からは郵趣文献を見る。「北九州切手のつどい‘04」で知り合った永冨さんの「津田沼徒然草」楽しく読ませていただいた。本職の転勤で北九州に来られたとのことである。46・47号には,JAPEX2003でベストワンフレーム賞の長野氏の「北海道の記番印」が紹介されていた。「受取所」入りの丸一印の特集も興味深かった。
 再びマサトさんの切手収集日記に「旧毛のアメリカ船内局カバー(中略)、アルバムの最終ページに納めることに決める。書き込みの参考資料は純英さんの『昭和切手蒐集』。Postmarks of Foreign Country ―U.S.Ship Post・・・まんまパクリである。」と書いていただいた。 CD−ROMで確認すると,<PHILA NIPPON91>の74・75リーフの書き込みのことらしい。この当時書き込みはワープロのOASYSでやっていた。印字は熱転写リボンでやっていたのですぐ無くなっていたような記憶がある。なかなか位置決めも難しく,74・75リーフもよく見ると,上の線はリーフ上に重なっているが,下の線は1.5マスほど上にずれている。今から13年前の仕事である。
 21時からのNHKスペシャル。旧友の出演は,21時51分頃。1時間のDVDにしたので,記念に贈ろうと思う。メニューにチャプターをつけるのもうまくなった。

03月06日

 今日も新聞を取りに行くとき,北風が冷たかった。通勤途中雲仙に雪が大量に降っているのをみて,なるほどと納得。土曜講座1校時目に雨が雪に変わり,3校時には本格的に雪に。14時前に帰宅。メールチェックをしていると,大学郵趣連盟時代,菊切手ですばらしコレクションを作り上げられていた方から連絡が。NHK総合テレビ 放映3月7日(日) 21:00−22:00「NHKスペシャル フリーター417万人の衝撃」に出演とのこと。最近は葉書やメールでしか連絡を取りあっていないが,昔の知人が活躍する姿をみると元気づけられる。

 JAPANスタンプの落札物の整理。といってもアルバムリーフに整理するのはまだ先の話。

03月05日

 昨日「JAPANスタンプの落札物はまだ届かない」と書いたが,朝出がけに宅配便の配達。午前7時頃である。とりあえず開けるが,ゆっくり見ていると,早朝補習に間に合わないので,帰宅後の楽しみとする。再来週の研究授業で,教室のPCとインターネットを活用した授業を提案する。現在全普通教室と,特別教室にこの環境が整備されたが,充分な活用がなされているとは言い難い。今日プロジェクターとスクリーンを持ち込み,試行してみた。スクリーンは黒板にマグネットで吸着するタイプで,プロジェクターと一緒に一人で運べる。あとは,確認用の教科書1冊と,授業の頭で使う国語科通信。それに授業の展開で使用するリンク集を入れたFD1枚。授業で必要な図や学習サイトをハイパーリンクさせた文書をワードで作り,保存でWeb形式を選べば完了。授業後教室のPCに「古典」のフォルダを作り,コピーしておけば復習もできる。本番ではDVDビデオとの連動で「史記」の「四面楚歌・項王の最期」の場面を行う予定。放課後職員会議。学年末の計算枠はできたが,平常点計算の前提である提出物をあと1日待ってみよう。

 「タカハシスタンプオークション」着。まだまだ昭和切手の出品は続く。「たんぶるぽすと」着。高馬さんの記事は面白い。記事中第1世代の蒐集家に属するといわれている柳原さんから譲っていただいた田沢時代の銘版。最後の残り物を一括していただいた。大阪時代毎月の20万の返済だったが,無茶ができたのも若さ故か。JAPANスタンプの落札物,ほんとにいいものばかり,大満足である。マサトさんの切手収集日記で「純英さんの収穫は如何?昭和切手は『一応入札』とのことだったが。(3.4)」と書いていただいたが,昭和切手については私の入札値は到底お呼びじゃない落札値。長崎の外国郵便は2月の21日の日記に書いたもののみ。これも出がけに配達され,1便遅らせて見た。また,「ナイショのDOCTOR's DIARY♪ 」でも,「2004年3月4日(木)新しいWEB切手展サイト/ スミヒデさんのサイトからというリンクをクリックすると、非常に緻密な郵便史の作品に定評がある「足して10」さんのサイトにジャンプ。」と紹介していただいた。おかげで,猛烈なアクセス数。「掛けて『21」世紀』をリードするK氏への期待は大きい。

03月04日

 ここ数日寒いと思っていたら,雲仙に雪が降っていた。中腹まで雪山である。来週から高校入試。授業は火曜日の1校時まで,その後は再来週の月曜日。その日が私の研究授業。いままで行っているものの他に何か新しい提言をしようと考えている。空き時間を利用して,エクセルで学年末の成績処理の計算表を各クラスごと,現代文・古典ごとに作成する。これで,3学期の平常点を入力すれば,自動的に1学期から3学期まで通した学年の成績が出る。教員になった20年ほど前はこれを全て手作業でやっていたのだから,随分楽になったはずなのだが…。現在の懸案事項はビデオ編集。ゆめ総体男子バレーボールのDVD,校長・事務長の退職祝賀会のDVD,同窓会総会のDVD,卒業式のDVDである。プレミアで編集後書き込むのだが,その編集がまとまった時間がないとできない。

 「日本フィラテリックセンターオークション」カタログ到着。JAPANスタンプの落札物はまだ届かない。

03月03日

 紅梅も花びらが庭にたくさん落ち始めた。風が冷たい1日だった。水曜日も過密スケジュール。5/8。放課後職員会議。慌ただしい火曜・水曜が過ぎ,今週のヤマは乗り切った。木・金の2日で複雑な学年末の成績単票作成。

 このところ21世紀をリードするK氏とメールのやりとりをしている。やっとご本人の承諾を得たので,HPの紹介をしたい。この構想は,昨年のJAPEX2003の折り,会場近くの喫茶店で,T氏と3人で話した際聞かせて貰った話の実践(実験?)である。「この他にも賛同者の方をつのり,次々と出品数を増やし,将来的にはいつでも参観できる,e-PEXの会場としたいと思います.今はその下準備の段階で,暫定的にしばらく公開し,その使い勝手などを考えてみたいと思います.」とのご本人の弁。「実験的に昨年秋くらいから公開中です.他にも図版を多数用いたいので,容量の大きなホームページに移転してから全体を正式発表のつもりですから,あまり色々な人には教えていませんでした.全日展2004の先行発表を兼ねて(要するにコピーを差し上げる代わりに),何人かの人にURLを連絡しているところです.」ということだそうだ。
 http://www.rs.kagu.sut.ac.jp/namiok/files_for_PDF/E_PEX.htm
を見よ。TOPページからもリンクを張ったので,デザインを変えてみた。イラストはココアさん。

03月02日

 吹く風が冷たい1日だった。白梅も花びらが散り庭に落ちていた。紅梅はまだ咲いている。今日から終業式まで再び,早朝補習。火曜日が一番の過密スケジュール。6/8。放課後会議。その後,上田歯科に定期検診に。1ヶ月に1度が基本なのだが,忙しいと2ヶ月に1度になってしまう。

 「フィラ関西」着。安藤さんの旧小3銭記番印消しの記事と,震災切手の初期使用チェックリストは興味深かった。

03月01日

 卒業式。今年は両サイドにプロジェクターを置いて,授与の際の本人の顔を映すという趣向を凝らしてみた。開始時,軽いどよめきが保護者席から上がったとのこと。式後,何人もの生徒が挨拶にやって来る。その際,卒業アルバムに一言書いてくれとのことで書く。6時過ぎまで職員室で。その後卒業記念祝賀会へ。会の終了後,再び誘いが。またしてもN氏と「スナック花」へ。「True love〜ギター弾き語りバージョン」で96点を出す。店内に張り出される。やはりスローバラードが高得点になるようだ。明日から早朝補習開始なので,なんとか12時には家に帰り着く。

 「全日本郵趣」着。スタンプシバタオークション不落札通知・結果表到着。

[戻る]

この日記は簡単ホームページ日記で作成されました。