02月29日

 春暁  孟浩然
 春眠不覚暁  処処聞啼鳥  夜来風雨声  花落知多少

 春暁(しゅんぎょう)  孟浩然(もうこうねん)
 春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚(おぼ)えず   処処(しょしょ)に啼鳥(ていちょう)を聞(き)く  夜来(やらい)風雨(ふうう)の声(こえ)  花(はな)落(お)つること知(し)んぬ多少(たしょう)ぞ

 春眠るのはとても気持ちがいい。夜の明けるのもわからないぐらいだ。すっかり寝過ごして,目覚めると,あちらこちらで鳥のさえずりが聞こえてくる。夜が明けたのだ。それにしても,昨晩,雨風の音が激しかった。春の嵐に,庭の花々はどれほど散ったことだろうか。

 閏年なので4年に1度の2月29日,1日得した気分。昨日夜帰るとき,風雨がすごかった。8時30分にホテルの1Fレストランで無料のモーニングセット(パンとジュース・コーヒー)をY先生と食べる。熊本に昨年泊まったときも,同様のサービスがあったが,全国的な傾向なのだろうか。これで宿泊費4200円は安い(駐車代別途500円)。9時に出発し自宅まで送ってもらった。家に着くと昨夜の風で植木鉢がいくつも倒れていた。白梅の花もだいぶ散っていたが,不思議なことに紅梅はほとんど散っていない。夕方町議会議員選挙の投票に行く。今年島原市に吸収合併されるので,最後の町議選。散歩がてら役場まで歩いて行った。帰り役場の斜め向かいにある「有明ショッピングセンター」に寄る。ここは消費税を取らないことで有名。またあらゆるものが定価の2割引程度。建物は私が中学生の頃,取り壊しになった小学校の木造校舎の廃材で作ったというだけあって見栄えはしないが,地元の人の間ではよく利用されているらしい。夕食前でつい食品を買い込んでしまった。私の好物地元名産「うに豆」が定価350円のところ,なんと258円だった。今までの最安値は280円なのでかなりお得。
 さて,遅ればせながら今日「ラストサムライ」を見た。時代が1876年から1877年ということで,私の「長崎の外国郵便」と重なる時代で,それだけで作品世界に入っていけた。時代考証とか,ロケ地がニュージーランドで違和感を覚えるという意見もあるが,それは枝葉末節。事実の断片を紡いで虚構世界を創り出し,真実(=伝えたいもの)に到達できたかが問題。その意味で私には充分楽しめたし,現代の日本に欠けているものが何かを ,再認識させてくれた。

 今日もまたヤフオクサーフィン。あまり執着しなかったが,千葉の海馬さんにまた負けてしまった。飽く事なき情熱には恐れ入る。また今週の1品に載るのだろうか。また「本物色々」さんの出品も本日締め切り。たまたま今日見てつい入札したら落ちてきた。ヤフオクでも一人勝ちか。今回は今日の分だけでも,早速送金することにしよう。いつもお世話になります,Tさん。

02月28日

 土曜講座である。朝会がなく,8:35授業開始なので8時過ぎに出る。65分授業で15分休み。12:20終了,掃除して,SHRで下校という日程。授業を答案返却でつぶすのは時間がもったいないため,この65分の時間中に現代文・古典の答案を返し,その後古文の問題演習一つ仕上げる。その後HP関係の更新作業。結構手間取り4時近くまでかかる。もう諫早に出発する時間。前任校の上陸者による会である。現勤校には3年連続前任校から来ている。今年度来られたY先生の車に同乗して向かう。諫早ステーションホテルにシングル2室確保してあるので,チェックインして会場へ。途中M先生と合流する。国見高校からもお二人参加。平山君には色紙の山だそうだ。久しぶりに12名が集い,当時へとタイムスリップしたかのよう。まるで五島にいるみたいだった。2次会が終わりラーメン食べてホテルについたのは,12時過ぎ。

 ジャパンスタンプの落札結果FAX。Y先生の運転中,移動の車中で確認。落ちて嬉しいモノばかり。ピナテールのカバーがまた1通増えた。SEVEN145号到着も諫早行きのため見る暇なし。

02月27日

 朝,紅白梅が並んで咲いているのを見ると,春の訪れを感じる。でも吹いてくる風は,まだ冷たい。今日は1校時授業の後,地域清掃。全県的に行うものだそうだ。県教委からは,「長崎ゆめ総体の一人一役の精神を受け継ぐ地域清掃活動」という長い名称が名付けられて,実施するようにとの連絡があったらしい。その後卒業式会場整備。午後は,3年生の練習。その間1・2年生は自学。ひととおり終わって,卒業式予行,その後記念品贈呈式・同窓会入会式という日程。終了は4時過ぎ。授業は先生・生徒の時間があえばするし,生徒に時間が空けば自学という全く無駄のないスケジュール。今まで経験してきた学校では何日もかけてやってきたことを僅か1日で終える。それが可能なのも1回の練習でできるという能力の高さ故と納得。私の担当のプロジェクターでの生徒の証書受領時の映写もうまくいきそう。同窓会のHPに入会式の様子をUP。職員室に帰ると,卒業記念品多数配布されていた。写真集,生徒会誌,PTA便り,有田焼の記念品,同窓会誌。でも島高新聞はまだ。明日か明後日の納品予定。明日の予定は,土曜講座の後,夕方なつかしい集まり,そのまま諫早泊。

 「郵趣」・「スタンプコレクター」誌到着。「スタンプコレクター」誌のオークション,最近昭和切手の佳品が多数出る。値頃の最低値だが,つい忘れてしまう。

02月26日

 学年末考査最終日。2時間の考査終了後,学年集会。卒業式に向けての容儀指導。午後卒業式に向けての大掃除・会場設営。今年は視聴覚担当として,新しい試み,プロジェクターによる証書授与の生徒を見せるということを行うため,設置の準備をする。舞台に1台では両サイドからは見えないため,舞台の下両側の前に2台のプロジェクターを使って映すことで落ち着いた。但し,明るさがいまひとつなため,予行で試行し実施するかはその後決定とのこと。放課後ひたすら古典の採点。6時過ぎに全クラス完了したが,点数合計,転記まではできなかった。今日は2ヶ月に1度の市民劇場の日。6時30分開演なので歩いて島原文化会館へ。駐車場が満車になるためこちらへ持ってくると,終了後出るのに一苦労だ。市民劇場は九演連傘下17団体あり,各県一つのところが多い中長崎県は福岡県と同じく4団体加入している。圏域市町数万の人口で毎回1000人近くが集まるのは珍しいのではないか。本日は地人会の「最後のベッド」,篠田三郎と鳳蘭競演のコメディータッチの作品。セットの豪華さもさることながら,2人の名演も見物。あっという間に2時間以上が過ぎた。9時過ぎに帰宅。

 ジャパンスタンプオークションの落札結果のFAXサービス。結果を知りたくもあり,知るのがこわいという心境。でも,勇気を出して……。

02月25日

 庭の白梅はほぼ満開,紅梅は七分咲きといったところ。学年末考査の3日目。今日古典があった。現代文の採点終了。鼻水も出だしたので,本格的な風邪の予感。6時前に耳鼻科へ。繁盛しているため1時間待ち。診察はやっと7時くらい。内視鏡とDVDレコーダーで患部を説明してくれる。その後霧状の薬剤の吸引の治療。専門医の治療の進歩を実感。燃料が切れかかっていたため,帰りに行きつけのガソリンスタンドに寄る。汚れが目立つのでワックス洗車してもらう。後ろのタイヤ2本そろそろ換え時だそうだ。来月車検なのでその時何とかしよう。

 スタンプシバタオークションからはメール入札受け付けましたとの返信のメールが入っていた。丁寧で好感が持てる。J-stamp20のオークションレポート興味深く読ませてもらった。

02月24日

 昨日三十曲ほど喉を酷使したため,再び風邪気味の喉が痛い。咳がでる。放課後採点に終始。時折質問者が来る。その度に思考が中断。4時頃新聞の再校用ゲラ刷りを持って九州凸版の方がお見えになる。3月1日の卒業式に向けて最終局面だ。3年団の先生方は2次試験の引率で1人も残っていない。いよいよ明日から2次試験開始。6時前に抜けて,上田歯科へ。奥歯の金属の詰め物ができる日なのだ。夕食は自宅で8時過ぎ。10箱あったカレーの箱もあと1箱になった。

 スタンプシバタオークション入札はEメールで。JAPANのメールオークションは,朝FAXで。心配しなくても,たいして落ちてはこないだろう。JPSオークション425号到着。カタログ発行の特集か,南方占領地,満州国関連が目を引く。


02月23日

 朝白梅が八分咲きになっていた。驚いたことに紅梅も二分咲きといった風情で咲いていた。ここ数日の暖気で一気に開花したのだろうか。今日から学年末考査。3時間中2時間監督。午後から数人で巡視。その後3日目の古典の試験問題を作成し終えた。午後から開催されたPTA役員会の懇親会が夕方5時半から。クラスの役員の方々と話をする。早く帰るつもりが,N先生の悪魔の囁きにより,カラオケを歌いにスナック「花」へ。ゾロ目賞がドリンク1本だが,55,66,77,77,88の5本出した。N先生始め常連の人に振る舞う。帰宅は代行運転で,1時半。

 スタンプシバタオークションから,Eメールで明日締め切りの連絡。仕事がたて込んでいると忘れがちになるのでありがたい。

02月22日

 小倉泊。昨日はそのまま寝てしまい,朝日記を書く。タクシーで北九州中央郵便局へ。運転手によると昨日の暖かさは観測史上初だそうだ。どおりで暑かったはずだ。北九州切手のつどい‘04は,は,挨拶の後,田畑九州・沖縄地方本部長の講演。「何と無謀な!全世界のゼネラル収集」と題したもの。事前に,「講演の資料として使用しますので,『郵趣』2004年2月号をご持参ください。」との連絡があったので,郵趣を準備していった。19世紀から20世紀初めまでの約3万種のコレクションを3年ほどで完成したという。この「切手を集める」という収集の原点とでもいうべき姿勢に,現在の郵趣状況をめぐる閉塞感を打破する鍵があるような気がした。11:00〜15:00の テーブルバザールには私も出店。CD−ROM2枚を始め,交通費宿泊費が浮くぐらいの売り上げがあった。事前の準備不足を痛感した。あと出店の基本事項,例えばお釣りやメモ用紙,筆記具,複数のピンセット,等の準備も不足だったと反省。15:00〜15:30 お楽しみ抽選会 のあと,解散。外はすごい雨。帰りは田畑君姫野さんらと小倉駅まで送ってもらい,田畑君と折尾まで話をして帰る。折尾に妹が迎えに。無線LANの設定をするのが,今日の仕事。妹宅では,ADSLは引けず,光ファイバアーのBフレッツしか契約できなかったそうだ。それを無線LANで家中からアクセスしようというもの。導入は54Mのbg両タイプの混在型のもの,これは私が昨年選んで自宅で使っているものと同じ物にした。これだと設定が簡単に思えたが,意外に設定に手間取り,完成したのが9時半過ぎ。光対応というので未知の領域の設定だったのだ。9時半に北九州を出て,家に2時20分着。寝る。





02月21日

 休みの日はゆったりと過ごす,ではなくそういう習慣がついてしまっている。朝風呂に入る。北九州に持っていくものをバッグに詰め込む。今年の正月に買った合体バッグの初使用。メインはキャリーのついた大きなもので,それにふだん持ち運んでるバッグが合体できるもの。それにテーブルバザー用のブツを入れていく。酔っぱらいオークション用の物も選んでいく。このオークションはリスト3部作成とあったので,エクセルで作る。そう言えば名刺も切れかかっていたので,作る。今回は放送室の白板に落書きで書いていた生徒にイラストを書いてもらったのを画像に取り込んでみた。「チョーキモイ」と言われそう。2種の用紙にPM950とPM4000PXで作るが,4000PXの方が1色出ていないような仕上がり。ヘッドクリーニングをして再度印刷。そんなこんなで,12時出発の予定も13時になり,玄関に行くと人影が。郵便配達の人だった。書留郵便物はタカハシ。見たいような,見れば遅れるという微妙な時間。結局部屋に帰り開封する。案の定本命の長崎関連のみの落札。昭和切手の分はどれくらいになったのだろう。印刷物の書留とはどんなものを送ったのだろうと不思議に思っていたが裏を見て納得。熊本の地図を送ったのだ。長崎の丸一印と二重丸明治印,横浜の年号4字書留印が中継で押されている。などと考えていたら,予定通りに行かなくなり再度乗換案内を検索。

島鉄湯江〜小倉(福岡)の経路(乗換案内 時刻表対応版 Ver.4.24(2003年12月版))
No.1 2月21日 3時間34分 7,580円 228.0km
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島鉄湯江 14:16
島原鉄道(諫早行) 55分 1090円 31.8km
諫早 15:11
乗換待ち 37分
諫早 15:48 指定席
かもめ30号(博多行) 90分 3470円 割 830円 129.0km
博多 17:18
乗換待ち 15分
博多 17:33 指定席
ひかりRailStar378号 17分 2190円 67.2km
小倉 17:50

2案は, ソニック43号(大分行) を使用した場合だが,新幹線乗り継ぎのほうがかもめの指定席が半額になるので金額がほとんどかわらない。




 北九州切手のつどい‘04前夜祭 は,JR小倉駅南口から徒歩10分のコクラセントラルインで17:30〜21:00なので,30分遅れで到着。田畑さん村岡さん姫野さんとほとんど九州郵趣連盟の理事会のようなものだ。テーブルは,姫野さんの他に,小島さん,永吉さんとネットの達人の方々がいらっしゃった。その後酔っぱらいオークション。目玉は小判葉書に丸一,豊前豊後筑前筑後肥後のロット。特に筑後50枚2000円は4500円まで競り上がった。後で聞くと星野が2枚あったとか。今でもよく聞く星野村のことである。他には1円前島の点字郵便13000円,新昭和時代の3種便ロット2万か3万。私も盛り上げに声をかけてみるも及ばず。その後のパインスタンプの先行販売・個人即売でも散財した。途中,今日の大阪JAPANSTAMPの様子も携帯に連絡が入る。40銭横透10Bのスタート値125万,大方の予想では140万ぐらいになりそうとのこと。これで諦めがついた。
02月20日

 朝,白梅の五分咲きを見る。日増しに春を実感する。学年末考査の作問で慌ただしい。初日に現代文,3日目に古典。2年担当の3人で検討をして決定するのだが,語句の調整等に気を遣い,なかなか決定まで難しい。決定して訂正,さらには一つの様式にまとめる作業が入る。解答用紙も作成しなければならない。その後印刷。どうにか初日の現代文を作り上げて帰宅したのが8時過ぎ。古典の作成は月曜日のテスト終了後にまわす。

 食事をして横になったら寝過ごしてしまった。家に帰らないと切手モードにならない。ふと正気に返ると,JAPANの入札を忘れてしまったことに気付く。深夜にFAXを送る。TOO LATEかも。

02月19日

 曇天。授業が1校時と6校時という変則的な時間。おまけに生徒朝会で15分遅れの開始。懸案の検診を受けに川棚国立病院に。弟の勤務先である。1校時終了が9時40分,年休とったりで学校を出たのが,9時50分。6校時授業開始が14時05分。片道2時間ぐらいと見込んだが,車の少ないルートと諫早・東彼杵間の高速利用で,着いたのは,11時20分。しかし,40分待ちで診察は12時。10分ほどで終了。弟は,昨日は当直で,夜の7時からひっきりなしに救急車が入り,1時間半ぐらいしか寝てないとのこと。国立循環器病センターに勤務していたこともある循環器の専門医のため,川棚に限らず転勤先でいつも患者が搬送されてくるらしい。敷地内に宿舎があるので,ここ3日間すぐ呼び出しがかかり,3日間で7時間ぐらいの睡眠とも言っていた。手続き終了で病院を出たのが,12時20分。処方箋をFAXで島原の薬局に送ってもらう。こんなサービスがあるとは初めての経験。医薬分業は確実にすすんでいる。帰りの大村インターチェンジで食事。意外に時間がかかり15分滞在。グリコのキャラメルがあったので買って車内で食べていると,奥歯の詰め物が外れた。同じルートで帰り,結局なんとか,14時05分の授業に間に合う。7校時の空き時間に薬局に薬を取りに行く。出たついでに各種会費振込も済ます。作問検討その他あったが,18時過ぎに決断して行きつけの歯科病院に電話。7時でも大丈夫とのことで出かける。歯の型どりをし,完成は24日とのこと。隣の先生には「今日は病院デーですね」と言われた。まさしくそのとおりである。

 ヤフオクでの落札物が届く。古物商関係での切手類の落札は当たりはずれが多い。1回では少額だが1か月単位で計算すると結構な金額になる。

02月18日

 昨日に引き続き肌寒い。しかし真冬の凍てつく寒さではない。学年末考査の準備で慌ただしい。8時過ぎに帰るが,町内会の班長の仕事で各家庭をまわり,配布物と税金納入袋を手渡しで渡す。回収は23日の月曜日。3月でこの仕事も終わり。今月を含めてあと2回だ。全て完了し風呂と食事を済ませたのが9時半過ぎ。

 そろそろ週末のオークションの計画を立てなければ。平行して北九州用の切手を発掘。土曜宿泊予定の教職員互助組合の提携ホテル割引補助券到着。宿泊の準備完了。ここ2週間ほど母が北九州の妹家族の所に行っているので,私が土曜日島鉄とJRを乗り継いで北九州へ行き,日曜日母の車を運転して連れて帰る予定。

02月17日

 朝起きて少し肌寒さを感じる。三寒四温である。白梅の花は確実に増えている。1日の中でこの新聞を取りに行く時だけ見る。火曜日が一番忙しい日。7コマ中5時間授業に行く。1コマ45分,途中は10分しかないため,職員室との往復である。授業時間も45分のため早めに行きチャイムの鐘の音と同時に始め,鐘の音とともに終了するようにしている。鐘とともに去りぬを心がけている。授業を始める前は,教室の廊下で待機。尤も,国語科通信を毎時間配布しているので,その配る時間だけフライングすることも多い。たまに授業に熱中して終わるタイミングを逃すと,きりの悪いところで終わることになるが,すぐ止め次時の予告をして終わる。長々と延長して授業をしても頭には入らない。これは生徒時代からの感想。また10分の休み時間も保証してやりたい。火曜は時間が多い日だが,古典だけなので,頭の切り替えがいらない。他の日は,古典と現代文と1年生の教科「情報」と3科目が混在しているのだ。来週月曜から学年末考査。現代文と古典の問題作成をしなければ。放課後部活生以外は教室で自学,17時30分まで監督として教室へ。職員室へ帰ると,質問の生徒が。帰宅19時過ぎ。

 北九州に持っていくものを整理する。16畳の書斎には3台のデスクトップと机,切手用の机,作業用の1畳ほどの机,があり,1台のページプリンター,3台のインクジェットプリンターとモノに溢れている。その作業用の机は新着の切手類ですぐ埋まってしまう。実は下層には香港展で使わなかったマテリアルがあるはず。その手前の方をすこし片づけて机の下が見えるようになった。

02月16日

 春一番の後のせいか,日増しに春めいてきたようだ。白梅の小さな花が少しずつ増えていっている。そんな朝のひととき。早朝補習もないので,ゆっくり出かけられる。FM中九州の「ぶらり熊本サウンドスケッチ」という番組が7時48分から8時まである。それを聞きながらの通勤。職員朝会が8時20分。ここからが目の回る忙しさ。ふと気付くと夕方6時半。月に1度のノー部活デーなのに,明日のLHRの準備で帰れない。でも帰らなければならない日。かくして仕事の一部は家庭でということになる。

 先日の「郵趣研究」各ジャンルごとに1年を回顧する記事があり,昭和切手は新昭和といっしょに半ページの割当。その短い記事の中に私のことも取り上げていただいた。日本部門出品では昭和切手として初の金賞ということで。全日展3フレーム枠の中では,どんな構成にするか悩ましいところだ。87年の昭和切手50年の企画部門で金賞受賞の祖父江氏作品は網羅的で切手が窮屈そうだった。日本で開催されたFIP公認の国際切手展は,81,91,2001の3回。今まで3回とも出品皆勤である。その晴れ舞台を見るために,なんとか時間を作って3回とも参観したのだが,そこで見た外国の作品群のリーフ展開ののびやかで自由なこと。驚きだった。以後昭和切手の構成を模索することになる。

02月15日

 昨日は,風が強い1日だと思っていたら,新聞によるとやはり春一番だったらしい。快晴である。オープンカー乗りの季節が始まる。しばらく乗ってなかったBEET,見ると猫の足跡がたくさんボンネット上に。ソフトトップの上が居心地がいいのか,ボンネットの上から屋根に飛び移った形跡。で,今日は長崎へ。

 長崎郵趣会の例会。出席14名。古くから集めておられるK氏の持ってこられたものを譲って貰う。私のものも同じくらいかちょっとだけ多く処分できた。例会後長崎駅前の喫茶店カルタゴへ。いつもの5名だが,話題は6月の九州郵趣家の集いでの松本氏の演題。長崎関係ということで,ピナテールの話,特に最初に書簡集を扱った長崎書店のことなど,私みたいに長崎市内に住んでいなかった者にとっては現在からはとても想像できないものだった。

 いつものように,新地のコンピュータウンへ。例会の後行くのは惰性になりつつある。パソコン関連の書籍を買う。帰り久しぶりにロイヤルホストに寄る。帰りは天候もよかったので,幌を上げて,長崎から千々石湾添いに夕日を背中に,太陽標準装備の状態で帰る。黄昏時の刻一刻と変化する陰影の中で,途中久しぶりに夕日を見る。愛野付近で有明海の干拓地の向こうに夕日のオレンジをバックにした多良岳山系がシルエットを浮かび上がらせているのを見たのだ。美しい夕焼けを見たのは何年ぶりだろう。いや,夕日に感動することすら忘れていたのではないか。
 
 帰宅後,今日入手した切手の整理。それと21日のホテルの予約。結局盟友の方へ参加することに決めた。それにしても気になるのはタカハシの結果。可能性の低い昭和切手の方はともかく,落ちている可能性のある長崎関連の結果が知りたい。

02月14日

 朝新聞を取りに行くと,吹いてくる風が違った。冬の刺すような冷たさがない。帰り際,庭の白梅を見ると,小さな花がいくつか。紅梅の方は,まだ小さな蕾のままのようだ。夜明けの空も随分明るくなってきた。通勤途中に見る普賢岳の雪も少なくなり,渓谷に残っている印象。土曜講座65分の3コマの授業。今日は年中行事バレンタインデー。日頃は家庭学習の3年生も登校して顔を出してくれた。部活関係の生徒達を中心にいくつか貰う。優しい生徒が多い。2時過ぎに学校を出て,途中食事をして帰ると3時過ぎ。風が強い1日だった。昨日の痛飲の疲れのため寝る。

 明日はタカハシスタンプオークション。本命は長崎関係。昭和切手関係はとても無理だろうが一応入札,長野君同様実弾の入っていない空砲で。「九州郵趣」着。早く原稿を書かないと。明日は長崎郵趣会の例会。

02月13日

 夜明けが確実に早くなっているのを感じる。久しぶりに友人から電話をもらう。そろそろ四十九日も済んだ頃だろうから,飲みに行かないかという誘いだ。法事は先日済んだが,実はちょうど今日が7週目四十九日目なのだ。小中高と一緒だった友人である。町内には何人かそういう付き合いをしている友人がいるが,月一ぐらいで行くのはこの友人だけだ。7時を目処にしていたが,予期せぬ資料作りに手間取られ8時過ぎまでかかった。帰って着替えして車で市内の店に入ったのが9時過ぎ。それから,食事をして,3次会まで。代行運転で帰る。帰宅2時過ぎ。

 私の勘違いで,JAPEXの作品集ブルテン2今日到着。他には,遠来の蒐友より戦前の島原の絵葉書10枚組。海岸の景色9枚と,島原中学の写真。喜んで,次号の同窓会誌に使わせていただく。感謝。

02月12日

 午前中授業,午後メディア研究会の理事会出張でお隣の高校へ。昼休みのうちに移動する。ついでに足をのばしてその裏にある武家屋敷の近くの郵便局へ。キティシール切手がふんだんにあった。数シート求める。理事会は予定より早く終了し,なんと帰りのSHRに間に合った。放課後職員会議。雑務の後帰宅は19時頃。

 香港展のコミッショナーから宅急便。メダルと賞状,受賞リスト等だった。メダルは木箱に入った金色の巨大なモノ。賞状は名前がSmihideになったエラー。受賞リストやメダルの箱の表記は正しいのに,不思議だ。

「設楽さんお疲れさまでした。おかげさまで,過分な賞をいただけました。私は結果は大満足ですよ。」

「郵趣研究56号」着。

02月11日

 久しぶりの休日。実は今日も2年生はトップレベル模試と東大模試が行われているのだが,別の人が試験監督なので,私は休み。夕方菩提寺である勝光寺の庫裡建設費用各戸割当費用15万円の納入方法の用紙を集めて地区の世話人に持っていく。選択肢は一括,3回,5回の3通り。私は当然5回払いである。こんなものがあったとは戸主になって初めての経験。世代交代で若くなった家も同様の感想を述べていた。明日は午後から県のメディア研究会の理事会で出張。といっても会場は,お隣の島商なので徒歩3分だ。午後の授業を午前中に振り替えてある。出張があると授業の振替で1日の授業時間が詰まってくるので大変だ。

 タカハシ・JAPANとも目も眩むような切手・使用例が多数だが,今何が自分のコレクションに必要かよく見極めて入札したい。こんな時こそ自分を見失わないようにしたいと自戒。

02月10日

 朝久しぶりに快晴。側面からの朝日を浴び,きれいな雪山となった普賢岳の陰影を見つつ,通勤。放課後3月1日発行予定の「島高新聞」の打ち合わせを印刷所の営業の人とする。部員が集めた記事を集まっている分渡す。大まかなレイアウトでとりあえず作ってもらう。以後はメールとFAXでの校正となる。19時から同窓会誌編集委員会。こちらの発行も3月1日だが,半年かけて準備しているだけあって,学校側委員で校正した分と編集長を中心に校正した分を校合しての第1回校正。必要な写真で同窓会館のパソコンに保存してあるものは,その場で印刷所にメールに添付して送る。今度の号から,長年新潮社を中心に校正の仕事をされていた方に加わっていただいたので,校正がスムーズに運び,21時30分頃に終了した。帰宅は22時頃。

 昨夜SEVENを入札するつもりで寝てしまい,早朝出勤前に入札。斧田さんが起きてないことを願う。やはりSEVENもいいものは大幅に競る。前回の昭和切手はJAPAN以上の競り合いといってもいいくらい高騰した。慧眼の士はどこにでも目を光らせているということか。 

02月09日

 ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ 今は恋しき 藤原清輔朝臣 (84番・新古今集)
この先も生きながらえていたなら,つらいと感じている今日このごろも,懐かしく思う日が来るのでしょうか。つらいと思いながら過ごしてきた昔を,今では恋しく思いおこすように。

 今日の古典の授業で扱った歌。週3時間の古典の授業の初め5分を百人一首の歌ではじめている。毎時間1首。84首目ということは,4月以来84時間目の授業ということだ。5分で済ますために,国語科通信として毎時間,表に百人一首の歌と解説,裏に新聞のコラム欄2・3点載せたものを印刷して授業で使っている。著作権の関係で必ずコラム欄の説明も忘れない。授業で使う分に限って転載可なのだ。よく使うのは,天声人語。余録,産経抄,春秋,編集手帳,よみうり寸評も。「百人一首で古典文法を学ぼう」を合い言葉にしている。実際百人一首で文法,伊勢・源氏で敬語法をマスターすれば,古文は大丈夫。さて,授業の枕に百人一首を使うようになって5年目になる。たまにこの歌のように過去を思い出すことがある。今日魚のすり身の話題が出,こちらではそう言えば,すり身を売ってないことに気付く。五島にいた頃は,何カ所かで売っていたようだ。その中でもおばあさんが1人でやっていた小さな魚屋。そこのすり身が絶品。早く帰宅した日など2・3歳だった長男の手を引いて散歩がてらよく買いにいっていた。五島では高台に住宅があって,下りはいいが,登りがけっこうな運動になっていた。こんないい思い出ばかりが記憶に残ってくる。明日は同窓会誌の編集委員会。また夜の10時までの14時間勤務か。

 スタンプシバタオークション着。100万枚束解体セールPARTV最終回と銘打っている。結果分析の記事が興味をひく。0付24円の機械印I1番値11万,2番値5万で,調整。6万が落札値。風神90円赤の戦後型機械の13000円も驚き。今回223番U小5銭年号2字NINSEN記事では年号誤植になっているが,これはなんらかの理由で明治年号の28が入れられたもの。単なる誤植ではない。NAGASAKIでも断続的な使用がある。私もこのNINSEN「28」を参考として所持している。1字円位55円まりもの鉄郵,カタカナローラは注目。10円観音コイルの鉄郵も驚き。7回国体縦ペア欧櫛UTSUNOMIYA,五輪付加金付のきれいな使用済も高くなりそう。

02月08日

 昨日に引き続き,模試の試験監督。日曜日の早朝ということもあり,通勤はいつもよりすいすい進んで行けた。進研マーク模試は1年後のセンター試験に向けたもの。5教科7科目。文系は,国1,英1,数2,理1,地1歴1の7。理系は,理2,地歴1となる。途中,昨日使用した,ビデオ撮影の機材パナソニックのDVX100とDAIWAの三脚・キャリーを運び込み,整備する。帰宅は14時過ぎ。この1週間予約録画していたTV番組をVAIO-RZ71で確認。TVはほとんど視ないのだが,いくつかはパソコンのHDに録画している。その後DVDに残す作業をする場合もある。「探偵!ナイトスクープ」は欠かさず視る番組の一つ。番組の秘書役岡部まりさんは,彼女が高3の時,会っている,当時親交のあったJさんの妹として自宅で。芸名になっているので,長い間気付かなかったのだが,数年前の高校の同窓会のとき,当時共通の友人が教えてくれた。以来視るようになったが,番組の内容が面白く,やみつきになった。オススメの教育?番組である。

 切手の方は,この1週間の収穫のうち,ロットものの葉書や封筒の束を調べた。小判葉書のロットは,いわゆる駄物のロットだが,筑前・筑後の丸一印が多い中に,同一局が多数あり,消印の変遷,特にタイプ違い・印色違いが興味深い。2月21日・22日の北九州に持っていってみようか。

02月07日

 朝刊を取りに外へ出かけた時にはそんなでもなかったのに,出勤する8時頃は,ものすごい雪。でも南国の雪は積もらない。長崎市内の積雪はひどかったらしく,車で来れず,JRと島鉄を乗り継いで出勤した長崎市民の人もいたようだ。監督後,ビデオの機材を積んで車で会場へ。パナソニックのDVX100を業務用のがっしりした三脚につける。これが重い。キャリーをつけて,水平移動できる代物だ。DVテープ3本分撮った。2次会には出ず,代行運転を呼んでもらって,すんなり帰る。島原外港の近くのホテルなので,2600円かかった。

 帰るとEMS到着。HONGKONG2004の出品作品がもう返送されてきたのだ。国内展に比べてなんと迅速なんだろうと驚嘆する。フレームごとの袋を開封して品物を確認する。この作品は作ってから家にあった時間より,香港に行って来ていた時間が長いのだから,無事帰ってきてほんとうに嬉しい。JAPANオークションと鳴美の「たんぶるぽすと」着。

02月06日

 雪が積もっていると思いきや,そんな気配もなかった早朝。でも途中で積もっているかもしれないと思い早めに出るが,積もってもおらず,すんなりと到着。週末ということで心躍る放課後だが,今日はパソコンの職員校内研修。講師の先生のお手伝いで走り回る。エクセルのスキルアップ講座だが,私自身体系的に取得した者でないため,講師の説明は参考になる。明日明後日は進研マーク模試。いよいよセンター試験用の対策が始まるのだ。2年生もこの時期になると,成績低迷の生徒は,さすがになんとかしなければと思い,このところ,放課後質問や添削に来る生徒が増えてきた。6時過ぎからようやく各種提出資料の作成にかかる。帰宅は8時過ぎ。明日は模試監督の後,シームレスに職場の退職記念祝賀会第2弾。まやもやビデオ撮影・編集の係。平日並みに過密スケジュール。


 今回の香港展の作品は,抹消印時代までが,3フレーム。ということは全日展のフレームとぴったり。また切手は手彫と小判の時代。http://yushu.or.jp/philanippon/award3.html の村山氏のように,郵便史でなく日本切手部門に出そうかなどと考えていた。85点に達せず,「大」がつかなかった場合の話。さすがに「大」がついた今となっては全日展の一般部門には出せないだろう。ひょっとしてJAPEXではチャンピオンクラスに出品できるのだろうか。

02月05日

 昨夜雨が降ったらしい。朝刊を取りに外に出かけて地面が湿っていた。驚いたことに,一晩で雲仙の雪は麓まで白く覆っている。寒い一日だった。午後から雪もちらつく。こちらの高校生は雪が降ると嬉しがる。めったに降らないからだ。あるいは感受性の強い時期のせいだろうか。夜8時頃帰宅するときも舞っていた。明日は積もるかもしれない。

 タカハシのオークション誌到着。驚愕の昭和切手の佳品の数々。せめて何点かは買いたいものだ。いままで文献等で言及されていないマテリアル。勅額10銭無目打田型ガッター間隔広いエラーとの記述だが,これはエラーというより定常変種。シートを所持しているのでポジションも判明している。興味深いのは,このシートの他のポジションの定常変種だ。詳細は今年の秋まで待て。

02月04日

 島原市営陸上競技場,外気温7度。1・2年生による校内マラソン大会だ。以前は北部の三会方面の道路を走っていたのだが,普賢岳噴火の頃から安全のため,陸上競技場の周囲をまわるようになったもの。私は10q走った記憶があるが,最近は男子8q女子5qになっている。私は計時記録の係だったが,3年生の補助員がてきぱきと動きスムーズにいった。放課後同窓会誌6号の原稿を書き上げ,メールで印刷所に送信し帰宅したのは8時過ぎ。

 HONGKONG2004結果が発表になった。私の作品は大金銀(LV)。しかも点数は87点。前回のPHILANIPPON2001の点数が82点なので,5点も伸びたことになる。国際展において構成がいかに重要かということを痛感。物理的には,前回と比べ,マテリアル追加は12リーフほど,作り直したリーフを入れても20リーフも変更していない。ということは5フレーム80リーフなので4分の1も変わっていないのだ。金額にしても目玉になるようなものが加わったというわけでもなく,せいぜい数十万といったところ。ぎりぎり85点で8フレーム挑戦の資格を手に入れることが今回の念願だったが,あまりにたやすく達成されたようだ。あと3フレームの枠,構成のポイントは,年号2字印の時代を極力抑えてそれ以前のものを増やすということ,5フレ中3フレが抹消印の次代で構成しているので,あと1フレは増やしたい,できれば葉書でなくカバーで,といったところ。そうすると,8フレーム中4フレームが抹消印の次代になり,バランスがとれる。もうひとつの課題は1875年開業の年のカバー,できるだけ早期のものを入手すること。これが入った時点で金を意識することになるだろう。今のままでは画竜点睛を欠く。盟友田畑氏,長野氏からはメールをいただいた。持つべきものは友人,感謝したい。

02月03日

 昨日の雨のせいか,雲仙の雪は麓の方はなくなっている。教室も窓際はぽかぽかと暖かい。季節は春へと移ろっているのだろう。長野氏から郵趣掲示板に書き込みをいただいた。初めはこんなものだろうと思う。卒啄同時(そったくどうじ)という言葉がある。または卒啄之時(そったくのとき)とも卒啄同時の用ともいわれる。鶏卵が孵化しようとする時に雛が殻の内から啼いてつつくのを「卒」,母鶏がそれに応じて殻をつつくのが「啄」で,両者が一致した時、雛が誕生することをいい,学ぶ者の意欲に教える者がすばやく応じること,あるいは逸してはならない好機,またとない機会や時のことをいうとのことである。よく教育の場で語られる言葉であるが,碧巌録を出典とした禅語が出典らしい(卒の字は,正しくは口ヘンに卒)。いつまで続くか書いてみよう。

 今から20年ほど前,大阪堂島。老舗のオークションハウス。地下の駐車場に車を停めて,月に1度のメールの下見会。その月は私が風邪で下見に行けなかった月だった。まさにちょっとしたタイミング。毎月膨大な切手を見,その場で見極める,そんな毎月だった。当時私宅に出入りして私のコレクションを悉知しそこから学んだ,大学を卒業したばかりの同業他社のNくんが,それを見つけた。ノンリミットで入れたが,当時切手の整理をしていた人が不審に思って気付かないか落ちてくるまでは気が気でなかったと後日話してくれた。それをきっかけにますますその分野にのめり込んでいった,リーフのトップにその切手を貼るために。つい昔を思い出してしまった。

02月02日

 雨のため朝の通勤時,車が混んでいた。この時間帯で雨という状況は,迂回路を使うようになって初めてのこと。2日休日が続いた後の最初の日は,リズムが合うまで時間がかかる。帰宅は7時頃。

 JPSのバーチャル切手展,今月は丹下さんの「関東大震災」。構成が1フレームごとになっており秀逸。T章が混乱期,U章応急的復旧期,V章本格的復旧期という切り口は斬新だ。プレゼンテーションも申し分ない。今後郵便史の分野のバイブル的存在の作品となるだろう。伝統郵趣の面からみても,魅力的なマテリアルが揃っているのも,この作品の魅力。随所に散りばめられた名品の力で最後まで飽きさせることなく魅せてくれる。学生時代から秘蔵の震災葉書に震災4銭加貼速達便は,十数年前見たとき驚かされた逸品だが,葉書が凸版印刷とは知らなかった。復興標語印も丹下さんの作品から教えてもらい,その後私も入手した。昨日の日記の牧野作品のように伝統郵趣のリーフのあとに震災切手の郵便史にちなむマテリアルを配するのも面白いかもしれないということで最近目についたらぽつぽつ買っている。例えば,13年6月5日皇太子御婚儀奉祝記念印。未発行切手のかわりということは,この作品から教えてもらったこと。一生作品としてまとまらないかもしれないが,夢だけは持っておきたい。

02月01日

 昨日の痛飲の余波で,今日もゆっくり起きる。ずいぶんアルコールに弱くなったようだ。その後,外出することもなく,家で過ごす。

 午後から,ヤフオクの切手の部を隅から隅までみる。半日あっという間に過ぎる。それにしてもスタンプシバタオークションの店主のこまめさはどうだろう。本業の方もだが,ヤフオクにも順次出して結構な競り合いである。紙版の方も強気でないとなかなか落ちてこない。下見会等でJAPANスタンプと提携しているが,トヨタとダイハツの関係を思わせる。互いの守備範囲を決め,それが相乗効果をもたらすといった意味で。両者に共通のキーワードは「安心・信頼」である。思い切った入札でも2番値調整をしてくれる,ロットものが優良等実物を下見できない私みたいな環境の者にとってはありがたい。もちろん,情報の共有も当然で私が何を買ったかなんてのもわかってるんだろうな。ところで,富士鹿旧版20銭単線11の件,早速語ろう板で答えていただいた。感謝したい。これが公開された最新の情報だろう。やはり20枚ぐらい存在するのか。私が某所で買った後,JAPANでひどく安かった記憶があり,決して珍品扱いじゃなかったような気がする。でも小判30銭11Lもそれくらいの存在数で,オークションに出れば100万超,片や富士鹿10万円前後。圧倒的人気の差ということか。国内展で国際展の出品資格を取っても,富士鹿で3額面,風景で3額面計6額面で間延びしない5フレームの作品を作るのは確かに難しそう。8フレームになると想像もできない。牧野さんの名作「震災切手と震災郵便」の顰みにならって,「富士鹿風景と外国郵便」で,時系列に展開すれば,面白いものができそう。そのためには時系列展開の富士鹿風景で金銀賞を取る必要がある。誰もやらなかったら,何年後かに作ってみたいものだ。こんなことを思い返すと,昨年の全日展,富士鹿風景を出さなくてよかったと冷や汗。アドバイスをいただいたTさんありがとう。

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