01月31日

 あだし野の露消ゆる時なく,鳥部(トリベ)山の煙(ケブリ)立ち去らでのみ住み果つる習ひならば,いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。(徒然草第7段)
 
 今日は亡き祖母の四十九日(しじゅうくんち)の法事である。主催者は町の教育長もしている叔父。縁者40名ほどが集い読経の後,場所替えして会食という日程。朝風呂で身を清め,10時半出発11時読経,12時会食という流れ。昼間からビールを飲んだので,帰宅後そのまま寝てしまう。会食の際,隣席の福岡から来た9歳下の従兄弟と昔話をする。そのN君が言うには小さい頃に見た私のプラモデルの部屋が忘れられないということだった。小学生の頃はドイツの戦車に心を奪われていた。大きくなったら田宮模型に入るんだと決めていたほどだ。彼が言うには,自分が作れなかった帆船を私が簡単に作ったときにはなんてスゴイ人だと思ったとのこと。9歳も離れていればそう感じるのも無理はないだろう。その幼年時代の遺産は,婚礼家具が入らないと言う理由で,全て三十歳時の結婚式の前,母と叔母によって捨てられてしまった。トラック2台分あったそうだ。ブリキの玩具もたくさんあり,お宝本で高価に評価されている煙を吐くゴジラも,十歳年下の弟も覚えていたように完動品であったのだが。転勤で実家にいない時期だったため,どうしようもない。興味のない人にとってはゴミにしかみえないのだろう。キロボックスなどの切手類は価値が認められたのか無事だった。わかってれば自分が全部もらいたかったというようなことをN君は話してくれた。何百万円分もあっただろうに残念だとも。昔話である。

 長崎中央郵便局の総務課長兼副局長をしている叔父も来ていて,香港国際展のことを話したら,ロビーで展示会をという話しも出た。資料関係を聞くが長崎局には古い資料は何も残っていないそうだ。


01月30日

 県民総合教育メディア研究大会長崎大会での発表。県下8市を中心にした各自治体まわりもちでの開催。長崎市での開催は8年ぶり。昨年度は松浦市で,来年は大村市とのこと。五島にいた頃,福江大会の分科会に参加させてもらい,その時発表のお2人も知人だった記憶がある。受付に行くと発表者の専用の受付があり,楽屋へ案内される。始めて楽屋なるところに案内された。全体会やシンポジウムが終わり,午後分科会の発表。幼稚園・小・中・高・社会教育の5つの分科会に分かれ,それぞれ2人の発表者が発表する。最初に私の発表。平成5年頃から学校紹介ビデオ・卒業記念ビデオを作っていたころから,それらを含めたマルチメディアパッケージとしてのCD−ROM・DVD制作の様子を報告したもの。後ろの方に実物を展示。開始前に実際手にとって見て頂き質問にも答える。高校時代の恩師の先生も見えられ褒めていただいた。指導主事の指導助言では,材料がいくらあっても構成にはセンスが必要その点…と手放しの絶賛,今後の課題は県内各学校現場で,ぜひ生徒にビデオ編集体験をさせてほしいというもの。私の場合,放送部員はある程度ビデオ編集はできるし,パーソナル編集長を使った新聞は新聞部員と副顧問の先生はある程度できるようにしてきた。実は,今年1月から全23普通教室に導入してあるPCは,予算の都合で機種はエプソンになりはしたものの,OSはXPプロ,CPUはペンティアム4の2.4G,DVD+RW,編集ソフトにエプソン独自のDVシンフォムービーがバンドルされたもの。これを導入したのは,私もそういう意図があってのこと。手軽にビデオ編集できる環境を整えてやりたいとの思いだ。進学校の場合は時間がとれる生徒は限られるだろうけど,何か差し迫った必要があるときに編集できるという環境があるのは大事である。この点で指導主事の先生と見解が一致。一度入ったら5年ぐらいは更新されないので将来を見越して,事務室担当者の教室用にそこまで必要ないというのを説得して,エプソンで決着しただけのことはあった。画面も15インチになったけど液晶にでき,CRTを回避できた。終了後,機関誌「高視研」の原稿依頼を受けた。会のパンフレット掲載の文章に今日の会場での質問を入れたものを加えて送るとしよう。私の視聴覚教育上の対外的な行事はこれで終わり。7月の長崎ゆめ総体(インターハイ)総合開会式用式典ビデオ制作とこの発表が私の中では今年度の大きなヤマだったのだ。やっと肩の荷が下りた心境。

 実は昨日到着していた全日本郵趣2月号。林氏の「富士鹿・風景切手」全日展金銀賞作品。この分野では最高の作品と称してもよい。私の場合も,昨年2月ミニペックスで展示したが,まだまだボリューム不足。会場で驚いた富士鹿旧版20銭単線11目打のカバーはしっかりと1ページに掲載。単片2枚も展示。私はやっと1枚手に入れて喜んでいたのだが。以前の文献によると5・6枚しか存在していないとのことだったが,この分では1ダース以上存在しそう。どうなんでしょう,鯛さん。後ろの郵書紹介,宮崎氏の「田沢切手」は丹下氏の解説。昨日の郵趣と今日の全日本郵趣の記事中,長野・田畑・宮崎・林の各氏は同い年であり,ご活躍は頼もしい限りである。

01月29日

 今日も職場との往復である。午前中授業で,午後から1・2年生は市営競技場で2月4日実施ののマラソン大会の試走。ジャージにウインドブレーカーを着てコートを着るという重装備だったが,意外に温かかった。放課後,職員会議の後,明日の長崎市で行われる県民総合教育メディア研究大会の分科会高校の部での発表のプレゼンテーションの最後の仕上げを行うが,勤務時間終了後から始めて8時過ぎまでかかった。大まかにはできていたのだが,パワーポイントで動画や写真,html文書へのリンクを普段家で使っているGR7/K上でできるようにした。普段職場では,常に携帯しているC1VRX/Kを15インチの液晶と外付けキーボード・マウスという環境で使用しているが,CPUがクルーソーであり,いまひとつ信頼性に欠けるため,GR7/Kで発表を行おうと思ったのだ。最近自分の名前を検索してみると,郵趣関係以外に http://www.manabi.pref.nagasaki.jp/tantousya/kensyuukai/mediataikai/mediaannai.pdf の県民総合教育メディア研究大会がリンクされているのに気付いた。以前の県高校視聴覚教育部会が県高校メディア研究部会に名称が変更になり,県民総合教育メディア研究大会の高校の分科会で発表するというスタイルが定着してきたものである。昨年度からこの研究会の理事という立場でもあり,今年は私が発表することになった。今まで学校で作ってきたビデオ作品やCD-ROM・VideoCD・DVDについての実践報告みたいなものである。今まで作ってきたのをこうしてまとめるとずいぶん沢山になるのに驚く。いつも急き立てられるように,その場で作ってきたものの集積である。こういう機会に過去を振り返るのも意義がある。実物見本としてビデオ6本CD10枚ほど持って行く準備をする。

 郵趣2月号到着。巻頭カラー神宝氏「戦前国立公園切手」。昨年の全日展会場で長野氏から紹介された際,もらった名刺に富士14円の実物貼り込みがあり,強く印象に残っている。次のカラー特集も「何と無謀な!全世界のゼネラル収集」と題した田畑氏のもの。続くコラム欄第2回収集家&切手商日記,収集家は長野氏,切手商はアオヤマスタンプ店主。長野氏は,最近郵趣メディア露出度が高い。二十数年来の友人としては,やっと時代が追いついた感がして嬉しい。田畑氏もビッグネームになってしまった。ジャパンスタンプの2月のセールの全面広告。ついに40銭横透10Bが登場。オフセンターが惜しい。オフセンターでもせめて目打ちが上にズレていたらいいのだが,惜しい。先日の4枚と比べてどうだろうか。その後に連載第2回日本珍品切手物語。高野氏である。大阪での会社員時代に関西郵楽会に入れていただいた時以来のおつき合いである。すっかり手彫り切手の次代を担う存在になられた。新刊本の紹介のコーナー「文献に魅せられて」正田氏,解説は牧野さん。ともに大学時代からの知人で尊敬する人である。一番身近なNユキヒロお二人に加えて,私の郵趣上の尊敬する知人3人目のユキヒロさんが正田氏である。「田沢切手」宮崎氏。解説は稲葉さん。これは直接宮崎氏から献本を受け,書評を提出するように依頼されている。明日の発表が終わったら早速書こう。いよいよ明日からHONGKONGでは国際切手展開幕。

01月28日

 ここしばらく早朝補習がない。でもいかに生徒に勉強させるか心を砕く。そういえば高校時代からあまりテレビを見なくなったような気がする。朝日を浴びての通勤は島原半島が楕円形だとはっきり感じさせる。自宅付近では車の正面に見える太陽が,だんだん左側に移動していくからだ。それとともに遠くに見えていた眉山と普賢岳がだんだん身近になってくる。今日も雲仙の山々は雪で覆われていた。いつも時間があれば写真を撮りたいと思いつつ,通り越していく。授業に行きがてら写真部の顧問の先生とそのことが話題になり,今日は空気が澄んでましたね,写真撮りたかったですねなどと話しながら教室へ。やはり考えることは同じなのかと思った次第。

 本日「スタンプコレクター」着。近畿地方は26日に到着しているようなので,遅れること2日。日本の端に住んでいることを実感。同世代の故か,長野氏の「猫に小判」で取り上げられた「科学技術とアニメ・ヒーロー・ヒロインシリーズ」のスーパージェッターの記事は,面白かった。よく調べられているのに感心。小学校の頃が一番よくテレビを見た記憶があり,スーパージェッター,風のフジ丸は今でも主題歌が歌える自信がある,無闇に歌ったりはしないけど。アニメになる前,漫画として掲載されていた月刊「ぼくら」は毎月欠かさず買っていたのに,いつの間にか片づけられてしまった。ところでこの新切手,まだ買ってない。毎年東京中央の年間セットを買っているのだが,今年はもう終了したのだろうか。

01月27日

 今日も職場との往復。7時過ぎに帰る。ベスト電器から修理されたデロンギオイルヒーターを受け取ってくる。タイマー取り替えとのこと。保証期間内で無料。2台あり今回修理に出したのは新しい電子式のタイマー付きの方で,五島にいる頃実家の寝室用に買った物。古い機械式のタイマー付きの方は五島にいるときから使用して十年近く故障知らず。新しい物がベストとはいえないようだ。

 CD−ROMの注文の分を梱包して発送の準備。今でもたまに注文のメールが来る。今日のハイライトはYAHOO!のオークション。1次昭和4銭単貼の年賀封書13年年賀印消。今日帰った時点で1万ちょっと。終了間際1分間で新たな人も参入し,その倍の21500円で終了。昭和切手の年賀印は昭和12年発行の4種,即ち2銭・4銭・5厘・1銭に限られる。5月発行の2銭は駄物。4銭は8月発行だが,封書料金ということで,あまりみかけない。難物は11月発行の5厘と12月発行の1銭。5厘は楠公葉書加貼か,4枚使用のもので,1銭は2枚ペア貼りのものが考えられるが,いずれも難しい。5厘・1銭とも田沢型の毛紙や昭和白紙が大量に残って使われていた時代だからだ。まして2銭単貼以外の5厘や1銭の貼り合わせは,当時盛んに使われていた田沢型切手ですら目にする機会は少ない。私のPHILANIPPON91出品作品37リーフ目,2銭と4銭は満月だが,5厘は縦ペアのオンピースというのは以上のような理由による。CD−ROM昭和切手蒐集をお持ちの方は確認されたい。この5厘ペアは,葉書からのカットで上2枚は機械消しだった。今でも残骸はどこかにあるはず。ついでに同じページの鉄道郵便印はその後,10銭をオンピースで20銭を単貼書状で入手している。ともに外信の使用例である。今の感覚からすると20銭のカバーの方が切手展向きかもしれない。

01月26日

 また1週間が始まる。早朝補習は春休みまでないので,平常通勤。いくら地方都市といっても,8時近くになると島原市に入ったあたりから渋滞らしきものが発生する。7時頃にはすいすい行くので若干の余裕を見る必要がある。特に今の時期は,本館前の工事で中庭駐車しなければならず,迂回していくので余計に時間が掛かる。週の初めは何かと雑務が重なる。3年団の掲示板をみると2次試験まで30の表示が。7時過ぎに帰宅。

 40銭横透の件については,語ろう板でも心配いただき恐縮する。単片でもここ数十年しばらく出てなかったのに昨年頃から毎年みかける。このあと10Bが出るのか,またシートが存在するのか。購入はコレクション全体を見渡して判断するとしよう。74万というのは,絶妙な値段。私の上耳つきはきっちり日専価通り25万だが,直近のタカハシの単片は16万。これを基に4倍して銘版の分のプラスαして総額80万以上といったところで買えればいいという判断での入札。情報をいただいてから判断すれば,今回買えなくて正解だろう。昭和切手は,リアルタイムで郵便局から切手を購入して使っていた昭和切手収集第1世代の方々がまだご存命の切手だけに,1度も世に出ていない佳品が多数あるはず。JPSオークション誌到着。そんな昭和の佳品らしきものが散見。

01月25日

香炉峰下新卜山居 草堂初成偶題東壁 
香炉峰下 新たに山居を卜(ぼく)し 草堂初めて成りしとき偶(たまたま)東壁に題す

日高睡足猶慵起  日高く睡(ねむ)り足りて猶(なお)起くるに慵(ものう)し
小閣重衾不怕寒  小閣に衾(きん)を重ねて寒(かん)を怕(おそ)れず
遺愛寺鐘欹枕聴  遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
香炉峰雪撥簾看  香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る
匡廬便是逃名地  匡廬(きょうろ)は便(すなわち)是れ名を逃(のが)るるの地
司馬仍為送老官 司馬(しば)は仍(なお)老を送るの官為(た)り
心泰身寧是帰処  心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰する処
故郷何独在長安  故郷 何ぞ独(ひとり)長安のみに在(あ)らんや

 昨日の痛飲のため,起きたのは13時半頃。休みの日は,寝て読書したり,ゴロゴロするのが一番。上の詩の心境。太陽が高く昇って睡眠が充分にとれてもやはり起きるのが億劫である。六畳の小部屋にはデロンギと電器毛布があるため,全然寒くはない。勝光寺(菩提寺)の鐘は寝ころんで枕を横にしても聞こえてくるし,雲仙の雪は窓を開けて見ることもできる。故郷島原は名利にあくせくしなくてもいいし,教員は,忙しいけれどやはり人生の後半を過ごすのに最適の職業だ。心身共に安らぎがあるのが一番。どうして切手蒐集するのに東京・大阪に住む必要があろうか。といったところ。


 あるサイトで今日の日本フィラのオークションのフロアオークションの結果が判明。既に上耳付き単片を入手していたので,弱気の入札だったが,それでも私の一つ上の刻み値段でフロアでの落札。ここのところ,昭和の大物は常に2番値で負けている。あまり相場を上げても仕方ないし,余り安くなっても困る。納得できる値段で入札。今日のも手数料込みで80数万円になるはず。私の単片が25万だったので,その4倍と考えればお買い得。尤も本気で頑張るつもりなら,場に行くのだが。煩悩は続く。

01月24日

 8時過ぎに家を出る。太陽が眩しい。雲仙の山々も朝日を浴びたときが最も美しいと思う。で,県下一斉実力テストの監督が終了したのが15時40分ぐらい。採点をギリギリまで続け,16時30分に学校を出る。17時から退職記念祝賀会があり,私の係はビデオ撮影だ。合間に飲み食い。会場に機材を乗せた車を置き,2次会へ。同じ教科の大先輩N氏と「花」へ。人数が多そうだったので,ひとまず「藍」へ。MISIAの「Everythingのリミックスバージョン(最終回で1回だけかかったもの)」,さだまさしの「主人公」(これはN氏のリクエスト),などを歌う。頃合いを見て「花」へ。ここのカラオケは点数が出て,90点以上は壁に貼りだしてくれる。年が改まり貼られているのが少ない中に職場の人の名前を散見。中島美嘉の「STARS」で90点出すことが出来,掲示。常連N氏は,96点予告で97点を出す。点数を出すためには,それなりのスローテンポの歌を選び,それなりの歌い方があるのだが,歌っててちっとも面白くないのだそうだ。聞いていて,これは切手蒐集にもいえることだと思った次第。帰りは代行運転。数年前まで3社ぐらいだったのだが,今では15社以上で繁盛している。タクシーより安く付くのが利点。結局2時過ぎに帰宅。

 今年最初の「SEVEN144」到着。仰天連載が開始。「小屋流戦後記念切手収集」で,J-stamp20の切手収集日記によく登場する小屋くんがとうとうメジャー(?)デビュー。リーフ形式で紹介していくらしいのは好感が持てる。


01月23日

 早朝補習も今日で最後。ということは日の出前に出勤するのは,今日までということだ。昨日より寒さは和らいだようだ。いよいよ明日は,県下一斉実力テスト。職員集合8時35分,生徒集合8時40分。ゆっくり出勤できそうだ。終了が16時前,その後16時過ぎに送迎バス出発。職場の退職記念祝賀会第1弾があるのだ。シームレスに行事が続く。

 SSオークション(スタンプシバタオークション)からメール。明日締め切りのお知らせ。すっかり忘れていたのでオークション誌を探していたら,日本フィラテリックセンターのオークション誌も発見。これも明日メール締め切り。場に行く元気もないが,後悔しないだけの金額を入札しなければ。それと明日電話で状態と支払い方法について問い合わせをしてみよう。

01月22日

 今日は殊の外寒い。雲仙も麓の方まで白い雪。自宅付近は積もってなかったが,島原に入ると積雪と路面凍結のためだろうか,中尾川付近で橋の坂を登れない車のせいか,渋滞。すぐ国道より一つ上の道を走る。路面が凍結しているので徐行運転。結局5分ほど遅刻。何人かの生徒もその後バスが渋滞で遅れましたと遅刻してくる。10分後だったので,あのまま国道を行っていたら同じくらい遅れていただろう。6時過ぎに帰り,自治会の班長の仕事。税金の集金。全て集金したら,自治会長宅に届ける。その後祖母の仏様参り(七日ごとの)で叔父宅へ。

 蒐友より葉書2点のカラーコピー届く。感謝。なかなか切手の整理までできない。

01月21日

 JPSオークションの無落札品届く。状態はまずまず。よい買い物だと思う。落札結果表と記事を丹念にみれば拾いモノもありそうだ。

01月20日

 早朝補習のため日の出前出勤が続く。日の出直前の空は「紫立ちたる雲の細くたなびきたる」という風情で,枕草子の一節を連想させる。右に視点を移すと,雲仙の山がかなり下の方まで積雪によって白く輝いている。到着直前には朝日を浴び陰影を鋭く刻んでいるのがわかる。今日から本館前の工事のためいつも使っている駐車場が使えず,中庭に駐車しなければいけない。だいぶ迂回していくことになる。いつもより5分は早く出るのが1ヶ月以上続く。朝の5分は貴重である。夜は6時頃帰宅できた。

 ヤフオクの落札品を見る。整理が追いつかないほどだ。JPSのオークション担当者からはメールで,品物を送りましたとのこと。残り物に福であればいいのだが。

01月19日

 木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
(島崎藤村[夜明け前])

 いつ読んでもやはり名文はいい。心に染みる。ということで,今日も夜明け前に家を出る。早朝補習,今週いっぱい続き,土曜は県下一斉実力テスト。夕方病院に風邪薬をもらいに行きたいのだが,なかなか出れず。仕方がないので帰りに大手ドラッグストアーでダンリッチを買う。7時半過ぎに帰宅。幾分か気分もすぐれていたので,町内会の仕事。今年は町内会の班長という仕事がまわってきて,回覧板や清掃の責任者や冠婚葬祭の責任者や税金の徴収やと忙しい。その仕事のうち毎月あるのが税金の徴収。今日は徴収袋を配って歩く。数日後回収に行くことになる。10年に1度ぐらいの仕事なので仕方がない。


 福岡スタンプからの新規開店セールの案内が届く。24日天神オープンだそうだ。気分が向いたら25日でも行ってみるか。郵趣ウィークリーも今日到着。役に立たない情報で日経新聞の郵趣貢献度大の記事。日経は菊切手の著名コレクターK君が記者として勤務しているところ。少しは関係しているのかもしれない。K君は学生時代ある場面で私が身元引受人をした思い出がある。そういえば年賀お年玉シートの引き替えが今日からだった。いつか見なければ。結局昨年は調べることなく終わってしまったのが今になって後悔される。昨年いかに余裕のない生活をしていたかがわかる。

01月18日

 長崎郵趣会の例会。長崎中央郵便局2Fで13時から。九州郵趣連盟理事の選出母体なので不義理をするわけにはいかない。20名ほどの中で私が一番若いのは30年ほど前から変わらないと思っていたら,中3のT君が。なかなか熱心だ。私立の中高一貫進学校なのでこの時期でも出席可能なのだろう。古くから蒐集されておられる方の年賀コレクションを拝見する。明治の特に丸一印以前のマテリアルが充実していた。鹿児島ボタ消で長崎の着印の葉書は状態もすばらしいもの。同じ方の検閲印のコレクションもいくつか気になるマテリアルが含まれていた。いつもは喫茶店で雑談をして散会となるのだが,今日は1月ということで新年会だとばかりアミュプラザ(新長崎駅ビルのこと)4Fに何人か繰り出していった。私は車でもあるし風邪で体調もすぐれないしで,拝辞する。池田さんは30年前とちっとも変わらない,元気である。

 今日でセンター試験が終了した。3年生の出来はどうだったのだろう。ふと思う。長崎郵趣会の後は,いつものように新地のコンピュータウン(ベスト電器)に。DVDメディアを買うつもりが,アウトレットのデジタルフォトストッカーなるものを買う。帰りに駐車場を出たら新地の中華街。ランタンフェスティバルの準備風景。もうそんな時期か。長崎からの帰り,諫早の吉野家に寄る。まだ牛丼健在。愛野では,ジャージーファームでソフトクリームを。風邪のときには栄養を摂らないと。

01月17日

 土曜講座で出勤。12時20分に終了するとすぐ帰宅。風邪のためひたすら寝る。

 スタンプシバタオークション着。0付き24円の機械標語印が目を引く。JPSオークションの結果表が更新してあり,意外に無入札があった。2点ほどメールで注文する。

01月16日

 夜明け前出勤。1・2年用生徒用玄関で登校指導。大きな荷物を抱えた生徒が何人か。センター試験に行く3年生だ。その後,早朝補習。11時頃中国から視察団50名ほど。12時30分センター試験に行く3年生の見送り。1・2年生が両側に並び3年生を激励する。冬の風物として地元のケーブルテレビが取材にきていた。風邪で体調すぐれず,18時前に帰り寝る。

01月15日

 話題の田沢本の作者宮崎氏より葉書。著書をいただいたので,私のCD−ROM博多版を送ったお礼だ。この博多版30部作成したが,もう手元には数部しかない。香港展のEMS検索で到着日時判明。宛先に配達済が1月14日11:00であった。間に合った。

 今日は,同窓会誌の編集委員会が19時30分からあり,21時30分の予定がややオーバーした。帰宅は今日も22時過ぎ。明日は登校指導が7時から。ということは7時前に出勤ということ。その後早朝補習開始。また忙しい日々が続く。

01月14日

 作品香港に到着。ゆうびんホームページからEMS検索するが,「<国内情報> 郵便局で引受 1月12日 12:12 長崎中央 ,海外へ発送 1月13日 04:21 博多 ,あて国名 香港 ,あて交換局 HONG KONG M ,フライト月日 1月13日,<海外情報> ,海外局に到着 1月13日 20:37 ,交換局から発送 1月14日 02:55」で記録が更新されないまま。香港のEMS検索にジャンプできるので,検索すると,「The item (EI*********JP) was delivered on 14-Jan-2004.」の表示が出たので,なんとか配達できたようだ。タイムラグで郵政公社に連絡がいっていないのだろう。

 今日は,職員室の3年団の掲示板をみると「センター試験まであと3日」の表示が。で,夜は進学就職激励会(職員の部)である。風邪で最悪のコンディションなので夜の街を徘徊することなく帰る。

01月13日

 今日から,いよいよ本格始動。でも部活の朝練のため早朝補習はなし。朝練のない生徒は,課題による早朝自学。監督は,交代で。私の担当は明日。火曜が一番ハード。7コマの中に授業4コマ,LHR1コマで,空き時間2コマ。ひたすら実力テストの採点と冬休みの課題のチェック。放課後国語科通信の作成。採点も全て終わり帰宅したのは7時過ぎ。

 鳴美の「たんぶるぽすと」と郵趣ウィクリー到着。「たんぶるぽすと」には,今月号私のCD−ROMのチラシを入れてもらったのだが,ちゃんと入っていた。そのチラシを見たといって年末にCD−ROMの注文があり,今年の会費が未納とわかり送金したので,1月号が今頃到着することになった。昨日出した香港宛EMSは配達状況を検索できるので,早速パソコンで調べると今朝4時に博多局到着。今日フライトの予定というところまで判明。リアルタイムでなく配送先で入力するごとの記録なのでタイムラグがあるが,今日中に香港に到着したのは間違いない。問題は通関と現地での配達だ。

01月12日

 長崎中央郵便局に香港までの作品を梱包したEMSを出しに行く。BEETで。送料は8450円(200万の補償付)だった。1000円切手下2段の銘版CM付8枚ブロックと420円30円切手貼り。1000円切手は国立銘だった。欧文ローラーできれいに消印してもらう。凹版印刷だけありきれいに消印がのった。自分に返ってくるわけでもないのに,つい貼り合わせ,消印にはこだわる。帰途,諫早の吉野家に寄る。食事どきなので店内はほぼ満員。家族連れと子供が多かった。ふと前を見ると職場のN氏が。どおりで,駐車場にどこかで見覚えのある黒のカプチーノが停まっていたはずだ。帰って高校サッカー選手権大会決勝。すばらしかった。記録の連続。涙が出た。長崎新聞の電子号外 http://www.nagasaki-np.co.jp/press/gougai/20040112/index.html に実によくまとめられているので多くは語るまい。早速DVDをつくる。明日返さねばならない実力テストの採点の途中寝てしまう。

01月11日

 やっと作品完成。日付はもう翌日だが,気分はまだ今日。そう徹夜してしまったのだ。今寝ると昼過ぎになってしまうので,これから郵便局にいこう。県内で24時間受付しているのは,この近くでは大村と長崎中央。空港に近い大村に行こうとしたのだが,よく考えると今回の作品は「長崎の外国郵便」がタイトルなので,長崎の外国郵便で送ることに決めた。休日の朝なので,空いているだろう。きっと1時間半かからないくらいで着くことだろう。今日は起きたのが11時頃。郵便受けには,書留の不在連絡票が。寝室は2階なのでチャイムが聞こえなかったのだ,こんな時にはなんとかしなければと思うのだが。郵便局に電話して12時過ぎに取りに行くとSEVENからの落札品だった。ついでにEMSの記入票をもらう。外に出たのでドライブがてら百均でシートファイルいやB4クリアファイルを買いに行く。その他いくつかのファイル類も。帰ってひたすら作品の仕上げの作業。マテリアルが全部は入らないので,思い切って省略したが,稀少なものと香港関係はつとめて入れるようにした。完成後意外にスキャン作業に時間がかかる。なんといっても80リーフ。その他書類を書き,梱包して全て完了だ。

 今日は,夕方に妹から電話。豪州留学の甥がRMIT(王立メルボルン工科大学)の第一志望である建築科に合格とのことで興奮してかけてきたのだ。第二希望の科には既に合格していたのだが,建築の発表は今日だったらしい。12000人受験して1次合格3000人。その後いくつかの試験と最終の口頭試問を経ての合格者は70人。その中の1人であり,おそらく留学生は彼1人だけだろうとのこと。ペーパー試験だけでなく,適性・人物までも見る入試らしい。日本で言えば東大と東工大と東京芸工大を足したような大学だそうだ。2002年12月にリフレッシュ休暇で9日間豪州に行ったときに,はるばる日本から17インチのi-Macを買って抱えて持っていった甲斐があったというもの。さあ長崎から帰ったら,寝て,実力テストの採点だぁ〜。それと高校サッカー選手権の決勝。一応VAIO-Rz71に録画予約を入れる。

01月10日

 土曜講座1・2校時を済ませてすぐ帰る。12時前に帰宅。それからずっとリーフ作成。気付いたら夜の10時になっていた。どおりで空腹になるはずだ,ということに思い至り食事。本生アクアブルーを飲む。最近はこの発泡酒がお気に入り。前回はページプリンタで仕上げたが,今回は一部PM4000PXでも印刷するつもり。というのも,例えばPM950などの染料系は水溶性なので,切手やカバーを汚したりしないか不安だったからだ。4000PXは顔料系なので安心して使える。タイトルリーフには,初めての試みでカラーを一部使ってみた。昨日の日記で書いていたキーになるリーフの作成は完了した。また,前回警告を受けたフロントカバーの書き込みも済ませた。あとは鑑定書の(E)マークの記入と鑑定書を見つけることだ。目処がついたところで,国際スピード郵便(EMS)についてゆうびんホームページで調べてみる。東京・大阪の主要局で差し出せば翌日10時には着くそうだ。14日必着なので,やはり12日差し出しがタイムリミットか。明日中に仕上げて,地域の主要局である大村局に持ち込むかなどと考える。前回のPhila Nippon 2001での得点が82点。あと3点で大金銀賞。この賞以上は8フレーム出せるので,なんとか獲りたいところ。
 前回の国際展では,審査員対話(ジュリー・アプレイザル)で澤さんから,単片のリーフが多いのは,個人の好みであって,僕ならワンランク上の賞をつけるねというお言葉をいただき(澤さん一流のリップサービスとは思うものの悪い気はしない),あとはいかにアピールできるかである。今回は章立てをしたら,すっきりとした印象だ。逆に今までのが,アキュムレーションに見えてくるから不思議なものだ。明日いくつかの手直しと,書類の記入それにEMSの発送(までいけるか?)だ。

01月09日

 今日は,夕方から職場の新年会。還暦と初老と勤続30年表彰のお祝いも兼ねたもの。その後,いくつか場所を変えて飲んだ中でとあるカクテルバー,カンパリソーダを飲む。いつもと同じように苦かった,まるで人生のように。でも初めて飲んだ学生の頃に比べると,味わえるようになったなと思う。加齢によるものなのか。

 作品の構成,第1フレーム,8リーフまで(1・2段)が前史,16リーフまで(3・4段)が,米国との条約下の外国郵便。第2・3フレーム(17〜48リーフ)がUPU加盟後の抹消印使用時期。第4・5フレーム(49〜80リーフ)が日付印抹消の時期。ということで,1リーフ目がタイトルリーフでプランの提示。2リーフ目でT章の小分類提示。9リーフ目で第U章,以下17リーフ・49リーフで同様にV章・W章の小分類を提示することになる。1・2・9・17・49リーフがキーのリーフになる。

 明朝は土曜講座という補習授業のため出勤。午後から作品仕上げの予定。今日はとりあえず寝る。

01月08日

 だんだんとHPリニューアルのことが各方面のHPに載り始めているようだ。ここ数日のアクセス数はすごい。昨日寝る前に1000アクセスを超えたばかりだったのに,今さっきみたら1181。ということは1日で約180アクセスということだ。今日は,始業式。朝8時前に出て夜9時前に帰宅。ふた七日(なぬか)で叔父宅へ仏様参り。四十九日の法事は三月(みつき)にまたがっては行けないということで今月31日だそうだ。叔父叔母たちの前で母が「私のときも七日ごとにするようにAおばさんに頼んどいたから」と言葉を漏らす。ところで,香港国際切手展の作品。構成がほぼ決定。大きな章立てが「T 外国郵便の前史The early history of foreign mail」「U 1875.1 外国郵便開始 アメリカとの郵便条約による外国郵便開始Foreign mail start by the postal treaty with the United States」「V 1877.6UPU加盟 郵便主権の確立UPU affiliation−Establishment of mail sovereignty」「W 日付印抹消」だ。まだそんなことをやっているのかと言われればそうなんです!マテリアルの発掘が完了したのが昨日。それから,そのマテリアルを現コレクションのどこに入れるかを検討したのだ。1リーフに2通入れるとしてもだいぶはみ出そう。ま,その分書き込みが少なくて済むというもの。前回の東京国際展のときは,書き込みすぎと言われ,英語表記がいまひとつとも評されたことでもあるので,そんなに大きく作り替えるつもりもない。10リーフぐらい新規作成といったところか。郵便史はリーフ作りという面では楽だ。モノがカバーという大きいモノを扱うだけに,なんといってもリーフに貼るのが圧倒的に楽。伝統郵趣の作品では10枚も20枚も切手を貼り付ける作業をしなければならないだけに,考えただけでも気が遠くなる,といってもそれが楽しいときもあるのだが。
 今日髪を切ってから初めて生徒の前に。担任しているクラスでは大いに反応あり。その後,大掃除前にすれ違った昨年担当した3年生のグループからは「髪切ったんですね。十歳若く見えますよ」と言われ,(なんて君たちはやさしいんだ流石は3年生と内心思いつつも)「実際に若いんだよ!」と(笑)をとる始業式の日の一風景だった。チャンチャン。(じっさい違い)

 (こうやって見直すと日々文章の量が増えているような気が…。)
 

01月07日

 朝,と言っても11時過ぎに,ベスト電器に行く。今季デロンギのオイルヒーターが1台故障していたのだが,保証書が出てきてしかも60ヶ月保証だったので修理に持っていったのだ。箱が出てきたことにもよる。その後,今日まで年休を出していたのであるが,勤務先に立ち寄ってみる。明日の日程確認のため。午後から明後日にかけて実力テスト。来たついでにひとつ作業をして帰る。2時までに帰ればいいと思っていたが途中百均やその他に寄り道して帰ったので,少し2時を過ぎてしまった。2時からは高校サッカー選手権。準決勝で,国見は,滝川第二(兵庫)と。既に平山が1点入れてしまっていたあとだった。前半6分で入れたらしい。その後後半に平山2点兵藤1点。平山ハットトリック達成。と同時に今大会7得点で得点王,大会通算15得点で歴代1位の16得点まであと1点だそうな。やはりこういうデータがあると見る楽しみも増えるというもの。これは切手でも同じ。文献上で何点目というものだ。そのためには,データの公開が大切。ところで,百均はファイル類の購入のためだが,お目当ての葉書ファイルはなく,その代わり今日はB4クリアファイルを発見。これが昭和切手のシート収納にぴったりだ。これは使える。またいくつか買いに行こうと思う。

01月06日

 Japanese Philatelists到着。国際切手展出品者の会会報だ。その4号である。それでわかったことは,来年のオーストラリア展はメルボルンでなく,シドニーでしかも8月でなく4月だということだ。8月だったら夏休みでいけるし,メルボルンだったら,甥を通訳にしかも宿泊は無料と考えていたのだが。もちろん出品は,昭和切手。2003年作品の発展型だ。さて,会報で目を引いたのが,「郵趣こぼれ話」というコラム。FIP機関誌のFLASHによると,「1フレーム部門は5フレームでの出品への登竜門」という考えが明らかになったとのことで「逆説的には,1フレーム部門にふさわしいテーマとは,実際には5フレーム乃至8フレームに拡大できるテーマが望ましい」とのこと。Hong Kong 2004の出品作品は,日本関係では,伝統郵趣の手彫と旧小判が8フレーム,3次昭和が5フレーム,郵便史では,飛脚便8フレーム,私の長崎外国郵便が5フレーム,日本軍事郵便史5フレームといったところ。なにはともあれ,作品を仕上げなくては。

01月05日

 今朝の長崎新聞の中程一面に村岡さんと村岡総本舗の記事が。長崎街道はシュガーロードとの説には納得。九州を代表する文化人としてのご活躍は頼もしい限り。さて,作品を作るには,まずマテリアルの発掘から。いくつかみつかるが,あるべきはずのマテリアルがない。欠礼状差し出し。めったに行けない(平日のみ営業の)南高湯江局の風景印で差し出す。昼,祖母の仏様参りで叔父宅へ。高校サッカー選手権地元国見高校対四日市中央工業(四中工:よんちゅうこうと呼ぶらしい)をみる。前半O対0。後半36分で平山のゴール。やっぱり平山はすばらしい。その後,墓参り。

01月04日

 だんだん,休みが少なくなってくる。香港展の作品に取りかからねば。今回は構成をきちんとして,個々のリーフはあまりいじらないつもり。追加のマテリアルを入れ替えてボリューム感を出そうと思う。構成を自分のHP作品をみながら考える,寝ころんで。

01月03日

 年賀欠礼の葉書印刷。2台のパソコンと3台のプリンターを駆使して能率化をはかる。PM770久々に大活躍。PM950はなかなかスピードが速い。PM4000PXよりも速いかも。でも宛名は間違いのないように1台のパソコンで印刷する。私の分と母の分30枚合わせて400枚ほど。

01月02日

 昼,弟夫婦来る。3人の子供のうち上の2人は妻の実家に預け0歳児の3男と3人で来訪。子供と遊ぶ。年賀欠礼の葉書印刷。

01月01日

 新年。新しい気持ちで今年もがんばっていこう。年賀状がたくさん届く。そろそろ年賀欠礼の挨拶を出さねば。文案を考える。年末に島原関連のエコー葉書を仕入れていたのだった。

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